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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
268/355

ACT234 堕落の末路 其の六

#グロ注意、残酷表現ありです。

 ACT234


「どうやら、供物の価値が勝ったのである。

 残念な事よ、誠、誠、残念なのである。

 しかし、我らの娯楽は増えたのである。

 誠、まーこーと..」



 秤は、傾いた。


(滅びろ)


 と、傾いた。



「誠、命冥加に余る..

 わかっておろうか?

 否、否、わかってなどおるまぁぁあああああいぃぃ!」



 それと同時に、一方の皿に光が満ち抗う。

 重さのない光がキラキラと輝き、天秤皿の傾きを支えた。



「..何故、秤が重みに耐えたか、あきらかにする役目は我らには無い。

 だがこれより、我らが与える褒美を受け取り、ニンゲンと名乗る野蛮な者共は学ぶがよいのである。」


 仮面の怪人は、秤を捧げ持つ骸骨に合図した。

 骸骨は秤を掲げたまま、異界の門へと滑るように消えた。


「なに、落胆するには早いのであ~る。

 齋は成らずとも、これより我らが娯楽の時が始まるのである。」


 その言葉が終わらぬうちに、ドンッと何かが身を押さえつけた。

 固まる身体に向けて、怪人は続けた。


「さて、秤は耐えた。

 それはニンゲンが許されたという意味ではない。

 罪を許した者が、救われた。と、いう意味である。

 故に、故に、今、我らの声が届き、その呪縛を受けし者は罪人なのであ~る。

 ヒィヒッィィィイイイ~!

 笑いがっ、笑いが止まらぬのである!


 我らの声と姿は届いているのであるか、あるか?

 この地獄門を召喚し、我ら選定者を呼び出した者どもよ。

 この領域を閉じた故、声が届くはオルタスのみであるが。

 運が良ければ、オルタス以外にも受け取る者がいるやもしれぬ。

 誠、誠、運が良ければっ、グフッグフフフ..

 我らが、己が傍らにいるかのごとく、感じたならば。

 それは死後に我らの招きを受けるという印なのであ~る!

 つまり、我ら兄弟が特別に特別にぃ~、貴様等を招くのである!

 この世で生き理を乱した者として、我らは手厚くもてなすのである!


 そしてこの者の裁きを、眼を見開き見るのである。

 これが貴様等罪人共の、死後の姿なのであ~る。


 もちろん、何も見えぬ者もいよう。

 見えねば、我らからの褒美やもてなしの資格がないという事である。


 残念ながら、これから行う事が見えぬ、聞こえぬ者は、我らの宮へと招かれる事無く流れていくだけなのである!」


 怪人は斧を振り上げ、朗々と宣言した。


「選定する者の姿を現世にて見るは、その魂の罪故なぁり!」


 ネストルを蛇に任せると、怪人達は異界の門の前に並んだ。


「我らが見えるは、死後のみなぁり!

 故に故に、現世にて、己が眼にぃ我らが見えるはぁ、罪の芽を内包する証なぁり!


 考えるのである!

 現世で生き学べる内に、意味を知るのであ~る!」


 鉈の男に口が生えた。

 ヌルリと鼻の下が裂けると、鋸のような歯が肉を割る。

 そうして生え産まれた口から、奇妙な咆哮をあげた。

 軍鶏の鳴き声のような、耳障りな声を上げると、両手の鉈が輝いた。

 青白い輝きが消えると、巨大な戦輪となった。

 投擲武器の戦輪は、普通は頭囲が入る程度だが、どう見ても馬車の車輪のような大きさである。

 それも禍々しくも刃の部分が鍵型にうねっていた。


 次に鎖の男の目が皮膚に飲まれ消えた。

 かわりに鉈の男と同じく口が生えた。

 丸い頭部に大口だけが生え、肉食獣の牙が伸びる。

 そして、グツグツと含み笑う。

 身体を這い回る鎖は触手のように伸び、その先端は鳥の嘴のように尖り鳴き声をあげた。


 そして三人目、怪人は翼を更に大きく広げた。

 金属めいた翼は広がると姿を変えた。

 赤黒い骨格と油状の液体を滴らせた翼だ。

 それは舞台上に大きく広がるとドロリと汁を滴らせる。


 そして仮面の、選定者は口を閉じた。

 それまでの騒々しくも語り続けた口を閉じると、ネストルに向き合った。


 双頭の蛇は、右の頭の目は濁り、その鎌首を左の首に巻き付けている。

 左の頭は鶏冠逆立て、男の顔を見つめている。

 対する男は、眼球を痙攣させ不規則に身体を揺らす。

 首から下は、蛇の怪物から生え伸びた黒い針が食い込んでいる。

 獲物を捕らえた食虫植物のように、みっちりと抱え込んでいるのだ。

 仮面の怪人は首をクルクルと回し、ネストルを馬鹿にしたようにのぞき込む。そうして、怪人は左手の指一本を突きつけると、男の顔の前でゆっくりと横に引いた。


 生肉を切り裂く、厭な音がした。


 怪人の尖った爪が、閉じられた口の部分の肉を引き裂いていく。

 引き裂かれた肉が、血を吹き出しながら弾けて、閉じられていた歯と歯茎が顔を出す。

 それと共に、今まで封じられていた喚き声が少しづつ大きくなっていった。


 元の口元に戻った訳ではない。

 何も無い場所を引き裂いて穴を開けたのだ。

 無惨にも肉を弾かせた部分から、むき出しの赤い肉と白い歯が見える。

 勝手に痙攣をし歯を咬み鳴らす。

 蛇が身を縛っていなければ、転げ回っているのだろう。


 次に楽しそうに鉈の、否、戦輪を持った怪人が近寄る。

 子供が奇妙な虫を見つけたかのように、ネストルの周りをゆっくりと回りながら腰を屈めてその様を見つめる。

 そして何をするのか、手を振りあげたところで動きを止めた。

 鎖の男の鎖がとめたのだ。

 男は牙をガチガチと鳴らしながら、舞台に残る人々を指さした。

 一人一人、何を選んでいるのだろうか。

 鎖の男は指をさし、それに戦輪をもった男が頷く。


「ジヒニテ、ヒョウヘキ、ノ、マモリヲ、アタエン」


 戦輪の男から呟きが漏れると、黒い翼を広げた怪人から、圧力の波が広がる。

 見えない波が広がると、近くにいた者が倒れた。

 次々と人が倒れていく。

 その多くが年若い者や子供だった。


 説明は無く、ただ、子供が倒れ周りが慌てるが、死んだ様子ではない。

 そして翼の男にも口が生えた。


 怪人達は奇声を上げ笑うと、ネストルに向き直った。

 そして..







 蛇が踊っている。

 双頭の蛇は、鶏冠のついた左の頭を揺らして踊っている。

 罪人から離れると、再び黒い棘を身の内に戻し、気分良さげに踊っている。

 蛇は自由に動き回り、特定の人物の前に行くと踊りながら噛みついた。


 噛みつかれて絶命するわけではない。

 咬まれた者には、奇妙な痣が顔に浮かぶ。

 痣を浮かべた者は、縛られて動けない身体を地面に転がすのだ。

 蛇は、幾人も転がすと楽しそうに瓦礫の間を踊っている。


(選定して歩いているのだ。

 あれは罪人の印、いずれこの場が収まれば消えるが、死後にネストルと同じ末路になろう)


 ナリスの説明に、自分は嘆息した。

 では、自分も何れ咬まれ、あのようになるのか。



 怪人はネストルの皮膚を剥いだ。

 まず、生きたまま首から下の皮を剥いだ。

 ちょうど鹿の皮を剥ぐように、綺麗にはぎ取った。


 怪人の鎖が両の手のひらを地面に縫いつけ、衣服を溶かすと皮膚を剥いだ。

 生きて意識のあるままに、皮膚をはぎ取られる。

 大量の血を流し、普通ならば死んでいるだろう有様なのに、生きて意識がある。

 次に怪人達は、むき出しの筋肉を蠢く針金で縛りあげた。

 鎖の怪人の身体を縛り上げていた棘付きの針金だ。

 むき出しの筋肉は、針金が食い込む度に、赤黒い血を吹き上げ肉の破片をまき散らした。

 この時も、ネストルの意識は無理矢理残されているようだった。


 怪人達は笑いながら、ネストルの眼球をのぞき込んだ。

 そして上瞼を頭蓋へと針金で縫いつける。


 残酷な遊びだ。

 狩りの後に、獲物を剥製にする作業にも似ていた。


 満足そうに仮面の怪人は頷いた。

 そして異界の門の前にネストルを引きずると、芸術作品のように置いた。

 針金で縛り上げられた血塗れの肉を、様々な形に動かしている。

 悪夢のような人形遊びだ。


 何事かをネストルが言ったようだが、苦痛の叫びに混じってよくわからない。

 すでにこの男の弁明も主張も必要が無いのだろう。

 たぶん、理由などあったとしても、グリモアに手を伸ばした事だけで、怪人どもには有罪なのだ。


 ただ、この醜悪な茶番を、わざわざ見せているのは、我々が許されていないのだとわからせる為だ。

 もちろん、彼らの楽しみなのだろうが。


 一通り満足したのか、奇っ怪な形に身体を固定すると、針金が鎖の男へと戻っていく。

 血塗れの筋を残して針金が消えると、崩れた人の形をした肉が残った。

 疾うに死んでいるはずの、否、望んで死を受け入れなかったネストルは、生きて苦しみの中にある。


 醜悪な姿を恐れるよりも、死とは慈悲なのだという事を自分は理解したように思う。

 それでも、それでも彼女が死ぬには早い。

 もちろん、その早いと感じているのは、己の我が儘かもしれない。

 だが、こんなくだらない者を、自分を救うというのは駄目だ。


 蛇が踊りながら再び舞台へと登ってくる。

 兵士達の間を楽しそうに歩き回り、そして自分の前へと進み来る。

 吐息は不思議と森の息吹のようである。

 双頭の蛇を前にして、そう感じると笑っていた。

 義理とはいえ親を殺し、生業として人を殺し、そして大義なのだと故郷の全てを焼いた。

 地獄へ向かうは必定である。


 失うのは、自分だ。


 忘れかけていた、過去の自分が大切にしたいと思っていた感情を失うのは自分だ。

 彼女の中にそれを見た。

 美しい理想、完全なる世界。

 もちろん、彼女も人間だ。

 嘘もつけば、人を傷つけもするだろう。

 だが、十分に自分の考えていた明日の中の光りをもっている。

 光りだ。

 失うのは、光りだ。

 たとえ地獄行きが決まっていても、生きている間の光りを失いたくない。

 虫のいい話だ。


 蛇がのぞき込む。

 少しも恐ろしくはない。

 恐ろしいのは、失うことだ。

 この後に控える闇の人生だ。

 死んだ後の苦痛を憂う余裕など無い。

 生き地獄の中で、全てを呪いながら屑の一生を送ることだ。


 面をつきあわせて牙を剥くと、蛇が笑った。

 笑い嘲り、ゆるゆると踊る。


「何故だ!」


 はっきりとした言葉が耳に届く。

 ネストルが血泡を吐きながら怒鳴った。


「これが褒美?

 これほど尽くした私を、何故、このような」


 未だ喋れることに驚く。

 蛇は自分の身体に巻き付き、楽しそうに肩に頭を乗せた。

 一休みしようという風情で、馬鹿にしくさった表情で二つの頭が肩に乗る。


 怪人達は笑った。


 皮を剥いだ戦輪の怪人は、再びネストルに近づくと言った。


「クツウ、コソ、ガ、シコウノ、カイラクナリ

 エラバレシ、タマシイヨ、ヨロコブガヨイ

 エイエン

 フヘン

 カイラク

 スベテ、テニ、イレタ

 ワレワレハ、アタエル

 オマエノ、ノゾンダ、ホウビダ

 オマエガ、コロシタ、イノチノカズダケ、クリカエシ、アタエヨウ

 オマエニ、イノチゴイ、シタ、ヒトビトノ、カズダケ、クリカエシ、コエヲ、ダスコトヲ、ユルソウ


 コロシタ、オカシタ、サイナンダ、オナジ、コトヲシテヤロウ


 エイエン

 フヘン

 シコウ ノ ホウビトシテ


 ソノニクハ、エイエンニ、サイセイスル

 オマエノ、ノゾンダ、エイエンニ、イキルスガタ」


 時間が巻き戻るようにネストルの皮膚が再生する。

 崩れた顔面も復活し、血みどろであるが傷は消えていく。


「やめてくれ、やめてくれ、あぁ」


 再び戦輪が身体を断ち割り、皮膚を引き剥がす。

 今度は深く刃が通ったのか、白い腸が飛び出してきた。


 人とは思えない叫びがネストルからあがる。

 怪人は楽しげに、解体を続けた。


「客人は不満のようであるな?

 では、なぜ、このホウビが与えられるか、この者の転換点を見せてやろう」


 仮面の怪人は、ネストルの上瞼から針金を引き抜くと、再生した唇に突き刺した。

 そして笑顔の仮面のように固定すると、己が後ろを振り返る。

 怪人の振り見る先には、一組の家族が現れた。

 薄い靄のような、白い影である。

 年若い父親と優しげな母親、小さな娘が母親の衣服を掴んでいる。


 それを見て、ネストルが何かを言った。

 血みどろの姿で、手を伸ばしさえした。


「オマエガ、壊した最初の者達である。

 主は悼み、嘆きの沼へと導いたのである。

 ようやっとこうして形が戻り還る事を望めるようになったのだ。

 だが、オマエガ肉を確保した為に、未だ女だけは、留まっているのである。

 そして、その哀れな魂から離れがたいと、夫と娘も又、苦痛の中にいるのである。


 オマエガ、マナブコトナク、ウチステタ、ジンアイ故ニ


 覚えているか?

 お前は夫を処刑する時、何をした?

 生きたまま、首から下の皮を剥ぎ、泣き叫び慈悲を乞う姿を楽しんだ。

 あまりの苦痛に、全てを差しだす言葉を言わせた。

 それを幼き者に見せたのである。


 その幼き者に、何をしたかを覚えているか?

 身体が大人になるまで監禁し、その意識を刈り取る為に繰り返し痛みを与えた。

 器のみを手に入れる為に、繰り返し繰り返し、痛みを与えた。

 やがて意識が無くなり知を失うと、家畜のように衣服を与えず、清めと称して毎日のように身体を洗う。やせ衰えてはならぬと管を通して食事ともいえぬものを与え続け、そうして一つの魂を破壊し肉体を汚したのである。


 そして、オマエガ、拠り所とする者。

 最初に死んだ理由を覚えているか?


 お前は、何故、このオンナの魂に固執したのか。


 理由は簡単なのである。

 オマエハ、ヒテイしたかったのである。

 己が愚かで、未熟、そして間違いを犯した事実を消し去るコトヲ。


 オマエは、全てが貴重な血統故に許される。

 と、いう根拠無き事柄を免罪符としてきたのである。


 だが、オマエノ、矮小なる魂は知っていたのである。


 このオンナが死んだ理由は、自分が間違っていたからだと。」


「違う!ちがう、違うのだ!」


 ネストルは縫いつけられた口を動かし、必死に怒鳴りかえした。

 それに仮面の怪人は、煩げに斧を頭蓋に振り下ろす。

 頭蓋は石榴のように弾け潰れた。

 そして静かになったネストルを眺めつつ、怪人は続けた。


「己の血を飲ませたのだ。

 子供の馬鹿な思いつきよ。

 自分は特殊な血をもっている。だから、一番好かれたい相手に飲ませれば、相手の寿命も興味も自分とオナジになると考えた。

 当然、特殊な血は毒だった。

 このオンナは死んだ。

 だが、それを認めたくはなかったのである。

 故に、すべてを否定したのである。


 遺体を引き取りに来た夫を残虐に処刑し、殺してしまった女の遺体を修復しようと解体したのも、己が間違いの否定なのである。


 オマエハ、コドクデ、アイサレナイ、カイブツ


 幼い者を手に入れ、拷問したのは、器を手に入れる為ではない。

 愛されている者が羨ましいのだ。」


 ネストルの肉体が再生し、怪人達が手がのびる。


「チガウ、チガウのだぁおぉぉぉ..間違いなどではないぃ愚鈍な輩は、皆、生きるも死ぬもぉ我らの為、神のぉ、神の子である我らの為、家畜を与えたのはカミではないかぁっぁあああああ」


 痛みと苦しみを上回るネストルの叫びに、怪人は笑った。


そも、神とは何ぞや?

 オマエノ、神とは何ぞや?

 我らの事か?

 多大なる犠牲を払い、こうして我らを呼びだした。

 褒美を願う相手として。


 ニンゲンを、同じ命を家畜という。

 喰らい生きるは、自然の摂理。

 ならば摂理として、オマエノ言う家畜をオマエガ喰らうとしよう。

 では、オマエという家畜を喰らう我らの理屈は、オマエノ理屈と何がちがうのであろうか?


 我らは、オマエからすると、その神なのだろう?

 生きるも死ぬも我ら神の為なのだろう?」


「神の望む事をしただけだ!

 身を粉にして、本来の正しい世界を築こうとしたのだ。

 獣は獣とし、亜人は亜人とし、人間は人間としての区別をもって生きるべきだと神は教えてくれた。

 神は、区別すべしと教えてくださったのだ。


 人間から間違った血を排除しなければ、神が望む世界を築く事ができない。

 ちがうのだ、これはチガウぅぉおぉぅ」


「我らの神は、区別などせぬ。

 老若男女、あらゆる種をも区別はせぬ。

 皆、等しく刃の上に並ぶ命。

 おもしろい、おもしろいのである!


 オマエノ、カミ、ドコニイルノデアルカ、アルカ?」


 ボツリ、と怪人はネストルの首を引きちぎると、その眼をのぞき込んだ。

 だらりと垂れた舌がやがて動き出す。

 転げ回る胴体は、黒々とした血をまき散らした。


 そんな地獄絵図の中で、翼の怪人がこちらに来る。

 巻き付いた蛇は、自分の身体から離れず、未だに身動きがとれないほど身体が重い。

 それでも、怪人がオリヴィアに手を伸ばすのを阻んだ。

 怪人の手を叩き除け、牙をむく。

 無理矢理動かした四肢の肉が引きちぎれたが、彼女の身体を抱えこむ。

 白い衣装は血や泥で汚れ、悲しい姿だ。


「イヤダ」


 言葉を押し出す事も、息がきれる程の重圧だ。

 怪人は無言で彼女をじっと見つめる。

 そして双頭の蛇もだ。

 言葉は懇願を含んで勝手に口からこぼれた。


「タノム、クモツ、カエシテ、クレ」


 もどかしい。

 牙をむき出すようにして、言葉を押し出す。


「カエシテ、クレ」


 それに怪人は首を傾げた。

 腕の中の姿が、不意に重みを消す。

 霞のように軽くなり、蝕むように黒い影になっていく。


(いかん、器が境界を越えてしまうぞ!器だけでも留めねば、戻すは更に難しくなる!)


 ナリスの言葉に、咄嗟に片手を振りかぶる。


 手応えはなかった。

 切り裂き、抉り、掴みだす。

 それでも、怪人の臓物を握りしめていた。

 片手で抱きしめた身体は、砂のように崩れていく。

 叫び、目の前の敵を殺そうと本能が荒ぶる。

 すると激昂する自分とは逆に、同化したグリモアが美を示す。

 美を含む命の緻密な様式を示した。

 それに気がつき、動きを止める。


 怪人達は、見ていた。

 己の姿を見ている。

 決して、自分の暴力に対して、反撃をしていない。

 彼らは見ている。

 残酷非道に見える彼らの姿は、緻密で美しい命の言葉で輝いている。

 そして、己が手で傷つけた場所と、己は、その美しい言葉を壊していた。


 蛮行に見えるが、彼らは野蛮ではない。

 狂気の者であるが、彼らは悪ではない。


 崩れ去ろうとする己が手の中の姿は、砂のように消えつつあっても、まるで花びらのような美しい言葉で輝いていた。


 醜いのは、この場では、己だけだ。


 振り上げた手のひらを開き下ろす。

 巻き付いていた蛇は、怪人の肉にまみれた片手に絡み上機嫌だ。

 そうして彼らは沈黙し、苦痛を叫ぶ男の声だけが静寂を打ち消して。

 サラサラと彼女が消える。


 駄目だ、駄目だ、考えろ。

 選ぶんだ、早く、早く!


 魔神の思うとおりにしか動けないのか?

 逃げ道は無いのか?

 何を選んでも間違いに思える。


「オレガ、ハラウ、カノジョノ、カワリ」


 怪人達は無言だ。


「イノチ、オレガ、カワル」


 肉を抉られた怪人は、首を傾げた。

 穴の開いた肉は、ビチビチと盛り上がると塞がった。


「オレ、タリナイ、ナニガ、ヒツヨウ」


 獣化を戻そうとするが、圧力に抵抗する為か戻らない。

 言葉がままならず、ナリスが叫ぶ。


(間に合わぬ、平らげると言うのだ!理に逆らう命を、平らげ地獄に送り込むと言うのだ!)


「オレガ」







 貴方は一人ではない。

 私は、大丈夫






 紫色の小さな花。

 春を受け入れ始めた新緑の丘。

 高く高く青い空は続き。

 自分たちは手を取り合う。

 約束だ。

 約束をした。

 暗闇に向かうのではない。

 明日に向かうのだ。

 たとえ、これが作為であっても。

 彼女の望む理想の世界に相応しい選択をしなければならない。

 美しい、緻密な理の世界。

 安易な暴力で妥協をしてはならない。

 奪うなら、奪うだけの業を担うべきなのだ。


 作為を業腹と思おうが、踊らされるとわかっていようが。


「シレンヲ、マジンノ、ユウギヲ。

 イヤスモノヲ、サガス。

 クモツ、トリモドスカワリ。

 オレ、チカウ。

 シレン、マジン、チカウ。」


 対価に人族の命を差し出すことはしない。

 誰かを殺す理由を、彼女にしない。

 自分が、誰かの命を奪うのは、自分の為だ。


 自分の言葉に、蛇の二つの頭が笑った。

 笑うように舌を突き出すと、翼の怪人へと巻きつき移った。


「その意味を分かっているのであるか?」


 ネストルの首を弄びながら、仮面の怪人が言う。


「イミ..」


「供物とは、齋の秤である。

 秤が与えられるとは慈悲である。

 我らには、今のニンゲン共に慈悲は不要と考える。

 我らが主の元にて癒され、流れに戻されるが一番と思う。

 それでも、お主一人が望んで叶うと思うか?」


 戻されて幸せか?

 それを望むお前の欲深さをどう思うのだ?


 そう突きつけられて、言葉を失う。

 だが、迷ってはならない。


「では、死者の宮の主が試練、その試練に見合う力量があるか、我らも試そうではないか?

 兄弟よ、我らが楽しみを始めようぞ!

 この肉を元にして、主の遊技に相応しいかぁ試すのであぁぁる!」


 蠢くネストルの首を片手で掴むと、皆に見えるように捧げ持つ。


「やめでぐぅれぇぇ、ぐぅぐぅっ」


 切り離された首が、理を失っているのを示すように泣き叫ぶ。

 それが見る間に醜い何かに変化した。

 拷問を繰り返されていた身体は、四つ足の獣のように変化をし、その体表は青銅の鱗を纏っている。

 仮面の怪人が首を投げ捨てると、その四つ足の身体と首が肉を絡めてつながった。

 化け物が本当の姿になったのか、その姿は醜い。

 既にネストルの片鱗さえない。

 牙の突き出た鼻面、黒い棘の背毛。

 青銅色の鱗肌に金色の頭髪は、蛇のように蠢いている。

 四つ足は鋭い爪を持ち、狒々の手足に似ている。

 その化け物の足下には赤黒い陣が回転していた。

 その陣から次々と黒い何かが化け物に吸い込まれ、身体は大きく膨らんでいく。

 醜悪な外見に相応しく、生臭い臭いと腐敗した息には毒が含まれているように見えた。


「今暫く、供物を我らによこすのである。

 なぁに、なぁに、我らはニンゲンのように偽らぬ。

 見事、我らが人形と遊ぶ事ができるなら、主が試練への道に導こう。

 そして浄罪の試練を与えようぞ。さぁさぁ」


 引き留める間もなく、彼女の身体は翼の怪人の手の中にあった。

 存在は留まり、蝕まれている様子もない。


「さぁさぁ、召喚陣の中に入るのであ~る!

 見事、宮へと送り届ければ、オマエの願いをば聞き入れよう!

 主が試練によりニンゲンへの怒りを解く道を示そうぞ!


 聞こえているか、いるか?


 もし、この男が生き残るならば、お前達は主が与えるモノを受け取らねばならぬ。

 この男が死しても、受け取らねばならぬ!

 我ら兄弟は、この者が死す事を望もう。

 なぜならば、


 ニンゲンドモヨ、供物をトリモドスは、慈悲を取り戻すことなぁり!


 供物は、この都のニンゲンの命が為に、失ったのである!

 供物は、この愚かな愚かなお前達の為に、失ったのである!


 ニンゲンを許したは、この世を調律しようとする為である。

 供物が望む、領域の存続の為なのである。


 供物とは、我らが姉妹、主の子!

 主の子を、お前達に与えたは慈悲なのである。

 その慈悲を殺し、貶め、滅ぼしたのはニンゲン自身である。

 故に、我らは慈悲を与える事を良しとせぬのであ~る!


 だが、しかししかし!


 良しとはせぬが、主が為、与えるのである!

 血と命を賭ける試練をニンゲン共へと与えるのである!」


 相変わらずの芝居めいた口上の後、四人の怪人は赤黒い召喚陣へと道を開けた。

 陣は回転し、広場に広がる。

 広がりながら、人々を押し出した。


「存分に戦うがいい。

 召喚陣の中は異領域である!

 何がおころうとも、傷を負い死ぬのは、お前か召喚獣のみである!


 もちろん、核となるネストルが魂は、依り代が滅ぶと我らが主の元へと送られる。

 送られ再び業火に焼かれ、我らが娯楽の種となろう」


 圧力は消えた。

 囂々と風が吹く。

 いつか見た、見るはずのない夢の中で吹いていた風と似ていた。

 自分の周りだけ、亡霊の啜り泣きのような風が吹いている。

 怪人の腕の中で、白い衣装が揺れている。


 約束したのだ。

 いつか、退屈と感じるほどの平穏を与えると。

 年寄りになるまで、時を重ねて生きる事を。


(倒せる訳が無かろう、アレは死者の宮から召喚した獣だ。

 核は、愚か者の肉を使っているが、貴様が傷つければ傷つけるほど、力を増す霊獣なのだ。

 グリモアを支配するには至らない貴様が倒せる代物ではない。

 貴様の大言で、全てが無駄になった。)


 見回し人々の顔を仲間の姿を見、黒い空を見上げてから悪霊を振りかえる。

 苦虫を噛み潰したような、その顔に向けて刀身を抜いた。


「ジョリョク、シロ。アクリョウ」


 抵抗したら、グリモアの力で沈黙させるつもりだった。

 だが、ナリスは嫌々ながらも刀身へと身を沈めた。

 更に、にこやかな少年の悪霊が勝手に、ナリスを突き飛ばすようにして一緒に刃に潜り込む。

 すると刀身は新たに複雑な力の紋様を浮かべ瞬いた。

 余計な悪霊を弾き出そうかと考えているところで、怪人は再び宣言した。


「さぁ新しいお遊びが始まるのであ~る!」


 召喚陣の縁に、音を立てて黒い槍が囲むように下から突き出した。

 闘技場の柵のように、槍は陣を囲み、唸りを上げ涎を垂らす化け物を閉じこめる。


「主に捧げる闘技の始まりなのである!

 褒美は、主の慈悲を取り戻す機会!

 そして、理を犯した罪を減じる機会を得る事である!

 もちろん、罪人は罪人、勝利したとて、死後の我らの招きは免れぬのであ~る!げひゃひゃひゃ!」


 赤黒い陣へと足を踏み出す。

 囂々と吹く風に、悪臭が吹き付けた。

 構わず踏みしめた足下から、赤黒い液体が滲んだ。

 生臭く熱い大気も押しよせて、奈落の王に呑まれたかと錯覚する。


 クルリと手首を回し、雑念を払った。

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