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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
320/355

ACT285 目を閉じて、そして手を ②

 ACT285 目を閉じて、そして手を ②


  夢を、また、見た。


 毎日が駆け足で過ぎていく。

 生きていく事だけで、あっという間に夜が来る。

 夜が来て、眠ると夢を見る。

 そして明け方、虚しさに目が覚める。この気持ちは表現できない。

 混乱、不安、無気力。

 母さんに会いたい。

 何も考えたくないけれど、考えなくては。

 死にたくないのなら、備えなくては。

 孤独でも、一人でも、私は、頑張らなくちゃ。

 それでも、夜が来て不安で、虚しくてどうしていいかわからなくて。

 裏手の井戸。

 井戸の側の木に咲く白い花を見る。

 夜中に寝巻きのまま井戸に立つ自分は滑稽だろう。だが、この花は母さんが好きだと言っていた。

 私は、母さんに会いたい。

 大丈夫だと言ってもらいたい。

  だめだ、何を考えてるの。

  外は、夜の外はダメ。

 どこかで猫の鳴き声がする。

 城塞の中でも、夜に外にいるのは危ない…戻らなきゃ、エンリケも言ったじゃない。

 夢で。

 とりとめ無い無意味な夢だ。そう、思えたら。

 そうあって欲しい。

 エンリケは無事で、つぎはぎの夢は意味を持たない。そう、信じたかった。

 巫女様に相談するべきだろう。もしくは、何を言われたとしてもハーディンに言うべきか。

 酷く億劫に思えるのは、本当はわかっているからだ。

 私は夜が来て、頭がおかしくなった。

 もしくは、天眼が開いたか。

 そう、旅芸人のまやかし物、失せ物探しの天眼通。

 夢は意味を持たない。

 意味を見てはならない。

 迷信のひとつに、夢を記録すると狂うとか。

 現実と夢の境を失うとかある。

 天眼は遠くの物事を見通す。夢はお告げとも。

 馬鹿馬鹿しい。

 けれど、夢の中で私は無くしたまち針を床の継ぎ目から見つけ、食器棚の奥から、父の遺品である小さな小箱があることを知った。

 小箱は煙草入れで、母さんがお祖父ちゃんから隠していたのだ。

 夢で見て、現実で手にし、それでも私は否定してきた。父さんとの記憶を忘れていたんだ、それもこれも思い出しただけだと。

 でも、私は嘘をつくのも不器用で、自分を誤魔化すこともできなかった。

 身震いすると、私は井戸端から屋内に戻った。

 今夜の夢を整理しよう。

 どこかに雑記帳があったはずだ。

 死んだ神官様が買い込んだ小さな手帳で、手付かずの物が二冊ほどあったか。

 よく回らない頭で、私は居間の家具類を調べた。

 帳面というか小さな紙束を見つけ、使い込まれたペンを引っ張り出すと居間の机に広げた。布張りの椅子に座れば、ここ最近の夢を綴る。本当に断片だ。馬鹿げている。

 心裡で、否定をしつつ思い出せる限りを書き連ねる。

 眠るのが怖かった。眠いけど、嫌だった。水に沈むような、浮かび上がれないような。

 比喩ではない。始まりは同じだ。

 夢は、同じ始まりを辿る。

 こんな風に…


 ぬるい水に私は沈む。

 横たわり瞼を閉じると、薄い緑色の水に沈んでいくのだ。水底は明るく暗く、群青色で白い砂が積もっている。

 私は仰向けに揺れ沈み、ゆっくりと目を開く。

 私は水に沈んだ夢を見ている。夢の中、見上げた水面を見ている。

 強く願った訳でもないのに、そこには様々な景色や人が見える。

 雑多な情景が流れ消え、これは夢で私の無意識の記憶なのだと考える。

 何も不思議は無いのだと。

 でも、これが記憶だとしたら怖い。というモノも見えた。

 だから、これは無意味な夢であると言い聞かせる。

 知っている姿を探す。そうすれば恐いものを見ずにすむから。

 オリヴィア、小さなお姫様。

 怖い。

 ねぇ、見たくないの。

 私の声が聞こえたのか、オリヴィアの白い小さな顔が見えた。

 猫、花、人形、彼女は寝ている。

 良かった、恐くない。

 花の香りさえ感じられた。

 不意に景色が変わる。

 エンリケが笑っている。手斧をもって何か言った。

 血塗れで、最高だと言った?

 もういい、この男は元気そうだ。

(ビミィーネン、臭いだ)

 鮮明にエンリケの声が聞こえた。

(奴等は生臭い臭いがする。外側がうまそうでも、臭いは腐っている。俺達ならば嗅ぎわけられるはずだ)

 ニオイ?

 エンリケが頷く。

(躊躇うな、お前にこれをやる。お前は、俺より意地がある。生きて辿り着け)

 エンリケが、手斧を差し出す。

 どうして?

(夜が来た。見分けるのだ。)

 楽しそうな男の顔に怒りがわく。

 奴等って?わからない。

 それにエンリケは、小馬鹿にした仕草をわざとらしく見せる。

 フンッと、鼻で笑い冷たい口許が口角が上がる。

(もしも、命乞いをしてきても、信じる必要は無い。お前は間違っていないし、間違わない。例え化かされた奴等がお前を責めたとしても、魔神はお前を許すだろう。お前が信じる者以外、許す必要は無い)

 何を言っているの?

(俺は嬉しい。この世の繋がりは、兄弟や仲間以外は無いのだ)

 嬉しい?

 エンリケは、ふざけた様子を消すと無表情で言った。

(ビミィーネン、俺はお前が生き残ると、嬉しい)

 意味がわからない。

(兄弟も仲間も、もう元には戻れない。だが、お前が生き残るのなら、誰かが普通の暮らしを出来るなら、それが我らの救いなのだ)

 やめて、何だか怖い。

(怖いか?)

 男は考えるように、片手を自分の顎に添えた。

(俺はお前が思うより、オジサンではないし恐ろしくは無い。重要だから、繰り返すが俺はオジサンデハナイシ)

 真剣な顔で言う姿に、私は...


 書いているうちに思い出す。

 この下らないやり取りに、これが私の夢だとしたら嫌だと思った。恐ろしい事を見せられるのも嫌だが、私の身の内で考える男が、こんな心証なのかと。

 この妙にバカな事を言い始めるのが、素だと思っているのか私は。

 だが、これが夢じゃなく夢を渡っていると考えるのも微妙だ。

 大人の男であり、外見が冷たく尖っているだけに、中身が近所の気安いオジサン..。本人が否定する姿が真面目なだけに、何故かますます気安さが滲む。気安いエンリケが私の願望だったら嫌だ。

  何かそういうのは、理想を押し付けているのとも違うけれど、あれ?理想なの…

「そうじゃない、バカなの」

 気を取り直す。

 そもそも、不安になったのはエンリケの夢ではないのだ。

 これは恐くない。

 動揺したのは。

 私が狼狽えた原因は、アレだ。

 二人の人族と一人の獣人を見たからだ。

 夢の中。

 この三人は見覚えがある。

 一人は城塞の町医者でザフトレンという人族の男。

 もう一人は、下のアッシュガルトの男。多分、貸家差配の店主だ。そして、獣人は団長付きの男で一度怒鳴られた事がある。

 まぁ、よくある事だけど、覚えていたのは母さんと私に向けて怒鳴ったからだ。軍の人間は体面を重んじるし、女を罵倒する事を表立っては避ける。でも、この男は、余程私達に恨みがあったのか、教会で暮らすのは上等すぎる奴隷に落とし残飯でも食わせろと怒鳴ったのだ。

 確かに、自由に暮らしているかに見えたのだろう。

 終身奴隷が相応しいと怒鳴られ拘束しろと言われて、怖かった。

 祖父が許しを乞い、許された。いや違う、そんな権利は男になかっただけだ。

 この三人の男が見えた。

 アッシュガルトの街だ。

 何かを話し、ザフトレンの後に続く。

 夜だ。

 途中で獣人の兵士五人と合流。

 外灯に照らされながら、石畳を行く。

 話し声は聞こえない。

 エンリケとのような繋がりは感じられず、遠い景色を眺めている感じだ。

 視界は、薄暗い歓楽街の方向から逸れて街道の方向、海沿いの隧道へ続く下水の脇道へ。

 ザフトレンが何かを言い、貸家の店主が角灯を片手で掲げる。

 そして兵士に隧道へ続く暗闇を指し示した。

 兵士が闇へと消えて行く。

 私も夢の中で見送る。

 ここで、私の視界は不思議な事に兵士や団長付きの男から離れ、二人の人族に向けられた。

 私の興味は、兵士の行き先なのに。

 視界は、人族の男たちの背後に回る。

 そして彼らの首。

 衣服の襟、首の窪みを見た。

 目だ。

 卵の黄身のような目が、盆の窪にある。

 眼球は草の根のようなモノを首に埋め込み、吸い付いていた。

 それがギョロギョロと動いている。

 私は、ゆっくりと再び彼らの前に回り込む。

 角灯を翳し、兵士を見送るその顔は…


 顔は見た。

 見たが起きたら忘れた。

 恐ろしいという事だけは判った。

 夢は、無意味だ。

 あの罵倒した男は城塞にいる。

 これは無意味な、ただの夢だ。

 けれど、考えられる事は3つ。

 普通に、まっとうに考えれば、これは夢だ。

 次に、これを天眼通と見れば、先見と過去見。

 この3つのうち恐ろしいのは、過去見である。

 城で働く男の首を見てみたい。

 それとも、今の出来事か?

 私はペンを置き、雑記帳を持つと自室に向かった。

 なぜ今?

 眠りにつく皆を起こさぬようにと、部屋に入ると急いで着替えた。夜に何を急ぐのか自分でもバカだと思う。

 思うが、動きやすいように下服を履き手足に布を巻く。その上から普段着をまとい足元の靴を確かめる。それから防水の袋に必要な物を詰めた。

 小物、薬、金、着替えの代わりに乾いた布を。荷物を軽くするのに保存食や豆を詰め込む。体力を減らさずに持てるのはこれくらいか?

 小型の手斧を手にして、ハッとする。

 何、これ?

 エンリケの血の滲んだ柄の手斧。

 それもそう、驚くけど、私何してるの?

 まるで逃げ支度だ。


 私は汚名の中で生きてきた。

 私が選んだ訳じゃない。

 私は、罪など犯していない。

 皆、酷い。

 そう、思っても口に出せなかったのは、弱い立場だから。

 大人になったら、言い返せるだけの人間になるの。

 だから、私は、卑怯者になるのだけはイヤ。

 自分で世間の言うような人間には、死んでもなりたくない。

 死んでも、だ。

 怖いけど、イヤ。

 逃げ出すのに、それこそ罪なき子供たちを見捨てるの?

 信じてくださる巫女様を、放り出して?

 そんなことしたら、今まで罵倒してきた人たちより屑だ。

 私だけでは、だめだ。

 私は目を閉じた。

 私だけでは、だめだ。

 私は手斧と荷物を寝台に置くと、深呼吸した。

 そして、一番、勇気が必要な選択肢を選ぶ。

 再び、部屋を出て外へ、そして礼拝堂へと足音をたてながら向かう。

 私は、ガンガンと扉を叩くと、夜の静寂を破って怒鳴った。

 多分、恐慌、混乱、錯乱、していたのだ。


「ブロウさん、相談があります。私の、戯言を聞いてください。子供たちと巫女様をお救いください。ブロウさん、私は、頭がおかしいようです。ですので、彼らだけでも助けてください。ブロウさん」

 こんな具合の支離滅裂な叫びをあげたから、皆も目が覚めたようだ。

 でも、頭のおかしい私の戯れ言が、耳に残っていれば。少しは生き残れるのではないだろうか?

 そんな事を考える私を、ハーディンと巫女様と子供たちが見つめる。

 礼拝堂に暖を入れると、真夜中の集会が始まった。


 誰も一言も言わない。

 私だけが喋った。

 否定されても、罵倒されても良いと、喋り続けた。

 私が妙な夢を見る事。

 嫌な夢を見て、どうしても皆に伝えたい事。

 断片ばかりの夢を繫いで、自分が至った結論を。

「この城塞が?」

 私の話が終わると、ハーディンが初めて口を開いた。

 礼拝堂で寝起きしていた男は、寝支度どころか戦支度のような装備で床に寝ていたようだ。

「信じなくてもいいの。巫女様と子供達を連れて内地に行って欲しいの」

 私の言葉に巫女様が近寄ると、私の肩に手を置いた。

「馬鹿なことを言ってると分かってる。でも、街もここもダメ」

 夢は、他にも見たのだ。

 街の人。

 一人二人と見知った人達も見た。

 でも、夢だと思った。

「なぜ、今言い出した」

 当然の問いだ。

「今夜、見たのは兵士だった。あの男は城にいるかどうかで、判断が変わると思う」

「バットルーガンという人よ。あの人がいて無事ならいいの。あの人がいなくなっているようならダメ。そして、一番ダメなのが」

 あの人の首を確かめて欲しいの。

 言ってから、バカみたい。と、思った。

 でも、泣いちゃダメ。

「私の事は信じなくていいの。ただ、危ないと思ったら逃げられるようにしておいて。海じゃなくて、内地よ」

 それにハーディンが考えるように答えた。

「なぜ、内地なんだ?」

「海はダメ、夜が来たから船は危ない。南領でもどこでもいいの。このアッシュガルトは終わり、皆、死ぬの」

 言ってから、あまりの愚かしさに涙が押さえられなかった。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。疫病神だって言われて当然よね。でも、エンリケも言ったけど奴等は臭いが」

「何?」

「エンリケよ、奴等は臭いの。生臭いからわかるの。人の臭いじゃないから」

「いつ聞いたのだ?」

「…夢の中よ、臭いでかぎ分けろって、容赦するなって斧をくれて」

 言ってる自分でも胡散臭い。

「斧、もらったの?」

 恐る恐ると言った感じでコルダーが聞いてくる。

「どこにあるの?」

「部屋、寝台の上」

 ハーディンはドカドカと礼拝堂を出ていった。

 ほどなく戻った彼の手から、巫女様が小型の手斧を渡される。

 柄に彫られた紋様と血糊に、彼女は興味深そうに見た。

「精霊の紋様が彫られているのね、それに使用済み」

 巫女様の言葉に、ハーディンが唸る。

「確かにエンリケの物だ、出立のおりに見ている。揃いで所持していた。複製品にしては、この使い込んだ様は…」

「じゃぁねぇちゃんの話は本当って事だね」

 それにハーディンは顎髭をこすった。

「…何も緊急時に備えるのは悪くない。持ち出しの袋を作っておくのもだ。但し、内地に向かうかは自分の一存では決められない」

 私は頷いた。聞いてもらえただけでも僥倖だ。

「私に見分けられないかしら?」

 それも、考えた。

「危険だと思うのです。見るならば、逃げ道を確保してからにしてほしいのです。勘づかれたら奴等は隠さなくなる。それに」

 私は、嫌われる事が怖い。けれど巫女様に聞かねばならない。

「巫女様は見えていない」

「見えて、いない?」

 怒っていないか、恐る恐る続けた。

「航海士。巫女様は直前まで、航海士の魂を感じていらした。逆に、あの化け物の気配はわかりましたか?」

 巫女様は頷いた。失礼な私の言葉にも、特に怒っている様子はない。

「確かに、見えていなかった。問題ね」

「エンリケは、私達なら臭いで分かると言っていました」

「ならば、何故」

「生臭いから、人間じゃないと言って信じますか?」

 私は彼らだけでも分かって欲しかった。

「暴けとも戦えとも言いません。見分けて逃げて」

「変異体なのか」

「わからない、でも逃げないと」

「ひとまず今夜は落ち着きましょう。朝になったら、確認。これでどう?」

 巫女様の言葉に私は頷けなかった。

 それを見てハーディンが言った。

「子供達は荷物をまとめて、いつでも動けるようにしておく。朝にウォルトへと話を持っていく。異変があるまで普通に過ごす。段取りがついたら、城に行く。どうだ?」

 譲歩してくれている。ほぼ妄言に。

 私は頷いた。

「貴方達はそれでいい?」

 巫女様が確認をすれば、子供たちは不安そうに返事をした。

「ごめん」

 私の謝罪に、子供達の殆どが無言だ。

 怖がらせたのだろう。怖いはずだ。

「ねぇちゃん、スゲエな。夢で斧が出てくるなんてさ」

 コルダーの物言いに、ハーディンが笑った。

 静かな笑いだが、皆、少し気がゆるんだ。

「もっと他に送るものがあるだろうに」

「そうね、剥き出しの血のついた斧は、贈り物としては論外ね」

 巫女様も手斧を私に渡しながら言った。

 武器で正解だと思うが、私は何も言わずにそれを受け取る。

「若い娘に手斧、次はもう少し考えるように言っておきなさい」

 それはそれで嫌である。エンリケならば、更に血まみれの武器を寄越しそうだ。

 そこまで考えて力が抜ける。

 言うべき事は言った。

 何も起きなければ、それで良い。

 でも、今夜はもう眠りたくなかった。

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