ACT219 巣箱の蜜蜂 其の一
ACT219
人の手で生み出された物が壊れる。
それは思ったよりも簡単だ。
壊すことは簡単なのだ。
コンスタンツェ達の安否を確認後も、戒厳令は夜間のみ続いた。
人の暮らしは元に戻ったかのように流れる。
しかし、陽が暮れれば区画は閉じられ木戸が閉まる。
中央軍兵士が路上に立ち、衛視は区画内を犬と巡る。
オロフが動けない現状、コンスタンツェも動くことができない。
多分、そうしてコンスタンツェの動きを封じているのは、安全をはかる為だろう。
王命でないかぎり彼を止める立場の者などいない。
彼を案じる叔父であろうともだ。
だから専属護衛を変えずに再生加工を受けさせたのはその為だろう。
コンスタンツェが如何に王位を継ぐ立場を放棄したとは言え、万が一彼の体が必要になる場合もある。
永遠の呪いは、人獣混合体という肉体にかけられたものだ。
それは世の中の道理とは別の次元の事なのだ。
コンスタンツェが神殿への調べの手を伸ばすには、オロフの回復を待つか、戒厳令の元である襲撃の原因を解消せねば無理だ。
そして襲撃者の狙いが審判官であるのか、コンスタンツェなのか、混合体であるのか。
どの理由にしても、戒厳令の元が襲撃者の存在なのだから、出歩く事は無理だ。
では、神殿に神事や過去の事、日録の真偽を問うにはどうしたらよいのか?
私とターク公が動く。
と、いうのは止められた。
襲撃者の耳目が神殿の中にあった場合の身の危険。
私たちが興味を持つ理由も知られてはならない。
ならば典礼方の長であるゲルハルト侯爵自身が、乗り出す方法こそ一番自然である。
そう考えが纏まると、ターク公はゲルハルト侯爵に情報を渡した。
何も知らずに神殿で動き回る事の危険を避ける為に、ターク公は侯爵と話し合った。
名無しについて。
その間にも、事は動く。
戒厳令のおかげか、下層民の女子供が誘拐される事件は鳴りを潜めた。
相変わらずのエウロラが洗濯をしに来ては、一言二言告げていく。
「そうだね、お嬢様。今年の祭りには、アタシも参加しようと思うんだよ」
その一言に目をむく。
そんな驚きを露わにする私に、彼女は言った。
「楽しくなってきたねぇ、お嬢様。祭りってのは、上品なもんじゃぁないからね。せいぜい、思いっきり暴れないとさ」
何をどう暴れるというのだ。
疑問には相変わらず答えずに消える。
単純に楽しく過ごすという意味だろうか?
等とよけいな言い回しに気を取られ、重要な言葉を聞き逃していた。
そう、今年の春の祭りは、滞りなく行われる事になったのだ。
後日、ゲルハルト侯爵から手紙が送られてきた。
その手紙には書類と日録の内、一冊だけが添えられている。
公爵宛の手紙を要約すれば..
祭りは行われる。
という内容であった。
ただし、今の神殿長と侯爵により、祭りは昼間に行う。
そして儀式は深夜に、簡単な慰霊を神官達によって行う。
公王の身の安全をはかる為に、深夜の慰霊の儀式は略すという。
つまり、夜の本来の神事に公王は代理を立てる。
神殿長と神殿の祭祀を管轄する神官達の協議で、公王の身の安全が優先されると結論を出したそうだ。
今現在の神殿の主勢力は、中庸な者が多く、都内を騒がせる事件が収束しない限り、夜間の王の行動を制限するのは当然としたようだ。
私は元々祭りの踊りは、春の昼日中に行われると思っていた。
だから、祭りが昼間になるという事にそれほどの違和感は無い。
しかし、都内の人間には非常に興ざめであるらしい。
夜の薄暗い中を恋人同士で楽しむというのが、若い娘たちの楽しみという訳だ。
ただし、それでも舞いに関しての心配は解消されていない。
娘達が倒れた原因が分からないのだから。
春の祭り。
名無しの関与。
慰霊と護国の儀式。
化け物。
永遠の呪い。
命の器をかすめ取る物。
ぐるぐると回る。
私が踊っているのか、踊りの中心にいるのか、だんだんとわからなくなっていく。
手紙に添えられていたのは、大凡の慰霊の儀式の様子や手順。
祈りの言葉や、誰が何を行うかが細かくあった。
儀式の立ち居振る舞いや場所などもあり、注意して読み込む。
だが、何もおかしな事はない。
祈りも舞台も、何もかも。
それはそうだ。
毎年、行われていたのだ。
たった一度だけ、何かがおかしくなったのは、名無しが何かをしたからだ。
そして日録に関しては、神殿長にも心当たりは無いそうだ。
なにしろ、神殿で働く人間は多い。
まして日々奉仕のために人が出入りする。
昔の下働き一人の記憶が残っている事があるとしたら、それは逆におかしい。
そして何よりも、審問官の施設には、この日録三冊の保管記録を見つける事ができなかった。
コンスタンツェが細工をした訳ではない。
書庫には、神官と巫女が行方知れずになった神殿での儀式記録が抜けているのだ。
焚書や改変で審問所の書庫目録が失われたとは考えにくい。
訂正される事はあっても、一年に及ぶ保管の記録を処分する意義は無いのだ。
少なくとも神殿の除籍名簿と同じく問題箇所を塗りつぶすだけの事だ。
その手間暇を惜しんだとは、考えられない。
除籍名簿の執拗な検閲の結果を見れば、処分よりも訂正し記録を残すと思われる。
その除籍者名簿には、除籍理由や死亡した場合の没年と理由が記入されている。
病没、事故死、または、還俗した等か。
行方不明という者は無く、除籍者の方に混じっている可能性も高い。
そして除籍者の名前部分は塗りつぶされており、それが背信行為なのか重大な過失や罪によるものなのかは読みとれない。
本来は、審問部の記録にそれが残るからだ。
隠蔽されている?
そこで神殿側も日録を元に、その筆者を探すという。
神殿の者を信じた訳ではない。
だが、ゲルハルト侯爵は神殿の中の事は、神殿の者に調べさせると言う。
下手に外の者が調べようとしても、コンスタンツェのようにはできない。
ならば、少なくとも中庸な考え方の神殿長の差配を頼んだ方が無難なのだそうだ。
神殿長で思い出すのは、疲れた表情の静かな人物である。
寡黙というわけではないが、穏やかで私を見かけると笑顔を向けてくる。
今回の神事は、彼が行うのだろうか?
本来の祭祀を行う祭司長は不在だ。
祭司長は、変動する腐土へと派遣されている。
難儀な場所で、化け物からこの世を救っているのだ。
祭司長は、知っているのだろうか?
そして王府議会による行政令が布告される。
異例の布告は、舞い手の参加要請だ。
種族ごとの対象年齢が一覧で記された者が区画の木戸に張り出される。
要請に対しての不参加理由は、喪中であるか傷病等で動けないか。
そして布告でありながら、国からの願いという形である事から、セイルの予想どうりの反応がおきる。
一般の民からの参加の辞退。
そして次に下級貴族の参加の辞退。
最終的には、神殿からの奉仕要請に切り替わり、高位貴族の強制参加となる。
唯一、セイルが言わなかった反応は、成人を迎える娘であれば、身分もそして王都の民でなくとも、身元が保証されれば参加を許すというものだった。
その為、高位貴族の娘達の練習場所とは別に、下層民、移民、等の娘用の練習場所がもうけられた。
祭りの時期だけ、都に逗留する予定の外の娘も参加ができる。
何も知らぬ娘なら、恐れずに踊るのではないかという目論見なのだろう。
腑に落ちない。
神事が慰霊である事から固執するのは理解できる。
ただし、儀式の偽装の為に祭りを行い、娘達に舞い踊らせる事に意義は無い。
神殿の夜の神事など、誰が気にすると言うのだ?
誰が気にする?
言葉を変えれば、娘達が舞い踊れば、偽装になるという事。
わからない。
私が沈思している間に、状況は更に変化した。
リアンが祭りで踊る。と、言い出したのだ。
一般練習初日。
「アタシも一緒に行って良いですかね、お嬢様方」
エウロラの髪の毛は、箒のようにボサボサである。
頭頂部で結ばれているので、馬の尾のようにも見えた。
人懐っこい表情でリアンの荷物をひったくる。
まさに奪い取る感じで荷物を持つと笑顔を向けた。
笑顔はどちらかというと、威嚇する猫のように見える。
どうやら、テトにも同じように見えたらしく、尻尾の毛が逆立った。
連れだって向かう先は、人の目が多い公園の一つである。
下層民も参加しやすいようにと、今回は歓楽街に近い水路沿いの公園だ。
国からは練習中に医者まで派遣する騒ぎになっていた。
何があっても大丈夫なようにという配慮なのか。
リアンの踊りたい発言は、当然グリューフィウス家内で猛反対だった。
自由意志を尊重する雰囲気の家の中でも、特にシュナイは強固に反対した。
たぶん、私とターク公と行動を一緒にした事で、今の都が思った以上に不穏な流れの中にあると理解したのだろう。
だが、リアンは踊ると決めた。
彼女の中で何があったのか。
私は自分の事ばかり考えていた。
だから、危険な要素があるならば、祭りなど踊らずとも良いのだと単純に考えていた。
だが、違う。
リアンは家族が反対しても、踊ると決めた。
家族が好きで、家族の為を考える彼女が踊るという。
それはこの祭りが人族の少女にとって、それほど重要であるという事だ。
もしかしたら、他の参加をとりやめた少女達も、同じように考えているのかも知れない。
集落のような狭い共同体の思考と、大きな都の中の暮らしは別だと考えていた。
だが、同じ人間である。
どのような場所での生活でも、変わらない事がある。
因習をはずれる行為に対する恐れ。
集団生活の中での重圧。
そして、己の中にある共同体の中で備わった考え方。
そんな状況の中でリアンが考えた事。
自分が普通より劣る存在ではないか?
勇気が無いから逃げ出した弱い者なのではないか?
罪悪感と怒りだ。
正しく優しく生きようとしても、報われる事など僅かだ。
生きる事は、美しくも優しくもない。
喜びがあっても苦しみや悲しみも多い。
その中で、自分の無力と世の無常を悲しむ事がすぎれば、どんな子供だとてわかるのだ。
戦わねばならない。
自尊心が完全に失われれば、自分を愛する事は難しい。
ミシェルは踊れない。
体調は回復しつつあるが、それでも寛解には遠く、彼女は踊れないのだ。
ならば、それにあわせてリアンが踊らないのはどうなのか?
ミシェルが踊れないから踊らない?
それは理由ではない。
言い訳にミシェルを利用する事だ。
ミシェルは踊りたかった。
自分の為に一年遅ら
せた、そのミシェルが踊れない。
リアンは考えたのだろう。
踊ると倒れるかもしれない。だから踊らない?
自分に聞いてみる。
怖い?
そして、踊るべきだと結論した。
踊って鈴を配るのだ。
ミシェルに家族に、知る人に。
幸せになって欲しいと踊るのだ。
結論を出し家族に言い、そして祖母と言い合い、シュナイとは絶交して口を閉ざした。
物理的に家に閉じこめようとしたが、フェリンが許した。
(何故、やりたいことを止めるの?
悔いを残して生きるなんて、死んだようなものよ。
そんなの私だけで十分だわ。)
これに祖母は目を閉じ、シュナイは母親を怒鳴った。
(身勝手な人間が何を偉そうに言うのだ。
親として何かをした事もない者が。
子を思うのなら、その幸せと無事を祈るのがまっとうな考えだ。
そんな普通の感情も無いのか。
情けない..)
息子の言い分に彼女は不思議そうに聞くだけだ。
それにリアンは泣き、シュナイは黙った。
そうして結局、踊ることになった。
祖母は再びしまい込んだ衣装を手入れし、フェリンは鈴を器用に繋げる。
シュナイだけは暗澹とし、リアンはずっと硬い表情だ。
そしてリアンが踊りの練習に行くのなら、私も行かねばならない。
リアンについて回り情報を得るのも無駄では無いだろう。
そして何より、悪意を潰す。
人の営みと繁栄の祈りを阻害する物があるのなら、それが呪術であるのなら、私は潰す。
過去の過ちの全貌は見えないが、その端切れが祭りにあるなら、そこに首を突っ込むだけだ。
愚かに傲慢に、私は手を出す。
それでリアンが無事に祭りを楽しめれば、良いのではないか?
エウロラに強制的にお喋りさせられているリアン。
リアンの後ろから、私とシュナイ、そしてテトが歩く。
練習は様々な事で遅れているので、朝から暫く連日続く。
練習について行く事で、シュナイも必然的に同行できるという利点は大きい。
シュナイは、リアンが不憫でならない。
言葉には出さないが、フェリンのリアンへの態度が許せないのだ。
我が子の存在が時々しか目にはいらない母親の態度が。
そして父親の死後に産まれたリアン。
それに対してシュナイの考えを想像する。
そして息子の考える現実的な答えは、たぶん、間違いだ。
リアンはゲオルグの娘だ。
フェリンの言葉を信じれば、そして人族長命種の使徒の血筋の話を聞いた後での、私の考えは恐ろしい事ばかりが浮かんだ。
フェリンは、ゲオルグは大丈夫だと言った。
つまり、ゲオルグの死体は利用されることはなかった。
と、死者から聞いたのだ。
今、危険があるのは、シュナイとリアンだ。
だから、フェリンは人形を作っている。
使徒の家系。
これも今後の調べの一つに加えねばならない。
ただし、この考えをシュナイに伝えるのは、迷う。
リアンは父の子であり、狂気故にフェリンは間違わない。
そんな事を他人が言っていいものか。
家族という関係を想像しかできない私。
偉そうに言葉をかける?
こうして彼らの問題を頭の中でわかったように判じている事も無礼だ。
ただ、ただ私は、それぞれ悲しんでいると感じた。
あのフェリンは、あの母親は、彼女なりに子供を生かそうとしている。
ただそれが、彼らの望む母親という姿で無いだけ。
それが食い違いを生んでいるだけ。
実の母親の中で生きているのは、死んでいる夫だけ。
息子も娘も、この世の誰もが書き割りと同じなのだ。
否、もう一つある。
彼女の敵だけが現実。
制作部屋に並ぶ人形達の中に、私を模した物も飾られた。
ターク公はニルダヌスを連れて、例の地図を手に入れようと動いている。
結局、この永遠の都の作りこそが、呪術の土台になっている。
私の考えはそう至る。
エイジャの都は、都市の作りに依存した呪術を展開している。
だから、都市の全容がわかる現在の地図は存在しない。
区画の作りを変える事は法律で禁じてある。
その呪術を破るには、都市を破壊するか、その呪術構造を利用する事だろう。
名無しは、何かの目的により、その呪術構造を利用した。
だから、あの裂け目は、単なる事故だと推察する。
転用の失敗により、元の堅固な呪術が壊れた。
アンネリーゼが許し身を投じたのは、エイジャの術を破壊する目的では無かったから。
皆の安寧を願っただけではなく、愚かしさを許したのではないか。
もちろん、これは想像だ。
だが、名無しの目的が別にあったとしても、想像するまでもなく人の命を軽んじる邪悪な行いであったと思う。
先に、精霊種を滅ぼした事から見ても、エイジャの姿が消えた事にしても、それが善意と考えるほど私も愚かではない。
バラバラの出来事。
それでいて何かが繋がる。
もどかしい事ばかり。
終わった事?
今何かが動いている?
「あれが練習場ですかねぇ、けっこう集まったじゃぁないですか」
エウロラの声に、意識を戻す。
私達は賑やかな広場に来ていた。
白い石で造られた噴水が正面にある。
緑と石畳。
公園は誰もが休み遊べるようにと、噴水を中心に開けた場所がとられていた。
そこが身分を問わない参加者用の練習場所になっている。
医者らしき者、薬師、そして兵士の姿。
保護者らしき大人達もけっこうな数がいる。
「やっぱり花祭りの踊りは、皆、楽しみにしていたんですねぇ。こんな物々しい感じでも、ほら、いるいる」
貴族や裕福な商人の娘が集まっていた練習風景とは違い、様々な格好の者が騒がしく集っている。
陽に焼けた少女や作業服の子もいる。
「結局、神殿から参加してくれって言われれば、雇い主も時間をつくって奉公人を出すって事ですよ。
神様に、けちけちした主人だって思われたくないんでしょうねぇ」
私とシュナイは、二人から離れると、広場の隅にある彫像の下へと移動した。
獅子の彫像は大きく、その背中には勇ましい鎧姿がある。
彫像の側には、その日影を選んで娘達の付き添いが集まっていた。
シュナイと私を認めると、それぞれに挨拶を送ってくる。
私たちは会釈を返すと、リアン達を目で追った。
様々な階層の娘達が、それぞれに固まりを作っている。
中にはリアンのような、それなりの暮らしをしていそうな娘も見かけるが、殆どが働いている者だった。
裕福そうでも余裕がありそうにも見えなかったが、それぞれに興奮し笑い会話をしている。
参加資格が緩やかになったおかげで、華やかな祭りに参加できるという期待が見えた。
暫くすると、セイルを従えた年輩の男が広場に現れた。
セイルと他にも数人の男女が見えたが、どうやら、今回は踊り手の教師役を若手に変えたようだ。
唯一の年輩の男は、頑固そうな胡麻塩頭に、大変姿勢が良い。
年寄りにも壮年にも見えるが、その体つきは頑健そのものだ。
健康体の者を国が選んだのだろう。
やがて教師達は娘達を適当に分けると、更に一人一人と面談している。
少女一人一人の状況を聞いているらしく、帳面に細かく何かを記入している。
やがて、彼らの聞き取りが終わると、一時休憩を挟み、今度は名前を呼んでは幾つかの班に分けた。
エウロラとリアンは幸いにも同じ班に分けられている。
どうやら、踊りの習熟度や体力、等を考慮して分けているようだ。
そしてリアン達は、唯一の年輩の男の班に振り分けられている。
「あら、家の子、バフォー爺さんのところに入れられてるわぁ。やっぱり旦那に似て、体を動かすのが苦手だから」
見守っていた保護者の一人がやれやれという感じで、首を振った。
「家の子もだわ。歌は音痴だし、まぁ、奉公先から踊ってこいって支度金を渡されてるからねぇ。しっかりやりなとは言ってるけど。バフォー爺さんかぁ。まいったわ」
彼らの言葉の意味は、すぐにわかった。
あの年輩の男が、バフォー爺さんであり、有名な振り付け師らしい。
そしてリアンが去年もお世話になった教師役で、踊りが苦手な娘には彼が相手をするのだ。
リアンは流石に鈴付きで練習できる段階にはなっている。
そしてエウロラは..そのリアンよりも更に音感が無かった。
午前中は基本の体の動きの練習だ。
体を解し、基本の動きをその場で繰り返す。
足捌きなどは無い。
姿勢と形を言われたとおりにする。
これが初心者には難しい。
そしてリアン以外のバフォーの班の娘達は、壊滅的だった。
「虫?」
容赦の無い感想が、腕を組んで立ち尽くすシュナイの口から漏れた。
「虫というより蟹?」
自分の娘を音痴と言った母親も呟いている。
「あの手の動きは何かしら、柳の枝じゃないんだから」
「たぶん、右手と左手も混乱して区別ができなくなってるわね」
次々と容赦のない意見が見学者から続く。
しかし、身内の目の前で踊る娘達は真剣だった。
真剣なだけに、教師役のバフォーは天を仰いだ。
天気は良かった。
昼の休憩時に戻ってきたリアンとエウロラは満足そうだった。
外で体を動かせば気分も晴れる。
暗澹としているのは教師役だけで、殆ど奇妙な呪いの踊りになっていたエウロラは明るい。
元気に私たちが運んできた弁当を一緒に食べている。
「お嬢さん、お嬢さんも一緒に踊りましょうよう。そんな重苦しい外套なんか着込んでたんじゃぁ、楽しくないでしょう?」
「余計な事を言うな、エウロラ。」
切って捨てるかのようなシュナイの言葉に、彼女は肩をすくめた。
「祭りで踊ろうって話じゃぁないですよ。一緒に体を動かさなければ、わからない事ってあるじゃぁないですか。ねぇ」
エウロラは外套の下をのぞき込んできた。
いつも通りの意味深な問いかけだ。
確かに。
と、思う。
この場所に危険は感じられない。
そして、危険があるのなら、彼女たちだけをその上で踊らせておくのは卑怯だ。
そして、前回は外で見ていたから感じ取れなかった可能性もある。
渦の外か、中かで、理解は変わるだろう。
私は食べ物を飲み込むと、お茶を飲んだ。
「駄目だよ、姫はお客様なんだから。お姫様は、踊っちゃ駄目だよ」
「それこそ、お決めになるのはお姫様自身でしょう?」
「これは成人の踊りだ」
「舞台にたつ訳じゃぁないですよぅ。白夜街の一の振り付け師で、この春の踊りを監修したバフォー爺さんに踊りを教えてもらえるんですよぅ。
白夜街一の高級劇場の専属ですよぅ?
祭りの踊りを一番知ってる人なんて、あの頑固爺以外いませんよぅ」
エウロラは遠慮なく弁当を平らげると、にやにやと笑った。
何処かで見たような笑いだった。
「いけませんよ、御身は大切な預かりものです」
ならばリアンをも踊らせねば良いのに。
と、私はシュナイに肩を竦めた。
リアンとエウロラに連れられて、再び娘達が集合し始めたところへと向かった。
「妹か?」
バフォーの問いかけに、エウロラが答えた。
「どうせ後数年したら踊るんだから、この子も教えておくれよ。国から金はでてるんだろう?」
不遜な物言いに、バフォーは鼻を鳴らした。
「口の減らない餓鬼だ。
芋掘り踊りを見せられる俺の立場になってみろ。
ほら、上着を脱いで、姉ちゃんらに混じりな」
私は頭巾を下ろし、外套を脱いだ。
石畳に置こうとするとシュナイがそれを取り上げた。
咎める視線は寄越すが、リアンの時と同じくため息だけをついた。
外套の下は、ズーラが作った普段着だ。
私を見たバフォーが何かを言いかけたが、結局何も言わずに練習を始めた。
体を解す様々な動き。
そして基本の踊り。
意識して必ずとる姿勢。
バフォーが数を数えながら、次々と動きを指示する。
それに併せて体を動かしていく。
苦しい動きかと思ったが、体の筋を伸ばし姿勢をよくするのか、呼吸は楽になる。筋肉は伸ばされ、心地よい暖かさが体を支配していく。
指示通りの動きに答えていくのは楽しい。
組み合わせを変えてくる謎々のようなかけ声も面白い。
私は目的を頭の隅に押し込めると、体を動かし続けた。
..楽しい。
風も陽射しも、皮膚の産毛でさえも感じ取れるほど感覚が鋭くなる。そうして鋭くなるのに、気持ちは晴れ晴れとする。
楽の音も、鈴の音も無いのに、美しい世界を見た気がした。
「上手ですねぇ、私の方で受け持ちましょうか?」
不意の声に閉じていた目を開いた。
どうやら、無意識に目を閉じて動いていたようだ。
目の前にはセイルが帳面を持って立っていた。
「ついでに踊らせているだけだ。何かようか?」
バフォーの問いに、セイルは帳面を差し出した。
二人は踊りを中断すると、相談を始めた。
内容は練習日程の調整だった。
結局、立場の弱い者だけが割を喰う事はなかった。
だが、今の状況をセイルは、否、教師役の彼らは、どう思っているのか気になった。




