ACT241 白き陽射しに闇を見る 下④
ACT241
幻の雪は、闇に薄く光りを放つ。
深々と降る様は、北国の景色なのかもしれない。
娘は北からやってきた。
降る雪は、娘の記憶の中で慰めだったのだろうか?
降る雪を見ながら、一人、何を思っていたのだろうか?
オロフは周りの人間が考えるよりも、傭兵家業をわかっている。
面倒だと逃げている訳でも、無理だと思っている訳でもない。
その態度から何も伺う事はできないが、オロフは傭兵としては使える男だ。
ただし仕事は嫌い。
甘ちゃんな戯言をと思われるだろうが。
好きで選んだ仕事ではない。
そう言い訳ぐらいはしたいのだ。
何故なら、オロフは傭兵としては使えるのだ。
傭兵としては。
オロフは、感情を捨てられる。
仕事であれば、簡単にできてしまう。
何でもだ。
何でも壊せる。
人も物も、感情や関係性さえもだ。
護衛に回る前は、改装屋と呼ばれていた。
掃討や粛正をするのではない。
改装屋の仕事は害虫を駆除し、建物を建て直し、まったく別の物に作り替える事。
つまり邪魔な人間を殺し、もとよりあった建造物は破壊し、依頼主の注文に応える。
あった事を無かった事にする。
殺して見せしめにするのではない。
無かったことにするのだ。
消去するとは存外、死をもたらすよりも酷い事なのだ。
粛正との違いは僅か。
表立って権力者から差し向けられる彼らは恐怖され、傭兵は嫌われる。
だが人々が知るよりも、改装屋の仕事は、彼らとは比べられないほど醜い。
大義名分さえ無い。
義は無いのだ。
派手に動き回らずに、いつの間にか人や物を消し去る。
そして、新たに別の何かを用意する。
断末魔も破壊の音も、隠蔽されて表には出さない。
そんな仕事を請け負う人間が望む、普通。
とうぜん何が普通かわからない。
普通の暮らし?
普通の暮らしなぞ、薄紙の上に置かれた硝子の文鎮だ。
いつ落ちて砕けるか、わからない。
普通?
人間としての最低限の情など考える事無く手早い仕事で好評だった。
最低だが、平気だった。
そんな男の普通。
せめて死後の安らぎだけは、欲しいと思う。
心底、思うのだ。
華やかな都の地下には、人体実験の部屋があった。
だから?
オロフは別段、それで涙を流し憐れむ気にはならない。
無惨で醜悪な物を見せられて、不愉快なだけだ。
たとえば首だけの娘。胴体だけの妊婦、何かの動物と癒着した人体を見ても、悲しみも怒りもわかず、ただただ不愉快で情けない気分になる。
己の冷血な部分と人間というものの本質に、うんざりする。
己が実は薄情で嫌な奴だという自覚を持っているから、嫌なのだ。
嫌だ嫌だ。
オロフは胸の内で繰り返すと、水槽を一つ一つ確かめていく。
奥に行けば行くほど、水槽の中身は大きくなる。
片手だけだった物が、上半身、上半身に左側の足。と、いった具合に完成品に近づくようだ。
何の完成品かは、考えたくもない。
胎児の研究というか、くだらない遊びもしていたようだ。
人間なんざ所詮、下劣だ。
だから、それを無惨と思っても悲しみはわかない。
それこそ挽き潰された人間や、砲弾を喰らって爆散する体、半分だけ潰された顔面など、珍しくもない。
珍しくもないと思える自分が、嫌いだ。
そう、こんな気分にさせる奴らは、ハーディンの言う通り拷問するのがいい。
自分も同じゲスな輩だ。
神様も、きっとゲスはゲス同士、殺し合うのを見たいだろう。
と、ここまで考えて苦笑する。
つまりハーディン達、信徒が至る心情は、これに近いのだろう。
汚れた自分は、汚れを消し去る事で浄財とする。
汚い物を焼き尽くし道連れにして死のう。
「でもねぇ~俺、そこまでぇ悟っちゃうのも嫌なんだよねぇ」
壊れやすい物も大切にすれば、いつかは、しっかりとした根をはれるかもしれない。
普通も優しさも、よくわからなくても、毎日毎日、笑顔で過ごせば理解できるかもしれない。
良い人になれないかもしれないが、真似はできるはずだ。
「だからねぇ、こういうのはぁ、俺、許さないようにしないとぉ。
悪い奴の仲間?になっちゃうって事でぇ。
ハーディンの旦那、まぁ、落ち着きましょう。
手に持ってる火種は一応消してください。さぁさぁ。
何にも聞かないで終わりにしちゃぁ駄目ですよぅ。」
完成品は無かった。
ただし、鎖に繋がれた少女達が数名檻に入れられていた。
何れも飢餓状態と見られる上に虐待を受けていた形跡がある。
今は何れも伏して意識は無いようだ。
完成品を入れる容器が中央にある。
空っぽの中身には、何かの残骸が泥状になり沈殿している。
それを見るに、完成品になるべく何かが入れられていたが、最後に天罰が下ったか腐り落ちたようだ。
そしてハーディンが油薬をぶちまけようとしたモノは、その容器の側にいた。
「さてとアンタ、言葉はわかるかい?
この旦那がお慈悲で焼く前に、ちょっとばかり、お話をしたいんだけどね。
まぁ喋れないんだったら、頭の中身をホジレる人がいるから、呼ぶだけだけどぉ。
まぁ、死んでも直後なら脳味噌みれるぅ~とか、楽しそうに言ってたから大丈夫だし。
あぁ、別に殺して見てた訳じゃないっすよぅ。罪人の首チョンの時に実験したみたいっす。ゲテモノ好きっすよねぇ~」
ソレは下半身は泥になっていたが、上半身は人型を保っていた。
金髪に青の瞳、蝋のように白い肌をした男だ。
長命種の特徴を備えた男。
ソレは肩で息をつきながら、濁った眼をオロフに向けた。
「なぁ、死ぬ前に懺悔していけよ。こんな最後はアンタも悔しいだろ?最後に何か言ってから死ねよ」
目の前にしゃがむとオロフは笑った。
「名前、言いなよ。アンタ、ただのクソでゴミのまんま死にたいの?まぁ俺はどうでもいいんだけどね」
まるで世間話をしているかのようなオロフの態度に、ソレは微かに笑った。
「我が名は、フォルケン..フォルケン・メロゥ・シェルバン」
嗄れた声は、震えていた。
苦しさからよりも笑いが抑えられないようだった。
濁り光りを失いつつある瞳が、不思議そうに辺りを見回す。
「たぶん保たないだろうから、要点だけ聞くけど。
アンタ、ワルモン?」
オロフの問いに、ソレは笑顔らしきものを浮かべ頷いた。
「だって、ハーディンの旦那。コンスタンツェ様を呼んできてください。脳味噌見てもらいますから」
ハーディンの瞳はじっとソレを見つめて動かない。
「旦那、焼いて終わりなら、コレを神様は残したりしませんよ。残された意味はあるはずです。ねっ?」
ハーディンが踵を返し離れるのを確認してから、オロフは言った。
「で、どんな感じ?」
問いにソレは顔を向ける。
「悪人になって最後に地獄に行く時の気持ち」
ソレは、フォルケンは荒い息をつきながら語り出した。
シェルバンが狂いだしたのは、宗主であるミダキの老いが原因だった。
如何な長命種であろうとも、老いは訪れる。
自然の摂理だ。
しかし、ミダキはそれを恐れた。
そこにつけ込んだのが、一番新しい妻のトスラトである。
彼女は元々邪教と呼ばれる黄昏の者だった。
黄昏の者が教えには、若さを長らえる秘術がある。
現にトスラトは、若く美しい容姿を長く保っている。
長命種でも無い亜人の特徴を持っているのにだ。
だから、その秘術、神の教えと称して、ミダキに様々な事を吹き込んだ。
まず最初にトスラトは、パロミナを一族から外した。
元々パロミナは、次の宗主候補であった。
シェルバンでは珍しく外交を担い外の世界に明るい男であった。
だが、不正ありとして彼を宗主候補からはずし鉱山へと送った。
鉱山から戻ったパロミナは、もはや人間の片鱗を残す何かに変化していた。
喜んだのはミダキだ。
パロミナが変化すると、ミダキの肉体に活力が戻ったからだ。
微々たる変化であったが、これでミダキは益々トスラトを信じた。
次に、ミダキの娘のうち一番美しい者を選び出すと、コルテスへと送り込んだ。
美しい娘アーシュラは、コルテスの宗主とつがわせて、シェルバンの子をコルテスの跡継ぎにすべしとした。
実際は違った。
アーシュラはシェルバンの中でも正当な血筋を持っていた。
彼女の母親は、古い家柄の長命種であった。
政務を担当する者の家系であり、長子よりも母親の血筋はよかったのだ。
故に次の宗主を生む可能性が彼女にはあった。
トスラトは、アーシュラの腹に子がいる事を知っていた。
腹の子供を殺されたくなければ、コルテス公を籠絡し、嫡子として生めと。
領内に残れば、先のパロミナのような最後か、子供が殺される。
だから、アーシュラは足掻いた。
彼女は、美しい娘だった。
美しい心の。
最後の無惨な死に様の、本当の意味を周りはわからなかっただろう。
彼女は足掻いたのだ。
たぶん、パロミナと同じく変化する事を恐れ、胸を裂き自死したのだ。
そして次にミダキが嫌う長子のハルクス・マートス。
この頃になるとミダキの、元よりちっぽけな分別は無くなっていた。
だから何の躊躇いもなく、自分の長子を黄昏の者に引き渡し、改宗させた。
元々、ハルクスは黄昏の者は害にしかならず、シェルバンでその教えを広めてはならないと言う考えだった。
トスラトと父親への態度は、常に道理を説くというものであった。
だが、そんな説得も虚しく、ハルクスも解体された。
戻った者はハルクスを名乗る何かだった。
獣皮を纏い蛮族の神官のような姿。
ハルクスという穏やかな男は、どこにもいなかった。
そして次にマーセス・ベイラムは、自らトスラトの僕となった。
一族郎党を引き入れ、いつの間にか忘れ去られようとしていた邪教を戻したのだ。
愚かな次男は、自分こそ宗主にと願った。
だが、一族の粗方がマーセスにより改宗し、トスラトの手に渡されると姿を消した。
たぶん、生きてはいまい。
生きていたとしても、以前のマーセスでは無いのだ。
ミダキだけは幸せそうだった。
息子や娘が、化け物になる度に、彼の体は若返るように見えた。
だから、自分の血をひく者を血眼になって探し続けた。
一族は強権のミダキを頭に、全てが動いていた。
だから、ミダキが狂えば、全てが狂う。
(父の最後?)
奇妙な化け物が、父を喰らった。
子供のような声と顔をした何かが城に入り込むと、ミダキの血肉を喰らった。
最後は干からびた骨と皮で玉座にしがみついていた。
死ぬまで時間がかかったが、最後は干物よ。
(女の狙い?)
言うまでも無い。
トスラトは、シェルバンの一族の血を欲した。
血を持つ者を殺し滅ぼす。
つまり、そういう事だ。
トスラトの目的は、黄昏の者を自由にすること。
如何な魔女とて、シェルバンの血による呪縛は解けない。
古よりの強い約束だったのだ。
だから、彼女は自由になる為に、我らを滅ぼそうとした。
邪魔なシェルバンとマレイラの頸木を断つ事、序でに忌々しい我らを苦しめる事だろうか。
トスラトは、自由になった。
そしてここにいた。
頭のオカシイ男と一緒に、娘を浚っては恐ろしい所業を繰り返していた。
「アンタの役割って何?」
オロフの問いに、フォルケンは荒い息をしながらも答えた。
「三男の私は、何もしなかった。
逃げることも死ぬことも。
トスラトは、私を最後に残した。
正気の私に、一族の滅亡を見せたかったのだ。
そして自らひれ伏すのを待っていたのだ。
もちろん、この浅ましい有様を見れば、私がどうなったのかもわかるだろう。
狂いだした父や一族の事を、コルテスに、他の盟約の者達に伝えるのが本来のつとめ。
正気の私が、逃げて働きかければよかったのだ。
父とトスラトは、盟約を違えた。
アレに生きた人を喰わせたと知った時、私は知らせに走らねばならなかった。
だが、できなかった..私は、沈黙を守った。
どうしても、正直に、なれなかった。
アーシュラの運命も、私が狂わせた。
嘘つきの卑怯者の、私の所為だ..」
「アレってのは?」
「我らは同じ祖を持つ者だが、滅ぶべき者を庇護し、新たな土地を与えられた。
だから、その庇護した者を守る事と同じく、この世に害をもたらさないよう誓った。
故に、間違いは己で始末をつけねばならない。
庇護する者が間違い、正す事ができねば、己で始末する。
これはマレイラの地に毒が広がった時も、己で始末すると決めた理由だ。
だが、罰する事ができず、与えられた場所を守ることができず、過去の罪を忘れたならば、我らは、滅びねばならない。」
「なぁ、アレってのは?」
徐々にフォルケンから力が抜けていくのがわかる。
オロフの問いも徐々に聞こえなくなっているようだ。
だが、それでも息をつぎ、フォルケンは言葉を繋げた。
「新たな土地と言ったが、マレイラには元より暮らす者がいた。
アレは、その争いの末に生まれたモノだ。
偉大なるモーデンの知恵と犠牲により、全てが眠りについていたというのに。
我々は、モーデンの望む事を叶えられなかった。
我々は侵略者だ。
勝ち得た場所を汚濁させ、同じ祖を持つ者どうしで殺し合う。
なんと愚かしい事だ。
追い出された者達の恨み辛みも大きかろう。
本来ならば、我らは手を取り合い、先祖の罪を背負い、正しく生きねばならなかった。
だが、どうだ。
私もトスラトに誑かされた。
もちろん、悪は我が身にある。
私こそ、悪だ。」
オロフは、じっと青い瞳をのぞき込んだ。
そして、表情をいつものように、へらりと崩した。
「言い訳してもいいんじゃぁないっすか?
人間なんざ、皆、屑だ。
間違いだらけなのが人間ってもんでしょ。
俺はぁ、正しいばっかりのお人は、嫌いっすよぅ。」
その言葉にゆっくりと瞬きをすると、フォルケンは続けた。
「私はアーシュラの子の父親だ。
愚かな、私は願った。
トスラトに、どうか、キリアンだけには、お慈悲をと。
アーシュラの時は、祈らなかった。
我ら兄弟は、もう、終わりだと何処かでわかっていた。
だがキリアンには、罪は無い。
だから止めてくれと願った。
もし、あの子も殺すのならば、死んだ後にシェルバンの者として呪うのを止めてくれと。
愚かな事に、殺さないでくれとは願わなかった。
自分の子だけは助けてくれと願えなかった。
弱い私は、魔女にひれ伏し願った。
陽射しの元で生きる事までは望まない。
闇の中でも良い、魔女の仲間となろうとも。
生きて、たどり着いて欲しい。
どのような結末であろうと、人生の終わりを受け入れられる時間を与えて欲しいと。
そう、願った。
アーシュラと私は、間違った。
父も私達も、間違っていた。
だが、だ、から、キリアンだけは、支配を、受けていない。
例え人から変わり果てようと、あの子だけは、自由だ。
土地にも、人にも、縛られない、くだらない人間よりも、自由..
代わりに私は、コルテスで、狩りを..した」
ゆっくりとフォルケンは崩れていく。
「奥の娘は、コルテス..の..者。
何とか、残せた..。
トスラトは恐ろしい、アレは、人..あぁアーシュラ...すまな..、すまなかった、ホントウニ...」
「おっと、最後に、トスラトって女は、どんな女だ?」
「..体、入れ墨、髪の」
「入れ墨ってのは、どんなのだ?」
「背中、腹、アレ、元は、別..だ。
白い陽射しの中で、あの女は闇にいた..ぞっとする眼差しを...父は..ほん..寂しい」
グシャリ、と足下に崩れる。
と、それは泥になった。
「脳味噌は、溶けてますよねぇ~」
振り返るオロフにコンスタンツェは肩を竦めた。
「後で書類にしておけ、では、姫の御加護を解くぞ」
「えっ、はやっ!」
「破片と化した者は助けようがない。生き残りの娘を確認次第、姫のお力を解く。
そこな娘達は意識も無かろうから、このまま我々は戻り、後から助けを呼ぶ。」
「この部屋、崩れませんかね?」
「では、お前達、生き残りを部屋から外の通路まで運び出せ。
私は癒着部分をハーディンと共に解く」
「容赦ないっすね」
「下手な情けは、この部屋の者には苦痛以外の何物でもなかろう。勝手と謗られようと、この場を残す意義は少ない。
技術面では命の館の方が高度だ。残虐性も、治療と称して施される行いの方が無惨だぞ。ただ、このように無辜の民を使わぬだけだ。
生き証人となりそうなのは、そこの娘達だけであろう。他の檻も人らしき物は無い。それにな」
コンスタンツェは水槽に浮かぶ者を見やると頭を振った。
「娘達の残った頭部を覗く意義は、本当に無いのだ。
肉体は生かされているが、苦痛を与えられた魂は、旅立っている。
慈悲を与えられた後なのだ。
ハーディンよ、安堵するが良い。
ここに囚われているのは、肉、のみだ。
娘等の、女子供の魂は、全て、安らかな場所へと旅立っている。
姫の慈悲は、生き残った娘達に降り注いでいるのだ。」
「ハーディンの旦那、コンスタンツェ様の側に居てください。俺達三人でそこの子等を通路まで運び出しますんで。まぁ、骨と皮のようだから、最悪俺達だけで外まで運べるかもですし。
一人三人は余裕でしょう。運ばれる子等が苦しいといけないんで、雑には運べないでしょうがね。旦那?」
ハーディンはようやく頷いた。
「それとも運ぶ方にします?」
「否、殿下のお側で、加護というものを見ていたい。」
「その方がお前にはいいだろう。
近くお力に触れるのだ。
そうすれば、何を目指し何を行えばよいのか、理解できるだろう。
お前は、本当に幸運だ。グフフフ、グフッ」
コンスタンツェの不気味な笑いに、ハーディンは真面目に頷いた。
「..悩むのが馬鹿らしくなるっすねぇ」
ため息をつくオロフに斑猫が髭を動かした。
完全に馬鹿にした表情を猫がする。
「ミィーチャンや、そんなに馬鹿にするんなら教えて欲しいっすよ。
信徒が僕になったら、何になるんすか?
生き神様を仰ぐ超過激派集団っすか?
分派も過激派って言われてるんすが、それよりも更に等級上昇っすか?
そういやぁ、分派長の禿たオッサン、もしかして生き神様降臨とか超感激?
怖い想像しかできない..更に新しい何かを爆誕させちゃうんじゃぁねぇ?」
オロフのぼやきに、斑の猫は答えた。
にゃぁにゃぁと鳴くと、それまで散らばっていた猫達が集まってくる。
「時間を無駄にしてはなるまい。では、ハーディンこちらだ。」
オロフと二人の護衛は、その奇妙な光景に暫し見送るだけになる。
猫を抱えたコンスタンツェ、鬼気迫るハーディン、それに続く猫の集団。
醜い景色に雪のように降る光りが射す。
濁った黄緑色の水槽の水、黒々とした金属の壁、そして赤黒い肉、そんな醜い景色に、青白い雪の羽が降る。
「..さて、檻を壊しますよぅ、兄さん」
「おう」
「何人いる?」
「十三人、十四人だったんすが、衰弱が激しくて保たなかったようで一人隅で死んでますね」
「かわいそうに、どれ、鍵は..」
「ちぎれるっすよ、ヤワいヤワい」
「子供、否、栄養失調で見分けがつかんが、娘ぐらいか?」
「お前のところの娘ぐらいだろう。長命種ばかりだから、まぁ、だいたいだが」
「兄さん、涙ぐんでる場合じゃないっすよ。意識の無い内に運んじまいましょう。
俺らをいきなり見たら驚くでしょうし」
「まぁ、そうだな。こんな場所に居たんだ。次はどうなるかと毎日怯えていたはずだ。目覚めに髭面のオッサンじゃぁ、不憫すぎる」
「俺は髭面じゃねぇけど、オロフは駄目だな」
「なんすかそれっ!俺はイケてるっすよっ!」
「否、その鼻の輪っかは駄目だろ、牛かよ」
「牛の鼻輪じゃねぇっす!それに輪っかじゃなくて、これ鼻翼の飾りっす。牛のは鼻の中に通す奴で、それ、全然違うから!」
「俺には違いがわからん」
「俺も」
「もう、嫌だ。俺のお洒落の話題は、兄さん達とは無理っす」
首輪と鎖を引きちぎると、一人二人と担ぎ上げる。ひょいひょいと彼らが抱えられるほど、娘達は弱りやせ細っていた。
「軽いっすね」
オロフは、命がすり減ると、こんなに軽くなるのかと珍しく驚いた。
子猫を抱き上げるより、軽く感じた。
カサカサの皮膚に、飢餓が長引いていた為か腹部だけが膨れている。
髪も汚れて途中で千切れていた。
簡単に三人ほど抱えると、通路へと運び出す。
微かな息づかいだけで、娘達は何の反応も示さない。
ふと気がついて足を止めた。
雪が彼女たちに向かい落ちてくる。
雪はオロフ達には何の反応も示さないのに、彼女たちに触れるとぼんやりと光り吸い込まれていく。
雪は、娘達の体に集まるように吸い込まれていく。
「早く運び出せ、姫はお命を分けているのだ。長引けば姫のお体も弱る」
姫の事となると目敏い。
通路を少し戻り機械室らしき場所よりも少し先の水路沿いに、娘達を横たえる。
相変わらず何の反応もない。
「体を治すように、心も縫い合わせできたらいいっすよね」
呼吸が楽なように一人一人横たえる。
「どうせ消せるんなら、恐ろしい事を消せたらいいんだけどねぇ。記憶は消せない事もないんだけど。恐怖感とか、感覚や本能の部分の反応は元に戻せないんだよね。ほんと役立たずで、ごめんよ。」
コンスタンツェについて行かなかった猫がウロチョロしていたので、その内の小さい茶色の猫を娘達の側に置く。
「ミィーチャンや、まぁ、その辺の猫全部ミィチャンだけど、ちょっと見張り番よろしくっす。女の子を守るのは、君の任務だっ!」
ふざけで指をさすと、何故か猫がニャァと答えた。
「..何か、猫の認識が変わりそうで嫌..つーか、何やってんの俺」
呟きながら部屋へとオロフが戻り暫くすると、猫がチョロチョロと闇の中から集まってくる。
猫に集られて目覚める方が、獣人の男を見るよりは良いはずだ。
と、茶色の小さな猫は思ったのかもしれない。




