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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
294/355

ACT259 夜にいたる扉 ⑥

 ACT259


 朝陽が射し込む。

 霧は流れ去り、村の全容が見て取れる。

 王城方向である南東の山。

 その裾野にあった海神の祠から村に向けて緩やかな傾斜が続く。

 林に原野、寂しい風景と見える限り木と空が村を囲む。

 眺めは山を背負い、更に北西も遙かに青く白い山並みが続く。

 そして絶滅領域の方向の空は、黒く暗く渦を巻いている。

 冬が未だに居座っているようだ。

 そして正面は、延々と森や何も無い原野、という緑の海が広がり、空は押し寄せる雲に埋められていた。

 そして東も森と山。

 こちらは低い山を濃い緑で覆い息苦しい。

 それでも朝陽の帯は東から射し込む。


 開墾で広げた村は、その東に道が続いていた。

 ツアガ公の本拠地は、北東。

 この道が公の本拠地に続いているのかわからない。

 目的地を目指すなら、北上し海を目指した方がいいのかもしれない。

 兵站との相談になる。


 風に吹かれて瓦礫に座る。

 風は冷たく湿気っていた。

 どこか不穏な気配をはらみ、微かな異臭を感じる。

 それでいて、何処か人間の纏う生臭さとは別の、暗さを含んだ鋭い何かを混じらせていた。

 言葉にするのは、難しい。

 多分、汚れを含んだ神意というものかもしれない。


 ..何が神意だ。


 教養の低い自分が、一々こうして小難しい事を考えているのは、単なる暇つぶしではない。

 グリモアの言う魔に体が馴染んでいく課程で、必要な訓練。

 つまりグリモアの遊戯、理を操る則を学んでいるからだ。


 常に考えを言葉に直し、屁理屈を幾通りも用意する思考訓練。

 実に、面倒臭く女々しい。

 グダグダと考える事が嫌いというより、退屈だ。

 考えをこね回すより動いていたい。

 それに一年中悩んでいるような奴は、大概、悩むのが趣味になっている。

 悩むなら動け、行動しろ。

 と、言いたいところだが、これは訓練である。

 観念して、ウダウダと面倒臭い事を考えてはこねまわす。


 さて、と、破壊された村を眺めまわして考える。


 これはどういう事か?


 見たままならば、単純な生存競争の結果だ。


 そこに人間社会の面倒な柵や、強力な力が使用されただけ。

 意義と理想が失われただけだ。


 人間同士の争いでは、よくある事だ。


 土地を奪い取る、財産を奪い取る、自分達の意見を通す。

 目的はあったはずだ。

 まっとうな暮らしをする者には理解できない目的があっただろう。

 そして、こんな風になるとは思っても見なかったのではないか?

 もちろん、最初に行動した者が人間だったと仮定した場合だが。


 こんな筈じゃなかった。

 と、その人間は思ったのではないか?


 だが、武器を手に取り争いをするという事は、お題目が何であれ、長引けば長引くほど、人はどんどん死ぬ。

 そして、目的も意義も失われる。

 土地は荒らされ、財産は灰となり、女子供までもが殺される。


 よくある事だ。


 ただし、敵が、人智を越える武器や手段を使ったから、このような酷い有様なだけだ。

 否、人間も元より残虐非道だったか。


 だが、それだけでは無い。

 些末な人の争いだけで、これほどの変化があるか?


 面倒臭い。

 もっと単純な答えがいい。

 と、思う。

 思うそばから、グリモアが大袈裟にため息をつく。

 悪霊どもは嘲笑のかわりに、最近は多彩な演技をしてくれる。


 その悪霊に反論というか文句を言う。


 単純な答えこそが、答えとしては正解だ。

 簡潔な答えが、一番、他者と自分を納得させる。

 この納得させる事が重要なのだ。

 嘘も本当にするだけの、屁理屈は、単純でなければならない。


 横車を押す事が元々理屈を無視しているのだから。


 如何なる手段であろうとも、真理に到達できれば、屁理屈も他の力を押しのける答えに変わるのだ。

 否、違うか。


 グリモアの主は、回答を手にしている。

 正しい回答だけを手にしているから、途中に理屈が必要になる。


 答えは用意されていて、そこに至る道程が無い。

 道程が用意できれば、力が手に入る。

 それも無限、無敵の力だ。

 だが、回答に至るには、訓練と知識と正しくあろうとする魂の基礎がなければ、押し負ける。

 グリモアは間違いを好み、過ちを犯す者を喰いたいからだ。


「面倒臭い」


 空転し始めた頭を休める。


 村の残骸からあがる煙を眺めた。

 煮炊きをし、今は怪我人の手当と村の周りを再度調べている。


 この村は巣だった。

 人間を捕らえ、喰らい繁殖する場所になっていた。

 その手段が異様なモノであっただけだ。

 ただし、その巣が故意か否かが問題だ。

 異形が沸いたのは来る夜の所為なのか。

 それとも魔神の示した悪意故なのか。


 だが、それも異形が自然発生する原因は、齋、ではない。

 と、いう前提の考えだ。

 彼女の慈悲による余波では無い。

 人間は弱い。

 故に、変化を呼んだ者を断罪する。


 もちろん、それは過ちだ。

 人間の価値を下げる行いの一つだ。

 価値があるならばだが。


 彼女が手渡してくれた許しを疑う事は罪だ。

 愚かしく罪深いとグリモアは激怒するだろう。


「まったく、困った奴だよ」


 彼女は、人、以外から絶対の支持をもっている。

 そして、人から乖離すればするほど、グリモアの意見は正しいとわかる。

 この変容は、東でおきた変異体とは、根本的に違うのだ。

 人の技術による加工では無い。

 根本が変質したのだ。


 持ち込んだ女達を見ての、グリモアとジェレマイアの見解だ。



 明け方、程なくサーレルとイグナシオ、そしてヤンが戻った。

 狂人だけは相変わらず。

 他二人は変容していた。

 グリモアの言う魔の浸蝕を受け入れ、変化していた。


 だが、嘆かわしいとは思わなかった。


 何しろ、これで生き残る力を得たと思った。

 予兆予感では無い。

 グリモアは知っている。

 来る夜は、実に野蛮なのだ。

 これは始まりだ。

 蛮族の叩く太鼓の音と同じである。

 これは始まりに過ぎない。

 浸蝕されようと、その定めの先が地の底であろうと、魂が守られるならば、まだ、救われよう。

 そう思った。

 それを残念に思う事も大層な事だとも感じない。

 もともと、人間なんぞ立派なものではない。


 だから二人が、否、スヴェンも含めて、魂が彼らのままならば、問題は無い。


 問題は無いが、本人はどう思うだろうか?


 スヴェンは寝ている。

 容態は落ち着いているが、負傷部分の回復の為にイグナシオと同じく獣体になっている。

 見た目に変化の無いサーレルやイグナシオに対し、スヴェンは獣体にも変化があった。

 食い破られた部分が、肉では無く別の物が補填している。

 身半分を、金属が殻となって覆っていた。

 顔面、左目、肩、左前腕、腹部の一部に腿、足。

 殻となるように命じた隷下の武器が鱗となって覆っている。

 魚の鱗よりも、爬虫類の物に見えた。

 獅子の獣体であるスヴェンの半身は、鈍色の鱗が棘を纏い覆う。


 人型に擬態するとどうなるか。

 申し訳無いと思う。

 女にモテなくなったかもしれない。


(申し訳ないのはそこ?)


「女にモテれば、ちょっとした事は大概許す性格だ」


(...)


「獣人じゃなくとも、繁殖時期の雄には重大な問題だろう。」


(モテるなら多少化け物じみても良いって事?)


「まぁ言い方を変えれば、女子供が怯えて逃げなきゃいいって事だ。」


「いやぁ元々、女子供は逃げるんじゃねぇの。お前等どう見ても悪人面だしよ」


 ジェレマイアがシュナイを引き連れてやってきた。


「それに俺の知る限り、スヴェンがモテたところは見たことねぇぞ」



「オービスの氏族は、重量獣種の女には引っ張りだこだ」


「それ、あんまし好い意味じゃぁねぇだろ。顎で使っても潰れない男としてじゃねぇの?」


「..」


(黙るところが、怪しいね)


 ジェレマイアは少し笑うと、傍らの悪霊を見た。

 何とも言い難い笑い顔を浮かべて、頭を傾ける。


「俺にも、普通に見える。

 まぁ今までも見えていたんだが。

 肉付けが無かった。

 実に悪霊らしい姿に見えていたんだが、今は違う。

 これも馴染んできたという事かな」


 それに悪霊は仮面のような不気味な笑顔を返した。


(違うね、ちょっと違う。

 主よ、少し、違うことがわかるかな?)


 それに暫し考える。

 訓練という訳だ。


「俺はグリモアを、毒を得て人の枠から外れた。

 つまり、人ではなく、魔に近い者になった。

 今回、負傷した者は、俺と同じく、宮の使わす魔になった。

 つまり、この世の理に属する、魔だ。

 魔神の望みを叶える者だな。

 だから、見えるし聞こえる。

 だが、グリモアは、お前は違うという。」


 膝に肘をつき、両手を合わせる。

 見える景色は、広々としていたが何処か暗かった。


「では、質問を変えてみよう。

 グリューフィウスのシュナイ。

 貴様は、見えるか?」


 スヴェンに弾き飛ばされた時に、殴打したのか頬骨のあたりが紫色に変色していた。

 それを手の甲でこすると、シュナイは答えた。


「彼はボルネフェルト公の姿を模しているのでしょうか?」


「どう見えている?」


「妹に似た子供の姿です。

 リアンは、のんびりとしているので、雰囲気は違いますが」


 そこまで言ってから、彼はバカバカしいという仕草で頭を振った。


「つまり、貴様は見えている。

 これはジェレマイアと同じか?」


(そうだね)


「俺の兵隊とヤンは、同じか?」


(ちがうね)


「じゃあ最後に問おう。

 俺とヤンは、同じか?」


 悪霊は笑顔のまま、答えない。

 つまり、それが答えだ。


「簡単だろ?」


 それにジェレマイアはため息をついた。

 わからないシュナイが、質問を躊躇っている。

 それにかつての血族が答えた。


(長命種の血が、そろそろ変化してきたんだよ。

 グリューフィウスの息子よ。

 祭司長の母君は精霊種だった。

 精霊種の息子は、原種に近くなる。

 原種のモーデンにね。

 そして君もだ、使徒の二つの家系の子だからね。)


 夜が来て、モーデンの呪われた血が戻ってきたのだ。

 ヤンにしろ、彼ら二人にしろ、人の枠から踏み出す原因は、我ら獣人やグリモアを得た者とは違う。


「幸いにも、魂は、まだ、変質していない。

 ジェレマイアは、彼女がいる限り、踏みとどまれるだろう。

 そしてシュナイ、貴様は妹がいるかぎり、留まるしかない。

 もちろん、お前達が魂を腐らせたなら、その時は殺す」


「お前がオカシくなったら、誰が殺す?」


 当然の問いに、笑いがもれる。


「魂は魔神が握り、何が俺を殺し壊そうとも、腐る事は無い。

 俺の肉が残り、何かが宿らなければ、驚異とはならないだろう。

 仲間の誰かが生き残っていたなら、燃やせばいい。

 俺のように、この世界の(魔)ならば、名を預けた者ならば、魂は腐らない。」


(狂い、腐るのは長命種だけだね。それも欲深いモーデンの血をひいた輩が真っ先に試されるのさ、楽しいね、主よ)


 その言葉に、自分と他の二人が思わず悪霊を見つめた。

 悪霊は、モーデンを初めて貶める言葉を吐いた。

 これはボルネフェルトの悪霊の言葉ではない。

 グリモアの知識として残るモノだ。


 皆の沈黙に悪霊は笑っている。


(己が業因で、子孫を苦しめるとは、何と罪深いのだろうね。

 そもそも、本当に善き者ならば、滅びれば良かったんだよ。

 滅びずとも、己の種が害悪であるというのがわかっているのなら、この世の片隅に潜んでいればいい。

 それを主軸となる種族にとりつき、新世界に手を伸ばした。

 どうみても、強欲な輩じゃないか。

 さすが、前の世を滅ぼした腐ったたねだ。

 だが愚かしい事に、今の人間どもは、己が世を食い荒らす害虫を崇めている。

 お偉いモーデンという害虫が、そういう風に育てたからさ。

 君たちも、よくやっているだろう?)


 押し寄せる雲は、雨を含んで暗い。

 首都は乾いているというのに、ここには水がある。

 魔物の潜む水だが。


(肉を喰いやすいように、家畜を太らせる。

 囲いをつくり、水を与え、そして、おいしい肉になるように交配するのさ。

 さて、ここで問題だ。

 主よ、ここでいうおいしい肉とは何だろうね)


「さしずめ、俺たちは不味い肉か?」


(わかっているじゃないか。

 そうだよ、よく覚えておくと良いよ。

 旨い肉と不味い肉の違いだ。)


 例えを額面通りに受け取ってはならない。

 が、今の自分には正しい解はわからない。

 意味深に示唆されても、これ以上は無理だと思う。

 考えが飽和してきたのを感じ、悪霊との対話を切る。

 そして当面の問題をジェレマイアに聞いた。


「この村にある巣を焼き払った後はどうする?女達と子供もだが」


 それにジェレマイアはため息をついた。


「次に向かうのが、この近辺の村を纏める代官がいる町だ。

 子供はそこへ送り届けるが、女達は」


 シュナイを見やり、薄笑いを浮かべると彼は続けた。


「姉ならば、助けよ。と、言うだろう。

 因みに、カーン。

 グリモアの見立ては?」


 女達は、死んでいる。

 魂の残滓は感じられたが、死人だと見分けていた。

 女達の体は暖かいが、死んでいる。

 その絡繰りを解体するには、もっと高度なグリモアの利用をしなければ無理だった。

 生き返らない事は確実。

 そして実力の伴わないグリモアの主では、救済も困難だ。

 自分が行える救済、慈悲は、確実な死をもたらす事だけだ。


「生き返らせる事はできない。だが、魂の救済を果たす事は可能だ。

 それとは別に、この女達、村を蝕んだモノを確実に追う事が重要だと思う。

 俺の救済方法だと、女達は消滅か、宮へと直葬する事になる。

 蝕んだモノは、女達と同じく消滅してしまうか、宮へと取り込まれて、こちらからは追跡が難しい。

 これが人為的な呪術、魔導ならばだが。」


 暫くジェレマイアは黙ったまま、暗い景色を眺めていた。

 気温は低く、首都の春が嘘のようだ。


「彼女たちは、何れ、動き出すだろう」


 ジェレマイアの声は、憂鬱を含んでいる。


「魔導とは難解な遊戯だ。

 呪術は理を基礎とした言葉の遊戯だから、法則を理解できれば答えはでる。

 だが、魔術、魔導は、元が違いすぎる。

 グリモアが、魔導の構造をしていても、こちらの理によって動いているからこそ、その力は呪術であり、我々は理解しうる訳だが。

 だが、化け物にしろ女にしろ、そしてイグナシオ達が遭遇した変容した人間のなれの果てにしろ、わからない。


 思考の規範そのものが異質すぎて、俺にはわからないんだ。


 命の言葉も、構成する呪力も、無秩序で理解できない。

 つまり、ここに蔓延っているモノは、理が馴染んでいない魔だ。


 同じ化け物でも、この世界にある限り、化け物は化け物なりの命の言葉が見えるはずなんだ。

 これが意味する事は、我々の世である領域が喰われているという証拠。

 生活圏を削がれているという事だ。

 宗教的に言えば、第四の領域、虚無が広がり始めている。

 言葉を簡単にすれば、我々の神と人の世に、異界の神と人が割り込んできている。悪い神だろうが善い神だろうが、この世界の生き物では無い何かが生活圏を広げ始めている。

 つまり、理そのものが書き換えられようと攻撃されているんだ。

 これは夜が来る事とは、別だ。

 だが、これが原因なんだろう。

 これで俺達の行き先は間違っていないとわかったな。

 神がお怒りなのは、これだ。


 魔導を蔓延らせる元が、この先にあるんだろう。

 なのに、これから向かう俺には、魔導を読む目が無い。

 理解できないんだ、情けないよな。

 見える事だけを繋げても、意味は半分も理解できない。

 なにしろ土台が狂気、狂って混乱しているんだからな。

 それでも、彼女たち苗床を見ると、読みとれる言葉がある。

 こちらの世界にあるのだという、強い意志、がある限り、魔導とてこちらの法則が適応される。


 カーン、後でグリモアと共に読んでみるといい。


 彼女たちは、喰らう者だ。


 今はまだ眠っているが、命の言葉が、人の魂と共に抜け出た後に別のモノで溢れている。


 汚いぞ。

 見ればわかるが、酷い悪臭がする何かが空洞を埋めている。

 動物や虫、人間の意識とは違う。

 この世には無い異質なモノだ。

 その中心で微かに見える言葉は、捕食者を表している。

 目覚めれば、直ぐに食い始めるぞ。」


 何を?と、問う事はしなかった。

 旨い肉、不味い肉。


「火葬の準備をする。

 彼女達は燃やし、清めて葬る。

 俺の判断で良い。カーン」


 ジェレマイアは呟いた。


「怖いモノってのは、大人になっても増えるんだなぁ」


 何が?と、今度も問わなかった。






「肉骨粉作った奴らってぇ、石像みたいな鶉じゃぁねぇよなぁ」


 飯を食いながらのヤンの質問に、イグナシオが何かを返している。

 多分、うなり声からするに、同意のようだ。


「魚も食うだけだしぃ。ナシオの旦那、こう人間を搾ってすり潰して肥料にするようなのって、何だろねん」


 飯がまずくなるような話題だが、当然の疑問で、周りの者も会話を止めはしない。

 当のヤンは、自分の荷物から酒瓶をとりだして呷っている。

 それにイグナシオが何か唸った。


「えぇ、断酒ぅ?

 無理無理無理ぃ、飯食え?

 うぇぇ、喰わないと焼き殺す?

 りぃふじーん!あだっ」


 苛ついたのかイグナシオが前足でヤンを吹き飛ばした。

 相当の破壊力の筈だが、狂人は酒瓶を保持したまま焚き火の反対側に逃げた。


「何で会話が成り立っているんだ?」


 モルダレオが首を傾げている。

 我々の声道を通す音の意味は、他種族が理解できる言語ではない。

 多分、イグナシオとヤンは、浸蝕度が同じぐらいなのだろう。

 波長があっているともいうが、行動を共にしていると同調しやすくなるようだ。


「言うなよ、ナシオがごねて、ヤンが俺のところに来るからな」


 モルダレオは肩を竦めた。


「二人を一緒にしておく方が問題なのでは?」


「じゃぁお前、ヤンと組め」


「自分は結構です。それよりも、結局足止めですか?」


「スヴェンが目覚めるか、女達から何か出てくるまでな」


「別段、燃やして良いと祭司長殿はお許しになっているのにですか?」


「納得できるかできないかが重要だ。

 ここで女どもに変化があれば、これから後は躊躇わずに処理できよう」


 モルダレオは手中の碗に目を落とした。

 皮肉げな笑いが口元を歪ませる。


「そうですね。納得できるかできないか。

 始末する瞬間は考えませんが、後をひく。

 そうしてそれが隙になる。」


「お前は納得しているか?」


 モルダレオの考えをくみ取る事は、案外難しい。

 自分からすると、少しばかり曲がった思考だ。

 癖があるのは、直属隊の者全員だが。


「納得していますよ。

 貴方に従う事は当然です。

 私は迷わないし、後悔もしない。

 これから何が起きようと、死のうともです。」


 何故と問う愚は、自分にはできなかった。


「カーン、貴方が生き残ってくれなければ困るのです。

 だから、私はここにいる。

 貴方が生き残ってくれる事が、私の部族を長らえさせる。

 精々、長生きして働いてもらわねば困るのです。」


「煩い嫁のようだな」


「食事の量から睡眠まで世話をやけというのなら、かまいませんよ。口を挟むだけなら差ほど労力もいりません。」


「お前が言うと冗談と本気の区別がつかん」


「私はいつも真剣です」


 真顔で冗談を言う男の言葉は、額面の通りに受け取るとしくじる。

 だが、俺を生き残らせたいという気持ちは本当だろう。

 死んでも皆の暮らしが守られるようにしてあると言っても、モルダレオは心配なのだ。

 人は、一度すべてを失うと、安定した暮らしというものが想像できなくなる。

 それは自分を含めて、俺の周りの男たち全てが持つ感情だ。


「んじゃぁ、ヤンを」


「イヤです」


 そんな無駄話の向こう、小休止する自分達の向こうでは、ジェレマイアが女達を見ている。


 製材所に陣取る我々から、少し村の中心に下る場所の瓦礫を片づけ空き地を作った。

 そこに女達を並べて横たえている。

 今はちょうど昼前だ。

 スヴェンは気持ちよさそうに鼾をかいて寝ている。

 一度意識を戻したが、再び昏倒していた。

 エンリケの見立てでは、今死んでいないのなら大丈夫だろうという。

 大雑把な見立てだが、まぁそうだろうとグリモアも同意していた。

 イグナシオは重度の火傷を負っているので、獣体のままである。

 これもエンリケが戻すなという事なので、本人の意思とは別だ。

 お陰で活性したままなので、肉を食い続けている。

 もちろん余剰の肉など本来は無い。

 そこで現地調達の新鮮すぎる鹿肉を半生で喰っている。

 血抜きをして表面を炙っただけの肉だ。

 本来は寝かせて熟成させねば旨くもないし堅い、人族の者では寄生虫も考えられる。


「なんで生の肝臓を喰うんだ。

 獲物の肝臓を喰う習性でもあるんでしょうか、あの男は」


「勘弁しろよ、それだと人肉も喰ってるぞ」


 何故かヤンが楽しそうに狩ってきては貢いでいた。

 そして肝臓だけは自分で喰っている。


「もう、アレを人族と考えるのは止せ。

 別種の何かだ。

 アレに普通とか常識を求める方が無駄だ」


「確かに」


 女達を囲むように石が並ぶ。

 石は破壊された村の囲いの残骸から拾い集めた。

 それを丁寧に洗った後に、白墨で文字が描く。

 ジェレマイアが呪術文字という物を描き込んだ。


(魅了する言葉を、神聖教の文字、聖詞にして描いている。

 だから読み上げるとそれは歌になる。

 グリモアの力は見えず聞こえない者には使えないとはこの事だ。

 魅了する言葉は、力を帯びると歌になる。

 グリモアを使う者は歌うたいとも称されるのだ。

 そして、君と姫の違いはここだ。

 森の人、精霊種は生まれながらに歌うたいだ。

 自然に万物に、命の言葉を読みとれる。

 そして歌えるんだ。

 だが、獣人の君は見えるし聞こえるが、歌えないのだ。

 吠える事は得意だが、言葉を歌にする事が苦手だ。)


 つまり、魔導の者は狂った歌をうたう者か?


(調律するのがグリモアの主の使命だ。

 狂ったモノを正す。

 流れに戻し理を守る。

 君は歌が歌えないが、吠えて暴れてたたき壊す事は上手だ。

 それも又、姫とは違った美徳だと思うよ。

 正しいだけでは、調律できない事もある。

 現に姫も守護者の長も、公明正大に生きようとした。

 だが、結果はこの通り。

 欺瞞と嘘が蔓延り、邪悪が幅をきかせている。

 まぁ、聞くがいい。

 彼らの犠牲が君たちを生き延びさせたのも事実だ。

 だが、これからは違う。)


 二重の円に横たわる女達が目を覚ます。

 皆が見守る中で、カッと目を見開くと女達は跳ね起きた。


 眼球は玉虫色に輝き、トロリとした輝きを放っている。

 両手を前に垂らし、牙をむき出しにする姿は、恐ろしく醜く。


 哀れであった。


「火を」


 灰になるまでジェレマイアは円の中を見続けた。

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