ACT236 白き陽射しに闇を見る 上
ACT236
焦りと恐怖、そして後に歓喜が心を満たした。
あぁ、失うことなど無いのだ。
自分こそが、一番近しい者なのだ。
血の繋がりや男女の愛情よりも、ずっとずっと確かなもので繋がれている。
本来なら、この状況で一番取り乱しているはずの己が、落ち着いている理由。
グリモアにより繋がれた魂は強い絆を結ぶ。
何処に隠されようとも、自分だけは、たどり着ける。
私だけが、知っている。
あの美しい魂は、どんな場所にあっても輝き、招いているのだ!
だから、何を悲しむ事があろうか?
生きているのならば、戻りを待つだけの事。
死して戻らぬのならば、その側に向かうだけの事。
どちらも、自分には可能である。
黄泉の国と覚しき怪異なる世界へ、自分だけならば行ける。
..もちろん、途中で死んだ場合は、魂のみになってしまうだろうが。
新たに彼女から与えられた眼は、小暗い世界に道を見る。
己の体から延びる命の光りは、暗い世界に引き延ばされて、今も何処かへと繋がっている。
死の国か、魔神の掌の中か。
例え、魔導の力があの野蛮な男に渡されたとしても、彼女の僕としての繋がりは切れないのだ。
男女の繋がりが死で分かたれても、主従の繋がりは永遠なのだ。
例え肉体が滅びようとも、巡る魂は、こうして見分けられる筈!
私は..許されている。
憎しみから、怒りから、そして常に離れぬ寂寥感を手放す事ができたのだ。
では、僕たる己は何を捧げる事ができるであろうか?
従える者に相応しい褒美を与えてくれる主に、報いるには何をすれば良いのだろうか?
差し出せる物は何であろうか?
考えるだけで喜びと期待が膨れ上がる。
例え、自己満足であろうとも、彼の魂は受け取ってくださるだろう。
優しい人は、罪人を許してばかりだ。
優しい魂は、だから失ってしまうのだ。
ならば、与えてばかりの主には、沢山の贈り物が必要だ。
何を差し出そうか?
眠りにある時は?
目覚めた時は?
もし、目覚めぬ時は?
あらゆる場合に備えねば...
「キモっ!」
ニヤニヤと中空を見て笑う姿に、勝手に口から言葉が飛び出す。
「二回言っちゃいますけど、キモっ!」
呪縛から解き放たれた時から、コンスタンツェは笑い通しである。
少女が倒れたと知った時、彼は飛び出して行こうとした。
だが、覚醒感と共に怪異な現象が終わると、何故かコンスタンツェは笑い出した。
オロフは、握っている襟首を一振りして、投げ捨てたいと思った。
冗談ではなく、心底気持ち悪い。
..最近、雇い主の変態度が上がっている。
特にコソコソと館に作られた部屋を見てから、重度の変態疑惑が拭えない。
コソコソとゲルハルト候に隠れて、念入りに作
られた部屋。
少女趣味の贅沢な一室には、なにやら、いろいろ見たくない物が置かれている。
色々..オロフとしては、知りたくない品物が硝子の箱に収められており、まるで記念館の一室のようになっている。
歴史的品物、古代の硬貨が並べられている趣味の部屋ならいい。
もしくは、オロフ的には、大人の男の秘密の趣味なら、まぁ許そう。
男なんて生き物はエロが抜けたら、多分、死ぬ。
それでもだ。
それでも、境目はある。
正常と異常の境目など大差ない。等という言い訳は、通じるようで通じない。
エロは許すが、あくまでも大人の楽しみまでだ。
注意、大人、までだ。
適用は、成人後で、未成年は不可。
獣人社会なら去勢される。マジで怖い。
特に、ここ最近、新しい司法長の座についているのが、バリバリ獣人女子だ。
バリバリとは、古風な女尊男卑の、肉食重量女子という意味である。
マジで本当にバリバリ喰われそうで怖い。
未成年への淫行は、強盗殺人と同等の磔刑をと公言している。
泣きそうな程、マジ、怖い。
おつき合いする時は年齢確認と、相手の保護者の了承を得ましょう。
オロフの信仰も社会常識も、ついでに、たぶん、地獄の怪物も、それはダメでしょ!という線引きがあるわけで。
現実に、このヘンタイが何かをしようとしたら、一番にカーンの旦那に告げ口しようと決めている。
自分はヘンタイを殴れないが、保護者なら、ヘンタイを駆除してくれるだろう。
その時は、死んだふりをして、ヘンタイに何がおきようと無視しようと決めている。
そして、この目の前のヘンタイ野郎..ではなく護衛対象の考えていることも怖い。
あの少女がらみになると、オロフの負傷確率は鰻登りだ。
天井の模様を数えてから、含み笑いニヤツいてるコンスタンツェを横目で見る。
目の前で不気味に笑う男に、何となく厭な予感がした。
厭な予感、己が何か不味い事に巻き込まれようとしているという意味でだ。
「兄さん!いるかい?
館の状況は~つーか、正気の奴、誰かいる~?」
部屋の外へと呼びかける。
身動きのとれないまま、狂気の一時が過ぎ去ると、オロフは改めて押さえ込んでいた主を掴みなおした。
同じ部屋に置かれていた事が幸いし、少女の名前を叫びながら飛び出そうとする男を留め置く事ができたのだ。
そうでなければ指一本動かせないで、コンスタンツェの脱走を見送る事になっただろう。
オロフは苦笑いしつつ、もう一度、外に呼びかけた。
「兄さ~ん!おーい、気がついたら館中を総点検ですよぉ。」
微かな応えがあった。
直接、あの破壊と暴力の場にいない者は、呪縛と魂の痛み以外に残った物は無い。
無いが、魂は恐怖を刻まれ、大人の男が漏らす程度の影響が残っている。
もちろん、オロフは漏らしてない。
ちょっぴり漏らしそうと思っただけである。
化け物が地獄から迎えに来るとか、薬物で頭がイカレたのだろうかと心配した。
だが、想像力の少ない自分にしては、種類豊富な悪夢である。
しかし、今では残滓のみが残り、徐々に現実味が薄れていた。
けれど..
嘘である。
と、薬や病、何らかの幻覚とするには、己の存在を傷つける力がありすぎた。
おまけに水が消えた。
館が震え地鳴りがした後だ。
部屋の中にあった水差しから、きらきらと光りが上った。
そして光りが消えると、水が消えた。
地鳴り、落雷、揺れ、常に都は軋み、館は唸る風に悲鳴を上げ、そして、地所を巡る用水の水も光りと共に消えた。
扉外の仲間と、地下へ避難するかと話していた時だ。
コンスタンツェは、大騒ぎで外に出せと喚き。
オロフは、それを押さえ込み、足の補助装具を蹴られるという暴挙に耐え。
幻視を見たのだ。
悪を悪とも、罪を罪とも感じない輩の事などどうでもいい。
だが、問題は自分の感情と魂の行き先である。
死んでからの事を心配するとは、ちょっと自分でもがっかりしているが。
けれど仕方が無いとも理解している。
悪人道を貫く気概は欠片もない訳で、今、ちょっと人生を振り返るなんて柄にも無いことをしている。
そして結論。
(小者感が半端ねっすが、保身が一番っすよねぇ)
それに..これでも悪人ではないと自認している..多分だが。
これまで故意に行ってきた悪事らしき事も、まぁまぁ、非道というほどでもない。
少なくとも、生皮を剥がす拷問刑になるような選択、をした覚えはないのだ。
証拠に、馬車馬のように働かされつつも、こうしてどうしようもない主の面倒を、文句を言いつつも見ている。
少なくとも、お仕置きはされない程度の小悪党じゃね?
「聞きたくないですけどぉ、これから何をする気っすか?」
だから、厭な予感がしたとしても、誰の味方でいるのがいいのか?
答えは当然..
「オリヴィア姫様のお身体を確保するのだっ!
このまま、無防備に人目にさらしては、ますます、余計な輩がまとわりつくようになってしまうぞ、それはマズイ、駄目だ、危険だ!」
「..殴ってもイイヨネ」
不本意であるが。本当に不本意だが、この男の方である。
「ん?」
「耳の具合がもどらんようでぇ、何て言いました?」
「だから、姫様のお身体をお守りせねばなるまい。お戻りになるならないは別に、お休みになられる場所を用意せねば」
「多分、それは公王陛下とかぁ、神殿の方とかぁ、まぁ、保護者の方で用意するっしょ。
いやそれより問題は、幻覚が本当かどうかでしょ」
オロフの言葉に、コンスタンツェは振り向いた。
捕まれていた襟首を引き剥がすと、ヨレヨレの衣服をはたく。
そうして態とらしく居住まいを正すと、護衛の装具を指さした。
「歩くのは問題なかろう?ならば、現場に赴くのが一番だ。
もちろん、天の国や神はなかろうが、地の底には地獄はありそうだ。
私は、これまで神話や宗教は否定してきたが、地獄の存在だけは、信じるよ」
実は二人とも部屋の絨毯に座り込んでいた。
オロフは再生器具から既に解放されており、新たに肉のついた足を保護する装具をつけている。
歩行に問題は無い。
無いが、生まれたての足に負荷がかかれば、最悪、腐る。
「マジで言ってるんですかねぇ」
「真面目に、言っているんだよ。
お前だって分かっているんだろう?
幻覚やら嘘だと否定できない。
魂に刻まれた警告は、本物だ。
今も、お前の命の輝きには、深く深く、あの化け物共の言葉が残っている。
確かに今では朧気だ。
あの化け物達が言った通り、ニンゲンは忘れるだろう。
日々、生きていく事で忘れていく。
だが、冗談、妄想の類ではないと、私は理解している。
楽観するのは個人の自由だ。
馬鹿な行いを続けるのなら、続ければいい。
どうせ思い出すのは、死の淵にたたされた時か、そうだね、死後に迎えが来た時か?
だが、私は死後の刑罰よりも、引き離される事が心配だ。
まぁ私は、僕としての役目を果たし、必ずや来世も御一緒するつもりだがな!」
まともそうな言葉を並べているが、要は、つきまとい宣言である。
何とも言い難い表情を浮かべると、オロフはゆっくりと立ち上がった。
体の動きはぎこちないが、生えた方にも力はちゃんとはいっている。
「僕ってなんですか」
気の抜けたオロフの声に、コンスタンツェは前髪を息で吹き上げると続けた。
「私は罪深い血を持つ混合体だ。
化け物どもが言ったように、慈悲を体現する姫を敬い御仕えするのが咎人のつとめであろう。
それにわかっているか?
神と魔と、そして、冥府の存在が示されたのだ。
ニンゲンの新しい規範が生まれたのだ。
愚か者どもの新しい争いの幕開けだ。
この夜より、公王家と元老員の老害どもは権力の奪い合いを再開するだろう。長命種に対する種としての罪を逆手に、短命種やお前のような獣種が主権の巻き返しを狙うはずだ。
そして審問官と神殿の派閥も、信仰やら神という概念の定義を問われ、同じく争いがおきるだろう。
今現在の穏健派主導の神殿も、捨て去ろうとした過激な武力を放棄する事を再考するやもしれぬ。
更に精霊信仰などの宗教論争が勢いを増すのは目に見えている。
もちろん、いずれもが、この後、双子の月が満ちる頃。
十四五日後の満月に下される神の言葉により、全てのニンゲンも変化をするはずだ。
どのような変化が訪れるか、今はまだ分からぬが」
その先の言葉を聞きたくない。
そう思っている護衛の渋面を無視すると、乙女のごとく両手を握りしめてオッサンが叫ぶ。
「この卑しい僕が、お守りしますぞ!
今、お側に参ります!
世が無秩序になろうとも、国が滅びようとも、私が姫をお守りいたします!」
無駄に性能の良い両耳を手で塞ぐとオロフは再び天井を見上げた。
外見が若く様子が良くても..キモイ、マジキモイ。
「言葉はまともなんすよねぇ、実態を知らんと、ホント立派なんすよねぇ」
秘密のお部屋の蒐集物を見ていなかったら、オロフも騙されている。
代わりに保管しているという言い訳も、硝子の器に置かれた品々を見ると、背筋がゾクゾクする。
ヘンタイがココにいますよぅ、兵隊さん、コイツです!
「だから、早く広場に向かうぞ」
「却下」
「雇い主は私だ」
「どちらにしろ、夜のうちに外に出るのは却下っす。」
「給金は私の財布から出ているんだぞ」
「契約書は、公王陛下とゲルハルト様の二重署名っす。
まぁ、専属ですから俺の雇い主は、一応、コンスタンツェ様なんすけどぉ。傭兵団への依頼主は二重署名の方々ですしぃ、面倒をふやすのは勘弁なんす」
「そんな約束はしらん」
「俺の足がモグモグされた後からっすね。一度、負傷により契約解除になったんすよぅ。それをまぁ、誰かさんがぁ暴走しないようにって、無理くり俺と再契約したんす。
つき合い長いってのも考慮されたようでぇ、イイメイワ..げほっげほっ、そん時、新たに契約書が作成されまして。
前は公王家と人族大公家の依頼で、コンスタンツェ様専属だったんすが。
今現在は、さっきも言いましたけど、公王陛下自らの署名とゲルハルト侯爵様の二重署名の依頼っす。
国からの依頼から個人依頼に変更なんすがぁ、俺の足の治療も含めて陛下の権利の範囲が広いんです。
もともと法律上の近衛の代替案として国に雇われていたんでぇ、お給金をコンスタンツェ様が払うのは法律義務なんす。
申し訳ないっすが、報酬が誰から出てても、王様の意志が一番、ゲルハルト様が二番、そいで三番目がぁ」
「私か?」
「はい。だもんで朝陽が昇るまで、何があっても禁足つーことで」
「誰が納得するかっ!」
「..ですよねぇ」
だからといって、護衛を腕力で黙らせる手段をとらないところが、コンスタンツェの育ちの良さだとオロフは思う。
直接の腕力は持ち得ないが、その能力で神経に直接痛みを与える事は可能で、今のオロフなら昏倒させる事ができるだろう。
だが、自分を傷つけない相手に対して、この雇い主は暴力でねじ伏せる事はしない。
生まれつき人を使う立場だからこそ、使用人や立場が下の者に対しての暴力が、どういう結果になるか知っているのだ。
「時間が勝負なのだよ、オロフ。
今回は、まぁ、あの男だけは許します。
魂を取り戻すには、あのケダモノが血を流せばいいのですから。
どんどん流す方向にし向けましょう。
けれどこのまま、あの男がのさばると、後々厄介です。
姫の番犬を続けるというのなら、まぁ我慢もできますが。
それに公王が邪魔ですね。
公王に、それからあの公爵も..視えませんでしたが、死んでいればいいのに」
下々への気遣いはできるのに、どうして、そう残念な思考になるのか。
「..前は、もう少し思慮深いつーか。まぁ、元々執念深い蛇みたいな性格だったっすね。
それに、そーいう話を俺に聞かせないでくださいよぅ。
聞きたくないっす。」
「そうだ、お前の所に暗殺専門の輩が」
「駄目、無理、俺が死にます。」
オロフの返事に、コンスタンツェは開こうとしていた口をいったん閉じた。
「..何でお前が死ぬんだ?」
「よーく考えてくださいよぅ。
この大陸で暗殺専門の人間がどれくらいいると思います?
主要な権力層が個別保有しているとしても、この世界最大の軍隊が、把握していないと思いますか?
その軍隊の暗殺部隊は、直属隊の指揮下です。
つまり、お嬢ちゃんの保護者が、それの直接指揮をとれるんすよ。
そして、その保護者の上司を使っているのは誰ですか?
その誰かを殺すのに、その辺の輩を雇う動きを見せただけで、逆に、こっちに暗殺者が送り込まれる訳です。
そいで、俺、死亡。
因みに、うちの傭兵団は、その直属隊の下請けもしてますんで。俺を殺しに来るのは、もしかしたら、家のカーチャンの可能性が..」
「何でお前の母君が..」
「イヤ、どーして家のカーチャンを母君なんぞと..あぁ、見たことあるんでしょ?
つまり、あの鬼ババァが鞭と手斧を抱えてやってくるんすよ。
あのインチキ眼帯外して来ますよ」
「眼帯は、飾りか?」
「わざと眼帯して引退してるみたいにしてるつもりらしいです。
でも、本気殺る気の時は、上にあげてニヤニヤ笑いながら追っかけてきますよ。想像してくださいよぅ、さっき見た化け物拷問興行より悪夢っす。
そうだよ、今回もあんまり無茶すると、ババァが来るかもです。
いや、これだけ騒ぎになってるんですから、来ますわぁ。
やばい、コンスタンツェ様、おとなしくお屋敷にいましょう。そうしましょう」
「オロフよ、母君は化け物より上か?」
急にコンスタンツェの意気が下がる。
同じく想像して力の抜けたオロフともども、手近の長椅子に腰掛けた。
「ともかく、私の館へのお招きの楽しみは別としても、姫の体の安全を」
「大丈夫ですよ、お嬢ちゃんを傷つける者がいますか?
いたとしても、そんな輩は周りが許しませんよ。
でも、楽しみ以外に何か理由が?
ただお側に置いておくというだけで、どれほどの危険があるかわかるでしょうが」
「そうは言うが」
「俺、仕事は真面目にやってるつもりっす。
一応、これでも信用商売っす。
そして信用を失うような行いをした場合、処分されるっすよ。
家のカーチャンは、信用を裏切る輩が一番嫌いなんすよ。」
「何故に母君」
「親父が傭兵同士の横の繋がりを取り持って、姉ちゃん等が組織の調整。うんで、カーチャンがまとめ役っす。
そして大口の仕事はカーチャンの信用で依頼がくるんすよぅ。
そして、カーチャンの仕事と信用に泥を塗る奴は、死ぬっす。」
「実の息子だろうが」
「肉食重量獣種の女に理屈は通じないし、親子だと、特に息子には激甘じゃなくて、激辛教育っす。
そしてカーチャンは普段も大女っすが、激怒するとガチでデカくなります。
付け加えると、南領でも珍しい剣歯虎っす。」
剣歯虎の男はいるが、女は滅多に生まれない。
女児が生まれた場合は、特に性格凶暴と言われ、武力腕力に恵まれていると信じられている。
オロフの言葉に、コンスタンツェが疑わしそうな表情を浮かべた。
二三度見かけたオロフの母は、実に静かな佇まいの女性に見えたのだ。
それは化けの皮が剥がれていない時の、商談仕様だ。
と、オロフは肩を竦めた。
「傭兵団の頭領は親父ですけど、恐怖で馬鹿どもを支配してるんは、カーチャンっす。
激怒して完全に獣化すると、でっかい猫になるんです。
虎って言うと怒るんですよ。
でっかい牙の生えた大猫っす。見えねぇけど。
普段は、愛想のいいババァですけど、カーチャン、マジで肉食っす。
人間は喰わないとか言ってますけど、俺的に、一度や二度、喰ってると思うっす。」
長椅子から立ち上がると、コンスタンツェは不愉快そうに返した。
「くだらん。何でお前の母君の生態をここで論じなければならんのだ」
「夜明けまで待ちましょうって話ですよ。
さもないと、言い訳もできないでしょうしね。
それに具体的にどうするつもりなんです?
無策で現場に行って、お嬢ちゃんの体を強奪なんてしたら、それこそ殺されますよ?」
「意識の無い体を保護するには、私が一番いいのだ。
王、神殿、誰が保護しても、影響が予測できない。
私ならば、王家の医療を手配する事ができ、且つ、立場的には一番問題が無い。」
「おっ、一応、大義名分は考えてたんですねぇ」
「バルドルバに関しては、これから多忙になるだろう。
保護するにしても、あの男はもっと重要な仕事があるし、獣王家が口をだしてくるよう
ならば、ランドールが阻むはずだ。
問題は、神殿と元老員の動きだ。
神殿は強固に精霊種の保護の権利を主張するだろう。
だが、元老員は、力の均衡が崩れるとして反対し、逆に、彼女を保護したいと思うはずだ。
軍は、多分、バルドルバを支持し、獣王家の意志を尊重するだろうから、奴の意志次第では、私の保護に異を唱える立場か?」
「だから、混乱している今、早急に確保したいと?」
「そういう事だ」
二人は静かな部屋の中で視線をあわせた。
いつも聞こえる都の水音は無い。
静かな静かな部屋で、最後にオロフは大きくため息をついた。
館を軋ませていた風は吹いていない。
オロフと二人の傭兵でコンスタンツェを囲むようにして夜道を進む。
そのコンスタンツェは、ぶつぶつと独り言を呟いているが、大方が、娘の為に何を用意するのが良いかという内容だ。
つまり返事は必要ないので、護衛達は警戒だけに集中した。
祭りの晩だった。
確かに祭りの晩だった筈が、見える景色は薄暗く、建物は崩れ、廃墟のように見えた。
人の気配はある。
家に道に、路地に。
いずれも、茫然自失したように倒れ、座り込んで動かない。
動いているのは、いずれも、呪縛を振り切る事ができた欲深い者なのだろう。
生きる欲の深い者。
オロフはブルリと身を震わすと、夜気を吸い込んだ。
金臭い焼け焦げた臭いがする。
貴族街はそれでも、所々で人の動きが見えた。
動きは緩やかだが、予想よりも秩序回復が早そうだ。
予め、軍隊を動かす準備がなされていたか。
略奪や不法行為に対処する必要は無さそうだが。
罪深い者ほど、今は、無気力だ。
あの双頭の蛇は、広場にいた本体だけではない。
あの怪物達が、個々の魂を握りしめたように、蛇も個々人の前に現れたのだろう。
生憎、オロフは蛇に噛まれはしなかったが、転がる人間の中に、毒牙を受けた印を認めた。
考えてみれば、処刑人がたった四体の化け物な訳がない。
ニンゲンにそう見えているだけで、数え切れない程の魂を狩るのだ。
四体の化け物は象徴であって、一つ一つの魂をもてなす事に隙はないのだろう。
貴族街を抜け、中央公園を目指す段になると、動いている人の数が増えた。
見える範囲の外郭にも、点々と灯りが見え始めている。
都という卵の殻がひび割れて、中身がこぼれたようだが、それでもどうにか兵隊は動き出した。
見たところ、やはり人族が一番、打撃を受けている。
未だに動けない者の殆どが、たぶん人族だ。
人族の尊い命の方々に相違ない。
今では、その尊さが忌まわしかろう。
「凄い」
中央公園へと流れ込む水路沿いの道に曲がると、急にコンスタンツェが歩みを止めた。
オロフらも用心深く辺りを探る。
特に注意を引くようなものは無い。
目に付くのは、完全に干上がった水路の底ぐらいである。
「あれです。見えませんか?」
公園方向を指さして、コンスタンツェがオロフを促す。
なるほど、確かに凄い。
近くばかりに注意を払いすぎていたようだ。
顔を上げ、建物の隙間、視線をあげると円蓋型の輝きが見えた。
青白い円蓋、お椀が伏せられたようなその輝きは、美しい蔦模様をしており音もなく回転していた。
「何が見えるんだ?」
他の仲間に問われてオロフは眼を瞬いた。
闇夜を照らす、王城にも等しい輝きが瓦礫の中に見えている。
「兄さん、見えないんっすか?」
それにコンスタンツェが納得したように頷いた。
「お招きに預かる者には、よく見えるんでしょう」
イヤな話に、オロフは鼻に皺を寄せた。
「勘弁してくださいよぅ」
「そのお招きではない。姫からのご招待だ。有り難がれ、身分不相応だ。勿体ない」
コンスタンツェに言い返すのをあきらめると、オロフは仲間を促した。
「..兄さん、ともかく行きましょうや。下手に時間喰うとババァへの言い訳が面倒っす」
更に公園へ近づくと、青白い円蓋が考えるより巨大である事がわかった。
生きているかのように、それは輝き回転し続けている。
しかし、不可解な現象ばかりに注意を払ってもいられない。
最初に罪深いアレが呼び出した化け物の死骸が残っている。
多くは焼かれたようだが、それでも点々と奇妙で醜い物があちらこちらに見えた。
軍人、一般人、動ける者、動けない者。
足場を見極めると、慎重にコンスタンツェを誘導する。
木々の少し残った元の林を抜け、干上がり魚が腹を見せる水場を過ぎると..。
「予想外っすね」
元祭りの舞台があると覚しき広場の残骸。
そこにあの青白い円蓋、否、球体が回転している。
青白い玉の中身は見えない。
そして巨大な球体の周り、元観客席には、ニンゲンの兵士達..ではなく猫達がいた。
様々な模様の、公園にいた猫か、街の飼い猫か。
ざっと見ても、数十匹が玉を囲んでいた。
みやぁみやぁと鳴いている。
うろうろと、玉の周りを歩く猫もいた。
「猫っすね」
「猫だな」
「もしかして、この中ですか?」
「うむ」
「どうやって」
「うむ」
真正面から玉に近づこうとするコンスタンツェを護衛が羽交い締めにする。
「マジ、やめてぇ」
「何がだ。姫があそこにおられるのだ。早くいかねば」
「俺らが先に行きますから、最初に突貫は、駄目っす」
「お前達では入れまい。特にお前以外の二人には、何も見えていないだろう」
「そうなの?」
オロフの問いに、仲間は首を傾げて応えた。
「穴、だよな?」
「舞台に大穴が開いてるから、危険ですね」
二人の答えに、コンスタンツェがほら見ろという表情をした。
「否、なら、尚更マズイっしょ。大穴も本当に開いてたら、怪我しちゃうでしょう?最悪、死にますよぅ」
「姫がおられるのだ。そのくらいどうという事も」
「不可抗力以外の死亡は、俺の寿命の終わりも意味します。言ったでしょう、カーチャンに殺されるぅ」
「何を情けない。母君が怖い歳か」
「冗談じゃないっすよね、兄さん」
三人でコンスタンツェを、怪我しないように押さえる。
冗談半分だが、つまり、残り半分は本当なのだ。
暫く、玉の様子を伺っていると、王城方向より騎馬の影が見えた。
軍馬で先頭を進む姿を確認すると、オロフはコンスタンツェに耳打ちした。
「ともかく、現場にいれば、対応できます。
無闇に動かず、機会を見て、提案しましょう。
元から、お嬢ちゃんを強奪するのは得策では無いでしょう?」
黒光りした武装に、小山のような姿。
獰猛な先祖帰りが、大鎌を担いで進んでくる。
その後ろには、軍馬とは違った普通の馬に、白い儀式服を身につけた祭司長の姿が見えた。
「うわぁ」
オロフは、羆の赤い瞳がこちらを見据えるのを感じた。
最大限に凶暴化、否、先祖返りが興奮している時は、やはり普通とは体つきが違っている。
今も統括長の眼球は、真っ赤に染まり、体はモリモリと膨れ上がっている。
重量獣種でも特に重い超重量の先祖返り。
今のオロフでは、逃亡もできない。一捻りだ。
「いやぁ何だろう。化け物より、俺、あのオッサン怖い」
「止めろ、オロフよ。超重量種は地獄耳だ」
「兄さん、ここにこうしているだけで、怒られるような気がする」
護衛二人とオロフは、コンスタンツェを押さえたまま、冷や汗を流す。
「何だお前達、誰が来たんだ」
騎馬は影にあり、獣人の視力では確認できたが、肝心の主には何も見えていない。
「ジェレマイア様っすよ。護衛は統括長自らがお越しっす。」
舌打ちをするコンスタンツェに、オロフは何故か安堵した。
やっと麻痺していた感覚が戻ってくるような気がする。
日常だ。
コンスタンツェに付き合う日常は揉め事が次から次へと降りかかる。
現に、こうして巻き込まれ中だ。
地響きを立てて馬から下りた御仁は、まず、コンスタンツェに礼をとった。
コンスタンツェの許しを得ると、大鎌を地面に突きたて立ち上がる。
「ヨーン・オロフよ。殿下の御身の安全が優先である事は分かっておろう。何故、この場にお連れしたか、申してみよ。
後に、フローラ殿へも、報告せねばならぬからな」
フローラとは、オロフの母の名だ。
麗しげな名前とは真逆の母親を持ち出されて、護衛三人は毛を逆立てた。
下手に怒られるよりも、効果がある。
「冗談?」
首を傾げるコンスタンツェだけが平和だった。




