ACT239 白き陽射しに闇を見る 下②
ACT239
永遠の都ミリュウ。
美しく巨大、大陸一発展した都市。
三重の巨大な外郭防壁に守られた最大の軍事拠点。
諸侯が集まる貴族街、多くの人種が集う商業の街。
学問を究める学問特別区がある学都。
一方で芸術と最新の流行を発信する歓楽街である白夜街。
中央軍の幕僚本部があり、神聖教の総本殿がある神殿地区。
と、様々な顔を持つ、この国の心臓部。
万を数える民を抱えるこの街は、公王と二つの大公家、そして貴族が支配している。
そして、この都市を支配する者こそが、オルタスを支配する。
故に王と貴族が支配する君主制のように見える。
だが、完全な君主制ではない。
元老院、軍部、神殿が共同和合して王国を動かしている。
階級社会であるが、貴族という地位が絶対ではない。
軍国であり、宗教国であり、そして、多民族国家という混沌とした国故、完全な専制を布くことも階級を無くす事も出来ない。
そんな矛盾と絶対とはいえない身分社会において、唯一、高貴で貴重と誰もが考える存在が、人獣混合体である。
では尊ばれる理由は何か?
直臣として名を連ねる貴族が頭を垂れる理由は?
多分、民草はそういうものだと理由を考えもしないだろう。
だが本来、肉体は脆弱、欠損を抱える者も多く混血。
弱者に置かれがちな存在である。
しかしながら、国の祖であるモーデンが望み、理想とする姿を体現するのが彼らだ。
彼らこそがモーデンの子、なのだ。
と、混合体が尊ばれる理由をそれとするには、現世ではまったく説得力は無い。
モーデンが神格化すればするほど、現実味を失い威光は消えるものだ。
「平凡とか普通って、考えてみるとぉ、とっても難しぃっすよねん」
「...」
「いやぁ、なんつーんでしょうねぇ。俺的には、平凡な獣人の人生っていうのが難しいんすよね。
真面目で普通で、平凡な暮らし?
子供の頃にぃ、幼年学級のセンセーに聞かれたんすよぉ。
将来はぁ、オロフ君は何になりたいですかぁ?って。」
「..なるほど」
「んで、まわりの子供は、こう言うんですよぉ~強い男になりたい!とか、父ちゃんみたいに兵隊になりたいっ!とか」
「ふむ」
「ハーディンの旦那は?」
「..自分は、まぁ、父親と同じ鍛冶になりたいと言っていたかな..」
「おっ、何となく似合いそうっすねぇ。旦那ぐらい厳ついと、カッコいいっすよね。どでかい金槌で火花散らして鉄を打つって感じ。
はぁ、子供の頃の将来の夢って、やっぱり、こう、ねぇ」
「..」
「んで、俺の場合、何て言ったと思います?」
「親父殿と同じ職業ですか?」
「んにゃ、俺、お嫁さんになりたい~きゃるん!とかホザいたらしいです。
ちょうど母ちゃんが迎えに来た時に、センセーに言ってたらしくて。
その前後の記憶がねぇ、抜けてるんですよぉ。
力一杯、幼児を殴る母親..虐待っすよね~。
なのに、誰も微笑ましいとか言って助けてくれなかったんすよ。
今も思うんすが、男の幼年学級のセンセー必要っすよ。
女のセンセーっても、何故かオバハンばっかりだし。
幼年から激辛教育なんてありえないっすよぅ。
後で、親父が泣きながら教えてくれたんすよぉ。息子のタンコブに泣きながら湿布を貼る親父。そいで息子への教育が悪いって、トーチャンもタンコブ作ってたっけ」
「..すまん、自分には話の要点がわからないんだが」
「いやぁ、平凡で普通の獣人の男って、どんな暮らしが普通にあたるのかなぁ~とぉ」
「...」
「イヤ、旦那。ちょっとした世間話ですよぉ。緊張を解そうかなぁ~とか思って、ハハハハ」
破壊し尽くされた公園の池の一つ、水の干上がった底に大きなひび割れができていた。
本来なら様々な匂いを発する池の底は乾ききっている。
苔や水生植物や魚も乾燥して干からびていた。
匂いも無く、本来あるべき湿気の欠片もない。
半壊した池に置かれた魚の彫像も、白っぽく闇に浮く。
その彫像の足下に大きな黒い裂け目が広がっている。
黒々とした裂け目から、微かに空気が流れ音をたてていた。
そして、そこに猫は群がり、尊い血筋の男が入り込もうとして護衛に引き留められている。
先ずは、ハーディンとオロフが。
そして何かあれば、オロフの義兄弟二人がコンスタンツェを担いで逃げるという陣容だ。
確実に視えるのはコンスタンツェ。
次に怪異に感度の高いオロフ。
誰が先に行くかとなれば、結局病み上がりのオロフになる。
真っ暗な穴を見下ろしての軽口は、ちょっとした自分への慰めだ。
猫達はじっとオロフを見ている。
オロフはため息をつくと、裂け目へと発光筒を投げ込んだ。
カラカラと落下音と共に、うすい桃色の光りが広がる。
瓦礫が段になっていた。
降りられないことも無い。
「んじゃぁ、俺が先に降りますんで。
ハーディンの旦那が確認してから続いてください。
万が一、俺がモグモグされたりしたら、ハーディンの旦那の指示で。
ハーディンの旦那がモグモグされたら、兄さん二人の指示で。
そいで兄さん二人がモグモグされたら、とにかく逃げる。
よろしいですかねコンスタンツェ様?
ちゃんと聞いてますかコンスタンツェ様?..聞いてないですね」
「モグモグ?」
「いやぁ、最近、化け物に足を喰われまして」
「噛まれたのでは?」
「イイエ~モグモグ喰われたんすよぉ」
「...」
瓦礫を伝い降り、発光筒を拾い上げる。
掲げて辺りを見回せば、水路の一つのようである。
日頃は隙間無く水が満たされていたのか、天井部分まで苔がある。
それも干からびて、匂いも何も無い。
体感も湿気の欠片さえ感じられない事に、寒気だつ。
砂漠にいるようだとオロフは思う。
その砂漠にも生き物の気配はあるというのに、都の真ん中の地下道には、ただただ薄暗い空間が広がるばかりだ。
ハーディンに目配せをする。
彼は頷くと後ろに続くコンスタンツェ達を手招いた。
思うよりも身軽に降りてくる高貴な身分の者は、やはり猫を抱えたままだ。
ただし、子猫は外に置いてきたのか、頭部に居座っていた斑の猫が代わりに抱えられている。
不貞不貞しい面構えの雌猫だ。
猫との道行きに利点があるとすれば、異物や化け物がいれば猫が先に気がついて逃げるだけか。後は嘘か誠か、道案内?
もちろん、本気で猫に先導させるつもりはない。
通路は幾筋にも枝分かれしているのであるが、オロフの眼には見えていた。
しかと、確かであるとは言い難い。
だが、うっすらと闇に見えるのだ。
漆黒に、群青色が混じるような、微かな明るさである。
理屈よりも、それが道標だと確信して歩む。
猫よりも己の感覚が、こちらだと選ばせるのだ。
そして厭な事に、猫も同じ方向を歩いていく。
地下道というか、水路である。
それもいつもは満々と水を満たしていたようで、作業通路などは見あたらず、時々巨大な空間に行き当たるも、只の真っ暗な穴蔵があるだけだ。
ただ、空気の流れは感じられた。
最初の発光筒が消える。
新たに封を切って明かりを翳す。
味も素っ気もない水路が途切れていた。
取水穴らしき鉄格子のはまった真っ暗な穴と、頭上に向けて続く細い縦穴。
細い縦穴を見上げれば、金属の足場が見える。
たぶん、地上の何処かへと続いているのだろう。
そして本来なら、囂々と水が流れる場所。
鉄格子うんぬんよりも、取水穴は蜂の巣の断面のようになっており、片腕程度の水道管が寄り集まり一つの管になっている。
人間が入り込める余地がない。
進むとすれば上か...否。
右手は壁、そして左側に丸い蓋がある。
丸い大蓋は金属の盾のように厚みがあり、見たところ蓋を回す取っ手がついていた。
大きさは、オロフが両手を広げてギリギリぐらいだ。
表面には彫刻が施されている。
「こちら側が上水、多分、この蓋は浄水漕へと渡れるのだろう。保守点検用の扉のようだ。上水の水量を落としてから、人を入れるようだ」
彫刻で記されている事をコンスタンツェが指でなぞる。
ここまでついてきた猫は数匹に減っていた。
別に何かあったわけではない。
元々猫は気まぐれだ。
あちらこちらに散らばって勝手に楽しんでいるようだ。
どうせなら、不細工は斑猫もいなくなって欲しいが、コンスタンツェは大層気に入ったらしく抱えて離さない。
「浄水場だと、鍵がなければ入れないっすよね」
当然、飲料水へと濾過する部分へと、簡単に人が入り込める訳もない。
もちろん、普通はである。
「鍵は?」
「多分、ここは普通ですね。奥は別でしょうけど」
「うむ、不届き者が入り込めていたとすると、私でも十分だろう」
「了解っす。んじゃぁ、ここは俺の芸術的技前でぇ~」
「自分、一応解錠技術は持って..」
「うりゃっ!とぅ、..あれ?」
金属が引きちぎれる不快な音が辺りに響きわたる。
ハーディンの言葉が虚しくなるような強引な解錠、否、開錠方法であった。
「あっ、すんません。いつもの癖で、エヘッ」
吹き飛んだ丸蓋がカラカラと後方に落下して回転している。
いくら笑ってごまかそうと、普段の行いがよくわかると言うものだ。
「いえ、開くならば別に問題は..」
言葉を濁す兵士に、コンスタンツェの両隣で控える護衛達が小声でツッコんでいる。
「問題ありすぎだよな」
「つーか、いつもどんな護衛してんだアイツ」
「壊した分の請求は来るのか?」
「否、この場合先に進むことが優先されるだろう」
聞こえない振りをして、オロフは扉の先に発光筒を投げ込んだ。
大胆に扉を吹き飛ばしたのは、一応、何かがいた場合の牽制である。
どうせコソコソと扉を開けても、取っ手を回転させる形だ、無駄である。
十分に見定めるまで、オロフは動かない。
オロフの感じる範囲では、扉の先も乾き、何者の気配も無い。
そうして入り込んでみれば、そこは浄化水槽が並ぶ巨大な空間だった。
今まで通り過ぎてきた場所にも、大きな貯水用の部屋があったが、ここは四隅にあるだろう空間の終わりが見えない。
たくさんの仕切と四角い水槽。
水は無く、深い穴が規則正しく視界が届く範囲を埋めている。
「厭な感じの場所だな」
コンスタンツェの感想に、皆、無意識に頷いた。
安全を保つために、この場所は水と管理する者以外が入り込めないように作られている。
だからこそ、巨大でありながら閉塞しており、今は闇と意義をうしなった穴倉に過ぎない。
彼らが入り込んだ場所は、水槽の縁の通路だ。
足下をのぞき込めば、暗い穴蔵は落ちれば即死する深さだ。
「空気の流れはあるのだな」
「水路が潰れた訳では無いのでしょう」
ハーディンが石壁に取り付けられた配置図を読みながら答えた。
金属の板に記された浄化施設の図が、扉の横にあった。
「三番施設とあります。配水先は白夜街西側区画ですね」
それにコンスタンツェは頷いた。
「うむ、やはりな」
「どう言うことです?」
細い通路を辿りながら、一同は歩き出した。
微かな藍色の光りは、発光筒の赤みに消されることなく奥へと続いている。
「あの愚かな男は、何処で巣をくっていたのか?を考えればわかるだろう。
地下道や墓の下に相違あるまい。
ならば、白夜街に隣接する下水と神殿の下か墓所のある外郭の地下であろう。
巣が墓所から何処か地下へと穴を繋げ広げていたのかもしれぬ。
何れにせよ、今後は全域の地下を調べることになるだろう。
もちろん、我が君により今は清浄であろうと、直ぐに塵は出るからな。
巣という言い方を変えればわかりやすいか?
宗教、邪教と考えればいいのだ。
日夜、何処かで集い、生け贄を求めて都から女子供を浚っていた。
彼らは化け物のような姿ではない。
我らと変わらぬ人なのだ。
だからといって不要に人が集い目立たぬ場所など、都の囲 いの中にどれほどあろうか?
加えて死に損ないの住処である墓とも行き来が楽な場所。
当然、進入経路は白夜街となろう。
白夜街の建物は、城以外では一番古い方だ。
古い建物は下水と行き来がしやすい作りになっている。
昔は、上下水に分かれていなかったので単純に地下水路として行き来が出来る作りになっていたのだ。
覚えているか?
近年、浮浪者や逃亡難民が潜り込んで、一斉摘発があったであろう。
風体の妖しい輩が、下水へと入り込んでも珍しくもない。
そして、下水からさらに下の遺跡への入り口は探せばあるだろう。
まぁ、普通なら迷路のような遺跡へと入り込む者はいない。野垂れ死ぬのがおちだからだな。
そして遺跡の上にある上水は、何者も入り込めぬように普通はなっている。」
「一番下が遺跡、上に向かって上水、下水って構造ですか?」
「否、我が君が眼を通された基礎構造図によれば、表層の水路が都全体を複雑に巡り、後に、飲料用に濾過する地下の浄化水槽を経由、全体に行き渡るように流れる。
その流れより排水を含む流れは中水道と下水道へ流れ、それぞれの濾過施設へと向かう。
濾過施設を抜けると地下下水道より表層の水路から」
「あぁ、いいっす。ようするにグルグル上水下水が上になったり下になったり複雑なんすね」
「そうだ。だが、一番重要な人の口に入る水場には入り込めない構造になっている」
コンスタンツェの説明に、先頭を歩くオロフは笑った。
「建前は、っすね」
それにコンスタンツェは斑猫をゆっくりと撫でて頷いた。
やがて果てがないように見えた闇の先にうっすらと壁が浮かび上がる。入り口から西へと浄化槽の縁の通路を歩いてきたのだが、その間には何もなかった。
水も塵も、何者の気配も。
空虚な空間は、何も無く、酷く不気味だった。
化け物が闊歩する方が、この薄気味悪さを感じないだろう。
「この調子だと、消火用の溜め水も消えましたかねぇ」
オロフの呟きに、ハーディンが答えた。
「雨水を利用した消火用の溜め水は残ったそうですが、都全体を消火範囲とするには全く足りません。
火気取り扱いを暫く禁止にするしかないでしょう。」
「うわぁ、最悪っすね」
「生活用水が無いので、二三日、いえ、もう破綻していますね。戒厳令が発動可能ならば直ぐにでも布告する状況です」
「まぁ悪事に荷担した者どもは廃人に近い。
元老院で動けるのは、お前達獣人族と利益の少ない亜人族の長だけだろう。
多かれ少なかれ人族の長達は、己が魂を砕かれて今は動けまい。
好い様だ。
暫くは軍部主導の公王勅令で対処する事になろう。
元老院も神殿も、これからが見物だな。」
「見物っていいますけどぉ、軍の動力炉の水が無くなった場合、冷却できないはずですからぁ、停止中っすよねぇ~てことは、移送移動手段やら何やらも駄目って事で、まぁ人力?
都が大陸一便利だってのは、水を使った施設があるからで、動力船にしろ水晶通信にしても、水力が主で他が補助なわけで。
化石燃料を東から持ってくるにも、水が無いと火が使えないわけでぇ。
そうすっと水を都にもってくるまで、どのくらいかかるんすかねぇ~こんだけの人口分の水を賄う手段つーのはないっすよ。
おそらく病人やらなんやらが優先されるっしょ~食事だって水がなけりゃぁ大変だし。家畜の水だってどうするんです?
暢気に構えて高見の見物って訳にもいかないんじゃないっすかねぇ」
それにコンスタンツェは、少し考える様子を見せた。
「人間はまぁ、自業自得であるが。他の生き物には酷ではある。
家畜やこれらの水も都合をつけねばならぬな。
だが人間は、乾き死ぬなら、それも定めだ。」
斑猫に頬摺りする男に、オロフは呆れて返した。
「忘れてますけど、お嬢ちゃんが生きているんならぁ、まぁ身体が無事なら、水は必要ですよぉ~」
「私の直轄領から取り寄せる。
直轄領まで馬で半日。
水源は同じだが、雨水は残っておろう。
我が君に飲ませる分ならば、確保できよう。」
「うわぁ」
「何だ?」
「接収されますよ」
「我が君の分だけだ。公王勅令でも何でも出させればいい。逆らえば斬首だ。」
「うわぁ」
軽口を続けるうちに、一行は壁際へとたどり
着いていた。
それまでは装飾など一切無い石造りであったが、たどり着いた壁一面に巨大な彫刻が施されていた。
言葉もなく見上げていたが、我に返ったオロフが振り返った。
「これっていつものアレですか?」
抽象的な言葉で聞いてきた護衛に、コンスタンツェは鷹揚に頷いた。
「我々が通ってきた場所は、もちろん、重要な施設であることにかわりはない。
だが、ここから先は、整備する人間も簡単には入れないようにしてあるのだ。
多分、ここから先が上水の最後の濾過設備になる。
毒物や異物を排除する最終的な部分なのだろう。
この彫刻自体が、鍵になっている。
オロフは、私に付き従って様々な施設に出入りしてきた。
なので初めてではあるまいが、他の者は、こうした出入り口を眼にしたことはあるまい。」
ハーディンと二人の護衛は頷いた。
「このような扉は、公王法具と同じ絡繰りになる。
一定の資格を持つ者だけが所有する鍵が必要になるのだ。
公王法具は、所有者を限定し、利用方法も個体識別がなされている。故に、盗人が利用する事は難しい。
ただし、公王法具でもこうした錠前絡繰りである場合、一つ解錠方法が別に設けられている。
事故により法具所有者が鍵を手放す事もあるだろうから、安全をはかる為だ。」
そういいながらコンスタンツェは一面の彫刻の右下。
小さな窪みに身体を置いた。
「国の重要施設、大体は、こうした大がかりな浄水施設や生活に密接した基幹部分の鍵は同じ作りだ。
生活を下支えし尚且つ攻撃を受けた場合被害が大きな部分の鍵は、同じ技術が使われている。」
窪みは人の形になっていた。
背の高さはあっていないが、それでも左の手の部分の凹みには、ちょうど指が入る。
そこにコンスタンツェは指を入れた。
「公王法具の錠前の鍵は、通常の管理者へ与えられる法具と」
左手が置かれた場所から一筋血が滴る。
コンスタンツェの指の血だろうか、それが溝に流れて扉に消えた。
すると奇妙な音をたてて頭部に黒い金属の帯が回った。
「混合体の二種類だ。」
「コンスタンツェ様が審判官つーだけで、無敵っすよねぇ。国の重要施設が出入り自由ですもん。機密が機密じゃないんですよ~嫌われるはずっすよぅ」
「嫌われ..誰が言ったのだ?」
「えっ、今更マジ疑問系?」
コンスタンツェが審問施設へと入り込めたのも同じ理由である。
尊いと崇められる理由は、混合体という肉体が、古の技術の恩恵を受ける上で重要な存在であるからだ。
「もちろん、どこでも出入り自由じゃないっすよ。あくまで、勝手に入って勝手に鍵を開けちゃうのは犯罪ですから。
ちなみに、コンスタンツェ様のお体を誘拐したり、一部だけちょん斬ろうとしたら、斬首じゃなくて火炙りか昔ながらの引き裂いて処刑するアレです。おまけで一族郎党同じ刑罰になります。
そしてコンスタンツェ様ご自身が、この事を利用して悪事を働いたら、脳味噌に加工だそうです。」
コンスタンツェの周りにあった彫刻が少しずつ形を変えた。
彫刻は蔦のようにも、波のようにも見えたが、それが少しずつ動き変形し、やがて波紋のように壁全体に広がる。
すると鎖が巻き上がり歯車の軋む音が、壁の奥から聞こえた。
そうして暗い世界にゴンゴンと音が響きわたる。
と、次々と壁が反転し位置が変わる様は、蛇の鱗のように見えた。
「これがコンスタンツェ様を含む混合体の方々に、専属護衛か近衛が必ず張り付いてる理由って訳です。
別に奇行を制限したりする訳じゃぁないっすよぅ~。
なんで、今更ですけど。
兄さん達もわかってる通り、他言無用っす。
裏切ったらババァが殺しにくるだけじゃなく、家の一族郎党の首を全部差し出す事になるんで。
なんで、ハーディンの旦那も内緒ですよぅ~まぁ、内緒っつっても、軍の偉い人も大公家も、皆、知ってる話ですけど。
俺達下々のもんには、噂話をするだけでこうですからねぇ」
首を掻ききる仕草に、ハーディンは頷いた。
「まぁハーディンの旦那とは初対面ですけどぉ、ギルデンスターンの旦那の部下だったら、お作法は今更でしょうからねん」
それにハーディンは、少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「自分は、獣人王家の親衛隊です。」
「げげっ」
オロフと護衛二人は、驚きと言うより困惑を浮かべた。
「大公家じゃぁなく、王家親衛隊っすか」
「えぇ」
「因みに、何処の派閥か聞いちゃっても大丈夫っすか..」
「親衛隊所属ですが、今のところ統括長預かりの者です」
「ぐはっ!」
よろめくオロフに、錠前から離れたコンスタンツェが首を傾げた。
「何の話だ?」
「地元のネタっす。たいした事じゃナイデスヨ..」
オロフは彫刻の下から現れた扉に手を置いた。
ご大層な仕掛けの下から現れたのは、味も素っ気もない鉄扉だ。
ハーディンが控え、オロフが取っ手に手を置く。
コンスタンツェは入り口から死角へ護衛二人と下がった。
すっと音もなく開く。
どうやら扉はよく使われていたようだ。
同じく先は闇に沈み、ハーディンが見るも詳細はよく見えない。
そっと滑り込むと、何者も襲いかかってこない事を確認し、今度はオロフが発光筒を翳す。
「アタリ」
「そのようで」
二人は揃って見回す。
足下の猫も、物珍しげに髭を蠢かしていた。
「コンスタンツェ様、今暫く確認するまで、そこでお待ちください。いいですね、そこで待ってるんですよぅ」
「私は子供かっ!」
照らし出された水路には、一面に何かが描かれていた。
何か、としか言いようがない。
オロフにしろ、ハーディンにしろ、文字とも悪戯書きとも、何とも意味がわからない代物に見える。
ただ、石の水路に描かれている黒と赤の何かは、落書きにしても汚らしい。
浄水場にこんな絵を描く必要はないし、ましてや鍵の扉の先だ。
誰が入り込むというのだ?
「もちろん、化け物ぐらいっすよねん」
まじまじと、壁の汚れを見るが、オロフもハーディンもそれには触れなかった。
水路は二方向に曲がっている。
うっすらと光る方向は右手か。
左手に明かりを翳すと、何か黒い物が見えた。
通路の先の床に、何か黒い物が堆積しているように見える。
泥?と、二人の獣人の眼には見えた。
オロフの感覚からすると、生き物ではない。
塵、泥、そんな感じがした。
只、あまり良いものではないと直感が知らせる。
遠目に見ても、何の塵か残骸かわからない。
だが形からすると、以前何であったか、だけは予想がつく。
「こうなると水が枯れてよかったかも、ですかね?」
「贅沢は言えないでしょうが、アレは厭ですね。ともかく、水が戻る戻らないは別に、浄水場の掃除は急務ですね」
「やっぱり、そう思います?」
「たぶん、奥に行けば行くほど、山のようになっていそうですね」
「泥つーか、糞みたいっすよね」
わざと言わなかったハーディンの気遣いは、オロフには無駄である。
片手で鼻を摘むと、闇を透かし見た。
人型をした泥のような残骸が水路に転々と落ちている。
乾き干からびた堆肥のようであるが、臭いは酷いものだった。
「やっぱ、人間かな」
「確かめないといけませんかね」
真面目な男の、放置発言にオロフが眉を片方あげた。
「おっ、もしかして旦那。鼻が利く型っすか?」
「視力より嗅覚強化型です」
「そりゃ最悪だ。この距離で、俺、死にそうに臭いですもん。旦那、鼻が麻痺ってます?」
「麻痺する方がましです」
異臭と汚物、それに壁画があるだけで、他に驚異になるような存在は見受けられない。
そして藍色の光りは右手の奥に見えた。
「この国は、終わりって事ですかねぇ」
ふと漏れた言葉は、日頃、どこかで考えていた事だ。
それにハーディンは、少しだけ表情を崩すと息を吐いた。
「人族限定でしょう。自分は、かまわないと思います」
「おっ、さすが親衛隊選良っすねん」
オロフの茶化しに、男は肩をすくめた。
「人族は我々を卑しいと蔑みますが、我々も逆に偏狭で差別的な考えを持つ者もいるのです」
「旦那もですかい?」
「興味はありません。まぁ、直截に言えば、人族などどうでもいいのです。」
「おぅ、怖いくらいに正直っすね」
「人種云々よりも、我々に害になるか否かが問題ですから」
「つまり、害になってる今の状況は、腹立たしい?」
「いえ、汚物掃除の好い機会ではありますね」
ハーディンは油薬を持ち出した。
「多少、焼いても問題は無いでしょう」
「おぉぅ、何か、俺が知ってる危険人物に似てるような気がするっ。焼きに気合いがはいってますねぇ~なんちゃって!」
「..」
「マジでそうなんすかっ!(うわぁ厭なこと聞いちゃったしぃ)もしかしなくても派閥的に、ハーディンの旦那のところは皆..」
手際よく炎が上がる。
地下の空気の流れの悪い場所での焚き火だ。
一瞬で炎があがり、直ぐに鎮火したのは、多少火薬も加えて調整しているようだ。
「うわぁ..」
真面目そうな男は、やけにすっきりとした表情で頷いている。
「つまりぃ末の親衛隊は、爆殺..」
「臭いが減りましたね、そろそろ殿下をこちらに」
「了解っす!(..親衛隊は第三王子んところが一番怖いと思ってたけど、カーンの旦那んところは、焼き焼き大好き信徒(爆殺)集団じゃん)俺は見なかったっす、知らないっす、うん、見てない見てない見てないミテナイ..」
「どうしたんだ?」
何か呟いているオロフの様子に、コンスタンツェが問うた。
二人の護衛も不思議そうにオロフを見ている。
気がついたオロフは、ハーディンをちらりと見やると無駄なあがきを止めた。
「ナンデモナイデスヨ~」
高貴な男と護衛役四人の道行きは、まだ続く。
平凡と退屈には縁遠い立ち位置にオロフは天を仰ぐ。
確実に厄介事の中心に足を踏み入れている感じがする。
親衛隊がうろちょろし始めたという事は、獣人王家が動き出したのだ。
つまり、ウルリヒ・カーンは、戻るのだ。
中央軍のウルリヒ・カーンは、獣人王家へと戻る。
故郷の、南領の権力地図は変わるだろう。
もう、それこそ上昇志向の筋肉信奉な男共が大興奮だ。
ただし、オロフは違う。
それを好機と見る攻撃的な思考は無い。
自己顕示欲とは無縁である。
だがそれでも、保身優先のオロフの答えに変わりはない。
娘の味方をし、コンスタンツェを守り、獣人の利益を守り、自分が損をしないように立ち回るだけである。
目標、平凡で普通な人生...
「何ソレ、どんだけ難易度あがるんだよ、オィ」
気ままについてくる猫だけが暢気だった。




