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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
303/355

ACT268 挿話 雷鳴 中①

 その日は、とても美しい朝焼けだった。


 今日も彼女は父親の食事を作ろうと起き出す。

 質素な家屋の中で、一番の水の配給に並ぼうと桶を手に取る。

 そして扉を開けて、彼女は暫し、外郭から僅かに見える朝陽の片鱗に目を細めた。


 そうして彼女の人生は、終わった。


 穏やかに忍従する彼女の人生は、その朝焼けの瞬間に崩壊した。

 彼女は、桶を片手に美しい空の色を見ながら、燃え尽きた。

 彼女の魂は燃え尽きたのだ。

 代わりに、彼女のうろにあふれ出したのは、黒々とした怒り。


 理不尽な人生に対する怒り。

 誰もが抱える生きていく事で生じる怒りだ。

 正しいと分かっていても、強者に従わねばならない者が抱える怒り。

 だが、それは普通の感情に過ぎない。

 魂を焼きつぶすような事は無い。

 あるとすれば、人生に絶望するだけの話だ。


 だが、その怒りを糧にして、何かが彼女を殺した。

 父母への感謝の気持ちや近しい人々への愛情を打ち消し、人としての人生を終わらせた。

 ごく普通の、中年の女である彼女の魂は、善良で気の良い女の心は死んでしまったのだ。


 カラリ、と、音をたてて桶が転がる。


 ただ、何処かに残る残滓が、彼女を家から遠ざかるように促す。

 せめて年老いた父親の側から離れなければ、良くない事が起きるとわかっていた。

 彼女は朝焼けの街に歩き出す。

 急ぎふらつきながら、探す。

 暗い場所に行かなければ。

 イライラと爪を噛みながら、彼女は背を丸めて道に目をはしらせる。

 道端の水路に降りる階段が目に入る。

 今は流れも途絶えた水路に降りる階段だ。

 彼女は背を腰を曲げて下を向く。

 鉄の手すりをつかみながら、階段を下りる。

 水路が地下に向かう方へと進んで行く。

 そうして空が見えなくなって、やっと彼女は息をついた。

 あぁ、よかった。

 暫くそうして暗い場所にいると、自分の息だけが耳に届く。

 水路は風を通すこともなく、乾いた空気が淀んでいた。

 入り口の明るさに、彼女は水路の奥へと行くことにする。

 朝の鐘が聞こえた。

 人のざわめきも。

 すべてがイライラと感じて、彼女は聞こえない方向へとどんどん進む。

 暗い場所の更に奥。

 鼻を摘まれても分からないような暗闇に鼠のように潜り込む。

 水路の壁の冷たさを辿り、淀む暗い闇に座る。

 膝を抱えて彼女は座り、落ち着き無く目を動かす。


 怒りと恨みのような何かが彼女の肉の袋をいっぱいに膨らます。

 憎い、腹立たしい、奴ら、死ね、死ねと呟く。

 誰に対しての怒りなのかは、失ってしまった者にはわからない。

 個に対しての思考は残らず、ひたすら、憎いと感じた。


 彼らは、遠い昔から、敵、だった。


 人間どもは、人間と名乗る者どもは、皆、けだものだ。

 弱い者を見つけては、喰らい、犯し、蹂躙の限りを尽くしてきた。

 ワレラを、捕らえては、その命を啜り、大地に蔓延る。

 利用され、食い散らかされてきた者どもの恨みは深い。

 苦しみ抜いて滅びればいいのだ。


 呪詛を吐く彼女は、冷たい水を感じた。

 蹲る場所が滲み、彼女を飲み込んでいく。

 黒い泥の輪が彼女を飲み込んでいく。

 ズブリズブリと沈みながら、彼女は滅びろと呟く。

 人知れず、そうして彼女は消える。


 もちろん、これが最後ではない。


 泥に沈んだ彼女は見た。


 昔々、同じ事があった。


 緑に濁った水の中、貝殻や黄金のような鱗を纏う者がいた。

 薄い紫、白い牙、赤い舌に、苔むした..悍ましいのはどちらだろうか?


 邪悪な姿が目を開く。

 絶望するのはどちらだろうか?

 恐怖の小箱を開くのは、誰だ?


 彼女は泥に沈み溶けていく。

 黒い泥から姿を現すのは、赤黒い蔦。

 枝葉に実る果実が割れる。


 遠雷が地下にも届いた。







「焼き肉がしたいっすコンスタンツェ様」


 審問官の記録書庫にて、オロフがぼやく。

 事実上解体宣言が公王よりなされた審問組織は、審判部と一部統合する事となった。

 残りは神殿の新組織に組み込まれる。

 もちろん殊勝にも、その分離解体を手伝っている訳ではない。


「エウロラっちの料理もいいなぁ~肉が食いたいです。つーか、お腹が空いて死にそうっす。お昼の時間はぁとっくにぃ過ぎちゃってるっす」


 書庫の入り口で番をしながら、オロフは口を尖らせている。


「煮込みの調理方法が知りたいっす。エウロラっちに聞いてみようかなぁ~お腹がすいたよぅ~ひどいよぉ~雇い主が、ひ~ど~い~」


 審問官施設の蓄積した知識を、今なら閲覧しほうだいである。

 元々、どこにでも潜り込んでいたコンスタンツェだが、それでも閲覧できなかった記録や知識はある。

 そこで手に入れた自由時間を有効活用しようと、分離解体前にかすめととることにしたのだ。


「やっぱ髄の部分を長時間煮込んでるんでしょうかねぇ~臭みを消す香草は何を使ってんだろぅ~元々、エウロラっちは流民らしいから、調理法が変わってるんすよぉ~獣人の家庭料理とはぁひと味違ってぇ。

 コンスタンツェ様ぁ~お腹がすいたよ~。

 おやつの干し肉も食べちゃったんでぇひもじぃよぅ~」


 体が変異して以来、視力は成長し続けている。

 通常の視力という物は、コンスタンツェには理解できないが、今では何不自由なく過ごしていた。

 おかげで書物を流し見るだけでほぼ中身が把握できる。

 読むというより、その行いは吸収しているという表現が相応しいが。


「焼き肉ですよぉコンスタンツェ様ぁ~肉肉肉肉~」


 オロフの声が聞こえているのかいないのか、書物を閉じるとコンスタンツェは頬杖をついた。


「もしもだ」


「はい?」


「もしも、私がお前達の祖国に移住するとしたならば、何が必要だろうか?」


「うわぁ、何ソレ、面倒クサイっす」


 頬杖をついたまま、コンスタンツェはオロフに聞いた。


「姫様が、モルデンの庇護下に置かれるようになれば、当然、私も一緒に移動せねばならぬだろう?」


「何でその話題にいくのか、そこんところが、まず一番不思議なんすが」


「不思議ではあるまい?」


 コンスタンツェは心外だという表情で続けた。


「中央王国は終わるからだ」


 書物をトントンと指で叩き、書庫全体を見回して見せると、コンスタンツェは笑った。


「確実に、長命種主導の政権は終わるだろうし、階級社会も崩壊するだろう。

 お前達、獣人の国は独立を果たし、中央大陸は再度の戦乱に落ちる。

 唯一、秩序を保てるのは、お前達の国だけになろう。

 夜が来て、それに適応できるのは、お前達だけだ。

 長命種は終わる。

 これは確実だ。」


「だとしても、それは今日明日じゃぁないはずでしょう」


 存外、真面目な返答をオロフは返した。


「否、今日明日の話だ。

 オロフよ、混沌とした社会も、こうした膨大な記録を通して見れば、ある程度の予測はできるのだ。

 人の生死の記録や、社会で起きた事、文化や流行なども、記録が多くなればなるほど、読みやすくなる。

 材料が増えれば、迷うと考えるのは間違いだ。

 多くの材料があればこそ、理解できるのだ。」


「腹が減ったっす」


「もう少しつき合え。

 異端審問官は、都の住人の人別をある程度把握している。

 それは下層の民にまで及んでいる。

 何故なら、私のような審判官ではないからだ。」


 理解していないオロフに、コンスタンツェは再び頬杖をついた。


「審問官の母胎は、神殿だ。

 神殿は、下層民移民等と直接繋がりがある。

 白夜街の頭取でさえ、神殿勢力には逆らわない。

 末端までの人別を把握しているのは、神殿なのだ。

 そして、神殿の組織である異端審問官は、誰が何者であるのかをよく知っている。」


「審判官は違うんすか?」


「我々が把握しているのは、主に上流社会や軍人などの身元のはっきりしている人間のみだ。

 公的政治的な問題は我々の方が処断しやすいが、つまり厭な話を耳にしやすいのは、彼ら異端審問官なのだ。」


「う~ん、腹がすいて考えが何も浮かばないっす」


「で、この書物だ。お前が保管していろ」


 ポイッと、投げ渡された黒い手帳。

 面倒そうに開いて、直ぐにオロフは閉じた。


「うわぁやだぁ~」


「バルドルバが成果をあげてくれねば、防衛は難しかろう」


「どれぐらいいるんすか?」


「軍人、下層民、移民を抜いた都市人口の一割はいないはずだ。ただし、変化の方向にもよるだろう」


「何だか食欲が無くなってきましたよぅ」


 閉じた手帳を手に、オロフはうなだれた。

 雇い主の考えが予想できる自分が恨めしい。


「手始めに、その手帳に列記されている人物の追跡調査をしなければならん。

 肉を食わせてやろう、焼き肉は三番地区東に良い店があるという話だぞ。水不足のせいで炭火が扱える店は限定されているが、その店なら営業しているはずだ」


「特上肉増量で」


「うむ、良かろう」


「その店、誰の紹介ですか?」


「ギルデン経由だ。部下達と行く店らしい。この間、姫様に献上した肉がそうだ。あ奴は、何でも喰いそうだが、肉には拘りがあるようでな。何処の何の部位の産地がどうのと勝手に喋って言ったぞ」


「わぁ、期待膨らんじゃいますぅ~」


「その後は、探索だっ!特上肉に相応しい働きをするのだっ!」


「わぁ、タノシイナァ~兄さん達呼んで護衛も増量しますぅ、肉ヨロシクゥ~」


「まぁ経費はランドールに回せばいいか」


「最近、ちょっとセコイデスネ」


「移住には経費がかかろう?」


「本気なんすか?」


 両手で顎を支えると、コンスタンツェは唇を引き上げた。

 捕食者の笑みだ。


「国の滅ぶ理由は何だと思う?

 戦争か、疫病か?

 答えは、環境の変化だ。

 戦争も根本原因は、宗教対立や思想の問題以前に、社会を支える資源の枯渇や貧困を呼び込む災害が元だ。

 衣食足りて礼節を知るだ。

 満ち足りていれば全てが丸く収まるとは言えないが、飢えれば人心は荒れるし、生き残る為に人は争うだろう。

 では、今、この都はどうだ?

 遷都するにも公王の優位性は、このミリュウにあればこそだ。

 私の価値も、この都の地下に広がる古の技術の鍵であればこそだ。

 だから動かない。

 だが、本来ならば、とうに遷都の話題が出てもおかしくはない。

 この人口を支える水を人海戦術で運んでいるのもいつまで続くか。

 多分、学都は移動するだろう。

 この都に固執する理由は無い。

 資金と安全面が確保できれば、すぐにでも移動するだろう。

 まぁ、公王庇護による自由な研究は無理だが。

 これで学生達や知識層で都に定住権の無い者は都から離れる。

 次に離れるのが地方貴族だ。

 公王が認めれば、己が領地に戻り、年数回の出仕をすればいい。

 領地経営がこれから厳しくなるのは当然だから、今更、都詰めに金をばらまく必要は無い。

 貴族街の三分の二は、これで減らせる。

 流動人口である下層民移民ならば、定住地を定めて追い出してしまえばいい。

 残りだ。

 残りの王都生まれの者達と貴族はどうするか。

 ここが廃都になるまで心中するか?

 古い血の、使徒の家系の者は出て行く場所など無い。

 公王は動けない。

 混合体の私も檻の中か?

 私は厭だね。

 鍵である混合体という存在が、私の全てではない。

 私は、しもべ

 私という個人を否定した者どもに、何を返す必要があろうか。

 私は生かされたが、恩を感じる者など一握り。

 そして、その恩を感じる者たちよりも、私という個を肯定してくださる方が、全てだ。

 私は、自由だ。

 私は、僕という鎖を頂戴したが故に、自由なのだ。

 中央王国という小さな檻にいたいのならば、その選択も自由。

 昨日までの世界にしがみつきたいのならば、勝手に自滅すればいい。」


 オロフの表情を見て、コンスタンツェは続けた。


「混合体は国の物であるというのが、人の法だ。

 だが、神は、私を僕とした。

 人の法と神の定め。

 どちらも尊重すべき事だが、厳然たるのりは、神の言葉が先にある。

 たかが人間の王が、神の僕に何を命じる事ができようか。

 私の定めを変えるには、命を奪う他にない。

 私の命を奪うとは、突き詰めれば、私を解放するだけだ。

 科される罪は、奪う者に返り、罰が下る。

 今まさに、夜を迎える者が与えられている現実と同じにだ。

 もちろん、お前が秩序や法を遵守しようとするのは正しい。

 が、神ののりに逆らえば、どのような娯楽が与えられるか想像に容易いのではないか?」


 くぅ、と、オロフの腹が鳴る。

 それから、眉を片方上げるとオロフは言った。


「何か難しい事言ってますけどぉ、つまり、ぶっちぎりでお姫さんに付きまとうから、国の法律はガン無視しますって事ですよね~、まぁ、俺の仕事はコンスタンツェ様のお体が欠ける事無く無事ならいいんでぇ~別に、ヘンタイクサイ事しなければ、どうでもいいっす」


 今度はコンスタンツェの方が眉を上げた。


「いいのか?」


「いいっす、つまり、渇水対策で首都人口を減らす方向で法律が施行された場合、コンスタンツェ様は足止めされちゃうんですよね。

 そうするとぉ、お姫さんが目覚めた時に、安全面からカーンの旦那が強奪方向で動いて、色々すんごい面倒な事になるわけでぇ、そいで、コンスタンツェ様はあくまでも、僕だからぁ、お姫さん共々とんずらする事にぃ。

 まぁ、家のババァと相談になりますけど、多分、大丈夫だとぉ。

 交渉次第かなぁ~そのあたりはぁコンスタンツェ様も考えてないわけじゃぁないっしょ。

 お姫さんが目覚めたら、そりゃもう色々厄介なことになるでしょうしぃ、多分、今の力関係は終わりますからねぇ。

 神殿もお貴族様らもぉ王様達もぉ~あれっ?

 まずいですよ、コンスタンツェ様!

 寧ろ、コンスタンツェ様、カーンの旦那のところへお引っ越しする方の手続き心配した方がいいんじゃね?

 寧ろ、出てく方が簡単だったり?」


 コンスタンツェは護衛の男を見上げた。

 いつも通り、ふざけた事ばかり言う見慣れた顔だ。

 だが、思うよりも賢く有能。

 そして、少なくとも仕事や契約上の関係だとしても、この男に幾度も救われている事は確かだ。


(オロカデアルガ、タダシイコトヲシル、ヨキモノデアル)


「なるほど」


 コンスタンツェの眼が、楽しそうに蠢いた。

 神の含み笑いが聞こえる。


「オロフよ、お前の事は、地の底の御方様に、よくよく願っておこう!」


「えっ?それ余計なお世話っぽい」


「念入りに、お前の名前を伝えて..うむ、伝わっておる」


「えっ、マジやめて、何の嫌がらせ?」


「肉も増量で注文しよう、お前の好きな肩と背の肉も好きなだけ食え」


「肉と神様同列?やめて、マジ、そっとしといてくださいよぅ。どうせなら、専任解除するか休暇を下さい」


「却下、母君に相談しろ」


 雑談をしつつ、審問官施設を出る。

 施設は外郭と外郭の間の森の中にある。

 審判官施設が城に近い位置にあるのとは逆に、神殿の墳墓の側にあるのだ。

 馬車が乗り入れられる場所までは徒歩である。


「それにしても、体力つきましたねコンスタンツェ様。

 昔は歩くの嫌いでしたのにねん」


「見えぬ者に活動的になれという方が難しかろう」


「ん、でもコンスタンツェ様は俺と同じく音の反響で物体の位置確認ができてたじゃないですか。

 それに文字だって接触で読みとりが可能でしたでしょう?

 さすが一級って奴で」


 木々を縫うように歩くが、人通りは無い。

 審問官達は既に移動しており、警備の者がいるだけである。

 空気が良いと深呼吸しながら、コンスタンツェは笑った。


「読みとりだけは才能だが、物の形や位置を感じ取れるのは訓練だ。

 反響を感じ取る訓練は、暗闇に足を踏み出す行為と同じく、恐怖心との戦いだ。

 こうあるだろうと言う感覚と実際が違っていれば、容易に死ぬ事もある。

 私が簡単に道を歩き、椅子に座って見せていたのは、そうしなければならなかっただけの事だ。」


 暫く外郭に沿うように道を進むと出入りを改める検問所が見えた。

 いったん身を改めてから、外郭通用門への道に入る。

 もちろん、コンスタンツェ達は記名するだけで、身の改めは無い。


「そういやぁ、大公家のぉ、アノ人はぁ、お元気なんですか?」


 それにコンスタンツェは、オロフを振り返った。


「知らぬのか?それとも知っていて聞くのか?」


「うーん、一応、コンスタンツェ様に直接影響が及びそうもなければ、そうそう詳細な近況報告はぁきませんよぅ。

 やばい情報は直にきますけど、今日は何処の御稚児さんを誘拐したとか。どこで散財したとかまではねぇ。

 まぁ強いて行動範囲がコンスタンツェ様とかぶらんようにって話が、一応来るぐらいで」


 それにコンスタンツェは不愉快そうに口を曲げた。


「一応、ゴート商会といたしましてもぉ、お客様の要望には最大限にお答えしつつ、見えざるところにも気を配ってるんでぇ。でもぉ、まぁ、そのぉ」


「言いたいことはわかるが、不要の気遣いだ。

 よくわかった。

 監視は行き届いているが、実際はどうかと言うことか?」


「実際つーか、今、正常なんすか?」


「..」


「あぁ、元々、脂ぎって攻撃的で俗物なんでしょうけど、今、神様的にはぁつー意味で普通っすかね。」


「いつも通りであろう。

 不思議なものでな、どんなに俗物であろうと、それが夜を迎えて変容へと進ませる訳ではないのだ。

 愚かな者は、昔も今も、死後に歓待を受けるのは同じ。

 だが、欲深さだけでは、化け物にはならぬのだ。」


「それ、変じゃないですか?

 悪いことしたら、化け物になるんでしょ?」


「昔も今も、汚れは招かれてきた。

 知らぬだけで、変わりない。

 誰もが、死後に裁かれる。」


 オロフは首を傾げた。


「あれ?」


「アレも死ねば裁かれよう。

 怨嗟にまみれ生きている者は、背負う業も深い。

 悔い改める事がなければ、それに相応しい末路を迎えよう。

 だが、それが現世の肉までに及ぶかは、又、別だ」


 コンスタンツェは、ニヤリとした。


「あれ?それって」


 オロフは、ブルッと体を振るわせた。

 今更ながら、薄気味悪さを覚えた。

 つまり、罪人が化け物になる訳ではないのだ。

 今までは、罪を犯したからこそ、あのような醜い姿に成り果ててしまったのだと思っていた。

 だが、異形となり果てる要因は、他にもあるという事。

 つまり、罪なき者にも災いは降り、夜が訪れる。


「公王は、地の底の御方様により付けられた、罪の印を拾い上げて粛正を行っている。

 意味はわかるな?

 魂の汚れと罪が一致した邪悪の種だ。

 それを焼き殺して回っている。

 あわよくば、変異した者をも粛正したいと思っているが、変異が留まり理性が残るようならば許している。

 本来は残したくは無いが、夜が来て変化するのは邪悪な本性が隠れているからだけではないからだ。

 人族を根絶やしにするわけにもいかないだろうしな。

 しかし、罪を犯さずとも汚れてしまう者もあるだろう。」


 コンスタンツェは、オロフの懐を指さした。

 オロフ自身の魂を指しているのではない。


「つまり、親の因果が子に報うって事ですかね」


 黒い手帳に記された名前は、別に悪人ではない。


「不運ではあるが、因果とは善行も伝えるものだ。

 きっかけはあろうが、それに抗う事もできる。

 誠に不運ではあるがな」


「で、不運な人をどうするんですか?」


「免罪符にはなるまいよ」


 長い午餐の後、コンスタンツェとオロフは一般居住区にいた。

 呼び寄せたオロフの義兄弟は、あの晩の二人だ。


「ひとまず、一番記述が新しい者から訪ねてみようかと思う。」


 オロフは懐から手帳を取り出すと最後の頃の方を開いた。


「ベルキナ家縁の人物っすね。

 母親は商家の娘、人族で死んでますね。

 当人は、成人してて、商売をしてるようですねぇ、組合登録は..」


 以前とは比べものにならないほど人通りの減った道を歩く。

 箱馬車は何かと兵士に止められるので、食事の後の腹ごなしもかねて徒歩である。

 一般居住区には、商業地区とは又別に、小さな店が点在していた。

 大口の商売とは別に、住民と直結した小売りの店があるのだ。

 店先の生鮮食品は減り、街中の木々も枯れ始めている今では、その店も殆どが閉店している。

 配給の水は規則正しく住民へと日に数回配られてはいるが、家畜や庭木に回すまでには至らず、徐々に都は干からびてきた。

 商いにしても、水を使わぬ商売は無い。

 有用な渇水対策がとられなければ、何れにしろ、コンスタンツェの言う都の居住制限はあるだろう。


「アレ、ですかねぇ。

 ちょっと俺的に、厭な感じがマシマシぃ~」


 薄曇りの空と同様、静かな下町はうっすらと暗い。

 人の気配はするが、道を歩く者も一人二人、うら寂しい。

 本来ならば活気のある小綺麗な路地であろう。

 が、何処かで鳴るかすかな雷鳴が不安を呼ぶ。

 気のせいでは無いだろう、厭な感じが男達を包む。

 目的の小さな店は薄暗く、開店している様子は無い。


「臭うな」


 鼻の利く質の護衛が一人呟いた。

 確かに臭う。


「コンスタンツェ様、一応、先にお伺いしますんで、兄さん達と後詰めでお願いしますねん」


「うむ、何かあるようなら現場は保存でな」


「うぃっす、美味しいお肉の分だけ働くっすよぅ」


 暫し道を挟んで店の見える場所まで、コンスタンツェ達を下がらせると、オロフはゆっくりと店に近寄る。


(お昼に肉はまずかったかなぁ。

 んでも、気分は焼き肉だったしぃ~。)


 薄暗い店に並ぶ物を見て、オロフは思った。

 もちろん、そんな繊細な胃袋ではないが、気分は良くない。

 これでも感性は正常である。

 正常とされる事を理解している。


(ご近所の皆さんは、無事ですかねぇ。警衛はどうしたんすかねぇ)


 ぼやきながら、オロフは剣帯の留め金を外した。






 店には、肉屋でもないのに、生の肉が並んでいた。

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