ACT263 存在証明 ③
ACT263
「東のユシュル地方と西のリシャルデン。
何れも領主はツアガ公ではなく殿下となっています。
つまり、このツアガ公領も中央の一部なのです。
中央の人間、いいえ、中央王国の人間の殆どが知らない事実ですね。」
(今一度、よく、見るんだ。
ただし、相手に気取られてはならない)
語る女から焦点をずらす。
視界がぼやけ、広がる。
(あぁ凄いね、これは本物だ)
「その詭弁により、ツアガ公領はオルタス首都ミ・リュウの一部とみなされてきました。
故に、特殊な事情で中央の支配地図全容を知る方々以外は特に意識もしていません。直轄領扱いです。」
(君も見えているが、それを意識してはならない。
今は、まだね。
彼女の真実は、君にはどうでもいいことだからね。
でも、嘘ではない。
お互いに嘘は無いが、思考の規範が違うのだよ。
これは、今の人間が抱える問題でもある。
皆、本当だと思っている事が、違いすぎるんだ。)
「ですが、現実は中央とも隔絶しています。
ツアガ公も中央政府もお互いに不干渉の立場にあります。」
「何故だ?」
「このツアガ公領は、半自立領として作られたからです。
封印地を守るためにツアガ公領は成立した。
と、いう経緯があります。
イアドという忌み地を封印するために、この領土を自治する権利を得たのです。
ですから名目上は中央直轄地、そして公王子女が嫁ぎ治める半自立領なのです。
もう、お分かりでしょう?
この地には中央軍の干渉がありません。
この中央大陸にあって中央軍が置かれていない場所があるということ自体が不自然でしょう。」
(けれど、嘘っぱちを信じる輩の言葉にも、真実に近しい言葉は隠れているのさ。
つまり、ツアガ公は相当な武力を備えているって事だよね。
中央の庇護など必要がないって訳だ。
で、そいつ等が割れて殺し合っている。
今更、助けてくれ?
なんてお為ごかしを言いながら、コレは何を考えているんだろうねぇ~怖い怖い。)
器は何処かに繋がっている。
正確には器から、呪力の糸が延びていた。
それは橙色に染められた木綿の束のように見える。
束は捻りより合わさっているが、所々千切れた部分が垂れていた。
そして千切れた場所から、不明の液体が滴っている。
(気取られるな、主よ。
気取られたら壊すから良いとか、考えてもらっちゃ困るんだ。
末端にも、目、が、あるかもしれないんだからね。
さて、コレの話の落としどころは、分かっているんだけど。
やっぱり、乗ってあげるんだろう?)
「...ですが、中央からは殿下自身の持ち出せる人も物もありません。
中央王国は、殿下へと振り分けられる公費以外は、私のようなイアドの柱となる、生け贄のみを与えるのです。
つまり殿下も、その生け贄というわけですね。
もちろん、ツアガ公は殿下と夫婦となる訳で、ツアガ公領土から出られない事以外は、虜囚の生活ではありません。
これは、イアドの蓋となる我々にもいえます。
逃れる道も用意された虜囚というのでしょうか?
ですが、逃れる道とは、殿下にしろ私たちにしろ、一つしかありません。」
「死か?」
枕元の小卓に置かれた右手を見ながら、ユージンは笑った。
「集められた私達イアドの柱、貴方方が言う花嫁は、いずれも身よりのない女ばかりです。
異郷にて一人で生きていくことができない上に、故郷にも戻れない女ばかりを選んで差し出す。
殿下にしろ、身が不自由で逃げる事もできない。
そんな女が連れてこられる。
虜囚ではないが、逃げ出す事もできない女を。
貴方方には愚かに思えるでしょうが、現実を知るまでは、ツアガ公領へと送り出される事に疑問はありませんでした。
命じられる事に疑問を持つ余裕も無かったのです。
もちろん、死をもって逃げ出す事もできますが。
死にたくないと思うのも普通の事でしょう。
それに、イアドの柱でいる限り、この土地の人々は、私達を受け入れてくれるのです。
そして、それは思う以上に、偽善ではなかった。
住まう人々も苦しみの中にあり、救いを求め、そして、少しでも痛みから逃れたいと思っている。
土地に暮らす者は知っています。
自分たちが土地を捨てれば、悪いことが広がると。
だから、この場所から離れられない。
先祖代々、この恵み少なく恐怖に満ちた場所に住み続ける。
その意味を知っている。
しかし、若い世代は、不満を持った。
若い世代というよりも、蓄積された不満が表にあふれ出てきたのです。
我々は、誰の為にこの苦しみを背負っているのか?
その疑問こそが、内乱を招いたのです。」
(フフフッ、さてさて、そろそろ本題を持ち出してくるよ)
「イアドとは何だ?」
「穴です。
深い穴が続いており、そこから、人を殺す物が漏れ出します。
それは一つではありません。
そして穴から出てくる物も毒であったり、生き物であったり。
ですが、それは我らイアドの柱が生きていれば、ある程度管理できるのです。
夏に虫がわくように、季節により不愉快な出来事がおきるのですが、人の力で打ち消す事ができました。」
「だが、争いにより、お前達は死に始めた。寿命よりも早く」
枯れ木のような手を目の前に見せると彼女は頷いた。
「そうです。私は今回の花嫁の中で一番若い者です。
本来なれば、ツアガ公次代が新たな縁組みをするまで生きながらえる事が可能だったでしょう。」
「大奥様とよばれているのにか?」
それにユージンは笑みを浮かべた。
「それは花嫁の総称です。イアドの柱は、子供でも大奥様と呼ばれるのですよ。
地位はありませんが、代官よりも厚遇されます。
そうして私達を持て成す事で人は生きてこれました。
私達の命が、イアドの広がりを留める蓋なのです。」
「神官を殺し、相手方の花嫁を殺す」
「そうです。
ツアガ公領は二つの勢力に分かれて争っています。
ですが、問題は、権力を奪い合う争いでは無いことです。
貴方や中央の人間が問題にする、よくある人間同士の争いだけならば、滅んでしまうのも自業自得、ですが」
「金では無いと?」
「金や地位だけなら、もっと早くに決着が付いたでしょうね」
「では、何を奪いあっているのだ?」
「実際にご覧になりますか?」
「穴の出入り口か」
「このシリスと東のニナンに最大の穴がございます。
その穴を見張る為に住み着いたのが町の始まりです。」
「お前の診察が終わってからだ」
それに彼女は唇を尖らせた。
若い女、もしかしたら娘だったろう仕草が侘びしい。
「わかっておりますよ、これは私達シリスの者の考えですからね。
どうせ、貴方方はニナンにも向かわれるでしょう。
ですが、それも話しを聞けば、考えも変わるでしょう」
「大まかに争いの先に立っている者どもは誰だ?」
「公の叔母であるヨジョミル様は、我々西の者の御味方で、公と殿下をお守りしています。
つまり旧支配体制側ですね。
花嫁側、つまり、中央政権側とも言えます。
旧来の政治体制と慣習により自治を行うという考えです。
そして新興勢力は、レワルド様、東の者が主勢力ですが、イアドの慣習を断ち独立を標榜しています。」
「何故、お前はレワルドの方につかないのだ?」
それに蔑むような視線が返る。
最近、悪霊もこんな視線を送ってくる。
物覚えが悪いと言わんばかりだ。
「あくまでも、慣習を断つだけで、我々を救おう等とは考えていませんよ。
我々を殺し、イアドの蓋を開けようとしているのがレワルド様ですからね。
イアドに呼ばれた者の多くが、レワルド様のようになりますから。
東のニナンは汚染が始まっています。
最初の頃は人同士の争いでしたが、レワルド様が自失したように徐々に争いは人の手から離れ始めています。
最初は政治的な目的があったのかも知れませんし、金や地位が目的だったかも知れません。
ですが、今の争いの目的は、イアドです。」
(少し、漏らしたね。
イアドを巡る争いの部分じゃぁ無いよ。
汚染と自失。
フフフッ、面白いよ、面白い。
さてさて、今は考えなくて良いが、主よ、君は僕に問うべきだ。
今、二つほど実像が君には浮かんだ筈だ。
それは君がグリモアと親和性を持ち始めているからさ。
でも、この、コレの前では秘密だ)
「イアドか。
金銀財宝でも眠っているのか?」
「ならば、どんなに良かったことか」
「で、どうだ?」
「伝染性の疾患を疑いましたが、該当する菌類を発見できませんでした。
慢性の疾患とも違います。
機材と試薬の問題かも知れません」
暫し広場に戻る。
女の言うイアドを見るにしても、双方時間が必要だった。
ジェレマイア達長命種は、散々服薬してきたというのに、ここに来て感染症予防薬をも体内に打たれて休んでいる。
「遺伝性疾患とも思えません。が、この町の住人、あそこでイグナシオに張り付いている子供の血液と唾液からは何も検出できませんでした」
獣体のイグナシオに子供らがへばりついている。
怪我の具合もあるが、毛をむしり取られていないか少し心配な風景だ。
どうやら検査の協力に際しての報酬は、小銭ではなくイグナシオとの楽しい遊びらしい。
当のイグナシオは無心を貫き寝ている。
そこに子供が勝手に飛びつき、毛を逆なでにしたり好き勝手をしていた。
時々、ヤンも混じって悪戯をするので、その時だけイグナシオに弾き飛ばされていたが。
「ヤンを喰い殺したとしても目を瞑ろう」
「はい?」
「否、ここからは二手に分かれる。
イアドとやらの確認をするの者と地上に残る者にだ」
「イアドの確認には、エンリケと私が」
モルダレオの言葉に、頷く。
「俺とジェレマイア、足の速い者を彼の護衛に。それから」
「いつもの者共ですね、了解しました。武器も室内で取り回しができる物に変更しておきます」
「特に、残る方には火薬の出し惜しみはするなと伝えておけ」
モルダレオは、片方の眉を上げた。
「新しい餌を呼び込んだんだ、今夜は喰らいに来るだろう」
それにエンリケとモルダレオは目を見交わした。
「つまり、我々はこの町の住人の代わりに用意された餌ですか?」
「理解が早いな。
住人が、我々を害する事は無い。
何故なら、自分たちの代わりに餌が迷い込んできたんだからな。
それも新鮮で生きの良い男だ。
しきりに、女はいないか?と、聞いて来たのは、女じゃ困るからさ。
女を嫌う男が好物の何かがいるんだろう。
昔話にあるだろう。
足りない生け贄の代わりに、旅人を殺すのさ」
「人族の女性だと生け贄にならないという事ですか?」
それに思わず笑いがもれる。
「ここの住人は善良で正直者なのだろう。
言われた事を鵜呑みにしているだけだ。
だから、彼らは知らない。
故に、彼らは嘘などついていないのだ。
王国の十八番、嘘つきはいないが実相とは程遠い。
あの女にしてもそうだ。
流行病と最初は言い、次に自分は呪われてあの姿だと言う」
「町の住人は女が死んだといっていますね」
「確かに女は死んだのかも知れない。
病もあったかもしれない。
だが、どこに流行病がある?
子供は遊び、年寄りは怯えているか?」
イグナシオに挑む子供の姿に悲壮感は無い。
女が死んだというが、子供は萎縮もしてない。
獣人の、それも大きな獣の姿を見て喜んでいる。
「祭司殿は残留組ですか?」
「ジェレマイアだけなら逃がすのも楽だ。
それに神官がいるから町に招き入れたのかもしれない。
三文芝居に乗ってやっているんだ、本体を引きずり出さないとな」
「地上部分には、広さの割に重要な施設が見あたりません。サーレルの報告だと、住民は緊張状態には無いそうです。それに見るべき物がなさすぎると」
モルダレオの呟きに、エンリケが小さく笑った。
「奈落というだけあって、この町は地下に広がっているのでしょう。それに上に置かれている物は偽装ですか」
「嘘っぱちの町だが、彼らには真実だ。
外から来た奴だけが、ニオイで分かる。
もちろん、他人の言葉を鵜呑みにする奴は別だがな。
それにうまく行けば、生きたまま確保できるかも知れない」
「生きたままですか」
(一人二人、否、もっと生きているかもしれないよね。
もちろん、五体満足かどうかはわからないけれど、フフフ)
「天候が変化しそうだ。この様子なら空き家もあるだろう、公爵達を休ませておけ。それから」
「了解です」
燃やすにしても、殺すにしても、良いように準備をしておきます。と、言葉を先回りしてモルダレオが答えた。
いよいよ流れる雲が重みを増している。
雨が降るかも知れない。
見上げる空に足早な流れが見えた。
(君は憐れむかい?)
「否」
(では、主よ、その怒りの炎は憐れみではないのだね)
「憐れむとは侮蔑だ。
他人の人生を笑う資格なぞ俺には無い。」
(では、なんとする?)
「聞く必要もあるまい、悪霊よ」
(やれやれ、野蛮だね)
思わず口が笑いに歪む。
そのまま準備を指揮し、年寄り達に案内された空き家に落ち着く頃には陽が傾いていた。
「カーン、耳に入れておきたいことがある」
オービスが火薬の残量を記帳しながら囁いた。
荷駄から皆に配分している。
動いているのは我らだけ。
そしてユージンの手足となる年寄りだけが残っている。
町の住人の姿は無い。
夜が来る前の黄昏にもならぬうちに、最後の草を燃やしきると姿を消した。
鎧戸を下ろし扉に閂を通し、そして家屋は光りを落とす。
余所者から見れば、一目瞭然。
穴蔵に鼠が逃げ込むように見えた。
「多分、上からくると思う」
それに頷き返す。
「相当、燃やす事になるがいいか?」
「出し惜しみして損害を受ける方がまずい。それに住人は慣れているだろう気にする必要はない」
「家屋を失うが?」
「呼び込んで餌にするような奴らにかまう必要があるか?
彼らは一言でも我々に警告したか?」
オービスは肩をすくめた。
「草を燃やす事も、外郭壁の死骸も、そして町の周りの死体の事も、何も彼らは語らなかった。それだけで十分だ。」
「確かに」
ため息混じりにオービスは笑った。
残念そうな様子だが、それはこれから起こる事に対してではない。
愚かな選択をする者に向けてだ。
「だが、お前の判断で勝手に手助けするのはかまわない。ただし、躊躇うな。ここは見かけ通りの場所ではない。お前の見ている景色は、殆ど偽りだ。」
それにオービスは真剣に頷いた。
「了解した。カーン、通路で保護した子供だが」
「町の者には渡すな」
再び、オービスは頷いた。
それから頭を振ると言った。
「外で合流した方がいいか?」
「それもお前とスヴェンの判断で良い。朝までに戻らぬようなら、外で待て。一日置いて戻らぬようなら」
「待つよ。
それでも戻らんなら探す。
お前さんが死ぬなら、死体を担いで帰らにゃならん。娘の側に戻してやらんと」
思わず笑う。
「何を言うか、どうせ探すなら燃やせ。肉は残すな。」
「なら、
首だけ戻すよ。それでよかろう?」
「何の話しだよ。俺は死ぬとは言っていまい?」
「確かに」
ゲラゲラと笑っていると、迎えが来た。
イアドへの案内人、門にいた年寄り達だ。
「さて、公爵を頼んだぞ。何であれ敵対する者には容赦するな。」
「今更だカーン。儂が何年この生業をしていると思うんだ。そんな青臭い時期は当に過ぎている。世の無常を嘆きはするがな」
「優しいことだ」
「お前さん程ではない」
笑いながら年寄り達に歩み寄る。
何故か、年寄り達は怯えたように皆視線をそらした。
入り口は石畳の上にあった。
町の中心に近い道の真ん中に口が開いている。
傾斜のついた入り口は、巨人の顔が掘られており、その口が扉になっていた。
「趣味が悪いな」
「怪物門と呼んでいます。
東の門も、同じ怪物が掘られているとか」
奇っ怪な巨人が喚いている。
「深さと広さ、出入り口の数は?」
それに年寄りは答えた。
「出口は東西の代官領街にて大きな物がありますが、他にも複数吹き出し口が。
東西を封印地として、上層を人の手で建造し蓋としています。
そしてイアドが増殖すると、この封印地から漏れて穴があきます。
穴は兎の穴ほどの物から、大きな亀裂まで。
それを巡回する兵士がつぶして回るのです。
大洞穴の広さは、このツアガ公領の地下全てかと。」
「人の把握している範囲は?」
「手の入った構造になっているのが二層まで。
そこまでならば以前は人も住んでいました。
と、言ってもほんの一部ですな」
「今は?」
「以前は淡い青緑色の石材を産出していました。石垣、外郭壁に使用しているものです。
なので場所によっては相当深く掘り進めていました。
しかし、イアドが増殖を初めて以来、構造が変化し、撤退を余儀なくされました」
「石を切り出していたのなら、最下層は把握しているだろう。
構造が変化したというが、その昔の状態は分かっている筈だ」
「七層と聞いています。
そこまでは人が降りていました。
ですが、浸水や崩落、構造変化により、閉じて数十年、今、どんな有様か」
「七層で、人の足だとどのくらいかかる」
「降りるだけなら二日。ニナンに抜けるには九日。
ただし、それは何の障害も無い頃の話しです。」
イアドの増殖とは何だ?
(言葉通りだろう、我らの定義からすれば、領域の拡張かも知れない。まぁ、予想、だけれどね)
グリモアの予想が外れるのか?
(クスクス..クス)
ボルネフェルト以外の気配が笑っている。
醜悪な嘘が、徐々に素肌をさらし始めたようだ。
扉には鉄の輪がついていた。
それを引き寄せると、重い音をたてて口が開く。
そうして、苦悶の表情を浮かべた巨人の口に頭を突っ込む。
湿った冷たい風が吹き付けてきた。
「イアドには何がある?」
こちらの問いに、年寄り達は考え込んだ。
「イアドとは何だ」
それには彼らも答えを返した。
「蟻の巣にございますよ」
角灯に火を入れると、奈落に踏み出した。
奇異な景色は無い。
石の通路に、木の梁。
所々に換気口と灯りが置かれている。
足下は砂利に風化した敷石。
匂いは微かに青臭い。
大人二人がやっとの幅で、自分は少し天井に頭が擦れる。
石を運び出した轍はあるが、それも名残で何も残っていない。
所々に錆びた道具が放置されているが、見た限り役にたちそうもないガラクタだ。
通路は所々で枝葉を伸ばしていたが、概ね真っ直ぐ進んでいる。
微かな傾斜は下っており、枝葉の通路か換気口から風が吹き抜ける音がした。
笛を吹くような音は、陰気に辺りを駆けめぐり、何とも気持ちが暗くなる。
年寄りは炭坑夫が持つような灯りを翳していた。
前に二人、後ろに二人。
枯れ木のような年寄りで、黙って灯りを持って進む。
自分とジェレマイア、そしてモルダレオとエンリケが固まって進む。
それを挟み込むように前後にロードザムとモルドビアン、それに彼ら二人の補助を一人づつ置いている。
何が起きても良いようにと、武器は隷下から渡された物を手にしていた。
不意に、薄暗い通路の先に白い光りが見えた。
四角く切り取られた白い景色は、通路の終わりを示している。
「一階の最初の広間にございます。
昔は石切場へと向かう人足をそこで分けておりました。」
通路の先は明るかった。
大きな丸屋根、白い陶器製の薄板の小片が張り付けられた円蓋が覆う。
白い部屋だ。
壁も一面に白い陶器の薄板が張り付けられており、それがうっすらと光っている。
足下は砂地で、それも白と灰色が混じり、不規則に波打っていた。
砂を蹴り、多少抉っても堅い土も床も見えない。
砂の入った瓶の底のようである。
その丸い部屋には中央に石の何かが置かれていた。
「あれは昇降機です」
「使えるのか?」
「今は動力がありませんので」
静かで、明るい。
表面上はだが。
「別段、変わったようすもない。が、何をもってイアドとするんだ?」
その問いに、年寄りは、わからないと答えた。
「何がわからないのだ?」
年寄り達は、まるで初めて見るかのように部屋を見回し言った。
「イアドは、動きますから」
昇降機は赤く錆びていた。
明るさは壁に貼られた陶器片が発光しているからだが、砂もその光りを反射していた。
覗けば真っ暗な穴蔵に古びた縄が下がっている。
人の重量に耐えられるか疑問だ。
「深さは?」
「真下に同じ部屋が」
見下ろすが闇が澱み見えない。
「先に灯りを下ろすか」
「私どもが先に降ります」
年寄り達は言うと、四人とも順に穴に降りていく。
何の躊躇いもなく、その姿は飲み込まれていった。
(主よ)
わかっている。
「ジェレマイア、通路まで下がっていろ。ザム、爺どもに続け」
「了解」
ザムと相方一人が穴にとりつく。
それを見届けてからモルダレオが穴の縁に寄る。
「どうだ?」
穴に入ったザムから問題なしの答えが返る。
「爺達を逃がすなよ。エンリケ、ジェレマイアと最後に入れ。モルドビアンは時間差で。..行くぞ」
モルダレオは念の為に縄を新たに垂らすと端を昇降機に括り付けた。
「兄弟、先に行っている」
それにエンリケが頷き、ジェレマイア、モルドビアンとその相方が見送る。
モルダレオは縄に足を置くとスルスルと降りていく。
物や人を運び出していたのだから、穴は大きな物だ。
ただし、妙に空気がこもっている。
匂いは無く、暗い。
部屋の明るさに馴染んでいた為か、ことさら暗く感じた。
それに思ったよりも深い。
先に行った者の姿が見えない。
底らしき物も。
と、頭上が揺らいだ。
地響きではない。
空気が揺れた。
(主よ、やっと仕掛けてきたぞ)
わぁという悲鳴と、今度こそ本当の地響きと破壊の揺れが伝わる。
そして、頭上に影が見えた。
「モルダレオ!」
咄嗟に呼ぶ。
それに答え、モルダレオは新たに垂らした縄に腕を巻き付け、縦穴の壁に靴先を突き立てた。
そして片手で、こちらの剣帯を掴む。
自分も靴先の刃を壁にめり込ませると、縄梯子に腕を絡め衝撃を耐える。
が、自分たちは頑丈だが、落ちてきた方は、穴の底に叩きつけられるよりはマシな程度。
そうして落下してきたジェレマイアは、痛みと腹部に食い込む俺の腕に、そのまま吐いた。
縄梯子も縄も断ち切られるかと思ったが、頭上から砂が落ちてくるだけ、後は光りが消えただけである。
「何があった?」
壁に取り付き、吐いて息をきらす男に聞く。
目だけを此方に向けると、ジェレマイアは途切れ途切れに返した。
「何かが、砂から、エンリケが、俺を掴んで穴に。
護衛二人、通路に転がり、込んだ。
砂が吹き上がって、エンリケが」
飲まれたか。
「戻らなくても大丈夫です、祭司長殿。それよりも案内人を締め上げねば」
モルダレオが淡々と言う。
「我々に刃向かうという事が、どういう事かを教えねばなりません。
無知は罪ですからね」
「何を、言ってんだよ」
ジェレマイアの言葉に、支えていた手を離すとモルダレオは続けた。
「貴方という餌を担いでいるのです。
もとより、そのつもりで此方も行動しているのですよ。」
「町の奴らとは限らないだろう」
「お目出度い、いえ、失礼しました。
すばらしいお考えですね。
そうですね、彼ら住人は関係ないかも知れません。
何も知らないかもしれませんし、何もしていないかもしれない。
フッ、フフフ。
そうですね、彼らは我々に対して何もしていない。」
ジェレマイアを担ぎなおすと、下へと向かう。
日頃、無表情のモルダレオが笑っている。
(さすが野蛮人の部下は)
黙っていろ。
「そう、何もしていないと言ってくれた方が、良い。
ふむ、それはとても良い。フッフフ」
「カーン」
「大丈夫だジェレマイア、エンリケなら自分で何とかできる」
「違う、俺が言いたいのは」
「祭司長殿、私はヤンではありません。ご安心ください」
モルダレオの言葉に、ジェレマイアは目を閉じた。
安心できる要素が見つからなかったようだ。