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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
284/355

ACT249 貴方を愛するという事 ⑤

 ACT249


 心に浮かんだ感情は、ただただ不思議で不可解。

 虚しさと悲しみは、その居を小さくし、広がるのは疑問だ。


 ターク・バンダビア・コルテス、今は只のターク・コルテスは、少女の顔をのぞき込んで首を傾げる。

 美しい顔が表情を失うと、酷く恐ろしい。

 虚ろな魂が透けてみえるからだ。

 それは彼自身も理解している。

 だから、虚しかろうと何だろうと、偽りを装う。

 だが、今は装う必要はない。

 娘の眠る部屋には、彼と奴隷の二人だけだ。

 静かに眠る娘の顔は、既に死を受け入れているように見えた。

 何も醜い世の中に連れ戻す事もなかろう。

 そんな風に、本当は思っていた。

 死は安らぎだから。

 死は痛みから解放してくれることだから。

 でも、行かないでほしいとも思う。

 不可解な思い。

 不思議な感情。

 タークという男は、その本質が何であろうと、すでに狂っている。

 そして狂っているからこそ、気に入れば異常に執着する。

 そして、今の気に入りは、かつて妄執ともいえる愛情を注いだ女性と同じ不幸な娘だ。

 実の娘よりも、娘のような気がする。

 そして、思う。


 なぜ、身を犠牲にするのか?

 なぜ、くだらない世の中が続くことを願うのか?


 もちろん、答えはちゃんと彼の中にある。

 彼女達は、愚かにも愛する者を救おうとするからだ。

 愛される価値など無いのに。


 では、その愛情に答えるだけの真心を、男は返せるのか?


「私は、返せなかった」


 彼女の眠る器から、香りのキツい花を摘んでは捨てる。

 公王の運び込んだ花でも、床に捨てていく。


「だからね、一緒に行ってこようかと思うのですよ。

 もちろんわかっています。

 神は、すでに貴方を優しく迎え入れていらっしゃる。

 これは余計な事だと。

 けれど、選ばなかった答えの先を。

 行けば見られるような気がします。」


 自由というのは恐ろしい。

 今の彼は自由だ。

 愛する人はいない。

 何処にもいない。

 何処に行こうと、何をしようと、語らい笑う相手がいない。


 例え日々、人に囲まれ生きていようと、この孤独は消えないのだ。

 苦しみも悲しみも、時は癒してくれなかった。

 そして愛は、消えなかった。

 愛という苦しみは、消えなかった。


 いつしか愛を、苦しみと思うほどに。


 もしも、と彼は少女の髪をなおしながら思う。

 もしも、この世が腐れるなら、目覚めなくても良いのだと。

 もしも、愛する者が命を落としたならば、黄泉の国で再会すればいいのだと。

 ただし。


「私とニコルを引き裂いたのが、私の愚かしさだけでは無いのなら。

 本当の悪意が残っているのなら、滅ぼさなければいけませんよね。

 私たちを陥れた者がいるなら、姫と同じく、招かねばなりませんよね。

 だから、ちょっとだけお側をはなれる事になります。

 代わりに、ボフダンより招きました。

 姫の守りにと思いましてね、ボフダン公より借り受けました。

 公の一の姫ですが、一番の力を持っていらっしゃる。

 貴女よりも幼い姫ですが、一番の御方です。

 ここで、リアンとエウロラと彼女と四人で待っていてください。

 小さな生き物と、お花と、可愛らしいお家で、待っていてください。

 あぁ、私もここで暮らしたい。

 楽しいでしょうねぇ、もう、むさ苦しい男の顔は見たくありません」


 傍らに立つニルダヌスを見上げるも、真面目な男は表情を崩さない。

 だが、呆れているのはわかった。


「まぁ、これからは厭と言うほど、そのむさ苦しい男達ばかりに囲まれるでしょうけど」


 娘に別れを告げると、彼は館を後にした。

 足は普通に動くが、酷く息が切れる。

 ゆっくりと歩きながら、傍らの男に語りかけた。


「これから、何処へ向かうか。

 城では話し合いがもたれているだろう。

 しかし、既に行き先は決まっている。

 あの書簡の意味を、本来の長命種ならば理解できたはずだ。」


 人気の無い夜の街角で、彼は大きく息を吐いた。

 近頃の王都は、自粛しているわけでもないのに、夜間に出歩く者がいない。


「何処へ向かうのですか?」


「ここでは耳目もあろうから、具体的にはいえぬ。

 だが、長命種という種族が広範囲に分布する前の場所へ向かう事になろう。つまり、派生元だな」


「よくわかりません」


「そうだろうな」


 街角の街灯に寄りかかると、時折行きすぎる兵士を見ながら、彼は笑った。


「何処かで飲みたい」


「白夜街に行きますか?」


「人がいるから嫌だね。仕方がない、城に戻るか」


「コルテスの館には?」


「あそこは煩い」


 馬車を使わず歩く。

 これも体を慣らすためだった。


「君達獣人の国が南にあるのは、そこが種族の発生地だからだ。つまり、生まれ出た場所が、そのまま住処となっている。

 しかし、我々マレイラの長命種達は、北西の地からやってきた。

 誕生地は、元々、姫の国の隣、西の砂漠の方からだな。」


「何となくわかりました」


「そうか」


「この都に居を構える長命種、モーデンの末裔は何処から来たのですか?」


「そういうことだ。ここは作られた場所だ。

 獣人も亜人も人族も混在する場所。

 派生先の一つにすぎない。

 そこで、我々が向かうのは、古巣という訳だ。」


「そうすると厳密に言えば、ターク様とこの地の長命種は別なのですか?」


「同じ種族ではあるが、氏族が違うとなるな。

 今の細かに分かれた氏族ではなく、元の根の部分でいう氏族だ。

 シェルバンもボフダンも、私と同じ氏族であるが、都の長命種とは、別の氏族が派生元という事かな」


「よくわからないですね」


「では、薔薇の花と考えてみてごらん。

 薔薇は様々な品種があろう?

 素朴な野薔薇から、温室で大輪の花を咲かせる物もある。

 同じ薔薇でも、似ても似つかぬ花さえある。

 だが、何れも花であり薔薇という品種だ。


 獣人という花は、彩り豊かで品種も多い。

 だが、原種は全て南の地で生まれた。

 つまり一つだ。


 人族と総じて呼ぶ者も、一見して多彩だが、実は一つだ。

 長命種より命短い短命種であり、独自に原種があるわけではない。

 あえて言うなら、長命種が原型だ。

 故に、分布は広範囲だが、長命種より派生したとすれば人族も一つ。


 亜人は、西の小国群が生まれた場所であり、二種の原種が認められている。だが、まぁ大陸に散る彼らの祖は西の小国群とすれば一つ。

 学術的な事ではないから、大雑把な解釈だがね。


 では、人族の原型たる長命種の原種は?


 今、たどれる限りで三つだ。

 一つは、私の祖が現れた北西の地。

 そして東南派生の、中央平原。

 最後に、この都に来た者ども。」


 貴族街に続く小公園にたどり着くと、枯れ果てた小さな噴水の側に腰を下ろす。

 懐から小さな瓶を取り出すと、彼は蓋をとり口を付ける。

 一口飲んでから、ニルダヌスに差し出した。

 受け取った男は、匂いを嗅いだ。


「これは大分キツい物ですね」


「君には気付けにもならんだろう?だが、旨いぞ」


 言われて一口含む。

 確かに薫り高く味は濃厚だ。


「長命種でも、特に古い血筋の者は知っている事がある。」


 足を延ばすとターク公は、返された瓶を煽った。


「この都の長命種には三種類の血統が存在する。

 今現在、大公と使徒の血筋には、三種の違いが肉体的にあるのだ。」


「初めて聞きます」


「公王の妹君達の脆弱さを考えればわかるだろう?

 混合体の欠損や不具合は、当然の結果だ。

 混血ではない、混合体という特殊な体を持つという事が原因だからだ。

 だが、ニコルに関して言えば、彼女の肉体の虚弱さは、混合体だからではない。

 公王の妹姫として存在する他の姫もだ。」


「公王陛下の家族構成という物がわかりません。

 殆ど、公表はされていませんし」


「意図的に、公表はされない。

 公表する事により起きる問題の方が大きいからだ。

 公表されるのは、公王の生物学的親が誰か?

 という事だけだ。

 そして公式に兄弟姉妹という位置にいる者も、実際は同父母ではない」


「ですがニコル姫のご両親は、先代と同じなのでしょう?」


「確かにそうだ。

 だが、彼女は混合体としては成功していた。

 臓器配分は生きる為に必要な配置がなされていた。

 だが、彼女の心臓は損なわれていた。

 人族大公家側の遺伝が出たのだ。」


 回し飲みをしながらニルダヌスは首を傾げた。

 人気の無い公園の灯りが、青白い光りを投げかけている。

 陰で護衛をする輩もいるにはいるが、会話が聞こえない場所まで下がっていた。

 ターク公が苛つくからだ。


「そのような肉体的欠損があるとは知りませんでした」


「この都の長命種だけが違うのだ」


「違う?」


「この都の長命種は、使徒の家系が元だ。

 そして使徒の家系は、大きく三つの氏族に分ける事ができる。

 そしてこの三つの家系には、それぞれ特徴がある。」


「肉体的特徴ですか」


「そうだ。

 割合は低いが、短命なのだ」


「混血なのでは?」


「否、手だてを講じれば長命種として生きられる」


 あらかた小瓶を飲み干してしまった二人は、再び夜の街を歩き出した。既に明け方が近いのか、空は色を変え始めていた。


「ニコルも、本来ならば命を延ばす事ができた。

 コルテスに呼べたのも、延命が期待できたからだ。

 彼女自身は、自然のままに死ぬつもりだったようだが。

 私もデフロットも、彼女をもっと生かしたいと考えていた。

 公式記録では短命種よりの人族として嫁いで来たが、延命処置の効果が出れば長らえた筈なのだ。

 記録上は混合体ではなく、短命種よりの人族。

 事実は、混合体であり、長命種よりの人族。

 それも肉体は混合体成功例であるが、長命種の特徴を持つ病体だった。

 長命種は病に強く死ににくい筈なのにだ。

 そして、長命種の特徴である臓器がありながら、死すると一握りの砂にはならない。

 短命種の血が混じった混血同様に。

 しかし、その死体は腐らない。

 ほら、誰かと同じだと思わないかい?」


 ゆっくりと城へと続く道へと向かいながら、ターク公は続けた。


「愚かしい男は、何処までも愚か者だったという事だ。

 永遠と長命種に価値を見いだしていたようだが、妹となる者の事を考えればわかろうに。

 モーデンの血は、決して素晴らしい物を運んではこないとな」


「よほど、疎遠だったのですね」


「ありがたいことに、殆ど接触は無かった。

 元々、病んだ混合体は世間から隠されるからね。

 だから、余計に公王家と大公、使徒の家系をあきらかにするのは難しいのだよ。

 公王自身が把握している事。

 大公家の主が把握している事。

 命の館が把握している事。

 おかしな事に、彼ら三者でさえも、事実とする事に齟齬がある。

 おかげで、今も話し合いが続いている。」


「公式記録も無駄なのですね」


「皆、嘘が上手でね。

 神の怒りももっともだ。

 だが、多分、モーデンの遺骸を隠すという一番の目的の所為だろう。

 原因はそこだ。

 大公家と使徒は、複雑に繋がっている。

 彼らの血が、この都の長命種の元である事は確かだ。

 そしてその源泉を辿れば、おおよその分け方ができるようになる。

 その見分け方は、混合体あるいは混血により現れる病だと思う。

 ゲオルグのように強靱な男の血筋を辿るのではない。

 まさにモーデンとは逆の、命短い者の血を辿ればいいのだ」


「永遠に近い者と短命な者が同じだと?」


「モーデンは永遠の呪いを薄める事を希望した。

 そして、初期、使徒は何かと血を混ぜた。

 結果、次代の長命種に似た者が産まれた。

 だが、失敗した。

 ニコルのような病が出たのかもしれない。

 そこで、中原や我々東の長命種の血を入れる。

 すると、長命種らしき者が多くなる。

 更に薄める為に、今度は混合体を作る。」


「想像でしょう」


「そうだ。想像だ。

 だが、元々、モーデンと使徒が別種であるのなら、我々長命種とも別であると考える事もできる。

 長命種とひとくくりにしてきたが、都の貴族に聞いてみれば簡単にわかる。

 彼らは自分たちは独自の血を守ってきたと言うだろう。

 自分たちの血を、外に出したかもしれないが、内に入れる事はしていないとね。」


「皮肉ですね」


「我々を下に見て、高貴な血を下げ渡してきたと言っていたが、実際は逆だ。これが事実なら笑えるだろう?

 我々東の者も、モーデンの血というだけで尊んできた。

 だが、その根拠が大きな勘違いという事になる。

 とても愉快だろう?

 君達からすれば、滑稽だ。

 病み腐れた者どもが、墓場から勝ち誇っているという有様だからね。」


 ニルダヌスは腰帯に手を置いたまま、少し考え込んだ。

 本来は剣を置いている場所には、今は木製の棒が差し込んである。

 護身用の芯に鋼鉄が仕込んである棒だ。

 それに手首を置いたまま、彼は主に言った。


「使徒の血筋は危険ですか?」


「わからない。

 今の話は、あくまでも私の考えだ。

 永遠を望む愚かな者どもは、別に使徒の家系でなくとも腐れた。

 長命種だから腐れるのか、人族もその範疇に入るのか。

 君達獣種は、大丈夫なのか」


「オリヴィア姫は、動かせないのでしょうか?」


「君の国へ運べば、中央の馬鹿どもは何をすると思う?

 君の国へ運んでしまえば、姫は安全だろうが、君達の国の馬鹿どもは、中央へ何をすると思う?」


 ターク公は笑った。


「今なら、君達は滅ぼせる。

 長命種も人族も、すべてだ。」


 その美しい笑顔を見ながら、ニルダヌスは肩をすくめた。

 答えるのも馬鹿らしいという仕草だ。


「そうだったね。

 君には可愛い孫がいたね。

 神は見ておられるのだから、そんな愚かな事は考える事も馬鹿らしいね。

 さて、暇つぶしに、若者の悩む姿を鑑賞しにいこうか」


「お体は大丈夫ですか?」


「いつになく、気分は爽やかだよ」


 ニルダヌスは頷いた。

 肉体の苦痛は魂の痛みを和らげる。


「シュナイ殿は、今の時間ですと二番外郭緩衝帯に。最近、眠れないようで、夜間も出発準備の手伝いをしています」


「君も中々侮れないね」


「私も、若い者が悩むのを見るのは楽しい方なので。特に、頑健な若者ならば心配よりも面白いですから」


「確かに」


 似た者同士は楽しそうに笑いあった。








「水源探査というより、戦争ですね。どうやって都をでるつもりです?」


 擦り傷だらけの男に、ターク公は聞いた。


「まぁ、楽しい事になるな」


 傷だらけの上に、妙に獣臭い。


「それは楽しみですけれど。姫へのご挨拶に向かわれる前にどうにかした方が良いかと思うのですが」


「何がだ?」


「爺やとしては、そのように臭いなりでお側に寄られては困るのですよ。姫が魘されたらどうするんです?」


「チクショウ、まだクセェのかよ!」


 男は、そのまま走り去っていく。

 再生水を利用した軍の風呂ぐらいしか、今は使えないのだ。


「バルドルバ卿はどうしたんです?」


 装備の点検をしている兵隊達に聞くと、皆、作り笑いで答えない。


「ゲルティア補佐官?」


 軍の隔離施設にある巨大な倉庫の中。

 旅に必要な物資を山積みにし、獣人の兵隊達が動き回っている。

 その中で長机を前に書類処理していたサーレルに、ターク公が問う。


「あぁ、ちょっと犬臭いでしょう?

 今ので三回目の洗浄になるんですが、中々彼らの唾液がとれないんです。」


「犬の唾液..」


「えぇ、改良された猟犬の大型のものでして、索敵に優れている可愛い犬です。

 指揮官をとても気に入りましてね、我も我もと遊びたがって。困ったものですねぇ」


「で、本当の所は?」


「犬憑きの呪いを少々」


「呪いとは、大丈夫なんですか?」


「犬に好かれて、大方の女性に臭いで嫌われるだけです。問題ありませんね」


 笑顔が胡散臭かった。

 無難な話題をとターク公は、周りを見回した。


「今回も卿の小隊の面々のようですね。獣人種以外は私と子爵ぐらいですか?」


「後二人は確実に獣人ではありません。

 祭司長殿と公王陛下の推挙した人物一名ですか。

 人員構成は、移動組と私たち直属隊。それに私の手勢が

 数名に、ターク公殿とそこのニルダヌスに、グリューフィウス子爵ですか。後は、公王陛下よりの者が数名。」


「大所帯ですね」


「いいえ、最小規模ですよ。

 結構な数に思えますが、物資運搬用の馬だけで騎馬行軍は無し。他の水源探査の者に比べれば非常に小さい。」


「馬を利用しないのですか?」


「馬を利用できないのですよ。

 ところでターク公殿、ニルダヌスの加工が無効になっているようですので、一度、神官との面談が必要です。丁度、祭司長殿は、この建物の二階におられますので、できれば即、お願いしたいのですが?」


 サーレルの言葉に、ターク公は頷いた。


「主人の言う事には従っているようですが、それだけでは信用ができません。

 許しを得たら、祭司長殿に面談をしてください。」


 ニルダヌスにそう告げると、サーレルはターク公に椅子をすすめた。


「ニルダヌスの審問が終わるまで、これからの事を少しご説明しましょう」


 ニルダヌスの姿が階上に消えるのを待ち、サーレルは話し始めた。


「少しでも疑わしい者を排除する事が必要ですので。形式的な事とお許しください」


「かまわぬよ」


「我々の探索隊の目的をどうお考えですか?」


「率直に言えば、我々の目的は、オルタスの住人を救うことでは無い。

 姫を取り戻すだけの旅です。

 水が枯れようと、長命種が腐れようと、そして中央王国が滅亡しようと、関係が無い。

 ただ、オリヴィア姫という存在を取り戻す事に付随して、様々な事があるだけです」


「よくおわかりで。

 魔神よりの書簡でも、人間を許す手段が示されているわけではありません。

 何もせずとも同じとだけあるのです。

 ただし、彼女を死なせれば終わる。

 選ばずとも手を出さずとも、咎めはしないが、許しもしないとね。

 実に嫌な事を並べているのです。

 ですので、我々が神の与える試練を理解し、首尾良く物事を運ぶ事ができたとしても、魔物はこの世にあふれ、人間は変質するというわけです。」


「それは当たり前でしょう。

 罪には相応の罰がある。」


「私達、あえて言えば獣人という種族は、生き残る為に彼女の魂を回収したいと考えています。

 許されずとも、我々は魂がけだものになるのだけは阻みたいのです。

 如何に姿を蔑まれようとも、私達は智を宿した人間である。

 その人間であるという主張を通す為にも、私達は彼女の種を救い、神の与える理不尽に耐えねばならないのです。

 故に、時にこれから起こり得る事毎において、人族に不利な行動をとる場合があるでしょう。

 このモルデンの意志は、公王陛下にも伝えてあります。

 離反はしませんが、舵取りをする時に考慮されるのは、我々の種が堕落を回避できるようにする事です。」


 サーレルの言葉に、ターク公は表情を変えない。

 彼にとって、生きていてほしい者は少ない。

 そして本当に生きていてほしい者は、既にいないのだ。


「それで?」


「最初に我々は秘密裏に、王都を離れる事になります。

 水源探査は数隊用意されて、順次出発しています。

 そして、魔神よりの書簡の真偽の調査という名目で、神殿の方にもいろいろと動きを持たせています。」


「偽装ですね。バルドルバ卿の行き先に神経質になっているのは何処の誰です?」


「使徒の家系の殆どですね。ただし、全員ではありません。使徒の家系の中に腐れた者が混じっている。神の印をいただく程ではないのですが、潔白でもない。

 公王陛下は甚くお喜びです。

 我々が王都を離れた後に、内々に宴を催すそうですよ。」


「ゲルハルト殿は大丈夫ですか?」


「何故か大公家に近しい氏族には、腐れた者が少ないそうです。やはり血を混ぜる事で何かが防がれるようですね」


「それで人目につかずに、この小隊ごと外に出ることは可能なのですか?」


「まぁ普通ならば無理でしょう」


「なるほど、では、普通じゃない道行きというわけですね」


「具体的な道筋は、出発後にお知らせします。

 最初の目的地は、無事に王都を脱出した後に。」


「何か不足の物はありますか?

 私で手配できる物があれば、用意しましょう」


 それにサーレルは、微笑んだ。


「無用です。

 公自身がご無事に同道できれば、旅路も大変楽になりましょう」


 意味が分からず、伺うような表情の相手に、サーレルは付け加えた。


「我々獣人のみですと、話し合いの糸口すら見つからないかもしれません。」


 そう言われて、ターク公は頷いた。


「なるほど、何となくわかりました。

 私の想像も案外的外れでは無いようですね」


「その情報もお分けいただけるとありがたいのですが」


 二人は暫く、モーデンの起源について話し合った。


「公王陛下は何と?」


「実は、慣例として知るのみで、実際、それが何を意味するかは知らなかったと言っていました。」


「では、その消息の詳細を知らないと?」


「普通の事と思いこんでいたと。ランドール殿にとっては、ニコルの時と同じ事だと思っていたそうです。」


「では、現状は知らぬと?」


「彼の地よりもたらされる便りも、人も、疑う事はなかったようですね。繰り返されてきた行いを疑うのは難しい事です」


「それについて、祭事方のゲルハルト侯は何と?」


「結局、先代の愚行を消し去る時に、神殿も王府の記録も消却と改竄が行われていたため、調べようがないと。

 ただ、彼の地より便りに疑わしき事はなく。

 唯一の疑わしき点は、例の妹君の記述のみ。

 公費はジェレマイア殿へと渡されているので、調べられる事もなく記述の誤りとして長年処理されていたようです。」


 ざわめく室内の中で、二人は沈思する。

 その沈黙の流れは、ニルダヌスが戻ることにより終わった。


「どうやら、今のところ処分せずにすみそうですね」


 サーレルの言葉に、ニルダヌスは頭を下げた。


「出立は深夜、準備が整い次第ここに集合する事。

 武装は極限まで許す。

 ターク公のお命を守る事を第一と考えよ。

 公のお命が潰えた時、お前の命も終わる。

 ただし無駄な自死をした場合は、お前の家族も死ぬと思え。

 守り討ち死ぬのならば、赦しもあろう。

 さて、その武装だが、左手奥に隷下がいる。

 隷下より異形を葬る武器を貰いうけろ。

 武装防具は軍の物でよかろう。

 今の様子なら重武装もできるはずだ。

 火薬武器の承認は、指揮官から直接もらえ。

 兵站は運ぶが、最低限の食料と水は背嚢に確保。薬は通常訓練の物ではなく前線用の物で、特級を配分する。

 ただし、こちらの薬は獣人仕様の物故、ターク公に与えてはならない。

 と、まぁ軍役の長いお前に言うのも馬鹿らしいが、特級になれば長命種とて即死する。慎重に取り扱うように。」


「極限の武装ですか」


 ターク公の物珍しいという声に、サーレルは返した。


「極限という言い回しは妥当ではありませんね。

 限界武装が正しい。

 この男が装備できる重量の、最高硬度と抵抗値を持つ武装という意味です。

 獣化しないで身動きに影響のでない重さの武装。例えば、武具と武器を装備し主殿を担いで走り回れる重量という意味です。

 もちろん、この男を信用している訳ではありません。ですが、向かう場所は異形の巣窟でしょうから仕方がありません」


「異形の巣窟ですか」


 面白いと笑うターク公に、サーレルは肩をすくめた。


「我々に戦う以外の何を求めるというのです?

 魔神からすれば、我々はよくできた闘犬にすぎない。

 よく血を流し食らいつく犬ほど喜ばれるという訳です」


 三度目の洗浄から戻った男が、犬という言葉を拾って顔をしかめた。


「あぁ、臭いが消えましたね。これならお別れの挨拶に向かっても姫に被害は及ばないでしょう。」


「別れなぞ、言わん」


 頭髪を乾かしながら、カーンは呟いた。


「繋がりは消えない。別れなど無い」


「おやおや」


 忙しく行き交う兵士をよそに、再び沈黙が流れた。

 ターク公は知りたいと思う。

 是非とも知りたいと思った。

 そして三者を見回す。

 頭髪を乱暴にかき混ぜる男の顔は見えない。

 サーレルは曖昧な笑みを浮かべて手元の書類に視線を落としている。

 ニルダヌスは元より何も考えないようにしている。


「その心情は何ですか?

 友愛、義務、本能、何れの感情が卿を動かしているのですか?」


 ターク公は、不思議そうに問いかける。

 皆が疑問に思う聞きにくい問いを、彼ならば言う事ができた。

 拘る理由は何だと。

 小さな娘に拘る理由。


「...」


 水を吸った布を肩に置くと、カーンは面倒そうに言った。



「理屈っぽい奴らが多すぎる。

 面倒くせぇ。

 サーレル、そろそろ巻き上げに行くぞ。

 役人を働かせるには朝駆けが一番だ。」


「私も行くんですか?少し、寝たいんですよ」


 そうブツブツ言いながらもサーレルは腰を上げた。そうして二人は部屋から出ていった。

 去り際に、ターク公も好きな武器と防具を持ち出していいと言う。

 慌ただしい様子を見送ると、ターク公は傍らのニルダヌスに問いかけた。


「質問の仕方が間違っていましたか?」


「多分」


「三択ではなく、四択にすれば、彼も素直に認めたかもしれませんね」


「どんな言葉をお望みかによります。

 私からすれば、正気を疑うような言葉が返されても困ります。」


「例えば?」


 笑うターク公に、ニルダヌスは肩をすくめた。


「私に愛を語れといわれましても」


「つまり、お前も私も、彼が正気を疑うような理由に突き動かされていると考えている訳だ。」


「誰かを救いたい、取り戻したいという思いが、欲得だけだとしたら、それこそ神は罰を与えるでしょう」


 その答えにターク公は頷いた。


「確かに、理屈っぽいね」


「はい」


「愛するということに、理屈はいらない。ですか。

 やれやれ、それでは理屈に縛られている若人の様子をからかいに行きましょう。

 そもそも、シュナイ殿をからかいに来たんですからねぇ。

 早いところ武装を選んでください。」


 主人の機嫌が良くてなによりとニルダヌスは頷いた。

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