ACT266 挿話 恩寵
[恩寵]
「内緒だよ、オイラの父ちゃんから教わったんだ。
夢喰いには、無花果をやると余所に行くって」
「夢喰いとな?」
「そう、夢の中に出てくる怖い物だよ。
干した無花果を懐にいれていると、悪い物が避けてくれるんだ」
「ほぅ」
「だから、おじちゃん達にもあげる」
「そりゃぁありがたいが、どうしてだい?」
「へへへ」
「イグナシオの毛並みが気に入ったか?」
「へへへ、違うよ」
「違うか」
「うん」
「そうか」
「うん」
「父ちゃんに、おじちゃん似てるから、特別だ。へへへ」
世界は暴力と嘘でできている。
愚か者が殆どで、理不尽がまかり通り、弱者は虐げられる。
惨い事はありふれ、痛めつけられ犯され殺される。
苦痛を痛みを、尊厳を奪われる。
女、子供、戦う事ができない力の弱いもの。
区別し差別し、様々な理由をつけての暴力。
恵まれた生まれにあった彼には、恵まれて豊かであったからこそ、世の中のそうした理不尽は許容できなかった。
特に、女子供にふるわれる理不尽を見聞きしただけで怒りがこみ上げる。
野蛮で愚かであるとわかっていても、怒りと殺意が膨れ上がる。
それこそ横暴であるとわかっていながら。
自己満足にすぎないと、わかっていながら。
子供の頃、若い娘が焼き殺されるという事件が頻発した。
一人、二人ではない。
理由はくだらない事だ。
結婚を断られた。
親に逆らい違う相手と一緒になろうとした。
貧しかった。
人とは違っていた。
目つきが気に入らない。
暮らす場所の利権を奪いたかった。
彼に仕える娘が一人、焼かれた。
姐やは、焼かれて苦しんだ。
不貞など犯していないというのに、父親と婚約者に生きたまま焼かれた。
世の理不尽は、誰にでも降りかかる。
そして我が物顔でまかり通るのだ。
それがさも、正義であるかのように。
生きたまま焼け爛れ、水も飲めずに溶け崩れるという惨い死を与えるのだ。
何が正しいというのか?
凶悪であったが、犯人は簡単に捕まる。
何しろ、正しいことを行ったと、どうどうと宣う輩だ。
そしてそれを許す社会は、古い慣習が優先される。
鞭打ちや苦役が、死に対する償いであった。
さらに金でその罰が免除されるという。
神はいない。
そして、人間は愚かだ。
だが、問題は何故、そのような事件が起きたかである。
親には逆らうべきではないし、力の強い男には従うべきである。
慣習により決められた者と婚姻しない者は間違いであり、同じ価値観を共有できない者は異端であるという偏見。
差別と偏見、寛容さを失った価値観。
そして、そんな考えを助長する指導者や家長の存在が原因だ。
共同体という特殊な獣人社会でも、欠陥はある。
部族連合の管理下にある故に、権力者の意向に偏り、倫理的拘束力を阻んでいた。
そのもっとも顕著な形が、氏族長婦人による共同議会の解体がある。
それまでの女性主導の社会構造を、現実的ではないとして中央王国の政治体制に会わせようとしたのだ。
まぁ、言わば女から権利を奪い取ろうとしただけだが。
発端は何だろうか?
強い女もいれば弱い女もいる。
豊かな家庭の子供もいれば、貧しい子供もいる。
頑健な男もいれば、病弱な男もいるし。
優しい人間もいれば、卑怯者もいる。
自由とは何だ?
平等とは何だ?
権利とは、義務とは?
正義とは?
考えても考えてもわからない。
共同体とはそもそも、理不尽を許さない為の社会構造だ。
理不尽を許さない共同合議を氏族の長が集まり考える。
だが、娘は焼き殺され、まるで家畜のような扱いだ。
そして過去の、ローゼンクラムの若旦那はこう考えた。
責任は誰にあるか?
長とは責任をとる者を指す。
弱い者の代わりに責任を果たし主義主張を通す者だ。
つまり、今の長は、責任を果たさない無能者だ。
今の価値観を許す支配者をすげ替える。
反抗勢力を叩き潰す。
偏狭な道徳観よりも優先すべき社会規則を敷く。
つまり、時代を逆にいくような専制を行い、自分の価値観を押しつける事にした。
理不尽と感じるなら、今を謳歌する者どもを這い蹲らせてやる。
手始めに、南領東の裕福な貴族である父親をくだした。
野蛮な暴力で下すと、姉を家長に据えた。
そしてローゼンクラムの支配地域を、更なる大きな暴力で治めた。
ローゼンクラムの拳闘士隊。
同じ理不尽に、差別に怒りを持った者で寄り集まった。
特に暴力に才能のある者を集めて、拳で問題に対処した。
それから姉を頂点として、氏族の女達を表に出した。
共同議会の復活を働きかけたのだ。
父はそれまで何かと女達の権利を奪い続けてきた。
父の妹達に権力を奪われるのをおそれていたのだ。
そして更なる上級支配層を変えるつもりでいた。
できうれば、心の芯に人として正しい価値観のある者を。
そして、理不尽な暴力に屈しないだけの力のある者を。
だが、その前に、浄化が全てを奪っていった。
今現在、南領東部はリーヌス・モルデンが大領主となっている。
浄化の唯一の功は、ロッドベインの氏族が滅んだことだ。
東部の古い上級支配者層だった彼らは、女子供を守るためだと良いながら、差別をしてきた。
そしてタンタル砦の攻防の後に、彼らは滅んだ。
そうして無駄に命を消耗した末に、女子供を焼き殺すような事だけはなくなった。
だが、...。
ローゼンクラムの、嘗ての若旦那は、思う。
世の理不尽は、それでも減らず。
女子供が虐げられている。
人が受け止められるだけの不幸以上に。
虐殺ともいえるような事が。
それに対してできる事は?
拳を振り上げるだけでいいのか?
己こそが、差別や不幸を呼び込んでいるのではないか?
驕り高ぶり、振り上げた拳は、弱者に向けられてはいないか?
..自分にはわからない。
見上げる空は曇り、夜の闇が蓋をしている。
町の外郭にて待ち受けようかと考えたが、石積みは脆く足場として利用するには古すぎた。
オービスは戦斧を抱えたまま、不動の姿勢で空を見ていた。
皆、すでに持ち場についている。
地鳴りのような音がする。
日が暮れて、町の者が家屋にこもると始まった。
何の音か。
遠雷か地面の揺れか。
耳を澄ませても、その正体はわからない。
ただ、何か重く響く音が町を囲むように聞こえる。
「地下空洞を空気が通り抜けている音ではないでしょうか。
コルテスの鉱山でも、大地と大気の温度差がでる夜間にこうした異音を聞くことがありますよ。
もちろん、このような轟音ではありませんが。
むしろ音よりも、この町の地下がどうなっているのか気になります。
採掘技術が稚拙で、大規模な地盤沈下や崩落などという事になれば、いくらあなた方でも死にますよ」
「確かに、イアドと称する採掘跡は人工的かつ無秩序に空洞があるのでしょう。
もしかしたら、町ごと崩落するか、もっと広範囲で地殻変動が起きる可能性は否定しませんよ。」
ターク公の言葉に、サーレルは小さな帳面をめくりながら答える。
「コルテスならば、そんな心配は無いのですが」
「果たして、公爵殿がお持ちの採掘技術や安全管理同等の対策がとられているか。」
半数を休め、半数が備えている。
ニルダヌスを休め、今の時間は手の空いたサーレルが公爵の側に控えていた。
町から撤退する場合、ニルダヌスには公爵を運ぶ役目があるからだ。
「一直線にツアガ公の本城まで進むという事は無理なのですか?」
「無理ではありませんが、それが目的を果たす事になるのでしょうか」
「この土地の争いに関わる事で何か得られる物があると?」
「この土地の争いこそが、答え、なのでは?
それとも公爵殿には、正しい、答え方がおありで」
「間違いを正し、ヨルガン・エルベを探しだし、新たな約定を結ぶ事」
ターク公は微かに笑った。
「では、失った約定、とは何でしょうかね」
「何とお考えですか?」
「私とランドール殿は考えました。
単に都の守護の事ではないでしょう。
今の人が滅亡するのをくい止める話とも違う。
神は、別に人など入れ替えてしまえばいいのですから。
今、生きているのは森の人や多くの人々の嘆願による慈悲にすぎない。
そして与えられた試練は、果たさずとも良いのです。
果たせば、ご褒美はもらえますが、それでも夜は来る。
では、失われたのは何でしょうか?
そして約定を結ばねばならない理由は何でしょうか?」
公爵は、目を眇め夜空を仰ぎ見た。
「人間という家畜は、欲深く。
善き行いを続けるには、相当の忍耐と努力が必要です。
そんな過ちばかりの生き物に、どんな約定が守れましょうか。
では、どんな馬鹿者でも長く続けるにはどうすればいいでしょうか。
少なくとも、戦争も人殺しも、
そしてどんな残酷な行いでも、神は腰を上げずにいた。
本当なら、姫が目を閉じられた時に、家畜は入れ替えられて終わっていたのです。
では、結構な時間、そんな馬鹿な我々が守っていた約定とは何か。
守る必要はなかったが、守ることで利益があった。
利益が失われたからこそ、理を守る事ができなかった。
中央大陸に住む人間は、利益があるから、神の掟を守ってきた。
益があるからこそ理にそう事ができた。
如何な愚か者でも、それならば従うでしょう。
では、益とは何か?」
公爵とサーレルは視界が良い町の広場、その広場を囲む建物に背を置いている。
オービスは不動を保ち、彼らの前に立っていた。
彼らの会話を聞きながら、ふと、昔の自分を思い出す。
怒り、驕り、そして自分こそが、弱者を虐げる遠因となった過去をだ。
結局、自己満足で振り上げた拳は、たくさんの死を招いた。
招いただけで、誰かを幸せにはできなかった。
故郷に一応の平安がもたらされたのは、皆、土の下になったからだ。
「私たちは、この世にとって良いと思われる場所に神は置かれた。
そして私たち自身も、良いと思う場所に国をつくり繁栄した。
では、今はどうでしょうか?」
「なるほど」
「答えはでています。
私たちの暮らしが答えです。
コルテスは一応生き残りましたが、シェルバンは終わりました。
あなた方は生き残りましたが、大勢の命を失い痛みを受けました。
西の人々は?
北は滅んでしまいましたね。
そして現状東南で、人は暮らせません。」
「なるほど」
「我々が、無意味に置かれたのではないとすると、少し道筋が見えてきます。
あなた方の生業ならば、もう、わかっているでしょう。
一番重要な場所を手にし、守った者が勝ちです。
新たな約束という規則を決める事ができます。
勝ち残った者に有利な約束ですね。
では、我々人間は何と戦うのでしょうか?
何と戦い願わねばならぬのでしょうか?」
「それが公王陛下と公爵殿の考えですか?」
「貴男とバルドルバ卿の考えも、近いのでは?
人間同士の争いを捨て置け無いのは、同じ陣営の者達が減れば負けに繋がるからでしょう。」
吹き抜ける風に公爵はあざ笑う。
「それにこのツアガ公領が封じてきたモノが首都に広がると、困る事も確か。
勝手に争い潰しあっているだけなら、勝手に死ねと思いますが。
そうもいかない。」
「何があると思いますか?」
「それこそ、もうわかっているでしょう」
それにサーレルは答えなかった。
「少なくとも、都に注がれていた水源はツアガ公が守られていた。
そして、このツアガ公領土の交通を海路のみにしたのは、水源地を守る為でしょう。
だが、それだけでは公王親族の姫と生け贄とおぼしき女達を送り出す理由にはなりません。
軍隊を送った方が安心できますよ。
では、単純に誰もが考えつくのは、モーデンをこの土地に埋めたからという理由はどうでしょうか?」
「ならばとっくに遺体は掘り起こされていたでしょうね」
「そこです」
公爵は荒れる空から目を戻すと、言った。
「愚かな男は、このツアガ公領に手を出さなかったのでしょうか?
この場所に手を出した事が全ての切っ掛けなのでは?」
その言葉にオービスが振り返る。
「暴論でしょうか?
モーデンを探し、ツアガ公の領土に手をつけた。
たぶん、それが発端です。
姫の父君である、守護者の長を殺害し、姫の母君である森の王を捕らえた。
その力は何処から持ち出したのです?
今のバルドルバ卿から神のお力を奪うと考えれば、それが如何に無謀な事かわかります。
ですが、あの愚かな男はできた。
では、その力は何処から生じたのでしょう?」
そして唇を微笑みに固定すると続けた。
「神は、罰当たり者めらの死をお望みなのではないでしょうか?」
その言葉が合図のように、空に赤黒い筋が走った。
「者共、備えよ」
オービスの声に元より潜み備えていた者達が武器を握り直す。
休んでいた者も、それにあわせて動き出した。
黒い雲間に、赤黒い色が光る。
天と地が逆になったように、黒い空が割れた。
赤黒い口が開く。
そうして天が地になり地熱で溶けた岩漿の帯を見せる。
地は天のように風が音をたてて渦を巻く。
それは異界の扉であったのか、赤黒い亀裂から黒い固まりがわいた。
無数の黒い固まりが赤黒い流れにわく。
みる間にそれはあふれ出し、夜空に広がり始めた。
モゾモゾと黒い固まりが解けると、無数の浮塵子のように空にあふれた。
異界から見れば、オルタスは天にあるのかもしれない。
生きる者に地獄をみせるが、本当はここが天の国。
人が生きる、天の国だ。
そんな感慨を覚える景色。
だが、風の音にも消せない鳴き声が広がれば、ただただ不快な感覚がわく。
ふむ、と、オービスは頷く。
害獣は駆除しなければならない。
苦しみに満ちた地獄のような世界だが、正しくあろうとする者が報われなければならない。
では、できる事をするまで。
町を覆うように広がるそれには、黒い翼があった。
それらは群を作り町の上を旋回している。
獲物を見定めようとしているのか。
「点火」
命令に町に火が回る。
石畳の道に置かれた灯火が辺りを照らす。
風が吹き付けるが炎は消えない。
勝手に町にあった炭や焚き付け、それに油を手を加えて地面にしかけてあるのだ。それがほぼ町の表層全域に配置されている。
町の建物に引火する恐れがあるが、炎にこちらがまかれなければ良いとばかりに放置だ。
薄暗い町が灯りに包まれ、目が慣れれば頭上にあふれるモノが識別できた。
黒い羽と毛に覆われた鳥だ。
赤い目、奇怪な嘴に汚れた舌。
翼は大きく胴体が短い。
そして一番奇妙奇っ怪なのは、黒い翼に覆われていない場所だ。
女だ。
顔から胸までが人の姿。
その後頭部に鳥の面がある。
下半身と両腕は鳥。
まさに異形だ。
いずれも蝋のような肌色に赤い目をしており、女の口の部分は鋸のような尖った黄色い歯をしている。
黒い羽が体を覆い、頭部は固まったような毛髪。
その毛髪から瘤のように鳥の頭が突き出ていた。
「強風の為、機械弓も精度がおちますね。
接近戦になりますか。」
サーレルの言葉に、オービスは答えない。
「では、程々に。
公爵殿も撤退の合図にだけは従って下さいね」
鳥の群が螺旋を描いて降りてくる。
「迎撃用意、三連掃射のち防御陣形」
十分に引きつけてから、最初の攻撃が始まった。
黒い渦へと火矢が放たれる。
機械弓による攻撃は、鳥に突きたつ事無く落ちた。
落ちた矢が町の建物に引火していくが、それも今回は特に消火にあたらない。
「効果はありませんか、まぁ、地下からは吹き上げていますし、空気の流れは一応大丈夫そうですね。」
魔鳥が頭上を旋回している。
建物や退避路を考慮しない燃やし方に、化け物も躊躇しているようだ。
だが、それも一時の事。
鳥は地に降り立ち、建物の屋根に石畳へと散らばる。
鳥が飛ばねば狙い撃ちできるかと思われたが、それらは二三体で寄り合わさると姿を変えた。
「女か」
オービスの呟きにサーレルが嫌そうに返した。
「女のような何かでしょう?やめてくださいよ」
腕が胴体から四本突き出している。
足も人の形になった。
「動きが早いな」
それは走り飛び、歯を爪を突き出して襲いかかってきた。
オービスの目前に一瞬にして三匹が躍り掛かってくる。
黒い固まりとなり視界を埋め尽くすと、酷い臭気に包まれた。
己が戦斧にて撫で斬るとゾリゾリと堅い岩を削るような感触がする。
「深くは斬れぬな」
手応えはあり、魔鳥が弾き飛ばされ転がる。
だが、傷は浅くすぐさま化け物は起きあがった。
ふむ、と、再び頷くと、むしゃぶりついてくる化け物の顔を殴った。
一匹、二匹、殴って殴って殴りつける。
魔鳥が恐れるようにオービスから離れた。
それに彼は戦斧を腰に戻すと、両の拳をかまえた。
ゆっくりと構えをとり腰を落とす。
そして、なめらかに動くと素早く化け物に近づいた。
グシャリという嫌な音に続いて、化け物が吹き飛ぶ。
「おっ、これはいかんな」
そういうと彼は片手で魔鳥の頭を掴み固定した。
ここまでが瞬きほどの時間。
そこからは、オービスの独壇場だ。
掴み、殴る。
潰す、折る。
殴る、殴る、殴る。
残骸が石畳に落ちる。
簡単な作業だ。
食いついてくる口を、そのまま拳で潰す。
鳥の嘴の方も叩き折る。
地に落ちたところで手足を殴り、間接で折る。
爪を立ててくる手は折り拉ぎ、数匹に集られながらも確実に殴り潰す。
「殴打の方が攻撃が通るぞ」
組み打つ仲間に声をかけるが、獣化もせずに肉弾戦で化け物を引き裂く猛者は早々いない。
皆、武器で殴打し頭部を潰す。
そうして喚き声がなくなるまで殴り潰すと石畳に投げ捨てる。
淡々とそうして処理を続けた。
暴れ回る魔鳥を押さえつけ殴り殺す。
攻撃が通じないとみるや、魔鳥達は再び距離を置いた。
屋根に壁にととりつき、じっとこちらを伺い見る。
「音が変わりましたね」
町を包む異音が変化し、ボゥボゥと規則的になった。
ボゥボゥと包み込むような妙な音に、魔鳥が首を捻る。
まるで何かを聞き分けるような仕草だ。
すると、家々の扉が開いた。
家々の扉が音をたてて開くと、町の住民たる老人が這い出てくる。
「あぁ、なるほど。趣味が悪いですね」
サーレルが笑った。
「仕方がないですね。イグナシオ達に合図します」
「待て、全てではなかろう」
オービスの言葉に、サーレルは首を振った。
「五体満足な子等がいましたか?皆、あのように」
指さした先には、奇妙な姿にされた者どもが、哀れにも何事かを言い掛けながら向かってくる。
人形に人間の骨肉が縫いつけられているという具合か。
半分が人の肉で、残りは陶器か木か?
いずれも醜い有様で、ボロボロの衣服に疎らな頭髪。
裸足の者もいれば、骨や内臓が見える者さえいた。
奇っ怪な姿の住人の中にも、少しは生きていそうな姿もあった。
だが、エンリケの見立てでは、老人達は殆どが木偶の坊。
子供も五体満足にはほど遠い有様だ。
本来の、町の住人がどれほど残っているか、地下に逃れている者もいるかもしれない。
だが、目に触れる地上の者共は、いずれも半死半生。
否、死を曲げられ魂を縫いつけられた傀儡。
そうした姿になりながらも、某かの意識が宿り、人、のように蠢き暮らす。
そして、どこまでがわかっているのかいないのか、怪奇な姿に混じり、殆ど人のままの子供達が暮らしている。
あぁ、何と何と。
「どうか、お許し下され、あれなるは子等の母にて。
どうかお許し下され」
すがりついてくる姿は、醜く、誠に、哀れである。
「皆、見えている訳では無いところが、中々にたちが悪い。
私達、カーンに近い者ほど、よく見えますが。
他の兵士達には、よほどの崩れ方をした者以外は、人にみえますからねぇ」
もちろん、下がれという言葉に下がらず、武器を取り上げようとする者に、兵士が容赦する訳もなく。
年寄りの姿を模したモノを、躊躇無く振り捨て蹴り飛ばす。
「まぁ、女には通じていないようですけれど」
ミ・アーハ・バザムは、女児を背に縛り付け牙を剥き出したままだ。
しきりに、女、女と言っていたが、幻惑は女にはかからない。
吊り下げられた遺体よりも、中で待ち受けていたモノが余りにも醜悪で、子供を手元から放さない。
女兵士が寄り固まり、目をギラギラと光らせている。
「もしかしたら、女が最初に殺られたのかもしれませんねぇ。まぁ、その成れの果てが、この化け物かどうかはわかりませんけれど」
魔鳥の死骸を片手でつり上げると、サーレルは首を傾げた。
そして何事か呟くと、死骸を放り捨てる。
「一応、子等が中にいるような場所は避けてありますよ。
中にいれば大丈夫。
早く綺麗にしないと、..も汚いと騒いでいますし。オービス?」
それに彼は唸った。
町を焼く、とは決めていた。
だが、彼の中には小さな引っかかりがあった。
不浄であったとしても、彼らは何かをしただろうか?
イグナシオならば迷わず、彼らの為と判断するだろう。
元より、スヴェンは迷わない。
モルダレオも、エンリケも、そして自分の返答を待つサーレルにしてもだ。
さまよえる魂を送り出す事は、正しい。
慈悲、だ。
だが、彼らが見ているだろう優しい嘘を、壊す事が悲しい。
無論、偽りを壊す事をためらうのは、間違っているとわかっている。
己の正しさだけを優先した頃も、今では間違っているとわかっている。
そんなオービスを見やり、サーレルは微笑んだ。
そして、放火の合図を送る。
あぁ、と、それを見、オービスは頭を振る。
迷いこそ、間違いなのだ。
火柱があがる。
町のそこここで、黄金に輝く火柱があがると、熱風が吹き抜ける。
一瞬にして、町に炎の輪が広がっていた。
昼日中のように明るくなった町は、炎と風が渦を巻いて、それだけで人を死に至らしめそうだ。
だが、ここにどれほどの人間がいるというのか。
我々以外に、人はいるのか?
魔鳥は再び兵士に殺到し、傀儡達がしがみついてくる。
地獄のようだ。
焼き払うのが、やはり、慈悲か?
オービスは拳をふるいながら、胸に広がる物を吟味する。
己の甘さなのか?
今更、何をためらうのだ?
すると、彼の脳裏にある姿がよぎる。
白い光。
何故か、自分の心の中がおののき、身を縮める。
すると、届いた。
「誰だ?」
視界は変わらず、魑魅魍魎と兵士と焼ける町が見えていた。
だが、彼の耳には確かに聞こえた。
(タスケテ)
白い光。
(コワイ、イタイ、クルシイ)
白い光が脳裏に溢れる。
「どうしました?」
(イタイ、オカアチャン、イタイ)
黒々とした影、炎の明るさ、腐った臭いのする風。
周りで戦う兵士達、仲間の姿、己の汚れた拳。
(オトウチャン、タスケテ)
オービスは大きく吠えると、争う場を走り抜けた。
仲間を兵士を魔物を押し退け、炎を潜り、邪魔な建物を打ち崩す。
吠え暴れ、走り、渦巻く炎の中に、子等を見た。
半死半生の五人の子等。
それを引きずる化け物のような女。
オービスは女に襲いかかった。
腐った姿に、腸から長い管が何処かへ続いている。
地獄を徘徊する亡者のような姿の女が、子等を縛り家から引きずり出そうとしていた。
女を殴り飛ばすべく拳を振り上げる。
すると、女の顔が四つに割れ、ガバリと広がると食いついてくる。
そうして手甲ごと飲まれると、金属をカジる鈍く嫌な音がした。
肉が焼ける感触に、手を無理矢理引き抜く。
と、少し溶けている。
女の髪をもう片方で掴もうとするが、餓鬼のようにやせ細っているはずの両腕は、オービスの力をも押し戻した。
「お前は何者だ?」
子等から引きはがそうとするも、その縄目は女の腹に続いていた。
女を滅するには力がいる。
オービスは擬態を解くと戦斧を構えた。
女の割れた頭部から、奇妙な笑い声が響く。
ケェケェと笑うと、女が言った。
(ヒサカタブリ、ノ、ダ
ダガ、オマエタチ、オマエタチノセイ、ヨブ、タリナイ)
再び笑うと、化け物は続けた。
(オマエ、オマエタチ、シネ)
オービスは戦斧を斬りあげた。
下から刃を一閃すると、子等を縛る腸を断ち切る。
ぎゃぁぎゃぁと喚く化け物の体が泳ぐように後ずさった。
(オカアチャン)
子等が泣く。
異形に縋るように、子供等は泣きだしオービスを恐れた。
あぁ、と、彼は悟る。
子等には、これが母親に見えるのだ。
何と、何と惨い。
再び子等に近寄ろうとする化け物に、オービスは武器を構える。
(オカアチャンヲ、コロサナイデ)
子等は、異形との間に立つオービスに言う。
そうして、オービスの足に、獣の足に縋りついた。
(コロサナイデ!)
半死半生の子等を見て、笑う化け物を見て、オービスは動きを止めた。
何を迷うことがあろうか?
彼らは死んでいるも同然。
死こそが慈悲への唯一神の元へと辿りつく道ではないか?
これまでも、幾多の命を奪ってきたではないか?
正義だなんだと言っていた、あの若い頃からずっとずっと罪を犯し続けてきたではないか?
何を迷うことがあろうか?
(オトウチャン、コロサナイデ、オイラ、アヤマル、イイコニナルヨ)
だが、彼は迷い、迷った。
らしくない動揺が隙を呼ぶ。
異形は腸のような黒い縄をオービスに巻き付けると締め上げた。
そうして後ろの子供らに近寄る。
(カエロウ、カエロウ、
タリナイカラ、カエロウ、
アタタカイ、バショ、ニ、カエロウ)
そういうと手近の子供を頭から食った。
一人食べると、腹から出ている物が増えた。
もう一人食べると、オービスの与えた傷が癒えた。
「ヤメロ!」
食えない部分を吐き出すと異形は、ケェケェと笑った。
オービスは目の前が赤くなるのがわかった。
怒りと己への嫌悪に唸る。
そうして我を忘れると、絡みつく腸を引きちぎった。
そうして怒りのまま、異形を殺そうと武器を振り上げる。
すると、拘束された子供が目の前に突き出された。
振り下ろす動きが思わず鈍る。
何故?
と、問われてもオービスにはわからない。
もう、半ば死んでいるような子供でも、この時だけは殺せないと思った。
今までの彼、あの光りを見る前までの、彼ならば容易い事だったのに。
今のローゼンクラムの旦那には、できない。
人の命を魂を救おうとし、救った者を見た後には、無理だった。
(ゴメンナサイ)
鈍い音が聞こえた。
おや?
と、オービスは首を捻る。
(オジチャン、オジチャン、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ!)
異物と融合した子供の姿。
しかし、子供は確かに魂を宿しているのか、オービスを見て泣いている。
干した無花果をくれた子供か?
ドス、ドス、ブスッ
と、鈍く、それでいて湿った音が三度した。
振り上げた武器、笑う異形、泣く子供、そして下を見る。
半ば獣となった己の胸に大穴があいていた。
赤黒い血が吹き出すよりも、ドシャリと下に落ちた。
心の臓が抉り潰され、穴となっていた。
あぁ、と、オービスは思った。
あぁ、ここで終わりだ。
だが..
戦斧を振り抜くと、異形の首を跳ね落とす。
そうして己を抉った黒い腸どもつかみ取り引きちぎる。
ブチブチと引きちぎり、それでも手を伸ばしてくる異形を殴りつける。
殴り、殴っていく内に、オービスは目が見えなくなっていく。
あぁ、終わりだ。
すまなんだ、本当に、すまなんだ。
誰に詫びようと言うのか、自分でもわからない。
暗い闇の中へ落ちていく。
実に奇妙な案配だ。
そよりと風が吹いている。
オービスは横たわっていた。
四肢を投げ出し、仰向けで寝ている。
顔の横では新緑の緑が揺れ、陽射しは暖かだ。
だが、不思議なことに、その他は視界に入らない。
ただ、明るく気持ちの良い場所にいる事だけがわかっていた。
すると、何処かから微かに軽い音がした。
サクサクと草を踏みしめる足音だ。
その足音は、彼の足下から頭の方へと周り、右側で止まった。
オービスは頭を傾ける。
すると足が見えた。
何故か、それから上を見ることができない。
白い靴に可愛らしい意匠の靴下が見える。
女の子のようだ。
すると、女の子はしゃがんだ。
何故わかるかというと、これまた可愛らしい服が見えたからだ。
そしてオービスの胸のところに小さな手を置くと、ぽんぽんと叩いた。
軽く、小さな手がポンポンと叩き最後に撫でた。
(おじちゃん、ごめん)
何をあやまる?
(痛かったね、ごめんね。)
何をあやまるのだ?
不甲斐ない、大人が愚かなのだ!
(皆、捕まってるんだ。
だから、逃げられない。
お父ちゃんは、下で死んだ。
お母ちゃんは、食べられちゃったんだ。
後は、逃げられなくて。
でも、もしかしたら、まだ、少し残ってるかもしれないから。
皆で、お願いしてみるよ)
何を?
(神様)
神?
(おじちゃん、神様、知らないの?)
神。
(神様は、二つのお顔をお持ちなんだよ。
だから、おじちゃんも、お願いしなきゃ。)
神なぞに、何を。
(おじちゃん、なら、できるよ。
きっとできる。
だから、おいら達も、お願いするよ)
傍らの、子供は立ち上がる。
そしてオービスを残して歩き去っていった。
サクサクと草を踏みしめて。
すると、不意に夜が辺りに満ちた。
相変わらず、体は投げ出されたまま、視界は狭い。
それでも夜露が体を濡らし、星が輝くのがわかった。
再び、サクサクと誰かが歩いてくる。
少し、変わった音の調子だ。
何かを引きずっているような音もする。
音の主は足下で止まると、オービスに言った。
(ナニガ、ホシイ?)
何もいらん、お前は誰だ?
(ネガイ、ネガワレタモノナラバ、ノベヨ)
立ち去れ、無用だ。
(イラヌカ?
イマナラバ、ハザマノ、センタクノ、マ、ナラバ
ナンデモ、カナエラレルゾ
タトエバ、ヨミガエルコトモダ!)
「くだらん、死とは、戻りのない一本道。
無様に死ぬのは、己が定めよ。
子も救えぬ馬鹿者に、命、汚く生き返れと言うか?
子が助かるならまだしも、己が命だけ戻ったところで何とする?
神を名乗る悪霊め、
地獄の底に戻るがいい!」
オービスの答えに、それは足下で笑った。
笑いながら気配が変わる。
それはムクムクと膨れ上がり、見えぬオービスにも分かるほど巨大な気配に変化した。
(デハ、アタエヨウ!
オンシノ、メハ、ミエル!
オンシノ、ミミハ、キコエル!
オンシノ、テハ、ツカミトルダロウ!
オンシノ、アシハ、ハヤガケシ、カナラズヤ、タドリツクダロウ!)
喚く声は、男女の判別ができなかった。
(ダガ、イチバンノモノハ、チガウ。
オンシガ、ヒトツウバエバ、ヒトツアタエラレル。
オンシガ、ヒトツ、ササゲレバ、ヒトツ、スクワレル)
その意味が分からず、オービスは瞬きをしてから、無理矢理頭を上げ、足下を確かめようとした。
(ナラヌ、ワレハ、シ、ナリ。
ミテハ、ナラヌ。
コンジョウニ、マダ、トドマリタイノナラバ、ミテハナラヌ!
オンシハ、オサナゴニヨリ、トドメラレタ、
ワレハ、ウバウガ、アタエルモノナリ
オサナゴヲウバウガ、アタエルモノナリ
ユエニ、ネガワレ
マタ、コトワリヲツカサドルオカタノ、クチキキニヨリ
ココニ、ケンゲンスル
ワレ、シ、ト、エキ、ヲツカサドル、ヤクシンナリ!)
なぜ、そのような神が?
(コノチニテ、マツラレルモノナリ
ヤクソクハ、タガエラレ、ワレ、チカラヲ、ウシナウ、
オサナキ、イノチ、ムヨウノ、シ、オウコウス
ワレ、ツカサドルオカタヨリ、ネガワレル
イマ、ヒトトキノ、ケンゲンナリ
ヨク、キクノダ、
オンシハ、ワレノ、チカラヲ、ワケアタエル、
ヨク、ヨク、キキ、ワキマエヨ
ヒトツ、ワレニオサメレバ
ヒトツ、ワレハメイドウヲフサグ)
冥道とな?
(コトワリニ、サカラウコトナク、コノ、ノリハマモラレル
ヒトツ、ワレニ、オサメ
ワレ、ヒトツヲ、メイドウニオクル
ワレ、オクリ、トドメタル、コヲ、カエス)
子を返す?
(ナヲ、ササゲヨ、
ワレ、ツラナルモノナリ、
ジヒニテ、オンシハ、アユムガヨイ
イカガスルカヤ?)
白い光りだ。
闇にさす白い光りに包まれる。
小さな娘が起こした光景と同じ、光りが見えた。
「何をもって邪悪とする?
殺生を繰り返す、今までと何処が違う?」
(コタエハ、オマエニ、カエサレル、カナラズ、カエサレルノダ)
意味を考え、オービスは驚愕した。
「子は、無事にか?」
(ヘンヨウハ、フセゲヌ、ダガ、イキラレヨウ)
「痛み無く、健やかでなければならぬ!」
それに足下の者は、笑った。
膨れ上がっていた気配が小さくなる。
(ナヲ、ササゲヨ、グシャメ!サスレバ、アタエヨウ
オンシガ、イノチ、ツキルマデ!
ツキテ、ワレニ、トラワレルマデ!)
オービスは、頭を地に戻した。
すると、視界が開けた。
夜空から雪が降ってくる。
深々と白い粉雪が渦を巻いて、とても美しい。
そうして、静かな白い雪を受けながら、彼は笑った。
「名を捧げよう。
一人でも、子供らが救われるなら。
子供らしく、我が儘をいえるような、世の中になるなら。
この愚かな命を捧げよう。
例え、魔物になろうとも、儂は」
どこかで、子供達の忍び笑いが聞こえた。
そして..
むくりとオービスは起きあがった。
黒煙をあげて町が燃えている。
穴のあいた場所には肉が盛り上がりふさがっている。
目の前には化け物の残骸。
遠くでは仲間が燃やし戦う音が聞こえた。
だが、オービスの周りだけは静かだ。
「どうやら、三人分のようだな。ふむ」
早速、疫神のご利益が返ったようで、彼の懐には子供が三人抱えられていた。
件の干し無花果の子供もいる。
三人とも、薄汚れていたが、普通の子供に戻っていた。
「これは、楽しみだ。
化け物を、狩るのが楽しみだぞ」
オービスは呟くと立ち上がる。
眠る子供を腕に抱え、笑う。
そうして、上機嫌で歩き出した。