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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
280/355

ACT245 貴方を愛するという事 ①

 ACT245


 書簡には、古い言葉でこう記されていた。




(不死の王と癒す者を探し出すべし

 水精の柱が証である

 祖を辿り、違えられた約束を戻す事

 それが主の望みである


 ひとつ、喪うを期日とする

 ひとつ、失われたならば、終わりとする

 行くも戻るも、自由である

 そして、果たせずとも、科す事無し)




 書簡は、公王が開き、神殿長が読み上げた。

 その場には、軍幹部と元老院議員が居並んでいる。

 暫くは、書簡についてのやり取りが続いた。

 もちろん、内容の意味についてではない。

 死者の宮の主。

 つまり、魔の神から寄越された、死者の手により運ばれた書簡の真偽についてだ。

 結論の出ない問答である。

 そして多くが元老院議員からの発言だけであった。


 人族の、長命な者の、そして、最古の王都に詰める貴族の、発言だけ、であった。

 その茶番は、神殿兵が囲みを作り王城の一室にて開かれていた。


「我々が為すべき事は、曖昧な神託を元にした宛てどころの無い行為ではないでしょう。この都の建て直しなど、着手すべき事は多々あります。

 幸いにも、偉大なる公王陛下のお慈悲によって、十分に我々は義務を果たした訳ですし、早急な事柄に対処すべきかと思います。」


 議長を任されている古参貴族も、不機嫌な表情を繕うこともせずに発言した。


「犠牲は無く、神も無いと?」


 軍人の、獣族の男の発言に、議員はせせら笑った。


「問題にすべき事柄が違うのだ。

 そもそも今回の原因も、昏睡している者にある。

 騒動を呼び込み、身分にあわぬ虚言を吐いた。

 高貴な血筋でも無かろうに、氏素性さえも知れぬ壁蝨が本性。

 そんな騒動の原因であろう罪人に、土地と水を与えている現状も異常。

 卑しい下々の者が、増長する原因にもなろう。

 ましてや無知な輩が、まるで神のように崇めているとか。

 今回の事と同じく、害悪の元となるかも知れん。

 取り上げるべき議題が間違っている。

 早急に、過剰な保護を受けている者を、この国の秩序を守るためにも正しく始末すべきであろう」


「それはお前の意見か?」


 祭司長が口を挟んだ。

 彼に見つめられた議員は、怒鳴り返した。


「その壁蝨を呼び寄せたのは、其方の存在ではないのか!

 元より一切を消し去っておけば良かったのだ。

 それが熾火のように残るのは、其方が燃え広がるようにしているからではないのか?

 これは私一人の意見ではない!

 皆、誰の所為であるか知っている。

 口では言わぬのは、哀れと思っているからだ!

 何が神の祭司だ、できそこないの分際で。

 お慈悲で生かしてもらっているというのに、更に壁蝨を一匹つれてきおって!

 公王陛下!

 どこまでが本当の事かもわからない事に、得体の知れない者に、これほどの労力を払う意義は無いかと。

 神を奉じる方々のいつもの方便ではないのですか?

 実際に禍事を防いだのは兵士でしょう。

 たった一人の人間に何ができるのです。

 もしかしたら、凶事を理由にした勢力拡大をもくろむ者の策略ではないのですか?」


 その公王は聞いているのかいないのか、片手で書簡を弄っていた。


「一度、その者を調べる必要があります。

 氏素性を調べ、昏睡しているのか否か。それに誰と繋がりがあるのか、徹底的に調べねばなりません。不敬を承知で申し上げますが、そのような戯れ言を誰が信じましょうか。何れ化けの皮がはがれ、卑しい繋がりも見つかりましょう」


 熱弁をふるう議長に、公王は笑った。

 否定も賛同もしない他の者を見回すと、彼は笑いをおさめた。

 続く放言を聞き流しながら、公王は傍らの人形に話しかけた。


「御母様、どうやら、彼らは呪われてしまったようだね。

 あの賢げな輩が、このようになってしまうとは。

 祭司長よ、これはやはり呪いであろう?と、御母様は聞いているよ」


 それに祭司長は、無表情だ。

 代わりに神聖教の総神殿長である男が疲れた様子で答えた。


「多分、位階が極端に下がっておられます。真名は既に変質が進んでいるかと。」


「馬鹿な事を、今の発言は無礼であるぞ!」


 神殿長は、いつにも増して疲れた様子で返した。


「落ちつきなされよ。静かに息を吸い、一度、発言を止めるのです。

 そして、御自身の真名を心の中で繰り返してご覧なさい。

 真名は無事でありましょうか?」


「当たり前だ!何を言っているのだ。私は」


 不意に、議員の表情が抜けた。

 無表情になり、卓に着く者達を見回した。

 そして座る者の中にも、動揺したように椅子を鳴らし立ち上がる。声にならぬ何かを叫ぶように口を大きく開く者もいた。


「神殿長よ、御母様は少し聞きたいそうだが。これはどういう事か?」


 歳よりも老けた男は、自嘲気味に笑うと答えた。


「魂の有様が変化しているのでしょう。

 動揺もしていますでしょうし、今までにない発言や行動も見られるかもしれません。

 言うなれば、箍がはずれてしまったようなものでしょうか。

 皆様も、時を置かれれば馴染まれましょうが、今は、特に御自身で注意するほかありません。」


「真名が消えた?からか」


「長命な方々、特にお集まりの議員の方々であれば、主に最大で八までの真名を得ているでしょう。それが順に消えていきます。」


「少しわからないと、御母様は言っているよ」


「あぁ、申し訳ございません、陛下。

 真名と言っても、普通につけられる物ではございません。

 陛下にも、神殿より真名を贈らせていただいたと思います。

 あれは現世にてつけられた名ではありません。

 特に魂に見える名をお知らせしているのです。

 ですので、貴族の、長命な方ほど、その儀式を行う回数が増えます。

 故に、御自身で自らの魂の有様をはかる事ができるのです。」


「隠し名とは違うのか?」


「血縁や神官がふさわしい隠し名をつける事が普通です。

 ですが、真名と呼ぶのは、その魂を見極める際に見える名前の事を言います。

 本来、名付けの儀式は真名を与えますが、その真名を与える事が逆に災いを呼ぶ事もあるので、敢えて、つけない事が普通です。

 かわりに、父母や血縁者、それか神官がふさわしい隠し名をつけ、名乗る名前を与えます。

 ですが、高位の貴族でも、長命な方々は、昔からの名付けの儀式を好んで行います。

 そして長命な方々それも由緒正しき方は、成人までに最大で八度、この名付けに近い儀式がございます。

 故に、神からのお言葉を八度頂く事になるのです。

 そして神がそのお言葉を戻されれば、名も消える。

 神が祝福を手に戻すという事です。

 もちろん、名が消えたところで、人ではなくなる訳ではありません。

 神から与えられる真名など民草にしてみれば、与えられない者の方が多いのですから。」


「強欲だね。と、御母様は言っているよ。我の場合は、王の名前が重くて真名などひとつだけだがね」


「真名とは、本来、ひとつで十分にございます」


「だが、多くあった方が幸いなのだろう?ねぇ御母様」


 それに神殿長は眉を下げ、周りの者達を見回した。

 何も言わないが、幸いではない事は明らかなようだ。

 公王は愉快そうに表情を歪めると、言葉を無くしてしまった一同に言った。


「だが、影響はあるのだろう。

 いったん与えられた恩恵が消えるのだからね。

 御母様も驚いているよ、一番、思慮深いと思っていた者が喚きだし、おまけに、愚鈍なほど皆、口を開かない。

 やれやれだね。

 それでも君達は、この国を動かす者だ。

 愚かであろうと神の罰を与えられようとも、責任も義務も果たしてもらわねばならない。

 そこで一つ我が言葉として残しておく事にする。

 これは公王の記録として残る発言だ。

 良く聞いておくのだ。


 君達は、これから生きていくにあたり、否定してはならないことがある。


 例えば、神はいないと主張しても良いが、冥府を否定してはならない。

 精霊の種は、神では無いと主張しても良いが、彼らに命を救われた事を否定してはならない。

 そして、ここからが一番重要だ」


 王は楽しげに、彼らを見回した。


「片時も忘れてはならない。

 我らは皆、罪人なのだ。

 我も、お前達も、皆、罪人だ。

 例え、不都合な事柄をすべて焼き捨ててしまったとしても、罪は消えない。

 そこな我の甥を罵ったところで、同じ事。

 むしろ、罪が増えるだけの事だ。

 なぜなら、我らの方が、悪、だからだ。

 よくよく覚えておけ。

 我らが、悪なのだ。


 これを否定できる者はいまい?


 お前達は善人か?

 善人と自ら主張する者がいるならば、我が直々に取り立ててやろう。

 この城で専任の道化として雇う故な。


 さて、いつもならば、議長をしてもらうべき者が錯乱しておるようだ。

 末席に連なるカッサンドラ公に取り仕切ってもらう事にしよう。

 どうやら、真名も残っている様子なのでな」


 それに末席に位置する年若い議員が、恭しく頭を垂れた。






「書簡には続きがある。


 今の言葉にすればこうだ。


 これより、古に分けられた種を戻す。

 彼らは、自由になるだろう。

 夜は長く。

 昼はつかの間になるだろう。

 空には星が輝くように、禍々しい死が通り過ぎる。

 そして災いと同じく祝福を与えよう。

 お前達、ニンゲンも自由だ。

 留まるも良し、呑まれるも良し。」


「我々にもわかるように、意訳していただきたい」


 議長の言葉に、ジェレマイアは頷いた。


「先の文章は、まだ解読中だ。

 神殿にて解読し、慎重に対処すべきと思う。

 神からの、我々ニンゲンに対する問いかけと思われるからだ。

 我々がニンゲンとして地上で繁栄する為に用意された問題というところだろう。

 問題は後半部分、多くの国民が巻き込まれるだろうニンゲンへの警告だ」


「警告とは?」


「即ち、夜が来るという事だ。」


 議長は、カッサンドラ公と呼ばれた年若い女性の議員は、困惑したように他の者に視線を向けた。

 彼女から右手が元老院議員、左手が軍人達、議長席から正面には神殿の者、離れた上座の壇上席には公王が愉快そうに座っている。

 誰も発言はしないようだ。

 最初に議長が自滅を演じてくれたおかげで、誰も彼も発言を慎んでいる。

 だからといって、錯乱しているのは一部の者だけであろう。

 急遽元老院議員枠に押し込まれたばかりの彼女には、年輩の長老の座に着いている者達の考えは図りかねていた。

 ましてや、軍事を司る面々の思考も王の考えも、分かるわけもない。

 急遽、代替わりした事も含めての、最初の議会がこれである。

 晴れがましい気持ちなど欠片もなく、自領地に戻りたいとひたすら思っていた。

 晴れがましいはずの、元老院の議員枠が、今では地獄への招待状に思える。

 それは他の西方出身の貴族議員達も同じ考えだったのだろう。

 一人地獄へ旅立った後の席だ。

 どのような無理難題が降りかかるかもわからない。経験も何もない者が入り込めば餌食になるのは目に見えている。

 だから、元老院へあがる者が西から一人も出ない。等とこちらに向かっているだろう西方辺境伯への言い訳がたたない状況だと言うのに、皆、逃げ足が早い早い。

 故に、逃げ遅れた年若いカッサンドラ公爵が生け贄というわけだ。

 先輩議員に目を向けると、日頃の大きな態度とは違い、こそこそと目をそらされた。


 ニンゲンの本質は、火急の時ほど露見するものだ。

 王が笑い続けているのも頷けるとカッサンドラ公爵も納得する。

 皆、あてにならない。


 東西南北、オルタスの領地持ちは貴族議員としての義務が科される。

 もちろん、出仕義務は領地運営に差し障りの無い程度で人を出す事になる。

 当然、余裕のある裕福な者ほど、政治の世界に手を伸ばせる訳だ。

 そこで、東西南北の地域勢力は、政治的思想の集団と言うよりも地域ごとの利害を追求する集団として議員を王府に送り込む。

 本来の元老院とは、立法諮問機関であり、貴族議会議員を永年勤めた者がなるはずである。

 だが、長い戦争の間に、問題への即時対応を求められるようになり、その永年勤めた者という資格条件部分を削った。

 本来なれば、永年勤めた者と種族割合を均等にするのが元老院の健全な姿であろう。

 だが、即時対応とは、つまり、必ず問題に対して決がとれるという意味だ。


 首都に詰める古参貴族の中でも財多く血筋の古い者が三割。

 東西北の貴族集団が四割。

 二割が南部貴族、つまり獣人族。

 残り一割がその他の貴族という構成になっている。


 この議席枠は、法律として定められている。

 つまり、七割が人族であり、残り三割が他種族。

 決定権は常に人族にあり、法律が可決されるのは六割以上の賛成であるので、常に、決がとりやすくなっている。


 この不平等な法律には、獣人族に対する是正処置も含まれている。

 それは法律決定の際に、獣人族が多い南領に関しては例外処置を設ける事ができるように定められているのだ。

 その例外とは、南領の大公家が正当な反対理由を提示した場合、南部地域に関してのみ即時施行を断念し、再び議会に差し戻される。と、言うものだ。

 そして、差し戻された場合、三割の反対意見があった場合は、暫定的に南領ではその法律は施行されない事になる。

 大方は、この差し戻しの時点で、南領は除外されるのだ。

 差し戻した案件に改めて投票するのは、不要な摩擦を起こしても欲しい利益が無い限り無意味だ。

 そして例外処置には、不平等の是正を行うようにとの公王勅令が出た場合も含まれる。


 カッサンドラ公の所属する議員集団は、首都に詰める古参議員達に対抗する辺境貴族派である。

 主義主張を押し通さなければ、首都の面々にいいように搾り取られ使われるだけになってしまう。

 本来ならば、老齢老獪の経験豊富な者がここにいるべきである。

 だが、その多くが、例の晩を境に弱り表に出なくなっていた。

 死んだ者も多く、または、カッサンドラ公のように急遽代替わりを余儀なくされている。

 本来ならば、西方辺境伯御大、つまり、王府に詰める辺境伯子息の父が来る迄は、このような場所に誰も立ちたくないのだ。

 だが、誰も立たなければ、何が起きているのかも分からずに、得られるべき利権を逃し、または、よけいな負担や災厄を抱え込むかも知れない。

 貴族議員の殆どが領地へと戻る流れになっている今、この場所にいるのは余程間の悪い人物である。


 祖父が弱り倒れ、父親は軍役中、兄弟の殆どが病死、母方の氏族は西の領地差配で手一杯。

 姉は一人いるが、西の病毒で病に伏しており、今、この場所にいる彼女以外にカッサンドラ公爵として立つ者がいない。

 つまり、運と間が本当に悪い者の代表である。

 唸りそうになるのを押さえて、無表情のまま、神の使いに言葉を返した。


「お恥ずかしながら、私にも、分かるようにお話していただけますか?

 夜が来るとは、具体的にどうなるのでしょうか?」


 それにジェレマイアは、ジロリと議員達を見回した。

 ゆっくりと見回して、一人一人と目を合わせていく。

 そのうち、先ほど彼を罵った元議長に目をあてると、ニヤリと笑った。

 その笑いは、酷く酷薄であった。


「夜が来るとは、魔が満ちるという意味だ。

 本来、神の慈悲にて、邪悪な者は、この世から追い出された。

 だが、既に邪悪の種は人々の中に芽吹き宿っていた。

 魔神は、この世界は既に汚れていると判断した。

 だから、元々あった汚濁と邪悪を元に戻す事にしたのだ。

 泥をかきだしたが、既に池は濁っていた。

 泥にまみれたザリガニやヤゴを元の池に戻そうというわけだ。」


 不意に、彼は笑い声をあげた。


「ニンゲンは、そのザリガニやヤゴの餌になるというわけだ。それも高級な餌ほど好物だ。お前達のような奴らがな」


 猛然と反駁しようとする議員に、カッサンドラ公は卓を叩いて黙らせた。


「祭司殿も冷静な発言をお願いいたします。

 具体的には、どのような事に?」


「どうせ、信じないだろう。

 喰われるまで、お前達は信じないし、改心もしない。

 言うだけ無駄であろう。

 私は、救われたいと思う者だけに手を貸す。

 施せと要求ばかりする尊大で愚かな奴らには、何一つ手を貸すつもりはない。

 滅びればいいのだ。

 罪人として、地獄へ逝くがいい」


 再び罵りあいが始まった。

 祭司と元議長、首都の古参議員の男達は、幼児の如く罵倒しあう。


 困惑したカッサンドラ公は天井を仰いだ。

 若輩の貴族議員、それもカッサンドラ公爵代理の女性には、状況は笑えるほど酷い。

 しかし、彼女とて、不思議な事を経験した後だ。

 神という現実味のない言葉も、見えない魔の存在も、現実と理解している。

 むしろ、こうしてニンゲン同士が争い罵りあう今の方が現実味が無い。

 ニンゲンは、本当に馬鹿だ。


「静粛にお願いいたします!

 公王陛下の御前会議にございます!

 静粛にお願いいたします、議事進行を妨害する場合は、議長権限にて退出をお願いすることになります。

 さぁ、時間を無駄にしてはなりません。

 貴族議会より、広場の利用も、精霊の方の御身を保護することも、既に満場一致で可決済みでございます。

 この事に関しては、陛下がおられる元老院議会の議題にはございません。

 双方、言葉を慎み、節度ある態度を示してください。」


 カッサンドラ公の言葉に、元老院議員の一人から言葉が返った。


「それがそもそもの間違いではないのか?」


「議題は、もたらされた書簡についてです。それ以外の発言は進行の妨害ととります」


 だが、古参の議員は、彼女の言葉を無視すると怒鳴り散らした。


「何が精霊種だ。

 化け物も、その得体の知れない輩の所為なのではないか?

 この都が壊れ、水を取り上げたのは、その一匹の所為だろう。

 人殺しや犯罪者は、兵隊が始末したのだ。

 他の災害は、その邪教を操る精霊種の所為に相違ない。

 その化け物を保護する?

 冗談ではない。

 早く、それを始末して、災厄を終わらせるのが一番だ。

 最後の一匹を始末すれば、水は戻るのではないか?

 まったく忌々しい。」


 驚く事に、賛同する声が次々とあがる。

 これにはカッサンドラ公爵も、一瞬言葉がでなかった。

 だが頭の片隅で、辺境貴族派は発言していない事を確認していた。

 拙い。

 彼女は血の気が引いた。

 精霊種うんぬんではない。

 先の公王の発言を否定しているからだ。

 それは悪手どころの話ではない。

 彼女は、ゆっくりと室内を目だけで見回す。

 獣人族の多くが座る場所は、何も動きはない。むしろ異常なほど静かだ。

 そして、軍人側を眺める。

 その多くが笑っている。

 人族も獣人族も混じっているが、軍人の多くは、非常に愉快そうにしていた。

 そして、見たくは無いが、王座に目を向ける。

 カッサンドラ公は、喉から悲鳴が小さく漏れた。

 喉奥から無様な声が漏れる。


 公王ランドールの無機質な目が彼女を見ていた。

 遠くだというのに、瞳孔の形まで見えるような気がした。


「カッサンドラ議長、そう怯える必要はない。

 少しだけ、ちょっとした実験をお願いしていたんだよ。

 御母様と我が、甥にお願いしていたんだ。

 だから、大丈夫。

 君は、ね。

 皆、逃げ足も早いが嘘も上手だから困ったものだよ。

 でもまぁ、影響が残っているから、少し、お話し合いをすると見えるんだそうだよ。

 我にも見えるかと不安だったけれど。

 まぁ、よくわかったよ。

 残念だねぇ、本当に少ししか残らないようだよ、御母様。

 けれど間引かなければ、王府の機能も維持できない。

 ニンゲンの顔をした何かに変化してからでは手遅れだからね。

 元老院は、特に情報面への影響が多大だし、これを軍部に全て渡すと、それこそこの国は、誰の国か分からなくなるからね。」


 公王の発言に、罵る言葉が宙に浮いて止まる。

 そこを見計らうように、ランドールは続けた。


「我は、御母様と相談したんだよ。

 地獄に送らねばならぬ者を、国の中枢に入れるのは間違いだからね。

 だからね、嫌がる甥もこの場に連れ出したんだ。

 甥は、家族の為になるからと、説得したんだよ。

 特別な寝台も完成したし、そろそろ色々はじめるっていうからね。


 そうそう、お前達、よく、ショウジキ、に発言したね。

 おかげで、蛇の印が浮き出ているよ。

 ありがとう。と、御母様は言っているよ。

 おや、気がつかなかったのかい?

 血が傷跡から流れているよ。

 うんうん、見えないのかい?

 鼻からも目からも血がでているよ。

 見える見える。

 お前達は、招かれているよ。

 我は先に言ったであろう。

 冥府はあるのだ。

 お前達は、もう、忘れてしまったのか?

 罪人は地獄へ逝くのだ。

 まぁ、それが少し速まっただけの事だから、いいだろう?」


 そういうとランドールは首を傾げた。


 ザワツく室内に、武装した兵士が入ってくる。

 そしてどういう基準なのか、喚いていた議長を含む結構な人数を引きずり出す。

 喚き抵抗する議員達は、あっという間に室外へ消えた。

 散乱する紙や倒れた椅子は、兵士と共に入ってきた者が片づけてさっさと出て行く。

 あっという間の出来事だ。

 それこそ瞬きをする間に、元老員議員席の半数が空になった。

 カッサンドラ公が呆然としていると、遠くで誰かの絶叫する声が聞こえた。


「気にするなというのも無理があろうが、彼らは国賊として処刑する。公開処刑とし、翌朝、火刑を外郭外で実行する。

 これに関しての、反対訴状は翌朝まで。

 その際は、裁判後、処刑が妥当となれば氏族全員を同じ刑とする。

 反対訴状がなければ、当人のみの処分とする。

 又、灰などの処分は神聖教本殿にて行い、その遺骸は残すことを禁じる。

 この処置は、先の春の祭りで起きた事を鑑みれば妥当であろう。

 全ては、公王勅令として処理する。

 反対意見は、同じく裁判後、我の意見が妥当とする場合、罪人と同罪とし同じ処罰とする。」


「噛み痕など何処に」


 思わず呟くカッサンドラ公に、公王は笑った。


「我に見えたのだ。それで十分であろう?」


「しかし」


「ふむ、この場に残る議員諸君も少し、困ったことになるのではと危惧しているようだね。

 だが、彼らを残す利益よりも、害悪が上回ったと判断したのだ。

 君達が思うよりも、彼らは今後、困った存在になるはずだ。

 君達の領地にも、いるだろう。

 今回の事をよくよく覚えておくといい。

 蛇の噛み痕を探す事が、生死の分かれ目だとね。

 今回に限り、神の恩情にてあからさまな印が残された。

 が、あれらが生き残れば、印無き者も増えるだろう。

 今後、それが我々残されたニンゲンの命を失う原因になりかねない。そう、我と御母様は判断したんだよ」


「陛下」


 今までにない、恐ろしい事態にカッサンドラ公は考えがまとまらなかった。

 だが、残された議員達も、彼女より年嵩の者達も同様である。

 それを見てとるとランドールは、ジェレマイアの方に手を振る仕草をした。


「カッサンドラ議長、多分、君は説明して欲しいというのだろう?

 さて、甥の先ほどの振る舞いは、我が頼んだだけの事だ。

 今度は誰も邪魔はしないし、彼も優しく説明してくれるだろう。

 安心して議事を進行するがよい。さぁ」


 議長などと呼ばれても、それは冗談のようなものだ。

 カッサンドラ公は、伏した。

 誰もこの場を仕切る等という恐ろしい事はしたくない。

 ここは処刑場と同じなのだ。

 仕方なく、彼女は口を開いた。


「..祭司長殿、我々にもわかるように、ご説明願いたい。」


 不機嫌な顔の男は、胸の前で手を組んだまま、面白くもなさそうに語った。


「古の分かたれた世界には、魔物も神もいたという。

 混沌とした夜の世界だ。

 我々は非力であり、その夜の世界では下層に位置する。

 つまり、捕食者の獲物だ。

 神の慈悲により、その魔物と我らは別れて生きる事ができるようになった。

 代償は神の恩寵や存在から得られる力だ。

 だが、夜が来れば、再び、魔物があふれるだろう。

 それによりニンゲンも変化していく。

 魔物から身を守る術を探すことになるだろう。

 つまり夜が訪れ、魔物がこの世にあふれる。

 それだけではない。

 恩寵である力もニンゲンにもたらされる。

 魔物を押さえ退ける力だ。

 つまり、ニンゲンも魔に染まり変わる。

 より良いニンゲンとしての行動ができれば、それもよかろうが。

 ニンゲンは愚かである。

 魔に染まり、魔物のようになってしまう者もいるだろう。

 特に、ニンゲンとしての位階が下がった今。

 蛇に噛まれた者は、何れ化け物のような存在になるだろう。

 否、あの様子なれば、既に人の理性を無くしつつある。

 特に、不死を求める邪教の徒は、既に印を与えられるほど魔物に近くなっている。

 外側が人の様子をしていても、魂を見れば酷く荒れ果てている。

 神官や巫女ならば、すぐに気がつくであろう。

 全土で、人狩りが起きる事はさけられないかもしれない。

 故に、今はひとまず、噛まれた痕がある者だけを処分する。

 非道に思え法治を揺るがす事に思えるだろうが、後々、魔が濃くなってからでは、滅ぼす術が無いやも知れぬ。

 ニンゲンの今ならば、火にも焼かれようが、この後どうなる事か。

 慎重に間違いなく選びたいところだが、魔に近しくともニンゲンとしての正しい在り方を残している者との区別が難しい。

 故に、法令として発布する迄の段階にはない。

 神殿も今は慎重に、見分ける方法を探している。

 今回の事は、例外でもある。

 早期に元老員から印持ちを排除するための強硬手段だった。

 これ以降、裁判にも掛けずに異端審問を行う事は無い。」


 つまり、先ほどの事は、公王公認の異端審問である。

 と、議員達は冷や汗を流す。

 どうりで対面に座る軍部の者に動揺がない。


「死者の宮からの書簡、つまり、冥府の神からの書簡の解釈は、色々と考えられる。

 確かな事は、魔物の出現だ。

 神殿の書物によれば、伝承として野獣よりも害と毒をもたらす獣が増えるようだ。

 他にも色々、現実味の薄い昔話が多数残っている。

 早急に大まかな概要をまとめて、各領地に配布する。

 各領地の守備を強化し、異常な事柄が発生した場合は、中央に情報を送るようにして欲しい。

 又、各地に中央神殿より神官、巫女の派遣を行う。

 可能な限り巡見使を派遣し、それに渡り神官をつける形で地方の小村までを網羅して欲しい。

 これは軍の方にもお願いする。」


 それに議員の一人が手を挙げた。

 議長の許しを得てから、恐れるように言った。


「それだけでしょうか?」


 古参貴族でありながら残された一人で、厳めしい雰囲気の議員である。だが、顔色が悪く、あからさまに怯えていた。


「魔の獣、だけではないのでは?」


 それに祭司長は、じっと議員を見つめた。

 居心地の悪そうな相手に、それまでの不機嫌な様子を改めると、返した。


「貴方の言う通り、古の分かたれた種、とは、モーデン縁の者どもだ」


 この答えに、場は騒然とした。

 カッサンドラ公が諫めるも、なかなかに静まらない。

 だが、祭司長の次の言葉に、場が凍り付いた。


「モーデンを殺した奴らが戻ってくるのさ。良かったな、長命種が望んだ不死に近しい者共が帰ってくるぞ」


 意味が分からない。


「モーデンは誰と戦い死んだと思う?

 モーデンは不敗の戦士、不老不死に近い永遠の戦士だった。

 だが、彼の戦士は死んだ。

 自ら望み、死を迎え入れた。

 ただし、もちろん、手当を拒んだからだが、そこまでの痛手を与えた相手は誰だと思う?


 神話では、同じニンゲンだ。

 王国の歴史でも、ニンゲンとの戦と記録されている。


 で、何処の誰と戦った?


 多民族国家であるが、モーデンを殺した種族は伝えられていない。

 そして地域紛争であるが、それが詳しく記された書物は残っていない。

 モーデンは国の、人族の平和の為に戦い、傷つき、死んだ。


 そして、死後、朽ちぬ遺骸を友により隠され葬られた。

 で、その相手はどうなった?

 敵は滅んだのか?


 一説には、モーデンは氏族内の内紛にて死んだとされる。

 そして、今ある大公家と使徒の家系が、勝利者の側だと。

 神殿に眠る古い書には、こうある。


 神は彼の者の願いにより、種を分かつ。


 モーデンを殺害した者を、彼の氏族から追放したという意味か。

 それとも異界に追い出したのか。

 お前達、長命な輩は嬉しいのではないか?。

 神が慈悲にて取り除いた、ヤゴの群が戻ってくるのだ。

 祖を殺した奴ら、邪教徒のあがめる不老不死を体現する存在が帰ってくるのだ。

 さぞや嬉しかろう。

 長い命に価値を見る、オメデタイ餌どもは、自分もヤゴだと勘違いして嬉しかろう。

 そしてヤゴも嬉しかろう。

 喜びいさんで口に餌が飛び込んでくるのだからな」


 言葉の意味が浸透するや否や、人族の長命な者は、日頃の落ち着き払った姿を捨て騒いだ。

 驚きと混乱と、奇妙な興奮。

 対する獣人議員は沈黙し亜人議員や軍人達は笑っている。

 カッサンドラ公は、木槌を叩き静粛を求めながら思った。


 人族でも長命種寄りの自分もヤゴの餌になるのだろうか?と。

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