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冬の狼  作者: CANDY
降臨の章
258/355

ACT227 降臨 上

 ACT227


 何処にでも、いそうな男。

 群衆に紛れたならば、直ぐに見失うような男。


 印象は薄く、記憶にも残らない。

 人族の若い男。


 髪の色、瞳の色、思い出そうとすると曖昧だ。

 表情はいつも穏やかな笑み。

 醜くもなく目を引くような顔立ちでもない。





 そんな男の左手には、蠢く赤黒い肉の塊が握られている。

 ジャバジャバと流れ落ちる赤黒い水。

 身も凍るような断末魔の声。

 跳ね痙攣する人。

 遊びのように人間を壊すと、セイルと名乗っていた男が言った。



「ここは蟻地獄の巣。


 お前達は、餌だ。


 餌となる事を誉れに思うがいい。


 何れ成虫となり、神の器となる人の


 糧になるのだ」



 それにバフォーが怒鳴り返した。


「何を言ってやがる、気が狂ったか!

 それ以上、こっちに来るんじゃねぇ。


 兵隊は何処だ!

 おい、この人殺しを娘達に近寄らせないでくれ」


 舞台の上にいた者は、彼から逸早く逃れようとした。

 だが、見えない力で押さえつけられたかのように、体が床に張り付いて動けない。


 息をするのも苦しい。


 囂々と唸る風が耳を過ぎ、それでいて男の世迷い言だけはしっかりと耳に届く。

 囂々と、風は吹いているのに、水の底にいるかのような静寂をも感じた。


 舞台には、娘達、典礼方の官吏、教師達、その他に見物客や娘の家族などもいた。


 セイルの周りには逃げ場を失い、観客席から逃れてきた者が多く伏している。

 その一人を無造作に殺害したのだ。


 そして、その凶行は終わらない。


 たった一人、舞台に立つ男は、伏した人々を穏やかな表情で見回す。

 そうして目に付いた人を、片端から引き裂いていく。


 引き裂く。


 彼の手には何もない。

 だが、その手が触れると人の肉が弾け、体内に手がのめり込む。

 そうして臓器を引きずり出すと握り潰した。

 皆、驚きのまま呆気なく崩れた。


 床に崩れ、セイルの足下の陣に飲み込まれた。

 黒い陣は、肉を吸い飲み込む。




 私は目を凝らし、陣を、セイルを見つめた。




 見えない。




 これまで目にした呪いは、確と見えていた。

 だが、今、目の前にある呪の構成がわからない。

 それが呪陣であるという事はわかるのに、構造が読みとれない。

 そしてセイルという男の命も、形も、見えなかった。

 今まで、セイルという男の姿をとっていた者には、おかしな物など欠片もなかった。

 だからこそ、今まで注意を払わなかった。



 だが、この目の前のモノは何なのだ?



 ヒトなのか、ヒトならざるモノなのか。

 この世に属するモノか、異界のモノか。

 それとも、理を無くした亡者なのか。


 わからない。


 それは喪失しているのではない。

 容器の中身が見えない

 容器が何かがわからない。


 力が及ばない。



 私は、グリモアとアンネリーゼの力を得、理の構造を理解できるようになった。

 理を読み解く書物と、描く筆を得たと思っていた。


 それは異なる世界の常識や秩序をも、容易に類推できた。

 愚かな万能感とでも言えばいいのか。


 だが、目の前の何を見ても、この場にいる娘達と同じだけの物しか目にする事ができない。


 理解できない。


 万能感を失い、私は狼狽した。

 理解できないとは、無力であると同じ。


 私は、グリモアから回答を得ようと、懸命に探す。



 その間にも、陣は黒い渦のように動き出した。

 そして、黒い渦は血を飲み込み、死んだ者を溶かしていく。


 皆、男が動き、向かってくる方向から逃れようと床を這う。

 そして声が出せる者達は、広場に散る兵士達に向かい助けを求めた。


 気がついた兵士達が走り寄る。



 あぁ、これは。



 徐々に黒い呪陣が舞台から溢れ、下へと流れていく。

 黒い水が滴るように、駆け寄る兵士の足下にも広がる。


 すると、彼らも舞台上にいる人々と同じく、地面に膝をついた。



 あぁ、これは正しく蟻地獄の巣。

 獲物を萎えさせ身動きをさせぬ物だ。



 渦は広がり続けている。

 舞台の上だけと局限せずに、その陣は広がり続けていた。


 では、その力の元は何か?


 一人二人と命を奪うだけでは、足りないだろう。

 同じ事をするには、どのくらいの熱が必要か?


 男と広がる陣を見やり、私は考えようとする。


 固まっている娘達、バフォー達に、その力が迫っていた。


 相手を考察するだけの余地はなかった。



 ならば、私ができる事は何だ?



 グリモアに素早くアンネリーゼの絵筆を走らせる。



 呪には、呪を。



(私は、この舞台上の命を、私の呪の物とする。

 この糧は、私の、呪の物。


 これは、私の、物。)



 強引に、彼らの命を私の物とする陣を敷く。



 防御を未知の物に対して構築する余地は無い。

 ならば、この世の理の中で、他者の干渉を一切寄せ付けないようにするには、これしかできない。


 呪は、簡単な物にする。


 何も、この男のように命を奪う呪いなど必要ない。


 彼らはその呪いの糧として、長生きしてもらう。

 毎年、毎年、健やかであるように。

 彼らが生きて健やかであるよう、災難を避ける呪いだ。

 その糧は、彼ら自身であり、彼らの願いが代償だ。

 毎年、良い年であるようにと祈るだけ。

 気休め程度の呪いだ。


 だが、私の陣に取り込まれ、生け贄として成立すればよいのだ。


 男が描く陣の、生け贄としての役割を奪えれば良い。



 ただし、私が生きている間たもたれるという制限。

 尚且つ、舞台上という、私には限局された範囲にしか力が出せない事だ。


 焚き火をするには、燃やす枯れ草や落ち葉が必要だ。

 男が何を燃料にしているのかわからない。

 だが、私には、人々全てを救う力が無い。


 では、神に祈る?


 神とは、理という自然の法則と共にある物。


 命が循環する熱に変わるという理を守るのが神だ。


 だが、神に祈らずにはいられない気持ちもある。


 私が敷いた陣が、黒々とした陣をせきとめた。

 確かに、巣は舞台上の者に対しては、飲み込む事はできない。


 それに男は気がついた。

 そして、よくよく周りを見回してから、首を傾げた。


 見つかる。


 そう、確信していた。

 陣は、私を中心にして広がる。

 どう考えても、私を殺しに来ると考えていた。


 ところが、男は、私を目に捕らえている筈なのに、視点が私へと定まらない。


 まるで、私の行いが見えないかのようだ。



 と、その時、膝を着いた兵士達の後ろから、白い姿が多数現れた。


 神殿兵だ。


 王を逃した神殿兵ではない。


 いつも見かける武装した神殿兵士の姿ではない。

 普段の兵士達が金属鎧に鈍器を装備しているのに対し、彼らは胸当てこそつけていたが、長い儀式帽と杖を手にしていた。


 彼らは広場に散ると、高々と杖を掲げて祈りを始めた。


 古い言葉、力ある言葉の祈りである。


 普段、人々に聞かせる言葉や祈りではない。


 呪術で言う魅了する言葉を含んだ、古語である。


 彼らは、目を閉じ、一心に言葉を続けた。




 一の理に、頭を垂れよ。


 と、彼らは古語で祈る。

 簡単な古語を繰り返す。


 頭を垂れよ、敬意を払え、神の理に膝をつけ。という具合だ。


 意訳は、命の理に準拠せよ、だろうか。


 生死こそ、この世の中で一番の不偏であるからだ。


 死に様や生前の理不尽を考えれば、不偏であるとは思えない。

 だが、生き、死ぬという事だけは、誰の身にもおこる。

 故に、この事こそが、人に知恵を与え、賢くしたのだ。

 公平なのだ。


 故に只人ならば、恐れる理由がない。

 普通の祈りだ。


 だが、彼らの言葉に、黒々とした陣は広がりを止め、忌々しそうに波打った。




 男の関心は、祈りを唱える神殿兵へと向いた。


 もしやと思う。


 私の力も、彼ら神殿兵が為したと思ったのだろうか?


 そうであるなら、もし、そうであるなら男は見えていない?


 だが、術を使うには見えなければならない。

 構造はわからずとも、私が見て取れるように、この男も見えていなければならない。


 己が描くモノが見えなければ、できない。


「アイツ、アレも化け物なのかい?」


 エウロラの問いに、私は答えられない。


 相変わらず、あの男からは、何も読みとれなかった。


 舞台上の人々は、這いながらも私の陣へと集まってきた。


 男は舞台の端まで歩くと、神殿兵達を見回す。

 その注意がそれている間に、逃げなければならない。

 だが、黒い呪陣から逃れても、相変わらず体は床へと押しつけられていた。


「どうにかならねぇのかい?」


 バフォー達大人も、息をあらげながら、娘達を引っ張り寄せては、私の周りに押し出す。


 そう、どうにかしなければ。


 私が力尽きれば、次にこの場の者が喰われてしまう。


「兵隊も、神官様もいるんだ。なんとか、なるんだろう?」


 悲鳴のような声があがる。


 自然と、私達は人殺しの背を、そして広場の兵士と神殿兵を見た。


 神殿兵の祈りを背に、膝をついていた兵士が立ち上がる。

 黒々とした陣の模様が、神殿兵の歩みで退く。


 と、声が聞こえた。



(者共下がれぇぃ!)


 祈りが一瞬途絶える。


(伏せぇぇぃい!)


 鋭い号令に、元より床にいた私達は頭部を抱えると身を伏せた。


 渦巻く風よりも、鋭く大気を割る音がした。


(放て!)


 バリバリと何かが折れる音が続く。


(放て!)


 水音、そして


(放て!)


 そして、高温の青白い炎が天に昇った。


 顔を上げる。


 男の姿は変わらず、舞台縁にて広場を見下ろしていた。



 とても静かだ。



 降る雨のように殺到したのだろう、男の足下を円が描くように折れた矢が散乱している。


 そして油薬も撃ち込まれたのか、高温の青白い炎が天に向けて刃物のように吹き上がっている。


 男の目前で。


 男には、何一つ届いていない。

 仮面のような表情のまま、男はじっと命を見つめた。


 喰らう命を。


 渦を巻くように黒い陣が広がる。


 神殿兵が杖を掲げる。


 祈り、祈り、押し寄せる黒い陣。


 私は男の背を見る。


 男は何を見ている?


 喰らう命の他に、何を見ている?


 何から、この圧倒的な力を吸い上げている。



 見えない。



 見えない理由は何だ?



 一人、二人と、神殿兵が陣に飲まれる。

 引きずり込まれようとする神殿兵士を、中央軍の兵士が大勢で掴んで引っ張る。


 あぁ呑まれてしまう。


 いけない。


 あぁ、駄目だ。


 どうして見えない?








(力が、たりないからだよ)








 男の背後で、少年は言った。


 赤い瞳の少年は、人差し指を振りながら言う。




(力だよ。よく考えて


 ここで、この男が勝ったらどうなる?


 よく考えて。


 滅びを防いでも、誰一人、生き残れなかったら?


 君のお母さんが防いでる終わり。

 アレを保つために、今日はがんばってる。

 でもさ、結局、この有様だ。

 じゃぁ、もっと別の方法で選ばせるしかないよね。


 天の裂け目は、まぁ、生き残った奴らの人生で何とかしてもらえればいいんだよ。


 結局、善きおこないをしなければ、保てないんだろう?

 今、この場で起きている事は、もう、魔除けなんかじゃぁ誤魔化しきれない。

 神の理である天秤は、とっくに壊れそうな程傾いている。



 なら、とれる手段は限られている。



 今日を、今を終わらせない事が大切、だろ?


 今、ここで、この男が勝ったら、明日はあるのかな?


 皆の明日。


 君の描く、希望はあるのかな?


 ねぇ、よく考えて。


 結局、滅ぶのは仕方がないかもしれないけれど。


 今日、この男によって喰い潰されるなんて





 腹がたたないかい?


 ねぇ、オリヴィア。

 悲劇のお姫様。


 どうせなら、この男も一緒に連れていこうよ。


 ねぇ、だからさ)




 ディーダーの幻影と男の背中。


 混濁した二つの魂。


 グリモアの記憶。




 私は力が欲しい。





 グリモアを手に、私は無理矢理立ち上がる。


「姫、伏せて。危ないよ」


 リアンを押しとどめると、私はグリモアに描く。


 そうして形代に手首の鈴を引きちぎる。

 あの紫の鈴の意味は、フェリンがディーダーにこうして与えたのだろう。

 強く生きるのだと。


 私は鈴に描き込む。


 そうして四方に投げた。


 陣を囲むように鈴を転がし、呪いを固定する。

 鈴は勝手に鳴り続け、床に転がる人々を約束するように音で包んだ。


 これでよい。

 あの男を道連れにするのだ、死ぬ時は同じ。

 ならば、私の呪いが壊れても、彼らは無事だ。





 私はゆっくりと舞台の中央。

 私の陣と男の黒い陣がせめぎ合う場所へと立った。


 広場では神殿兵の祈りと、引きずり込ませようとする陣が争いあっていた。


 そして舞台上から人々を逃がそうと、兵隊の隊列が観客席から回り込もうとしていた。

 亡者もほぼ燃え尽きている。

 このままならば、助かる。


 そう思えた。



 すると男は両手を、手のひらを上に向けると差し出した。

 まるで、降雨を確かめるかのような動作だ。



 ぞわり



 視界が揺れ、領域が軋む。

 新たな陣が浮かぶのが見えた。


 黒々とした贄を求める陣の上に、赤黒い紋様が浮かび上がる。


 赤い。

 赤い色は駄目だ。


 男の背後には、相変わらず少年が見えた。


 彼は内緒話をするように、口元に手を当てる。




 僕の時は、どうしたっけ?




 男の赤い陣の中から、異様な姿があふれ出す。

 醜く奇矯で、悪夢の中に住む輩。

 大きく、小さく、歪み、そして滑稽な、物語の中に住む住人。

 化け物達が引き出される。



 けれど、男は、私を振り返らない。




 答えは、当然過ぎた。


 私自身が、既に、生け贄だからだ。



 私は半分しかこの世に存在していない。

 だから、私が見えない。


 私という、人の娘にしか見えない。


 私にも、男がわからないように。


 男にも、私が、何であるかわからない。


 そして、不自然な存在に気がついていない。


 でも、次に何かをすれば、この人殺しは振り返る。


 その背後で、幻の少年は楽しそうにしていた。




 ねぇ、僕の時は?




 引き出された化け物は奇声をあげると兵士に突進した。


 神殿兵を背後に庇うと、重武装の兵士が前に出る。

 槍を持った者が多い。

 盾と槍で、怪異を刺し貫き蹴散らす。

 背後からは、弓兵が再び火矢を放つ。

 整然とした攻撃に、化け物の死骸がつみあがる。


 男は、片手を伏せるようにした。

 もう一つ陣が新たに加わる。


 すると、先ほどの化け物よりも大きく、人間に似た姿のモノがあふれ出す。


 それには怒号と共に、油薬と樽火薬が投げつけられた。


 広場が揺れる。


 黒煙と共に立ち上る炎。


 まき散らされた肉片。


 だが、男は相変わらず無傷だ。




 男の手の中に二つの輝きが見えた。

 輝きは、深い緑と黄色に茶色が混じる柔らかな色をしていた。

 それだけは、はっきりと見えた。



 グリモアだ。



 男は、二つのグリモアを手にしている。

 二つのグリモアを制御し、力をふるっているのだ。



 そして、召喚陣から化け物をあふれ出させるが、相変わらず神殿兵の祈りが続いているのを確かめると、男は二つの光を動かした。





 グリモアの動き、それを目にしてやっと力の流れが見える。

 力はあらゆる方向から、男のグリモアへと集まっていた。

 滝のような魔除けの流れとは違う。

 だが、都の全方向から万の糸が集まる様にグリモアへと力が注がれている。


 では、その流れの元は何処だ?



 目で追う前に、広場に声があがる。

 押し寄せる兵隊達。

 中央軍兵士の隊列が、どんどんと公園へと押し寄せてくるのが見えた。


 王が城へと入ったのだろう。



 取り残されている人々は、それでもまだ百を下回る事は無い。

 このままでは、この男と兵士の戦いに皆、巻き込まれてしまう。



 私にできること。


 私がやらなければならないこと。


 そして



 私は床に膝をつく。

 力の流れに手を入れた。


 その私の姿を見て、少年は笑うと消えた。


 力の流れに手を入れるのと、男が振り返るのは同時だった。


 セイルと呼ばれた男の眼は、赤く染まっていた。




 あぁ、とやっと理解する。


 グリモアが見せたディーダーという少年は、この男とも混じりあっていたのだ。


 嘗て、この男は一つのグリモアを少年に与えた。

 グリモアにより、ディーダーはこの男からの完全なる支配を受けていたのだ。


 グリモアによる眷属を作ったのではない。

 死した少年をグリモアにより支配した。

 グリモアの主に少年を据えた上で、それを支配した。

 不可能を可能にしたのは、男はその時、三つのグリモアを手にしていたからだ。

 その一つを与えても問題はなかった。

 力が上回っており、少年は死者だ。

 グリモアを他に二つ手にしている男は、上位の死霊術師としての力もあるだろう。



 ディーダー・ボルネフェルトは、死霊術師であり、支配される死霊だったのだ。


 だから、不死の王にはならない。

 支配により、ディーダーは不完全な不死の身に落ちていたからだ。



 死んだ事にも気がつかない死霊の兵士と同じだったのだ。



 鈴は、ディーダーを救い抵抗の意志を残した。

 人との繋がりを残す事ができたのは、鈴のおかげなのだ。


 鈴は、幸せという素晴らしい景色を記憶に刻む物だった。

 家族や愛や、生きる希望、生活、命、すべてを意味していた。

 謂わば普通の人々の暮らしを感じさせる残り香であった。


 だから、彼は非道非情と言われながらも、鈴を持ち、救いを探したのだ。


 非道非情の部分は、この男の支配に寄るもの。

 同じく非情に徹し、彼は道連れと生け贄を携えて、己を滅ぼしに向かったのだ。


 たぶん、何かの大義名分をこの男に見せて、穴に向かったのだ。


 そして、死んでも逃れられない身ならばと、主に囚われる道を選んだのだ。


 理に罪人として回帰できたのだ。




「おかしい、エイジャの力と同じ匂いがする。


 アレと一緒に壊れたと思っていたが、どこかにあるのか?


 また、動き出したのか?


 このような時でなければ、回収に向かうのだが。


 まぁ、このままでも十分であろう。


 あぁ、無駄な時間をつかってしまった。

 早く、せねばな」




 それでも、赤い瞳は私を素通りする。

 そうして男は力を新たに引き出した。



 二つのグリモアが中空に浮かぶ。


 本来ならば美しい様式を描く物だが、それは奇妙に胸騒ぎを覚える光を出しながら混ざった。


 子供がこねる泥のように、それは混ざり合い変形する。


 奇妙な事に、それでも集まる力は美しい銀糸のようにグリモアに注がれ続けた。


 広間では、化け物が次々とわきだし、兵士との戦闘が続く。


 私は魔除けの力の流れに手を浸し、それに混じり合うように意識を広げた。


 天に青い光りが見えた。

 雷雲の恐ろしい光りが雲を走る。


 それは徐々に大きな稲光となり、不穏な音を響かせた。


 兵士達は男に攻撃を加えようとするが、化け物に阻まれて近寄れない。そして弓矢も火も男には傷一つつける事ができない。

 そして逃そうとする人々を阻むように、徐々にあの黒々とした陣が力を取り戻し広がり始めていた。


 私は力の流れに意識を溶かし、男が何を術の糧にしているのかを見定めようとした。


 今のところ、舞台上の人々は私の術により一応無事である。


 さぁ、何処から力を得ているのだ?


 倦怠感が広がり、体が冷たくなる。

 それでも魔除けは素晴らしい働きを見せ、この都をなんとか守ろうとしている。


 景色が徐々に変化する。

 様々な場所を風のように行き過ぎる。


 逃げる人、屋内に入る人、兵士、馬、いろいろな人々の姿が見える。


 すると、無音の瞬間が不意に訪れた。



 光り、轟音



 落雷だ。


 意識を広げ、現実に膝をつき床に手を置く私の器にも地響きが感じられた。


 だが、一度ではない。


 落雷は容赦なく都中に落ちた。


 一つ二つではない。


 恐ろしいほどの閃光が地面に突きたち、その度に体が揺れる。



 そして、その落雷が落ちる度に、男のグリモアへ注がれる力が増えていた。


 何故だ?


 私は更に力を流れに乗せた。

 魔除けの祈りにのり、都を巡る。



 そして落雷が続く中、化け物たちの背後に奈落が開いた。


 化け物を産み出す陣の下、地面に黒い穴が開いた。



 オォゥ オゥオォォゥ



 吹き出す風は瘴気を含んでいるのか、浴びた兵士が倒れる。

 それを見て、兵士たちは徐々に後退した。


 落雷は続き、地鳴りと揺れの合間に、奈落から奇妙な音が響いてくる。

 金属の擦れるような音だ。

 錆びた金属の擦れる音。


 それが徐々に大きくなり、何かが穴の奥からやってくる。


 兵士達は攻城戦用の武器や、大がかりな火器を運び込む。


 それとともに兵士がどんどん入れ替わる。

 重武装の大きな体の者、獣人兵士が並び始めていた。

 それぞれに、鈍く光る鎧と大盾を構えている。

 勇ましい姿の多くが、既に先祖の姿に変わっていた。



 その先頭に、いた。



 先祖の姿に変わっていた。

 だが、その風貌が変化しても、わかった。


 皆、武器を構えた。


 化け者共が兵士に襲いかかる。


 それに彼らは吠え、組み付くと蹴散らした。


 雄叫びが、都に響く。



「邪魔ですね、まったく。


 アレらは、糧にならないのに、邪魔ばかりする。」



 男は呟くと奈落の底から、異形を引き出した。



 青銅の巨人。



 異臭と瘴気をまき散らしながら、多数の手を生やした巨人が姿を現す。

 滑稽なほどの大きさと、兵士の小ささに、私は意識のどこかで絶望する。



 圧倒的な大きさへの恐れ、そして、この世界にこのような異形を呼ぶ行いへの絶望。


 理を正す事が不可能な所へと、人を進ませている。



 このままでは、いけない。



「さて、塵はあれにまかせて。


 儀式の続きをしようか。


 時と場所がやっと揃ったのだからね。


 必要な糧は、手には入った。


 あとはどれほど余分に費やせるか、かな」



 男が皆を振り向く。

 そして、私の作り出した陣を見て、やれやれと頭を振った。


「こんな子供だましで、逃れられるとでも?


 まぁ、ここにいる事が貴方達の役目。


 既に、準備は終わりつつある。


 材料が一度に手に入ってよかった。


 余分な者も、まぁ、遠慮なく使ってやろう」



「何言ってんだよ、クソが!

 こっちに来るんじゃねぇ」


 近寄る男に、エウロラが牙をむいた。

 体変化を徐々に始めている。


 その様を一瞥すると、男は鼻で笑った。


「獣人は必要ないのだが。

 お前達は、何の役にもたたない。

 そう、亜人も、獣人も、熱量が違いすぎて意味がない。


 無駄、無意味、お前達は、必要がない。


 元々、この世界にお前達が生まれたのが間違いだ。


 この世界は、人、だけのもの。


 なのに、異物を混じらせたおかげで、本来の人と呼べる者がいなくなってしまった。


 この私にさえ、わざわざ、異物を混じらせて造った。


 おかげで、元は完全な体が、損なわれた。


 この世界には、お前達は必要がない、害虫なのだ。


 だが、まぁ、お前達のような下等生物に言葉を尽くすのも、馬鹿らしい。

 害虫は今日この日をもって滅びるのだからね。」



「アンタ、頭の中が腐ってるんだな」


 エウロラは、身を寄せ合っている者達と共に、じっと男を見返した。

 狂ってしまった者に、何を言っても無駄だと、彼らは思ったのだ。



「私は嘘を言っていない。ほら、皆、死んでいく」



 土煙が天に舞い上がる。


 青銅の巨人が体を引き抜くと、穴は閉じた。

 耳障りな音を立てて、異形が身を起こす。

 ゆっくりとした動きだが、その手足が動けば、周りの建物も木々も押し潰された。

 人との対比で六、七パッス。

 だが、体を前屈みにして数本の手を地につけているので、実際は十三前後はありそうだ。


 生き物というよりも青銅の像が動いているように見えた。

 人の姿に似ている事こそが奇異だった。


 巨人は不器用に体を動かし、その口や耳から煙を吐く。

 そして手当たり次第に、その複数の手で物を掴んでは壊した。


 兵士がなぎ倒され、武器が砕かれる。


 夢の中の景色のように、吹き飛ばされる人の残像がゆっくりと視界をよぎった。




(カーン)



 無意識に呼びかけていた。


 彼の姿が見えた。

 大振りの剣を背後から引き抜く。

 仲間達は得物を構えて敵を囲む。


 号令がかかる。


 攻城戦用の武器から、長い銛のような物が飛び出す。

 幾本もの銛が飛び出し、それが巨人へと向かう。

 が、金属の銛は弾き飛ばされた。


 それでも銛は続けて飛来する。


 そして幾つかの銛には鎖が取り付けられており、巨人の腕へと絡みついた。

 鎖は巻き上げ機に繋がっており、巨大な歯車が回り出す。

 銛の先は引き延ばされると傘を開き、傘の爪が青銅の表皮に食い込んだ。


 巨人は吠え暴れた。


 それでも巻き上げ機は、持ち堪えた。


 醜い鳴き声と金属の軋み、そして眼が痛くなるような瘴気。


 それに答えるように、獣人兵士は吠える。


 火薬と油、そして火が雨のように降り注ぐ。


 空気を震わすような爆発が続く。


 そしてその黒煙の中へと、次々に城壁を崩す為の銛が撃ち込まれる。


 猛攻に巨人が膝をつく。

 それに兵士が集る。


 手に手に武器を持ち、一斉に巨体に集まる。


 振り払われても、振り払われても、兵士は次々と押し寄せて、巨人の体に得物を振り下ろす。


 負傷した者はすぐさま下げられ、それでも後から後から、兵士が集まる。


 都中の、否、近辺の兵力を呼び集めているのだろう。


 やがて、一本の腕が切り落とされた。

 やはり、この世の物では無いのか、人形の腕が落ちるようにとれると、中から毒液が吐き出された。


 毒液は木々を溶かし、地面を爛れさせた。

 火を使うとわかっていたので、放水車がそれを水で押し流す。


「おや、まだ、無駄なことをするか」


 大振りの剣が巨人の顎を貫くのを見て、男は面倒そうに言った。


「仕方がないですね」


 男は、振り向くと告げた。



「餌は手元にある。


 私の施した呪いは、長い月日をようして、やっと完成した。


 肥やしにもならぬ邪魔者は、始末しよう。

 救い主は忙しいようだから、お前達を先に料理しようか」


「来るんじゃねぇ」


「それぞれ一番元気の良い臓器を使いましょう。

 容貌は一番、美しい部分を。

 そうだ、声が一番難しいですね。

 どの声がいいか、血肉を使う前に確かめねば。」



 鈴が鳴る。



「無駄な抵抗を、こんな気休めの呪いなど」



 魔除けは、一年毎に新しく力を響かせる。

 だが、今まで集めた力が無くなる訳ではない。


 グリモアを二つ操る者よりも、私は知っている。


 私は、グリモアと母の力、そして、死者の宮の教えを知っている。



 グリモアは、道具に過ぎない。

 使う者が、いかに遊び方を知っているかによって、差がでるのだ。




 故に簡単な呪術であっても、盗人の手は届かない。

 簡単だからこそ、隙のない呪術となるのだ。

 力を得て満足してしまう者は、それを知らない。

 証拠に、神殿兵の祈りに、この男は負けている。

 押さえ込まれるというだけで、負けなのだ。

 それに気がつかないのなら、火力の高い武器を手にした無知な子供である。

 無知な子供は危険である。

 だが、それだけで強さが決まる筈もない。


 男は微笑みながら、鈴の音が包む人々に手を伸ばした。


 伸ばしたまま、男は歩みを止めた。


 足下をじっと見つめ、男は不思議そうに見回す。








 そして、ようやく、私を見た。





 赤い眼は、私をじっと見つめ、そして、穏やかな表情を消した。


 私は動かなかった。


 動かず、膝をつき探し続ける。



「忌々しい、忌々しい、魔女め!まだ、生き残っていたのか!」



 男は初めて感情を露わにした。



「殺せば殺すほど、私から奪いとっていく。


 殺したというのに、私のすべてを奪うのだ。


 血肉を器にしようとすれば、それを上回る呪いを吐きかける。


 お前達は神に近しいというが、神ではない。


 お前達は悪鬼の使いだ。


 殺しても殺しても、蛆のように湧く。


 お前達が進んで身を譲り渡せば、良かったのだ。

 強欲なお前達は、器を譲る事を拒否した。

 そのうえ、命や定めを賢しらに説く。

 何を知るというのか、恵まれた者は、傲慢に過ぎる。


 その傲慢を、恐怖と悲痛に変えてやらねば、それが正義と

 いうものだ。


 お前達の言う、ご立派な世界はどうだ?

 お前達が言う献身の行いを助けてやったぞ。

 全て陣の一部にしてな。


 だが、まだいたのか。


 どこまでもしぶとく、欲深い。

 獣人や亜人が害虫なら、お前達は、害虫の親だ。


 害虫の親が混じる不確定要素を排さねば、ならない。


 魔女の血でこの場所が汚染されてはたまらないからな。


 儀式が終わってからならば、お前の血肉で新しい実験もできるだろう。


 忌々しい魔女め。


 他に仲間はいるのか?」



 男の手が私に迫る。



 エウロラとリアン、皆が何かを言っている。


 私は、黒い血がこびりつく手が迫るのを、ただ見ていた。






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