幕間 それまでは、おやすみ
[幕間 それまでは、おやすみ]
本当の意味で、寂しさや悲しみを感じた事はなかった。
喜怒哀楽を自然に表せる人間であるが、どこかで、自分は欠陥品だと思っていた。
何が人と違うのか、何が自分に足りないのか、常に何処かで考えていた。
普通という事に、拘りがあった。
普通の家族、普通の人との繋がり、普通の暮らし。
もちろん、贅沢な悩みである。
衣食住には困らず、存分に教育を与えられ、そして、少なくとも、愛情が足りなかった。等とはいえない。
肉親はいないが、人は、己に優しかったと断言できる。
もちろん、それを上回る憎悪や悪意を向けられもしたが。
ただ、失う悲しみは、今まで持ち得なかった。
己一人。
だから、家族を失う辛さなど、わかろうはずもない。
と、思っていた。
すべてが終わった時、吐いた。
吐いて、情けなくも、気を失った。
人生初の気絶だ。
情けない。
情けないが、それから、ボロ布のようになりながら泣き続けた。
これほど自分が、何かに心を頼っていたとは思ってもみなかった。
いつの間にか、彼女を救いと思っていたのだ。
己の命の汚らわしさを、許し、生き、そして、自分も自由であると思える存在。
生きていた。
許される。
これで、やっと。
産みの母親が消滅しても何の感慨も無い。母もアレも人生を全うしたのだ。彼らの人生を。
だが、彼女は違う。
彼女は幼く、人生を知らない。
人としての人生は、まだ、これからだったのだ。
無念などという言葉では、表せない。
己の中に憤怒と、言い表すこともできない悲嘆が溢れている。
己は、弱い人間ではない。
と、思っていた。
一人でも生きていけるし、人を救うのが己の役割と慢心していた。
だから、救える。
そう思っていた。
代わりに、自分が死ねばすむと、油断して。
だが、これは親の罪ではない。
過去の罪ではない。
己の、弱さと慢心が招いた。
最初から、名乗り出て、忌むべき過去を知らしめるべきであった。
許される事など、臆病な者には与えられないのだ。
「何を泣いているんだろうね、御母様。
ゆっくり泣いていられるなんて、なんて贅沢なんだろう。
御母様と私は、殆ど寝る暇もないのに」
年に顔を合わせるのは、儀式で数回。
お互い不要な接触は避けていた。
嫌うと言うより、会うことで不愉快な記憶ばかりが蘇るからだ。
「泣きたい気持ちもわかるけどね、このままだと、国の機能が崩壊しそうなんだよ、ねぇ御母様。
泣きながら神殿の主軸となる者が隠られると、まぁ言わなくてもわかるだろう?
我らが責められるし、御母様を焼却しようとする者さえ出かねない。
焼却されてもいいんだがね、楽になるのは焼かれるこの身だけだ。
それでも路頭に迷う者が出るようでは、やはりね、御母様も私も情けないし、顔向けができないんだよ。」
引っ張り出しに来たようだ。
暇なのか、他の者が忙しすぎるのか。
王自らお出ましとは、恐れ多いとは欠片も思わないが、酷く億劫だ。
相手にする余裕はない。
自己憐憫に浸るのに忙しいのだ。
(早く)
「裏切り者どもの処分内容を、審問官達が提案してくるんだけどねぇ。どれも一昔前の拷問公開処刑なんだよ。
御母様もちょっと困っているよ。これが皆の望みなら、人心はよほど荒廃しているとね」
それは楽しい提案だ。
腐った魂など、薪を積んで生きたまま焼き殺せばいいのだ。
「まぁ、処刑はするし、取り調べには拷問するけど、民に公開するのはねぇ、御母様。彼女が悲しむと思うんだ。」
確かに。
汚い奴らは、死ねば地獄へ招待されるのだ。
何も彼女の世界を汚す必要はない。
「ところで、神殿長も巫女頭も、心配しているよ。御母様もね、寝て食べて、少しは休みなさい。」
寝て食べる、気力がない。
「何を造っているんだろうね、御母様。棺にしては、少し違うね」
のぞき込んできたので、少し作業の手を止めた。
「コレは何だい、と、御母様は聞いているよ。ジェレマイア」
冷たい床に座って作り続けているのは、棺のようであり、そうではない。
「彼女を沈めるのかい?」
それに軽蔑の視線を返す。
アンネリーゼの棺は、朽ちぬようにするだけの物。
人間の浅ましい欲が望んだ囲いだ。
実際は、あんな囲いに意味は無い。
「美しい彫刻だね。花や蝶、それに山野の生き物。夢の世界だ。
でも、彼女を保存するにしても、これは」
不意にランドールは唇をつり上げた。
青白い頬の鱗がひきつる。
「なるほど、なるほど。ようわかったよ、と、御母様は言っているよ。
それではこの内張りに美しい絹を用意しよう。
彼女に相応しい織りの物をね。
でも、不思議だねぇ。
それじゃぁ何で泣いているんだい?
死者を悼むわけでもなし、なのに泣いている。
その涙は、何の為なんだい?」
暫く誰とも喋らなかった。
だから、喉が引きつり干からびたような舌は動かなかった。
「公王自ら水を汲んで飲ませるなんて、滅多にないね。御母様。たぶん、この後、廊下の掃除も侍女に頼まれるんじゃぁないかね。」
手渡された杯に口をつける。
水は都から消え失せた。
あの娘が自分の命を内燃機にし、水の守護を転用した。
無理矢理、燃料たる都の人々の代わりに使ったからだ。
己の命を、大切な己の、取り分を放棄して。
「今の状態をどうするんだい?」
しげしげと白い円筒状の器を眺めるとランドールは問うた。
それは彼女を守る器。
彼女の器を守る殻。
産まれてまもなく病や命が儚い子供を眠らせる器だ。
公王を産み出す古の技術と同じ。
禁術である。
「あの愚かな者も、同じような物に遺体を並べていたよ。親子は考える事も似てるんだね」
それにジェレマイアは笑った。
唇だけの笑いだ。
「まぁ、私も同じだけれど。でも、これはあの愚か者が作った紛い物じゃぁないね。御母様も断言するけど、これは本物だ」
公王は女の腹に戻されて産まれる。
古から伝わる技術により、加工する器があり、作られた命が母親に戻される。
命の館という古の医術を行う場所で、そう、王の医師たちが技術を守っている。
その命の館の技術、再生加工や、軍が利用する制限加工、隷属時に利用される洗脳技術も同じだ。
その中で公王を、命を造り育てる技術は、一番の禁術だ。
命の館。
古の、人の命に手を加える場所。
愚か者が手を出そうとしたが、公王の権力でも無理だった。
何故なら、命の館から産み出された者は、その力を持ち出せないように造られているからだ。
恐ろしいというより、滑稽だ。
この国の頂点に立つのは、もしかしたら、命の館にいる者という事にもなりかねない。
だが、その命の館の者も、この禁忌の技術に触れる者は、すべて、加工と洗脳が施される。
そして、利用するには神殿の者が承認しなければ、古の機関を動かす事ができない。
この都の地下に置かれた、遺跡と称される場所だ。
この場所に都を置く理由。
それは、公王を作り出せるのが、ここだけなのだ。
混合体を作りだし、いずれ、血をすべて薄めるには、この場所以外にない。
滅びるには長く生き、捨て置く事もできない血を薄めるには、ここに都を置き続けるしかなかった。
モーデンを死の安らぎに導いたのが、神聖教の開祖だ。
モーデンはエイジャに願い、復活しようとする肉体を死へと向かわせた。
それを助け導いたのが、開祖だ。
そして、神聖教の開祖とは、古の文明を知る者。
すでに開祖はエイジャと同じくこの世にはいない。
エイジャとその仲間が手にしていたグリモアが、世界を構築し修復する実践能力を持つとすれば、開祖の手にしていた物は、学術的な部分だ。
古の人としての能力は、世界そのものに干渉するエイジャ達が一番危険に思える。
だが知識も同じく危険だ。
開祖は未開人に高度な文明を与えることを危惧した。
古の知識といっても、偶然手に入れてしまう可能性はある。何しろ、滅びた世界の上に、今も生活しているのだ。
そこで、技術の継承を文明の発達状況にあわせて伝える為に、偽装の宗教体系を作り上げた。
他宗教や呪術の否定は、前文明の失敗を忌避するためだ。
グリモアによる領域破壊という終末を迎えた為、今の段階では呪術文化は危険であるという事から、宗教の統制をした。
故に、神聖教が呪術と基礎を同じくしている矛盾は、当然なのだ。
毒素を抜いた呪術が、今の命の言葉を崇める神聖教だ。
命の、人の命を、呪術として解体し言葉として受け取る。
それはグリモアの力そのものであり、世間が邪教としている呪術となんら代わりがない。
この事実は、神殿の中でも頂点に立つ者しか知らない。
神殿の頂点といっても、数人だ。
中央神殿の神殿長は、各地の神殿長から推薦され投票の末に席に着く。その席に着くと、神に沈黙と命の誓いをする。
誓い、加工を受けて、この命の館の事を知る。
巫女頭も、総代となって永年勤めた者だけに知らされる。
祭司長もだ。
だから、若いジェレマイアが知るには年月がたりない。
だがこうして、どこから運び込んだのか聖なる命の箱を持ち込み、ましてや王家の医者達のように何かを作り出そうとしているのは、ありえない。
あり得ないが、同じ血族としてランドールは不思議と納得できた。
自分達は、愚かで弱い。
だからこそ、往生際が悪い。
「神殿で、命の館の技術を習うのかい?
愚か者が作り出した保存容器ではないね。
私が産まれた時に利用した促成容器に近いね。
これならば、体は弱らないだろう」
顔を拭うと、ジェレマイアは笑った。
涙のあとで濁った目には、怒りがあった。
「癒しの器だ。これならば、誰も奪えない」
「神は」
「神などいない」
断言する甥に、ランドールは面白そうに頬をゆるめた。
「なるほど、私は騎士物語を目にできるのかね。と、御母様は言っているよ」
それに甥は返した。
「騎士物語は読まない。あれは女児の童話と同じく、オメデタイ人間を増産する駄作だ。」
「神殿育ちに馬鹿な事を聞いた。残酷神話が寝物語か?」
「まぁそうだ。妻を迎えに行った吟遊詩人は失敗し、女達に四肢を裂かれる。勇者は長い旅路の末に、死んで故国に帰る。」
「そんな陰気な話は、現実だけで十分だよ。私は、どちらかと言えば、姫や騎士の話がいいね。
最後に首一つになって川に投げ捨てられるのは、いやだね」
「読んでない訳じゃぁないんだな」
その言葉に、ランドールは目を伏せた。
暫く何事かを考えていたようだが、薄暗い室内を見回すと少し笑った。
今日は人形は持ち込んでいない。
そもそも、何処までが本気か公王の態度はわからない。
「で、どうやってこれを持ち込んだのかい?
それにお前のやっている事は、どうみても犯罪だ」
癒しの器の側に座り込むと、ランドールはしげしげと容器を見た。
「誰が罪に問う?」
「まぁ、利用方法がわかれば、誰も罪には問わないだろうね。
もちろん、私も御母様も反対はしないし、罪にも問わないよ。
まぁ、形ばかりの警告はするけどね。で、どうやって持ち出した。」
ジェレマイアは問いに答える代わりに、懐から小さな金属片を取り出した。
「神はいない。だが、古の悪鬼は、語るのさ。誰だと思う?呼びかけて見ろよ。」
ひんやりとした小さな金属片を受け取ると、ランドールはそれを掲げた。
薄暗い部屋の中に差し込む青白い光りに、板は光りを反射した。
すると表面がうぞうぞと波打つ。
波打つ鏡面を見ながら、日頃接する機会の多い古の技術の一つである事がわかる。
「媒質だね、何の情報だい?」
やがて表面に顔が浮かび上がる。
それを見て、公王は目を見開いた。
「これは悪趣味な」
「あぁ、悪趣味だろう?
智者の鏡は、開祖の記憶を封じている。
技術を伝え、宗教を興し、そして最後に長命種である人族が滅びるように願った人物だ。
それにただの媒質ではない。今では、蓄積された霊位で媒質というより悪霊の巣になっている」
公王は指で挟むように持ち替えると、嫌そうに甥に鏡を返した。
「これが?」
「子供の悪戯も役に立つものだ。神殿の奥に安置されている物を売りさばいたついでに見つけた。
何を聞いても答えてくれる親切な鏡だ。己の生まれ、己の罪、何でも答えてくれる。」
「何もわざわざ持ち歩く事もあるまい」
相手の言葉に、ジェレマイアは苦笑した。
「真実は辛いものだ。だが、知らぬ恐怖や不安よりはマシだ。
それにこれは徹底して、我らを嫌っている。その言葉は重要だ」
意味を計りかねて、ランドールは少し首を傾げた。
「我々の呪われた血筋など滅びろと、そのうえ、なぜか他の種族をも嫌っている。
くだらない生き物は滅びろとね。
開祖と言われる男の何と冷酷で公平な事だろう。
ただし、笑えるのだが、この偏屈で奇矯な開祖であるナリスは、公平ではない。偉大な開祖は、依怙贔屓そのものだ。」
公王の表情にジェレマイアは頷いた。
「そうだ。私たちと同じ血筋だ。遠く辿れば、モーデンとも繋がる。否、モーデンが繋がるのか?
この男は、唯一、彼女たちに甘い。
私の姉、貴方の救い、誰かの優しい友人。
彼女たちにだけ、この偏執狂は甘い。
まぁ、甘いからこそ、この世の中の男や他種族が嫌いなんだろう。
この世が幾度滅びようとも、彼女たちだけは残すようにと、願うのだ。
だから、今回もこうして私に与える。
試練に備える知識。
我ら衆生を助ける神などいない。
ただただ、愛しい者を救おうとする利己的な感情があるだけだ。」
「なら、なんでこんな風になるまで、彼女たちを放置した」
「これは死者だ。死者が今生に干渉すれば、彼女たちは生きられない。この世が終わるとわからねば、死者がこの世に手を伸ばす事は無理だ。
だからこそ、憎いのだ。
我々が憎い。
これの言葉は真実を告げる。
我々の聞きたくない言葉を。
彼女が望む事の為に。
そして、我々が彼女のために尽くすのならば、その口からは助言が語られる。嘘は無い。」
「ではこの死者が語るとは、この世の終わりということか」
それにジェレマイアは答えた。
真面目に、そして早口で。
「終わるのは人だけだ。この世は幾度壊れようとも、続く。滅びるのは、我らだけだ。
安堵するといい。
国が滅びようと人が滅びようと、そして土地が腐ろうと、この世界は残る。
荒れ果てた世界でも、そこに適応した何かは生き続けるだろう。
我々が地獄と感じよう
とも、そこを楽園と思える何かは生き続けるだろう。だが、彼女が望んだのは、そんな世界ではない。」
「一人の願いが決める世とは、なんとも」
「違う、そうではない。彼女は基準なんだ。」
「わからない。何が違うんだ?あの魔物達は言っただろう」
「特別だとしても、それは彼女が選ばれたからだ。
彼女が願うから、ではないんだ。
試されているのは、彼女ではない。彼女は、秤だ。」
「秤?」
「さっき言ったじゃないか」
再び、造りかけの装置に向き直るとジェレマイアは目元を擦った。
「さっき?」
考え込んでいたランドールは、窓辺に吊された遮光の布を何となく見つめた。
「試されているのは、夫か」
「魔神、魔物は答えを求めているんだ。
そこまでして、我々は生きるに値する者か?
調和と繁栄を託し、この世界の生命の頂点に置かれるべき存在か。
犠牲に値する生き物か?
腐土にしろ戦争にしろ、人間が元で調和が崩れている。
林檎の虫食い、害虫が人間だ。
魔神にしてみれば、人間がいようがいまいがどうでもいいんだ。
この世界が確かに揺らがずに存在する事が、奴らには重要だからだ。
その他の一切は娯楽だ。
だから、害虫を駆除するか、新しい囲いにいれるか試す事にしたわけだ。」
「その試す秤が、彼女か」
「我々は元々、古の人々により繁栄するすべを与えられた。
彼女たちは、その古の人々を含めた我々人間に対する秤だ。
アレは、その秤である彼女たちを殺した訳だから、あの通り、滅ぶよりも楽しい目にあっている。」
「つまり、種族の相対数が、この世界の安定になるのか?」
「否定はできない。我々の人口と彼女たちの生息領域、そしてその個体数により、この世界が保たれているともいえる。
そう考えれば、とうに人の世が滅んでいてもおかしくない訳だ。」
「アンネリーゼは消滅、生け贄となっていた女達も。そして」
「基準となる一番大切な彼女が失われた」
疲れたようにランドールは頭をたれた。
「今までは、アンネリーゼの遺体があり、アレの仕込んだ生け贄があった。図らずも個体数の保存は成立していた。だが、アレが力を使い、その両方が消滅したんだ。
このオルタスに無事でいる個体がどれほど残っているのか。あの男は地獄で永遠に苦しめばいい」
「言葉通り苦しんでいるだろうよ」
「それだけが慰めだ。」
「それで、それを完成した後はどうする?」
それに身振りで反対に指し示されて、ランドールは息を吐いた。
「都市機能の回復をはかる。御母様も私も、国を維持するしか能がないんだよ。ひとつひとつ問題に手をつけて、どのようにしたならば、神の御心にそうか、考えねばならない。
あぁ、神はいないだろうが、目に見える滅びが退けられたのだ。更に慎重に物事をはからねばならない。で、お前はどうするんだ?
泣き暮らすという訳でもあるまい。
何で泣いているのか、それを見たらわからなくなったよ」
泣く理由?
泣ける事実に泣いている。
普通に家族が酷い目にあった時の反応だ。
そして、自分が酷い間違いを犯したと気がついたからだ。
泣くほど、後悔しているのだ。
無様だ。
「魔神と魔物の問いに答えるだけだ。私とバルドルバ卿とで向かうよ。後は志願者かな」
「国からも出す」
「それは駄目だ。
魔神の問いは、誰とも指定していない。
指定が無いのは、答えるべきだと思った者に向けられているという意味だ。
問いに答える者は、慎重に選ばねばならない。必ず、彼女に縁のある者でなければ、駄目だ。」
「皆、行きたがる。」
「狂信者など不要だ。名目は、そっちで考えて欲しい。たぶん、少人数とはならないから、理由がないと目立ってしまう。」
「名目か」
暫く、室内は物を組み立てる音だけが続いた。
「もし取り戻せたなら。私は誓うよ。」
「約束は無駄だ。戦争をやめるとか、政敵を殺さないとか、そんな約束は無駄だ。それに、もし、等という言葉は間違いだ。」
早口で否定する姿は、年相応に若い。
若いという事に、ランドールは苦笑いを浮かべた。
「そうだね。彼女が戻ったら、私は腐土攻略を始めるよ。
それから、群島への対応も再開するし、西の海賊問題も手を着けねばならない。
道理を知らぬ暴徒の始末。
無理難題を持ち込む小国。
何もかも、この愚かな男へと荷を預けようとする。
攻め滅ぼす選択ばかりを選びたくなるが、まぁ、踊る足さばきは慎重にするしかない。
悔い改めて善を施そうなどと、思っても無理だ。
せめて、命の限り尽くすだけだね。
この都の呪いは一応解けた。
おかげで、私は今まで以上に仕事をしなければならない。
御母様の新しい衣装は当分無理だ。
事後検証も進めなければならないし、国内の貴族の勢力図も変わった。
神殿の内部粛正も同時進行でしなければならないし、そうそう不穏な輩を取り締まる組織を新たに作る事になりそうだ。
唯一の明るい話題は、獣人連合は離反をしないようだ。
このまま、中央軍に属しオルタスの秩序構築に与するそうだ。
ありがたいね。
彼らも、人族がもう滅びつつあるとわかっているのに。」
公王である男の胸に、過ぎ去った時が苦く思い出された。
人は皆、死ぬ。
時は確実に流れ去り、己だけが取り残される。
混合体は長命種よりも短命のはずだった。
獣人でも特に寿命の長い種との混合体として加工された彼は、精霊種には劣るが長命である。
そして甥も、命は長いはずだ。
モーデンと同じく狂う因子は彼らにもある。
だが、ランドールは促成された段階で制限加工を施されている。
王を加工するとは、まったくもって考えられない行為だ。
しかし当時の事を、そして今回の事を考えれば、加工は妥当である。
長命種等と名乗る種族は滅ぶべきだ。
因みに長命な獣種を長命種と呼び区別する事は無い。獣種の寿命は長命種を越える者もいれば、亜人を上回る短命の者もいる。だが、その種類は多様すぎて寿命だけで分ける事はできない。そして、その寿命と成熟に一定の法則は無い。
更に言えば、[オカシク」なるのは人族の長命種だけなのだ。
「混合体と他種族の子供の種族は何になるか?
混合体と亜人は子供は産まれない。
混合体と獣種は、獣種。
混合体と人族は、短命種に近い人族。
混合体と長命種は、短命種に近い人族。
唯一、長命種へと種族を戻す事ができるのは」
ジェレマイアは肩をすくめた。
「ただし、その元となる混合体の比率による。
混合体が獣種よりならば、子が長命種となる確率は低い。」
だが、甥は長命種に限りなく近く、そして逆に毒が濃くなっていた。
モーデンの望む結果とは真逆である。
「混合体の命の言葉を見れば、どの素質が上回るかは一目瞭然だ。あれは九割が長命種だった。
混合体としては失敗に近い。
だから、このような事になった。
私の割合は、六四で獣人の割合が勝っているんだが、ちょっと疑問に思ってね」
「嫌みか?」
「嫌みを言う気力も無いさ。
疑問は、一九の割合で王位を与えた理由だよ。今回の騒ぎで死んだ、否、オカシクなった者の共通点がそれだった。」
「それとは?」
「公王選定の構成員。今回の騒ぎをもって処分したり死んだ者が多かったね。つまり、賛成した貴族だね。」
「御母様は何と?」
いつもの母親語りが無い事を指摘すると、彼は珍しい鱗肌を擦りつつ続けた。
「一人、今回の処刑に加えようと思う者がいるんだよ。」
「誰だか聞いても?」
「命の館の者でね」
嫌な予感に、ジェレマイアは手を休めた。
「彼は私を作り出す時も携わっていたが、その前の失敗作の制作にも関与していた。
ただし、私を作り出すときは、外部からも監視が入ったために、規定道理の混合体を作り出した。
その時の混合体の中では一番、役目に適しているとなって促成された訳だが。
つまり、何も前の失敗作以外にも体力的に劣ろうとも、いくらでもまともな予備はいたんだよ」
「反抗するような意志が残っている事自体、失敗で」
「否、命の館の者に人間味は残っていないよ。偽りが通用するなら、とうに命の館など無くなっている」
不愉快な話に、お互いの考えをさぐり合う。
だが、二人ともある程度の予想はついた。
人間の生活を手放してまで欲した知識。
あらゆる制限をかけても、その知識欲だけは取り除けなかった。
それを取り上げれば、役に立たない。
「モーデンの遺体は発見できなかった。それは確だ」
「その根拠は?
確かに、モーデンの遺体は発見できなかった。
あの愚かな男は、発見できなかったし、共食いする卑しい魂の亡者達も、永遠は手に入れてはいなかった。
しかし、彼らが見つけられなかったとしても、彼ら以外の者が手に入れていた。
そう考える事は、否定できまい?
今の状況は、その答えではないのか?」
そもそも、九割がた長命種の混合体ができあがるという事が珍しい。
混合体はその半数以上が障害を持ち、寿命が短い。
それは混合比率を人為的に操作するからだ。
だから、九割がた長命種という肉体は、混合体ではない。
失敗以前の話だ。
そして混合比率が傾く場合、多くは獣種が優勢になる。
種そのものの生命力の強さに傾くのだ。
それが長命種に傾くというのは、人為的な問題か、つまり人族大公家よりも更に特殊という事になる。
モーデンの亜流であり、長命種の中でも特に近しい血筋。
使徒の家系は、モーデンの意図により血を薄める事に従った。
だが、大公家の血筋は、モーデンの意図も理解し従ったが、どうしても薄める事ができない。
これは通常の他種族との婚姻で、普通の混血の法則が通用しなかったからだ。
だからこその混合体である。
混合体を作り、一番相応しい者を王位に。
残りを大公家に戻し、その混合体の者と一族の婚姻を繰り返す。
同じく混血だとしても、混合体と子供を作ると、その子供は血を薄める事ができるのだ。
そして九割人族の男が王位につき、その子供は外見上長命種その物にしかみえない。
それが母親の血筋故ならば、問題も無い。
しかし、精霊種の母親の血を引いて長命なのか。
それとも、男児である為、父親の因子のみで長命なのか。
命の言葉を見ると、ジェレマイアは長命種そのものなのだ。
輝く命の長命種。
問題は、その長命種の血の元が、何者の長命種の血を持ってきたかである。
愚かな男の肉体は、誰から作られたのか?
記録上の大公家の血筋ならばよい。
だが..
「何れにしても、私は助力をするよ。
お前の目的とは別に、明らかにせねばならない事がある。
神の求める答えこそ、それではないかと思う。
間違いを正し、認めなければ、前には進めない。
私は前に進みたい。
私は、愚かだとしても変わりたい。
この世界の先が見たい。
お前だとて、そうだろう?
お前の言う縁のある者に声をかけようと思うよ。
人を殺す生業の者なら、化け物を始末するのにも使えよう。
そうそう、死者を始末する方法はあるのか?」
発した言葉の不条理に、ランドールは苦笑いだ。
「焼けばいい」
「腐土の死者だよ。焼いても影が残るそうじゃないか。今回、這い回っていた奴らと同じく、何か特別な事をしないと、駄目なのだろう?」
ジェレマイアは両手を膝に置いて、大きく息を吐いた。
涙はやっと乾き、いつもの人を食った笑みが浮かぶ。
「審問官が異端と判断する前に、神の御意志を布教する。
特別に、この私が、教えを説く。
神の御意志に意見をする事も、その御使いに対して某かの手出しは不要とも。
そして神の御意志で与えられた技は、尊く、邪な教えではない。
現に、地獄に迎えられた男を退けたのは、神の与えられた技だ」
「ほぅほぅ」
「特別に職階を作る。
死霊術と呪術に通じ神学を基礎に、命の理を術として扱う者。
神官や巫女の職階とは別に、祓魔師とでも呼ぶか。
死者や悪霊を祓う者、腐土の一番戦力にする」
「最初の、その祓魔師とはお前か?」
「そうなるかな。実践技術として不十分。あの男に押し負けていたのを見たろ?」
公王として退避を促されたが、外郭の展望台まで向かうと広場を見ていた。
望遠鏡から眺めた舞台は、音が聞こえぬからこそ、見ているだけしかできない事が辛かった。
「最高職階は、グリモアの主である継承者。普遍の理を知る者として、何者もその存在に干渉してはならない。」
「そうなると、あの地獄へ招かれた男は」
「グリモアを手にした者は、招かれる。継承者以外は、地獄行きという良い見本だ。
第二位の職階は、精霊種族。
存在が、祓魔を行う。
故に神の使いたる精霊種は、不可侵であると定める。その意志をオルタスの者は阻害してはならない。」
「罪を犯したら?」
「この世界には地獄がある」
「まぁ、彼らが罪人ならば、この世界の人族は塵か」
「そして、本来の祓魔師としては、第三位職階からが実践人員だ。
グリモアが古代の秘術、精霊種は種族特性、三位職階は神聖術とでもすれば、聞こえは良いだろう」
「呪術にかわりないのに、表側だけ綺麗にするわけか」
「死霊呪術こそが神聖術の肝だと言われて、誰が学ぶか。三つのグリモアの影響で、オルタスの理が変化した今ならば、呪術という物が理解でき、実践できる者がいるはず。
現に、広場で神官の唱えた言葉は通用した。
だが、それが死者を冒涜する死霊術であるとわかれば、人は何を信じればよいのかわからなくなる。
死者が蘇り害をなす。それに対抗する者も、死者を使役する忌むべき輩というのでは、人は安らぎを失う。」
「嘘は良くないと御母様は言っているよ」
「もちろん本心じゃないよな、公王陛下?」
「ふふっ..まぁ言わなきゃいいよね」
「加工を施す。軍部の制約加工と同じく、沈黙と服従をしなければ、資格を与えない。」
「志願者がいるかね」
「腐土攻略の場合に限り、狙撃追加報酬と同じ要領で取り決める。
小遣いが出るとわかればやる気もあがる筈だ。
討伐証明をどうするか、技術屋に頼んでいる。
そして祓魔師の職階は、高位神官と同等とする。
神殿にて、死後は聖人扱いだ。
出身地を税収で優遇すれば、たいがいの領主も親も喜んで子供を差し出すだろう」
「第二の審問官組織か?それはこちらで作ると言ったろう」
「否、祓魔師は個人営業許可証。それも死者と化け物を相手にする専門職で、生きた人間に対する影響力は無い。無いように加工する。」
「専売証明のような物か?」
「あぁ、だからこそ制限を術そのものにも与えなければならない。グリモアの主のような理を変化させる万能さは無い。
まぁ、そんな力を使ったら普通は乾物になっちまうだろう。」
「そんな制限が可能なのか?」
「呪術を学び、その中から死霊への干渉だけができる技術を選び出す。
選定後、その狭い範囲の中で完結できるように整理し、本来の大きな干渉力を削ぐ。
と、まぁ限定情報で効果がでるように調整中だ。
三段階ほどに分けて、学びやすい所だけを今のところ実験的に教えているが」
「で、北へ行くのか?」
いつもの調子で流れる言葉を遮る。
その問いに、ジェレマイアは口を閉じた。
「違うのか?」
ランドールの疑問に、彼はゆっくりと器の彫刻を撫でた。
「魔神の問いかけに真実は少ない。
始まりの場所へと向かうならば、と、北に向かえば迷い死ぬ。
昔話を思い出せば、それが嘘だとすぐわかるだろう。
正しい始まりの場所に我々は向かう。
だから、早くこれを完成させて出発する」
「北じゃないのか」
「まぁ、北の方向に間違いはない。だが、少し違う。
早く作り上げてしまいたんだ。だから、出て行ってくれ。
あぁ、出立理由の手配はよろしく」
「一つ聞きたいのだが、お前は加工を受けるのか?」
それにジェレマイアは、嫌そうに唇を引き下げた。
「戻ってきたらな。それまでは、どんな力も削ぐ気は無い」
部屋から誰もいなくなると、再び、心がふさいだ。
考えれば考えるほど、先行きは暗い。
希望と絶望が交互に胸を揺さぶる。
指標となる物が無いと、人は恐ればかりが募る。
たった一人で先を行く。
だとしても、救いはあると思いたい。
救いたいし、救われたい。
ランドールの言う騎士物語とは、幸せな結末だけが書かれた女子供の読み物だ。
そしてジェレマイアが恐れる神話は、残酷で救いがない。
どちらも極端であるし、己等二人は良く似ているとも思う。
「失ったものは取り返せない。
得られるのは、新たな機会だけだ。
それだって滅多にある訳じゃない。
だから今度こそ正直に言おう。
泣くくらいなら、正直に言おうな」
彫刻の表面を撫でながら誓う。
「それまでは、おやすみ」
おやすみ、小さな姉さん。




