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冬の狼  作者: CANDY
喪失の章
30/355

Act0 グリモアの主 前編

 ACT0


 村を出た時は、帰って来る事だけを願ってた。

 だけど戦地では、何も考えなくなる。

 何も考えない。

 だから、時々、キツイ冗談で紛らわす。



 俺達は、死んだ事にも気がつかないんじゃないか?



 中央大陸から海を挟んで南下したところに、ジグという島がある。

 海流の関係から、戦線維持の為の重要な補給拠点と位置づけられている。

 だから、当初からジグを含む海上と辺りの群島は激戦地だった。

 どこと戦っていたかって?

 その時々で敵対する勢力だ。

 俺達は、特に酷い場所に放り込まれた。

 俺達を率いている男が、中央の貴族に疎まれていたからだ。

 戦闘が激化して、ジグは無人になっていた。

 周りを囲む海には様々な勢力が海戦をしていたし、群島の殆どが中央大陸の軍勢と敵対する勢力が占領していた。

 そこへ、中央大陸の旗をジグに立てていろって置き去りにされたんだ。

 つまり、敵のど真ん中に、丸腰で投げ捨てられたんだ。

 男に与えられた兵は、俺達のような若造ばかりだ。碌々訓練もされていない。

 どう戦うか以前に、島で食料を確保し、生きる事も難しい状況だった。

 どんな島かって?

 小さな島だよ。

 船が停泊できる入り江は東に一つ。島の中央は茨と低木が茂る森になっている。

 食べられる植物も動物もいない。虫が多かったな。

 真水は砦の井戸だけ、それも枯れかかっていた。

 砦は森の側の丘の上にあって、小さな石造りの物だった。戦うというより灯台の役目をしていたから、船の修理用の建材と少量の備蓄食糧があっただけだ。

 砦は物見棟があって、そこから島全体が見渡せた。

 すごい景色だったよ。

 灰色の空に黒い雲がいつも流れていた。海も暗い緑色で、激しくうねっていた。

 この海域のあらゆる潮流がぶつかる場所で、島が渦潮の中心みたいに見えた。

 だから、ジグに近づくには入り江の方向以外だと座礁するんだ。

 どこの海に抜けるにしても、このジグのまわりの海流に乗ることになる。だから、このジグが誰の物かが重要なんだ。

 ジグを囲む群島は、このジグが中心地になるし、海の流れもここに集約する。

 だから、ここを占領し要塞化する。

 できたらの話だ。

 できると思っているのは、ジグに来たことがない人間だけだろう。

 数日と保たずに皆死んだよ。

 波のように押し寄せる敵が、それぞれに違う勢力だったから、それで全滅しなかっただけだ。

 敵達がお互いに潰し合いをしていたから、俺達は後回しにされただけだ。

 日々やせ衰えて、ジグの風土病に蝕まれて、見渡す限り転がる腐肉の山に晒されて、俺達は考えない事だけが逃げ場所だった。

 恐ろしい?

 何も感じられなかったよ。

 食料が尽きれば、手近な肉を焼いたし、水がなければ、血を啜ったよ。

 何にも感じないのに、生きるのには貪欲だったな。

 でも、とうとう俺達は追いつめられた。

 群島の支配勢力が決まった。

 ジグの砦から見える海には、上陸しようと船が集まりだしていた。

 上陸できる入り江は一つだったから、本来はそこで迎え撃つんだが、そんな兵力は残っていなかった。

 歩ける者なんて俺を含めて数人だ。それも空腹で役に立たない。

 敵もわかっていたんだろうな。

 ゆっくりしたもんだったよ。

 俺達は何にも考えない。

 でも、本当は考えていた。


 死にたくなかった。


 あの晩の事は、今でもはっきり覚えてる。吹く風や空の星だって思い出せる。

 砦からは入り江が一望できる。

 俺達は、いつ敵が上陸してくるかと砦から見ていた。

 静かだった。

 沢山の船、上陸船、散歩気分だろう兵士の持つ灯火が見えた。

 彼らは、すでに死んだも同然の砦など、攻める必要もないと思っている。多分、夜明けと共に進行してくるだろう。下手な労力は使わない筈だ。

 ぼんやりとしていると、歌が聞こえた。

 小声で、旋律だけを口にしている。

 不自然な曲調で、一音ずれているのか聞いていると不愉快な気持ちになった。

 誰だろう、女の声にも聞こえる。

 俺は歌っている奴を捜した。

 静かな夜に歌声はいらない。だが、俺がまわりに聞いても、誰も分からない。聞こえないと言うのだ。

 砦の中を捜していると、歌が男の部屋から聞こえているのが分かった。

 俺は、部屋に入った。

 もう、死ぬんだから、無礼も何もない。ともかく、歌を止めたかった。

 男の部屋は冷えていた。

 薄暗い部屋からは、海とは逆にジグの中央に茂る森が見えた。

 そして、男は窓辺に椅子を置いて座っていた。

 男は森を見つめたまま、静かに本を開いていた。

 男の世界は静かで、砦の中の地獄が嘘のようだった。

 俺は歌を止めようと、足を踏み入れたのに、動けなかった。

 歌は相変わらず続き、この部屋では両手で耳を覆わねば苦痛になるほどの絶叫だったからだ。

 すると、男が顔を上げた。

 青白い顔には微笑みがあった。

 そうして、こう言ったんだ。




 まっていたよ




 戸惑う俺を見て、男は本を閉じた。

 すると、歌が静まり、自分の吐息だけが聞こえた。




 時間がかかってしまったけれど、ちゃんと側に来てくれた。




 男はそう言って、森を見た。

 群青色の夜空に、黒い森の影が聳えている。そして、砦から入り江まで続く、灰色の荒れた大地は星の光に照らされていた。

 すると、森が動いた。

 黒い影が灰色の大地に染みだしたように広がる。

 ぞわぞわと蠢き、それは森からあふれ出した。

 森が動いているのではない。

 黒い絨毯がジグの塩で荒れた土地を覆っていく。

 夜目にはそれが何か判別できなかった。

 拳ほどの大きさの物が、視界一杯に蠢いている。

 蝗や増えすぎた害獣の群のように、それはキイキイ喚いていた。


  俺は幻覚を見ているのだと思った。

 手招きする男の側に立ち、俺は窓辺から離れて部屋の外へ出た。

 そして、砦の屋上に出ると、黒い絨毯の行き先を捜した。

 黒いうねりは、奇っ怪な鳴き声を纏い、入り江に向かう。

 灯火が揺れる。

 人への備えはしていたが、あの異形の群に戸惑っているのだ。

 あっという間に、入り江の灯火が消えていく。

 闇が広がり順々に灯りが消えていく。

 不意に風が吹いたような気がした。

 生臭い風だ。

 黒いうねりは、波打ち際で澱む。それも一瞬で、あっという間に水に溶け込む。

 俺は、黒いモノが通り過ぎた大地に目を向けた。

 生き物が通れば、某かの痕跡があるはずだ。

 しかし、足跡は夜目には見えず、砦の屋上からは静かな世界があるだけだった。

 すると、空気が震えた。

 帆船の一つから炎が上がっている。黒いうねりが船にたどり着いたのだ。

 炎に照らされて、入り江に停泊する船の上が見えた。

 逃げまどう人に黒いモノが集る。

 すると、黒いモノに覆われた人は次々と頽れた。

 火柱が次々と上がり、人は海へと飛び降りる。しかし、黒いモノは海の中にもいるのか、もがき苦しむモノを海中に引きずり込んでいた。



 飢えたる者の眷属だ



 男は、俺に説明しているようだった。

 頻りに、自分の正しさを説いていた。

 何の正しさかって?

 男が信じる神の正しさだよ。だけど、俺もその時は正しいと思ったんだ。

 明け方まで見ていた。

 男は俺に小さな鈴を渡した。

 小さな銀の鈴だ。

 花の形になっている。

 掌で鳴らすと、チリンと小さく響く。

 すると、悪夢のような声と臭いを纏った飢えたる者の眷属が動きを止めた。

 チリンと鳴らすと、悲しいという感情が湧いた。

 チリン、チリンと鳴らし続けた。

 やがて、入り江に朝陽が差し込むと、船の残骸や入り江に残る死骸が見えた。

 俺の隣で、男が本を抱えて笑っていた。

 嬉しそうに、楽しそうに、笑っていた。

 その時だ。

 声がまた、したんだ。







 マッテイタヨ


 俺は男が言ったんだと思った。

 だけど、今度の声は女だった。

 囁くような声であざ笑うように。

 俺がぞっとしていると、男は頻りに頷いて笑っていた。

 ジグの野戦と言われているのは、本当はこんなところだ。あの時ジグに集まっていた敵船は全て燃え落ちていた。

本来なら、彼らは朝方ジグに上陸して占領戦の勝利を祝うだけだった。それが異形の何かに焼かれ喰われたのだ。

あぁ、残った死体は骨だけだったよ。綺麗さっぱり喰われていた。

 敵方の主戦力が一晩で消えた。それに敵が対応する前に中央からやっと補給と後続の兵士が投入された。

 彼らは、俺達が死んだ頃合いに就くようにきたのだ。だが、結果はこちらは生き残り、敵はその戦力を大幅に低下させ、勝利は手に入れたも同然だ。


 砦の生き残りは皆口をつぐんだ。



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