表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の狼  作者: CANDY
降臨の章
252/355

ACT221 巣箱の蜜蜂 其の三

 ACT221


 奇をてらう術ではない。

 ただし、より呪いを確かにする為に誓約を課した。


 恩恵を受ける側にも約束をさせる。



 人族と獣族の混血を王とする。



 公王家は特別な人獣混合体だ。


 そうした特別な子供が産まれる結果となった。

 たが、それが偶然なのか狙った意図があったか、私にはわからない。

 想像できる範囲で考えれば、当時、その血統に一番権力があったのだろう。

 そう推論する。

 だから、その二つの種族に権利と義務を与えた。


 支配者としての権利と、恩恵に対する義務だ。



 では、その血統が滅びた場合、この都の守護は破られるのか?



 基礎構造図から浮かび上がるのは、そんな細かな約束ではない。


 仲良くやってくれという、誠に単純な願いだ。

 その単純な願いの為に、緻密な都市構造を作ったのだ。


 では、約束を破る事とは何だ?


 この都の支配者が変われば、この守護は終わるのか?


 公王家が滅びれば、都も人も同じく滅びるのか?


 答えは、否だ。



 この呪術では、そこまで束縛していない。

 言葉を変えれば、そこまでの守護ではないのだ。


 平穏無事に繁栄を、良き暮らしを約束する。


 仲良くやってくれれば、主を変えても良いのだ。

 守護が必要ないのなら、単純に、この都市構造を爆破でもして破壊すればいいのだ。


 滅びも、人が離散するだけなら入り込まない。

 人がむやみに死なねば良いのだ。


 単純で簡単な話だ。



 だが..



 今現在、この都には、公王という存在が必要だ。



 必ず、必要で、生かしておかなければならない。

 そして、人は慎重に行動しなければならない。


 そうでなければ、滅びる。


 そんな危ういものに変わっている。

 アンネリーゼが塞いでいるのは、そんな均衡の崩れた呪いの姿だ。

 何かが少しでも変化すれば、彼女の体は崩れ去り、人々は消滅するだろう。



 許容範囲がわからないのだ。



 エイジャの用意したまもりを、石のさかづきだとする。


 今の器は、硝子だ。


 それも、罅の入った硝子の杯だ。


 どれほどの量の水ならば耐えられるのか?



 だから、ランドール王は動けない。

 腐土の停戦は、彼にとっては良い口実だったろう。

 今の王の代では、どの行いが禁忌にあたるか、はかる事ができない。


 そして破滅は、この永遠みやこだけに留まるという保証もない。

 そして公王の血筋だけが対価を払うわけではない。



 命は等しく刈り取られるだろう。



 魂の循環へと還るのではない。

 この領域を保つための材料として消費される。



 消滅するのだ。




 名無しが、その変質に関わったとしても、その下地となる呪術があるはずだ。

 ここまで推論した呪術は、とてもそのような害をもたらす物ではない。

 ならば、さらにこのエイジャの永遠の呪いには、別の側面がある。そう考えるべきだろう。


 水の守護が永遠の一部であっても、全てではない。






 考え込む私を、ターク公は椅子に促した。

 椅子に腰掛け、床に広げられた二枚の基礎構造図を眺める。



 城、神殿、人々の暮らす場所、門、それ自体は呪術の配置とは微妙に関係が無い。

 地下の水の流れが重要なのだ。

 地上の用水も、非常に芸術的な模様を描き、それでいて都市としての利便性も持たせている。


 重要な物は表には無い。

 では、ここで今、滅びを押し込めているのは何か?


 材料となったアンネリーゼとエイジャの呪術。

 そして?



 公王?


 公王とは人獣混合体の生け贄である。


 何の為の生け贄だ?


 永遠みやこを守る為。


 なぜ?


 この都で永遠を求めるのは何故だ?


 繁栄の為?



 今、この都には公王親族と人獣大公家がいる。

 ただし、人族大公とモーデン系譜の使徒の家系が本拠地としているが、結局獣人大公家の本拠地は南部である。

 大公家本流の獣人達は、公王家の血統維持と宥和の為に居をここに置いているが、獣人の支配地は南部なのだ。



 つまり、永遠は人族が求めた物だ。

 そして人族の求める永遠とは..






 モーデンだ。



 王にはならなかった偉大なる祖。

 死んで隠された永遠に近しい存在。

 死んではならない、存在。

 死して、その肉を利用されてはならないから。



 宥和の印としての公王。

 それが生かされる意味は何だ?




 それもまた、モーデンだ。



 公王とは、モーデンに不死性を与える存在か。

 仮に、モーデンを模倣する者とすると?




 エイジャは、滅びを押さえようとした。

 では、滅びを呼び込む行いとは何だ?


 人の業だ。


 善であれ悪であれ、人が生きる時に産まれる様々な事柄がこの世界の均衡を揺るがす。

 理の秤が、一方に傾く行為が滅びを呼ぶ。


 それを防ぐには、公王という存在が必要だった。

 ならば必要な理由とは、何だ?


 モーデンが生きていると思わせなければならない。

 それが滅びを防ぐ意味?

 では、業深き何があるというのだ?



 モーデンの死が秘される理由。


 ターク公が言う不死を願う病に冒された人族達か?


 公王がいて祭りがある限り、それは押さえられる?






 昔話の魑魅魍魎でもあるまいに、そのような偽りで騙される訳もない。


(否、騙されるのか?)



 それではまるで、本当に知能のない化け物のようではないか?



 昔々のお話では、化け物を退治し地に埋めたのは、偉大なるモーデンだ。

 モーデンがいる限り、祭りがある限り、化け物は恐れて出てこない。

 光りあふれる地上には、現れない。

 人を喰いには、あらわれない?



(馬鹿な)



 具体的な驚異がある?

 だとすれば、この永遠の都の欠陥部分を補うために、エイジャが施した呪術が更にあると考えられる。



(欠陥?)



 この都には、欠陥があるのだ。

 当初の緩やかな呪術の祝福では補えない、忌まわしい力が圧力をかけている。

 だから、エイジャは次々と呪術を修正していったのではないか?

 この基礎構造図の頃は、そのような負の圧力がかかっていない。

 だから、美しく、優しい物だけが、読みとれる。


 しかし、ここに何か、見落としていた物。

 エイジャ達の予想もしていなかった何かが、この永遠の都を蝕んだ。

 そこで、エイジャは、更に何かの呪術を加えた。

 たぶん、その時の王も同意したのだろう。




 自分を生け贄にして、どうか、永遠の存続をと願ったのではないか?




 王が己を差し出す程の、願い。


 例えばモーデンが死に、その肉体を巡る争いが醜く熾烈であったなら?


 内乱の歴史は無い。

 記述上は無いが、不死を求める輩はいた。


 それが滅びを呼び込むほどの、醜悪で愚かな事だったなら?


 モーデンの慰霊祭は、その業を沈める為の物だろうか?

 そして春の祭りは公王というモーデンの依り代を見せる為か?



 では、名無しは、何をしたのだ?









 基本的にターク公は、酒類に強い。

 ニルダヌスは獣人の体質上、人族の飲む酒類は水と同じである。

 二人は、考え込む私の前で、酒盛りをしていた。

 基礎構造図を飲食で汚損する訳にもいかないので、窓辺近くに陣取ると、二人は相当な早さで飲み続ける。

 平然と酒瓶を空にしていくのを見ていると、そこはお茶でも良いのではないかと思う。

 根が貧しいので、ついそのような事を考える。


 推論を重ねていくうちに、私は疲れ果てていた。




 想像するのが難しい。


 邪悪な事、他者への憎悪などという感情。

 実に疲れる思考だと思う。

 憎悪など特に持続させる感情は、私には理解しがたい。

 だが、それを理解しなければ、ならないとも思う。

 この人の暮らす場所には、感情があふれているのだから。


 たぶん、エイジャの望む事とは真逆の事象があった。

 だから、永遠が揺らいだのだ。


 それには、人間同士の激しい何かがあった。

 私が一番苦手とする、濃密な感情と反応の世界だ。


 憎悪、嫉妬、嫌悪、あとは何だろうか?

 どろどろとした暗く重い何かで、傷つけあう。

 怒り、対立、そして流血。

 人と人とのつながりがあればあるほど、そうした辛い感情も大きくなる。

 愛や信頼、友や繋がりのある人への親愛。

 それらの感情と一緒に、強くて激しい物も増える。


 そこに冷酷で残忍な者が混じると、破滅だ。


 想像力の欠如した、冷血な人物。

 他者への共感が著しく低い者。

 孤絶し寒々しい精神の持ち主。


 生まれや環境とは別に、そんな人格の者が扇動した場合、極端な行動が集団でおきる。


 王という立場の名無しが、そんな人物だったなら、国が、永遠が揺らぐというのもわかる。


 だがそれで名無しを理解する糸口になるか?というとそうではない。


 もし、名無しが抱えた物が苦痛や苦悩であったなら、私の貧しい想像力でも、推論をたてる事ができるだろう。


 だが、業との繋がりを持たぬ考えで事を起こしていたのだとしたら、私には歯がたたない。


 狂気を理解できる。というのも嫌だが。




 考えがどんどん散漫になる。

 私は地図から顔を上げた。



 次に考えるべき事は、何だろうか?



 エイジャの基礎となる術は、理解できたと思う。

 では、彼が欠陥を見つけたとして、何を補おうとしたのかを探さねばならない。


 補った手段は、公王への誓約の強化。

 慰霊祭と春の祭りを必ず行うこと。

 やはり、祭りだ。


 そして、もう一つ。

 欠陥だ。


 何かが永遠を阻害した。


 では、それは何だ?



 永遠を阻害するとは?



 水の流れを阻む事。

 人心の乱れ。

 モーデンへの冒涜。


 目を向けるべき事はなんだ?

 グリモアとディーターは、私をここまで運んだ。

 沈黙する、私の中の者達。

 なぜだ?












 何故なら、語る必要は無いのだ。

 もう、目の前にあるのだ。

 見えていないのは、私だけなのだ。

 きっと..



「何か、わかったのですね?」


 立ち上がる私に、ターク公が言った。


(ありがとうございました。構造図は、大変役に立ちました。)


「もう、これは必要ありませんか?」


(はい)


 地図を丸め、容器に戻す。

 それをニルダヌスに渡すと、彼は部屋から出ていった。

 暫くすると、ニルダヌスが戻ってきた。


「引き取って頂きました。」


「王家の馬車で待機していたんですよ。明日まで時間をもらっていたんですが、一晩中待っているつもりだったんでしょうねぇ。いやはや、大変ですねぇ..それで、私にも少しお話していただけますか?」


 私は頷くと、二人を部屋の外へと促した。


 母屋は既に明かりが落とされていた。

 だが、廊下から見える制作部屋からは、明かりが漏れている。

 フェリンは起きているようだ。

 リアンとドゥル、それにアンテは寝ている頃だろう。


 シュナイがいる筈の、寄宿棟の一室を訪う。


 扉を叩くと、すぐに中からシュナイが顔を出した。

 休んでいた訳ではなさそうだ。


(この家で、一番古い部分は何処ですか?)


 ニルダヌスを通して問いかける。


「貯蔵庫だろうか?」


(この建物を建て替えたとしても、残さねばならぬ部分で、目に見える場所はありますか?)


「あぁ、建築法で残す基礎石の事ですね。こちらへ」


 角灯を手にすると、シュナイは部屋から出てきた。


 シュナイの部屋から、ターク公の部屋へ向かう通路を戻る。

 そしてターク公の部屋へと通路を曲がらず、そのまま先へと進む。

 左手は北西側の庭、洗濯場へと続く扉がある。

 そこの鍵を開けると、洗濯場へと進んだ。

 洗濯場といっても、井戸と洗い場があるだけだ。

 夜の闇に、林檎の木が枝を広げて朧に浮かぶ。


「この洗い場の敷石は、基礎石として残す部分です。他は建物が上にあるので、壊さなければ見えないでしょう。」


 灯りに照らされた石は、闇に白く浮かんだ。


 揺れる灯りをたよりに、私は洗い場に敷き詰められた石を見る。

 長い年月に表面は削れ、何も見て取る事はできない。



 だが、見えないのは、私が蟻だからだ。



 虫一匹が、巨大な物を見上げても理解はできない。

 では、その巨大な物のもっとも細かな破片なら、見る事ができるだろうか。

 最初から、大きな物を見ようとせずに、ほんの欠片を見ようとすれば、良いのだ。



 私は敷石の一つ一つを見比べる。

 すると、古び、苔むした石が目に付いた。


 目に付いた石を目印にし、視点を少し広げる。

 すると、この洗い場の石の全体をもって、一つの意味が見えた。


 それも言葉の一つとしては、欠片に過ぎないが。



 だが、意味が分かれば、見方がわかれば、後は早い。


 私は石に手を置いた。


 すると石は囁きを返した。


 繰り返し、繰り返し、囁き返した。


 それはトゥーラアモンの洞窟墓で聞いた魅了する言葉と同じだった。


 あれを一杯の水杯とするなら、この囁きは海だ。

 蟻には、目の前の水を見る事ができたとしても、それが海だとはわからない。


 あまりにも大きな物であり、日々、水音と共に流れる為に、私は聞き取れなかったのだ。



「これは何です?」



 私は石から顔を上げた。

 どうやら、彼らにも、この囁きが聞こえたようだ。



 囁きは、こう語っていた。






 ここよ、ここよ、ここよ...






 石は、己がここにいると囁いている。


(鬼ごっこですね)


「子供の遊びの、ですか?」


 ターク公は薄暗い庭を見回した。

 ニルダヌスは別段、驚いた様子は無い。

 彼には囁く石など驚く程の事ではない。

 食いつき殺しにくる化け物に比べたら、驚くような事ではないのだ。

 しかし、シュナイは違った。

 武門の家系であるが、怪異には動きを止める。

 私はシュナイに手を差し出した。

 意味も分からず手をとった彼に、私は直接語りかけた。

 他二人には、そのまま聞こえるだろう。



(これは魔除けです。

 この永遠の都は、エイジャという古の人により、実に丹念に作られています。

 想像を超える執拗さ、というのでしょうか。

 街の人々が暮らす何気ない場所にも、こうして魔除けを仕込んだのです。


 たぶん、ここに都を作り、ある程度の繁栄を見てから失敗に気がついたのでしょう。


 ここから、都を移す事ができない程の、時間がたってしまった。

 だからこうして、エイジャは魔除けを作り、一つ一つを街に埋めていったのでしょう。

 気が遠くなるような話です。


 魔除けは、常に、呼んでいます。

 子供の遊びでいう鬼を呼んでいるのです。


 鬼は街中にある魔除けから呼びかけられるので、隠れている子供がわかりません。目眩ましですね。


 だから、この魔除けの込められた、都の敷石や、基礎の構造は動かしてはならない。


 それは水路を使った守護と浄化にも言えます。


 では逆に、これほどの守護や浄化、そして魔除けが必要な事が、この都にあるのでしょうか?)



 うすうす感づいていただろうが、改めて直接の念話にシュナイはたじろいでいた。

 だが、それでも彼は答えた。



「武装勢力等の驚異に対しては、我が国は万全の体制をもっています。国内外の犯罪も、管理可能な水準でしょう。」


(少なくとも、呪いや魔除けが必要な事柄など無いという事ですね)


「迷信に頼るほどの、人心の乱れはありません」


(迷信ですか?)


 シュナイは困惑し、私を見下ろしている。

 代わりにターク公が口をひらいた。


「私達の世代までは、迷信ではありませんでした。ですが、彼らの世代、つまり例の男が死んで以降、特に宗教統一以前の文化の否定が顕著になりました。

 神殿の意向でもあり、その文化の否定は、古の人に対する理解も、貴女の種族の事に対しても、忘却と無理解の流れに沈みました。


 つまり、臭い物には蓋ですね。


 元々、宗教統一そのものが、呪術や民族文化の否定ですから、迷信であるという教育と認識は当然のように広がったのです。


 尊い貴女の一族を滅亡させた後。

 そうして我々は、のうのうとこの世の主であるという顔をして生きてきた訳です。」


 ターク公はそういいながら、囁き続ける石に手を置いた。


「魔除けですか」


(この都全体が、一つの大きな魔除けになっています。

 水が呪陣のように巡り、囁きが祈りとなり循環している。

 繊細で偉大な芸術品です。


 問題は、何を魔除けで封じているかです?


 この永遠の都には、どんな鬼がいるのでしょう?)



「魔除けを壊したから、あのような事に?」


(魔除けが壊れ、災いが起こり、あのような事になった。

 これが私の推論です。


 第四の領域が広がろうとしたのは、副次的な事だった。


 魔除けが壊れたのも、目的への到達手段であった。


 魔除けが押さえていた物が活動する事に付随する何かを、名無しは求めた。


 だから、その目的が、我々にはわからず理解できない。


 これが今のところの私の結論です。


 これから、私は魔除けの修復をし、できうる限りあの..母の負担を減らそうと思います。)


「母上様とお認めになられたのですね」


 私は自然と笑っていた。


 中々に複雑な感情がある。

 アンネリーゼの力を一部受け取り、私の中には、彼女と夫の記憶が混じった。


 不遇で不幸ともいえる最後であった。

 だが、二人には楽しい時間もあった。

 そして家族としての時間もあった。


 例えば、我が儘を言って、都の巨大な門の造形を変えるぐらいの、ちょっとした遊びもしていた。

 二人が、それでも少しは幸せであった。

 そう感じられたから、私も受け入れられた。


 彼らは私の親だ。


 生かされた私が、親の苦悩と苦痛を減らそうとするのは間違いではない。

 私が、そうしたいのだ。


(負担を減らし、時をかけて亀裂その物を小さくできればよいかと。

 手始めに、都の魔除けの仕組みと祭りの因果関係を調べなければ)


 ターク公は頭をたれた。


 驚き、私はシュナイから手を離すと公爵の体を起こそうとした。



「姫、どうか無理をなさらずに。

 もしも都の人々、いいえ人族が滅びるとすれば、それは己の愚かさ故の事にございます。

 だれも、貴女を責めはしないでしょう。


 辛く苦しい、耐えられぬ。


 と、思われた時は必ず、このじいに。

 もし人族が滅びるべきというのなら、貴女一人ならバルドルバ卿が、逃し守護するでしょう。

 ニコルも言うはずです。

 親が子に何を望むのか、望むべきはただ一つ、生きる事だと。」


 私は起こそうと差し伸べた手を、彼の肩に置いた。

 置いた手で軽く叩く。



(まだ、私に何ができるかもわからないのです。

 頭をさげては駄目です。

 私は貴方の言うとおり、ただの子供に過ぎない。

 期待をさせて、申し訳ない。)



「いいえ、それでも望む我らの醜さをお許しください。

 ..どうしました、シュナイ殿?」



 シュナイは凝然としていた。

 囁きは一度聞いてしまえば、聞き流す事はできない。

 含み笑うような微かな声は、水音と混じり耳へと届く。


 美しい藤色の瞳は、私を、公爵を見て、再び、何もうつさない虚ろな色をまとった。



「どうしました?

 今更何を驚くのです。

 命儚く。

 人など塵芥。

 人族の栄華など砂上の楼閣。


 滅びが現実であると語らう我らは、狂人だとでも思いましたか?


 まぁ、貴方の顔を見ればわかりますよ。

 ゲオルグは貴方に言っていたはずです。

 終末を、滅びを、そして、何のために家族を捨てるのかをね。


 でも、貴方は信じられなかった。

 まぁ私だとて実の父親が、ある日突然、己が人族の終末を語り出したら、正気を疑うでしょう。


 手ひどく裏切られた。

 己と家族は捨てられたとね。


 だから、貴方は、こう考えていたのでは?



 人間など、どうせくだらない。

 誰を信じられようか?

 己でさえ、信じられぬのに、とね。


 父親の行動全てが、貴方を裏切る変節に思えた。


 子供だった貴方は、心が引き裂かれる思いだったでしょう。


 そして、貴方は激変する環境にありながら、人の本質をこうとらえた。


 停滞した生き物であると。


 男も女も、醜い生き物に過ぎない。


 主命に殉じた父親は愚かしく。

 夫だけをより所に生きる母親は醜い。


 権威や地位に固執する輩は俗物で、それに媚びへつらう者は愚か者。

 知識を探求する者は、人としては欠落し現実を見ていない。

 誰を見てもどんな偉人を知っても、貴方の心は嘲笑しか浮かばない。


 皆、屑に思える。

 傲慢だからではない。

 貴方は、失望したのだ。」



 困惑するシュナイに、ターク公は笑った。



「良いことを教えましょう。

 貴方の父が忠義をつくした方の子が、オリヴィア姫様です。


 ランドール殿からお言葉があったでしょう?


 彼女を守りなさいと。


 姫をお守りするのは、貴方でなくてもよいのです。

 硝子の箱に詰めて、城の奥深くに隠したいと思っている姫をお守りする。

 なら街中で怠惰に過ごす貴方に任せる必要は無い。

 それにいくら貴方が強くとも、貴方以上の兵士はいます。


 ですが、ランドール殿はゲオルグの子である貴方へと役割を与えた。



 何故なら偏屈で傍若無人、あのゲオルグが命を賭けたお方の子です。


 ゲオルグが生きていたならば、何と貴方に言うでしょうね?


 貴方はわかっているはずです。」



 何を言うのかと驚く私を余所に、公爵は笑顔で続けた。



「人生を腐らせる生き方も否定はしない。

 ですが、ゲオルグを羨ましいと欠片も思いませんか?


 それとも貴方が嫌悪する俗物と同じく、八つ当たりの安っぽい憎悪を向けますか?」



 藤色の瞳は、何も見ていない。


 ただ、夜の闇の中で囁きは流れ、それは耳へと届いているだろう。

 公爵の言うところの、これが彼の常識を揺らがせているのだ。


 私は、少しの罪悪感を覚えたが、それ以上の何かを彼に思う事は無い。

 ただし、シュナイにしてみれば、家族と人生を狂わせた元凶の子だ。

 憎まれて当然なのだろうが、侘びしい。

 彼の復讐心に答える者が私では、不憫だ。



「貴方を苦しめているのは、何でしょうか?

 高すぎる理想と現実を埋めるには、妥協だけだと思っていませんか?

 若い身空で、何を理解したつもりですか?


 この私の言葉でさえも、貴方には只の雑音でしかないでしょう。

 何しろ、両手で耳をふさいでいるのは、貴方自身ですからね。

 でも、貴方も知ってしまいました。


 貴方が厭う、矛盾だらけで理解できない事。


 貴方は、貴方が思うほど、荒んだ暮らしとは縁がなかった。

 貴方が思うほど、不幸ではなかった。

 だから、この世界は普遍で退屈だと思っていた。」


 ターク公は、知己の残した子供に向けて、諭すように続けた。



「若いうちは、己の課した理想に苦しむものです。

 ですが、貴方もそろそろ大人になってもよいでしょう。

 何も悟りきった枯れた老人になれというのではありません。


 貴方が恐れる願いに向き合うのです。


 貴方の理想を叶えるには、一つ叶わない願いを受け入れる事です。

 そして理想を叶える機会は、一度だけです。

 何を犠牲にするのか、望みを叶えた時に知るでしょう。

 貴方の父親は、一つ犠牲にしました。

 この意味が、いずれ、貴方にもわかるでしょう。

 注意深く、疑いながら、見極めるといいでしょう。」



 謎かけのような言葉に、シュナイは目を見開いたまま動かない。



「さて余計なお節介は終わりました。

 何、シュナイ殿は姫を恨むなどありえませんからご安心を。

 そのような小さな男なら、このじいやが仕置きをしましょう」


(爺やというのは、ターク様には少し違和感が)


「いえ、父が存命ならば姫のお世話をする爺やは、父でしたよ。

 ならば、その息子の私が次の爺やで問題はありません。

 さて、夜も遅いですから、中に戻りましょう。

 しかし、都中の魔除けを探すのは難儀ではありませんか?それこそ星の数ほどあるでしょうに」


 私はターク公に手を引かれ、屋内へと戻った。

 立ち尽くすシュナイを、ニルダヌスが促す。



 シュナイは、何も言わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ