ACT255 夜にいたる扉 ⑤
ACT255
不意に水の気配がした。
夏の沼底の匂いがする。
ネバネバと蛭が粘液を滴らせて地面を覆う。
炎に照らされ霧が影を反射する。
我々の影、不快な音。
水の気配が濃くなった瞬間、ソレは霧を巻き込み吹き出した。
ドンっ、と言う音が後から振動と共に届く。
ソレは炎を避けるように地面に激突した。
紙一重で交わす兵士を余所に、身を起こし溶岩のように盛り上がる。
黒、白、肌色、青、桃色。
あえて言うなら腐乱し始めた肉色の何かが、大きな固まりとなって蠢いている。
霧と蛭をボロボロとまき散らしながら、それは流動し兵士へと襲いかかった。
硬いモノなのか、柔らかいモノなのか。
瓦礫にぶち当たると、それを易々と抉り突き抜けた。
「砂蟲か?」
炎を背に、皆、盾を構えた。
「違いますね。自然界の生き物で一番近いのが」
問いに、エンリケの声が答える。
「食用の川魚でしょうか?」
「冗談っすよね!」
「うおぉぉ、なんだこりゃぁ!」
悲鳴のような声をあげたのは、もう少しで飲み込まれそうになった兵達だ。
目を凝らしても、ソレが何であるのかわからない。
ドロドロと体表を蠢かす蚯蚓のようなモノ?
「魚?あの大きな姿がですか。蛇や爬虫類の方が」
冷静な公爵の感想に、ニルダヌスが獣化しながら言った。
「お声を出さないでください。キマスヨ」
そして、ひょいと公爵を背負う。
「はいはい、この年で背負われるとはねぇ」
ジェレマイアの方はオービスが抱える。
それに当人は文句を言いそうになったが、出てきたモノが案外素早い事と大きさから口をつぐんだようだ。
「デカいな」
火は苦手のようで、霧を纏いながら光りの縁を蠢いている。
その固まりが移動している様は、反乱した川にも見えた。
南領の砂漠地帯に生息する砂蟲もかくやという大きさである。
「こんな時に限って、イグナシオが不在とは残念ですな。」
モルダレオは、相変わらず微妙に笑えない事をいいながら攻城戦用の火薬玉を配る。
「むしろ、当人が後で悔しがるだろうよ。八つ当たりが面倒だな」
スヴェンが適当に答えながら、攻撃する者達と共に炎から離れた。
ソレはうねると一気に盛り上がり接近する。
対する兵士達はジェレマイアと公爵を囲み、二つに分かれた。
瞬き程で人の輪が散る。
今までいた場所にソレが頭からぶち当たった。
形は崩れるが、蛭と粘液をまき散らすと、再びそれは大きく盛り上がっていく。
幾度も揺れ、地面が割れ何かが壊れる音が続く。
しかし、幸い焚き火は火種が動かぬように、特殊容器を地面に埋め、その周りを石で固めているので今の所は消えていない。
実は周りの木材や瓦礫は偽装である。
瓦礫は湿気っているので煙がでるだけだ。
生木で火が一晩燃える訳もない。
燃えているのは油薬と同じ加工した燃料だ。
火力は程々だが長時間燃える。
そうして密集陣形をとると常に炎から離れず円を描くように動き続けた。
自分とスヴェンの攻撃を受け持つ者達は、それを合図に火薬玉を叩きつける。
ここまでは予定道理。
しかし、その後は予想外。
火薬玉は弾けずに、飲まれて消えた。
否、飲まれて喰われた。
チキチキチキチキチキチキ
頭上に盛り上がった影は、勢いよく落ちてくる。
感覚が増大しているので、それが細切れになってゆっくりとして見えた。
引き延ばされた時間。
動きを止める周囲。
霧は濃く。
夜は湿り、風は凍る。
見上げた視界には、たくさんの小さな白い輪。
一匹の巨大な砂蟲のように見えたのに、近づくそれを間近に見て理解する。
エンリケは正しい。
これは魚だ。
沢山の稚魚だ。
それは巨大な固まりだが、小さな白い輪は口だ。
みっしりと尖った歯が生えた口だ。
退化した目と、醜い鰓、そして蚯蚓のような胴体をした魚、稚魚、そんな何か。
それが大量に大気を泳いでいるのだ。
ソレが進路を阻むモノを喰らい飲み、潰している。
(喰われるのかい?)
前に走り出して体を倒す。
泥と瓦礫に埋まりながら、ソレをかわした。
(残念!さて、できるかな?)
蠢く固まりは糸を引く飴のように伸びて、炎の側にいる者達に向かう。
元から退避行動だけをするように言いつけてはある。
次にエンリケが火矢を放つ。
油薬と火種付きの矢だ。
それも飲まれて消えた。
湿気と速度の問題で、油薬は点火までいかないようだ。
冗談ではなく、イグナシオが歯噛みしそうな敵だ。
と、ソレが不意に鎌首を擡げた。
まるで一匹の獣ように、その集団は首のように先端を盛り上げると、辺りを見回した。
まるで匂いをかぐように、それは首を擡げ、そして。
(ふむ、なるほど)
よりいっそう執拗に炎に集まる人間を狙いだした。
攻撃を加えた我々ではない。
「どういう事だ」
(見てごらん、何を獲物としているか)
繰り返し盾を構えては化け物の動きを予想して動き逃げる。
攻撃を考えなければ、何とか回避行動はとれていた。
だが、兵士はいざ知らず、運ばれている公爵達が保つまい。
(特別な火種だから、朝までは保つだろうけど、コレ、別に夜行性じゃないよね)
流動する本体に近寄る。
と、一部が分かれて食いついてきた。
ウネウネと蠢く数十匹が大口を開いて食いついてくる。
火を近づけると地面に落ちる。
落ちて苦しみもがくが、やがて又見えない水をかくようにして近づいてくる。
踏みしめて潰し、手で引きちぎる。
微々たる物で、見上げる本体には何ら影響はない。
こちらは蟻がたかるように、体中に食いつかれる有様だ。
だが個体は油薬を浴びて自分を焼けば離れる。
(さて、なんだか面白くないね。
何が面白くないかと言えば、僕達の存在が無意味だからだ。
君達は与えられたはずなのに、未熟すぎて理解していない。)
「黙ってろ、この化け物を始末してから御託を聞いてやる」
(始末?
ふ~ん、そうかそうか。
じゃぁ折角だから、僕も、ちょっとしたお手伝いをしよう!
さてさて、誰かの命を秤にのせたら、少しは賢くなれるかな?)
「いいから黙ってろ。燃やせればイケる。スヴェン、穴を開けるから、そこに」
(バカにつける薬はないんだねぇ)
そして悪霊は、悪霊らしい仕事をした。
ミアに背負われていた子供が意識を取り戻す。
目覚めたのか、目覚めさせられたのか。
そうして子供は..
か細い泣き声をあげた。
それは騒々しい場に、やけに響いた。
「スヴェン、エンリケ!」
擬態を解きながら呼びかける。
察したスヴェンとエンリケが、被せるように吠えた。
盾を武器を鳴らす。
だが、化け物は騒ぎ吠える自分達には一切注意を向けなかった。
小さな子供の弱々しい声だけが、化け物には届いた。
そしてソレは、隠れていた子供に向かってまっすぐに進んだ。
進路の焚き火を突き抜けてだ。
異臭を放ち、焼け焦げながらも、それは肉を蠢かせてまっすぐに進む。
咄嗟に、近くの兵士達が盾を構えて飛び込む。
次々に進路に盾を構えて前傾姿勢をとる。
一層、二層、兵士は弾き飛ばされた。
それでも起き上がり、進路に猛然と兵士が殺到する。
ミアは牙を剥くと子供を背負ったまま走り出した。
ソレは、紛れもなく子供を狙っている。
我々ではない。
小さな子供を狙っていた。
「何をした!」
(何も、アレは元々、子供を狙っていたよ。
公爵でも祭司でもない。
さぁ、無能な者どもよ。
試練は既に始まっているのだよ)
泣く子供、逃げるミア。
公爵達を守る者以外は、盾と共に追縋る。
幾度も濁流のように飲み込もうと、化け物は地面を抉るようにして突進する。
だが、炎が苦手なのは確かなようで、篝火と焚き火の近くは避けた。
しかし、範囲は狭い。
焚き火と松明は、徐々に破壊の被害を受けて減っている。
と、炎の光りからミアが外れた。
不味いと思う間もなく、彼女は子供を投げた。
そのまま獣化すると、振り返り化け物に盾を構える。
皆が装備している物よりも軽い半盾だ。
砲弾が落ちたような音の後に彼女が吹き飛ぶ。
「チクショウ!イテェ、受け取ったか!」
が、活性しているので傷は浅い。
投げ飛ばされた子供は、何故かシュナイが掴んでいた。
幸いというか、彼は公爵と一緒なので盾になる者どもが多い。
だが、それも勢いを増した化け物には関係ない。
「兄ちゃん、子供を括り付けろ!」
投げられた子供は、再び気絶したようだ。
それを紐で体に括り付けると、シュナイは兵士の後ろに下がる。
再び、化け物は体を撓めると突撃の姿勢をとった。
一層、二層、兵士の盾は楕円の大盾である。
それが割れるような音が響くと、獣化した男達が吹き飛ぶ。
攻撃が通じないとなれば、どうすればいいのか。
背負っていた剣できりつけるが、分断されても元に戻る。
(力を乗せてみるかい?)
それは無理だとわかっていた。
対象を理解しなければ、力をふるう事ができない。
おとぎ話の魔法では無いのだ。
あくまでも、理解しなければ力は取り出せない。
グリモアの遊戯は、理屈を必要とする。
アレは何だ?
(何に見える?)
目を凝らす。
見えない。
目に見える事だけだ。
(見るんだよ)
繰り返される攻撃が通じないと理解するや、化け物の姿が変わった。
ミチミチと個々の化け物がより合わさっていく。
腐肉をこね合わせるように、それは一つになった。
見るからに、先ほどよりも体表は硬く見える。
肌色に青い筋がはしる深海の生き物のような姿。
相変わらず目は退化し、醜い鰓と無数の牙が丸く開いた口から見える。
体表からは無数の蛭と粘液が滴り、辺りは生臭い匂いに包まれた。
それに今一度、火矢がいかけられる。
が、硬い音を立てて粘液と共に落ちた。
実に不愉快な姿だ。
それは相変わらずチキチキと音を立てると、ゾブリと地面を蠢いた。
見えない水を泳ぐように身をくねらせると、それは撓んだ。
そして、一気に飛び上がると再び襲いかかってきた。
咄嗟に踏み出し肩の半盾を押し込むように体当たりをもくろむ。
不愉快な滑りに思った以上の堅さ。そして次の瞬間には弾きとばされていた。
少しは進路をそらすことに成功する。
だが活性して衝撃を相殺したつもりが、地味に痛い。
たぶん、見た目から予想するより段違いに硬い所為だ。
モルダレオが、再びソレの進路に爆薬を投げつける。
相変わらず、粘液により火力が弱まるが、それでも足は鈍るようだ。
(アレはどう見える?正解を出す必要は無いんだ)
呆れたような声音を無視すると、再び得物を構えソレを追いかける。
(だから、少しは考えろ!)
ジェレマイアが何か言っている。
が、霧と腐臭を吸い込んで噎せた。
化け物の注意を引かぬようにと、オービスが口元を押さえる。
わずかに届いたのは、これは違うという言葉だ。
違う?
答えを探す前に、焚き火の一つが瓦礫に押しつぶされた。
残りは少ない。
篝火の一つから差し込んでいた松明を取り出す。
シュナイが公爵とジェレマイアから離れようとした。
それに公爵達の護衛が数人一緒に離れる。
だが、それをシュナイは押しとどめた。
公爵と祭司の守りを薄くしたくないのだ。
逆に、シュナイが自分達攻撃側に移動すれば、彼らから攻撃は逸れるだろう。
確かに、それはいい考えだ。
と、浅はかな自分は思った。
松明を手に、シュナイをこちらに取り込むために回り込む。
シュナイは焚き火を間に挟み徐々に位置を変える。
他の者は攻撃と威嚇、視線を逸らす事を続ける。
(一つ、失敗したね。)
悪霊がため息をついた。
(君は、使うべき時に、力を使う事を怠った。
故に、罰一つだ。)
悪霊の言葉と共に、再び、己の世界が変化する。
すべての動きが遅くなる。
急激に繋がるのを感じた。
この場に、世界に、自然に、感覚が結びつく。
すると己を中心にして、この場所の動きが詳細にわかった。
わかったが、それは見えただけで、自分は動けず、ゆっくりとした世界でゆっくりともがく虫螻だった。
シュナイは慎重に子供を抱えて移動していた。
炎は火の粉をあげ。
公爵はニルダヌスに背負われていたが、化け物を見ている。
不思議そうに、そして何処か楽しそうに。
その側ではジェレマイアが未だに噎せている。
オービスの肩を叩いて、何かを伝えようとしていた。
そのオービスは鬣を逆立てて、化け物の動きを追っている。
何かに気がついている。
何だ?
繋がっている自分にもわかった。
だから、踏み出す。
遅い。
否、全ては高速で処理されている。
だから、この一瞬にすぎない時間をこうして引き延ばして見せているのだ。
来る。
コレの本体は、地からわいている。
地とは、地面に穴をあけたのではない。
何も無い場所から吹きだしてきた。
だが、これは、魚だ。
見えない。
見ることをしなかった、自分に、グリモアは罰を与える。
罰と共に答えを与える。
水脈だ。
これは水脈を伝って、半分、この世界に馴染んだ、生き物。
悪、ではない。
これは異形のモノ。
村にはしる水脈が見えた。
白い光りが広場を走り、井戸を抜けて教会へと続く。
ここはとても良い村だったのだ。
水の綺麗な、静かな静かな場所だった。
シュナイの踏み出した先は、その白い光りの走る場所だ。
この製材所の建物は岩場を背にしている。
そして堅い岩盤の上にあった。
奴らは、だからここには吹き出さなかった。
松明を投げつける。
シュナイの踏み出した先へと。
ゆっくりと松明が回転し、その場所へと到達する。
シュナイの瞳が大きく見開かれる。
それでも咄嗟によけて、松明が落ちる先を見た。
間に合わない。
醜い姿の稚魚が吹き出す。
どっと汚らわしい姿が吹き上がる。
それを呆然と見上げるも、彼は子供に両手を巻き付けて後方に転がった。
本体よりは小さな固まりは、鎌首を擡げると攻撃姿勢をとる。
ここまでが、半歩、の時間。
次に吐息を吐くまでに、それはシュナイに殺到した。
間に合わない。後、半歩間に合わない!
そう感じた時、カチリ。と、世界が動き出す。
カチリカチリと歯車が噛み合い、ガリガリと世界が動き出した。
叫んで走り寄るが、異形はシュナイを飲み込もうと大きく広がり。
そして..スヴェン、を飲んだ。
その半歩、自分より先にいた男は、背負っていた大盾を前に突き出す。
大盾は、シュナイを直撃し転がり飛ばした。
そのまま盾の下部を地面に突き立てると、スヴェンは膝を折った。
「スヴェン!」
自分の声が聞こえたのか、彼は振り向いた。
だが、ドロリと異形はスヴェンの体を飲み込み消し去った。
「火を放て!」
油薬がまかれるも、炎があがらない。
手を差し入れるが、異形が食いつき滑るばかり。
スヴェンまで手が届かない。
(主よ、理解したかい?)
「黙れ」
(力だ。常にこの世界と繋がり、感じるのだ。
そうしなければ、自分自身の愚かしさ故に失っていく)
「黙りやがれ、スヴェン!」
(見るんだ、カーン。
愚かな主よ。
確かに危険な力ではあるが、何をもって向き合えばよいか。
君は彼女に教えられたはずだ。
見ろといっている、愚か者めが!)
肉塊のようになった異形。
未だに子供を追い回す本体。
徐々に火薬の量を増やし、村の残骸そのものを焼き始めた兵士達。
祭りのようだ。
己に食らいついてくる異形を見る。
皮膚を探して噛みついてくる。
突き破られれば内臓まで喰らうだろう。
「魚は水に戻れよ。ここは陸地だ」
(もっとだ!)
吸いつき噛みつくモノを引きちぎる。
スヴェンを飲んだモノを見る。
命、を見る。
スヴェンという男の命が見えた。
無骨な男に似合わぬ、綺麗な色の命の形が見える。
そして与えられた武器の呪言も見えた。
命の灯火は弱い。
コイツは、喰っている。
では、何をするか?
別に、世の悪全てを滅ぼせと求められているのではない。
ジェレマイアの言うとおり、これは悪ではないのだ。
これは違う。
砂蟲と同じく、これは生き物だ。
これを差し向けた者と、これの存在自体は違う。
これは密林で出会う肉食獣に同じだ。
読みの間違った自分の過ちだ。
指を差し込む。
今度は大丈夫だ。
異形は異形の理に従うモノである。
スヴェンという餌ではなく、武器に手を伸ばす。
これならば、抵抗は無い。
「殻になれ!命の灯火と結びつき、この男の殻となれっ!」
怒鳴りつけて武器の呪言を並び替える。
隷下の武器だ。
容易にグリモアの言葉に従う。
指先に触れたスヴェンの武器が瞬時に蠢いた。
「特大の奴を浴びせろ、焼き尽くせ!」
食い破られた手を引き抜くと、油薬の皮袋が宙を飛ぶ。
それにエンリケが弓をひいた。
辺りの音が吸い取られ、一瞬の間の間に青白い炎が吹き上がる。
スヴェンを包む異形の上に炎の雨が降った。
異臭と共に肉が剥がれる。
ドロドロとスヴェンを包んでいたモノが溶けだしていく。
中身を引き出す前に、本体を始末せねばならない。
(見るんだ、まだまだ、見えていないよ)
「黙れ、クソッタレが!」
霧、煙り、灯り、燃える瓦礫、埋め尽くす蛭、地面。
「ここは陸地だ」
(そうだね。だから?)
「間違いだ」
(間違っているのかな?)
「あぁ間違いだ。ここは地面の上で、水の中じゃねぇ」
地面に見える不愉快な何か。
呪言ではない。
だが、水脈に沿って循環しているのが見えた。
「ここは土の上で、人間様の領土なんだよ」
瓦礫を手に取ると、その蠢いているモノを擦る。
ガリガリと擦っていると、化け物がこちらを見た。
「よぉ、クソ魚。
人間を喰おうなんざ、贅沢なんだよ。
ガキの肉を喰いたいなら、俺を先に喰らってみろや、あぁ?」
今一度、剣を構える。
そうして喰われた部分を修復し、四肢に力をはしらせた。
「よくも舐めた真似をしてくれたなぁ、あぁ?
俺の仲間を喰おうなんざ、図々しいんだよ、たかが魚の分際で。
さぁ、かかってこいやぁ、ぶっ殺してやる」
(..なんで、そこで肉弾戦。
それに破落戸みたいだよ、グリモアの使い手が腕力頼みとか..、あぁイヤだイヤだ。)
ソレは、漸く此方を向いた。
首を傾げて、匂いを嗅ぐ。
(さて、仕方がないねぇ。
主よ、そろそろ蛮人でも見えるだろう?
野獣と戦う時はどうする。
最初に何をする?)
「もちろん、弱点から潰す」
例えば、足下の流れを断つ。
(流れを断つとは?)
「うるせぇなぁ、つまり、こっちの法則に従わせるんだ」
(わかっているなら、武器を振り回す前に、グリモアを使え!)
「面倒くせぇ、スヴェンはどうだ?」
「取り出している途中です、カーン」
モルダレオの答えと共に、再び、化け物へと火薬玉を投げる。
相変わらず、体表の粘液は火力を弱めた。
損害は与えているようだが、吹き散った分だけわくようだ。
「こいつは水脈を利用して動いてやがる。
できるだけ製材所の岩の方へ下がれ。
くっそ、ジェレマイア。水脈は見えるか?
水脈を利用して、何か動いている」
「..呪に近いが、魔導だ。
汚れを含み、呪言よりも自立している」
やっと息が戻ったのか、ジェレマイアが嗄れた声で返した。
「今更だが、酷い、悪臭だ。
やっと感じられるようになったが、クセェ。
だんだん、馴染んできたのはいいが、息もつけねぇ」
「我慢して下がってろ。今、始末してやるからな」
(積み上げるんだ。
見えている事を積み上げる。
グリモアの主だからこそ、できる事。
屁理屈は、言った者勝ちだからね)
「何だよ、その屁理屈ってのはよ。」
それに悪霊は、口を閉じた。
罰は、まだ、終わっていないようだ。
下がって密集陣形を組み盾を置く。
松明を掲げて、公爵達を囲んだ。
「屁理屈、屁理屈な。
あぁ、ここには汚い流れがある。
この醜い化け物が泳ぐ川だ。
理に従え、異物を見せろ、バカ野郎!」
歯車が回る。
世界が傾ぎ、脳が揺らぐ。
(怒鳴りつける必要はないんだけど)
黒い油状の流れが見えた。
闇にも見分けられる程、それは粘ついている。
邪魔者の攻撃方は、水脈を避けて散開する。
すると、化け物はやっと邪魔者を追い始めた。
水脈には、不愉快なモノが蠢いていた。
言葉に似ているが、言葉ではない。
呪術の言葉でもない。
何か、奇妙な虫のようなモノだ。
それが小さな蜘蛛の子のように絡み合って、水脈の流れを漂っている。
これが、自分達の世界に食い込んだ、違う世界の理か。
化け物を攻撃しつつ、その水脈の中でも虫が溜まる場所を剣で抉る。
別に地表に虫溜まりがある訳ではない。
だが、それが通ると自分が信じていればいいのだ。
これが此方の、自分の理だと。
ここは化け物の水場ではない。
「消え去れ、この場所は、人間の物だ。」
抉ると蜘蛛は散った。
と、その抉った場所から稚魚が吹き出す。
白い無数の歯が目前に迫る。
と、容赦なく油薬が頭から降りかかった。
燃え尽きるまでの間、目を閉じる。
「鼓膜は無事ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。ナシオに炭にされるよりはマシだ」
エンリケが背後に来ていた。
「あらかた退避完了です。
スヴェンは昏倒していますが、一応生きています」
「一応ってのはどういう意味だ?」
「何処まで喰われたのか、見ていませんから。
祭司長様より、流れを断ちきれば、魚は陸に上がったままになるだろうと」
「わかってる。
後、二つほど抉ればいい。
他の奴らはじっくり、魚を焼け」
「了解」
(今なら、力を乗せられるだろう。まぁ、その新しい普通の剣は粉々になるだろうけれどね)
「大丈夫だ。荷駄には、替えを積んできた」
答えに悪霊は大仰にため息を吐いた。
(主よ、我らを従えるには今暫く時がかかりそうだね)
そういいつつも、剣は光りを帯びる。
(でも、案外、皆、それでいいと思っているよ。)
生臭い息が目前に迫る。
(己を神と勘違いするよりは、阿呆の方が、いいさ)
程なく泣いたのは、化け物の方だった。




