ACT252 夜にいたる扉 ②
ACT252
寄り添う影が語りかける。
少年の姿のまま、衣装は少し前の流行の物。
最後に見た印象に残らない薄気味悪い男の顔ではない。
(まぁ、僕自身は喰われていたからね。
残り滓の何かでできた、人形だった。
欲望と飢餓だけの鬼だった。
今の僕の姿は、多分、主が知る一番幸せだった頃の僕だ。
まぁ、もう、僕という何かの欠片だけれどね)
考えてみれば、ボルネフェルトは使徒の家系であり、長命な者だった。
モーデンの血を引く者だったのだ。
(僕の呼ぶ声に答えたのは、全て、某かで繋がる者だった。
亜人の多いアノ寒村でさえ、モーデンと同じ汚れた血の残りがあったのだ。この意味が分かるかい?)
問いかけに無い脳味噌を絞る。
するとバカにしたように悪霊どもが笑った。
(いいよ、考えなくていい。
君は考えすぎると駄目になりそうだ。
グリモアは魔導の書物だ。
その中でも守護者の長であるバルディスの物を、オラクルの書と呼ぶ。
予言の書物、神託の言葉を記すものと言う意味だ。
そして、そのオラクルは血肉で作り上げられる。
貪欲な性質をもち、あらゆるものを記録し、収集する。
さて、このオラクルを保つには、血肉を必要とする。
何の血肉だと思う?
バルディスが持っている時は、何を喰わせていただろうか?
あの眷属が言ったように、宮の主が喰わせていた。
この世の業を喰わせているのだ。
正当な後継者ならばグリモアが呪う事は無いだろう。
だが、一度その手から離れた魔導書は、触れた者に災いと消えぬ呪いを与える。
それを癒すには、血肉が必要だ。
無辜の人々を喰おうとする?
グリモアによって死んだ者が喰われたか?
災いと呪い、つまり祟りによって惨劇は広がるが、グリモアが喰らうのは手にした者の方だ。つまり?)
「使徒の家系、そしてモーデン縁の者ども全てか?
欠片でも使徒系譜かモーデンに縁があれば、グリモアは喰らおうとするのか?
だが、それ以外の血の者が手にする事もあるだろう。理屈にあわん」
呟きに誰も答えない。
地下道での小休止。
外はそろそろ夜明けだろうか。
子供は目覚めず、衛生兵が砂糖水を含んだ綿を吸わせている。
相当飢えているのか、子供は幼子のように綿をしゃぶっていた。
それに益々不憫という思いが募ったのだろう、不機嫌なミアがモルドを蹴っている。
面倒見の良い男は、何だかんだと文句を言いつつもされるがままだ。
「もう少しでぇ、見えそうなんだよね」
こちらは狂人のお守りである。
何の因果か、ヤンは自分の側を離れない。
休憩中ぐらいは余所に行けばいいものを。
まぁ公爵に襲いかかられても困るが。
「何が見えるのだヤンよ」
胡桃程の火薬玉を作りながらのイグナシオの問いに、ヤンはケラケラと笑った。
「いやぁ、旦那を見ると隣に何だか殺さなくちゃならない奴がいるような気がしてさぁ」
「意味が分からん」
「何か、そこにいるんだよぉ。俺の嫌いな臭いがするんだよぉ」
(うわぁ)
悪霊の眉間に皺が寄る。
(この男、本気で殺りに来たら、少し削られそうでいやだなぁ)
「ヤンよ、俺の隣にいるのは悪霊だ。既に死んでいる」
それに狂人は首を傾げた。
「旦那、俺、悪霊なら殺れる気がする。根こそぎ消滅すればいいんだよぉ。悪霊なんて人間の残り滓だ。きれいに始末できるよ、きっと。ねぇナシオの旦那」
それに無言で懐に手を入れるイグナシオ。
「俺を焼き殺す気か?」
「…確かに言われてみれば靄のような物が後ろに」
「気にするな、グリモアが喰らった者どもだ。
焼いた所で、いくらでも冥府から湧いて出てくるだろうよ。
それより、狂人の口車に乗るんじゃねぇよ」
ヤンは地面に横になると、耳を指でほじりだした。
そして子供のようにゴロゴロと転がる。
「つまんね、早く、殺りてぇなぁ。
公王陛下も言ってたがよぅ、早く塵屑を殺っておかねぇとやばいんだろぅ?」
「何かランドールは言っていたのか?」
それにヤンはチラリと先頭で地図を広げる者達を見た。
「遊戯盤の王様の駒と同じだよ。
王様の駒が、とられたら詰みだ。
それと同じでぇ、公王陛下は、お姫さんが殺されたら、この勝負は詰みだって。
ニンゲンは終わり。
はい、お終いぃ~。
つまりはぁ、ミリュウが最初に襲われるだろうってさぁ。
だから、先にぃ俺達が、敵を潰す。
俺たちが、急いで、殺らないとぉ、ミリュウは壊滅するだろうってさ。
魔物か何だか知らないけれどぉ、公王陛下はぁ、お姫さんだけは救うってさぁ。」
(あの王様はね、物事の本質をよくわかり過ぎている。可哀相だね)
「ミリュウが標的、具体的な何かを掴んでいるのか?」
(逆に考えれば、誰でもわかるんじゃないかい?
今のニンゲンを貶めて滅ぼすには、一番の標的だ。)
「だからぁ、俺にぃ塵を掃除しろってさぁ。
都の塵屑は、公王陛下がみぃ~んな殺るってさ。
代わりに、俺はぁ、死んでもいいから、大元のでっかい塵屑を殺ってこいって。
そうしたら、俺の望みは叶えてやるってぇ、イヒヒヒヒ!」
「どんな報酬を約束されたんだ?」
イグナシオに蹴られると、ヤンは起きあがって答えた。
「そりゃぁ、俺が殺したい奴らをぉ、生き地獄にたたき込んでくれるんだよぉ。そりゃぁもぅ、芸術的にぃ、苦しめて苦しめて、苦しめ抜いてぇ、今まで強欲に集めてきた金も何もかもぉ、奪いとってぇくれるんだぁ。」
「代わりに殺すんじゃぁ無いのか?」
「殺すのはぁ、お慈悲だろぅ?
俺はぁ、ちょっとばかり賢くなったんだよぅ。
俺がぁ手を出せなかったアイツ等をぅ、公王陛下が苦しめてくれる。
それも、公王陛下が心をこめてぇだぁ、イヒッイヒッ!」
もう一度、イグナシオに蹴られると、ヤンは笑いを納めた。
それから、少しばかり正気に戻ったのか、声を落とし続けた。
「神殿の奴らはぁ、多分、もっともっと具体的に知っているんだと思うぜ。だから、俺を選んだんだ。」
「試練についてか」
「神様のぉお告げの方じゃぁねぇよぅ。
塵の話だぁ、結局、神様はぁ、今生きている奴らにぃ呆れたんだよぅ。化け物の事じゃぁねぇ。
化け物みたいな、ニンゲンの事だ。
だからぁ、俺は一生懸命、獲物を狩るんだ。これもお慈悲なんだよなぁ、ナシオの旦那?」
「俺に聞くな、クズ」
「そのとおりぃ!
だからよぅ、もしぃ、俺が殺られたら燃やしてくれよぅ。
砂になんぞなってまき散らかしたら汚いだろぅ?」
それにイグナシオが少したじろぐ。
「そうだな、お前はお前自身が一番憎かろう。長命種のヤンよ」
「おぅ、カーンの旦那はぁ分かってるねぇ、ヒヒヒッ」
「燃やしてやれよ、ナシオ」
「了解した」
「今じゃねぇって旦那!」
再び、懐に手をいれたナシオにヤンが飛びついた。
父親は帰ってこなかった。
村の男達は、森に入ると戻らない。
狼では無い。
狼は、人間を恐れる。
家畜を襲う事も、本来はまれなのだ。
では、何がおきた?
探しに出た男達も、戻らない。
犬も、戻らない。
残った女達、年寄り、そして村の神官は話し合った。
戻らない男を捜しに、森に入るか。
他の村に助けを求めるか。
どうしたらよいのか?
狼ならば、対処もできよう。
だが、女達も年寄りも、そして神官もわかっていた。
狼ではない。
他の村まで歩いて十日以上かかる。
それも天候が良ければだ。
そして、野宿して無事でいられるかわからない。
今は森以外で被害は無い。
だが、何処で襲われるかわからない。
何に襲われるかはわからないが、森には何かいる
男も犬も、それに襲われたのだ。
皆、雪解けを待つことにした。
それまでは、家の中で武装してこもる。
問題は、燃料と食料。
備蓄はあるが、それでもこもりきりになるには心許ない。
家畜の餌やりもある。
そして家々の間も離れていた。
何かあっても気がつかない。
そこで中年の神官、残った男手の中でも比較的若い神官が、家々を一日一回、見て回る事になった。
少女は神官に、老犬を預ける事にした。
老いていても犬が一緒の方がいいと思ったのだ。
昼に訪れた神官に、老犬を預ける。
犬は情けない風情だが、まだまだ、害獣がいれば人間よりも気がつくだろう。
神官は穏やかで優しげな男だ。
少女に礼を言うと老犬を撫でた。
昼日中であった。
名残の雪も溶けかけて、降る様子もない。
そこで彼女は、神官と共に、隣の家の様子を見に行く事にした。
同じく森の際にある樵の家族だ。
そこで母親も一緒に食料を届けようという話になった。
少女の家は親子二人だけなので備蓄で乗り切れる。
だが、隣は子沢山だ。
天気の良い昼日中、神官と共に行き来できるならと出かけることにした。
神官と手を繋ぎ、少女は歌を歌う。
犬ものんびりとして、ふらふらと歩いていた。
母親も大きなお腹で、それでもしっかりと歩いてる。
日差しは暖かかった。
彼女は、大丈夫だと信じていた。
父親も、何れ帰ってくる。
春がくれば、すべて大丈夫だと。
今は少し悲しくて寂しいが、春がくれば家族が増えて、父親も戻ってきて、楽しい一年になるのだと。
だから、たどり着いた樵の家が、ボロボロに破壊されているのを見た時、彼女は心底、驚いたのだ。
寄り合いの次の日だというのに、樵の家族は、誰も残っていなかった。
戸口は破壊され、木片が飛び散っていた。
何か大きな物が突き破ったような有様で、窓も床も穴だらけだった。
暖炉は半壊し、屋根を支える柱も折れていた。
神官は走り家の中を確かめた。
夜盗や何かの仕業にしては、あまりにも大きな力が働いていた。
呆然と立ち尽くす母子に、神官は大声で言った。
「寄り合い所に、このまま向かいなさい!
村の鐘を鳴らして。
荷物は持たずに、家に戻ってはならないと、皆に。
集まったら海神の祠に、差配官への伝書を。それから」
神官の言葉が途切れた。
「逃げなさい!」
神官は、戦棍を両手で持ち直した。
そして..
神官の体が宙を舞うのと同時に、母親は少女の襟首を掴むと遠くへと投げた。
投げ飛ばされたというのに、彼女には見えた。
母親と犬が何かに飲み込まれるのを。
弾き飛ばされた神官が血反吐を吐きながら立ち上がるのを。
転がりながら、彼女は、見ていた。
次に気がついた時には、彼女はグラグラ揺れていた。
横抱きにされて運ばれている。
痛い、苦しい。
そう思うが声が出ない。
「もう少しですよ、もう少し、我慢して」
神官の声だった。
「海神様にお祈りをしましょう。中に入ったら入り口の側にいなさい。奥に行くとめくらましが働いて迷いますからね。
この有様なら、何れ、神殿が気がつくでしょう。
それまで頑張るのですよ。
こちらは、閉じてしまいますからね。
大丈夫、お祈りして待っているんですよ」
傷だらけの男は息を切らして走り続けている。
その背後から、うなり声が聞こえた。
獣の声ではない、もっと汚らわしい音だ。
「あぁ、もっと早く気がつけば」
男は血を流しながらも、一心に走る。
助かる傷ではない。
とても悔しそうに呟いた。
「もっと早く、何故」
次に意識を取り戻した時、彼女は一人だった。
真っ暗闇の中、一人。
痛い、寒い、ひもじい。
怖い、悲しい、寂しい。
彼女は身を縮めて丸くなる。
真っ暗闇の中、怖くて怖くて、母と父を呼ぶ。
でも、誰も答えないし、静かだ。
耳の痛くなるような静けさだ。
そしてひもじさに耐えられなくなった彼女は、暗闇の奥へと歩き出した。
真っ直ぐの道がいく筋にも枝分かれしていた。
暗い大きな獣の口のような穴がいっぱいだ。
それでも彼女は歩いた。
歩いていないと、自分が暗闇に溶けていくような気がしたのだ。
歩いて、歩いて、歩き続けている内に、小さな穴を見つけた。
ここならいいような気がした。
ここなら、眠っていいような気がした。
春になるまで、眠ってすごそう。
そうしたら、両親が迎えに来る。
新しい家族も増える。
友達も、みんなみんな、一緒だ。
犬も連れて神官様と春の野原に行くのだ。
花冠をつくって遊ぶのだ。
(最初の骨は、めくらましを作った奴だね。
あちらから敵が入ってこないように。
身命をかけて呪いを施したようだ。
絡繰りとしては単純な呪いだけれど、人柱を据えたから、中々、よくできているね。
こちらから見ると、単なる枝道だけれど。
向こう側から入ると迷路に見える。
さてさて、あの骨はどちら側の者だろうか。
中々、おもしろくなってきたよ。)
「ひとつも面白くねぇよ」
(あきらめるんだね、グリモアの主は見つめなければならない。
人の業を見定めるのが勤めなんだからね。)
夢とは疲れるものだと心底思う。
小休止の意味がなかった。
仕方が無いので、子供の所へ行く。
小さな娘、幼児だ。
「覚醒させるには、もう少し時間がかかりそうです。
水分もまだまだたりません。
発熱はしていたほうが低体温よりはいいでしょう。」
「否、起こさなくていい。寝ていた方が幸せだ」
それに前方を見ていたジェレマイアが振り返った。
「だろ?」
「..そうだな」
「で、この先の普段の様子を説明してくれるとありがたいんだが?」
「出入り口は小村の側にある。
海神を祀る祠でな、外側からは岩肌に彫刻が施された小さな祠だ。
入り口と同じく神官が出入りを制限している。
だから、村の常駐神官は、ちゃんとした奴だ。」
「ちゃんとしたってのは、まともって事か?」
「人品も、神に祈る力も、それから渡り神官と同じく武力にも優れている。」
「そいつを殺る実力ってのは、どのくらいだ?」
「武装神官の中でも、渡り神官や辺境に向かう奴は、普通の兵隊ぐらいなら勝てるだろう。
山賊だろうが、傭兵崩れの獣人だろうが、あしらえる筈だ。」
「内陸なのに、何で海神なんだ?」
「大昔は海の底だったとかで、祠に湧く水が塩辛いらしい。というが、いい加減な話だろう。
単に出入り口に何か置かねばならずに、適当に何かの神を祀ったんだろう。元々、開拓地だ。」
「で、この地下道は何処に続いている?」
ジェレマイアは大きく息を吐いた。
「俺たちはロドメニィ殿下の城へと向かっている。
出入り口は、殿下の所領、リシャルデンの村だ。
リシャルデンは、所領の一番西に位置する。
そして村は本当に端の端にある。
初っ端からこんな事になるとは、思っても見なかったよ」
「敵の動きが早いって事か?」
「何が敵にもよるがな。
殿下はリシャルデン地方のイトゥリ・ツアガ公に嫁されている。」
「で、目的地と考えた理由は?」
「モーデンの一番古い記録がリシャルデン地方だ」
「それだけか?」
「否、それに加えて都の水源は、リシャルデン方向。
ツアガ公は水源地の守護を担う家系だったのではと推測した。
モーデンの故郷であり、水源。
そして公王家女児を嫁がす慣習の意味。
もちろん外れたとしても、モーデンの古い記録があるかもしれない。そしてツアガ公は、長命種の中でも本当に古く、使徒の記録にも名前がある。使徒以外の長命種の家系として、本当に最古参といえるだろう」
「だが、代々公王家とそれほど結びついているのに、ツアガ公の噂など特に聞いた事もない。
否、そもそも北北東の地域は、それほど開墾も進んでいないだろう」
「首都から見ると、絶滅領域の北よりは緩やかな山が囲み原生林が広がっている。
東の鉱山に至る山並みとも繋がっているが、山を抱え北の海に面した盆地だ。
耕地は少なく北の海は常時荒れている。
漁業、農業共に芳しくはない。
林業と狩猟で民は生活を立てている。
ツアガ公がその殆どを所有しているが、収入は少ないだろう。
殿下に当てられる国庫金によって生活しているといっても良い。
つまり、病弱な殿下の広大な療養所といったところだ。
代々、公王家の女児が、リシャルデン地方の所有者で、その夫が実務を執り行うというのが形になっている。」
「リシャルデン地方へは海路が普通か」
「そうだ。ミリュウの北東方向には、険しくはないが山が横たわっている。街道は整備されていない。..わかるよ、何がいいたいか」
ジェレマイアも困ったような顔をしている。
「公王の妹が嫁ぐような場所じゃない。
まるで流刑地のようだってな。
だが、慣習とはおそろしいもんだ。
誰もそれを疑問にも思わずに、女児が生まれると嫁に出していた。
ちょうどツアガ公が嫁取りをするのに良い頃合いだと、一人、国庫金から金をだしてまでな。政治的なうまみも何も無いのにだ。」
つまり、それだけの意義があるのだ。




