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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
317/355

ACT282 無敵の男②

 ACT282


 見た目より素早い。

 一気に距離を詰めた蜘蛛の大きさは子供ぐらいか。

 それがカサカサと歩脚を動かし跳びながら近づいてくる。

 飛び方は不規則で上下左右にと目まぐるしい。

 本体の人蜘蛛より小さいとはいえ、数が多い。

 それが広がり館に押し寄せてくる。

 最初に槍を構えた兵士が接触。

 突き刺し引き抜き千切るのを見て、堅くは無い事が見て取れた。

 だが粘液は、やはり酸なのか、槍先が見る間に腐食し色を変える。


「火を使え」


 油薬が撒かれ炎の壁が白く吹き上がる。

 次々と炎が上がり、蜘蛛は身を焦がし異臭を放つ。


(一つに四つを捧げ申す)


 オロフの所までは、未だ蜘蛛はたどり着いていない。

 分派長は行く手を異形に遮られながらも人蜘蛛に躙りよる。


(申す、申す、申します)


 剣を構えたまま、オロフは目を眇めた。


(奥方様に申し上げます

 兄者と我は、決して裏切ってはおりませぬ)


 人蜘蛛が喋っている。

 中年の男、エラのはった口の大きな男である。

 それが総髪を振り乱し苦悶の表情を浮かべながら、ブツブツと呟いていた。


(一つの胚を産ませるに、我らは四つ捧げ申す)


 蜘蛛の体に大きな男の頭だ。

 醜く滑稽であり、人の命をあざ笑っている。


(確かに、確かにそうでございます。

 いくら殺してもここには数がありませぬ。

 しかし、しかし、一つですべてを満たせる者がございますれば

 兄者と我をお許し願いますよう申し上げます)


 ギョロリと目が見開かれる。

 濁った薄青い目が見開かれ、確かにオロフを、否、オロフの後ろを見やった。


(一つにも足りぬ塵が後ろに、確かにありまする。

 胚を満たして万を産む

 命がそこにありまする。

 奥方様のお怒りを、兄者と我が)


 呻く頭のまま、それは正面からこちらへと向かってきた。

 遠目に見るより、キモいね。


 余所事のように頭の隅に感想が浮かぶ。


 これは誰だ?

 誰が融合した?


 融合という言葉が自然と出た。

 この化け物は、たくさんの命を擂り鉢で混ぜたモノだ。

 精霊種が命を賭けて汚れを祓ったというのに、再びお出ましの生塵である。

 被害者加害者の区別無く混ざっているが、基材は生塵。

 この世の汚れだ。

 塵とは情報である。

 コンスタンツェの土産に、その生塵の頭が欲しい。

 オロフは守備の兵士の間をぬって近づこうとする人蜘蛛を見ながら考える。


 斬ったら、溶けるかな?


 守備兵の肩を咬み千切りながら、人蜘蛛が防衛線から割り込もうと躯をねじ込んでくる。

 オロフは、構えたまま。

 まぁいいかと思う。


 まぁいいや、やっぱ、こいつ殺そう。

 何だか、こいつの言ってる言葉が気にくわない。

 殺して、頭を切り落とそう。


 分派長の部下達が壁となり、出入り口の前に立っている。

 その列を左右に分けさせると小蜘蛛の討伐に回す。

 そして一歩前に出ると、人蜘蛛と押し合う数名に位置を指図した。

 人蜘蛛の力は結構なものらしく、獣人兵士の装備が殴られる度に少し凹む。

 既に半獣化して耐えているが、酸の体液を警戒し殴る事で対処していた。

 押さえ押し返し、引いた瞬間にオロフが割り込む。

 傭兵御用達の3ペデ程の中型剣が軽く振られた。

 先が両刃のファルカタという剣を元に造られている。

 違いは、重量が倍な所。

 そして重さに比例して、獣人の膂力にも耐えられる堅さで、加工は特殊だが材料は安い。

 安い、これ重要。

 目にも留まらぬ早さで光りが弧を描く。

 間接に軽く触れるように、オロフの剣が通り過ぎた。


「離れろ」


 再び人蜘蛛が飛びかかろうとするのを、反射的に押し返そうとした兵士を引き離す。


(おおぉぉっぉおおおおおお)


 歩脚が筋を走らせ折れる。

 人蜘蛛はガクリと地に伏せた。

 そこへ首を落とそうとオロフが剣を振り下ろす。


 だが、落ちない。


 硬い音をたてて剣が弾かれる。

 後ろに下がりながら刃を確認すると、傷にはなっていない。

 だが、落ちない程、硬い。

 隙を与えるのを嫌がり、蜘蛛の躯に剣を振るう。

 腹には通るし、切り刻む度に体液が吹き上がる。

 表面を撫で切りし体液に触れるギリギリで剣を引き戻す。

 薄皮を残しての薄切りだが、それでも損害は与えられる。

 だが、首が落ちない。

 首が欲しいのに。

 仕方がない頭を潰すか。

 と、オロフが思ったその..


(兄者、兄者、奥方様にお詫びを、お詫びを、

 我ら、少し食い過ぎにて、御不興をこうてしまいました。

 ここな胚の餌食に相応しき者がございますれば

 兄者のお力を)


 ..時、蜘蛛の背模様が口を開いた。


(クサレ、クサレ、クサレオチロ)


 呪詛を異形が吐き散らした。


 一瞬の間。


 しかし、変化は無い。

 異形と対峙する兵士にも、広場の者共には、目立った変化は見受けられない。


(クサレ、クサレ、オチロ、ウラギリモノノ、タマシイヲ、クサラセ、クラエ、クラエ、クラエ、クラエ)


 続く呪詛にも変化はない。

 虚仮威しかよ。

 躯が暖まってきたぐらいで、調子がよいぐらいだ。

 首をひねるオロフは、再びの打撃を与えようと剣を向ける。

 その時、やっと変化が現れた。






 オルタスは拝火教が元始の宗教である。

 火、炎こそ神から与えられた知恵と力だという教えだ。

 つまり、火は神聖であり力だ。

 故に、邪悪を滅ぼすのは炎である。

 炎が与える痛みこそ、神罰である。

 邪悪は、悪は、炎を恐れるものだ。

 それがオルタスの共通の認識だ。

 では、炎に焼かれた松明のような化け物は、どうすればいい?

 人型をした松明が、叫びながら走ってくる。

 広場の囲いを乗り越えて、無数の火柱

 が見える。

 地獄の炎に焼かれた亡者の群だ。

 それが四方八方から、よろめき叫び押し寄せるのが見えた。

 都の、広場を囲う街のあちらこちらに茜色が揺らめく。

 何を考えるよりも先に、オロフは動いた。

 腰を落とすと躯を回し異形に滑るように接近する。

 そして一息に、剣を持たぬ左手を握り込むと、蜘蛛の口に手を突き込んだ。

 人面の口の方だ。

 歯がゴリゴリと腕を削るが、装備は耐えた。

 肩までのめり込ませると人面は噛みつく動作をしかけて、白目を剥いた。


「シッ」


 苦痛の声はオロフからだ。

 腕を一気に引き抜くと、白い煙が腕からあがる。

 引き抜かれた腕の装備が溶け、手甲からは太い針が突き出ていた。

 毒針だ。

 すぐさま蜘蛛が痙攣を始めた。

 毒が回ったのだろう、泡を吹き背の紋様も沈黙する。

 その間にも、人型の松明が押し寄せてくるのが見えた。

 人の叫び声、悲鳴と燃える何かの呻きが都を震わせる。

 悪夢の中に投げ込まれたような、不安も一緒に押し寄せた。


 松明は広場に踏み入ると、膝を折った。

 魔のモノだ。

 広場の敷石までは、喚き手を振り回し走り込んでくるのだが、敷石に一歩踏み入ると、網に掛かった魚のように倒れ込む。

 神聖な敷石の効果か、しかし、それでも四つになり這いよる。


 タスケテ、タスケーテー


 苦しい痛いと叫びながら、松明が喚く。

 滑稽だ。

 生きの良い松明である。

 まるで人間のように見える。

 もしかしたら、先程までは人間だったのかも知れない。

 人間?みたいな顔をして生きてきたのかも知れない。

 本人は大まじめに、生きていたのかも知れない。

 今は松明に成り下がっているが。

 生け垣を突き抜け、壁を軽々と乗り越え、木戸やら何やらを突き破るほど、生きがよいとなると、それはもう、違う。

 だが、囲まれていると思えば笑う訳にもいかない。

 黒い影となっている外郭の内側、四方八方が点々と輝き、それが皆、人の松明であると思うと、怖い。

 何が怖いと言えば、水不足の都の中で走り回る無数の炎。

 駄目だ。


 外郭の黒い影をなぞるように見回す。

 無数の炎に照らされて、夜空がうっすらと明るくなり、不規則に明滅して見えた。

 腹の奥がざわつく、マズイマズイとオロフの頭の中で言葉が繰り返される。

 数だ。

 乾燥した場所に無数の火。

 だけでなく、数に圧倒された。

 どこかで、わかっていた。

 自分は生き残れる。

 だが、この場所を灰にされてしまってはマズイ。

 それが、焦りを生む。

 自分の事では、恐れない。

 オロフは無敵だと、暗示をかける事ができた。

 なぜなら、自分は生き残れるとわかっているからだ。

 だが、今の自分は、忙しなく頭の中で計算をする。

 どうすればいい?

 どうすれば、生き残れる?

 誰を見捨てて、誰を動かせば、館の中身を残せる?


 マズイ


 王城と神殿の方向に目をはしらせる。


 マズイ


 児戯だと、朝までもたせればよいとコンスタンツェは言った。

 その通りだとしても、数は暴力だ。

 この動く松明への対処と二次被害への対処で軍は、どう動く。


 忙しなく考えながら、王都が腐れる幻想を見る。


 と、本物の人間らしき女が、火をうつされたのか髪と背中を焼かれながら、広場の角を叫びながら走り抜けるのが見えた。

 そして、女の飛び出してきた建物の角、その奥から..


 ..何だ、アレは?


「カコメィ!オロカモノメェキサマラァ、クラウゾ!」


 分派長が怒鳴る。

 蔦は相変わらず湧き出し、その巨体を捉えようとしている。

 それを引きちぎりながら、彼は吼えた。


「えっ?」


 オロフ共々、男達はある意味正気に返った。


「キサマラァ」


 怒っている。

 オロフが見るところ、激オコである。

 怒りっぱなしで更に緊張が高まっていく猪のオジサンの血管が心配だ。

 まぁ血塗れで、いまさらであるが。

 だが、その視線はどうみても、オロフや館の周りにいる味方に向かっている。

 何を言うのかというオロフ達に、分派長は徐々に躯を戻すと、再度、怒鳴った。


「存分に神へと奉仕できるのだっ、者共、館を囲み壁となるのだっ!

 命をすり減らし、神のお心にお答えするのだ。

 それで燃え尽きるなら、それも定め。

 本望である!

 お慈悲を表す娘らの、せめて火除けとなるがよい。

 できぬと言うのなら、慈悲はない。

 先に、我が引導を渡してくれる、お前等を喰らってくれようぞ!」


「うわぁ~怖いぃ」


 男達は館の正面に並び直す。

 打ち寄せる幻影、小さな蜘蛛、屍を晒す異形。

 そして、炎の魔物が館正面、南から現れ、そして..

 動き回る松明が、建物を扉をそこここで叩く。

 オロフ達は笑った。

 それは確かに、こちらを見ている。

 それは黒い。

 それは炎だ。

 そして、それは人の形をしている。

 黒い闇であり、炎に見えた。

 建物に片手を置き、それは頭を巡らせると広場に顔を向ける。

 はらはらと火の粉を降らせ、それはゆっくりと広場へと躯を押し出した。


 今更確認するまでもなく、それは異形だ。


 炎の躯の向こうに、町並みが見える。

 矢が飛ぶが、突き抜けた。

 爆薬付きの物も、突き抜け背後に着弾。

 意味がない。

 動く炎だ。

 それが広場の敷石に片足を乗せる。

 と、敷石が割れた。

 聖別された物が通用しないようだ。


 どうする?無敵の男。


 コンスタンツェは逃げない。

 娘が寝ているから。

 一緒に焼け死ぬのは自明の理だ。


 どうする?

 大馬鹿者の護衛はどうする?


 見ろ、感じろ、耳を澄ませ。

 異形を見つめて擬態を解く。


 ご先祖様と同じく体当たりか?


 鈍色の鎧がギチギチと音を立てて変形する。


 どうするよ、おい?

 無敵の男よ、どうする?


 次々と矢を射る。

 油薬の代わりに消火剤が投入される。

 だが、矢は突き抜け、消火剤も意味がない。

 そもそも、それは何が燃えているのか。

 確かに性質は炎だ。

 火の粉も舞えば、類焼もする。

 かといって、何を糧にしているのかは謎だ。


 ミシリミシリと敷石が砕けていく。

 一歩踏みだし、緩慢な動作で肩をゆらす、身の丈は3パッス前後か。

 矢は透過するのに、敷石は砕く。

 質量はあるが、何か別の性質を帯びているのか。


 分派長が滑る足場からようやく抜け出す。

 そして異形の蔦を尚も引きちぎりつつ、鉄球を繰り出す。

 重い音を残して、鎖が伸びた。

 だが、纏う炎をゆらして鉄球は異形の腹を裂いたが、突き抜けるだけで、やはり千切れる様子はない。


 あれ?


 館の周りに数名を残し、警備兵と傭兵達が三層の壁を造る。

 その後ろ、入り口にオロフは陣取っていた。

 人面蜘蛛を刺し貫いてから、再び下がっていた。

 だが、オロフは見えた。

 オロフ独特の感覚と、そして某かの不可解な力が、一瞬だけ捉えた。

 手応え無く突き抜けたのではない。

 鉄球は、異形の腹を、裂いたのだ。

 裂け、再び癒着した。

 つまり、点の攻撃だと見落としてしまうが、線の攻撃ならば見える。

 アレは、先に現れた異形と同じく、寄り集まったモノなのか?


 だとしたら、それが何だ?

 相変わらず武器は通じない。

 通じないのか?


 一番外側の男達が攻撃範囲に入った。

 今の所、足下が沈む様子は無い。

 足場を確認しながら、徐々に異形を囲む。

 炎の腕が振り下ろされた。

 避けざまに、数人で斬りつける。


「手応え無し、損耗あり!」


 商会の男が接敵後、走り抜けて行きながら叫ぶ。

 そして武器を振った。

 見たところ、刀身が赤黒く溶けかかっている。

 やはりもっと近くで観察する必要があるか?

 自爆覚悟で挑んでみるか?

 だが、出遅れたようだ。


「ウセロ、アクマメェェ」


 確かに、一瞬、撓むのが見えた。

 妨害する全てを引きちぎり押しつぶして、分派長が炎に突進した。

 一等最初に自爆だ。

 そんな言葉が浮かぶが、それよりも重要なことがある。

 分派長の巨体は、突き抜けなかったのだ。


「ヤベェ、オヤッサンを引き上げろ」

 オロフが叫ぶと、慌てて鉄鎖が分派長へと投げられる。

 魔物に突進した男の体に火が回っていた。


「カマウナァ!ワレゴト、バク」


「マジで早く引き剥がせ」


「ヤメロゥ」


「池に叩き込め」


「コノアクマヲコロスノダ」


「対処可能、自爆は無しだ」


「キサマ、ユルサンゾ」


 強引に鉄鎖を巻き付けられた男の体が池へと叩き込まれる。

 盛大な水しぶきの後に、睡蓮がウゾウゾと蠢き蓋をした。


「おぅ、やるねぇ謎植物」


 息はつけるように生い茂る。男が這いだして来るには時間がかかりそうだ。


「つーか許さんぞって..味方に言う台詞じゃねぇっすよ」


 その間にも、ゆっくりと炎の魔物が歩み寄ってくる。

 盾を前に構えると、二番手の人垣が前に出た。


「シンテキヲハバメ、オシカエスノダ」


 蔦の間から手を振り回している男から視線を逸らすと、オロフは魔物に向き直った。

 盾を構えた男達が前傾姿勢となり、魔物の足下、下半身に向けて突進をする。

 と、今度は、一部こすり抜けた。

 盾を構えた数人のうち、真正面の者は突き抜けて火をもらい。

 他は千切るようにしてすり抜けた。

 火をもらった者は体を転がし、魔物の後方で砂を被る。

 そして装備の一部が溶けだしたのか、それを捨て去った。


「酸と熱、装備損耗」


 同じく突き抜けた仲間が、叫んだ男を担ぐ。

 その間に、魔物は下半身の形を保てず、両手をついて身を支えた。

 効果は、ある。

 そう見て取った、次の瞬間に下半身は再び人型をとると炎を噴き上げた。

 さらに始末の悪い事に、魔物の半透明の頭部に大きな穴が開く。

 そして、火の球を吐いた。

 人の頭部ほどの、火球である。

 それが人垣を飛び越えて、館の屋根へ。

 一瞬である。

 唖然とするオロフと男達。

 次の瞬間に、青白い炎が屋根へと広がるも、それよりも素早く池から更に伸びた蔦が建物を覆った。

 炎は揺らぐと小さくなり、蔦が吸い取るように太くなった。

 火は、消えた。

 消えて安堵はできなかった。

 その時男達は、オロフも含めた館を守る男達は、津波のような感情に支配された。

 小賢しい事を考えていたオロフも、その感情に呑まれた。


「コロセ、シンテキヲ、メッセヨ!」


 馬鹿な事をと、オロフは頭の隅で考えるも、大きく吼えた。

 三層目の男達が、砂糖に蟻が集るように盾を構えて突撃をした。

 他の男達も効果など考えずに矢を、火薬を武器を魔物に向け。

 そして魔物は火を吐き、千切れては人を呑み、兵士を傭兵を焼き潰した。

 館に火を吐かれるよりは、己が身を焼かれた方がましだとでも言うように、商会の男達も勢いをもって突進した。

 そうした決死の攻撃に、魔物は脚を止めた。

 半死半生の男達の山もできたが、館に向けての攻撃は命の盾をもって防いでいる。

 だが、男達全てを焼き潰しても明け方まで、魔物の足を止める事はむりそうだ。

 オロフは扉の前で大きく息を吸った。






 俺は無敵だ。


 そう思うそばから、否定の言葉がわき上がる。

 なにしろ怖かった。

 怖いという感情を笑う。


 オロフは大きく息を吸った。


 奥歯を噛みしめて擬態を解く。

 獣面により余分な装備が吹き飛んで、金属帯が軋んで広がる。

 二まわりほど体が大きくなり、黒と白の斑の毛並みがこぼれ出す。

 唸りながら、更に体を大きくすると、重い上半身を前傾させた。


 体当たりは効いた。

 千切れ飛んでから、再生までにも多少の時間差はある。

 どれだけ損壊すれば、再生しなくなるか?

 時間をかければ、終わる、はず?


 俺は無敵だ。

 痛みも感じ恐怖もあるが、俺は無敵だ。

 俺は、無敵の男。

 俺は


 一見すると炎が人の形をしているように見える。

 だが、近寄れば、それは液体に見えた。

 透けた黒い液体。

 目を凝らすと、金粉のようにキラキラトした細かな粒子が見える。

 そしてやはり、それは火だ。

 陽炎のように揺れて、時々茜色を纏う。

 近接して殴ると、熱さと痛みを同時に覚えた。

 炎と酸。

 攻撃をすると、千切れる。

 又は、分かれる。

 液体、それも粘度のあるもの?

 炎のように見える、ではなく、炎だ。

 装備が加熱され、耐火性能が極限に近いはずなのに、色が変化し始めている。

 毒液を注入したいが、やはり攻撃が突き抜けてしまう。

 そして時々突き抜けずに、撓む。

 頭、首、肩、腕、胴体、下半身、と、攻撃するが、特定の弱みは見受けられない。

 撓む感触も同じ場所ではない。

 時間の感覚が分からなくなった。

 熱さに体を更に変化させる。

 足止めはできていた。

 敷石が溶け始め、オロフも溶け始めていたが。

 魔物は、目の前の障害を取り除く事に専念している。

 唸りながら、オロフはひたすら魔物の前に立つ。

 それだけだ。

 生きた壁である。

 剣は既に腐食したので捨てた。

 針だと攻撃が突き抜ける。

 盾と拳を使うが、盾も歪んで半ば形を失っていた。

 鎧は商会印のお陰か、生きたまま焼かれた先祖のお陰か、熱をもっているが溶けてはいない。

 ただし、打撃と熱による火傷と損傷は、防げなかった。

 意識を切り離し、オロフは立つ。

 炎に焼かれた目が痛むので、今は目を閉じている。

 例の感覚で探りながら動く。

 その方が攻撃をかわしやすかった。

 ただし、予想とは違い、この魔物は集合体ではないとも感じた。

 たくさんの魂が寄り集まった悪霊のような感じではない。

 もっと濃い一つの気配がした。

 と、集中している訳ではない。

 意識を逸らさねば、痛いと認めてしまうからだ。

 骨まで痛むような火傷の痛みと脱水だ。

 我慢比べだ。

 時間を稼げれば、勝機もある。

 少なくとも

 朝がくれば終わる。

 そう信じねば、生きながら焼かれるなぞしたくない。

 炎の拳が頭上から落ちてくる。

 首を捻って皮一枚で避けるも、熱が頬焼く。

 お返しとばかりに、人で言う腋の下に拳を叩き込む。

 と、拳が沈んだ。

 ハズレ。

 避けられた拳が向きを変えて横なぎに飛んでくる。

 受けると、上腕の装備が軋む。

 こちらの攻撃は突き抜け、相手の攻撃は重く、熱く、そして痛い。

 うめき声を飲み込んで硬いと感じるうちに、その腕を担ぐようにして折る。

 人ならば折れるところだが、炎は分かれて落ちた。

 惨敗。

 落ちた炎が腐食液に変わって、もろに浴びる。

 畜生、生焼けだ。

 下がらずに、延々と殴り合いにもならぬ無様な押し合いを続ける。

 オロフの粘りに、魔物が体を震わせた。

 ブルブルと震わせると、顔に穴が開き。

 来るか?

 溶解液か火球かと、考える前に魔物の腹に全力で突っ込む。

 そして焼け爛れ全身が燃え上がるのを感じながら腕を回す。

 アタリ!

 掴めたと感じた瞬間に擲つ。

 そして押さえ込む。

 痛い。

 熱い。

 痛い。

 苦しい。

 痛い。

 痛い。

 畜生、にげんな。

 俺は、無敵だ。

 俺は、負けるか。

 畜生、イテェ。






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