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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
279/355

ACT244 陽射しの中へ

 ACT244


 目覚めは唐突だった。

 睡魔の名残も無く、目が覚めた。

 それは、只の目覚めではない。


 リアンは失った。


 幼子の手に握られた万能の力は、もう、無い。

 本当の自分、本当の事。

 彼女は智を得て、失った。

 得た物は?







 恐れと感嘆を覚えるほどの破壊だった。

 三日もたたずに、中央公園は消えた。

 瓦礫も木々も、あらゆる物が壊され運び出され。

 地面は平らかにならされて、白い石が敷き詰められた。

 只の石板ではないようで、神官が作業をする者の側について何かをしていた。

 瓦礫は黙々と運び出され、何もかもが消え。

 できたのは、広々とした何も無い場所だ。

 その真ん中に、それはそれは不釣り合いなほど小さな建物が造られていく。

 轟音をたて壊し尽くし、あっという間に全てがなくなったというのに、作ろうとしている物は、とても小さな家だった。

 可愛らしい家は、まるでお伽噺に出てくるような作りだ。

 美しい色合いの屋根、暖かみのある木目の扉。

 蝶の形をした呼び鈴を垂らしたのは、小山のような獣人の兵隊だ。

 その小さな家が造られている側で、囲むように地面を掘り下げている。

 小さな家を輪のように囲むそれは、池だ。


 元よりあった全てが消え、名残の木々も切り倒された。

 水は枯れ、人々は不自由を強いられている。

 だが、ここだけは池が完成すると、すぐさま満たされた。

 水は人々に配られていたが、この池には直々に、高貴な方々が水を供えた。

 己の支配地から取り寄せたそうだ。

 その貴重な水を途切れることなく注ぐ。

 すると一夜もかけずに、大きな睡蓮が池を覆った。

 睡蓮は広がり、小さな蕾をつけた。

 不思議な睡蓮は、けっして花を開かない。

 そして...


 リアンは、魔神の巫女と呼ばれた。


 呼ばれたからと言って、不思議な力がある訳でも、目を見張るような賢さが備わった訳でもない。

 リアンは、リアンだ。

 グリューフィウスのリアン。

 父親がいない娘。

 誰の子供かわからない娘。

 不器用で愚鈍な。


 世間など、気にする必要は無い。

 と、兄は言う。

 他人の思惑や気持ちばかりを追っていても無駄だと。

 己がそうであるように、他人はそれほど自分以外の者の事など気にしていない。

 そう、兄は言う。


 兄の言葉は理解できた。

 でも、それは理解できただけで、気にしないフリしかできない。

 中傷や批判の言葉は、よく聞こえるのだ。

 なぜなら、己を罵る言葉は、自分の内側からも聞こえている。

 そして誰かの言葉と、内側の言葉が重なってしまえば、どうしても、認めてしまうのだ。


 兄は立派な父親に似ている。

 そう聞いて育った。


 そしてリアンは、グリューフィウスの血をひいているはいるが、貰い子なのではないか。と、言われてきた。

 気の狂れた母親を慰める為に、近い血筋から引き取られたのではないかと。

 確かに母親の腹から生まれたと言われても、当人にはわからない。

 わからないし、誰にも聞けない。


 聞けないし、リアンは深く考えたくなかった。


 人殺しにそっくりな顔をした...自分がいる。

 手配書は平凡な男の顔だった。

 でも、母親の素描にあった。

 同じ顔をした男の子の絵。


 盗み見て、頭の隅に考えが浮かぶ。


 の一族は滅んだから、自分はグリューフィウスとしているのではないか?

 色合いはグリューフィウスだが、神官は見誤ったのではないか?

 元より、使徒の家系は同じ血だ。

 枝葉に分かれても辿れば同じ株の木だ。

 愚鈍な自分でも考えつく。

 父が死んでからずっと後に生まれた自分。

 そんな厭な考えだけには、頭が働くのだ。

 でも...


「御祖母様とアンテが片づけているが、暫くは、戻らない方がいい」


 言葉が意味として届くまでに時間がかかった。

 兄はいつも通りだ。

 擦り傷はあるが、いつも通りだ。

 少し疲れているようだとリアンは思った。

 少し草臥れているし、陰気で不機嫌。

 そう、いつも通りの兄だ。

 リアンは寝ている。

 体から力が抜けて動けない。

 でも病気ではない。

 ただ、少し疲れただけだ。

 兄と同じく、少し疲れて草臥れて、陰気で不機嫌。


「どうした?」


 否、不機嫌ではないし陰気でもない。

 今のリアンは、以前の彼女ではないのだ。


「家は、どうなったの?」


 広場の片隅には、簡易の救護所がある。

 どうしても広場から離れられない人の為に、簡易の寝台が置かれ、幕がはられていた。

 風除けに仕切が置かれ、宿泊するにも十分耐えられた。

 そして仕切と天幕の間は、程良く隙間があり見通しがよい。

 特にリアンの寝台からは、ちょこんと建てられた小さな家が見えた。

 動けなくとも特等席で、一番大切で一番面白い物が見えるというわけだ。


「井戸が崩れて庭に穴が開いた。そこに木やら土や等が落ちてな。父さんの部屋と宿泊棟が一部壊れた。

 御祖母様とアンテは、片づけをしている。

 ここなら、リアンは安全だし食事も水も配られる。それに」


 それに、ここならお医者様も兵隊さんもいる。

 悪い人も何もできないだろう。

 悪い奴らは、まだ、たくさんいるのだ。


「気分はどうだ?」


 いつも通り。

 と、思ったが、どうだろう?

 兄妹として似ていないと言われているが、一点だけそっくりな事がある。


 嫌な事実から目をそらす弱さだ。


 今、こうして目が覚めたばかりなのに、頭が冴えている。

 いつもよりずっと、はっきりと世界が見えて、嫌な事実にも目を向けられそうな気がした。


「お兄ちゃんも、見えたんだね」


 リアンの言葉に、兄は無表情のまま頷いた。


「初めて会えた」


 それにも兄は頷いた。


「お母さんは」


 リアンの言葉を待たずに、シュナイは頷いた。


 フェリンの願いは叶ったのだ。

 二人の母親は、子馬が母馬に走り寄るように、去っていった。


「良かったね」


 リアンの言葉に、初めてシュナイは表情を変えた。


「何が良いものか」


「違うよ。多分、お父さんとの約束を果たしたんだ。だから、いけたんだよ」


 リアンは瞼を閉じた。

 流れる雲が見える。

 寂しいけれど自由だ。


「お母さんは、嬉しそうだった。

 お父さんも、嬉しそうだった。

 振り返ると、二人で手を振ってくれた。」


「身勝手と言うものだ。無責任で、わがままな」


「お兄ちゃん」


 シュナイが上手に隠してきたものは、怒りだったようだ。

 父母への怒り。

 それを素直に表す瞳は、同時に妹を憐れんでいた。


「私は今まで勘違いしていたんだ。多分、お兄ちゃんもだよ」


「リアン」


「お母さんはね 、お父さんが死んだ時、一緒に、死んでたんだ。」


「リアン」


「お母さんが生きていたのは、体だけ。

 だから、少し、普通のお母さんとは違っていた。

 でも、それは私達が嫌いな訳じゃない。

 お父さんと一緒に死んでしまっていたんだもの、時間が止まっていたんだよ。

 それにお父さんは、私のお父さんだとわかった。」


「リアン」


「私は自分が違うから、お母さんともうまくいかないんだと思ってた。

 不器用なのも頭が悪いのも、全部、親が。

 都合の良い言い訳に使ってた。

 自分の駄目な部分を、信じちゃいけない考えで埋めてた。

 怠けてたんだ。

 言い訳に使うなら、聞けば良かったんだ。

 私は誰の子供かって。

 もちろん、御祖母ちゃんもお兄ちゃんも、二人の子供だって言ってくれてた。神官様も、国の人も認めてた。

 でも私は、お母さんにだけは聞けなかった。

 どんな答えが返るのか、怖かったから。

 もちろん、笑って馬鹿な事を聞くと言われたかもしれない。

 でも、私は。

 世間の見も知らぬ誰かが言う言葉の方が、本当に思えた。

 嫌な言葉なのに、楽だったから。

 知ってた?

 お兄ちゃんの隠し子とかまで言われてたんだよ」


「馬鹿な」


「馬鹿だよね。

 私は信じていない癖に、甘えてた。

 でも、それもお終い。

 私はお兄ちゃんの妹、あのお父さんの子供。

 神様や怖い眷属も言っていた通り、普通に生まれなかっただけの話」


 体を横に向けると、小さな家が目に入る。

 不思議なほど、そこだけは楽しそうに見えた。

 何しろ水辺には緑があり、小さな生き物が集まっている。


 その大半は、猫のようだ。

 本当に、夢のようだとリアンは思った。


「お父さんは、私を見ると笑ってくれた。

 笑って手を振って、お母さんと一緒に行ってしまった。

 怖いくらい迷いのない足取りで、死の国へね。

 お母さんは、お父さんの側で、本当に嬉しそうだった。

 お兄ちゃん」


「何だ」


「私、不器用だけど、人形、作れるかな?

 悪い人が来る前に、たくさん、作らなきゃ」


 シュナイは、両手で顔を覆うと俯き、暫く動かなかった。






 横になっていると、眠りの館から歩いてくるのが見えた。

 少し変わった大きな猫は、リアンを見るといつも通り鳴いた。

 鼻先に指をあてると、頭をぐりぐりと押しつけてくる。

 なめらかな毛並みを撫でていると、出かけていた兄が戻ってきた。

 兄は昼間、警衛隊の所にいる。

 新たな命令が下ったからだ。

 そして、その新たな仕事は、獣人と一緒にするようだ。

 公爵の側に控える優しい目をした獣人ではない。

 もっと大きくて、もっと厳めしい兵隊達だ。

 彼らは公園の跡地である、この眠りの館がある広場を守るのだそうだ。

 警衛隊と獣人の兵隊が一緒に守備につく。

 その獣人の兵士は、中央軍では無いらしい。

 一風変わった鎧を纏っている。

 兄に聞くと、彼らは姫を守る為に、特別に集めた人達らしい。

 特別に、神様と仲良しの人々と言う話だ。

 後でリアンにも挨拶に来るという。

 怖かったり嫌だったら、断るようにとも兄は付け加えた。

 でも、リアンは別に怖くない。

 獣人の人達は、怖くない。

 何故なら、彼らは姫の友達だ。

 姫の大好きな、大きくて強い。


 悪い奴をやっつけてくれる人達だ。


「仲良し双子の御月様。

 お兄ちゃんと私のように仲良しで、いつも二人で追いかけっこ。

 満月の頃は、一番二つが近づいているから、夜空に二つの目があるみたいになる。

 そうしたら、また、何かおきるのかな?」


 テトを布団に引き上げて問いかけた。

 猫は髭を動かすだけで答えない。

 代わりにシュナイが、わからない。と、だけ返した。


「お兄ちゃん」


「何だ?」


「本当は、何を見たの?」


 シュナイは椅子を引き寄せ寝台の側に座った。

 そうして沈黙のままに、憂鬱そうに外を見る。

 昼、夜無く、人が行き交う。

 兵士もいれば、町の者もいる。

 もちろん、眠りの館に入る事はできない。

 できたとしても、皆、足が竦んでしまうだろう。

 その周りの池を遠くから囲んでは、祈り、拝み、供え、泣き、語る。

 置かれた篝火と共に、守る者が囲んでいた。

 自由に行き来しているのは、猫だけだ。


「何も見ていない。お前の言う父の姿を見たが、それだけだ。

 多分、俺には見えないのだろう。

 許せない者には、見えない。」


「お兄ちゃん」


「何だ」


「家は、ううん、本当は家で、何があったの?」


「どういう意味だ?」


 テトを抱きしめると、リアンは再び目を閉じた。


「私、人形を作るの。

 姫が目覚めるまで、たくさんね。

 たぶん、そうしないと、姫は浚われてしまうから。

 今度は、私の番なの。 お母さんは、約束を果たした。

 今度は、私の番。」


「リアン、馬鹿な事を言うな」


「お兄ちゃんも、わかってる。

 お母さんは、お父さんと約束していた。

 お兄ちゃんと私を守るって。

 口先ばかりだと思ってた。

 子供の事なんて考えていない。

 お母さんは嘘つきだと思ってた。

 だから、憎らしく思ってた。

 どうして、どうしてって、心の底でいつも思ってた。

 父さんの事も、ね。」


 夕暮れが迫っていた。

 夜は、暫く妹の側にいられる。

 シュナイは、巫女の側にいるようにと言われていた。

 いずれ、巫女も眠りの館に入る。

 それまでの間、安全を期す為だ。

 だが、館で暮らすようになれば、シュナイは別の任務になるだろう。

 それがシュナイは不安だった。


「お前は俺よりも、父さんに似ている。

 考え方も、そっくりだ。

 俺は、父さんに似ていると言われているが、実際、中身は母さん似だ。

 お前からすれば、実に不甲斐ない兄ですまないと思う。俺は」


「いいの。

 お兄ちゃんは、お母さんより私のお母さんだった。

 変な言い方だけど、ホントに、そうだった。

 でも、そろそろお兄ちゃんばっかり、嫌な事を押しつけてちゃ不公平だよね。

 これからは、私もしっかりする。

 だからね、教えてほしい。

 お母さんは、どんな風に、死んだの?」



 天幕の中には、数家族ほど寝泊まりしてた。

 動かせないほどの重傷者は既にいない。

 自宅に戻る事が困難な人間だけが寝起きしているが、それも後数日。

 眠りの館に姫が入り、神よりの沙汰が降りれば、救護所は解体される。

 ここが置かれている本当の理由は、魔神の巫女を置くためだ。

 それも館に居を移すまでの事。

 同じく収容されている人達も、それぞれに国が行き先を振り分けるようだ。

 そんな彼らも夕暮れ時の食事の支度や何かで、片隅の兄妹の会話には注意を払っていなかった。

 シュナイは、両膝に肘を置くとリアンに顔を寄せた。


「リアンは、どうしてそう思ったんだ?」


「お母さんは、お家にいた。

 お父さんが呼んだんじゃない。

 お父さんの所に行けるようになったんだ。

 でも、お父さんと約束してたから、自分で死んだりしない。でしょ?」


「そうだな」


「お母さんが言ってた事、覚えてる?」


「うん」


「私とお兄ちゃんの人形を、たくさんつくって守ってあげるって話。

 最近は姫のお人形も作ってた。

 悪い奴らが来たんでしょ?」


「わからない」


 往生際の悪いシュナイに、リアンは笑った。

 何故だろうか、それを見て兄も笑っていた。

 良くも悪くも、もう、隠し事は何も無いのだ。

 悲しみも憎しみも突き抜けると、どうでもいいような気がしてくる。

 大切なのは、家族がそれでも生き残り、これからも生きていくということなのだ。


「人形は全部壊れていた。

 腹の部分は弾けて、両目も砕けていた。

 家中の人形は全て駄目になっていた。」


「お母さんも?」


「あぁ、母さんもだ。家中が酷い有様だ。まるで暴風が吹き荒れたようでな。

 表の作業場と水場から轟音がしたそうだ。」


「あの男が暴れ出した頃?」


「あぁ、公園に化け物を呼び出した頃だろう。」


 いつの間にか、猫はぷぅぷぅと鼾をかいて寝ている。

 リアンは眠りすぎて頭が痛い。

 当分、寝なくてもよさそうな気がした。


「お母さんは」


「うん」


「嬉しくて楽しかったと思う」


「そうか」


「だから今度は、お兄ちゃんも」


「楽しくか」


「うん、だから、悪い奴をやっつけないと。」


 妹の言葉に、シュナイはニヤリとした。


「何?」


「お前は、父さんそっくりだ。俺には理解できない。」


「ふ~ん」


「褒めているんだよ。リアン」


 シュナイは、篝火が灯されていくのを眺めながら言った。


「準備をしないとな」



 そんな会話をしてから数日後、眠りの館が完成した。

 内装も整えられ、家具も運び込まれた。


 そしてバルドルバ卿が姫を運び込んだ。


 それからの数日間、救護所から見た出来事は、リアンを楽しませた。

 ちょっとした悶着がたくさんあった。

 先ずは、怖い怖いと噂されている異端審問官達。

 彼らが広場にやってくると、館を囲んでいた兵士達が武器を構えた。

 お供えをしに来ていた人々は、恐れたようにこちらに向かって走って来たりもした。

 神様と仲良しの獣人の兵隊の方が強そうに見える。

 等と、リアンは暢気に見ていたが、他の人々は騒いだ。

 色々な感情を表している様子は、とても面白かった。

 もちろん、面白いと思っているのは、リアンと猫達だけである。

 ただし、諍いは起きなかった。

 審問官達は、周りの騒動など目もくれずに、額ずいた。

 長々と膝を折り、地面に額をすり付けていた。

 やがて、見舞いの品や供え物、祈りに来た者、只の見物の人々が戻り、彼らの姿は埋没した。


 ごめんなさい。を、しに来たんだなぁ。


 と、リアンは暢気に見るだけである。

 そしてこの騒ぎの後に、更に偉そうな人達が来た。

 揃いの長衣に人族の者達だ。

 貴族であるとわかるが、リアンには彼らが何者であるかはわからない。

 わからないが、嫌な雰囲気だと思った。

 彼らは審問官達が近寄りもしなかった館へと入ろうとした。

 もちろん、入れない。

 警衛隊と押し問答の末に、神様と仲良しの獣人の兵士が前に出た。

 警衛隊の面々が下がる。

 警衛隊士達も困惑はしていたが、武器は構えたままだ。やはり、長衣達は悪い人だと、リアンは見た。

 そして何かを言い掛けた長衣達は、問答無用で押し返される。

 それでも館に入り込もうとする彼らの前で、見る間に獣人の兵士達の姿が変わった。

 すごいと、リアンは感心した。

 獣人と言っても、人族となんら変わりの無い者ばかりを見ていたからだ。

 神様と仲良しの男達は、小山のような姿に変わると牙を剥いた。



(この場は、神の道理のみが通じる場所。

 神の僕たる者も認め、お前達を導く王も認めた。

 我らを蔑むは構わぬが、この場所は神の庭である。

 故に、手を出す者は咎人である。

 我ら、汚れを払う剣と盾也。

 神の庭を荒らす咎人を滅するが、神への祈りである!)


 胴間声が唸りと共に響いた。


(神の手が置かれし、眠りの君が健やかなる事を確かめるは、神の僕の勤めである。

 それを信じられぬと言うのならば、お前達は自分たちの王への叛意を認めるに同じ。

 そして叛意と同じく、神への冒涜と見なすのである!

 現世にて、いかなる権威を持つ者であろうと、この場は神の庭である。

 皆、等しく咎人なのである!

 故に我らは、咎人の血でこの場所を汚すことを良しとはせず。代わりに..)


 小山のような姿の兵士達は、そろって懐から何かを出した。

 遠すぎて、リアンの目には何も見えなかったが、長衣の者達は悲鳴をあげて逃げ出した。


(罰当たり者めらがっ!)


 鼻息が聞こえてきそうな啖呵である。

 リアンは小さく拍手をした。

 猪のオジサン。

 と、今度会ったら呼ぼうと思った。

 神と仲良しの兵隊の中でも、偉い人らしい。

 長い名前だったので、リアンは覚えられなかった。

 でも、優しそうなオジサンだったので、猪のオジサンと呼んでも怒らないだろうと思う。

 神聖教炎の使徒団の偉い人。

 恰幅の良いオジサンは、リアンに会いに来た時も、手土産に甘い菓子をくれて頭を撫でていったものだ。


 そんな小さな騒動が数日の間にたくさん起きたが、不思議とリアンは平気だった。

 心配も不安も、何処かに置き忘れてしまったような気がした。






「うむ、存分に姫様の世話をするがよい!」


 殿下の言葉に、リアンは神妙に頷いたが、その殿下には何故か紐がついていた。

 ちょうど幼児が遊びに飛び出していくのを押さえておくような、あの紐だ。

 何の意味があるのかわからないが、紐の先には三人の男がいた。


「ごめんねぇ~一応、この人、姫さんの僕らしいから。毎日来るけど、気にしないでねぇ。

 はい、これ御菓子。

 毒味は済んでるし、もともと、このオジサンのお家で作ったやつだから、遠慮しなくていいからねぇ~」


 眠りの館は、遠くから見ると小さく見えたが、それでも部屋は居間と寝室が二つ。

 それに眠りの君と呼ばれるようになったオリヴィアの大きな部屋に、台所などの生活部分が備わっていた。


 オリヴィアの部屋は南西の位置にある。

 リアンも一日の大半をこの部屋で過ごす。

 人形も、不慣れながら、ここで作っている。

 暖かな陽射しと風通しが良い。

 窓からの景色も綺麗だ。

 彼女の置かれた位置からは、夕陽と楽しげな街並みが見える。

 天気が良ければ外郭の向こう、壊れたオーダロンの水晶門の残骸も光って見える。

 そして天窓もあった。

 眠る彼女の頭上には、丸い天窓がある。

 陽射しがまぶしければ天蓋が覆うのだが、青空も夜空も見えるようになっていた。

 そして室内は、小花の壁紙に可愛らしい調度。

 何処から調達してくるのか、花が置かれていた。

 だからだろうか、リアンは、彼女が眠っているだけのように思えた。

 少し疲れて眠っている。

 もう少ししたら、起き出してくるような気がした。

 母親にはとうてい及ばない、不格好な布の人形を作りながら、リアンは一日オリヴィアに話しかける。

 リアンは、王様の奉公人になったらしい。

 一日オリヴィアの側にいて、人形を作っているのが仕事だ。

 後は、神様からお話があったら、神官様に教える。

 特に、してはいけないことも、無いと言われた。

 祭りも終わったのだから、奉公するのも普通だし、奉公先が王様なんて、ちょっと自慢もできる。

 だから、将来は人形師になれと王様から言われたけれど不満はない。

 今は不格好な布の何かを作り出しているだけだが。

 それも良いかと思っている。


「でかける時は、どうしてるの?」


 殿下は猫にまみれている。

 一日一度は必ず現れて、姫に話しかけていく。

 無礼があってはと席を外そうとしたが、紐の先を握っている人達が遠慮する必要なしというので座ったままだ。

 その紐を握っている赤毛の大きな人に聞かれる。

 その人は、猫を殿下から引きはがしてるが、何故か、猫はしつこく殿下に登る。

 猫の流行なのだろうか?


「猪のオジサンに言うと、一緒に街やお家に連れてってくれます」


「..おぅ猪の、何か、俺、感動。

 あの禿の分派長が可愛く思え..無い無い。

 てか、ここで暮らしていて不自由はない?

 来るオジサンやオバサン達に、遠慮しないで言うんだよ。

 家族の所にちゃんとお休みもらって帰ってるのん?」


 帰っていない。

 兄は来るし、祖母もアンテも来てくれる。

 家には帰ってほしくない。

 と、家族は考えている。

 リアンが帰ってくるのが嫌なのではない。

 母の最後が壮絶で、家その物を建て替えない限り、暮らせそうもないのだ。

 兄は、言わなかったが。

 守りの人形が砕けたように、母も砕けたのだろう。

 その最後を感じさせる場所を見せたくない。

 想像するのも苦痛なほどの有様なのだろう。


 皆、優しい。

 優しいことに気付けて嬉しい。


 そんな眠りの館には、日々、小さな変化がある。

 いつの間にか猫専用の小さな扉ができていたり。

 猫専用の砂場は、何故か結構な大きさだったり。

 そして餌は、供物の中で食べられそうな物をより分けて与えている。

 最近は、それがわかっているのか、訪れる人達は猫の餌になりそうな物ばかりを供えていく。

 眠りの館なのか、猫の屋敷なのかわからない。

 わからないが、まぁ、オリヴィアならば気にしないと思う。

 相変わらず水は無い。

 だから、都に暮らしていた動物達は、自然と睡蓮の池に集まっていた。

 池の水を満たしているのは、やはり領地から持ち出している殿下や、他の貴族達のようだ。

 池を満たす事に不満が出たこともあった。

 それも定量を人々に分配し、国が運び込み続けているので今のところ収まっている。

 渇水の対策はこれからだ。

 これから夏に向かうのだ、水は全く足りていない。

 水を売る商売もあるそうだ。

 確かに、今ならば水も貴重な商品だ。



 そして、双子の月が満ちる。



 リアンは考えていた。

 皆も想像していただろう。

 恐ろしい魔神の眷属が、人々に宣告する恐怖の日だと。

 罪科を償う試練を申し渡す日であると。



 だが、それは違った。



 月の光りに照らされて、彼らは現れた。

 その長大な隊列は、白い骨の軍馬に、骸骨の騎士。

 古の赤い国旗を先頭に、ゆるりと馬を進めてきた。


 眠りの館を前に、隊列は歩みを止め、使者が無言で降り立つ。

 彼は深々と夜気を吸い込むと、ゆっくりとリアンの元へと歩いてきた。

 軍靴が石畳を打ち、剣がカチカチと鳴る。


 篝火に館を守る兵士が見守り、この日を迎えて、大勢の神官が遠巻きに囲んでいた。

 そうして沢山の人々がいるというのに、とても静かだ。


 とても静かな月の晩。


 ゲオルグ・グリューフィウスは、娘に一巻きの書簡を手渡した。

 受け取る娘の頭を、一つ、ぽんと叩く。

 気安い仕草は、まるで、いつもそうしていたような感じだ。

 彼は唇を歪めて笑い、夜を見回した。

 何か滑稽な事でもあったのか、肩をすくめると、死者の群へと戻っていった。


「お父さん!」


 リアンの声は届いたのだろうか。

 魔物に近しい存在になったのか、男は片手をあげて確かに言った。


(またな)


 双子の月が満ちる夜は、そうして静かに過ぎ去った。

 それは本当に静かであったが、それだからこそ人々を不安に落とした。

 崩壊や破滅は、静かに始まるものだからだ。


 だが、リアンが得たのは不安ではない。


 家族の風景の中に、この人がいてくれたなら、どんなにか幸せだったろうか。

 この人がいて、家族がどんなに華やぎ活気に満ち、そして、笑顔が増えたことだろうか。


 悲しい。


 とても、悲しいと初めて思ったのだ。

 失っていた。

 知らずに失い、そして、今、取り戻したのだ。

 だから、失っても絶望という苦しみだけは無い。

 天啓とは違うが、悟った。

 誰を疑う必要もなく、父母を恐れる必要も無い。

 子供の時は過ぎ去ってしまったが、新たな力を得たのだ。

 それは、神が与えたものではない。

 折り合いをつけるべきは、己自身の内側にあるのだ。


 そして、閉じた目蓋に光りを感じる。

 リアンは明日を手に入れた。生きる力を得たのだ。

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