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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
297/355

ACT262 存在証明 ②

 ACT262


 香の匂いがした。


 エンリケが大丈夫だと囁く。

 悪臭を消す類の香らしい。

 室内は薄暗く、灯された明かりは闇に負けていた。

 ひやりとした肌寒さと、湿気った空気の流れがある。

 調度は高価だが、やはり古びており、手入れはされていたが全て黒ずんで見えた。

 代官の館にしては侘びしい。

 館に仕える者の姿は無く、案内の年寄りがそのまま奥へと誘う。

 旅装などはそのままでと、相手の方から言ってくる所を見ると、奥もこのように寒々しいのだろう。


 貧しい訳ではない。


 町の崩れ具合は別にして、暮らす年寄りと子供の様子から、栄養状態は悪くない。

 衣服も清潔に見え、もし、これで働き盛りの男女がいれば、それなりに体裁は繕えていたかもしれない。


 貧しい訳ではないが、豊かさも活気もなく、繁栄からはほど遠く。

 代官の暮らす大きな町とはいえない。

 滅んだ町に、難民が住み着いたような有様だ。


(ぴったりの表現だね。まさに廃墟に人が住み着いたようだ!)


 頷きながら悪霊が姿を現す。


 消えていろ。


(どうしてだい?)


 薄暗い廊下には、絵画や陶器が飾られていた。

 それらを見るふりで、悪霊を払う。


(ふーん、なるほど。その思考が論理的ならばよかったのに、相変わらず本能で感じ取っているだけなんだろ?

 今までの経験って奴だ。

 焦臭い事だけには、鼻が利く。

 兵隊は嫌だねぇ、血と金の匂いだけには鼻が利くんだから)


 消えろ。


 低い天井に、圧迫感のある通路。

 細く暗いそれを奥へと進む。

 空気の流れはあるが、窓らしき物は何処にも無い。

 その突き当たり、臙脂の枠がついた扉の前へとたどり着く。

 扉は百合の花の彫刻で飾られていたが、気の塞ぐ雰囲気が増すだけであった。


 大奥様、と、老人は言った。


 開かれた扉の先は、やはり薄暗かった。

 大きな寝台には覆いが下がり、横たわる者は見えない。

 枕元の燭台に揺れる蝋燭の明かりは、炎の大きさの割に用をなしていなかった。

 鎧戸の降りた窓が一つ。

 この部屋には暖炉が無い。

 穴蔵のような部屋だ。

 それでも空気は微かに流動し、丁子のような匂いがする。

 薄ら寒く暗く、時折、泡立つような水音が微かにした。


「大奥様、大神殿から祭司長様がいらしております。

 お話によれば、御領主と殿下へのご挨拶の途中にお立ち寄りになられたそうにございますよ」


 大層、大きな声で年寄りは言った。

 すると寝台の覆いごしに、咳払いが聞こえた。

 そしてぜぇぜぇと苦しげな息が吐き出されると、すぐに静かになった。

 それに何故か年寄りは頷き、寝台から身を退いた。

 そしてそれ以上の取り次ぎもなく、会釈をすると立ち去った。

 扉がしまり、足音が遠ざかっていく。

 自分とジェレマイアとエンリケ、そして護衛の男二人は、なんとも困惑し顔を見合わせた。

 誰かが口を開く前に、寝台から声がかかった。


「失礼をいたしました。

 近頃、意識も途切れる事が多く、中々思うように行きませぬ。

 外の方々からすれば、何かとお話もありましょう、我らにお尋ねしたい事もありましょう。

 ですが、ご無礼を承知で、先にこちらからお尋ねしたいことがございます。

 名乗りを上げる前に、そしてお客様がたも」


 若い声だった。

 大奥様と呼ぶには、年若い女の声である。


「考え違いをするな。

 我々が立ち寄り、お前に問うのだ。

 先の村は壊滅していたぞ、代官の町にしてはお粗末すぎるし、この状況に辻褄の合う答えを我らに返すことができるか?

 名など答えずとも良いが、我々は遊山に来たのではない。」


 恫喝を込めて女の言葉を断ち切る。

 女の声は、どこか嘲笑を含んでいた。

 それに脅しも込めてエンリケを促す。


「見えるか?

 見えぬようなら、その覆いの内に入れるが?」


 浮いた右手に、沈黙が返る。

 覆いの内からは、どうやらこちらが透かし見えるようだ。

 気配は、エンリケが持つ臼黄緑の液に浸った右手の方を向いている。


「状況の説明とこの町の守備隊に引き合わせろ。これが誰の物であるか確認をとらせる」


「不幸な最後を迎えられたようですね。その持ち主がどうして我らの町と関わりにありましょうや?ごらんの通り、我が町にはなんら」


「死体を吊す町に暮らすと色々鈍るようだな。」


 寝台の脇に置かれた小さな卓へと右手を置く。

 返事を待つが、女からは返答は無い。

 先に折れたのは、ジェレマイアだった。


「答えられぬ事情もあろう、先に問うがいい」


 ジェレマイアの言葉に、覆いの奥からありがたいと呟きが返る。


「貴方方はツアガ公爵様の城へと向かわれる。

 それは嫁される方々を引き連れてでしょうか?」


「否、我々はロドメニィ殿下の安否を確かめに来た。

 中央で些か災害があった故、殿下と所領は無事であるかを確かめに来たのだ。

 ただ、立ち寄るはずの村が一つ消えていた。

 子供を一人助けたが、それも意識が無い程衰弱している。

 代官は何をしているのかと訪ねたのだ」


 神という災害が起きた事に、首都以外ではどのような伝わり方をしたか分からない。

 ただし、首都程の顕現体験をする者は少ないだろうと、災害という言葉にしてジェレマイアは伝えた。


「それは良かった」


 意味の通じぬ返事に、ジェレマイアは言葉をとぎらせた。


「どういう意味だ?」


 それに覆いの向こうで、身動きする気配がした。


「私の名は、ユージン。お聞き覚えはありましょうか?

 ロドメニィ殿下と共に、このツアガ公爵領へと嫁してまいりました者にございます」


「公王の縁者と言う気か?」


「いいえ、同じユージンという名を頂きました者にございます。

 ツアガ公の東のニナン、この西のシリス、そして公の居城の三カ所に女達は分かれて置かれるのです」


「どう言うことだ。ツアガ公に殿下が嫁されたという縁組みの話しでは無いのか?」


「イアドの柱をご存じでは無いと?」


「アミチアの花嫁という慣習と聞いた。

 ツアガ公は王国以前からあった豪族であり、王家の血を唯一外にて養う者だと。」


「なるほど」


 覆いの奥で再び咳をすると、彼女はもう一度なるほどと呟いた。


「どうやら、少し語らう必要があるようですね。

 陽の暮れぬ内に町から離れて頂こうかとも思っておりましたが、それもよくないと分かりました。」


「どういう事だ?」


「あぁ大丈夫でございますよ。

 無闇に引き留めはしませんし、留まりたいとおっしゃるならば御自由に。

 ただし、私の話をお聞きになって判断をしてください。

 さぁ壁際に椅子がございます。

 お座りになってください。

 それに鎧戸をお開けになると光りも入り、多少は空気も流れましょう。

 外からのお客人には、不愉快な事ばかり。

 匂いも、そして死者を冒涜する行いも。

 ただし、不快で罰当たりな行いも、生きるには必要な事もあるのです。

 そして貴方方にとって、この得体の知れない女の話も、こうして覆い越しに語らうのも、それはそれなりの理由があるのです。

 もちろん、ご無礼千万とお思いでしょうが、少し堪えて頂きたい。」


 理解しがたい言葉に、皆、動くことが躊躇われた。


「お連れ様方は、町の者がお世話をするでしょう。

 どうやらメルドン様から、そちらに話しが伝わった訳ではなさそうですから」


「代官は何処に?」


「メルドン様は、差配地域の異変を公爵様にお伝えするべく旅立たれました。

 それが冬の半ばの頃、本来ならば、もう、お戻りになられてもおかしくはありません。

 ですが、メルドン様は戻っては来られない。

 連絡も、西は今、孤立しています。」


「異変とは人族の女がかかる疫病の事か?」


 ジェレマイアの問いをユージンは否定した。


「疫病と申しましたが、少し、説明が難しいのです。

 ところで、お連れ方に、人族の女性はおりませんか?」


「否、先の村で子供を一人保護したが、獣族の混血女児であった」


「それは重畳、いえ、人族の女性がいなければ良いのです。

 それも妊娠可能な年齢の女は危険ですから」


「獣人の女はいるが」


「問題はありません。奴らが狙うのは、人族の女ですから。もちろん、女と見れば喰いにかかってきますが。まだ、良いでしょう」


 異様な方向へと会話が流れていく。

 ジェレマイアは床に目を落とすと口を引き結んだ。


「窓を」


 護衛に鎧戸を開けさせる。

 中庭に面していたようで、窓からは灰色の壁に囲まれた小さな空間が見えた。

 椿の木が窓の側に植えられている。

 微かな冷たい風が流れ、室内の香を洗っていく。

 それでも室内は薄暗く、曇り空から降るわずかな光りが、胸苦しさを運んでくるようだった。


「改めまして、私は神聖教本神殿より出されました者にございます。

 祭司長様もご存じのように、本神殿では巫女見習いと称し多くの孤児を養っております。

 私も孤児の一人として育ち、後に殿下の侍女としてお仕えする身となりました。」


 名乗りに対し、祭司長と中央軍から寄越された護衛だと簡潔に返す。


「どのような経緯で、この地へお越しになったのか、私にはわかりません。

 ですが、神の力をお宿しの尊いお方が来られた。

 これも私どもにはお慈悲なのでしょう。貴方方には迷惑千万であっても」


「どう言うことだ?」


「これでも少し迷ったのです。

 貴方方を行かせる事が幸いか、それとも招き入れる事が幸いか。

 どちらが、双方の命を一番長らえさせるかと。

 ですが、考えてみれば、我らが生き残る術など端からなかったのです。

 終わるのならば、今更、この世の柵や掟などに囚われても無駄。

 例え、貴方方にも不幸と災厄が降りかかろうと、それを考慮する必要など無い。

 なぜならば、明日を生きる子供だけでも長らえる道を、探すのが道理。

 尊いお方がいるならば、そのお方に縋り、微かでも助かる道を探すのも良いと考えました。

 掟なぞ、元より潰えてしまっているのですから」


「ユージンとやら、具体的に話してくれ」


「イアドの蓋が外れたのです。

 私どもの命も、もう、後僅か。

 今更、どんなに命を捧げようと、開いた蓋は戻らない。」


「意味がわからない。

 まて、イアドとは何だ?」


「イアドとは、中央の言葉でいう奈落にございます。」


 ジェレマイアの問いに、ユージンは呟くように答えた。

 覆いが少し揺れる。

 ユージンが寝返りをうったのか、寝台が軋んだ。


「奈落?

 奈落とは何だ?

 抑、お前と殿下が、ツアガ公の元へ送り出される事の意味を我らは知らないのだ」


「知らないとは、おかしな事を。

 イアドとは、モーデンの民が暮らした場所。

 イアドから現れる災いを押さえる事が、ツアガ公の氏族の定め。

 故に、代替わりの度に、アミチアの花嫁という人柱を国は寄越したのではないのですか?」


 絶句する自分たちに、彼女は続けた。


「滅んだ場所であり、最後まで残った汚れた場所。

 それがイアドの大洞窟です。

 ツアガ公の初代は、その汚れた場所を封じる為に、この地に住み着きました。

 それがツアガ公本城であるエデルの守城です。

 そしてイアドの吹き出し口である東のニナンとこのシリスにも町を置きました。

 閉じ、そして何者も行き来できぬように門番を置いたのです。」


「その話しが本当だとして、何故、ツアガ公の初代がその役目を負ったのだ。」


「当然の事でした。

 彼はモーデンの子だからです。

 唯一生きて人として残った者であり、間違いを正す者としての定めを受けました」


 間違いを正す?


「モーデンの子だと?ありえない」


「ですが、そう伝えられております。

 唯一、モーデンの血を受け継いだ者。

 故に、殿下が嫁がれるのです。

 公王血筋の花嫁が必要でした。

 ツアガ公の一族は初代からいくつかの氏族に分かれ人族と交わり子孫を残してきました。

 血が、濃い者ほどイアドに呼ばれやすくなる。

 そして血を薄めようとしても、直流のツアガ公の氏族の血は普通の異種婚では効果がみられない。

 そこでアミチアの花嫁の送り出しもかねて嫁がれる仕組みができあがったのです。」


「イアドの人柱といったな。

 生け贄などと言う野蛮な風習が残っているのか?」


 それにユージンはクツクツと笑った。


「命は捧げますが、貴方方が考える生き埋めや溺死させるような行為ではありません。

 私を見ていただければ分かるでしょう。

 気分を悪くさせるかもしれませんが、私の姿をごらんになれば、今までの話しが戯れ言ばかりではないとわかるでしょう。」


 身を起こす気配がした。

 それにジェレマイアを扉まで下げると、自分が寝台の側に立つ。

 異臭だ。

 腐った匂いがする。


「どうやら、ここから先は俺が話した方がよさそうだ。

 お前はどうやら、神の使いならば騙せると思っているようだな。

 おめでたい貴族や、世間に疎い神官。田舎者の獣人兵士なら、口先だけでごまかせると踏んだのだろう。」


 それに寝台の奥から、微かな息が吹き出される。

 どうやら大きく溜息をついたか、あざ笑ったようだ。

 少なくともジェレマイアは気がついていないが、この女は殊勝な言葉を連ねているが、こちらから見えないと踏んで笑っているのだ。


「先ほどからご親切に色々と並べ立てているが、お前の姿がどんな化け物であろうと、それは真実の証にはならない。」


 自分の言葉に、覆いの裾が少し揺れた。


「中央の臨検を恐れたから、我々の立ち寄りを拒み受けれた。

 お前の語る話しなぞ、何も信じられる物ではない。

 例え、化け物や異常な事が本当であろうと、我々が知りたいのは、それではない。

 よく、聞け。

 我々、否、少なくとも中央軍の者が問いには、よく考えて答えろ。

 世の滅びや神の問いではない。

 この土地で起きている争いについてた。

 それに付随する事柄ではなく、元、の事を話せ。

 話す事ができぬのならば、お前に用は無い。

 町中の人間一人一人、子供にも残らず、容赦なく、頭の中身を引きずり出す事になる。

 神官を言葉で丸め込む事は容易いだろうが、我らを誑かす事は難しいと心得ておけ。」


「では、何が問題だと?

 私は嘘偽り無く申し上げています。

 それを信じるか否かは、貴方方しだい」


「分からぬようだな。

 では、わかるように言おう。

 元の人間同士の争いを話せと言っている。

 簡単な事だ。

 誰が誰と争い、誰と誰が死に、誰が生き残り、災いを振りまいているのだ?

 化け物の話しではない。

 化け物が出ようが人間を食らおうが、その元となった人間の争いを問うているのだ。

 言葉で煙にまくようなふざけた真似をするなよ。

 俺達のお慈悲は、神の使いとはひと味違うのだからな」


「カーン」


 呆れたジェレマイアを制すると続けた。


「町の男達は争いにかりだされているのだろう。

 女と子供、年寄りだけの町は幾たびも襲われている。

 町の周りには警告と共に、人柱ならぬ結界を張り巡らせているのだ。

 村は、結界が無いから、壊滅したんだろう。

 お前達は、今も、攻撃を受け続けている。

 だから、俺達を本来は中に入れたくなかった。」


「どうしてだ?」


 ジェレマイアは嫌そうだ。

 その表情は、誰もが頭に浮かぶ答えを、言葉として伝えられる事が不快と語っている。

 誰もが、壊滅した小村や散在する死体を見れば、普通は思う。

 化け物や神の怒り、異形などの不可思議な事に目を奪われなければ、こう思うだろう。


 戦だ。


 中央にバレぬようにと、コソコソと内乱を続けている。

 ツアガ公の領地は、化け物もいるが、欲深く業の深い人間が溢れていると。



「中央の臨検を恐れたのだ。

 内乱ありきならば、今までよりも事は大きくなる。

 かといって、何も知らぬ我らをそのまま本拠地に送り出せば、いずれは中央に知れてしまうだろう。

 運良く途中で死んでくれれば良いが、死なずにツアガ公の城までたどり着かれては困る。

 我らのように正規の兵と公王の親族、そして中央神殿の使者が来訪すれば、その事実は無視できない。

 ツアガ公は、正式に認めるほか無いのだ。

 たまたま、不幸な事が起こり、我々が客死してくれたとしても、記録は残ってしまう。

 だから我々はツアガ公の城まで辿りついては困るのだ。

 あくまでも、その途中で行方が知れなくなる、もしくは、この町で流行病で死ぬ方がまだ、ましだ。

 考えても見ろ、神官が先に殺されているのは、何も邪悪な物が狙うからではない。

 神官ならば、中央へ連絡する手段があるからだ。」


 それに女は小さく笑った。


「確かに、神官様方は最初に襲われましたな。

 このツアガ公領に生きておいでの方は、多分、守城の方のみでしょう。」


「では、誰が、神官の代わりに、この場所を守ろうとしているのだ?

 外のアレは、呪いなのだろう?」


 ジェレマイアの問いに、女は答えなかった。

 代わりに覆いが寄せられる。

 寝台を囲む覆いはたぐり寄せられて、徐々に中身が見えてくる。

 腐臭だ。

 裏庭から流れ込む薄ら寒い風が、腐臭を扉の方へと押し流す。

 むっとする臭気と、油の煮凝りような不愉快な臭い。

 覆いは細い木の棒でたぐり寄せていた。


「強伝染性の感染症の疑いがあります。

 祭司長殿は外へ」


 エンリケの声に護衛が素早く扉の外へと彼を押しだした。

 それに寝台の女は頭を微かに振った。


「大丈夫にございますよ。これはうつりませぬ故」


「三種類ほど候補がありますが、いずれも全身発疹と化膿が見られます。経験上、獣人には感染する事はありませんが、罹患しても軽度の皮膚湿疹ですむはずです」


「ですから、これは違いますよ、そこの人。

 これは病ではありません。」


 そういったユージンと名乗る女は、体中が腐っていた。

 唯一まともに残っているのは、両目ぐらいである。

 頭髪も疎ら、溶けた鼻と頬肉、よくぞ生きているという姿である。

 むしろ、外に晒された死体の方が人の形を残していた。


「何があったのだ?」


 溜息を堪えて問う。

 すると、女は少し笑った。

 背を枕に置いて、彼女は枯れ木のような手を顔の前で振る。


「私は長命種人族です。

 ですが、色々ありまして神殿へと預けられ、その後に殿下の侍女となったのです。

 ですから、思うよりも長く生きる事もできましたし、身の不自由も皆様が思うよりは酷くないのです。苦痛も慣れましたし。」


「診察用の道具を取りに行ってもよろしいでしょうか?」


「かまわん、ついでにジェレマイアも診察し他の者にも、必要な処置をしろ」


「了解しました」


「うつりませんのに」


「長命種のお前がその有様だ。何がどうなるかわからぬだろうが」


 エンリケを送り出し向き直る。

 それに彼女は、少し面白そうに続けた。


「単なる呪いの反動ですよ。

 余程、女が憎いのでしょう。

 女と見るや呪いを寄越す。」


 そういうと、酷い責め苦を受けているというのに、彼女は笑った。


「私なぞ、まだまだ。

 もっともっと、皆、惨い目にあっているのですよ。

 アミチアの花嫁が命を落とせば、イアドから更なる悪意が吹き出してきてしまう。

 だから、私達は逃げられない。

 我らが好きで花嫁になったとお思いか?

 国は行き場の無い、長命種の女を送り出すのです。

 そして、私達が死んだら、別の女を寄越すのです。

 嘘ばかり。

 嘘つきは、あなた方。」


「我々は、その慣習を知らない。

 公王でさえも、単なる同盟強化の策として考えていた。

 実際の役割は違うというのか?」


「少なくとも、神殿の方は知っておいででしょう。

 公王陛下が知らぬというのも、おかしな事ですしね。

 それでも皆様方が知らぬというのならば、それは信じていないという意味なのではないでしょうか?

 知っているが、信じていない。

 だから、慮外なのです。」


 信じていない。

 その言葉に、何処かで納得する。

 迷信を信じる者はいるが、それを信じていると公言する者は少ない。

 神話を信じる者はいるが、それを現実だと公言する者はいない。

 今までは。


「お座りになっては如何ですか?

 このように傷んだ体では、何ができるわけでもございませんし」


「そうか?

 外の呪いは、お前では無いのか?」


「いいえ、それも含めてお話ししましょう。

 そうすれば、呪いも、私の有様も、そして、貴方方の嘘も少しは理解できるのではないでしょうか?

 真実かどうかは別にして。」


 実に嫌な笑いだ。

 面相の問題ではない。

 憎しみと蔑みが見えた。

 確かに、このような姿になる原因が国に、我らにあるならば、憎しみも一入だろう。


「さて、何から話しましょうか。」


 彼女は両手を前に組んで、枕に頭を落とした。

 ギラギラと輝く双眸は、薄暗い寝台の上で忙しなく動いた。


「長くなってもよいならば、最初から。

 お急ぎなれば、結論から申しましょうか?」


「結論から言え」


 それに彼女は笑った。

 なるほど、と、言い。


「ツアガ公領地は終わりです。

 公初代の罪が蘇り、殿下の犠牲も効果が無くなった。

 罪は氏族同士を争わせ、イアドの蓋を開かせた。

 我々花嫁の寿命も、争いの所為で尽きつつある。

 いずれ、このツアガ公領は、彼らの物になるでしょう。

 彼ら、モーデンの兄弟の物に。」


 そこまで続けてから、バカバカしいと言わんばかりに頭を振った。


「殿下と私たちは、この土地に封じられている物を押さえる蓋

 です。

 公の氏族同士の争いにより、殿下と我々は死にかかっています。

 もう既に、死んでしまった場所からは、悪意が流れてしまいました。

 どうやら、氏族の争いに乗じて、初代の間違いが戻ってしまったようです。

 そのお陰で、ますます、花嫁は死に、殿下は命を削られ、公は身動きがとれない。

 中央に助けを求めようにも、争いによりままならない。

 メルドン様は限界を感じ取り、公の元へと向かいました。

 守城からならば海路で中央へと連絡がとれるという算段です。

 ですが、どうやら、メルドン様はたどり着かれなかった。

 我々は、今まで通りイアドの門を守り続けなければならない。

 ですが限界は目の前です。

 町の女は死んでしまった。

 次は子供が喰われるかもしれない。

 私は、私の役目を果たさねば、メルドン様に申し訳が立たない。

 このような身に落とした中央に義理はありませんが、メルドン様には良くしていただいた。

 せめて、町の子供だけでも生かさねばならない。

 そこに貴方がたが来た。」


 そこまで言うと、彼女は目を閉じた。


「最初から、お話しした方がいいでしょうね。

 お客人の表情からして、何も理解できていないと言っていますもの。

 貴方の理解できそうな結論を言葉にすれば、こうでしょうか?


 ツアガ公は二つに割れて争っています。

 公の支持勢力は劣勢です。

 いずれ、公も我々支持勢力も滅びるでしょう。

 お陰で一緒に、人間も滅びるでしょう。

 如何か?」


 そして重ねて彼女は言った。


 人間は全て餌になるでしょう、如何か?

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