ACT267 挿話 雷鳴 上
[雷鳴]
その日は、とても美しい朝焼けだった。
「うあぁ、目にしみるっすねぇ~徹夜明けにはきついっすよぅ」
目に見える限り、新しい一日の始まりとしては何も問題は無い。
「はぁ、今日も暑くなりそうっすねぇ、お家の中は涼しいんでしょ?
あの謎植物が温度調節してくれるようだし、何気に陽射しの向きに対応したりしてぇ~、..ちょっと戦慄を覚えるのは、俺だけ?」
森閑とした街並みにオロフは、ボリボリと首筋をかいた。
「なんつーか、最近、治安が良すぎて気味が悪いっす。
夜遊びする男の姿もないし、酔っぱらいが道ばたで粗相をしてるのも見かけないっす。
物乞いさんもぉ神殿で回収しちゃうし、浮浪児もぉ客引きもぉ、それからぁ」
「それの何がいけない?」
オロフは小指で耳穴をかいた。
そして差し込む朝日に目を細め、馬鹿にしたように笑う。
「分かってるでしょうが、コンスタンツェ様。」
それにコンスタンツェも人の悪い笑顔を浮かべた。
「まぁ活気が失われている理由はあるだろう、色々とな」
「色々って言うかぁ、公王陛下の焚き火が原因っしょ」
毎朝、反逆者、そして邪教徒と認められた者が火刑に処せられている。
外郭外にて磔刑の後に焼却。
爽やかな朝には不似合いの行いだが、理由はある。
そして、その理由により、王都の人間は恐怖と安堵を覚えるという矛盾にさらされていた。
「見に行ったのか?」
「この間のお休みの日にぃ、ちょっとばかり用事で外に。
そいで朝に帰ってきたら、見ちゃいましたぁ。
アイツ等、生焼けぐらいじゃぁ元気に喋るんですよぉ。マジ、ウケるぅ~」
粛正は、貴族階級を標的としていた。
今のところ、庶民で処刑されたという話は聞こえてこない。
それだけでも異常である。
体制の変革か、王の狂乱か。
本来なら形だけでも司法を通すところを、恐怖政治さながらの粛正を行っていた。
もちろん、恐怖にかられた輩が無闇に生け贄を捧げている訳ではない。
「それにしても、夜が来るってのは、予想以上っすねぇ」
主従は白い光りに目を細める。
コンスタンツェは色硝子ごしではあるが、その特別な目を細めると朝陽を笑う。
「太陽は、変わらず昇るが、この世を支配するのは夜だ。
複雑になったのではない。
混乱したのでもない。
我々は、元に戻ったのだ。
化け物が化け物に戻っただけの事。
我々の中にいた害虫を駆除しているだけなのだ、何を恐れる事があろうか?」
「そうは言いますがねぇ~怖いじゃぁないですか?」
間延びしたオロフの言葉に、コンスタンツェは息を短く吐き出すと、馬鹿馬鹿しいとばかりに手を振った。
「心にもないことを」
「まぁ、俺は怖くないっすけどぉ、普通はねぇ~。
ひ弱な長命種のお偉い方々が、死肉あさる狂人みたいになった上に、化け物みたいな姿になったら、そりゃぁ」
「楽しいだろう」
「まぁ面白いっす」
変化は激しく、それでいて緩やかに人々を呑んだ。
その変化の前では、理不尽な処刑も、水不足による生活の不便さも後回しになった。
逃げる?
何処にも逃げ場など無く、天罰の下った都から逃げる事も危ない。
逃げる?
そして、改めて知る。
あぁ、お助け下さい。と、小さな光りに縋るのだ。
逃げる?
「違いは何でしょうねぇ~、途中までは同じだったんですよね?」
「知らぬ。誰が化け物になろうと興味は無い。
途中で変化が止まり、理性を取り戻そうと、その違いは微々たる物だ。
いつ、再び欲にかられて腐るかわからない。
私ならば、少しでも兆候があれば始末するものを。
あぁ、まったく腹立たしい!
姫様に近寄ろうなどと、罰当たりも甚だしい。
皆、餌になってしまえばいいのだっ」
「餌って、昨日の夜のアレは、俺でもご飯が美味しくなくなるっすよぉ~、分派長もドン引きっす。
つーか、いつから飼ってるんすかぁ。
コンスタンツェ様、拾ってきちゃダメですよぉ~」
「失敬な。
私は拾っていない。
アレは、次席の僕の親なのではないか?
健気にも、仔の主に害為す者どもを喰らっているのだろう。
何と素晴らしいっ!」
その見解にオロフと、近くにいる警備の男達は視線を逸らした。
おぉ朝陽が眩しいとか言いながら、厳つい男どもはヘラヘラと笑う。
夜番明けにはキツい話題だ。
そしてオロフの笑いも乾ききっている。
「一応、確認しますけど。次席の僕って..否、いいっす」
最近のコンスタンツェの腕の中には、猫が標準装備されている。
そして館の中にいる娘の大猫は、コンスタンツェが来るとしきりに何かをニャァニャァ鳴く。
それにまじめに話かけるコンスタンツェ。
オロフから見ると、猫と会話している風の狂人である。
そういうお人には、ある意味話と道理は通じないものだ。
その道理の通じないお人は、館を振り返る。
そして懐の猫を下におろした。
斑のこれも年取った大猫で、オロフを見ると鼻で笑って水場へと歩いていく。
「今夜も、御側にいよう。
着替え、身を清めたら戻るぞ。
否、身の回りの物をまとめて、ここに越してくるか」
「..それ、同じ言葉を公王陛下が言ったっすが、実現不可になったじゃないっすか」
「僕は、別だ」
オロフは朝焼けを見ながら、苦笑いを浮かべた。
主の本意は半分以上が思慕であるが、少しは状況判断ができる。
つまり、敵がくる。
ゾクリと背筋をさせるのは、恐れか興奮か。
野蛮だねぇ~と呟きながら、視線を戻し傍らの主を見下ろす。
「大物でも来るんですか?
コンスタンツェ様のいつものお願いでは、無いですよね。」
「否定はせぬ。
なにやら不穏な気配を感じるのだ。
我ら僕を不快にする気配だ。
お前達、いつも以上に気を配るのだぞ。
陽射しに気をゆるめてはならぬと、シャルルレッソに伝えておけ」
名をあげられた分派長は、警衛との朝の引継で姿は無い。
館の周りを固める者達は、コンスタンツェの言葉に頭を垂れた。
「さて、そうそうに身仕舞いをおえて戻ってくるとしよう。
麗しくお優しい我が君の側に侍り、愚かしい者どもを近寄らせぬようにする事が大事。」
館を守る者達に挨拶をしながら、主従は家路についた。
昨夜は、コンスタンツェの希望で泊まり込んだ。
いつもは昼に訪れるだけだが、昨夜はどうしても離れてはならないとコンスタンツェが譲らなかったからだ。
だが、それも杞憂では無いと証明された。
「忍び寄る者、這い寄る者とか呼ばれてるそうっすね」
「化け物に変化した輩は、四つに這い歩く。
その姿を見ての呼び方だろう。
それも、昼の陽射しを恐れ、闇や影で蠢く。」
「アレ、やっぱ姫さんを狙っているんすかね」
「さて、どうかな。だが、このまま増えると面倒だ。」
「被害報告はボチボチですけど」
「何処までが被害者か加害者か、区別ができないだけだ。
あれら、這い寄る者は人間を喰らうぞ。
肉、血、魂。
理の内にあるが、獣である。
腐土の死人とはまた違うが、飢えたる者だ。
女子供は、昼以外活動を控えるのがよかろうよ」
夜、闇に紛れて彼らは忍び寄る。
怪異な姿に成り果てた何かは、四つに這い叫び襲いかかってくる。
人は日が沈めば家にこもり、兵隊が辻に立つ。
そして眠りの館を守る者は武器を持ち、近寄る物を始末する。
ぽつりぽつりとした襲撃が、日を追う毎に増えていく。
昨夜はいつになく数が多く、泊まり込んでいたコンスタンツェは、僕達に命じた。
僕..猫にだ。
娘の眠りが邪魔されている。
こんな不愉快な事があってはならないと、大まじめで館のそここにいる猫どもに言って回る。
すると、館の外から一際大きな咆哮があがる。
同時に警備の男達からも声が、悲鳴が上がった。
オロフが外を覗いてみれば、皆、驚愕の表情を浮かべている。
そして館正面の広場を見れば、オロフも唸った。
何かが喰っている。
多分、赤い口腔の様子から大型の肉食獣だろう何かが、元人間を
丸かじりしていた。
ガリボリと中空に浮かんだ口が、襲いかかってきた元人間を喰っている。
赤い口腔は二つ。
位置的に見て、頭が二つありそうだ。
攻撃姿勢になる警備兵と分派長達に、気の抜ける声が伝わる。
(あぁ、お前のお母様か?何だ、助けてくれるというのか..うむ、畜生といえど中々殊勝であるな!)
コンスタンツェの言葉が、宙に漂う。
そして、そんなコンスタンツェに大猫が何かにゃーにゃー鳴く。
ゴリゴリバリバリという恐ろしい咀嚼音の合間に、間抜けな猫の鳴き声と頭のオカシイ男の会話が割り込む。
(なに、夜はいつもいるとな?
ここを縄張りにしただと?
入り込む輩を食ってくれるのだな?
うむ、良いお母様だなっ!)
何となく娘の大猫は、何か反論か文句を言っているように、周りの男達には聞こえた。
何しろ、大猫の毛は逆立ち、腰を抜かしているのは誰が見ても明らかである。
そして広場では、元人間の化け物が、突如現れた口にかみ砕かれると吹き散っていく。
酷い。
ある意味、酷い景色だとオロフは目を覆った。
(うわぁ、緊迫の場面台無しっす)
分派長の、オカアサマ、だと?と、言う呟きが笑える。
笑えるが、コンスタンツェの言う僕二号は猫だし。
その猫も不思議生物である。
オカアサマとやらが、館の周りを徘徊していてもおかしくはない。
そんな微妙な雰囲気の中、敷石に欠片も残さす何かは食い尽くした。
見えない何かは、這い寄る者を食らいつくすと、再び咆哮をあげて消え去る。
まともな人間には被害無し。
どうやら、お母様で正解らしい。
しばらく、娘の大猫は夜の闇に向かって何かニィニィ喋っていた。
喋っていたが、再び這い寄る者達が現れると、悉く、ナニカに喰い殺された。
もう、オロフも、他の男達を見習って神様に祈った方がいいのではないかと思っている。
「オカアサマ?って、野放しでいいんすか?」
「姫様に害はない」
「そうじゃぁないでしょう!」
「うむ、問題ない」
「うむじゃないっす。人喰い化け物が館の周りに放し飼いとか噂が出たらまずいでしょう」
「うむ、人は喰うなと伝えておこう。」
「伝わっちゃうの?ナニそれコワイっ、それの方が驚き!」
分派長の見解も同じなのが始末に悪い。
眠るお方に害がなければ、問題なし。
その他は問題あっても、いいようだ。
皆、病気だ。と、オロフは思う。
神様は必要だ。
お助け下さい。
美しい朝焼けの後、北から黒い雲が押し寄せた。
雨が降るかと思えたが、何故か雷雲は滴ひとつこぼさず光るだけ。
ミリュウは、乾き、人々はため息をつく。
そんな街に歌が流れた。
都の住人をも唸らせる巧みな歌声である。
その歌の元を辿れば、色鮮やかな衣装を身につけた女達だ。
女達は笛や弦楽器を吹き鳴らし、先頭の女が歌っている。
異国の歌らしく、もの悲しくも美しい旋律が重なり流れた。
どうやら白夜街へ向かう芸人かと、人の興味はすぐ薄れたが、向かった先は違う。
彼らはゆっくりと街を練り歩き、元中央公園へとたどり着く。
そうして広場でひとしきり歌い上げた。
早い時間にも館へと詣でた人々から、投げ銭を受け取ると女達は礼をかえす。
そして護衛達の前に進み出ると、言った。
「東の歌女にございます。
尊きお方の側に侍るため馳せ参じました。
総勢十八名、庭にて歌をば捧げとうございます。
尊きお方を守られる、守護の方々にお取り次ぎをば、お願い申しあげまする」
そうして差し出されたのは一通の封書。
印判は金槌と雷。
東の貴族ボフダン公の印である。
公王は知っていたのか、その日の昼頃には広場の一角に小さな仮設の幕が張られた。
どんな意図かわからぬが、風避け程度の寝床を作ると歌っては詣でた人々からの施しなどを受けている。
夜は危険と警衛や守りの兵に諭されるも笑うばかり。
ましてや、守ってもらう必要など欠片も無しと嘯く。
「で、アレはどこの怖いネーチャンらなんすか?」
再び館に戻り、猫にまみれながら眠る娘に侍る。
意外にも、コンスタンツェは娘の顔を一度見ると、出入り口の側に腰を据える。
娘の部屋には、巫女と呼ばれる娘と下働きのガサツな娘が待機していた。
コンスタンツェなりの配慮で、娘達には不必要に干渉をしない。
ただし、猫はコンスタンツェにいつも通り集りに来るのだが。
出入り口からは涼しげな水場と広場が通し見れる。
可愛らしい意匠の扉は開け放たれ、乾いた風が吹き抜けていく。
影になる位置に置かれた長椅子にコンスタンツェは腰掛け、その対面にオロフが立つ。
長椅子は長時間過ごしても良いように豪華な内張りがなされていた。
そしてオロフも疲れれば出入り口の隅に置かれた分厚い毛織り物に腰を下ろす。
「怖いか」
「最初、お姫さんと同じ種族が集まってきたのかとおもったんすけどぉ、ありゃぁマトモな輩じゃぁないっすね」
「真っ当ではないか?
まぁ、確かに違う種だ。
姫様のお姿とは似ても似つかぬであろう」
「細かな違いすぎて、ちょっと見、分からないっす。
美人は美人としかぁ。でも、人族ですよね」
「不正解だ」
「亜人でも長命種でもなさそげですしぃ、俺達とも違いますよ、匂い」
「匂いを嗅いだのかっ、この変態めっ!」
「..獣人ってのは、体内生成された微量物質である匂いでも相手を判別してるんすよ、酷い。つーか言われたくないっす(マジヘンタイニィ)」
くだらない会話をしつつ、時間を潰す。
食事は娘達が用意してくれる。
館には毎日のように公王から不自由は無いかと問い合わせがくるし、供物の殆どが食物である。
毒味の後に大凡が館に関わりのある者が消費するので無駄は無い。
その毒味も獣人の兵士が受け持ち、娘達には公王からの差し入れだけを与えている。
「ほいさ、今日は肉の煮込みだよ。
付け合わせも適当だけど、材料がいいから旨いよ。
こっちは熱いから、火傷すんなよ」
ガサツな娘、エウロラは、最初の内は畏まっていたが、最近はコンスタンツェにも遠慮がない。
食事を作っては運びを繰り返しているうちに、奇矯な貴人に慣れてしまっていた。
「いや、不敬罪になるから、外ではダメだよん」
「それ、アンタもだね。
ほい、護衛の旦那は肉増量。
まったく、王様も女しかいないっての忘れるほど肉肉肉って差し入れるから、困ってたんだよ。
外の人等は別だしねぇ」
「リアンちゃんはどうしてる?」
「姫の側で食べてるよ。
つーか、姫は何にも食べなくて死なないのかい?」
それに集る猫に肉を分けていたコンスタンツェが答えた。
「ジェレマイアが運び込んだ箱は、奇跡に近い働きをするのだ。
いつも霞が降りているかのようであろう?」
「あぁ、触っても何にも感じないけど、いつも箱の中に、こう、こもってるんだよな」
「繭のような物だ。
人の目に見えぬほど細かな物で満たされている。
オロフの足を再生した物に近いが、更に高度で知能を保有している。
それが絶えず姫の体を保護し包んでいるのだ。
ただし、それだけでは本来は保つには不完全。
栄養を与え、排泄を促さねばならぬが、これは神の秘蹟により不要となっているのだ」
「どういう事?」
傍らのオロフに視線を投げるも、同じく分からないのか肩を竦める。
「姫様は眠りにあられる。
だが、生きている訳ではない。
息をしておられるが、生きている訳ではないのだ。」
食事の手を休め、コンスタンツェは二人に向かい少し微笑んだ。
いつになく、その微笑みは穏やかだ。
それ故に、エウロラは厭な顔をし、オロフは無表情になる。
彼らの間を、歌が流れる。
外に陣取るボフダンの歌い手達は、誰かが必ず歌い続けていた。
何れも異国の風情があり、叙情的で物悲しい。
コンスタンツェは視線を再び食事に向けると、何気ない風に続けた。
「魂は神の手にある。
つまり、生きてはおられぬ。
狭間に置かれ、ある意味、流れより取り残されているのだ。
故に、時は流れておらぬ。
先に向かわれる事がない、仮初めの永遠に留め置かれている。
ただし、それは身の内の事だけ。
食事はいらぬし、身を清める事も不要。
眠りにあるお姿は美しいまま、神の園にある。
故に、神の意に添う答えを返せなければ、姫は戻らぬ。
器も何れは朽ちよう。」
コンスタンツェの言葉に、エウロラは口を曲げた。
眉をよせ、口を曲げ、歯をギリギリと食いしばる。
「酷い」
食事をとる男二人を睨みつけると、唸った。
「そんなの酷い!」
コンスタンツェは何も言わなかった。
オロフは何も言えなかった。
確かに、それは普通の娘の人生としては酷い。
「私はそれでも良いと思う。
姫様は選ばれた。
ならば、私は従うまで。」
勝ち気な娘の両目が滲み出し、オロフがあわてる。
「コンスタンツェ様、イジメちゃダメっすよ。お姫さんのお友達を泣かせたら、嫌われますよっ!」
それにコンスタンツェは声を出して笑った。
ごく普通の笑いで、エウロラとオロフを見ると、やれやれと頭を振る。
「だが、それは目覚めぬ場合だ。
姫様の駄犬が、骨をとりに行っている。
結果はそれからでよかろう。
目覚めてからの楽しき事を考えていれば良い。
たとえば、目覚めてから、己はどうするか?
もちろん、私は姫様とは離れぬ。
姫様が行かれる場所が、私の場所。
例え、魂の欠片になろうと、私は離れぬのだ。
何を憂いる事がある?」
「情操教育にわるいし、女の子に聞かせるお話じゃないっす。」
「ジェレマイアも答えを探しに行った。
自分の姉が目覚めるならば、死んでも良いと思っている。
ならば、答えは得られるだろう」
「紙っぺらの命だとしても、そういう考えはいかんと思うっすよコンスタンツェ様。ほら、女の子の眉間に皺が。」
「わかったわかった。
娘よ、神は姫を愛しておられる。
だから、案ずる事は無い。
神は、我らの神は、残酷であるが、決して慈悲を忘れはせぬ。
壊れた世界をも見捨てずに残ってくださったのだ。
だから、な。
無駄に悩むな」
エウロラの眉間の皺はゆるんだが、しょんぼりとうなだれている。
「あ~ぁ、お姫さんに言いつけてやる。起きたらイジメてたって言っちゃうっす」
それに笑うと、コンスタンツェは言った。
「と、こんな風でいいのだ。悩むだけ無駄よ」
広場から流れる音が変わる。
二人、弦楽器を持ち女達が歌い出した。
重なる旋律は明るく暗く、不思議な調子で歌が流れる。
男を待つ、女の歌だ。
海に向かい、船でこぎ出した男は戻らない。
それでも女は浜辺で待つ。
押し寄せる波と風を見つめて、楽しい思い出だけを縁に。
不思議と遠い異国を旅するような旋律は、歌詞の物悲しさを打ち消していく。
美しい景色が見えるようだ。
「あの男は帰ってくるのかな」
エウロラの言葉に、コンスタンツェは再び食事を始め、オロフは何とも答えない。
「別れに来た時、約束してったよ。
手を握って額にあててた。
約束だって、必ず取り返すって。
でも」
「どうした?」
問いかけに、エウロラは下を向いたまま言った。
「戻ってくるとは言わなかった。姫は..」
怒った顔をするとエウロラは奥へと戻っていった。
それを見送った二人は、再び食事をしながら少し笑った。
「確かに、姫様は望んでいないだろう。
誰の犠牲もな」
姫は助けてくれとはいっていない。
生きてほしいと願っているだけだ。
だったら、最後まで側にいてほしかったんじゃないか。
「気にくわぬな」
「うわっ聞きたくない」
「姫様のお役に真にたてるのは、この私だっ!」
「うわぁ」
「ご寵愛を受けるのも、この私っ!」
「..この差は何だろう。
旦那の場合は真っ当に見えるのに、もう一人は犯罪臭しかしないっすよ」
「やはり、ここは私だけが果たせるお役目をこなした上で、姫様がお喜びになる事を率先して行わねばならぬようだ」
「...コッチミンナ」
「オロフよ、もちろん分かっているな?」
「美味しいなぁ肉の煮込み」
「ボフダンの者どもが到着したのだから、もう少し、我らも動き回れるだろう。
姫様のお心にそう為にも、少々大物を狩りに行き、そして」
「何でここでボフダンのネーチャンらが出てくるんですか?」
「決まっておろう、アレらは、ボフダン公の隠し玉よ。
あの中にボフダンの一の姫と呼ばれる者がいる。」
「姫ぇ!何でそんな高貴なお方が野ざらしなんすかっ、旅芸人つーか」
「一の姫と呼ばれる者は、本当の人ではない」
聞き間違いかと、オロフは黙った。
「コルテスに夜の民、シェルバンには邪教徒。
では、ボフダンには何がいる?
うむ、確かにあの娘の料理の腕は中々であるな。」
扉の枠に手をつくと、オロフは広場をのぞき見た。
派手な色合いの衣装をまとう女達は、楽しげに歌い踊っている。
そこだけは華やかで楽しげであるが、考えてみれば、彼らの誰かは歌い楽器をかき鳴らし続けている。
並の体力気力ではない。
オロフは、単なる傭兵家業に近い間者の女達だと思っていた。
東公のコルテスと公王への心遣いであると。
「人、じゃぁないんすか?」
「夜になれば分かるであろう」
今日も遠雷だけで雨は降りそうもない。