ACT264 挿話 ヤサシイ幻想
[ヤサシイ幻想]
朝、目が覚めると問いかける。
ひび割れた鏡の中。
いつも問いかける。
俺は、いつも問いかける。
知っているんだろう?
だから、奴は笑っている。
俺は、いつも問いかける。
頭の中の俺に、問いかける。
お前は楽しんでいるんだ。
お前は、嬉しいんだろう?
俺は、いつも問いかける。
俺の中にいる奴に。
人殺し、人殺し、ヒトゴロシ...
笑顔の俺が、口を開く。
あぁ、俺は...
偽装した街。
偽装した住人。
死臭と血臭を消し、虫を追い払う。
腐れかけた女。
吊された死体。
灰色に黒。
疫病の兆候は無い。
井戸水は清浄、子供の血液には多少の寄生虫有りだが許容範囲。
糞便は浄化槽があり、衛生状態も普通。
ただし、栄養状態が良いのが疑問だった。
傷を負ったが前よりも鼻が利くようになったサーレル曰く、備蓄等の施設が見あたらない。
家禽も耕地も見あたらない。
住人の住居に忍び込んだが、数日分の食料があるだけで、乾物や貯蔵庫らしき物が無いという。
つまり?
「ここは仮の住まいなんだろう。書き割りと同じだ。劇場の舞台と同じで、中身は無い。
年寄りと戦力外の子供が見せかけで置かれているんだ。
気を抜くんじゃねぇぞ。
本当は、あの死体が境界線だ。
化かされて、蛆を喰わされる事になるぞ」
と、カーンが言う。
実に楽しそうだ。
その隣でサーレルが腹を押さえている。
「笑えませんよ。で、本体は何処だと思います?」
「下か、街を観察できる上だ」
それにオービスが今夜の寝床を整え終わったらしく、暗い表情でやってくる。
「本当は、スヴェンとオービスで下に行くかと思ったが、夜襲の規模は思うより大きな筈だ。
街丸ごと餌にして待ちかまえているんだ、存分に遊べるぞ。
それに無事に此方が持ちこたえれば、今度は街の奴らが俺達を喰らいに来るだろう。
まぁ予想だが、グリモアが笑いっぱなしだ。
だからこっちも手加減無用、殲滅で行け。
逆に押されるようなら、街ごと吹き飛ばせ」
「仕掛けにパトリッシュとユベルをサーレルに同行させた。当分はこの組み合わせで事に当たらせるが、いいか?」
「かまわん」
オービスはゴソゴソと懐から包みを取り出すと続けた。
「子供らにな、もらった。
内緒だそうだ。
イグナシオの毛皮がよほど気に入ったらしくてな」
その手の中には、乾燥した無花果の実があった。
「一人一つだ。
嘘か本当か、魔除けだそうだ」
手の平にコロリと実が渡される。
「子供は、楽にな」
「そうならぬかも知れぬし、こればかりは致し方なかろう」
モルダレオは、それでも干した果実を懐に入れた。
自分たち義兄弟は、昔からそうだった。
迷信と呼ばれる事が、時に現実になる事を肌で感じてきたのだ。
如何に、物質の反応や変化を研究しようとも、わからない事もあるし、わからない故に救われている事もある。
手のひらの無花果を見ながら、笑う。
どんなに知識をため込もうと、本質は、科学的根拠に乏しい事象を頼りにしている。
そうしなければ生きていけないほど、自分は矮小な人間だからだ。
「診察して、わかったか?」
カーンの瞳が光る。
藍色の蔦が模様のように虹彩を縁取る。
娘と同じ、不思議を秘めた静かな眼差しだ。
「アレが何であるのか、わかりませんでした」
自分の答えに、カーンはニヤッと笑った。
笑いの意味はわかる。
目が慣れれば、すぐに気がついた。
「見えるならよし、一緒につけていた奴らは見えたか?」
「何かがおかしい事だけは感じたようです。」
「上等上等、ともかくも、人間だけは助けても良いが、無理ならあきらめろ。スヴェンにも言っておけよ。美人にすがりつかれても、騙されるんじゃねぇとな」
最後はオービスに向けて言っている。
言われた方は、苦笑していた。
話題のスヴェンは食事の後にイグナシオともども寝ている。
夜襲に備えて、回復をはかっているのだ。
無花果をしまうと深く息を吸い込む。
不意に足下の地面に沈むような感じを覚えて目を閉じる。
楽しいだろう?
時々、声が聞こえる。
幻の声だ。
あの夜から聞こえる声は、徐々に耳元で怒鳴りつけるように大きくなっていた。
楽しんで、る、んだよ、ヒトデナシ...
白い天井に黒いシミが見えた。
点々と雨粒のように、白い円蓋がまだらになる。
それが何であるかを認識する前に、傍らの男の襟首を掴んでいた。
掴んで穴に投げ入れ、部下を蹴り飛ばす。
すると、四方の砂が吹き上がった。
(楽しいか?)
砂は渦を巻き辺りを囲む。
(弱い者をあざ笑い、間違いを蔑んで)
光りは消え、ドロリとした闇が押し寄せる。
(楽しいんだろう?)
それは一瞬で体を押し包む。
岩に叩きつけられたような衝撃。
グシャリ
と、自分が潰れる音を聞いた。
(間違うことなど無い、ご立派な)
知っていたさ。
知っていたからこそ、黙っていた。
例えば、可愛がっている子供が、自分の子で無い事も。
おとなしい妻の、嘘も。
知らないと思われている事の方が、不思議だった。
まぁお互いに相手を憐れみ馬鹿にしていたのだから、同じ穴の狢だ。
彼女は結局、捨てられた事を認められず。
弟は、弱さを認められず。
自分は、間違いを認められず。
皆、誰かを蔑んで自分を保っていた。
本当に可哀想なのは、子供だ。
母親も本当の父親も、あの子を見なかった。
もちろん、自分もだ。
如何に可愛がろうと、それは他人の子供に対するもので、甥への愛情に留まる。
子供は、弟の子供だ。
そしてその母親は、嘘をついたまま。
バレないと思ったのだろう。
弟は弟で、彼女を捨て別の女の所で死んでしまった。
まったく、誰がバレないと考える?
それほど自分はお目出度い奴だと?
転がり込んだ女の所で、獣人をも殺すような薬を打ちすぎて死んだ弟の後始末をしたのは誰だと思う。
その女の口を文字通り塞いだのは誰だ。
そして許嫁としての立場を自ら放棄した女の両親に、弟の不名誉な死に関しては沈黙しろと脅したのは。
まだ、嫁ぐ先の決まっていない妹たちに迷惑がかからないようにと、薬を与えた者どもを始末してまわったのは、誰だと思うのだ?
兄弟の子供の名付けならば、誰も気がつかないとでも思ったのだろうか?
神をも騙せると思ったのか?
モルダレオは、女を始末して子供だけ受け取れと言った。
最初、それで良いかとも思った。
だが何処かで、それでは罰にはならぬと考えていた。
嘘つきに相応しい人生を与えなくてはと。
(誰も得にならぬだろうに。
兄弟、お前の人生を費やすほどの事か?)
毎朝、鏡の前で笑顔をつくる。
ご立派な家長の顔。
後ろ暗い事など何一つ無い、実に穏やかな仮面。
妻子に優しく、仕事で人に施し、部族の争いを調停する。
もちろん、そんな茶番を信じているのは、本当に馬鹿な奴だけだ。
部族の長を支える者として、雑草は刈り取り塵は焼き払う。
露払いをする者が、盆暗だと考えるようなら、それこそ本能が壊れている。
義理の父母となった者は、彼女を避けるようになった。
氏族の女達は、彼女を嫌った。
そして部族の女達は、憐れんだ。
他人から見た方が、本質がよく見えたのだろう。
賢く立ち回ったと思っているだけにあわれだと。
確かにそれは己の娯楽だった。
決して彼女を粗略には扱わず。
優しく穏やかに、毎日、暮らす。
表面だけの茶番劇。
息を吸うより簡単だ。
塵くず程の価値もない、嘘つきな女に価値は無い。
ただただ、勘違いして己の嘘に押しつぶされて生きていく。
いつ、その嘘がバレるかと、毎日毎日恐れて生きていけばいい。
この趣味の悪い遊びを、誰も咎めなかった。
自分は飢えさせず、生かし庇護に置いたのだ。
逃げ道も用意してある。
正直に白状すれば良いだけだ。
許すかどうかは別にして。
(賢く立派、公平で忠実なアンタには分からない)
と、言われた事がある。
(親父に信頼され、メルロスの主に頼られるアンタには、出来損ないの気持ちなんてわからない)
事実、その恨みがましい視線が理解できないと思った。
ろくに鍛錬も勉学にも努力せず、与えられる課題を放棄し、重圧を避け、楽な選択ばかりする。
自分以外の誰かに責任を投げつける。
(だが、アンタより俺は自由だ)
あぁ可笑しい。
母親に金の無心に来た時の言葉だ。
殴りつけて這い蹲らせると、金を取り上げる。
そして弟の口から出る、言い訳を聞きながら、自分も理解する。
モルダレオよりも血の繋がった弟の方が理解できないと。
だから、何も言い返さなかった。
お前が問題を起こす度に、金の用意をしているのは誰か。
敵対する者への隙になる前に始末しろと言う父の意見を押しとどめている事は無駄なのか?
言葉を交わす前に、心の中で結論が出てしまう。
弟というだけで、価値のない者だと。
自分の視線に何かを悟ったのか、この口論から弟はコソコソとくだらないことを始めた。
彼女に、兄の許嫁に手をつけたのも、不法な薬物に手をだして、底の浅い計略に自らかかって死んだのも、全て。
(ご立派、ご立派、いつもアンタは正しいんだ。
正しくて、間違わない。
だから、頭の悪い奴を馬鹿にしているんだ。
口に出さないだけで、アンタも他の奴らと同じなんだよ。
弱い者を虐めるのが好きなんだ。
だが、俺は少なくとも、誰かに使われる必要もなく、頭を下げる必要もない。
俺は、自由なんだ。)
何と答えたか覚えている。
死ぬ少し前だ。
一度、連れ戻そうとした時に、こう言った。
自由と言うなら、一人で生きろ。
都合が悪くなった時だけ、頼ってくるな。
働くことをしないのは、自由だが。
働いている者を馬鹿にして、働かない事の理由にするな。
氏族の者に金の無心をするな。
妹達の婚家に顔を出し、相手の家族から無心をするな。
自由なんだろう?
そんなに我がブランドの氏族を嫌い、メルロスの部族を嫌うなら、自由に出て行けばいい。
お前は自由なんだからな。
(俺を見捨てるのか?)
俺は笑った。
笑いが止まらなかった。
(兄貴、俺を見捨てるのか?)
金だけくれ?
自由にさせろ?
見捨てるのか?
頭を指でさして、俺は笑っていた。
お前は自由で、お前こそ、俺達を見捨てるんだろう?
誰が何を捨てるんだ?
お前こそ、ご立派で、俺のように全てを縛られて生きていないんだろう?
だから、自由にすればいい。
俺は理解できない。
お前の言葉の意味がわからない。
如何に、俺達が双子であろうと。
お前は俺ではない。
そして、俺もお前ではない。
だから、俺の人生は俺自身で責任を持つ。
お前も、お前の人生を、自分で生きればいい。
鏡に問いかける。
空虚な朝の光りに照らされながら。
ひび割れた鏡の中で、俺は笑う。
時に、それは死んだ誰かになり、失った妻と子になる。
皆、恨みがましい目で言う。
(ご立派で正しいけれど、アンタには血も涙もないんだよ)
ゴリ..ガリッ、ゴリゴリ..
それでも、この悲しみと虚しさは、どこからわいてくるのだろうか?
裏切ったのは相手だというのに、自分に残るのは...。
(私、本当の事が知りたいの)
俺もだ。
(母さんの事、父さんの事、何でこんな事になったのか、知りたいの)
知って、苦しみが増したなら?
(知らずに終わる方が、イヤ)
そうだな。
そうだ。
(大丈夫?貴方に死なれると困る)
そうか。
(何かあった?)
何も。
ただ..
(イヤな事を思い出すんでしょ?
昔あった失敗とか、失言で落ち込むの。
私もある。
っていうか、私の場合、皆、嫌われてたからなぁ)
なぜ、お前が出てくる?
鏡の向こう側で、思いもよらぬ姿が答える。
(何故?これ夢でしょ。
夢じゃなかったら、こんな普通に会話してないし。
夢だからいいよね、馴れ馴れしぃくても怒らないでよ。
あぁ手紙、読んだ?
何かね、アッシュガルドで騒ぎがあったみたい。
もしかしたら、砦ごと焼却かも。
だからね、巫女様と一緒に)
夢か、あぁ夢か。
小煩い娘の声が耳元でする。
恨みがましい声ではない。
(ほら、やっぱり何かあったんでしょ。
いつもより、怖い顔だよ。
まぁいつも怖いけど)
そうか。
(別に、そんな落ち込まないでよ)
落ち込んでなどいない。
(顔、怖いけど、貴方は優しいからね。まぁ他の男に比べたらだけど。
そうそう夢だから聞いちゃうけど、お祖父ちゃん元気にしてる?)
..痛い。
(えっ?)
声にならないほどの激痛を覚える。
(何?)
逃げろ。
(ねぇ、どうしたの?ダメ、何、アレ、夢だよね。ヤダヤダ、やめて。
食べちゃダメ、やめて)
ビミィーネン、逃げろ。
(ヤダヤダ、皆、死んじゃうの?)
自分は間違ったのだ。
(ひとりぼっちは、イヤなの)
大切な事を取り違えたのだ。
(ねぇ、死なないで)
日常が終わり、誰も彼も死んでしまえば、残るのは剥き出しの本音だけ。
ご立派でも公平でもない、ただの男の本音だ。
普通の男の、何とも情けない本音。
何をどう言い繕っても、自分は自尊心が高すぎる愚か者。
特に、父と呼んでくれた幼い子供に、自分は申し訳なく。
萎れた花のような妻にも申し訳なく。
そして、あのような我が儘でどうしようもない弟にしてしまったのも、多分、自分のせいなのだ。
(目を覚ませばいいのよ、早く、はやく起きて。
私も起きる。
..ってどう起きるのよぉ。
ねぇ、ちょっと何、オジサン、何落ち込んでるの、腕、食べられてるし、もう、イヤ、こんな夢、イヤ!)
違う。
(何?)
ビミィーネン、違う。
(だから、何?)
オジサン、は、止せ。
(...)
何故か、妙に現実的な夢の中で。
娘は嫌そうに鼻に皺を寄せた。
(ふざけてないで、目を覚ませ!腕が食いちぎられてるし、それ気持ち悪い!)
ゴリッ
(ふざけてる..訳じゃないんだが)
目が覚めた。
昏倒していたようだ。
が、もうダメだろう。
左腕が無い。
噴水のような出血だ。
だが、右手は押しつぶされている。
ならば、体を変化させるしかない。
それは食い終わった肉を咀嚼しながら、次に内臓を喰らう為にのしかかってきた。
獣化は、…できない。
腰から下も押しつぶされている。
生きて意識のある方が不思議だ。
だが、まぁ、死体は残らず喰われてしまうだろう。
ゴボゴボと血を吐きながら、最後の景色を見回す。
あの広間だ。
汚らしい巨大な茎が体を押しつぶしていた。
どうやら部屋を覆うように生えていたようだ。
天井も、その植物のような何かが擬態していたようだ。
壊れた天蓋の一部から夜空が見えた。
そして、そこからコレが入り込んだのだ。
たった一匹だが、外にはもっといるだろう。
羽ばたく黒い姿が、天蓋の割れ目から見える。
ソレはのし掛かると、口を大きく開いた。
鋸の刃のようにギザギザと尖った歯が見えた。
汚らしい黄ばんだ色をしている。
大きく開いた口から涎を垂らし、腹を..。
「ギャァギャァ」
喰わずに鳴いた。
喰わずに匂いを嗅ぎ首を傾げると、それは羽ばたき空に舞い上がった。
べたつく羽をまき散らし、ソレは喰わずに飛んでいく。
残った自分は、ゲボゲボと血を吐きながら笑った。
鳥も喰わぬ男とは、まったくもって。
破れた装備の懐から、コロリと無花果の実が転がった。
コロコロと転がる実を目で追いながら、笑う。
せめて焼ければ、この蠢く茎を始末できるのだが。
痛みと寒さに意識が沈む。
死んだら、会えるのか?
多分、会えない。
自分が落ちるのは地獄だ。
何故、自分は、できなかったのか。
何故、自分は、もっと素直に伝えることができなかったのか。
後悔ばかりだ。
(よう、兄貴。元気ぃ?)
ヘラヘラと笑っている男の頭を殴る。
(いってぇ、何だよ。相変わらずだなぁ。
まぁ、いいけど。
ちょっと話があるんだよ)
美しい森の中、弟が先を行く。
(あの日の事だよ)
あの日?
(俺が死んだ日だよ)
足が止まる。
弟は先を歩いたまま続けた。
(本当はさ、謝るつもりだったんだよ。
兄貴の苦労も知ってたんだ。
借金の事も、妹たちを養うので精一杯だった事も。
部族自体が零落して、生活が苦しかった事もさ。)
ならば何故?
(まぁ、俺が屑だったからさぁ、ハハハハ)
違う、お前は、違う!
(兄貴は、優しいよな。
彼女の事もそうさ。
普通なら女の浮気ぐらいお目こぼしされるけどよ
部族長の口利きだ、破談になれば彼女の家族は暮らしていけない。
俺と結婚させる事もできたけど、それじゃぁ収まらなかった。
何故なら、俺は穀潰しだ。
親父は俺を殺すつもりだったしな。)
弟は振り返らずに続けた。
(結局さ、何もかも兄貴に頼ってた。
俺はさ、あの日、謝るつもりだった。
それでやり直したかったんだ。
でも、それがバレてさ、あのとおりよ。
兄貴)
緑の森にそよ風が吹き抜けた。
暖かい日差しが肌に触れる。
(今なら、選べる)
何をだ?
(生きるか、死ぬかだよ)
何を言っている?
(今死ぬか、後で死ぬかって事さ。
簡単だろう?
今なら、俺と一緒に逝ける。
俺が連れてってやる。
痛くも痒くもねぇぜ)
キラキラと日差しが反射して眩しい。
(んでも、死にたくないと思うなら、帰れるぜ。
ただし、相変わらず、兄貴は色んな柵に縛られる。
クソみたいな人生を、血反吐を吐きながら生きる事になる。
おまけに、次のお迎えは地獄からだ。)
朝、目覚めると、鏡の中にお前を探すんだ。
(そうか)
俺は、お前の人生を潰した。
(違うから)
俺達は、双子だ。
別にお前が長子でもよかったんだ。
(うわぁ、それ無理だから)
かもな..。
(だろ?
長の息子と兄貴の精霊は一緒だった。
俺は、強い精霊がつかなかった。
単に、それだけの事だったのに、勝手に僻んで人生を投げたのは俺自身の選択だ。
誰かの所為にしたところで、俺自身、分かっていたんだ。
で、兄貴、どうする?)
俺は。
(迷ってるなら、言うけどよ。
俺が言うのも今更だけどよ。
兄貴は皆に好かれていたぜ。
兄貴は好きじゃなかったようだがな)
グサリと刺さる言葉だった。
(決まったようだな、兄貴)
弟が振り返る。
ひび割れた鏡の中に見た表情とは違い、それは楽しげに笑っていた。
(兄貴は、苦労性だよなぁ。
じゃぁ、しょうがねぇか。)
弟の姿が朧になる。
闇が広がり、埋め尽くす。
それでも探すのだ。
鏡の中に、苦しみとともに。
一人生きて、生き抜いて、野辺にて朽ちるその日まで。
生きて苦しみ、好意に好意を返せるまで。
この虚しさを抱えて苦しみ抜かねば、面目がたたない。
(まぁ、その時まで待ってるか。じゃぁ目印になるように、俺のをやる。俺のはちょっと嫌かも知れねぇけど、まぁいいだろう。
じゃぁな、兄貴、またなぁ)
修復は速やかに行われた。
愚か者がしがみつく、矮小な部分はそのまま。
ただし、無駄な自尊心からくる苦しさは消え。
激痛と混乱に包まれて、体中が音をたてて変化する。
白目を剥き、血泡を口から垂らして叫ぶ。
すると失われた血肉がビチビチと跳ねては勝手に形を作る。
何処かで誰かが笑っている。
灯火に揺れる鏡の中の自分だろうか。
跳ねるように起き上がり、血塗れの体で叫び続ける。
失われた腕の代わりに、新たな肉が盛り上がる。
メリメリと骨が突き出す。
それに肉が後を追う。
潰されていた下肢は既に復活し、体はそのまま獣皮をまとう。
(ケルヴィン)
下肢と左腕を見て悟る。
弟がくれた。
死の国より戻り、与えたのだ。
腕の毛並みは、弟の物、弟の色をしていた。
(光りと風の精霊に誓う)
鏡の中に問いかける。
己の中のひび割れた鏡に。
(我らは常に備え、敵を必ず滅する事を)
砂が吹き上がり、汚らしい茎が押し寄せる。
手斧を引き抜くと大きく叫び迎え撃つ。
楽しいか?
楽しくて嬉しいんだろう?
鏡の中の俺は、口を開く。
そして...