ACT283 無敵の男③
ACT283
手を伸ばす。
炎が体をなめる。
不思議と静かだ。
薄暗い世界。
黒い炎。
指が炭になる前に、手を伸ばす。
それは、小さな花だ。
白く、碧く、仄かな色が入った、小さな花だ。
感情は消え、ただ、手を伸ばす。
どうするか、どうするべきかなど、何も浮かばず。
花は、蠢き、そして管をのばした。
そして、焼けただれ、骨の見え始めた指へと、それは伸び。
(待って)
何かに遮られた。
(それ)
声だ。
(私に頂戴)
女の声。
(姉さま)
管は、動きを止めた。
(私、それが欲しいの)
イテェ
(ミハエルに似てる、だから)
熱い
(優しい姉さま、どうか)
花に見えていたモノの正体。
溶け爛れながら、オロフは目をこじ開ける。
球根のような形をした管蟲。
それの芯に女の顔のようなモノが見えた。
木彫りの面のように硬く見えるのに、それは柔らかく蠢く。
そして、それは確かに呟いた。
爾
光り、熱、全身が軋む。
再び、目をこじ開ける。
花は消えていた。
代わりに押さえつけていた異形が硬く実体を定めた。
俺は..
オロフは口を大きく開けた。
彼は不本意ながらも、本能を最大限に解放すると、何故か母親にそっくりになるのだ。
長大な牙が異形に突きたつ。
何をやってんだろうな..
そしてオロフの息も止まった。
昔、私達は、水底にいた。
遠い遠い昔。
苦痛を知った。
恐怖を知った。
絶望を、諦めを、そして虚無を知った。
虚無とは、むなしさではない。
だから自由になった。
ただ、それだけ。
でも帰れなかった。
そう。
いつのまにか、この界が家になっていた。
それでも帰りたいと、心の何処かでいつも思ってる。
帰りたい。
そわそわと、季節が変わる度に何処か遠くへ、ありもしない故郷を探して旅に出たくなる。
でも、それは悪い事じゃないけれど、良いことでもない。
帰りたい。
悲しみを知った。
だから、私は、喜びも知っている。
ミハエルが死んだ時。
私は、帰りたいけれど、帰れなくてもいいかなって。
ねぇ、邪悪な存在を感じるの。
貴方は、わかるだろうか?
ミハエルに似た、貴方は。
姉さまの行いは、邪悪なのか?
貴方は、わかるだろうか?
本当の邪悪を理解できるだろうか?
灰色の空、夜明けだ。
雨が降っている。
雨だ。
待ちに待った雨だ。
年、数度も降らない雨が落ちてくる。
雷鳴がした。
仰向けに寝かされていたオロフが顔を傾けると、館が見えた。
無事だ。
そして反対を向くと都が薄曇りの空の下で煙を上げている。
そこかしこで火の手が上がっているが、壊滅するようには見えない。
夢を見ている。
そんな気がした。
音がしないのは、耳をやられたからだ。
体は獣の相が出たままだ。
怪我が酷いのだろう。
動けないが、死にはしないだろう、その程度だ。
化け物の死骸を片づける者。
怪我を診て歩く医者の姿も見えた。
商会の男達も、そこここで転がっている。
死体、ではなさそうだ。
コンスタンツェの気配は、館の中だ。
代えの兵士が扉に立っている。
分派長は、オロフの寝かされている側で怒鳴っているようだ。
耳がやられていてよかった。
手当を受けながら手足を動かしては何か指示をしている。
そしてオロフが意識を取り戻したのに気がついたようだ。
何事か言っているが、聞こえないし、聞きたくない。
面倒そうだ。
神殿兵の姿が見えた。
ようやく来たようだ。
神殿は終わったかと思ったが、機能しているようだ。
あぁ喉が乾いたな。
口が痛いな、つーか痛くない場所がねぇや。
オロフは、朦朧としながら、空を見上げた。
足を喰われた後に、今度は全身に火傷だ。
利き手は、炭だ。
一度、心臓は止まったと思う。
引退していいよな。
と、オロフはぼんやりと思った。
自分の体を何となく診断する。
目も多分、視力が落ちている。
耳は聞こえるようになるんだろうか。
内臓は思ったよりも無事そうだが、獣人の回復力の限界は、とうに越えている。
やったね、無敵の男、引退だ。
これで飯屋が開けるね。
茶化してみたが、ぼんやりとした意識の底で、絶対に、自分は引退できないのだという気がしていた。
何故かといえば...
先程から、少女が一人、自分の側に座っているのだ。
真っ白な髪に緑の瞳。
歌を歌っているのだろうか。
聞こえない耳で、どうしてわかるのか?
焼けただれた目にも、少女の口が動き、花びらが散るのが見えた。
小さな花と植物が石畳に生え消える。
小さな口が動く度、そよ風のように小さな花が舞い散る。
春の花を吹きまく妖精ですか、なんだよ、これ。
「ナニ、シテンノ?」
焼けただれ嗄れた声で問うと、少女は微笑んだ。
彼女は天を指さした。
雨に花が散る。
「イミ、ワカンネ~」
オロフは気絶した。
再び目覚めると、布の天井が見えた。
傍らには、見慣れた男が足を組んで座っている。
何をするでもなく、オロフの寝台の横でくつろいでいた。
その視線の先を何気なく見ると、女達が歌い踊っている。
そこまで目にしてから、何となくわかった。
ここはボフダンの女達の天幕だ。
「よく耐えた、オロフよ。
児戯ではなく、アレは本物であった。
価値ある行いであった。」
朦朧とした意識に、言葉は返せなかった。
そんなオロフにコンスタンツェは、言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「あの呼び出されたモノは、危険であった。
神は殺してはならないのだ。」
神?
「存在は神であった。
お前達は、アレを撃退し始末できたかもしれない。
お前が炭になっている内に、まわりの者が攻撃を続ければ、何とかなったかもしれない。お前が足止めをし、あの小さき神の一部を砕く事ができたかもしれぬ。だが」
そこまで言ってから、コンスタンツェは、オロフに頭を下げた。
「すまなんだ。
私は間違った。」
何を?
「児戯であった。
だが、最後の炎は神であった。
私は間違っていた。
神が出てくるのならば、我々は逃げねばならぬ。
例え、地が腐れようとも、姫様を抱え、我らは逃げねばならぬ。
私の判断が間違っていた。」
じわじわとオロフにも意味がわかった。
「神を殺してはならぬ。
敵対者が呼んだモノとて、神は神である。
それを異形と同じく始末してはならぬ。
例え、神を殺せるとしてもだ。」
つまり?
「お前が組み付き、神は還っていかれた。抜け殻は、ただの異形のケダモノとなり討ち取られた。
お前の馬鹿な特攻も価値があったのだ」
何となく、オロフは嫌な予感がした。
謝らない男が謝っている。
「姫様は無傷。
そして都の被害も思うより軽微。」
「..ハッキリ、イッテクダサイヨゥ」
絞り出した護衛の言葉に、コンスタンツェが真面目な表情を崩した。そして嬉しそうに笑った。
「喜べオロフよ、姫様をお守りしたお陰で、神との道ができたぞ。
そしてお前が呪われたお陰で、いろいろとわかってきた!」
オロフは枕に頭を沈めた。
やっと頭が冴えてきた。
「ドコニヨロコブヨウソガ」
その呟きにコンスタンツェが、拳を握って力説する。
オロフは目を閉じた。
「我らの神ではない。
異形の、異界の、第四の領域のだ。
視るところ、お前には神との道ができている。
我らの神と、あの異界の意識と両方のな。
お前自身は、感じることができぬが、確かに呪いが」
素晴らしいと宣う男に殺意がわく。
「オレ、インタイシマス」
それにコンスタンツェが良い笑顔で答えた。
「今回は公王より感謝の意を込め、お前の再生治療を行う事が決まった。
喜べ、命の舘の人員を派遣するそうだ。
加工もしほうだいだぞ」
何それ、嬉しくない。
「不死身の男になれるぞ、オロフ。
ついでに腕の本数も増やしてもらうか?」
冗談ですよね?
そして又も失神したのか、目が覚めるとコンスタンツェの姿はなかった。
治療は始まってないのか、それとも夢だったのか(夢だったらいいのに)ボフダンの天幕に寝かされていた。
ただし、一人ではない。
猪のオジサンが増えていた。
多分、命の舘に運び込まれるまで、このボフダンの天幕に隠されているのだろう。
オッサンも火傷が酷いのか、半ば獣の姿で横たわっている。
問題は、眠っている分派長ではなく、コンスタンツェが座っていた椅子に腰掛けている人物である。
白い髪に緑の瞳。
長命種人族にも見えるが、指の数は亜人に近い。
大陸人の大凡から美人と呼ばれる類の容貌である。
ただし瞳の部分が大きく白目が見えない。
人族種とはやはり違っていた。
一番近いのが、鱗を持つ獣相の者か。
聞こえるようになっていた耳が音を拾う。
少女は不思議な音程の旋律を歌っていた。
オロフには分かった。
理屈はわからないが、わかった。
多分、コンスタンツェが言う所の、夜が来て、オロフは変わったのだろう。
この少女の形をした何かが、呪い、なのだ。
己があの炎の中で聞いた声が、呪い、だ。
意味を考えても、わからないが、この少女の形をした、何かは、アレと同質だ。
故に、オロフからすれば、この人の形をしたナニカに、人間と同じような感情はわかなかった。
「アレハ、ナンダ」
だから、つい声を潜めて聞いていた。
頭も打っていたのかもしれない。
正常な判断力がないのかもしれない。
だが、オロフは聞いた。
それにナニカは、瞬きを一つすると、歌うのを止めた。
「オマエハ、ナンダ」
唇は息を吐いたが、言葉は音にならず、オロフの耳には届かなかった。
だが、それは確かにこう言った。
(ミハエルの、おばかさん)
「ミハエルトハ、ダレダ」
それに呪いは、眉を上げた。
その表情に、じんわりとオロフに理解が広がる。
「ウッソ、ジョウダンヨシテクレ」
呪いは、スッと手を伸ばす。
殺気も無く伸ばされた無手を凝視する。
と、呪いは、その手は方向を変えた。
そして、敵意は無いというかのように、布団の端をポンポンと叩いた。
(ミハエルは、本当におばかさんね)
そう言うかのような仕草だ。
不意に、オロフは真剣に考えるのが馬鹿らしく感じた。
「オレハ、ミハエルジャネェ」
オロフのうなり声に、呪いは笑った。
後日、命の舘から来た者に連れられて行こうとすると、呪いが泣き出した。
仕方がないので、呪いはオロフと一緒に命の舘に行くことになった。
どう、仕方が無いのかオロフには理解できないが、この呪いは、オロフ専用の何からしい。
保液治療の棺桶に叩き込まれて、その棺桶の側にへばりつく呪いの姿に、オロフは益々、真剣に考える事ができなくなった。
白い姿をした処刑人のような命の舘の者も、呪いには全く関わらない。
それこそ恐れ多い王様という変態が様子を見に来たときもだ。
呪いは、まるで居ないかのように扱われた。
「まぁ、ボフダンの一の姫は、つまり水妖の末裔と呼ばれている。
獣人族でもない。
三種の亜人種でもない。
夜の民と同じく、表に出せない種族だ」
無事、四本腕にもされず、標準の再生治療を施されたオロフを見舞いに来たコンスタンツェが、呪いを物珍しそうにつついている。
頬を指でつつかれている呪いは、楽しそうにしているので問題ないようだ。
「彼らは、精霊種と似ているが違う。
そして人族とは異なっている。
肉食で水中で繁殖する」
げんなりする内容である。
「知的には、我々と変わりないが、思考の規範は肉食生物だ。
ただし、夜の民と同じく統率者がいれば、我々と同じ社会で生活できる。」
つまり、人間は喰うな。
法律に従え。
と、調教できる訳だ。
「精霊種と似ていると言ったが、似ているのは彼らが女だけの種である事だけだ。
水妖と言ったが、これも昔の呼び名であり、一番似ているのが水性昆虫である」
聞きたくないが、聞かねば呪われた男である自分も困るので、オロフは呻くだけだ。
「彼らはヤゴに似ている。
通常は見えないが、口腔内に牙があってな、そこから獲物の体液を吸うのだ」
オロフは指をあげた。
「何だ?」
「男は産まれないんで?それと旦那は何処から調達するんすか」
「精霊種と同じく男児は産まれたら、その父親と同じ種族になり、女児は水妖になる。
夫は妊娠中の栄..」
「聞きたくねぇっす!」
「蟷螂とは違い喰い殺す事は無い。と、言う事を主張しているな」
呪いがコンスタンツェの袖を引いて憤慨しているようだ。
「養分が足りない時だけだそうだ」
「安心できない、何、その情報」
「オロフよ、嘆く要素ばかりではない。
一の姫は、必ずや我が君を守ってくださるだろう」
「どういう事っすか?」
「この世界は調和を表す球であるとする。
しかし、調和は崩れた。
もし、崩れた発端が何であろうと、何が原因で崩れたかは、分かっている」
「わかっている?」
「壊れた原因をつくったのはニンゲンだとして、どうやって壊したかは、わかっている。と、言うことだ。
今、色々な事が起きている。
だが、それがどうやって始まり、誰が悪いのか、何が起こっているのか、我々は全てを理解する事は無理だろう。
だが、一つだけ分かる事がある。
誰がどうやって成し遂げたのかは、わからない。
だが、誰かがやって、こうなったのかは、分かったのだ。
そして、どういう道筋で解決すれば良いのか、わからないが、許しを乞う相手はわかっているのだ」
「自分は、分からないっすよ。それが、その呪いとどう関係するのか」
「神は、神である」
「何すか、それ」
「悪い神も、善い神も、無いのだ。
なぁ、ナヤーデの一の姫よ」
頬をつつかれた呪いは、オロフをじっと見つめた。
「俺は違うっすよ」
呪いはコンスタンツェの手を握ると頷いた。
「お前はミハエルだそうだ。よかったな、ちゃんと呪いが定着しているようだ」
「俺、引退します」
王都炎上から一月がたった。
理不尽にも最高の再生治療のおかげで、オロフは新品になった。
新品になったおかげで、コンスタンツェとの契約も続行である。
そして、呪い、改めナヤーデの一の姫であるアンが舘に入った。
契約者が、ヨーンオロフに書き換わったのでという、オロフ本人の意志と理解の及ばない理由から、舘に入れても問題がなくなったそうだ。
何が書き換わったのか、つまり、アン一人だけ、ボフダン公からオロフに責任者が変わったらしい。
呪いである。
そして、オロフの最初の仕事が、人間を食べては駄目であるという約束をする事。という、精神に悪い話だった。
アンは、心良く了承した。
時々、オロフに血が吸いたいと強請ってくるが、これはどうやらミハエルを虐める常套句で、冗談のようである。冗談だよね?
だが、そんな肉食の本性に喜んだのは、意外にもエウロラであった。
流石、あの養父の娘である。
多少?の異常行動には慣れている。
舘に運び込まれる大量の肉を、小柄なアンが処理してくれるだけで、大歓迎。
人間は食べないよ、という言質を信じているのかいないのか、肉食生物の面目躍如である。
そして、もう一つ、この呪いがもたらす意外な恩恵があった。
雨だ。
ボフダンの女達が歌う。
そしてアンが歌う。
深夜に歌うと、明け方から雨が降る。
それが偶然では無い事を、オロフは知っている。
呪いが歌い出すと、その唇から蔦が生えて、花が咲く。
花が咲き、花びらが散る。
不思議で、綺麗だ。
肉食昆虫なのに。
オロフは夜番で表を見ながら、呪いが歌い踊るのを見る。
コンスタンツェが再び、舘に泊まりに来ているのだ。
そして、この雨が降ると、異形は少しなりを潜める。
時々、オカアサマが徘徊しているが、それはご愛敬。
この恩恵で落ち着いたかのように見えたが、コンスタンツェは舘に泊まりに来ている。
ただ単に、眠りの君を見に来ているようではない。
襲撃者は捕まっていない。
異形ども、蜘蛛男やらは始末したが、召喚者は分かっていない。
火事騒ぎの所為だ。
偽りの平穏の答えは、程なく届いた。
東公領の玄関口、アッシュガルトが壊滅。
限定的ではあるが、港ごと爆破焼却。
コルテス、ボフダン、両領地は防衛の為、関を遮断。
派兵要請を中央に打診。
駐屯していた第八師団が敗走との知らせが届く。
南領第八兵団の八が敗走である。
当然、激怒する者多数、中央からの派兵は南からという話になった。