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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
272/355

ACT238 白き陽射しに闇を見る 下①

 ACT238


 ハーディンの差し出した瓶は、麦酒の大瓶に見えた。

 のっぺりとした白磁の表面は、しっとりと汗をかいている。

 飲み屋で氷の盥に入れられている瓶を、そのまま持ってきた。そんな感じだ。

 ただし、厳つい男の差し出した瓶は、カタカタと勝手に身を震わせている。

 そして、受け取る男も、爆発物を受け取るかのように慎重だ。


「何だそれは?」


 コンスタンツェの問いに、ジェレマイアは肩を竦めた。


「水だよ。

 守護の水以外に残る水分は、地方から持ち込まれた酒樽か、この地以外で生産された加工食にしか残っていない。

 既に渇水の対処をする為に、軍を動かしている。

 病人や子供、年寄りに必要なだけではない。家畜や動力源に利用されていた飲料水以外の水さえ消えた。

 汚水や糞尿でさえ乾燥している。幸運な事に、人体の内部の水までは取り上げられなかったようだがな。」


「そいつは、マズイっすね」


「マズイどころじゃない。早晩、対処をあやまれば弱い者から乾き死にするだろう」


「当然ではないか?

 金銀では購えない命の代償だ。

 水は、その命と同じ価値として捧げられたのだ。

 価値のない物が代わりになるわけが無かろう。

 天罰と思い、耐えるがいい」


「..」


 それにジェレマイアは言葉を返そうとコンスタンツェを振り返り、黙った。そして深刻な表情を消すと、がっくりと肩を落として大きく息を吐いた。


「なんだ、言い返す事もできないのか!」


「違うっす..膝と肩から、猫のドヤ顔が見えるんですよ。

 ついでに、頭に上ろうとしてるデッカイ雌猫が俺を威嚇してるんで、自分でどうにかしてください。

 そんで骨壺の水っすか?

 そもそも骨壺になんで水?動いているしぃ」


 手に持ったギルデンスターンは表情を変えていないが、瓶は縦横に騒がしく揺れている。


「ん、まぁ、水は水でも、色々な人間の出し汁だ。

 異界の気にあてられて、少しばかり元気がでたんだろう。が、まぁ水は水だ。

 元々、都で火葬した骨は、油薬で焼き尽くした骨とは違って、水分を含みやすい。

 それが地下墓所に納められると、木炭のように水を吸うんだ。

 空気中の水分を吸って湿気る。

 雨水を探すのも時間がかかるし、雨水なら人間が飲めるだろう。だからまぁ、飲み水に回せない水っつたら、これしか浮かばなかったんだよ」


 説明をしながら、ジェレマイアは瓶に触れた。

 すると、ぴたりと瓶は動きを止めた。


「ハーディン、気味の悪い思いをさせて悪かったな」


 それに控えていた男は、頭を更に垂れて礼を返した。


「骨のある墓を片っ端等から暴いては、骨壺を開けて、溜まった水を集めるなんざ。こんな時以外認められないし、やりたくもない事だ。

 暴いた墓にしても、そのまんまだろうしな。

 見たところ、誰も怒っちゃいねぇよ。

 家族を心配してるようだし、こうして悪戯してんのも悪げはねぇようだ。じゃぁ、そろそろ始めっかな。

 それを持って、こっちに立ってくれ」


 大鎌と陶器の瓶を手に、ギルデンスターンはジェレマイアの指した場所へと歩み寄った。


「位置は、そこが丁度いいな。そこに立ってろよ。

 ハーディン、馬と一緒に下がってな。それから..」


 コンスタンツェとオロフ達を見て、ジェレマイアは面倒臭そうに言った。


「何だかんだと、お前達は、結局、肝心な所に居合わせるんだよなぁ。

 猫と一緒に少しだけ場所を空けてくれ。

 今から、ちょっとした術を執り行う。

 呪術でいう道を開く呪いだ。

 質問は受け付けないぜ。

 だが一応説明しておくが、俺はグリモアを手にしてないが、祭司として認められている。


 ここでいう認めるとは、摂理、としてだ。


 神というと胡散臭いが、つまり、奴らの法則の中での正しい役割を担っている。

 つまり、役目だ。

 役目を与えられると、その役目にそった力も使える。


 理という枠組みの中で、正しく認められた祭司としてだ。


 自分で言うのもなんだが、俺はこの世の歯車としては、正しい人間らしい。

 まぁ正しいのは歯車としてだけだがな。

 だから、俺が特別なんじゃない。


 これは普通の事だというふうに、考えてくれ。

 祭司という役目についた人間の力だ。

 信じられねぇだろうが、これは、大工が扉を取り付けるようなもんだ。おかげで、酒樽の麦酒や葡萄酒じゃぁ厭だなんぞと注文を付けやがる。

 仕方ねぇから、骨壺を開封する事になったって訳だ。

 うん、出来たな。

 ギルデン、水をそのまま垂らすんだ。

 悪いが、お前は浮子だ。

 別段、このくらいじゃぁビビンねぇだろ?」


 白墨でギルデンスターンの周りに円を描く。

 皆の見守る中で、ジェレマイアは複雑な紋様を容易に描き上げる。それは絵皿に描かれた複雑な飾り紋様のようにも見えた。


「御意の通りに」


 円の中心で男は瓶の栓を抜いた。


 トクトクトク、と瓶から水が落ちる。

 少し粘度をもった濁りのある水だ。

 何の混じり物かを考えると粘りけも意味ありげだ。

 片手で大瓶を傾ける男の足下に水が広がる。

 だが、白墨の中に留まり、無闇に広がる様子は無い。

 公園の石畳は、石の部分がひび割れて所々土がむき出しになっている。だが染み込まずに留まる他と同じく、土の部分にも水は薄い膜を張った。

 薄い膜は黒い鏡のようになり、中心に立つギルデンスターンの姿を映す。

 偉丈夫の猛々しい姿は、瓶が空になり表面が落ち着くと余計にはっきりと足下に見えた。

 現実の男と水面の男は、瓶に再び栓をした。

 それをハーディンに渡す。

 ジェレマイアはそれを見届けてから言った。


「約束は果たした。手を貸してくれ」


 暫く、何も起きなかった。

 ギルデンスターンは、傍らのハーディンに瓶を渡すと、その円の中で大鎌を両手に握りなおした。


「別に戦う必要はないぜ。お前は浮子なんだからな、武器は使うなよ」


 ジェレマイアの言葉に首を傾げると、手の中の得物を瓶と同じく傍らの男に渡す。

 巨大な得物を受け取っても揺らがないところを見ると、ハーディンも獣人としては剛力を持っているようだ。

 得物を手放した男が、鏡のような足下を見下ろす。と、変化があった。


 足下に映る姿が何処かおかしい。

 のぞき込む男の瞳を見返すのは、自分の顔。

 顔のはずだが、それはニヤリと勝手に笑い返した。

 そして男が目を見開いたとたん、己の下肢に何かが巻き付いた。

 粘ついた水音と下肢への圧迫。

 生温かい水が体中に吹きつけると、鎧に不愉快な音をたてて何かかが巻き付いてくる。

 視界は白い粘液にまみれて、自由になる方の手で目元を拭う。

 瓶から落とした水よりも、更に多くの塩水が顔に吹きかかる。

 塩辛く、何処か磯臭くもあった。

 ギルデンスターンの耳朶に、祭司長の声が届いた。


「掴み殺すなよ。浮子って言ったが間違った。釣り餌だった。わりぃわりぃ」


 少しも悪いと思ってないらしい声音に、絡みついてきたモノを引きちぎろうとするのを止める。


「おいアンタ、趣味が悪いぞ。そいつには可愛い盛りの娘もいるんだ。ベタベタ絡みつくんじゃねぇよ。エゲツねぇ」


 視界が戻り、自分がつかんでいるモノを見て、改めてギルデンスターンは厭そうに牙を剥いた。


「うわぁ、ある意味、俺的には羨ましいっすけど。ギルデンの旦那的には最悪っすね」


 茶々に恐ろしい視線を返してくるが、男は絡みつかれて動けない。


「何で最悪なんじゃ?」


 ソレの問いに、オロフは肩を竦めた。


「いや、姐さん。化けもんでも美人に抱きつかれたら、俺的には嬉しいですけど。

 ギルデンの旦那は嫁命です。そして、ギルデンの旦那の嫁は、超悋気持ちっす。

 他の女の匂いなんぞしたら、がっつり締め上げた後、娘と一緒に里に帰ります。

 そうすっと旦那は可愛いお嬢ちゃんと一生会えないどころか、お父さんなんかキライィ~とか、マジで言われちゃったりします。うわぁ、大変ですね旦那」


「..」


 ギルデンは喉輪攻めを外す事無く微動だにしない。

 かわりに締め上げられている当人が、余裕で返した。


「どこの嫁御も同じじゃのぅ。が、これくらい大目に見てもらうがよいぞ。転移には多大な力を使う。主ぐらいの精気の者でのうては、我を引き上げる事は適わぬ故なぁ」


 ギルデンスターンは無言のまま、ジェレマイアに目を合わせた。

 ただし目の前のやり取りに、何も思うことが無いわけではない。

 それをわかっているのか、ジェレマイアは肩を竦めた。


「暫く、そのままで待機だ。

 その女は、水の質だ。

 固定された水場なら、そうして何処にいたとしても具現化できる。

 お前は浮子で、女が存在を保てるようにする止まり木とでも言えばいいのか。 だから暫く、我慢しろ。

 それからアンタは、もう少し本性を隠せ。」


 ジェレマイアの言葉に、リラはニヤニヤと笑った。

 巨漢の兵士に抱きついている。否、絡みついているのは、海産の軟体動物の脚だ。

 粘液を滴らせた数本の脚が鎧に絡みついている。

 その根本は女の衣服の下に消えていた。

 上半身は女の形を保っているが、うねる下肢が本性なのだろう。


「ついのぅ、浮かれてしもうたわい。

 やっと腐れ外道がこの世から消え、我の夫の物が還ると思うと。

 どうもどうも、浮かれあがってしまう。

 ましてや、実に我らが過ごしやすい夜気じゃしなぁ。」


 愉快そうに笑うと、異形の女は下肢を戻した。

 ズルリ、と鎧に巻き付いていた物が消えると、衣服の裾からは人間の靴先が少し見えた。

 上品で少し古めかしい衣装に身を包んだ異形は、それでもしっかりとギルデンに手を巻き付けている。

 男の口から牙が少し見えているのは仕方がない。

 鎧には不快な粘液が滴っているのだ。


「それで、何をどうするのだ?

 我の夫が物は何処にある?」


「そこだ」


 異形の女は、ジェレマイアの示した先を見て、唇を歪めた。

 長い舌がチロリと出入りする。


「それで?」


 男達を見回すと、馬鹿にした表情を浮かべた。


「それで、何をしておるのだ?

 我を呼んで、何をさせる?

 神罰を今更恐れる事もなかろう?

 さっさと中に入るがいい。

 そして夫が物を引き渡せ」


「そう簡単な事ではない。

 中には逃げ遅れた者達がいる。

 必要な者だけを掴み出せる訳もない。」


「何故じゃ?」


「泡と同じだ。一瞬で弾ければ、中の人間は只ではすまない」


 それにリラは頭を振った。

 そしてジェレマイアの後ろにいるコンスタンツェに向けて、笑いかけた。


「かまわぬよのう?アンネリーゼの娘さえ無事ならば良いではないか?

 多くが罪深い者の子等だ。

 必要な、望まれた魂だけは残る。

 すでに篩いに掛けられているのだからのぅ。」


 それからジェレマイアへ再び目を向けるとニヤニヤと笑った。


「今更、綺麗事ばかり並べても空々しい限りじゃ。

 まして、本心は違うであろう?

 お主は、知ってしまった。

 お主がそうして、祭司として力を得たのは、思い上がった人族どものおかげではない。

 お主を生かした獣族どもの慈悲でもない。

 お主の母の一族が許したからだ。

 無惨に殺された者どもが、お主をそれでも許したからだ。

 憎かろう。

 さぞや憎かろう。

 一体一体、お主は、女達の骸を取り出した。

 彼女たちは、皆、恨み辛みを述べずに、お主の力になったのだろう?

 お主の呪いをつかみ取り、アンネリーゼの子を救おうとしたのだろう?

 許し、お前を祭司として迎え、娘を、お主の最後の家族を救うようにと力を与えた。

 皆、それで消滅したのだ。

 お主は、それをどう感じた?

 きっとこう思ったのであろう?

 人族など、皆、し」


 すべての言葉を吐き出す前に、ギルデンスターンは全力で首を締め上げた。

 しかし、それでもリラは口を閉じただけで、ニヤニヤと笑い続けている。


「よせ、ギルデン。

 それからアンタ、何か勘違いをしているようだ。」


 そういうとジェレマイアは、苦い表情を浮かべ少し笑った。


「俺は、最初から人族なんぞ、滅んじまえばいいと思っていた。

 俺は、最初から、曲がった根性をしていたんだ。

 誰も彼も救いたいとは思ったことは無い。

 俺が、救いたいと思った奴だけ生き残ればいいと思っていた。

 ただ、僻んで恨んで、俺を呪った奴らの考えるような人生や、ゲスな生き方はしたくなかった。

 俺は、負けたくなかった。

 だから、怒りや憎しみに目を向けず、嫌う者どもに意識を向ける事を避けた。

 つまり目を向けずとも、怒りや憎しみは最初から俺の中にあった。」


 ジェレマイアは頬を擦ると、首を片手で揉んだ。

 そうして薄ら笑いを浮かべて、コンスタンツェを振り返る。


「だが、彼女の存在が俺を変えるんだ。

 人を救うなんて思い上がりだ。

 誰かを憎むのも馬鹿らしい。疲れるばかりだ。

 ちょっと、考えるようになった。

 もし家族が居て、その家族が今の俺の事を見てどう思うだろうか?ってな。

 負けたくないと見えない誰かに虚勢を張るより、現実感がある。

 そうすると、その物差しで自分を見てみると恥入るばかりだ。

 狭量で愚か。

 もちろん、俺は人族が嫌いだ。

 認める。

 だが、そんな俺の考えや選択は、家族から見たらどうだろう?

 正当な理由といえる程の反論ができるだろうか?

 まぁ小難しい事を並べてもしょうがないが。

 単に自分の家族、それも女の家族に嫌われるのはツライ。

 だから彼女が戻ってきた時に、嫌われるような行いはしたくない。」


 そしてリラに向き直ると、ジェレマイアはため息と共に言った。


「あれは結界だ。たぶん、彼女が作り出した器だ。

 それを壊して必要な者だけ掴みだして終わりにしたら、目覚めた彼女はどう思う?

 出来ないのなら、納得もしよう。

 だが、アンタはグリモアの主の隷下だ。

 ああした結界にも詳しかろう。

 俺の与えられた権能は、結界への干渉はできるが、能力が足りない。

 だが、出来ないことはないだろう。

 アンタがアレを読み解き、俺にどうすればいいかを教えればな。」


「それに何故、我が答えねばならぬ?」


「一つ、アンタの腹から得物を抜いたのは俺だ。

 その時の借りは、馬鹿の敷いた呪陣の解読と人柱の探索への助力だ。

 それから次に一つ、アンタの旦那の臓物を引き渡したのも俺だ。

 これで、アンタは見つけた呪具の封印の解き方を教えた。

 そしてアンタを呼び出したのは、アンタの欲しい物をとりかえしたからだ。

 ここまではいいな?」


 リラはギルデンの締め上げる手を軽く叩いた。

 しかし、ギルデンの手は離れない。

 少しは緩んだようだが、憎々しげに顔を歪めた獣面が唸る。


「そして、今度は死者の教典が俺の手元にある」


 唸る男の大きな手を力付くで引き剥がすと、異形の女は叫んだ。


「誠か!」


「本当、本当。で、どうする?」


「任せておくのじゃ!」


「器を取り返す為に、アンタは武器を供与した。だが、今度は死者の教典だ。どこまで、助力をしてくれるんだ?」


 異形の女は目を細めると、暫し、考え込んだ。


「我も、儀式を執り行う準備をせねばならぬ。それ祭司の力が必要じゃ。

 我の儀式が成功するよう、お主が力添えをするなら、我とお主はこれより命の終わりまで、友誼を結ぶのは如何かのう?」


「そりゃぁ中々魅力のある申し出だ。だが、ちょっとばかり怖いな」


「友誼じゃ。これで商売とすると我の本性が黙っておらぬ。じゃが、友であれば多少自制もできよう。

 それに我の本性がお主を喰いたがろうとも、お主なら防げるじゃろうしな」


「まぁ、そこは要相談だな。で、手伝ってくれるか?」


「おぉ、そうじゃな。

 よく見えるように、体を回すのじゃ」


 ギルデンスターンは、小さく唸りながらリラを舞台の残骸に向けた。


「どうだ?」


 異形の女の眼が、ギョロリと動く。


「..祭司よ。これは面倒じゃ」


「壊れるか?」


「敷布のように広がり、本来ならば、解けば中身が転がりでる。

 じゃが、何かが地下で癒着しておる。

 それも娘とじゃ。

 地下に、何かあるぞえ。

 上を解す前に、地下の癒着を切り離せねば、中身は落ちて潰れよう。」


「地下だと?ギルデン、中央公園下は貯水用の穴蔵しかあるまい?」


 問われた男は暫し考え込んだ。


「命の館の基幹部は御座いません。水の貯蔵庫が幾槽かと水路のみで御座います。それも強度を増すために余計な空間はとられていません。」


「水な、今は枯れておるが、確かにそのような穴はある。じゃが、娘と癒着するモノは更に下にあるようじゃ。崩落しておるんは、その貯水庫から水が急激に引き抜かれたところに、上で阿呆が騒ぎおったからだろう。その大穴の更に下に、何かがあるのぅ」


「遺跡か?」


「多分」


 ジェレマイア達の会話の後ろで、コンスタンツェは小声で護衛に聞いた。


「面倒臭いから、私だけ中に入ってはダメか?」


「ダメっす。今までの話の流れとか聞いてないんすか!

 それと根本的な疑問を誰も聞かないんで、俺が言いますけど。

 あの女は、何です?

 ちょっとばかり、化け物混じってるよーに思えるんですけど?」


「見たままであろう。

 アレは、何れかのグリモアのしもべであろう。

 はやく己が主人を取り戻そうとしているに過ぎない。

 僕の本分をまっとうしているのだろう。素晴らしいことだ。」


「素晴らしいって、にぃにぃ言ってる子猫まで膝に乗せてる場合ですか..否、なんで猫が集まってるのかも疑問」


「何、聞こえないのか?」


「何がです?」


「優しく慈悲深い我が君のお側で、私と同じ僕が鳴いているのだ。」


「ないてる?」


「うむ、この小さき物どもと同じような鳴き声なのでな。近隣の親猫や雌猫が集まってくるのだ。」


「にぃにぃ鳴いてるんすか」


「そうだ」


「ナニその不思議現象..真面目に聞いてる俺がアホみたいです。じゃぁ何でコンスタンツェ様に集るんですか。頭に居座ってる斑猫が俺を威嚇するしぃ」


「一番の僕はもちろん、私だ。故に、私の方が偉いからなっ!」


「意味が分からないし、その笑顔がイヤっす。それに猫に乗られてるのに何処が偉いんですか」


「あぁ、皆、どうにかしてくれと私に言っているのだ。」


「猫と会話..ダイジョウブだよね、まだ、ダイジョウブだよね!

 うん、どうにかできるとしても、無理矢理は駄目ですよぅ。穏便に中身を取り出せるなら、その方向で考えてください。」


「穏便にか」


「穏便にです。ジェレマイア様も言ってたでしょう、お嬢ちゃんが起きてきた時に褒められた方が気分がいいでしょ?

 逆に、その程度もできない無能っていう評価はイヤでしょう?

 女って、一度、男の評価を下げたら最後っす。

 挽回するのは至難の業っすよ。

 優しい女の場合、駄目だコイツって思われたら最後ですね。

 優しい分だけ、見放されたら終わりですよぅ」


 それにコンスタンツェと猫達は、何故かオロフを凝視した。

 顔をひきつらせる護衛と暫し見つめ合っていると子猫の声だけがにぃにぃと辺りに響く。


「..うむ、僕として我が君の要望に答えるのは当然であるな」


「うわぁ、自爆装置をおしちゃったっぽいのか俺?」


「うむ、者共、聞くが良い!

 麗しく優しく慈悲深い我が君の為に、この第一の僕たる私が、骨を折ろうではないかっ!

 そこな御同輩の言葉が正しければ、地下に某かの我が君をとらえる物があるというなら、私が、じきじきに、わざわざ、出向いてやろう。

 御同輩は、現し身を留めるには水が必要なのだろう?

 水の消え失せたこの場所では自由に動けまい。

 ならばこの場で、しかと妖しい物が視えるのは私だけだろうからな!」


「ドヤ顔が眩しいっす!

 そして猫もドヤ顔だし、皆のイタイ人を見る視線がツライっすコンスタンツェ様」


「却下だ阿呆。お前の身体は、俺とおなじに依り代になりやすい。地下に影の残り滓が残っていたらどうする。お前の護衛だって本調子じゃねぇし」


「馬鹿馬鹿しい!

 我が君の犠牲により、下水を這い回る溝鼠共も塵となったわ!

 新たな魔物がわいていたとしても、いまだ、我が君の清浄なる気配に身を縮めている事であろう!

 姫様!このコンスタンツェ、期待に、ご期待に添うよう必ずや必ずやぁ!」


「あぁ、オロフ。俺が神の名において許すから、こいつ殴って屋敷にしまっとけ!つーか姫呼びすんな、阿呆が!」


「無茶ぶりぃキタコレ!」


 寄り道を始めた会話に、リラが口を挟んだ。


「それほど、悪い話ではないぞ祭司よ」


「アンタは黙っててくれ。俺が行けばすむ話だ。」


「否、そこな崇拝者が言うように、視える者が下に向かうのが良い。

 そして、我は癒着が解けたかを視る。

 お主は準備を整え、この守護結界を解くのだ。

 さすれば、ゲス共からの手出しを防ぐのも、早くに手だても講じられようぞ」


「やはりそのような者共が!」


 コンスタンツェの叫びに、リラは頷いた。


「如何に神が教え諭そうとも、業深く腐った者が学ぶ事はない。

 我の夫を愚弄し骸を奪ったの

 がよい例だ。

 ならば、奪われる事を前提に動けばよいのだ。

 隷下は、その為に狡猾なのだからのぅ」


「なるほど!」


「妙な事を教えないでくれ..だが、下水道よりも更に地下ともなると、おいそれと入れる物ではない。迷うぞ、もっと」


「時間をかけられぬ事は、お主もわかっておろうが」


 ジェレマイアは、青白い玉を見上げて眉間を揉んだ。


「確かに、朝陽を拝む前に、彼女を庇護下におかねばならない」


「それもあるのだ!私の屋敷にお招きをするのがよかろう」


「..できるものならな」


 意味ありげな視線を、ジェレマイアとリラは交わした。


「どういう事だ?」


「この守護結界を解いてみなければ何とも言えん。ともかく、この夜の内に、誰もが手出しできぬようにしなければならない。

 この世の誰にもだ。

 この結界も彼女が維持しているのなら、早く解くことが彼女の負担を減らす結果に繋がるだろう。

 少なくとも彼女が戻るまで、その肉体を完全な状態で保護しなければならない。

 ならば早期に動くのが一番だ。

 公王がどう考えようと、この国の人族は信頼に値しない。

 そして神殿もだ。

 まぁこのギルデンにも伝えたが、事実上、異端審問官組織は解体だ。

 朝陽が登ると同時に、俺は異端審問官を選別する。

 本当は新組織にあいつ等は必要ないし、害にしかならんとも思うが、何人かの能力は捨てがたい。

 急ぐ理由なんぞ、いくらでもある。

 そして一番大事な事はだ。

 今夜の内に、彼女の身柄を安全な状態にする事だ。あぁ、わかっているさ」


「ならば、私の申し出は利にかなっているだろう?さっそく」


「護衛を更に増やせ。誰かを呼びに行くか、ギルデンの兵士が来るまで待つんだ。地下の様子がわかる地図は」


「ありません。軍の略図も、この場に持ち込むには、私が戻り直接手続きをしたとしても一日はかかります。」


「じゃぁ屋敷から護衛を連れてこい。何が出てきても殺せる確実な兵力で下に向かうんだ。」


「彼等で十分だ。なぁお前達」


 護衛達は答え難く、自然とギルデンスターンを見た。


「..ハーディンを付き添いに四人ならいいでしょう。

 二人一組で二組の護衛ならば、最低限の退路確保はできましょう」


 どうだ?

 というコンスタンツェの視線に、ジェレマイアは周囲を見回した。

 そして諦めたのか、片手を面倒そうに振った。


「では、儀式の用意を始めようぞ。ほれ、地下への道筋は娘の光りを辿ればよかろう。むしろ帰り道に注意するのじゃ。帰りは、道標などそれこそ何もなかろうからの」


 ギルデンスターンの得物を何処に置くかでもめた後、ハーディンがオロフ達のところへと来た。

 厳つい髭の男はコンスタンツェに頭を垂れ、そしてオロフにも頭を下げた。


「否、俺たち、ただの護衛っすから。どっちかっていうと年功序列的に、ハーディンの旦那の仕切でもいいっすよぅ」


「それはなりません。殿下の専属殿が、ここは差配をお願いいたします。自分はそれに従いますので。」


「そうっすか?じゃぁ..まぁそうですよね。

(どう取り扱っていいか謎ですもんねぇ。スイマセンネェ、お手数おかけしちゃって)」


「..」


「何をボソボソ言っている!さぁさっそく地下への入り口を探すぞ!」


「だから、先頭で駆け出すの無しっす!それから、猫は置いてく!」


 コンスタンツェを護衛が取り押さえると、何故か猫が一斉に彼等を振り見た。

 猫の凝視というのは、あまり気分の良いものではない。

 微妙な雰囲気が流れた。

 だがそんな緊張感も、にぃにぃという子猫の声で台無しであるが。


「..大丈夫だ、彼らも手伝うと言っている」


 そして子猫を抱えたままの主の発言に、三人の護衛は脱力した。


 オロフは、彼の叔父が無事である事を、心より願った。

 ゲルハルト侯爵なら、この主人の緩んだタガを締め直してくれるだろう。

 そんな事を考えながら、オロフは生真面目そうな兵士に向き直ると言った。


「大丈夫っす。ちょっぴりお茶目なだけっす、タブン、ダイジョウブダョネ..」


 神妙な顔つきでハーディンは頷いた。

 そして、オロフの背中を軽く叩くのだった。

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