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冬の狼  作者: CANDY
降臨の章
251/355

ACT220 巣箱の蜜蜂 其の二

 ACT220


 上級貴族の娘達の練習は、迎賓館で行われている。

 屋内の舞踏会場を利用する事で、娘達の親族の不安を和らげる目的だろう。


 贅沢な事である。


 移民や下層の民は、青空の下だ。

 それでも練習する娘達にしてみれば、屋外で友人と楽しく過ごすのも贅沢である。

 特に、日々労働に従事している娘達にしてみれば、奉公先から許しを得ての参加である。日頃自由が利かない立場の彼女たちには、楽しくうれしい事だ。


 これで何事もなければ、誠良い事なのだが。


 現実は、厳めしい姿の兵士が広場で見守り、国から派遣された医師達が暗い顔で天幕に待機している。

 根本原因が何も解決していないのに、公王が参加する昼の祭りがあるのだ。

 不始末があってはならない。

 との、緊張が彼らにはある。


 調べているのだろうが、娘達が倒れた原因は分かっていない。

 そして兵士の注意は、娘達が倒れた原因よりも、審判所の襲撃へと興味が移っていた。

 この練習の警備も、娘達が倒れた事によるものではなく、戒厳令によるものだ。





「今までのが、最初に覚えさせる体の動きだ。

 立つ、歩く、頭と手足を動かす。これだけの事だ。

 だが、お前等は、それができない。」


 バフォーの前には、娘達が膝を抱えて座っている。

 彼の前に座っている娘達は、まったくもって踊るにいたらなかった。


 彼女たち以外の班は、それぞれの教師役が全体の流れを教え始めていた。

 バフォーの娘達は、それ以前の体を動かすという段階で躓いていた。


「今回は、いろんな事があって、本番まで間が無い。

 だから、厳しい事を言うぞ。

 お前達は、まったく音の神さんにお会いした事がなさそうだ。

 音の神さんというのは、音楽や舞踏の神様の事だ。

 劇場の歌い手や踊り手、楽士の神様だ。

 時には役者にも崇められる、芸術の神さんだ。

 まぁ国の宗教とは関係がぁ無いが、この音の神さんは芸で食ってる人間が崇めている。

 それでだ。

 音の神さんにお会いしている子供は、生まれつき歌や舞踏に秀でている。

 舞台芸術で食ってる一流の奴らは、この音の神さんが特に気に入っているって事だ」


「つまり、アタシ等は駄目だって事だね」


 エウロラが口を挟んだ。

 それにバフォーは無表情のまま答えた。


「踊りに関しちゃ駄目だろうが、音の神さんにお会いしていない人間なんてのは珍しくもない。そうでなけりゃぁ、芸で食ってる奴なんて必要ないからな。


 それでだ。早いうちに自惚れをこそぎ落としてやるのが大人のつとめだ。

 まさかわかっていると思うが、お前達には才能は皆無だ。

 俺が保証する。」


「保証すんなや、爺さん」


「お前の爺さんじゃねぇ。

 問題は、才能とは別の部分だ。

 まっすぐ立ってろと指示された時間を、我慢できない性根の方だ。」


「言われたとおりやってる」


 エウロラの返しに、バフォーは肩をすくめた。


「立ってはいるが、頭の中身は遊びに行ってる。

 生意気なお前もそうだが、今、黙って殊勝に口を閉じてるふりをしてるお前等も、どこか真剣じゃぁねぇ。否、リアンはよくできてる。下手くそな芋踊りだが、真面目に集中してはいる」


 誉められたのか微妙な言葉に、リアンは首を捻っている。


「じゃぁ練習時間の短くなった今回は駄目って事なのか。駄目なら駄目ってはっきり言いなよ爺さん」


「お前の爺さんじゃぁねぇ、先生だ。

 まぁ聞け。

 音の神さんにお会いして無くとも、お前等は健康で五体満足だ。

 音の神さんの教え方で踊らせなければ、その体は十分動くと言うことだ。

 ただし、真剣に努力しねぇと、芋踊りが只の間抜けにしか見えない」


「間抜けじゃねぇし真面目にやってんだろ、耄碌したのか爺さん」


「クソ餓鬼が黙れや。芸として踊らせなきゃ、手っ取り早く芋掘りでも、見られる動きにしてやると言ってんだ。

 だから、真面目にやれ。」


「真面目にやってるだろ」


「嘘付けや、俺を騙くらかせると思うようじゃぁ、踊りもそうだが間抜けだな」


 首を傾げる娘達を立ち上がらせると、バフォーは練習を再会した。





「お嬢ちゃんは、覚えなくていい。せっかく音の神さんに気に入られているんだ。」


 再開した練習が一区切りついたところで、エウロラ達は地面にのびていた。

 リアンは兄から水をもらっている。


「踊りらしくなったら一緒に動いていいぞ。それまでは、見て..否、他の班の踊りを眺めていた方が無難だな」


 私は練習の輪から、はずされている。


 リアン達がやった練習は、ひたすらバフォーの指示通りの動きをする事だった。

 それは今までの練習と同じである。

 指示通りに動く。

 ただし、踊りの動きではない。

 一番近いのは兵隊の行進だろうか?


 歩く、走る、手を挙げる、首を動かす。


 それを皆と同じ動きで行う。

 踊るのではなく、普通の動作を繰り返す。

 それも隣り合った者どうし合わせた動きだ。

 バフォーが言う言葉を瞬時に再現する。


 右足を上げる、下ろす。

 左足を上げる、下ろす。

 だんだんと指示が早くなり、同時に行う動作が増える。


 右足と左手をあげる。

 右手だけあげる。

 両手を下げる。など、そこに今度は角度や動きの指示が増える。


 バフォーの手拍子に併せて出される指示は、休み無く続いた。


 次に歩くという動作を、声を出して行わせる。


 右左と足の動きにあわせてかけ声を出して走る。

 次に、それを数にして走らせる。

 右足が一、左足が二。

 それが終わると、今度は手の上げ下げに声を出させる。

 右手が三、左手が四。

 手足の角度によって数字を割り振る。


 バフォーが数字を言うと、その数字の対象となる動きをする。


 いつの間にか、バフォーの手には拍子木が握られ、動きと共に鳴らされる。

 それが延々と続けられたのだ。



「アタシ達は、兵隊じゃぁないんだけどね。早く踊りを教えてくれよ。まさか、これが踊りなのか?」


 疲れ切って息を切らす娘達の中でも、比較的元気なエウロラが文句を言った。


「体の各部位を正しく動かす運動だな。踊りじゃぁ無い。

 これを踊りといったら、俺は泣くね。

 まぁ、体の動きに音が無いんだ、訓練して反射で動かすしかねぇだろ」


 そう返しながら、バフォーは私の隣に座った。


「この芋娘どもは、まるっきり頭の中に音が無い。

 犬の足音でさえ、音の調子があるってのに。」


「音の調子ってなんだよ」


「生きてるこの世のすべてに耳を傾けてみろ。

 水音も風も、そして馬車のたてる物音でさえ、音は調べを含んでいるんだ。

 お前達の歩く音は、どれも単に歩いているだけだ。

 よく訓練された兵隊の歩みにも音調があるってのに。」


「爺さん、しょうがないだろうが。アタシ達にしたら、そこのお嬢さんみたいに育ちが良くないんだからさぁ」


 それにバフォーは鼻で笑った。


「育ちじゃぁない。単にお前に音を聞き分ける耳が無いだけだ。」


 辛辣な言葉にエウロラが口を曲げて黙った。


「努力したら上手になる?」


 言葉数の減っていたリアンが口を開いた。

 それにバフォーは答えた。


「踊りで食うなら、答えは決まってる。

 才能ってのは、努力しなけりゃ芽を出さないが、努力したから才能が授かるってのでもない。

 音の神さんがそれだ。

 だが、少なくとも努力している間は、あきらめる必要がない。

 言い訳が口からでるようじゃぁ、その努力がたりないのさ。

 つまり、文句ばっかり付けてる奴は、どこか手を抜いてる」


「踊りの才が無いから下手なら、努力が足りないって言うのは変だろ。才能が無いから下手なんだからさ」


 不服そうなエウロラに、バフォーが再び嘲笑した。


「職業として踊るには、才能が無けりゃ駄目だ。

 才能と努力だな。

 祭りの踊りには、才能が無くとも努力があればよい。

 踊りたくないなら、努力しなけりゃいい。とっとと帰れ。」


「踊らせるのが爺さんの仕事だろ」


「努力を惜しまないなら、教えもするが。単に着飾って目立ちたいなら、祭りを練り歩くだけでいいさ。

 俺が教えるまでもない。」


「こうして努力してるじゃないか。早く教えてくれてもいいだろ。運動させるだけで、他の班の奴らより遅れてるじゃん」


「まともに直立もできないのにか?

 手を上げているつもりで、肘や肩が曲がっているのにか?

 音の調子に追いつけなくて、いつもよろけているのにか?」


「そっちこそ言い訳じゃないのか?

 アタシ等は、音楽も踊りも楽しむ暮らしとは縁遠いんだ。

 そんな事もわからない爺さんの方が、努力が足りないんじゃないのかい?」


 言い合いを始めた二人に、周りの娘達がオロオロとし始めた。


「俺の努力が足りない?

 たかだかちょっと体を動かしたぐらいで弱音を吐いているような奴が何をいっているんだ。


 それに育ちが悪いから踊れない?

 一番街の歌姫は、育ちが良いから看板なのか?

 貧民育ちの女優は、娼婦と一緒か?

 努力をして一番先頭にいる人間が、育ちなんぞという言葉を聞いたら笑うだろうよ。

 負け犬の言葉だからな。」


「アタシは負け犬じゃないよ」


「なら踊ってみせな」


 バフォーは拍子木を取り出した。

 娘達も起きあがる。


「俺の努力が足りない?上等だ。お前等が二度とそんな口を利けないようにしてやる」



 その日、陽が落ちてもバフォーの班は練習が続いた。

 成果としては、リアンもエウロラも、手足の動きに統制がとれるようになった。

  優雅な動きではなく、まっすぐに伸びた手足が規則正しく動くようになった。もちろん踊りではない運動だ。


「明日は早朝から夕刻まで続ける。一日でも休むようなら、棄権とみなす。」


「キケンってなんだよ」


「典礼方にこう言ってやろう。

 あまりにも無様な踊りは、神前でお披露目するにはお目汚しであると判断し、この娘は自ら辞退したとな。

 健康体で辞退するんだ、神殿には自分で頭を下げにいけよ」


「クソジジィ~!」


「まだ、元気があるようだな。明日はもっと走らせてやろう」


 エウロラの口を周りの娘が慌ててふさいだ。

 何か続けて言っているが、言葉は幸いにも手でふさがれて聞こえない。

 そうして一日中運動につきあったバフォーは元気だったが、娘達はガクガクしながら帰途についた。


 それでもエウロラは悪態をついていたが、勢いは半減していた。





 次の日、早起きをして弁当を作る。

 リアンは体が痛むらしく、ガクガクしながら動いている。

 フェリンは新たな注文が入ったらしく、制作部屋から出てこない。

 弁当はリアンと私で作った。

 ドゥルとアンテは、皆の食事を作っている。

 エウロラの弁当も一緒なので大量になったが、今日もシュナイが一緒なので荷物になっても大丈夫だ。


 リアンは、めっきりお喋りではなくなった。

 相変わらずテトをかまうが、私に向けての水の流れのようなお喋りは無い。

 只、どことなく練習に行くことを楽しみにしている様子もあり、少し私は安堵している。


 ターク公はニルダヌスと共に食事を終えると王府へと向かった。

 今夜にも、基礎構造図が手に入るとの話だ。

 古い物だが、何とか公王が手に入れたようだ。

 たぶん、これで何かがわかる。

 そんな気がする。

 予感なのか、グリモアの意志なのか、それとも?






「爺さん、いつまで、これを、続けるんだ、よ」


 公園の広場では、音楽が流れている。

 練習に音楽を取り入れたようで、他の班の練習は楽しそうだ。


「教える努力が足りないと疑われたら困るからな。さてどうするか」


 バフォーは娘達の間を動き、その姿勢を矯正している。

 娘達は踊りの基本の立ち姿をとったまま、動かない。


 基本の立ち姿は美しい。


 正しい姿勢と、そこに乗せられた頭部、伸びた首筋、足は踊りの最初の形に揃えられている。

 手も優雅に形をとっている。

 もちろん、見た目は美しく優雅だが、その立つという姿を保つのは筋力とバフォー曰く根性である。

 腕の筋肉は使われていないように見えるが、中途半端に差し出された位置を保つには相当の力が必要だ。


 正しい姿勢は、楽な姿勢ではない。


 首を伸ばし、頭を見えない糸で釣り上げられているかのようにしなければならない。

 足の位置も使ったことのない角度でつま先が向いている。


「練習じゃねぇだろ、拷問だ」


 エウロラが奥歯をかみしめたまま、呻く。

 他の娘達も勝手に体がぶれている。

 この立ち姿をとらされてから、一刻は十分に過ぎていた。


「何が拷問だ。減らず口をたたくと、昼飯は抜きだぞ」


 誰かがエウロラに、口を閉じてくれと弱い悲鳴をあげた。


「他の奴らは、こんなの、やってねぇ」


「まぁそうだな。他の娘等は、そこそこの芋踊りができる。

 お前等は芋は掘れるが、踊りは踊れない。しかたねぇだろ。

 だから、こうして芋掘りを踊りに見せかける練習を、俺が努力してやっているんだ。」


「見せかけるって、どーいう事だよっ!」


「だから、最初から言ってるだろうが。お前等に踊りは無理だ。だから、踊りじゃねぇが、祭りで踊りらしくみせてやるってな」


「それ違うじゃん!」


「祭りで踊るのに舞踏を学ぶ必要は無い。」


「これ踊りの練習じゃねぇのかよ?」


「んじゃぁ止めるか?俺はかまわねぇぞ。根性なし」


「根性無しじゃぁねぇ、つーか爺さん踊りを、お、し、え、ろ!」


「年頃の娘が歯をむき出しにして唸るんじゃない。それに教えてんだろ。昼飯の時間までそのままな。」


「クソジジィ~!」




 エウロラが脱力したまま起きない。

 木陰で弁当を広げたのだが、うつ伏せに倒れたエウロラの片手は食べ物に乗せられたままだ。


 リアンは兄から食べ物を渡されて、少し困ったように笑った。

 良くも悪くもシュナイは、リアンが可愛い。

 だから疲れた妹の為に食べやすいようにと、弁当を取り分けてやっている。

 兄と言うより、親のような感じだ。

 テトはエウロラを前足でつついている。

 彼女は横になったまま、弁当を開くと鶏肉をとりだした。


「はいよ、弁当をたかってるアタシにねだるとは、お前なかなかだね」


 体力のある彼女も流石に疲れが見えた。

 バフォーと言い合うから、余計に教えが厳しくなる。

 わかっているのに彼女はバフォーを見ると口論したくなるようだ。


「別段、嫌いなんじゃぁないんですよ。」


 私の考えを読んだように、彼女はムクリと起きあがると、弁当を膝に乗せた。


「これお嬢様の手作り?うわぁ、うれしいなぁ、自慢しちゃう。」


「嫌いじゃないって、どういう事?」


 リアンとシュナイは、首を傾げるようにしてエウロラを見た。

 容姿は似ていないと思っていたが、やはり兄妹らしく動作はそっくりだった。


「バフォー爺さんの事ですよ。毎度、ちょっとしたお喋りをしちまうのは、元々、いつもなんですよ」


「知り合いなのか?」


 シュナイの問いに、彼女は頷いた。


「アタシの養い親の知人がバフォー爺さんなんです。爺さんは、アタシの養い親に恩がありましてね。その私が、こんな有様で気にくわないんですよ」


「どうしてだ?お前は働き者で、きちんとした娘だ。」


 シュナイの言葉に、エウロラは非常にイヤな顔をした。

 嫌いな虫でも見たような顔だ。


「お嬢様、都の男で小綺麗にした旦那方は、殆どこんな感じなんですよ。気をつけてくださいね。

 女に真顔で優しい言葉を吐ける男は、殆ど信用ならない部類です。

 誉め言葉は殆ど意味なし、挨拶みたいなもんです。特に、顔の良い旦那は危険人物ですからね。」


「訂正しよう。お前は良く働くが、どうしようもない娘だ。」


「何の話でしたっけ?

 私の養い親は、少し体が弱っておりましてね。その治療に幾ばくかの金銭が必要でした。

 そこで、私は援助してくださる方の元で働く事にしたんですよ。

 爺さんにしたら、楽な道を進んだように見えるんでしょうねぇ。それで私に怒ってるんですよ。」


「何で怒るの?家族の為に働いているだけでしょ」


 エウロラは、少し笑顔になった。


「そうなんですけどねぇ。ただねぇ爺さんにしてみると、納得できないんでしょうね。

 あれ、この挟んだ奴おいしいですねぇ、お嬢さんが作った奴ですか?そうですよね、リアン嬢ちゃんのじゃぁないですよね。すぐわかります、お野菜がちゃんと切れてますもん」


 エウロラの養い親と知人であるバフォー。

 エウロラが世話になっている相手が、下働きの斡旋業者なら文句も無かろうが。たぶん、違うのだろう。


 例えば?


 具体的な想像はつかない。

 まぁ、公王の勢力内であるとは思う。そうでなければ、私達を監視する事は無理だろう。

 何処の誰の手先なのか?

 と、聞いたら答えるだろうか。

 聞いて答えられても、それが敵か味方か嘘か誠かもわからない。

 つまり、私が聞いても無駄だ。


 逆に公王に聞いては彼女の身が心配だ。


「ねぇお嬢様、一度聞いてみたかったんですがね。

 お嬢様は、後、どのくらいで成人なさるんですか?」


 忙しく口を動かし食事をしていたエウロラが問いかけた。

 私は一瞬考えこんだ。


「エウロラ、お前はいらぬ口をきくな。姫には特に、無駄口やちょっかいを出すんじゃない。その胴体から首が飛ぶぞ」


「世間話でしょうが」


 精霊種の寿命と成長を、本当に知っている訳ではない。

 既に亜人の持つ寿命の半分以上を消費しても、私の姿は子供のままだった。

 やっとそれでも成長し、幼子と呼ばれることもなくなったが、未だに私は大人にはほど遠い。

 子を産めるようになるには、いかほどの年月が必要か。


 子供を産める。

 家族を仲間を作る。


 ふと、浮かび上がった幻想に、私は苦笑う。


 大人でなくて幸い。

 と、いう事もある。

 私が大人の精霊種ならば、どうなっていただろうか?

 隠れ住む事も難しいだろう。

 いずれ、誰かに生まれとその運命を押しつけられていた。


 今、手足を捕られている場所は、自分が選んだ道だ。

 あきらめもつく。


 私は大人にならない。


 幸いにも。


 子供も家族も、仲間も、無しだ。


 私は、大人にならない。







「基礎構造図は、この王都の下水管理部署と軍事幕僚部からです。ランドール殿の強権にてなんとか確保できましたが、最高機密ですね。もし、奪われそうになったら焼却して良しとの事での預かりです。

 もちろん、紛失した場合は、私が死んでお詫びしますが。」


 ぎょっとする私に、ターク公はニコニコとしている。

 夜、宿泊棟の自室。


 大きな円筒の入れ物を抱えてニルダヌスが部屋にいる。


「貸し出しは今晩一晩だけ。写しは駄目だそうです。公王の保証により、貸し出されましたが、この後で何か同じ図面が出回っても、私が死んでお詫びします。

 もちろん、今現在、屋敷外には監視者がおり、貸し出しが終了するまで待機しております。

 余程の事が無い限り、私は死ねません。」


 笑顔で告げられると、礼の言葉が普通に返せなかった。


 ニルダヌスは、筒から大きな紙を取り出すと床に広げた。


 基礎構造図は二枚あった。


「一枚は地下です。そしてもう一つが、地上部分の区分けです。特に何の施設があるかは、記入がありません。

 これは最初に形として残されたものです。

 つまり、永遠の人と偉大なるモーデン、そして初代の王が考えた、都の雛形ですね。」




 三つの大きな円が描かれている。

 そして、その円は三角を描くように置かれていた。

 外郭の中に大きな円が三つ。

 区画だろう

 それをつなぐように様々な模様がある。

 そして、その周りを外郭が囲む。

 円の三角を結ぶと頂点は東西南にある。

 王城はその三角の底辺中央に位置している。

 外郭は楕円を描き、その一方の細い部分が北の王城だ。

 三重の輪は、王城と言う杭にかかるように広がっている。

 そして三つの門。

 地上図は、基礎構造図の線だけというのに、美しい紋様を描いている。

 三つの円、三角、楕円。


 そしてその内側には規則正しく細かな区画の線が描かれている。


 そしてもう一枚を見る。


 地下部分の地図だ。


 エイジャが何を考えて円と三角で街を描いたか理解できる。


 地下には、その三つの円の中心に巨大な構造物がある。

 三点は三角に結ばれている。

 これは水路だろう。

 地下構造は貯水と上下水の構造施設だ。

 王城地下部分が浄化施設だろう。

 そこから木の根が這うように、生活用水が引かれている。


 ただし、それだけの構造ではない。

 余りにも巨大で複雑、そして、理解しがたい図だ。

 地下にある都の渇水対策用の施設?

 上下水施設であり浄化施設にしては、非常に大きく立派な構造図だった。

 複雑すぎるし寧ろ地下の方が広大だ。

 縮尺を見てみると、ほぼ同じである。

 だとすれば、この都の地図を二枚重ねても現実と齟齬は無い事になる。


(王の都として、この地下構造は必要なものでしょうか?)


「必要でしょうね。この都市の人口を支える水は、北の水源から直接引き込んでいます。いわば生命線ですから、完全な地下水路です。外敵からの干渉を受けないように、水源地も厳重に管理されています。

 そして、万が一にも水が汚染されないようにと、浄化施設は最大の物が置かれているそうです。

 もちろん、これは内緒ですが。

 ただし、この地下構造に関しては、この図面にある部分だけが、行政府の下水管理をしています。

 設備の保守点検は彼らですが、水源地は軍部が管理していますね。

 そして、お気づきでしょうが、私達が利用しているのは、その上層の水の管理部分の一部だけで、その多くは過去の遺産により、活動しているのです」


(過去の遺産?)


「古の方々の知恵により、動く未知の部分です。我々人が利用しているのは浄化設備と水路です。

 浄化設備は、軍部が調べて現在技術的には再現可能になっています。

 ですが、基礎部分の広大な施設の殆どは、未知だそうです。ですので、余計に、基礎構造の地図でさえも公開できないのですよ。

 何しろ、私達は、過去の遺産の上で暮らしているという訳ですからね」


(エイジャが作ったのですか?)


「永遠の人は、ここに都を定めました。

 渇水に苦しむ貧しい土地です。

 ですが、この貧しい土地には、古の人が暮らしたという遺跡があったそうです。

 その遺跡を懐かしんだのか、単に手付かずの土地だったから選んだのかはわかりませんがね」



 では、この地下施設そのものはエイジャの呪いには関係は深くないだろう。

 もとからあった建造物を利用して、利便性の高い施設を作った。

 渇水地であった為に、他の種族から権利を要求される危険も少ない。


 そして、彼はここに都を作った。


 子供が理想の家を描くように、夢の世界を作って見せた。


 皆、仲良く暮らせるように。


 例えば、水不足に苦しまぬように。


 構造図の水路は、効率よく都中を巡っている。

 清潔な水が流れる。

 これだけで、病を寄せ付けず、貧しさも軽減されるだろう。

 では、水の次は何だ?

 光と風と、食物だ。

 空気の流れと光の射す場所、食糧供給に適した耕作地や放牧地帯との流通路の確保。

 商いを自由に行える空間、人の交流を促す場所。

 次々とエイジャは、否、エイジャと妻と友人達は考えた。

 仲良く暮らそう。

 共に手をとりあって。


 私は片膝をつき、地図を眺め続けた。



 すると、見えた。



 最初にエイジャが、父が、考えた事が。

 にっこりと笑う、男の顔が不意に浮かんだ。


 私は悲しくもないのに、目が霞んだ。


 エイジャは、この都に永遠を約束した。


 人が正しく暮らしていれば。

 諍いを選ばず、暮らしていれば。


 水は流れ続けるだろう。


 だから彼は、都の構造を変えてはならないと言った。


 彼が最初に描いたのは、水が永遠に流れ、回り続ける場所だ。


 この水が流れている限り、人は祝福される。


 王が貯水地の守りを続け、都が平和ならば、水は流れるだろう。


 当たり前の呪いだ。


 簡単で、当たり前。


 これが最初の呪いだ。



 では、次は何だ?

 滅びを呼び込まぬようにせねばならない。

 年を重ねる毎に、都は繁栄し成熟した。

 だが、それと共に人の薄暗い部分も大きくなった。

 それでもエイジャは思った。

 彼らは生きている。

 生かしてみせよう、今度こそと。


 水の祝福と共に共鳴させるのだ。

 悪意を浄化させる。

 浄化させるには、媒質となる空間をつくる事だ。


 地上の構造図を見る。


 三角の円は水の循環を表す。


 そこに浄化の流れを作る。

 祝福の流れから、浄化の流れに変える。

 人の悪意を吸い取るようにする。

 そしてそれを地下に流すのではな

 く、浄化する為にすくいあげる。


 そして、無にするには何が必要だ。


 光、風、忘却。


 日輪の輝き、そして吹き荒れる風、人が流れ留まらぬ場所。


(あった)


 オーダロンの水晶門。

 水晶の絡繰りの門。

 古の技術。




 [綺麗な女神像がいいわ]




 我が儘を言うアンネリーゼの声が聞こえた。


 しょうがないなぁと言う妻に甘すぎる夫の声もした。


(...)


 まさか、あの門がアンネリーゼの我が儘の所為だとは。



「大丈夫ですか?」


 ニルダヌスとターク公が心配そうにのぞき込んでいた。

 私は、目を一度擦ると頷いた。


 母と父の会話に力が抜けた。

 と、は言えなかった。

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