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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
319/355

ACT284 目を閉じて、そして手を ①

 ACT284 目を閉じて、そして手を ①


  これはよくない符牒ね、と、巫女様が言った。

  数人の兵士が消えた。

  そんな噂が耳に入って直ぐのこと。

  都から、一人。

  ハーディンと言う兵士が来た。

  あの、ハーディンだ。

  よくない符牒。

  確かに、と、私も思う。

 今となっては、当然の事だとわかるが。ハーディンと言う人は父の敵であり、父の愚かさにより家族を自身を傷つけられた当事者だ。

 真実を知りたいと思うなら、父が愚かであった事を受け入れるしかない。父は人を殺したし、様々な害悪の原因を作った。でも、それが私の父への思慕や、本当の悪についての根拠のない確信を捨てる理由にはならないと思う。

  諦めが悪いし、潔くもない。

  とは今さら。

  エンリケを頼るという選択をしたのだから、当然、彼が寄越す人は、父が命や暮らしを奪った相手しかいない。

  まぁ、それはいいのだ。

  何も良くはないが、巫女様の懸念は、私への心配だけではない。

  このアッシュガルドの浄化や焼却があるのではないかと言う不安だ。

  だが、巫女様が懸念を示したような敵意を、ハーディンという人は表には出さなかったし、彼が来たからといって城塞には何ら動きはなかった。

  シェルバンへの使いの後、教会に現れた大きな人は、暫く留まる事を告げただけだ。

  最近は誰かの心の内を詮索するより、自分の考えや心の内、失われた記憶を思い出すことに傾注している。だから、ハーディンという人が例え私を殺したいと思っていても、どうしようもない事と捨てていた。

  浄化や焼却にしても、そうなのかという程度だ。

  死にたくはないし化け物は怖い。けれど、何かしらの失いたくない物は特にない。

  物に関しては、家だろうと服だろうと、お金さえも無くなるのは簡単過ぎて、もう、愛着を持つのが嫌になっている。

  代わりに巫女様が心配しているのが、少し意外だった。

  巫女様は、私の浅はかな考えなど及びもつかぬ、慈悲をお持ちだった。私を御付きにするのも、本当に私自身の、罪科など無いと信じているからだ。

  信じる、という力は、大きい。

  巫女である事とは、信じる力を持つということ。

  それを否定しては、巫女様の人生を否定すること。

  私は信じるという力が弱い。

  巫女様に心配されていると涙が勝手に出る。

  私は、有り難くて、だから、余計にどうでもよくなった。

  黙々と教会で働き、時々外出する大きな人が、もし私を害するならば、気がつかないうちに処理されている。口に出しては言わないが、そんな本音もある。

  王都から水が消えた後、この大きな人は某かの任務でやって来た。そして速やかにシェルバンへと赴き、本来なら都にとうに帰っていたはずだ。

  だが、城塞とアッシュガルトの不穏な雰囲気に、正確に言えば神聖教の巫女様が野蛮な土地に取り残されるのを危惧して滞在する事にしたのだろう。

  あの夜、私は気を失ってしまったが、悪い子は地獄に行くし、神様は見ているのだと巫女様が言う。

  城塞の子供を集めてのお話は、神様の御使いと地獄の使者、到底現実味の無い話ばかりで。

  でも、巫女様も私も、そして、全ての城塞の住人が、少し変化したのは事実だ。

  私の場合は、説明するのが少し難しい。

  まぁ、何が一番しっくりくる言葉だろうか、そうそう、あれは…


「ビミン、そちらの煮込みはどうかしら?」

  物思いもホドホドにするべきか、集められた子供達の食事を作っている時は特に、味付けを失敗したら目も当てられない。

  アッシュガルトの異変後、検査して異常がない子供だけでもと、教会で世話をしている。当初は、城塞内に入れる事を反対されていたが、あの夜から城塞内でも動けずおかしくなった者も多く、やはり子供だけでも教会で預かっていた。だから、下の子供、自力では生きていけない幼い子供を収容した。巫女様の願いをはねのける根拠、汚染が見当たらなかったのもある。

  子供達は、人族、亜人、獣人と長命種以外が揃っていた。

  男女会わせて16人、何れも親が死ぬなり親族が死ぬなりして身寄りがいない。獣人の子供は旅先で主が亡くなったという徒弟も含まれていた。

  商家の徒弟で半奴隷、親が奴隷で何れ大人になると身分を買い戻す人獣混血の子らだ。奴隷の子は奴隷ではない。故に徒弟や小間使い等、自分を養う為に幼い頃より働くのだ。

「姉ちゃん、今晩は何?」

  その徒弟、今は主人が亡くなり身を寄せているコルダーが泥だらけの顔を戸口から覗かせた。

  獣人の子供らしく体は小さいが力は強い。

  他の子供らの面倒を見てくれる。

「肉が手に入ったから、量はあるわよ」

「さすが白熊の旦那だ、やったね」

  満面の笑みが戸口から消える。

  獣人の子供は、ご飯の量で機嫌が良くなる。

  それに巫女様が笑った。

「あらあら」

  ハーディン・ブロウは大きな体の顎髭と揉み上げをもつ、渋味のある男だ。

  手も大きく薄い瞳の色に落ち着いた声音。

  ゆったりとした静かな男で、衝動的な性格ではなさそうだが、怒らせると怖い。そんな雰囲気の

「何で白熊なんてわかるのかしら」

  私の呟きに、巫女様が料理を取り分けながら笑みを深くした。

「あの方は子供にとっても優しくて、我慢強く相手をなさる。子供に獣変化を教えるにも、孤児や奴隷では難しかろうと、色々話すみたい。良い方、なのでしょうねぇ」

  最後はため息を混ぜた言葉に、含みを感じた。

「じゃ本当に白熊なんですね」

  それに巫女様は肩をすくめた。

  巫女様は、人の真名を見る。

  わかってらっしゃるが、それは礼儀に反すると言う事か。

  獣人は獣相を秘すのが普通だ。

  例え日頃戦う事で表に出しても、あからさまに似た獣の名をあげるのはよろしくない。

「私は何の獣相なんだろうな」

「あら」

「祖父は狼ですが、祖母は人族で獣人の相は草食動物と聞いています。母に至っては人族の相が強く、父は虎でした。となると割合での予想がつきません。軽量ですし、表には出てませんし」

「名付けの儀式は?」

「実は名は祖父が決めて、特に儀式は受けておりません」

  そうだ。

  なぜ、忘れていたのか。

  先伸ばしされ続けた、祝い事。

「私が殆ど人族だったせいでしょうか」

  荒れた暮らしをなぜ、忘れていたのか。

  私は、普通の子供らしい時間がほぼなかったのだ。

  己の耳を触る。

  かろうじて獣相が出ている場所。

  少し三角の耳は、黒に白の丸い模様の毛並み。

「お祝いをしましょう。皆にご飯を食べさせたらお菓子を用意‥焼菓子の材料はーあら大変、香りでコルダー達にバレるわねぇ‥食べ尽くされないように確保しないと。入れ物はどこかしら?ホッホッホ」

  ドンと背中を叩かれる。枯れ木のような巫女様だが、獣人の血もお持ちだ。けっこう痛い。

「うぇ」

  妙な声が出た。

  暗い考えを見抜かれたような気がして恥ずかしい。

「お菓子を作って、特別なお茶をよういして、少しお話をしましょう。今夜は満月、貴女に良い光が降りますよう祈りましょうね」

  その晩、 特別な、そして普通の焼き菓子を食べながら、巫女様から血筋に関しての言葉をもらった。

  真名も読み取って教えてもらった。

  何だか、ちょっと元気になった。たぶん、特別な贈り物だから。久しぶりの誕生祝いだからか。

  真名は、まぁ、誰其れの子のと言う長い前置きの後に教えられた。私の獣相を連想させる名だ。あまり聞いたことの無い種の肉食獣で、祖父や母の血筋ではなく、父の血筋とも少し違っていた。

  木登りの上手な、小型の豹の仲間らしい。

  確かに目の大きさや色は言われてみればと納得した。

「今、で良かったかも知れないわよ。知って幸いとは今では限らない」

「どういう事ですか?」

「私の父は長命種だった。けれど私の血は獣人のものが勝ったお陰で、巫女の名は変質せずにすみました。罪から逃げる事はしませんが、人としての死を失わずにすんで、愚かしくも安堵したのです」

「人としての死?」

「私は弱い人間だということです」

「そんな」

「弱い人間で良かったと言う意味ですよ、名が変わらず弱いままの私がいる。それだけで私は救われたのです」

  巫女様の論法は、少し逆説的であると思った。

  そんな風な会話を最後に、私は就寝した。

  真名を心に抱き、少し楽しい気分で寝た。

  でも、見た夢は最悪だった。




  エンリケがいた。

  思うのだが、ずいぶん年上な筈なのに、彼は若々しい。

  暗い髪色に暗い表情。

  切れ長の目元に刺青、何か腹が立つ。

  偏見かも知れないが、顔の良い男は、特に自分が顔が良くて女にチヤホヤされる外見を自覚している男は、鼻持ちなら無いヤツが多い。

  たぶん、このエンリケ・ロメオ・ブランドと言う男は、そう言う奴だ。

  広い肩幅に細い腰、鍛えられた体に刺青が見える。

  黙っていても女は入れ食いなんだろうな、下品?まぁ、耳年増なだけだ。

  女がいっぱいよって来るのが当たり前、だから、どんな女にも公平で冷淡だ。

  気にくわない。

  何が気にくわないかと言えば、こいつを頼りにしなければならない私がだ。

  本来なら、近寄るのも怖じけるだろう大人だ。

  大人は怖い。

  本音だ。

  大人の男が怖い。

  敵意や暴力が怖い。

  だって、私には殴られる理由があるから。

  でも、何処かで期待している。

  殴らないで、怒鳴らないで、怖がらせないで。

  だから、平気な顔をして、話しかける。

  暗闇に立ち尽くす姿に。

  何かあった?

  すると何故かエンリケが私を見て、微かに笑った。

  そして、何か言っている。

  でも、言葉が意味をもって耳に入らない。

  雑音が頭を揺らす。

  それでも会話らしきものを続けながら、これが夢だと私はもがく。諦めきった笑いを浮かべる男を揺らし、その口の動きを読む。

  すると夢の筈なのに、私の夢の筈なのに、それは確かに彼の体に巻き付いた。

  ねばつく煤にまみれた黒い手が、エンリケの肉を千切りとるように伸ばされる。

  あぁ血だ。

  エンリケの黒い血だ。

  やめて止めて、貴方は強い大人で男で。

  死んじゃダメ、死なないで。

  父さんや母さんのように死なないで。

  私は憎まれたって良いの、でも、私より先に死なないで!

  目を覚ませば良いの、これは夢。

  覚めればエンリケは、何処かで楽しくやっているの。私とは違って大人で男で。

  なのに何で情けない顔をするの?

  何?

  聞こえない、しっかりして血を止めて、それから…


「バカバカバカバカっ!」


  自分の怒鳴り声で目が覚めた。



  夢見の悪さにげんなりしつつも、朝のお勤めをする。

  もう、母も祖父もいないのだ。

  「巫女様」

  お勤めの後、子供たちを食べさせてからの縫い物の時間。

「悪いモノを遠ざける呪文ってあるのですか?」

  口に出してから、何だか馬鹿みたいだと思った。

  何を言ってるんだろうかと。

  それに巫女様は、ちょっと考えるように答えた。

「悪いモノにも色々あるわね、ビミンの考える悪いモノって何かしら?人間ならば、兵士や領主を頼るでしょう。でも、そう言うモノでもない。アッシュガルトの変異体も兵士や戦える者を頼るでしょう」

  もどかしいが確かにそうだ。

  私は何を言っているのか。

「悪いモノ、悪い化け物。人以外の悪い何か。変異体や野獣の暴力以外の要素ね。空気を濁らせるような、人を化け物に変えるような」

  悪意。

  けれど、それは目に見えず、どうしようもない事で。

「都合よく一言で悪霊や悪意が消えるのならば、例えば祈りで退ける事ができるなら、朝も夜もなく祈るでしょう」

  都合の良い呪文は無い。当たり前だ。

  「けれど」

  縫い目に目を落としたまま、巫女様は続けた。

「オリヴィア様は知っておられた。失わせたのは我々。

  そして、代わりに罰と魔を戻された。救いの呪文は無いけれど、救われた者は答えねばならない」

「眠っているだけですよね」

  私の問いに巫女様は頭を振った。

「貴女はどう思う?」

  私には伝え聞く話が、彼女と結び付かない。

  「どう考えていいのか、ただ、さびしいです。このまま私は、会えないと思うとさびしいです。」

  まぁ、例え再び目覚めたとしても、畏れ多いし私は罪人の娘だ。

  会うことも叶うまい。

  でも、こんな私でも、友達が欲しかった。

  日々の暮らしの中、気軽に語り合う存在が。季節の行事を、食を共にする、記憶を共有する存在。

  根をはれる場所を郷愁を感じさせてくれる、友が。

  私は欲張りだ。

  お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、お友達、それから…優しい懐かしい故郷が欲しかった。

  私は根無し草だ。


「我々は思想と哲学、政治学等の学問を先鋭化してきた。社会と関わり発展を遂げる。神秘も学問としてならば追求を続けているが、それはあくまでも学問としてだ。宗教家でありながら我々は神秘を否定していた。

  神はいる。

  だが、神は衆生には道標であるが、万能薬ではないと。

  現実路線、最適化、色々呼び方はある。けれど、理の変化には適応力が無い。信仰の熱量で解決できた問題も、理論理屈では対処できなかった。

  人間の悪徳を滅却する程の熱には及ばなかった。

  確かに現実を見る事は正しい。

  その現実が変化したことを受け入れられるのならば。

  否定せずに、神を信じ神秘を受け入れられるならば。

  でも、今まで捨ててきた考えを肯定する事は、怖い。

  例え化け物のあぎとが目の前にあっても、それが魔であり我々とは別の理でできているとは受け入れがたい。

  巫女と言う存在ができるのは魔を見分ける事だけ。

  後は魔のモノを寄せないようにするだけ。

  打ち払う力は無い。

  昔話の頃の破邪の力がない。

  できるのは己の誤った考えを退けるだけ。

  恥ずかしい話だわ。」

  そう言った巫女様は、一度瞼を閉じられた。

  再び縫い目に目を落とすと、続けた。

「それでも夜が来て、良い事があるとすれば」

  巫女様は私を見ると、小さく笑った。

「妖精や魔法が見れるかもしれない事かしら。

  子供の頃に、妖精や魔法使い、それに不思議な生き物のお話が好きだった。

  悪いことや悪い魔物は、必ず知恵と勇気、愛によって消え滅ぶというお話が好きだった。」

  そして、幸せに暮らしましたとさ。

  でも、現実は違う。

  助かるのを待つのは、自滅を選ぶ事だ。

  焦り足掻き、私は探さねばならない。

  どうしたら、私は生きていけるのか?

  生きていてもいいと、許せるのか?

  私は、許せない。

  心を蝕む虚しさが力を気力を奪う。

  怒りも憎しみも、私にはわからない。

  他人との繋がり方がわからない。

  愛とは、悪とは、人とは、魔とは?

  怖い。

  怖い、混乱していく。

  私は、死が恐ろしく、生きることも恐ろしく。

  自分が恐ろしく、他人が恐ろしく。

  オリヴィアに会いたい。

  ねぇ、私の話を聞いて欲しいの。

  今度は間違えないから、私の過去から話すから。

  ねぇ、お話を聞いて欲しいの。

  怖くて、さびしいよ。


 

 

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