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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
305/355

ACT270 挿話 雷鳴 中③

 コンスタンツェの生物学上の母親は、良くも悪くも庶民が想像する貴族の女そのものだ。

 礼儀は、否、作法は知っている事。

 教育を受けている為、知識はある事。

 そして、口調だけは丁寧だ。

 衣服は清潔だし、身だしなみは整っている。

 欠点は、ありすぎて列挙するだけ無駄だが。

 まぁ見栄っ張りの強欲で、非常に利己的な女である。

 昔話の意地悪な継母を想像すれば良かろう。


 そして、勤めとしてコンスタンツェを下等種と公言する獣人との間に造った。

 もちろん、造っただけで獣人の夫とは顔も合わせた事など無い。

 そして母胎を提供し、勤めを果たした後に、望んだ夫は..。






「顔だけの男だな。

 女癖の悪いなよなよとした男爵家の三男だったか。

 当時は、近衛にいたんだが。」


 コンスタンツェの話を聞いていたオロフの顔がゆがんでいる。

 多分、色々軽口を言いたいのだが、主を慮って口を無理矢理

 つぐんでいるのだろう。

 それにコンスタンツェはかまわないと手を振る。


「今でも王様近従と近衛の間では、伝説っすよ~」


「男漁りを公王が公式に禁じた例の法律であろう?

 権力を笠に、公王身辺の男に手を出すなという」


「ゲルハルト様がぁ末代までの恥~とか自刃しそうになったんでしょ~貧乏貴族の餓鬼じゃぁ大公の娘の要求をはねのけるのは中々難しいっつーか、王様、法律にしちゃうとかぁスゴいっす」


「公王が問題視したのは、風俗の乱れではない。

 現に近従以外の誰に手を出そうと問題にはしていない。

 権力が己にあると錯覚した馬鹿者に、何の権威もない事を知らしめる為、恥をかかせる為だ。

 突き詰めれば、混合体の母胎となる大公の血筋は、尊い訳ではない。

 まして、私は失敗作だ」


「何をおっしゃるんですかぁ~馬鹿馬鹿しぃ。

 失敗作なんてぇのはぁ人間全部ですよぉ。

 あの王様が成功作っていうんですかぁ~」


 白夜街の近く、小綺麗な店の並ぶ通り。

 人通りはあるが、薄暗い空と遠雷が陰りを添えていた。

 目的の人物は、花屋の二階に暮らしている。

 その花屋は水不足の影響で仕入れもままならず、店を閉めていた。

 通りを挟んだ菓子屋にコンスタンツェ達は腰を落ち着けている。

 例の焼き菓子は購入済みだ。

 そして小さな卓のある飲食空間に、ごつい男達が居座っている。

 ここでも営業妨害なので店主には過分の金を握らせ、商会に運び込まれた男への土産も購入した。

 多分、焼き菓子を毎日喰わせれば、多少心証は良くなるかも知れない。


「ご近所さまからの情報だとぉ、特に変わりはないそうですよぉ」


 開店休業状態の店の商品を購入すると、護衛と商会から呼んだ男達で食べている。

 可愛らしい女子供向けの装飾の店で、灰色ちっくな男達が菓子をむさぼる。

 オロフ的には、もう、目が腐りそうだ。

 ゴート商会の荒事専門の男が暇だったようで、小山のような男が武装して飲食している。

 山賊の巣にしか見えない。


「俺たちの方がご近所の迷惑成分っすねん」


「何を言うか、まだ、何事もおきていないだけだ。」


「女性ですよねぇ、女でも、さっきの兄ちゃんみたいに凶暴化するってんですか?」


「性別は関係が無い。

 だが、ここは襲撃されていないところをみるに、同じ変化では無いようだ。」


「そういやぁ、あの肉片の事を聞いてませんでしたね~アレってやっぱり、這い寄る者どもっすか?」


「呼び名は何れ、ジェレマイア達が統合するだろうが、それだ。

 アレは夜の影響だけで成ったのでは無い。故に駆除しなければならない。まったく忌々しい事よ」


「その違いがよくわからんちんです」


「まぁ踏み込む前に教えようか」


 魔神から与えられている知識は、大した事ではない。

 彼と魔神は感覚が繋がってはいても、彼自身は特に大きく逸脱した存在ではない。

 感覚、つまり考え方の方向性は、魔の神の望む方向を向いているにすぎない。

 故に、正解ではないが近しい答えとしての考えである。

 そう前置きしての説明だ。


「夜が来て全てが異形となる訳ではない。

 お前が、見えない物が見えるようになった事も、夜を迎えたととれる。

 つまり、夜は、人を変える。

 だが、すべての者が化け物になる訳ではない。

 ここまでは、理解できるな?」


「まぁ」


「そして公王が処刑し、姫に押し寄せる者どもは、夜が変えた訳ではない。

 夜が来て、化け物になったのではない。

 我々が変わったからだ。

 我々が見えるからこそ、偽る事ができなくなったのだ」


「つまり、元々化け物って事で?」


「魔に満ちた夜が戻された。

 我々、人は魔を受け入れた。

 故に、下等な化け物は本性を現したのだ。

 これが這い寄る者、忍び寄る者の事。

 邪教に触れた者や、今回の神がお怒りの原因にほど近い何かに関わっていた者も同じだ。

 故に、偽る事ができずに、奴らは溶けた。

 偽りの生が、正しき死を与えられたからだ。

 そして、化け物に成り下がったのは神聖教で言う背教者に同じ。

 姫が体現する人間への慈悲、すなわち正しき死に敵対する者である。

 つまり、我らがオルタスの慈悲深い神と敵対する勢力だな。」


「う~ん」


「故に、這い寄る者どもと夜を迎えた使徒の家系の末路は、又、別なのだ。

 モーデンは彼らの敵でもある。

 同族とは言え、見捨てて逃げ出し、新世界にて自分たちだけ生き残ろうとしたのだからな。」


「ちょっと混乱っす。

 でもでも、使徒の家系の方々も、その、呪われた末路っぽいですよね」


「簡単に言えば、モーデンは突然変異である。

 そして同じく突然変異の親族を連れて滅亡する世界を足蹴にして逃げ出した。

 それが先ほどの男だとする。

 それが末路の一つだ。

 本来なら、夜を迎えての使徒の末路は、突然変異のモーデンと同じ能力と弱点を蘇らせる事になるのだが。

 神の言葉による制限が与えられている。

 これは罪なき者への神罰ともいえよう。

 その有様を変えるのは親の因果というわけだ。」


「えーと、えーと」


「混乱するのは、使徒の中にも背教者がいて化け物になっているからだろう。

 使徒の家系だから這い寄る者になったのではない。

 そして神の書簡は、嘘をただせと言っている。

 つまり、このいない者とされている使徒の血筋も、その言葉に倣ってしまっているのだ。」


「それ、もしかして、すんごいトバッチリ..」


「そうだ。

 使徒の血筋でも、彼らは親の業で不遇の人生を歩んでいる。

 ただし、先ほどの男のようにモーデンその人の特性がでるだけですんでいるというのなら、偽りは少しは正されていたようだ。

 多分、あの男と実親との間に何らかの正しき取引があったのやも知れぬ。

 視た限りでは、そこまで拾えなかったが、後でよくよく調べようか。

 だが、それも希であろう。

 あの男にしても本人には知らぬ間に、這い寄る者どもの標的にされている。

 この後、他の者も調べねばならぬのは当然よ。

 使徒の家系であれば自衛もできよう、王からも警告うける事もできよう。

 だが、知らぬのでは手を伸ばすことも、助けを求める事もできない。

 変化の途中の弱っているところであったなら喰われていたかも知れぬしな」


「おぉ、そんな兄ちゃんを、俺ってばタコ殴りにしてボキボキに..」


「それもしかたがあるまい。私は四択であるといったであろう。

 モーデンが突然変異とすれば、本来あるべき滅んだ人間は三種類だ。

 モーデンの嫌う者共という訳だ。

 偽りが正されなければ、どうなるか。

 そして、この者には目立った動きがない。

 つまりは、モーデンの特質以外が露わになっている可能性がある」


「もったいぶらずに、残り三種類教えて下さいよ、コンスタンツェ様」


 それにコンスタンツェは唇を歪めた。


「実際に見たわけでは無いのだぞ。

 戯言と同等だ。

 如何に私だとて、未知の事柄に抵抗が無い訳ではない。」


「言い渋るぐらい、ぶっ飛んでるんすか?」


「狂人の戯言と同じよ。

 先ほど化け物ではないと言ったが、ニンゲンという名がついているだけで、今のニンゲンからすれば異形だ。」


「だから見極めが難しいと?」


「今の我々を喰うのだ。

 這い寄る者に喰われた今のニンゲンが、同じく化け物になる違いだけだ。」


 オロフは唇を尖らせると黙った。


「モーデンは喰わなかったが、他は捕食者だ」


 コンスタンツェの補足に、やっと理解が追いついたのか、オロフはウゲェと唸った。


「這い寄る者とは別だが、少し見極めるのが難しいだろう。

 まずは、先ほどの男。

 人は喰わぬが、攻撃的かつ非常に冷酷だ。まぁ理性を戻せば通常の人とは変わらずに暮らせるかも知れぬ」


「かも、なんすね」


「実際どうなるかなど、知らぬ。

 さて、滅んだ古のニンゲンについて、お前は何を知っている?」


「何にも知らんです」


「では、宗教的には何故滅んだと教えられた?」


「よく覚えてないっすけど、戦争っすね」


「では、神聖教の禁忌は何だ?」


「人の道に外れる事っす」


「では、人の道に外れる事、

 すなわち理に逆らう事とは何か、具体的に上げろ」


「えーと悪いことってしか浮かばんです。俺、神学嫌いっす」


「では、良き事はわかるだろう。

 教師がよくいう言葉だ」


「あぁ、えーとぉ

 正しい考え方を心に持ちなさい。

 勤勉に働きなさい。

 人の為になる勉強をしなさい。

 良心をもって行動しなさい。

 道徳を指針にしなさい。

 家族や友達を大切にしなさい。

 とか、よく言われます。お決まりの説教っす」


「それだ。

 この中央大陸の文化では、子供に教える大切な事として、

 理念と勤労、良心と道徳、社会性と献身を求めている。

 つまり、これと逆の行いは、すべて悪だ。」


「つまり宗教的にダメってことっすね」


「神聖教宗主が求めたのは、そうした悪に人間が陥る事を禁忌とした。

 何故なら、前の時代の人間は、その悪によって身を滅ぼしたからだ」


 オロフは首を傾げた。

 もっさもっさと菓子を平らげていた男達も首を傾げた。

 それを見て、コンスタンツェはため息をついた。


「簡単に言えば、

 欲望だけを念頭に行動し、怠惰な快楽を求める。

 悪意ある背徳者。

 反社会的であり利己的な者だ。」


「んで、それが末路って訳っすか?

 何だかよくわかんないっす。

 そんなニンゲン、今だってゴロゴロいますしぃ」


「そうでもない」


 コンスタンツェは伸びをすると、茶を片手に繰り返した。


「そうでもない」


 オロフは唸ると腕を組んだ。

 欲望まみれの人間なんぞ腐るほどいる。

 コンスタンツェの言いたい事がよくわからなかった。


「例えば、私を産んだ女も欲望に素直だ。

 特に、若く美しい外見の、頭の悪い男が好きだ。

 その男を手に入れる為に、残酷な事も平気でするし、汚い行いもする。

 嘘も簡単につくだろう。

 まったくもって汚い女だ。」


 同意するのもはばかられるので、オロフは無言だ。


「だが、それでも一握りの良心は、否、人間性はある。

 あの女は、使用人や若い女や、自分以外の人間には残酷極まりないが、何故か動物相手に殺生はしない。

 肉を喰う癖に、犬猫、鳥などは愛でるのだ。

 姫の館にて群れる猫なぞ見かけたら、汚いの何のといいながら、餌を恵んでやるだろう。」


「..そうなんすか?」


「私やお前を毒殺するのは平気だが、私やお前の死骸を猫が嘗めて病気になったら嫌だと言うだろう」


「猫以下なんすね」


「つまり、ひとかけらの情愛はある。

 使用人の女には死ぬほど鞭をくれるのに、蚤だらけの犬猫が衣服を汚しても我慢できるのだ。

 若い男が年をとれば、目につくのも嫌がるのに、病気の羽の抜けた鳥は部屋にいれるのだ」


「その具体的な実例がイヤっす」


「気の狂った重罪人の人殺しが、全国民の標準的資質だったらどうする?」


 コンスタンツェの言葉に、オロフは片眉を上げた。


「社会的まとまりを作ってはいるが、野蛮で狂っているのだ。

 このオルタスにおいて、反社会的人格の犯罪者は、人口の割合からすれば少数だ。

 その割合が逆転していたのが、前の時代のニンゲンという訳だ。

 多数が占めれば、それが普通。

 そして少数の正気の者こそがモーデンと使徒である。

 戦闘力が高いのも当たり前だ。

 生き残るのだけでも大変だっただろう。

 そして、他の三種のニンゲンは、当然野獣よりも質が悪い。」


 茶で口を湿らせると、コンスタンツェは笑った。


「まず、長命で醜い、長命で美しい、短命で異形という三つに分けられた。

 長命で醜い者は、賢く、性質は冷酷で非道という。

 長命で美しい者は、知性が失われ、欲望に忠実という。

 そして短命で異形、賢くニンゲンらしさを少しは持ち合わせていたが、性状が残虐であった。」


「本当なんすか?」


「神殿長は、あくまでも神話だと前置きをしたが。嘘だ」


「どうして嘘と..」


 それにコンスタンツェは己の目を指さすと、残念だと呟いた。


「醜く賢く冷酷非道、姿形は老いた長命種のようだが、非常に欲望に忠実であった。

 非力であるが、短命の異形種を使役していたとも言われている。

 共食いとも呼ばれていた。

 そして、長命で美しいが知性が失われた者は、姿形は今の長命種と同じだ。だが、知性の無い動物に近い。

 一言で言えば、野蛮な色情狂、それも言語が通じないような性犯罪者と言えばいいか。

 最後に使役されていたという短命で異業の者。

 我々と思考が似通っているが、彼らは肉食で常食が血だ。

 一説には子供のような姿をしているとも聞く。

 モーデンが隠したくなるようなニンゲンどもというわけだ。

 彼ら三種は、何れも共食いも乱交も殺人も、普通の事であった。」


「なんすか、それ」


「当然、そんな種族だ。生き残って社会を作っているとしたら、どれほど野蛮で強靭な化け物か。

 で、そんな奴らの特質が現れるとは、今のこの世の中では、神罰としかいえまい。」


 花屋の二階を皆で見上げる。


「モーデンは、人を喰わなかった。

 だが、他は共食いは普通であった。

 一説には、極端な気候変動や環境変化による、飢えが彼らを共食いに走らせたのではないかとしている。

 もちろん、これは神聖教の一部の者の希望にすぎない。

 彼らにしても、モーデンの生まれた世界が、地獄のような場所だとは思いたくもなかったのだろう。

 ただ、私には一つ疑問がある。」


「何すか?」


「野蛮な生き物を生み出したのは、当然、神だ。

 野蛮である事は、すでに折り込み済みだ。

 故に、それが理を破綻に導き、彼らを滅ぼしたとするのは矛盾だ。

 最初から、野蛮で邪悪な生き物を置いたのだから。

 寧ろ、モーデンこそが異分子だ」


 静かな二階の窓には、鉢植えの花が置かれている。


「古の人は、その時も彼らを導いていたのだろうか?

 姫様の一族もいたのだろうか?

 何が彼らを終わらせたのか。

 彼らが野蛮で救いようのない生き物だから滅んだのか?

 さて、オロフよ。

 そろそろ近所の人払いはすんだようだ。

 答えがまっているぞ」


 それにオロフはため息で答えた。




「おじゃましますぅ~」


 花屋の一階は、がらんどうであった。

 渇水で商売あがったりという事で、仕入れはしていないようだ。

 空の水桶や商売道具が綺麗に片づけられている。

 薄暗さは、最初の家と同じだ。

 遮光の布が全て降りている。


「こんちはぁ~ちょっとお伺いしたい事がぁ~」


 今回は一応お伺いをたててみる。

 オロフと商会の男達をぞろぞろと引き連れているので、大暴れされても大丈夫、の筈である。

 コンスタンツェは向かいの菓子屋で娘達の土産を更に選んでいる。

 日持ちのする物ならばと、どれほど買い込むつもりか。

 もしかしたら、そのまま菓子を一緒に消費するとか言い出して、館に居座りそうで心配である。


「怪しい風体ですけどぉ、怪しくないんでぇ~ちょっとばかり、顔を見せてくれませんかねぇ~」


 愛想のいい声でオロフが呼びかけると、店の奥、上の方から返事がある。

 どうやら、上がって来るように言っている。

 若い女の声だ。


「兄さん方、手加減宜しくっす。」


「女一人だろ、心配するな」


「殺さんで下さいよぅ」


 にっこり笑顔の商会の男達を見ると、オロフは頭を振った。


「うわっ嘘くさっ」


 二階は急な階段で、男一人がギリギリだ。

 薄暗い階段奥の扉前、辛うじて男二人分の空きがあるが、荒事には不自由な広さだ。


「一応、俺が先に踏み込みますんで、宜しくっす」


「おぅ」


 階段を上ると重い男達に足下がギシギシと軋んだ。

 女の住まいと言うには質素。

 不遇の暮らしぶりが伺える。

 扉を叩く。


「花屋のミゼルさん、最近、外出されていないようですけどぉ~お元気ですかねぇ~」


 鼻歌が聞こえた。

 女が楽しそうにフンフンと鼻歌を口ずさんでいる。


「ミゼルさん?」


 剣の柄に手を置いたまま、そっと扉を開く。

 闇だ。

 闇の中に白い影が蠢いている。

 血の臭いはしない。

 糞便の臭いと油だ。

 キツい油の臭いがする。


「ミゼルさん、ですよね?」


 白い影は鼻歌を歌いながら、何かをしていた。

 目を闇に馴らしていくと、その姿が見えた。


「あぁ、ひでぇや」


 オロフは武器から手を下ろすと、情けなさそうに背後の男達に言った。


「収容物件っすよ、女手を呼んで下さい。

 それまではぁ、俺と後一人で見張ります。

 コンスタンツェ様を呼ぶのはちょっと待つようにいって下さい」


 一人扉の前に立たせると、オロフは部屋の扉を閉めた。


「ミゼルさん、何を描いてるんすか?」


 痩せこけた女は、ヘラヘラと笑いながら壁に絵を描いていた。

 素っ裸に汚れた髪、伸び放題の爪で筆を握っている。

 床は汚物だらけだ。

 壁の戸棚に突っ込まれた布を引っ張り出して女の胴体に巻き付ける。

 多少汚れていたが、汚物まみれの身体よりは綺麗だろう。

 そうしてオロフが近づいても、女は鼻歌を歌い、濁った目で壁を見つめている。


「何を描いているんです?」


 オロフの問いかけに、彼女はケタケタと急に笑った。

 壁を見ると、オロフには理解しがたい奇妙奇怪な絵が描かれている。

 幼稚な落書き。

 子供が描いたような丸に四角。

 だが、描かれているのは、死、だ。

 誰かが誰かを殺し、引き裂き、踊る。

 壁は白く塗られ、そこに黒と赤で描かれていた。

 臭いは、塗料の溶剤に使われている油だ。


 オロフを見上げて、女が笑う。

 ぶつぶつと呟いてから、身体を揺らす。


 そんな女を見ていると、奇妙な事に気がついた。

 女の背中、背骨に突起ができていた。

 背骨からトゲのように皮膚がつきだしている。

 突起は突き出し、その先端が丸く凹んでいた。


 オロフは本能的に、女から一歩引いた。


 先ほどの男はオロフに襲いかかってきたが、恐ろしくはなかった。

 だが、この女は気持ちが悪い。

 不快というよりも、酷く汚らわしい。


 そして不意に同じ部屋にいるのがイヤになった。


 そんな考えを感じ取ったのか、痩せこけた手がオロフを掴む。

 思うよりも力強く、まるで肉の感触がない。

 骨が直接肌に食い込むようにして締め上げてくる。

 滅多にないことだが、オロフはゾワリとした。

 鳥肌だ。

 女は何事か呟きながら、オロフにしがみついてくる。

 咄嗟に、オロフは女の手首を握り押さえた。


 チキチキチキ..チキチキ


 奇妙な音が聞こえた。

 無言で女と対峙する。

 すると、女の背から音がした。

 濁った女の目がオロフをのぞき込む。

 女の口が音を出さずに動いた。


 チョウダイ


 何を?


 問い返そうとしたのだ。

 どうみても、非力な女相手だ。

 何が起きても、自分なら対処できる。


 ナニヲ?


 だが、オロフの身体は勝手に擬態を解いた。

 そして、力一杯女を殴っていた。











 気がつくと、商会の男に頬を叩かれていた。

 四肢を投げ出して座りこんでいる。

 オロフは、何がなんだかわからずに、辺りを見回した。


「何処も喰われていないから、安心しろ」


 傍らにコンスタンツェが立っていた。

 そして、部屋の隅には、何かがいる。

 アレは何だ?


「姫様の加護のおかげで、助かったのだ。

 お前は、よく見えていた。

 だから、アレのマヤカシに耐えた。」


「タエタ?」


 干からびたような声でオロフは返した。

 急激に身体を変化させたおかげで、酷い脱力感を覚えていた。


「長命で美しいと言ったが、それは本性を隠しているだけの話だ。

 知性無く、生き物の血と肉を食らい生気を吸い取る者。

 謂わば淫魔だ。

 言っただろう、ニンゲンを喰う奴らだと。」


 否、そういう程度じゃないでしょう!

 と、オロフは思ったが喋る気力がでない。


「多少、吸われたか?

 まぁお前も男だからな、油断したのは仕方がない。

 それでも最初から、気の狂った女に見えていただけマシだ。

 邪悪に耐性の無い者には、美しい女が見えていたかも知れないぞ」


 部屋の隅には薄灰色と桃色の肉が団子になっていた。

 よく見れば、磯巾着のようにも見える管の束だ。

 女の背骨に見えた突起、アレが伸びて飛び出したのだろうか。

 それとも内臓が裏返しになったのか。

 ゴシゴシと顔をこするとオロフは起きあがった。

 とんだ失態だ。


「アレは神殿へ収容だ。

 極端に変容してるようだ。

 正気には、戻せないだろう。」


 殺してはいなかったようだ。

 オロフの見た限り、それは蠢いている。


「憎しみと怒りだ、オロフ」


 意味が分からず傍らの主を見る。


「彼女は恨んでいた。

 不幸に不幸が重なったようでな。

 男という生き物を恨んでいたよ。

 神罰だけではない。

 抵抗するだけの思いがなかったのだ。」


 管は蠢き、やがて女の身体に収まっていく。

 管が戻れば、痩せこけた女が部屋の隅に転がっているだけだ。

 だが、オロフはもう側には寄りたくなかった。


「さて、残り二つだオロフよ。

 後、どのくらい訪ねれば、残りの末路が見られるだろうか。」


 唸る護衛の毛皮を、コンスタンツェは叩いた。


「ここまでの変容は、あれらの子だからだろう。

 他は、ここまで荒んだ姿にはなっていないはずだ。

 そう嫌がるな。

 それに一つ実証されたようだ」


「実証っすか?」


 身体を戻しながら、オロフが聞く。

 拘束具を手にした商会の男達が女に近づいた。


「気を付けろよ。

 搾り取られるぞ」


 コンスタンツェの言葉に、男達が下卑た笑いを返す。


「うちの義弟みたいに、俺らは上品じゃぁないんで大丈夫ですよ。旦那」


 不思議そうな主に返事をしながらも、手際よく男達は女の頭髪を無造作に掴み縛り上げていく。


「真っ裸の女を見たって憐れんだりなんぞしませんし。

 ましてや、穴がありゃぁ喜ぶような餓鬼じゃぁ、おっと失礼いたしました。」


「俺だって同じっすよ」


「女に乗っかられて、なし崩しってのがいつもだろうが」


「何だそれは?」


「コイツの場合、女に用心深い割りに商売女にコロッと騙されるんでさぁ。

 その点、普通の女も旦那の言う淫魔も、大した差はねぇですよ」


 暫し、首を傾げていたが、コンスタンツェは、その答えが気に入ったようだ。一つ頷いてオロフに言う。


「姫様によくよく祈るようにしろ」


「どういう意味か聞きたくないっす、で、何が実証されたんすか」


 コンスタンツェは、壁の絵を指さした。


「知恵無き者である彼らは、一つの才能を持っていた」


 光りを入れた部屋は、動物の檻の中のような有様だった。


「醜く賢い者どもは、美しく愚かな者共と共存した。

 何故なら、知恵は無くとも、彼らは不思議な力があったからだ。

 淫魔と呼ぶべき性状と共に、彼らは遠視や予言をしたという。

 例えば、人の死に様を言い当てた。」


 狂気をそのままに描かれた絵には、一人の男が無数の手に引き裂かれ断末魔をあげる姿があった。


「誰ですかね、これ」


「知ってどうする。これは単なる落書きだ」


 あぁ知っているんだなぁ。

 オロフはため息をついた。


「さて、手帳を寄越せ。次を選ぶぞ」


「コンスタンツェ様が、持ってたらいいと思うっす。もう、俺、今日いちんちで心がボロボロっす」


「何を言うか馬鹿者。

 差し障りのある手帳だからこそ、お前に渡してあるのだ。

 持ち主は死んでいるようだが、悪意の残滓はこびり付いている。

 触れているだけで、胸が焼けるんだぞ。

 それにお前なら、偶々、お前の運が悪くなるだけですむだろうが」


「...逆に俺、タダじゃすまないと思うんすが。つーか、これ呪われて」


「それにこれは姫様への奉仕である!

 奉仕の心がある限り、姫様の加護が得られるのだ。

 喜べ、オロフよ。

 運が悪いだけですんでいるのは、美しくお優しく、そしてすばらしい姫様のおかげなのだ!

 当然、お前が干からびるまで吸い取られなかったのは、姫様のおかげぞ。

 それに何れは相対する事になる。

 こちらから手を出した方が対処もしやすいだろう。

 それとも不意打ちされる方が、良いとでもいうのか?」


「..」


 言い切ったコンスタンツェのドヤ顔がウザい。

 運じゃなくて、悪縁の所為だと思う。

 オロフは窓の外の鉢植えを見ながら眉間を揉んだ。

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