ACT271 挿話 雷鳴 下 ①
変わりなく過ごしている者もいた。
次に訪れた者は、本当に珍しくも業と折り合いをつけていたようだ。
傭兵を引き連れたコンスタンツェに目を丸くしながらも、その男は語る。
恐ろしくも不思議な夜が明けた時、心が軽くなるのを感じたという。
そして、彼を不遇の立場に追いやった者が時を置かずに、彼の住まいを訪れた。
直接の原因ではなく、その祖父母にあたる者達だ。
母を死に追いやり裏切った父こそが、異形となったそうだ。
「神の縛りが反転した理由はなんであろうか?」
罪深い者が罰を受けるのは当然、しかし、災難は子に降りかかる。
夜を迎えて大きく変化するのは、子の筈だ。
子が免れて親に戻る事は珍しい。
一族諸共ならばあるだろう。
親も子もならば。
だが、子だけが免れるというのは。
慈悲ではないと、コンスタンツェは推察する。
神託は無惨にも、善きもの弱きものをも逃す事は無い。
それは偽りを正すためと同時に、続く命を変える為だ。
子々孫々の呪縛。
神託による縛り。
本来ならば、繋ぐ命の先、芽の部分が変質するはず。
だが、この男は変化が押さえられていた。
偽りが正されたからか?
「暢気な性格でしょうか」
笑う当人は、実に申し訳なさそうである。
「いや、良いことだ。」
祖父母は、孫の存在を以前から知っていたそうだ。
己達の血脈は特別である。
ましてや、息子と関わりのある他の女達から、子は産まれなかった。
滅んではならぬという身勝手な理由であったが、唯一産まれた子供は貴重とその生活を追っていた。
長い人生の中で、いつか息子が改まり、同じく表に出してもよい子供が産まれるまでの予備として。
だが、下等な姿に成り下がり、見境無く人に襲いかかろうとするまでになった息子を見て。
審判の夜が明けるのを待たずして、孫の元へと駆けつけた。
純血統であろうとなかろうと、彼らの孫である。
その孫までが、異形となる事があってはならぬと、利己的な理由ばかりでなく、人としての情が彼らを駆り立てた。
無事であったかと。
生きていたかと。
人の姿のままであったかと。
己が一族を案ずる前に、孫の無事を確かめに駆けつけた。
その姿を見て和解へと至った。
単純なのだと当人は笑う。
「それでも、以前の私ではありません。途中で止まったという感じでしょうか?」
そう言った彼の指し示す場所には、歪な形にまがってしまった片足があった。
「痛みは?」
中肉中背、長命種としては壮年の域にある男としては、奇妙なほど片足だけが衰え、曲がり、そして縮んでいた。
「疼く以外は別段痛みはありませんが、歩行は杖無しでは無理ですね。でもまぁ元々座り仕事ですから」
穏やかな性格らしく、軽く笑うと自分の足を叩いて見せた。
「祖父母は不穏な都を離れるべきだと、私にすすめました。
自分たちに関わる事の方が危険だと。
金やら行き先やらを用意してくれましたよ。
でもまぁ、なんでしょうね。
逃げるのも、何もかも面倒になりまして」
「面倒?」
男はニコニコと微笑むと続けた。
「人を憎むのは疲れます。
祖父母が少しでも人の情を持っているのならば、私は彼らを見捨てる道をとりたくないのです。
それは私を楽にはしません。
人を憎むのは疲れますし、だからといって縁を切ってしまうのも後悔します。
金をもらって忘れるだけで、私の明日は神の国へと続いているのでしょうか?
まして、あの男の最後を知っては、愉快と思うよりも恐ろしいと思ってしまって」
「どのような最後だと聞いたのだ?」
「..関係のあった女や男達と喰らいあったそうです。
自堕落な暮らしをしていたようで、騒ぎとなった屋敷から逃げ出した使用人が、助けを求めて公に。
共食いとは、まったく。
それでもまだ生きていたそうで、公王陛下のお慈悲により火刑と。
私にもそんな血が流れているのかと唖然としました。
私は信徒として、そんな末路は許せません。
が、許す許さないと言えるほど、私は高潔でしょうか。
祖父母を愚かと断じる事は、愚かしい事ではないか?
と、まぁ色々考えて考えて」
「面倒になったか」
「はい、まぁなるようになるだろうという、何ともゆるい感じに」
「後で医者をよこす。その者に体を診せてほしいのだが」
「はい、どうぞよしなに。」
「籍を入れるのか?」
「さぁ、今では祖父母の方が怯えています」
「ほぅ」
「自分たちの家に招き入れて、私まで化け物になるのではないかと」
「お前はどう思っているのだ?」
「なるのなら、母が死んだ時になっておりますよ。
重い病の母を打ち捨て、助けを拒絶し、飢えと悲しみのまま見殺しにしたのは、祖父
母とあの男です。
親に死なれた従姉妹である母の財産を巻き上げて、さらに不幸な妊娠をさせ、病を得てからは街に捨てた。
祖父母は、息子の所行を知っていたのに知らぬふり。
街に、白夜街の溝に捨て去り野垂れ死ねとね。
当時、私は言葉は喋れぬ歳でしたが、物事は覚えております。
化け物になって、同じ思いを相手に与える事ができるのならば、なってみたいと思っていますよ。」
「でも、お前はならなかったのだ」
「それでは、母が哀れすぎますから」
「..」
「母は私を神殿へと託しました。
自分の過ちを認めていた。
だから、子の私がねじ曲がり、あの男と同じように育つ事はしたくなかった筈です。」
店を後にする。
細い通りを折れ、もうすぐ本通りの広い道にさしかかるところで、背後を振り返った。
「..あぁ嫌だ。
聞きたくないが、どうせ勝手にほざくだろうから聞くぞ。
お前達、何なんだ?
演技か?
その態とらしい湿っぽさ、今すぐ止めろ!
いいか、や、め、ろ!」
振り返ってコンスタンツェが顔をしかめた。
歯をむき出して眉を潜めるという、滅多にない変な表情である。
だが、そんな変な表情に反応するどころか、男達は、大きな体を縮めて沈んでいる。
馬鹿にしている風ではないが、実に態とらしいほどだ。
いや、頭の中身が馬鹿だから沈んでいるのか?
「なんか、マジ重いっす。話がちょっと重くて俺、何だか目が霞んできたっす」
「どこにもらい泣きする要素があるのだ?」
「うわっ、でたよ。空気読もうよコンスタンツェ様ぁ」
「時々、お前達が心底うらやましく思える自分が嫌だ!」
「それ、割と酷いような気がするっすよぅ」
写本屋の主は善い人だった。
それ故、武装してなだれ込んだオロフ達は、お茶まで出されて恐縮しきりで。
例の菓子屋の焼き菓子を置いてきたが、それも逆に食べてくださいと振る舞われた。
もちろん、胸が焼けるほど菓子は堪能した後なので断ったが。
「というと、善い人じゃないと?」
「もちろん、善い心根はもっているだろう。
だが、変質を留めたのは、心根云々ではない。
花屋の主人は悪い人間だったか?
違う、ごく普通の女であったはずだ。
言ったであろう?
良い悪いで、神は槌を振り下ろす訳ではない」
気温が少し下がり始め、徐々に空の暗さが増してきていた。
「何か気になる事があったんで?」
「今日はここまでにする。戻るぞ」
「自宅っすか、それとも猫屋敷のほうで?」
「..猫屋敷ではない。眠りの館だ、馬鹿者が」
「んじゃ、馬車を呼びますねえ。ちょっと遠くまで来てますし。」
白夜街の近くの花屋から、今度は書物などを扱う通りに来ていた。
先ほど対面した男は、主に宗教関連の書物を扱う写本屋である。
神殿の孤児院出身と言うが、堅実に商いをし今では立派な店主だ。
前例二件が、若干の疑心を呼び起こしていた為、過剰な武装で挑んでしまった。
結果、善い人過ぎて今度は気持ちが暗くなっていた。
「我々の訪問で、あの男にも警戒する気持ちが生まれただろう。それに男の祖父母も、孫が外に出ないと言うなら、人を出すか同じ場所で暮らすほかあるまい」
「でも、変化もしなかったし、襲撃もなかったようですよん」
「変化はした。
たぶん、今も狙われていよう」
「というと?」
「祖父母の手勢は見られぬが、男自身が襲撃を防いでいる」
「ぜんぜん荒事に向いてない人ですけど」
商会の馬車が路地に着く。
扉を開けて待つ御者に、オロフは手を挙げた。
「簡単な事だ。
あの男自身が言ったように、彼の者は熱心な信徒だ。
そして気がつかぬようだが、神官と同じ特質を備えている。
たぶん、だが、神は慈悲で変化を留めたのではない。
役割を与えたのだろう。」
「どういう事です?」
座席に落ち着き、馬車が動き出すとコンスタンツェは考え込んだ。
「例えばだ。
許されざる罪を衆生が犯したとしても、神は我々を潰しはしない。
逆を言えば、善い行いをしたとしても、神は我々を潰すのだ。」
「..途中、商会本店に寄りますけど、良いですかね?」
「定時報告か?」
「いえいえ、補給とちょっとばかり念をいれようかと~」
コンスタンツェの驚いた表情に、オロフは笑った。
「姫さんのご機嫌伺いだけじゃぁないんでしょ?
今日半日で、こんだけ盛りだくさんですもん。
これは嫌な符丁っすよねん」
「ほめるべきか、悩むな」
「まぁほめられてもぉ~何か鳥肌っす」
久方ぶりの完全武装をしたオロフを引き連れて、元中央公園へと戻る。
他の暇をしていた男達も武装を強化すると、館の警備と合流させる事にした。
コンスタンツェが不穏な気配を感じるというのなら、それは神の意向である。
常に備えるは戦を生業とする者には当然だ。
だが当然とは言え、オロフが完全武装する事など滅多にない。
今まで都の中で、そのような格好をしたことなど記憶の限り無い。
当たり前だが、コンスタンツェのような貴人が、荒事の一番先頭に置かれる事などあり得ないからだ。
そんなオロフの滅多にない武装は、頭部顔面に至るまで金属で覆われ、全体的に鈍色で酷く恐ろしげ。
威圧を兼ねている為に、中身が全く伺えない。
正規軍は様式美を追求するために、威圧的でも何処かに美を残している。
だが、ゴート商会は正規軍とは違い獣人の特性に極端にあわせた武装である。
禍々しい金属の固まりは、街中では異相だ。
「あぁやっぱり息が苦しいぃ」
「苦しいのか?」
金属の帯を巻いたかのような姿に、コンスタンツェが問う。
ここまで金属が使用されている割りに可動部分の音が小さい事が不思議だった。
「苦しい気がするだけっすけどぉ~この兜と面貌がぁ女子ウケしないっていうのが俺的に息苦しいっす」
「まぁ地獄の使者という風情だな」
「それそれって、ヒドイぃ」
「商会の紋章がなければ、完全に捕縛対象だな」
「紋章付きでも偶に武装許可の確認とられますよぅ」
因みに武装許可とは、三種許可証の総称である。
三種許可証とは、武器登録、武装、使用の事だ。
武器を登録し所持を許可するのが、武器登録許可。
これは兵士以外が、武器を都内に持ち込む時、または購入時に必要になる。
そして武器武装は、武器を携帯した上で、武具を装備して都内で活動する時に必要になる。
そして当然、武器を使用するにも許可が必要である。
都外から流入してきた者、都で暮らす民が許されるのは、本来は武器携帯までである。
故に、武装し武器を使用できるのは、官軍、中央軍に連なる組織の者だけだ。
貴族の私兵、傭兵なども、本来ならば武器携帯までである。
それも届け出れば使用許可はでるが、あくまでも自衛手段としてだ。
そして、許可がでるかは理由如何だが。
免責事項として、民が自衛手段として武器をふるう、又は緊急時に刃物で抵抗する事は許されている。
この免責事項により、都内で武器を許可をもって携帯しているのは職業上必要な者以外、実は無許可の者などざらであった。
逆にオロフのような、傭兵家業の者の方が締め付けが厳しい。
もちろん、軍人以外で完全武装で都内を闊歩できる者は、本当に希だ。
その希なゴート商会は、中央軍の下請けを一手に引き受けている為に、軍人と同じく手続きをすれば、武装し武器を行使できる立場という訳だ。
「だから地味仕様なんすよぉ、見ればわかるでしょうけどぉ。
商会で使える色と金属は指定されるんすよぉ。
軍の最高装備の金属はアダマンタイト合金製っす。
商会は、その一段下の合金までが使えるんすよぉ。
そして色も中央軍の利用してる塗装は使っちゃならんのですよぉ。
何で、この薄気味悪い鈍色にしてるんす。
まぁ薄暗い場所では、この方が便利なんすけどねん」
鈍色といっても、まるで錆びたような銅色も混じっている。
非常に劣化したような色合いだが、近くで見ればそれが鏡のように輝いているのがわかる。
のぞき込むコンスタンツェの顔が表面に写る。
だが、少し離れるとただの錆びたような古くそして不気味な鎧にしか見えない。
「カーンの旦那の黒装備。
黒の武具に黒の紋章ですけど、あれは中央軍でも直属隊仕様なんで、他の兵隊は使えません。
もちろん、黒い武装はよくあるんすが、アダマンタイトに銀加工は金がかかりますからね。
黒黒に見えますけど、紋章は銀が流し込まれて角度で色味がでるんすよ。かっけぇ~。
で、近衛は、白に金。
実用性無しの派手装備。
一般兵は、茶色に所属ごとの色。
まぁ実用性は一番すね、汚れても目立たないっす。
階級があがると、それぞれ色がかわりますけどね。
上級が紺色だった筈。
王様の場合は、貴色が基本ですから、たぶん見たことないっすけど金色か紫。
神聖教神殿兵は、白に青。
後は、警衛隊は、群青色に金でしたかね。
もちろん、これは一般的な話っすよ。
式典なんかの時の話っす」
「都の中だけの話だろう」
「ところがぁ、そうでもないんすよぉ」
許可関係厳しいのは都内だけだが、結局、地方や辺境でも、中央軍の武装に似せる事は、非常に危険だ。
私兵の装備が似ているとあらぬ疑いをかけられる事になる。
それぞれに紋章や所属を明らかにする武装は、何もお洒落だけではないのだ。
「だから自然と紋章が派手になったり、兜の飾りが馬鹿らしい感じになるんすよ。
同じ黒い装備でも、紋章が目立って違うなら、いいんすよぉ」
「それにしては、お前の装備は装飾がないな。」
「不気味っしょ?
人型の金属檻みたいっしょ。
実は、それが原型らしいっすよ。」
「なんだそれは」
「まぁどうせ不寝番でしょうから、その時に話しますよぅ~」
午後の陽射しは陰り、頭上には雷雲が押し寄せていた。
広場隅にはボフダンの女達が寝床を設え、馬の世話をしている。
相も変わらず誰かが楽器をつま弾き、煮炊きの側では少女が楽しげに踊っていた。
いずれも顔を面紗で隠しているため、誰が誰であるかは定かではない。
「なんだ?」
表情は武装で見えないが、オロフが何か言いたいようなそぶりを見せた。
それにコンスタンツェは女達を見つめたまま、足を止めた。
「いえいえ~まぁ予定変更して何で戻ってきたのかなぁ~とぉ」
館の周りの睡蓮は、風に揺れている。
雨の気配はするが、風は乾いていた。
館のの周りの男達は、既に夜の装備に身を固めていた。
シャルルレッソは手回しがよい。
「ひとつ考えていたのだ」
コンスタンツェは迎えに出てきた猫を見ながら呟いた。
「私はどうすればよいのかとな」
意味が分からず、オロフが首を傾げた。
「向かうべき道筋はわかっている。
私は姫様と共にある。だが、それだけでいいのかとな。
姫様は、私にも足掻く事をお望みだろうかとな」
やっと目が開き、歩くまでに育ったのだろう子猫が、風に吹かれてやってくる。
そうしてコンスタンツェ達を見上げると、にぃと鳴いた。
「死ぬも滅ぶも、今の私には意味がない。
だが、死するまで、私に足掻き生きる事を望むだろうかとな。
では、私は何をもって戦えるのであろうか。
考えてみれば、私はひ弱であるとな」
武装のせいで表情の見えないオロフは、わざとらしく両手をあげてみせた。
実に小馬鹿にした仕草である。
「コンスタンツェ様がひ弱?
だったら俺は、病弱っすよ」
子猫を拾い上げて肩に乗せた主に、オロフはギシギシと音をたてながら首を振った。
「単純な腕力なんざ、権力と金で補えばいいんすよ。
つまり傭兵の雇用に貢献してくれればいいんす。
他の不思議案件を処理してくだされば、ほぼ、怖いもの無しじゃないっすかぁ~、嫌だなぁ~この人。
マジで脳味噌爆発できる癖に、ひ弱ぁ~冗談キツいっす。
つーか、何かわかったんすね。今日のお宅訪問で」
「まぁそうだ」
「じゃぁ夕食をご馳走になりつつ、中でゆっくり話ましょうや」
主の代わりに子猫が、にぃと鳴いた。
「肉食べて、菓子食べて、夜は家庭の手料理~独身男にはぁ~毒っすねぇ~そして可愛い女の子とご飯、癖になりそぉ~」
「何杯目だオロフよ、いい加減遠慮をしろ」
「えぇ~楽しみの少ないお仕事なのにぃ、ひもじいの我慢したくないですよぅ~」
「..まるで私が食わせていないかのような発言はするな。そして食わせていないかのようにがっつくな」
「美味しいんだもん、しょうがないよねぇ~おかわり~」
「おい」
「まぁまぁ、こんなのは慣れてますよ。
獣人の男の腹具合なんぞ、いつでも空きっ腹ですから。
これにつきあうと、人族のお方は、普通に肥満になりますからね。
でも、殿下は、もうちょっと食べた方がいいですよ」
館の煮炊きをする小部屋、そこの小さな食卓にコンスタンツェは座っていた。
廊下の出入り口には、椅子を置いたオロフが煮込み料理の椀を抱えている。
今は食事の為に兜やら頬当て面貌を外していた。
「三食リアンちゃんは姫さんのお部屋で?」
「あの子は、あんまり食べないよ。
朝と夕方に少し、最近はちょっと食が細いね。」
「まさか変容が起きているのか?」
「変容ってなんです?」
「体調の変化はないのか?」
「リアンは昼間は寝てますね。
夜は人形を作ってますよ。
変わったと言えば、食事の量が減ってきてますけど。
家の中にいる時間が長いんで、普通かと」
「少し、視てこよう」
オロフも一緒に立ち上がろうとするのをコンスタンツェは留めた。
「お前が考えるような変化では無いはずだ。
昼間のような事は無い。」
「何かあったら直ぐに呼んでくださいよぅ」
「狭い家の中だ。
お前の座る場所
からも見えるだろう」
廊下は館の真ん中を通り、出入り口まで見える。
当然、姫の眠る部屋も、側で手仕事をするリアンの姿も見えた。
扉はあえて開いたまま。
夜の闇が降りるまでは、そうしていつも開放している。
「変容って何?」
コンスタンツェがオリヴィアの部屋へ消えると、エウロラが小声で問うた。
それに主の動きを目で追いながら、オロフが答えた。
「リアンちゃんは長命種だ。
それも使徒の家系だ。
だから、変化するかもしれない」
「変化?」
「天罰をうけて化け物になる奴とは違うけど。
神様は魔物を人間の世界に戻す事にした。
それにあわせて、世界の法則も変わったわけ。
長命種の、特に使徒の家系の血は変化する。
リアンちゃんのお父さんがもってきたお手紙にそうあった。
長命種っていう種族は、神様から罰と恩恵を受ける事になった。
良い風に変化すれば、恩恵。
悪い風に変化すれば、呪い。
コンスタンツェ様が言ったのは、リアンちゃんは神様が魂を守ってくれるから、悪い風には変化しないだろうって事だ」
「悪い変化したのいるのかい?」
「毎日、王様がたき火をしてるでしょうが」
「うへぇ」
エウロラは腰を下ろすと、暫く、ぼんやりと考え込んだ。
「どうしたのん?」
ヘラッと笑いながらオロフが問う。
再びコンスタンツェの動きを追いながら、器用に食器を片手で
食卓に戻した。
それにエウロラは大きなため息をついて、汚れ物を流しに運ぶ。
いつの間にか、この護衛と主人の二人は馴染んでいた。
馴染みすぎだとも思う。
だが、こうして中まで見に来てくれる人間は少ないより多い方がいい。
と、エウロラは思った。
夜が怖かった。
父もいない、そしてオリヴィアの守護者もいない。
オリヴィア個人を知る者が少ない。
守られてはいても、それが不安だった。
毎夜、外は見るなと言われても、何かが姫を喰らいに来ている事はわかっている。
自分だけで、どれだけ守れるだろうか不安だった。
だから、少しでも味方を増やしたかった。
食事は、エウロラなりの賄賂だ。
護衛の主は姫の事を一番に思っている。だが、それに仕える者が同じとは限らない。
できるだけ、心証をよくしたかった。
こいつは信用できるだろうか?
否、傭兵は、誰も信用できない。
奴らは皆、金に汚い。
などと考えていた。
そんな考えを表に出して墓穴は掘りたくなかった。
だから、ちょっと思いついた事を言った。
「ちょっと嫌な事考えちまってさ」
「何々、お兄ちゃんに言ってみなさい」
「誰が兄ちゃんだよ。
はぁ、なんかさ今更だけどよ。
家の親父、バリバリの長命種だし、元は貴族だったような気がする。
貴族の、見えねぇけど、古い、貴族。
長命種の、由緒正しい貴族」
言ってから、嫌な予想が本当のような気がして彼女自身、凍り付いた。
そして、同じく。
「..あっ、ヤバ」
「だろ!
あの親父、元から頭オカシイけど、さらに変化したら、どんな化け物になんだよ。」
それにオロフは珍しく目を見開いた。
エウロラの養父が誰か、オロフも聞いていた。
殺人鬼が改変されて何になるのか?
答えは言うまでもない。
人類の敵だ。
ニヤケたいつもの表情が凍り付いている。
「..まぁ、姫の旦那が始末してくれると思うけど。迷惑かけてなきゃ良いなぁ」
「..」
「近くにいたら、殴って止められるんだけど」
エウロラが殴っても大した威力はなさそうだとオロフは思った。
だが、それがわかったのか、彼女は食器に砂をかけながら、少し笑った。
水の代わりに塩と砂で粗方の汚れを落とすのだ。
「まぁちょっとばかり正気に返すんだよ。
これでもアタシは家族だからね。
ちょっとだけでも親父は、戻ってくれる。
女子供には、一応情けはかけてくれるからね」
それじゃぁ限りなく今は野放しだ。
と、オロフは思ったが黙った。
カーンの苦労が忍ばれる。
そんな会話をしていると、コンスタンツェが戻ってきた。
「大丈夫でしたん?」
「まぁ神が名を預かっているのだ。無惨な事にはなるまい。
むしろ、恩恵故に苦労をしそうだがな」
神の寵愛など、人間には過ぎたるものだ。
「人形、形になってきたでしょう?殿下」
お茶を入れながらのエウロラの言葉に、コンスタンツェは頷いた。
「あぁ、核となる力も宿っている。
既に、人形師と言える段階だ。」
「見てきていいっすか?」
断りを入れると、オロフはゆっくりと娘の眠る部屋に向かう。
中には入らない。
オロフは、どうしてか眠る娘を見たくなかった。
だから戸口で立ち止まると、窓辺で座るもう一人の娘を見た。
「こんばんは~リアンちゃん、調子どうだい~」
声をかけると、少女は手を休めた。
その手の中の人形は、最初の頃の布の固まりとは雲泥の差だ。
とても愛らしい布の人形である。
リアンの母親が作っていた陶磁器人形とは違う、もっと素朴な布の人形。
どちらかと言えば女児が日頃の遊びに使うような物で、もっと庶民的である。
日々作られているそれらの人形が窓際の壁にある。
その棚は可愛らしい家の形をしており、春の花のような色に塗られていた。
まぁオロフとは無縁の、なんとも女の子な雰囲気である。
なんだろう、この感性は。
確かに外を守る厳つい男達や、出入りする自分たちとは別世界。
お菓子とお花と子猫に、なにやら良い匂いがする。
「王様が一緒に暮らしたいとか戯言が出るわけだわ~」
妙な関心をしていると、リアンが首を傾げいる。
「いやぁ調子どうかなぁ~って、お人形が超可愛いってコンスタンツェ様が言ってたからぁ~お兄ちゃん見に来ちゃったのよん」
オロフの妙なノリにも、少女は頷いて返す。
良い子だなぁ~。
エウロラのような突っ込みが無い。
コンスタンツェのように馬鹿にしてこない。
素晴らしい!
と、密かに感激していると、リアンがじっと見つめた後、再び頷いた。
「どしたのん?」
「護衛のお兄さんは、悪い人じゃないから、よかった」
「ん?悪い人とか来るのん、外のオジサン達は知ってる?」
「うん、オジサン達がいるから見に来るだけ。
大丈夫、もし、姫の側に来たら、お願いするから」
真面目に、もう一度頷くと人形を撫でた。
可愛い人形と可愛い娘。
不意にオロフは、昼間、狂ってしまった肉塊のような女を思いだした。
不安と言うより、恐れに似た何かが心に沸く。
その恐れと嫌悪が伝わったかのように、リアンはオロフに言った。
「大丈夫、悪い人が来たらお願いするから。私、できるもん」
オロフは一瞬言葉に詰まった。
何が?
誰が?
誰に?
不意に息苦しさを感じ、側の寝台を見てしまう。
不思議な飾り舟に花。
ひっそりと息をする気配。
中身は見ない。
だが、それでも去来した混乱が退く。
鈍感な自分でも、安堵を覚える。
あぁ、ここに救いの鍵があると。
たぶん、今感じたモノは確信だ。
救いと同時に、それは破滅の鍵だ。
失えば終わる。
一人が狂うのではない。
種、そのものが違う道を進んでしまうだろう。
歯止めは、ここにある。
なんと脆く危ういのだ。
「危ない事はダメだよ。エウロラっちと一緒に、姫さんの側にいてよ」
それに再び頷くと、リアンは小机の引き出しをゴソゴトとかき混ぜる。
その姿を目の端に、棚の人形を見ていく。
いずれも可愛らしい。
赤毛に巻き毛に、茶髪に金髪。
目は釦だったり硝子
玉だったり。
洋服も女の子らしい物だ。
何となく、オロフは首の後ろがゾワゾワとして落ち着かなかった。
薄暗くなってきたので、室内は明かりがともされている。
とても暖かで平和だ。
あちらの棚上、箪笥の横と猫も寝ている。
しかし、オロフの感覚は、違和感を訴えていた。
「これ、持ってて。
きっと役に立つと思うの。」
リアンが引き出しから掴みだした物が、オロフの手に落とされた。
手に握りこめる程の人型。
何の不思議もない布と綿でできた人の形を模した物だ。
「何かのお守り?」
「教えてもらったとおりに作って入れたから、できたと思う」
何を?
誰に?
誰が?
再び少女を見てから、オロフはブルッと身を震わせた。
無害で小さな娘に、何を怖じ気付くのかとオロフは頬をかいた。
ただ、リアンという娘の目が、少し昼間の女を思い出させるのだ。
アレは、酷かった。
饐えた臭いがして、邪悪と汚濁した何かを宿していた。
目の前の少女には、邪悪も汚濁も無い。
無いが、少しの歪みと熱を感じる。
それが酷くオロフには恐ろしく思えた。
もっと聡い者ならば、ぴったりとくる表現が思いつくものを。
と、オロフは思いながら小さな人型を受け取った。
触ると何か中に縫い込まれているようだ。
「まだ小さいのしか作れなかったけど、たぶん、護衛のお兄さんぐらいの大きさなら、一
つで大丈夫だと思うの。大きいけど多分、ね」
大きさ?
「ありが、と?」
リアンはオロフの礼に、少し恥ずかしげに微笑む。
と、オリヴィアの方へ向けて、ねぇ~と首を傾げて同意を求める。
そうして答えない相手を気にもせず、窓辺に戻ると、再び針仕事を再会した。
手元が明るくなるようにと設えられた作業台も側にある。
台座の紋様からすると、公王への献上品のようだった。
それを誰かが持ち込んだようだ。
誰かがって、献上された当人しかいない。
たぶん、少女が思うよりも豪華で高価な代物だ。
変態は滅びればいいと思うな。
と、内心罵りつつもオロフは部屋を後にした。
「私も持ってるよ。
リアン制作のお守りだよ。
外のオッサン等ももらってる。
体の大きさに合わせてるらしくてね。
イノシシのオヤジには二つも渡してた。」
エウロラにお茶をもらうと、オロフはお守りをコンスタンツェに渡した。
「私はもらってないが?」
「うわぁ、うらやましいっすかコンスタンツェ様、いいでしょ~いいでしょう~欲しいっすか?あげませんよぅ~」
「..」
「殿下があきれてるよ、オロフの兄さん..。
それにリアンは、そういう浮ついた贈り物しないから。
つーか、黙れよウゼェ」
「ヒドイ、女の子が眉間にしわ寄せて唸るとか、ヒドイよぅ。
女の子がウゼェとか、悲しいよぅ~将来、家のねぇちゃんみたいになっちゃダメだよぅ~シクシク」
「はいはい、ごめんよ。
後でとっといた薫製肉あげっから、嘘泣きすんなよ。
兄さん、家の親父にそっくりだな」
「おぉぅ、それはマジで嫌。けど少し辛めの薫製肉でお願い」
「はぁ..殿下は神様と繋がってるから必要ないっていってたよ。
それに多分、暴力沙汰になりそうな奴に渡してるからね。
殿下にたどり着くまでには、結局、オロフの兄さんが出張ってるはずだしね」
「なるほど。つまり、これは身代わり札か」
再びオロフにお守りを渡すと、懐にしまうようにコンスタンツェは促した。
「なんすかそれ?」
「刃ならば刃で凌げようが、それ以外の力がふるわれた場合の対策だ。
まぁおまじない、気休めか。
だが、気休めでも拠り所は必要だ。
思うよりも人間は精神に支配されているからな。
呪術に生け贄は付き物だ。
対価を払わねば力は取り出せないのだ。
ならば、そのような力を防ぐには、こうした身代わりが必要だ。
いつも生け贄の羊を携えて歩く訳にも行くまい。」
「お守りねぇ、女の子にもらえるもんならゴミでも嬉しいですけどぉ。あっゴミを蒐集したりはしないっすよ、どこかの変態みたいに」
「げっ、そんな変態いるのかよ」
「いるいるいる~ここに姫さ」
「..」
コンスタンツェの指がオロフの首をとらえた。
一瞬で、オロフが食卓に顔面を落として気絶する。
その物音で、外の男達が確認の声を上げた。
「問題ない。持ち場にいろ」
コンスタンツェの言葉に、エウロラがため息をついた。
「お守り、効果なさそうだね。リアンに言っとくよ」
「問題ない。これは呪術ではない。ただの折檻だ」
夜は長い。
今夜もこの二人は不寝番をする。
どこまで信用できるのか、エウロラの眉間にしわが寄る。
それを見て、コンスタンツェは言った。
「問題ない」
それに気絶から目覚めたのか、倒れ伏したままの男の片手があがる。
頑丈さだけは問題ないようだ。