ACT247 貴方を愛するという事 ③
ACT247
窓の外、深い緑が風に揺れている。
木立の揺れに暗い緑の影。
雨が降りそうで降らない。
サーレルは、窓から見える景色を見ていた。
外郭の間に広がる緑は、枯れずに残っていた。
張り巡らされた水の守護とは別に、僅かな水が地下を流れているそうだ。
この水は飲み水としては不適格の重金属混じり。
汚染を分解する物が植樹されている。
溜息を一つつくと、宝物殿へと続く回廊を振り見る。
カーンとジェレマイアが奥に消えてから、相当、時間がたっていた。
一緒に行こうという誘いを断ったのは、考える時間が欲しかったからだ。
考えるといっても、たいした事ではない。
一息入れたいと思っただけだ。
一人で、自分の考えを整理したい。
情報の整理ではなく、個人的な感情の把握だ。
所詮、一個人が手に負えるのは己の周辺でおきる些細な出来事だ。
この世を救える程の馬鹿にはなれるものではない。
そして馬鹿のおかげで、この有様だ。
元老院の混乱は、サーレルには関係がない。
彼の所属する班は、南領貴族が仕切っている。
それもカーンの母親の氏族だ。
権謀術数ばかりに傾注する氏族は、今回の事を殊の外喜んでいる。
やっとモルデンの系譜に、カーンを立たせる事ができたからだ。
何も問題は無い。
サーレルの個人的な感情以外は。
ここに至る人生の足跡を思いかえす。
自分とカーンは、多くを共有してきた。
自分達を形作る土台も似ている。
あの焼き討ちの日々だ。
そもそも、南領浄化の切っ掛けは、謀が原因だった。
カーンの母親の氏族、彼らは当時からバルナバスを支持していた。
当時、バルナバスは、大公位、獣人領の王位継承を巡り、従兄と争っていた。
それがロットベインの氏族である。
これが下地であり本当の原因だ。
今では、バルナバスの氏族が南領支配地要所全てを手に入れている。
あの苦しみは、くだらない欲が元なのだ。
無能な輩に領地を管理させたのも、カーンに後始末をさせたのも。
モルデンの子を何れ表に出す為の下準備。
氏族から王系譜に繋がる事を目的とした、謀が最初だ。
状況の見えなかったロッドベインは道化だ。
反乱さえも用意された罠だったのに。
そして、巻き込まれまいと見過ごした結果、疫病が発生。
騒動に一役買ってしまった。
カーンは後悔している。
あの疫病は、自分の所為ではないかと思っている。
そして何れ腐土へと向かい、イグナシオと同じく全てを焼くつもりなのだ。
死んで、詫びるつもりなのだ。
だが、日々懺悔しなければならないのは、自分達なのだろうか?
カーンも自分も、生き残りたいだけだった。
欲しいものなど、ちっぽけな普通の暮らしだ。
なのに、欲の塊のような輩が邪魔をする。
本当の原因は、別だ。
自分達は権力を欲しがる輩の駒ではない。
欲深く心根の腐った輩は、罪を他人の所為にする。
それを打ち破り、解決する方法はたくさんあるだろう。
そして多くの人が理想とするのは、平和的な解決というお為ごかしだ。
話し合えという輩の殆どが、痛みを持たない恵まれた立場にいる。
安穏な立場に置かれた輩の主張は同じだ。
まったくもって馬鹿らしいと思う。
平和的解決と言いながら、他人の所為にして自分を守る事が殆どだ。
争いごとは止めましょうと、そうすれば全てうまく行く。
弱い者は食われて死ぬばいいし、貧乏人は飢えて勝手に死ねばいい。
子供の頃、サーレルには心に刻まれた景色がある。
打ち据えられボロボロになった自分。
息をしているかどうかも分からない母親。
いつもと変わらない居間で、カーンが手斧をふるう。
真っ赤な血に染まり、腐った男を始末する。
その姿。
真っ赤に染まった恐ろしい姿だったが、それは救いだった。
恐怖の記憶ではない。
獣人としての、正しい解決方法を納得した瞬間だった。
何も暴力の話ではない。
力だ。
正しいと思う事を通すには、力が必要なのだ。
正論を口で唱えるだけでは、通じない。
理想を仲良し同士で語らうだけでは、そこで終わりなのだ。
優しい世界は無い。
善き人々だけならば、話し合いですむだろう。
だが、野蛮で腐りきった性根の輩には、同じくらい狡猾に立ち回らねば守れないのだ。
夜に揺れる木立を見て、サーレルは考える。
カーンがバルナバスの息子になる利点はある。
原因を作った輩が憎いと思いながらも、元老院の犬として地位を築いた自分と同じく、利用できる事は多々ある。
だから、カーンが大公家の末子として表にでる事は間違いではない。
そして、利用しようとする輩を逆に食い尽くしてやるのは、正しい、事なのだ。
ならば、このモヤモヤとした胸の澱は何か?
考えるまでもなく、答えは浮かぶ。
イグナシオは、既に、答えを出しているし、他の仲間も多かれ少なかれ受け入れている事。
オリヴィアという娘の事だ。
あの娘は危険だ。
と、サーレルは思う。
抵抗無く受け入れてしまう何かがある。
それは種族としての特性ではないか、と、常々考えていた。
精霊種という種族は、たぶん、獣人にとって危険なのだ。
皆、娘の利点にのみ目が向く。
確かに、オリヴィアという娘は、我々にとって十分に価値がある。
害意もなかろうし、寧ろ、獣人を悪くは見ていない。
問題は、彼女個人には無い。
サーレルは思う。
くだらない事だと思う。
思うが、先行きを思うと不安になるのだ。
ここまで考えて、彼は自分を笑った。
そうなのだ。
この自分が、彼女の存在を当然としているのだ。
彼女は我々の国に来るものと思っている。
彼女を目覚めさせる事ができずとも、彼女は、獣人達の側にいるべきなのだと。
加えていうなら、カーンが庇護するのは当然で。
彼女を見つけたのは我々であり、精霊種は、我々のものだと思っている。
これはカーン自身も同じだ。
そして呆れた事に、彼女の出自がわかったから、ではない。
小さな娘は、人族になど渡せば死んでしまう。
そう思えてしまうのだ。
イグナシオならば、当然の思考だ。
精霊種と知れてから、否、邪悪を退ける姿を見れば当然だ。
スヴェンやオービスなど、小さな娘というだけで、可愛がりたいという駄目な輩だ。
モルダレオとエンリケは?
元より、彼らの部族は、祖霊と繋がる精霊を尊ぶ。
自然に宿る精霊とは違うが、同じく死者の魂と語らう娘は、尊いと考えるだろう。
何よりも、人族の長命な輩に滅ぼされようとする彼女たちを見つけたら、我々は当然、手を差し伸べずにはいられない。
結局、偏見や差別は、我々獣人の方にもあるのだ。
だが、この不安は現状へのものではない。
救いようのないことに、今の状況を憂いているのではないのだ。
問題は、その後だ。
もし、娘が目覚めなかったなら?
もし、娘が死んだなら?
もし、娘が人族に殺されたなら?
選択肢は多々あるように見える。
だが、思うよりも選ぶ札は少ない。
そして、もし娘が目覚めたら?
娘が目覚め、我々の国へと囲い込めたならば?
これもまた、選択肢は思うよりも少ないのだ。
仲間が選ぶ未来に対し、自分は何処まで抵抗できるだろうか?
焦りにも似た不安、これが胸に溜まる物の正体だ。
しかし、不安材料ばかりではない。
利点はあるのだ。
彼女が生きている限り、カーンは腐土へと向かう事はしない。
守るべき者がいる限り、死に急ぐ事は無い。
娘が生きている限り。
夜風は冷たいが、北よりは暖かだ。
サーレルは思う。
得体の知れない力により、変化した。
魔により、変えられた。
そう思えたらどんなによかろうか。
祭司長は、ハンネローレ殿下の変化を、魔による侵蝕であると説明した。
嘘だ。
と、サーレルは考えている。
確かに肉体はそうであろう。
だが、その心を侵蝕し変化させたのは、娘の性質だ。
他者を理解し共感しようとする者は、恐ろしい。
なにしろ、求めず受け入れようとする者、無私の者は強いのだ。
一見すると弱みだらけの愚かな者と思える。
だが、それこそが女性だけの種族の最大の武器だ。
そして、その種族特性を血縁である祭司長は知っている。
だから、我々には言わないのだ。
もちろん、それが悪いことだとは言い切れない。
サーレルも理解している。
彼女たちは心優しく、そして脆弱であるというのに、他者に施す者なのだ。
故に、恐ろしい。
そこまで考えたところで、サーレルは片手で額を押さえた。
バカらしさに力が抜ける。
小さな娘だけでなく、女という生き物は、全て、強かだ。
今更であるし、悩むだけ無駄だ。
徒労に近い。
女という生き物について、悩むだけ無駄な事を思い出した。
己を戒め、冷静に立ち回れるようにしなければならない。
ただ、それだけを心がけるようにするしかない。
将来について憂いるには、早い。
なにしろ、娘は死にかけている。
彼女が大人になり、更なる争いの元になるのは、まだまだ先だ。
女は争いの元だ。
小さな娘であっても、女というだけで厄介だ。
それも自分達が全てを預ける男に関わるのだから、見過ごせない。
ならば種族が問題かといえば、否。
人族は、更に種族的差異により悲劇だ。
取り越し苦労をすれば、モルデンの血が人族の女では耐えられないだろう。
つまり、子供は産まれないか、女が死ぬ。
カーンが今まで相手にしてきたのは、故意に獣人族の女だ。
故意に、悲劇が起きぬようにしていた。
ならば、獣人族の女なら良いのか?
それも善し悪しだ。
野心の無い女では不幸だし、野心のある女ではこちらが災難だ。
そしてカーンの母親のように、強かな女であっても心が荒み悲劇を呼ぶだろう。
なかなかに難しいが、モルデンの氏族から女をあてがわれるのも、カーンの母親の氏族に利用されるのも業腹だ。
この問題について、今の時点で気がついている者はいるだろうか?
悩むサーレルの耳に異音が聞こえた。
回廊の奥、宝物殿の方から奇妙な音が聞こえる。
ボウともホゥとも聞こえる奇妙で不安を掻き立てる金属音だ。
無駄な懊悩を断ち切ると、サーレルは走り出した。
剣帯の留めを指で弾くと、全力で駆ける。
問題は、カーン自身に、全く自覚が無いことだ。
自覚無く、精霊種を選んでいる。
ぞっとしないとサーレルは思った。
宝物殿の扉は閉じている。
兵士が守る様子がないのは、立地が特殊だからだ。
神殿の奥深く、地下通路を通り、外郭を一つ越えた先にある事。
そして、その周辺の森には、特殊な犬が放たれている事が理由だ。
犬、とは、護衛や間諜の事ではない。
訓練された四つ足の犬だ。
加工された犬で、体積だけなら成人男性、獣人の男と同じ大きさをしている。
加工した軍馬と同じく、気性も手が加えられており、許可無く敷地に入れば喰われる。
市囲で見られる犬とは、もはや別物の獣である。
ただし、犬の性質は残り、命令系統をはっきりさせておけば、服従させるにたやすい。
それが数個の群を作り、外郭の間の敷地を巡回している。
ここが、神殿の墓と近いせいもあるのだが。
例の事件の後、犬の餌場を補強して頭数を倍にしている。
夜間の巡回と墓守の宿泊を止めたからだ。
神のお慈悲で影が姿を消したからといっても、危険は残っているかも知れない。
というのは建前で、犬の方が信用でき、何処かにあるだろう影どもの利用していた通路を見つけだすためだ。
そして犬どもが許す相手は高位の神官、ではなく、神殿長と祭司長のみだ。
他は喰えと命令されている。
間違って入り込んでも喰われるだろう命令は、その二人の連れならば見逃される。
今夜は一応、サーレルもカーンも無傷で宝物殿へとたどり着いたが、本来は命をかけた遣り取りを、犬を全て殺すまで続ける事になるだろう。
荘厳な扉には陽光を模した彫刻が施されている。
武器に手を置いたまま、気配を探る。
先ほどの異音は鳴り止み、今は静寂があたりを包んでいた。
扉の表面に手を置く。
厚みがあるのだろう中の気配を感じる事はできない。
「カーン、大丈夫ですか?」
一声かける。
呼びかけに、簡単な返答があった。
妙にくぐもった声だ。
「入りますよ」
一応、返事らしき音がした。
片手で扉を押す。
結構な重さの扉が、音を立てて隙間を開いた。
揺らめく緋色の灯りが暖かだ。
室内は雑多な品々で埋め尽くされていた。
背丈程の棚が並び、壁面には大きな品々が埃除けをかけられている。
倉庫にしては、非常に乱雑であったが、置かれた品々は見るからに高価だ。
足下に転がる壷一つ見ても、象嵌が施されている。
それが安い酒瓶のように横倒しになっていた。
絵画、彫刻、宝飾品、武器、陶器磁器、あらゆる金属加工品に宝玉らしき物。見たこともない金銀宝石が無造作に放り込まれている。
サーレルの足が、古代の金貨を踏んで音をたてた。
傷の付き具合から、純金だろう。
価値の崩壊具合が、神殿の権勢を伺わせる。
目録をつけて整理するべきだ。
呆れる程の乱雑さに、サーレルは武器に手を置いたまま溜息をついた。
混
沌としているのは、理由があるのか無いのか。
それとも信心と手癖の悪さを篩にかける仕掛けでもあるのだろうか?
奥に進むにつれて、更に目が痛くなるような宝飾品の輝きが大きくなる。金の固まりや趣味の良くない水晶の彫刻、得体の知れない道具が天井付近にまで積み上げられていた。
乱暴な積み方で、何かの拍子に崩れてきそうだった。
金銀財宝に埋もれて圧死。
厭な想像をしながら、慎重に奥に進む。
空気の流れはあるようで、灯りは所々に置かれていた。
匂いは、特に古い羊皮紙独特の物や革、香油のような物がする。
多少ほこり臭いが、腐るような物は置かれていないようで、それだけが救いだ。
建物は北向きなのか、少しひんやりとしている。
奥へと進むと、半円を描く扉があった。
扉は少し開き、敷き織物がかけられている。
厚みから毛織りの高価な物で、庶民が手に入れられる代物ではない。
たぶん、扉が勝手に閉まらないように挟んだのだろうが、そんな使い道にするような品物ではない。
サーレルは頭を振りながら奥へと進んだ。
扉の奥は、礼拝堂のような作りで、正面には色鮮やかな硝子がある。
それが教壇の後ろに縦に壁にはめ込まれ、天井にある丸窓まで続いていた。そして、その丸窓には鉄花が咲いている。
正確には、花の形の鉄格子がはまっていた。
北の星が花心のように輝いている。
さすが、神聖教本殿の宝物殿だ。
金のかけ方が違う。
そこだけは趣味がいいですね。
等と扉の側で佇んだまま、サーレルは思った。
それから剣帯の留め金をゆっくりと戻す。
面倒くさい。
時々、この幼なじみは、やっぱり、あのモルデン大公の息子だと実感する。
息をするだけで、ろくでもない事柄が沸いてくるのだ。
ちらりと見やれば、床に座り込んだ祭司長が首をひねっている。
その隣では、両手で頭部を抱えた幼なじみが身悶えしていた。
長いつきあいだからこそ、一瞬で状況がわかる。
「..呪われてますね」
サーレルの感想に、カーンが癇癪をおこしたのか、壁面の彫像を蹴り潰した。
「落ち着け、壊すんじゃねぇよ。只の石くれじゃなくて、文化的価値がな、聞けよっこら!」
「確か、呪術に耐えられる武器を探していたんですよね」
それにジェレマイアが、不思議そうに返した。
「何で呪われるかな」
「やっぱり、呪われていますよね」
「おっ、お前さん。だいぶ、見えるようになったな。」
「違うと思いますよ。その辺の子供が見ても呪われてると思うんじゃないですか?」
「..だよな」
二人の会話に、当の呪われた外見になっている男が唸る。
怒鳴れないのは、単に、喋れないからだ。
カーンの顔には、鉄の仮面が食いついていた。
馬の轡のように、口元には鋼鉄の馬銜が。
更に顔全体を頭部に向かい大きな手で掴むように、鋼鉄の仮面が噛みついている。
半分獣化をして耐えているが、普通ならば頭部に刺さって死んでいるのではないだろうか。
抵抗もしたのだろうが、仮面は生き物のように顔に張り付き、罪人の拘束具のように締め上げ続けている。
単に、締め付けられている当人の強度が、人間以上だから耐えているだけだ。
そして呪われていると子供でも分かるのは、その金属の仮面が、うなり声をあげているからだ。
「おかしいなぁ、前に来た時は、そんな変化しなかったのによぅ」
「やはり、グリモアの所為でしょうか?」
「う~ん」
「死にません?」
「いや、グリモアの主が、こんな呪物で死んだら、俺は笑うね」
「それでも顔から取れないと、外聞が悪いのですが?」
サーレルの言葉に、カーンがうなり声を返した。
「おや、呪われた品と同じような声に?
貴方の力なら、剥がせるのではないですか?」
それに血走った目で、カーンはジェレマイアを睨んだ。
睨まれた当人は、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「いや、それ、西のミョルニヨルからの貢ぎもんでなぁ。あっちの役人が来たら、飾っておもてなしをだな、しなくちゃならんのでな」
「呪われた鉄仮面がですか?」
「違うよ、それは元々は、女神像だ。
隣にしまっといた剣を取ろうとしたら、急に噛みついてきてな。
俺を庇ったカーンが、ばっくりやられた」
「馬鹿ですね。どれ、見せてください」
蟹か蜘蛛が顔面に張り付いているように見えた。
足を一本外すと、他が絞まり、全ての足に手をかけると、張り付いている部分が変化して新たな足を作り出す。
非常に執念深い。と、サーレルは思った。
「グリモアの主とやらになったなら、その力で剥がれませんか?
それか祭司としてのお力で」
それにジェレマイアが今度は唸った。
「木っ端微塵にされるのも困るんだよ。
しかし、何だよコレ?
魔物なのか。
呪いを解くというか、汚れを祓うという行為は無駄かもしれん。う~ん。
それに、せっかく美人で色っぽい神像がもったいねぇ。
カーン、傷つけずに剥がれねぇか?原因をしら」
それにサーレルはニッコリ笑顔を浮かべた。
「カーン、時間の無駄です。千切り捨てろ、バカバカしい!」
「あ~、神殿長、ワリィ粉々になった。これもまぁ、ありがたい神の糧になった..ト、オモウョ」
ジェレマイアが明後日の方向へ謝罪している。
適当すぎるが、床に散らばる女神像の破片を一山にかき寄せる姿は煤けていた。
もちろん、サーレルに罪悪感など欠片もない。
「それで肝心の得物はどれです?」
「酷い目にあった。頭がイテェ」
頭部を揉んでいるカーンに、サーレルは白い目を向けた。
「子供二人が忍び込んで悪さしているんじゃないんですから、どうしてそう脱線するんです」
「俺は被害者だ」
「尻拭いをする私は、加害者とでも?
さっさと得物を手に入れて、戻るんですよ。
こちらは探索隊の編成作業と準備で、寝る暇もないんですからね。
どうせ、その妙に写実的な女神像を二人でからかったんじゃないですか?
呪いじゃなくて神罰だから、お力が受け付けなかったんでしょう」
「..見てたのか?」
「冗談のつもりでした」
片方の眉をあげた相手に、サーレルはうんざりとした調子で返した。
見た目と雰囲気に反して、カーンは非常に悪戯好きだった。
それも非常にくだらない悪さが好きだ。
血は争えない。
モルデンの宗主も、そういう意味でも性格が悪かった。
「ならば見ていませんが、今日の出来事は、お伝えしておきましょう」
「何言ってんだ?」
破片を片隅寄せて、証拠隠滅をはかっていた祭司長が振り返る。
「あの娘も、さぞや軽蔑するでしょうねぇ。
いい歳の男二人が、色っぽい女神像に悪戯していたら噛みつかれたと」
「おまっ」
「サーレル、俺は、そんな変態じゃねぇ!オリヴィアに言ったら只じゃぁ」
「別に私は、あの娘と言いましたが、眠りの君とは言っていませんよ。あぁそうですね、宝物殿管理のお嬢さんと言えばよかったですねぇ。」
「..お嬢さんって、年季の入ったシワシワの婆さんじゃねぇか」
「祭司長殿、そのお嬢さんに言っておきますよ。
悪戯して壊したって。
あぁ婆さん云々も一緒に言っておきます?
私、心を入れ替えて、善き行いを心がけるつもりですから。
ついでに、眠りの君にも伝わるように頑張りますね。
案外、神様に向かって繰り返しお伝えすれば伝言ぐらい届くかも知れませんし」
「何処が善き行いなんだよ」
「少なくとも神像の胸の大きさを喜ぶような餓鬼ではありませんよ」
「おっぱい信者は俺じゃぁねぇよ。なぁカーン」
「スヴェンだな」
嫌みな攻撃に、ジェレマイアはカーンを小突いた。
「おぃ、何でこいつ連れてきたんだよ..」
「できれば、こいつにも得物が欲しいんだよ。
他の奴らには、あの女が色々渡してたんだが、こいつにだけ武器じゃねぇのを配ったんだよ。
うるせぇけど、仕方ねぇだろうが」
「死んだ旦那に似てるから、特別に怨念のこもった物でも渡されたのかよ、流石だな」
「..聞こえてますよ。
貰ったのは書物です。
祭司長殿にも、後でお見せしますね。
見ていると飽きないのですが、食事が不味くなるような内容ですよ。
さて、時間がもったいない。
魔物はご遠慮しますが、慎重に手早くお願いしますよ」
促されてジェレマイアが奥の棚に向かう。
また、妙な物が飛び出してくると厄介なので、カーンも一緒だ。
サーレルはといえば、安全な距離を保ったままだ。
神の使いとカーンが対処できない代物に、真っ正面から挑む程無謀ではない。
古い木の棚の奥に、大きな木箱が置かれている。
噛みついた神像は手前の棚にあったようだ。
土偶や古い奇妙な彫像が並んで置かれている。
棚に囲まれるようにして置かれた箱は、平たく横に長いものだ。
蓋を開けると、様々な剣がギッシリと詰め込まれていた。
何れも古く、布で刀身が巻かれている。
長さも形も様々で、無造作に放り込まれていた。
「宝物殿という割に、何もかもが放置されていますね」
「価値はあれど、換金するには難のある物を、全部放り込んである。まぁ、倉庫だ。
目録を作って整理すりゃぁいいんだがよ。
目利きを入れるには、場所が悪い。
かといって、素人じゃぁ何がなんだかわからねぇ。」
「なるほど、価値がわかる経験と由来がわかる教養、それに、噛みつかれても平気な輩という条件ですか。
つまり祭司長殿か神殿長殿以外には、ここの場所で目録作りができない。
そして年がら年中忙しいお二方は、ここをごみ捨て場のようにしていると」
「お前、善き行いとか言う割に、ヒデェな」
「自分の全財産並の古代の金貨を踏みしめてしまい、動揺が激しくて」
「あぁ、アレは市場に出しても、金の重さの価値だけだから。
ついでに、呪われるんで目利きは買わねぇな。
手に入れた人間のうち、確か三分の一の確率で呪う。
賭事だと惨敗するし、ツキが異様に落ちる。すげぇぞぅ」
「...」
「ハイハイ、故意に入り口にまきました。盗人がくすねたら面白いだろ?」
「祭司長殿の部屋は、きっと汚いでしょうね。
もちろん、巫女様方がお片づけしてくださるんでしょうけど。
入り口に生ごみとかまいて、面倒な輩を近づけないとかしそうですね」
「それ、俺も生活できねぇよ。つーか、俺は綺麗好きだから。
神殿生活も何れ終わりにして、姉と一緒に暮らす時は、そりゃもう清潔で綺麗な場所をだな」
その発言に、軽口を叩いていたサーレルと箱の中身を検分していたカーンが動きを止めた。
「ん?そりゃそうだろ。
俺はもう、呪い付きじゃねぇ。
奉仕者として神殿勢力の中に置かれる事は死ぬまで続くが、神殿のみで暮らす必要は無くなった。
姉が望む場所に、俺は行く。
神殿の総意としても、彼女は我々の家族という認識だ。
邪魔に思われようと、神殿こそが彼女の支持勢力なんだよ。」
それに大きく溜息をつくと、サーレルは言った。
「貴方方は、公王の支配から逃れる事は無理でしょう。
貴方は、還俗は許されないでしょうし。
この後に、神より眠りの君を取り戻せようとも、民の暮らしに戻る事はできない。
夢を語るには、まずは、神よりの試練を下さねばなりませんけれどね。それにカーン」
灯りに揺れる幼なじみに向けて、言いたくない事をサーレルは続けた。
「オリヴィアという亜人の娘ならば、貴方は手にする事ができるでしょう。
優しく囲い込んで、彼女が生きていけるようにできるでしょう。
でも、彼女は尊いとされる種族の生き残り。
他に残っているかも定かではない、貴重な種族です。
加えて、信仰の対象になるかもしれない。
公王も頭をたれるでしょう。
彼女は、貴重な存在であり、このオルタスの野心家な男は、妻にと望む存在です。
今は子供でも、大人になった彼女を守るには、多くの犠牲をしいられる。
貴方は、考えたことがあるのでしょうか?
彼女は、誕生祝いの菓子なのです。
そこに飾られた甘い砂糖菓子の飾りなのですよ。
皆、欲しい欲しいと騒ぐでしょう。
貴方方二人は、考えないようにしているのでしょうか?
彼女が子供だから、今は、棚上げしているのでしょうか?」
見上げた幼なじみの瞳には、紺色の蔦模様が虹彩に沿って彩っていた。白い瞳は、いつの間にか色を加え、不思議に穏やかさを添えている。
その瞳を見ているうちに、サーレルは少し可笑しくなった。
既に、カーンは腹をくくっている。
だから、あのクソのようなモルデン宗主の子であると宣言したのだ。
差し出口をするまでもなく、たった一人を守るために、多くを失う事を選んでいるのだ。
「お前、口ではなんだかんだ言うけどよ。
俺の姉が目覚めるって前提で話すとか、どんだけ、その」
「はっきり言えば、私が彼女を見つけたのです。
血縁の祭司長殿よりつきあいは長い。
信頼できる娘である事は承知していますし、獣人への態度も良い。
加えて、カーンは最初から仲良しですしね。
田舎の少年と思っていた頃から、妙に馴染んで。
だから、私は、不都合な事を並べなくてはならないんですよ。
おわかりですか?
イグナシオ等、言葉には出していませんが、毎日毎日、館に通って掃除をしているんですよ。
オービスは館の中の小物を作っては、増やしていますし。
他の者も、ましてや炎の輩は、既に手遅れですしね。
判断力が低下する何かを娘は出しているんでしょうか?
種族特性なんじゃないですか?」
「いや、違うし。
カーンは別にして、他の奴らは元々だろ。
女児なら、それこそ獣人の種族特性でゲロ甘だし。
獣人の女どもが我が儘に育つのは、大概、馬鹿な父親の甘やかしが殆どだろうが」
「世の中の獣人男性が全部女性に甘いと思わないでください」
「つーか、お前、一番」
「なんですか?」
睨まれて、ジェレマイアは口をつぐんだ。
つまり、幼い弟妹がいるサーレルは、少女のくくりにあるオリヴィアの事を、本音では可愛がりたいらしい。
獣人の子供と同じくらいの小ささも、彼らには可愛がる要素だ。
よかったのか?
と、ジェレマイアは首を傾げた。
彼女の周りには、基本的に獣人だけを置けば安全かも知れない。
何ともいえない表情をして、ジェレマイアはカーンをみた。
そのカーンは、まじめな表情でサーレルを見ると言った。
「オリヴィアは、俺の領地で生きるんだ。
俺の。
オリヴィアが望むなら、皆で暮らせばいい。
誰も邪魔はさせない。
オリヴィアは、菓子の飾りではない。
公王も、モルデンも手出しをさせない。
俺が死んでも、これは約束として守らせる。
お前もよく覚えておけ。」
その言葉に、サーレルは寂しい笑顔を浮かべた。
「死んでもですか?死んだら、彼女は一人ですよ」
「皆がいる。ジェレマイアもお前達もだ。」
「貴方の、オリヴィアでしょう?」
それにカーンは答えず、剣の箱に向き直った。
「小舅としては、どう思います?」
サーレルの問いに、ジェレマイアは苦笑いした。




