ACT215 今日も彼女は人形を作る
ACT215
私が誰に会いたいかを告げると、ターク公は考え込んだ。
「ゲルハルト侯爵殿経由が一番良いでしょう。
どう思います?」
それに答えたのはニルダヌスだった。
「軍が行政権を掌握し、本格的な都内の清掃にとりかかるとすれば、今夜、いえ、もう取りかかっているはずです。
こうした武力攻撃を受けた場合、発生から短時間で占領作業を終了しなければなりません。
そうしますと、遅くとも明日の昼前には、戸別確認が行われます。
戸別確認時には、屋内にいなければなりません。
その戸別確認が終了しなければ、区間移動の制限は解除されないでしょう。
また、清掃となると、建造物の確認にも家人が立ち会うことになります。
師団が投入されたとしても、明日中に終了はしない。となると、他家への連絡等はされないほうが無難です。どちらにとっても不利益にしかなりません。
王府発令の戒厳令という事になっていますが、戦時下体制へと移行した時点で、軍が行政司法権を握りました。
貴族階級への礼をもった対応は無理でしょう。」
「シュナイ殿、貴方はどうおもわれます?」
「私ならば単身で侯爵殿へと連絡を取りに行くことは可能です。
ですが、私が敵対勢力からの刺客と取り違えられる事が考えられます。
正式な手順を踏み、訪問したとしても、ゲルハルト侯爵様の方で取り次ぎを拒むこともあるでしょう。」
それに頷くと、ターク公は私に言った。
「それだけ、外に危険があるのでしょう。姫」
私の焦燥を感じたのか、公爵はなだめるように言った。
「心配でしょうが、待つしかないでしょう。移動できるようになったら、一番に行きましょうね」
ターク公とニルダヌス、そしてシュナイは、いつ兵隊達が家屋敷を改めに来ても良いようにと準備を始めた。
念の為にと貸し棟の部屋を開け、何も見咎められるような物が無いかと目を通す。
リアンは祖母と一緒に裏庭の水場や洗濯場、そして貯蔵庫等を開けて確かめ、鍵を改めてかける。
そしてゲオルグの部屋も、一度全ての扉を開き中を確認した。
今はシュナイの部屋でもあるが、彼は殆ど使っていない。
考えてみれば、部屋をゲオルグ自身も使った事など無い筈だ。
ボルネフェルトの騒動の後に引っ越してきたのだから。
フェリンの虚構につきあって、家族が父の部屋を残したにすぎない。
部屋を飾る全てが、在りし日の残滓である。
確認したところで、長い年月、何一つかわらない空虚な部屋だ。
そうして部屋の出入り口も窓も、きちんと施錠する。
南側の木戸も、閂を確かめる。
夢の中では、蔦の絡まる木戸は簡単に開いたが、現実には生い茂った蔦が邪魔だった。
私も何かすべきだと、アンテの後をついて回る。
だが、戸締まりを確認する以外に、何もやることがない。
落ち着かない気持ちのまま、廊下をうろつくだけだ。
「こっちにいらっしゃい」
フェリンが作業場から手招いた。
あの人形達が座る出窓に明かりが灯っている。
今日も陽が暮れると直ぐに、硝子の火屋の中には炎が置かれた。
「どうせ戸締まりをして、待つだけの事。食事も適当にすませたら、何もやる事はないでしょう。
囲いの中で争いが起きたら、どうせ逃げられないでしょうしね。」
こんな風に、彼女と二人きりなるのは、初めてだった。
戸惑う私に、彼女はちょいちょいと指を曲げた。
側に座れという意味のようだ。
その彼女は、作業台の前に腰掛け、小さな眼鏡を鼻にかけていた。
「誕生祝いの人形も、だいぶ、競争相手がでてきたのよね。だから、こんどは嫁入り道具にと売り込もうと思うのよ。花嫁人形というわけね、そこに座って」
私は作業台から斜め前にある、座面の高い椅子に座った。
腰掛ける場所が高く、私の足は床から浮いている。
「婚姻の決まった家に、花嫁姿の少女人形を売り込むのはどうかってね。花嫁本人にそっくりの人形。
実家の家族に残すのも良いし、嫁入り道具に。だめかしらね」
私に商売の話はわからないので、首を傾げるだけにした。
彼女は私を椅子に座らせ、紙をとりだした。
木目の粗い薄い紙だ。
それから黒い棒状の物を取り出すと、それで紙に何かを描き
だした。
「人を写し取って人形にするには、特徴のある部分を強調しなければならないの。ただし、愛らしい人形にしなければならない。
特徴を強調しすぎても、お客が気に入らなければ買い取ってもらえないしね。」
次に手に取ったのは、茶色の小さな棒だ。
「粉末顔料を粘土で固めた物よ。これで素描を描いて下絵の色を上から塗るの、こんな感じ」
会話をしながらの少しの時間で、紙には私の姿が描かれていた。
フェリンは、珍しく、片側の頬を引き上げた。
皮肉な表情は、酷く憂鬱そうだった。
「美しい物を目の前にすると、とても卑屈な気分になるの。
美しい瞳の中に、蔑む色を無意識に探す自分がいる。
そんな卑屈な自分が嫌い。
美しいものが好きな自分が嫌い。
後、数年もしたら、貴女も私を蔑むのかしら?
そしてまた、私は卑屈になるのかしら?」
意味の分からない問いに、私は渡された素描を見る。
彼女の描いた私の表情は、居心地が悪くなるほど、正直に表現されていた。
「ねぇ、貴女が大人になったら私、嫌だわ。」
頑固に顎をあげている私の絵。
それを指先でなぞっていると、彼女はもう一枚紙をとりだした。
作業台には、斜めの板が取り付けられている。
紙をそこに置くと再び写生を始めた。
「でも、昔ほど、綺麗な人は嫌いじゃないのよ。
もう、ゲオルグは私だけのものだから」
さらさらと再び描きあげると、私に紙を差し出した。
「私は、気が狂れているらしいわ」
手渡された二枚目の紙には、永遠が描かれていた。
「記憶も感情も、私の人生では自由にならないのだから。
まぁ狂っているのは確かでしょうね。
私に不都合はないから、どうでも良いけれど。」
彼女は続けた。
その表情は、言葉とは逆にとても優しい。
「夫は、酷く、残念がっていた。」
彼女の目は、何も見えていないかのように、光りが消える。
暗い眼差しは、微笑みに似合わない。
「寝る前に、いつも明かりを灯すのよ。
そうすれば、彼の所からも見えるはずだから。」
何も無い場所をぼんやりと見つめたまま、彼女の口が動く。
「あの子は、力を奪われないようにした。
あの子は頭のよい子だから、何が一番、敵が嫌がるかわかっていた」
(あの子?)
私の声に、彼女はやっと視線を戻した。
「借り物の力を、本体から引き剥がすには、自分が消滅するだけでは無理だった。
あの子は奴隷だった。
力を与えられた奴隷。
ゲオルグは捕らえられそうになったけど、自力で敵を押し返した。
死後の束縛は、あの子が防いだ。
ここは私がいる限り、大丈夫。
私の世界を壊す人は、皆、敵だから。
あの人が言うのだから、貴女は敵じゃないのよね?」
彼女は三枚目の紙を手に取った。
「美しい物って嫌い。
好きだけど、私の敵だから」
彼女は、動かぬようにというと、私を描き続けた。
私は彼女の言動と、その内容に脂汗をかく。
手の中の永遠。
男と女が笑っている。
小さな赤子を囲み、笑う姿が描かれていた。
彼女が本当に見た姿なのかどうかは、わからない。
わからないが、彼女は、原因を知っているのだ。
(奥方、何を知っておられる?)
私の念話に、彼女は自然に返した。
「何を?」
(眠る御方の事、過去の)
「何の話?」
彼女は不思議そうに返す。
それは演技なのだろうか?
(ディーダー・ボルネフェルトに何があったのです?)
彼女は新たな色の棒を取り出した。
「何って、敵に捕まって奴隷になったのよ。
あの子が悪いんじゃないわ。
だから頑張って逃げて、敵の力をちぎり取ってやったのよ。
後は、迎えが来るまでまっているの。
それまで私は人形を作るのよ。
たくさん、つくって待つの。
そうしてれば、敵はリアンを見つけられないもの。」
(敵とは誰です?)
「何の話?」
(敵です)
「私は美しい物しか、覚えていない。
額の模様、とても綺麗ね。」
(敵とは誰です?)
それにフェリンは、ぼんやりと笑った。
水を通して見るような、曖昧な笑いだ。
「私の人形達はかわいいでしょ?
人形師ってね、古い職業なのよ。
あの子が言っていたけれど、私は特別にその才能があるんですって。
見てちょうだい。
私の子供達は、とても良い子なのよ。」
彼女は次々と紙を手に取り、素描を描き上げる。
何れも、描かれているのは私だった。
「貴女なら、不実な人間も頭を垂れるのかしら。
美しい世界に生きる、美しい生き物。
あぁ気持ち悪い。
でも、とてもきれい。
作れるかしら、あぁ、動いて良いわよ。
ありがとう、少し、ちがった子も作りたかったの。
もう少し大人になったら、もう一度描かせてね。
公王陛下なら、たいそう、気前よく払ってくださるでしょうから」
現実的な言葉に、やっと私は息をはいた。
「勝手に描いてごめんなさいね。
描ける瞬間を逃すと、次は無いのよ。」
問おうとする私を彼女は止めた。
「私は同情なんてしないわ。
ゲオルグがいなくなったのは、皆の所為ですもの。
でも、あの人が、会いに行っては駄目だというから、ここにいるのよ。
あの人の家族がここにいるから、駄目だってね。
勝手にしたら、ゲオルグが怒るし、しょうがないわよね。
私がこんなに我慢しているんですもの、ちょっと彼らが死んでもしかたが無いと思うの」
(死ぬ?)
「昔話は、本当の事なのよ。
人形師が何で、人形を作るのか。
元々、身代わりにする為よ。
あぁ、とても綺麗な瞳ね。
何の石が良いかしら?
貴女を守るには、よほど大きな物が必要ね。」
(奥方、敵とは誰の事です?
ディーダーについて何を知っているんです?
死とは?)
彼女の目が徐々に光りを取り戻していく。
すると、彼女は手元の紙を再び見つめた。
「あら、何の話だったかしら?」
心底不思議そうな表情が浮かぶ。
「ごめんなさいね。
時々、何だかわからなくなるのよ。
あぁ、たぶん、貴女にも人形が必要だと思ったのよ。
大きな硝子が必要だわ。
人形の胴体には、瞳に使う同じ物を一つ入れておくのよ。
心臓のかわりね。
身代わりの人形には、必ずそうした硝子が入っているの。
残しているいる人形は、全て、ゲオルグの為に作ったのよ。
ゲオルグが、心配するから。」
フェリンの作業場の人形は、どれ一つとして同じ姿の物は無い。
ただ、目に使われた石の色は、紫か鳶色をしていた。
「注文品にも二つ入れているの。一つは注文通りの物。そして、もう一つはリアンやシュナイ。
こうすれば、何処にいるかわからなくなるでしょう」
もう、問うことをあきらめた私に彼女は言った。
「腐った魂は、子供を食べに来るのよ。
リアンが食べられたら、ゲオルグは私を嫌いになるかもしれない。それは困るわ。」
彼女は暫く、素描を続けた。
それが終わると、今度は人形用の図面を引き始める。
私は、椅子から降りると、明かりが置かれた出窓へと近寄った。
フェリンの中にある理屈を聞き、問いただしたいと思う。
思うが同時に、これがアンテが私に本当に注意したかった事なのだとわかった。
夫が生きているような言動が問題なのではない。
彼女の世界には、ゲオルグという男が中心で、他は無い。
私はリアンではないし、シュナイでもない。
そして、夫を失ったフェリンでもない。
それぞれに苦しみの末に至った、今の家族の姿に何も言うことはできない。
ただ、窓辺の明かりが悲しい。
孤独なのは、私だけではないのだ。
戸別確認と称して、兵士が屋内を探索する。
家人は庭に出されて、兵士から質問を受ける。
たいした質問ではない。
彼らが注意しているのは、我々の言動よりもその態度だ。
襲撃者から逃れ生き残った者もいるだろう。
そして、私達に関しては、監視もついていたはずである。
故に、確認は短い時間で終わった。
襲撃から既に三日。
それでも、外出は禁じられている。
元々、寄宿者への食事を提供する為に、グリューフィウス家には大きな食料庫がある。
乾物や保存食以外にも、結構豊富な食材が地下に置かれている。
本来は後三人は学生が暮らせるようにと仕入れていた。それ故二週間は私達も含めて普通に暮らせる状況だ。
しかし、隣近所は違う。
日々買い出しをするのが都内の一般家庭では普通である。
備蓄といっても、三日もたてば不自由になる。
そこで隣近所を誘って、グリューフィウスの家で炊き出しをする事にした。
耐えるとしても残り数日だ。
軍も一週間が禁足の限界とわかっている。昼間の外出が近々許されるようになるだろう。
そして、市場などの流通もそれと共に再開するはずである。
という予想で、東側の庭で竈を作り煮炊きを始めた。
同じ通りの数件に声をかけると、すぐに人が集まる。
禁足でも食事を分け合う事までは見咎められない。
と、いうよりも、この近所をとりまとめているのが、グリューフィウスなのである。
警備兵など禁足をかしている軍に連絡する者が、炊き出しをしているのだから文句もない。
隣近所、五六軒で一家がとりまとめ役をしている。
何事か問題が出れば、そのまとめ役が区の役人か警備兵へと申し出るのだ。
これは住宅区域に限らず、どの区域でもそのように、小集団がつくられているようだ。
その煮炊きの風景に、私とフェリンの姿は無い。
フェリンは人形を作っている。
そして、私は出窓に座りながら、それを眺めている。
作業場となる部屋は静かだ。
出窓とは別の窓から、庭が見える。
簡易の食卓を並べて、久しぶりに楽しそうな笑い声が聞こえた。
公爵は、昼間から酒を飲んでいる。
ニルダヌスは肉を焼いていた。
シュナイは鍋の火加減を。テトは真面目に肉と鍋の行き先を監視している。
リアンは近所の子供たちと騒ぎ、アンテは料理を並べている。
そして、ドゥルは時々作業場の窓に顔を向ける。
ドゥルは心配していた。
たぶん、嫁の中のおかしな部分が、誰かを傷つけないかと心配なのだ。
それでリアンが不幸になるのではないかと。
フェリンからは、あれ以来、意味のある会話はなかった。
ただし、私を模した人形を作っている。
そして、何故か、私にその作業過程を見せる。
私は作業につきあいながら、少し、考えるものがある。
フェリンとボルネフェルトは、私に何かを知らせたいのだ。
しかし、それを言葉にする事はできない。
言葉にしてはならないという、何か制限があるのだろう。
フェリンは髪の毛をつけ終わると、琥珀色の硝子を山にした。
人形の瞳だ。
それを一つずつ選び出しては、私の瞳と見比べる。
気に入った物を選び出すまで、一つ一つを丹念に見比べた。
そうして選び出したものを、研磨する道具で形を整える。
整えた後、紺色の天鵞絨に乗せた。
ひし形の天鵞絨には金の糸で刺繍が施されていた。
私を出窓から手招くと、彼女は琥珀色の硝子に蝋燭の光りをあてた。
(これは)
私の呟きに、彼女は微笑んだ。
何故か、先ほどまでの硝子玉にはなかった紋様が刻まれている。
それを私の手のひらに乗せると、彼女は再び硝子の山をより分けはじめた。
私は手のひらで硝子を転がした。
刻まれた紋様は、どの角度からも同じように見えた。
必ず、視線があたる方向に、同じ角度で紋様が見える。
呪陣だ。
呪陣の紋様をなぞる。
外側が反転。
内側が本質。
中側の紋様を通すと、擬態となる。
身代わりの呪陣だ。
この小さな円の中には、素晴らしい技術が濃縮されていた。
古い技である。
繊細では無いが簡潔で力強い。
子供を守る為の品。
と、言う目的に特化している。
この技術が血統であるならば、ボルネフェルトの家系は、もとより、こうした技術を拾得しやすいという事だ。
これは人族の風習だ。
人族の風習と人族の祭り。
ボルネフェルトの父親は、典礼長であった。
いや、考えを広げすぎるな。
この硝子の中にある術は、けっしてまやかしではない。
実用的な物だ。
つまり、必要なのだ。
山に入る時につける熊除けの鈴と同じ。
森に入る時に必要な、虫除けの草と同じにだ。
神の威光と偽り売りつける水ではない。
本物だ。
私が硝子玉から顔をあげると、フェリンは頷いた。
「これは必要なのよ」
つまり、腐った魂とは、子供のおとぎ話ではない。
人形を真剣に作り続けるフェリンには、この世界は暗黒なのだ。
暗黒が見えるのだ。
私は、正しく問わねばならない。
今まで、誰に対しても、問い方が正しくなかったのではないか?
だから、曖昧な返事になり、答えがわからなくなる。
それは、疑問が正しくなかったからだ。
目に見える事に囚われていた。
だが、私が対処すべき事は、呪術である。と、考えれば良いのではないだろうか?
人の悲しみと罪、過去と今に手を伸ばしても、私にはつかみきれなかった。
ならば、呪術だけを追えばどうなるだろうか?
もちろん、全てを知らねば、その術の変化や利用した意味もわからない。
だが、コンスタンツェが知らせてきた物。
このフェリンの語る事。
そして、ランドール王の言うエイジャとアンネリーゼ。
もしかしたら、沈黙をするグリモアは、材料としては十分と考えているのではないだろうか?
(奥方)
「なぁに?」
集中しているのか、間延びした返事をするがフェリンは硝子から目を離さない。
特に大きな固まりを手に取ると、明かりに透かしている。
(昔話を、教えて欲しい。)
「どの、昔話かしら?」
(人族の、昔話です)
「いっぱいあるわねぇ」
(人形が必要になるお話です)
すると、フェリンは顔をあげた。
「人形のお話?」
(そうです。ボルネフェルト家の人形のお話です)
彼女は、小さく頷いた。
「祖であるモーデンとその使徒のお話ね。
ボルネフェルト家も、モーデンと共に国を作った使徒の家系なのよ」
(使徒とは?)
「人族の中でもモーデンに最初から仕えていた氏族よ。本当に古い者は十八人。
高位貴族の人族で長命種。
地方所領が無くここ王都に暮らす王家の家臣が殆どね。
長命種の祖と言われるモーデンは、人族種の中でも特に長命な種を率いていた。」
(人族大公家ですよね?)
それにフェリンは、少し考え込んだ。
「多くの人が、間違えて覚えているって本当なのね」
(どういう事です?)
「モーデンは長命種の祖であって、大公家の祖ではないのよ」
フェリン曰く。
モーデンは、人族種の中でも特別に長命で力の強い種の長だったそうだ。
長命種とは、本来、長命で力強く獣人に勝るとも劣らぬ戦士であった。
しかし、極端に繁殖力の弱い存在であり。モーデンの血統が人族の主勢力になる事はなかった。
ただし、その力強さと知恵、長い命は尊ばれた。
英雄や賢者のような存在だろうか。
人族大公家は、そのモーデンの血を薄めた存在である。
直流と本人達は言っているが、モーデンの種族とは既に別の者である。
肉体はモーデンほど強くなく長命でも無いが、繁殖力が高い。
その大公家は必死に、長命種の血統を絶やさぬようにしているが、既に亜人と同等の寿命の人族が増えつつあり、何れ長命種は貴族以外にはいなくなるだろう。
長命種、とは、モーデンの子である。
しかし、その特質は、繁殖力を選んだ時点で消える運命のようだ。
そして、使徒とは、そのモーデンの氏族の末裔である。
しかし、使徒も長い年月の末に、今では特に目立って長命でもなければ強靱な力もない。
時々、ゲオルグやシュナイのように、武力に秀でた人間があらわれる程度である。
(では、グリューフィウス家もですか?)
「私が妻になれたのは、ボルネフェルトの名が選ばれたからなのよ。
いくら私が押し掛けたとしても、義母様が私を認めたのは使徒の家系だから。」
ぞわり
と、背筋が寒くなる。
「グリューフィウスもボルネフェルトも、元を辿れば使徒へとたどり着くという訳ね。
大公家も積極的に使徒の血筋と婚姻をするから、どうしてもモーデンが大公家の祖と勘違いしてしまう。」
(奥方、人形の話をお願いしたい。
使徒は、人形をお使いになられたのでしょう?)
私の言葉に、フェリンは微笑んだ。
そして、うれしそうに頷いた。
暗闇が見える。
とても深い、闇だ。
「モーデンの使徒は一七人。
十六人の兄弟と一人の妹。
一六人の兄と妹は、とても仲良しでした。」
フェリンは再び、硝子を炎に翳した。
「彼らはモーデンに連れられて、立派な町を作りました。
人も獣も仲良く暮らせる町です。
ところが、それを妬んだ者がいました。
モーデンの知恵と力を妬む者です。
長生きで力のある優しいモーデンが狡いと考える男でした。」
(氷の魔物を呼び出した?)
話の腰を折るとわかっていながら、私は口を挟んだ。
「氷の魔物のお話ね。
似ているけれど、このお話は少し違うのよ。
さて、狡いと考えた男も自分の町をもっていた。
けれど自分の町の人間は、優しいモーデンの所へと、皆、行ってしまった。
獣を奴隷としていたから。
でも、それは他の町では普通の事だった。
意地悪をしていた訳じゃない。
だから、妬ましくて寂しくなってしまった。
そんな寂しい男は、いろいろと嫌がらせをしました。
でも、モーデンと使徒は、町を囲いで囲んでしまいました。」
(そして氷の魔物をけしかけた?)
「いいえ、寂しい男はひとりぼっちになった。
すると、使徒の中でたった一人、その男を気にかける者がいました。
一七番目の使徒である妹です。
妹は、仲間の輪にはいれない男に、手を差し伸べました。
一緒に仲良く暮らしましょう。とね。
男は使徒の輪に加わりました。
モーデンを妬むよりも、一七番目の使徒を好きになることを選びました。
モーデンなんて気にもなりません。
男はとても幸せになりました。」
フェリンは、大きな琥珀色の硝子を削り始めた。
玉に削り、更に表面に何かを施す。
「そうして、男は十八番目の使徒になりました。
ところが、ある日の事。
一七番目の妹が、重い病にかかりました。
使徒が病になるなど、聞いた事もありません。
そこで、皆はモーデンに尋ねました。
すると、モーデンは答えました。
澱む魂を持つ者が、末の使徒を喰らいに来たと。」
(澱む魂?)
「神聖教徒の言う腐った魂の事よ。
魂を喰う悪霊。
子供を喰う鬼。
子供を殺す親。
文字通り腐りきった性根の者。
モーデンは、幼い一七番目の使徒を喰いに、そうした悪霊が来たのだと言った。
十六人の兄は、町に更なる囲いを作った。
悪い物が入り込まないように。
そして、十八番目の男は、人形を作った。
大切な一七番目の使徒の身代わりに。
そっくりな人形をつくった。」
(氷の魔物は出てこないのですね)
「悪霊は囲いを壊して入り込んだ。
そして眠る娘に食いついた。
しかし食いついたのは人形で、魔物は人形の中に吸い込まれた。
モーデンは人形を娘から引き離し、兄達は囲いをなおしました。
そして一七番目の使徒は目が覚めました。
兄達と妹と、そして男は喜びました。
喜び、再び仲良く幸せに暮らしました。
けれど」
びっしりと表面には古代の文字が刻まれていた。
琥珀の硝子玉の中心には、青白い炎揺らめきが宿る。
それを私に差し出しながら、フェリンは続けた。
「腐った魂の入り込んだ人形は、モーデンが土に埋めました。
けれど、いつの間にか、その腐った魂は増えて土の中で育ちました。
氷のように冷たく、そして醜い巨人です。
彼らは、子供の魂を喰いに現れます。
子供を喰い、女の血を啜るのです。
使徒の子孫は、必ず人形を子供に抱かせます。
モーデンは土に帰す事を願いましたが、彼らは貪欲すぎたのです。
土に帰らず、醜い願いの為に悪行を重ねるのです。
そして、モーデンを探すのです。
何故なら、彼らも又、モーデンの子供だからです。」
手渡された硝子玉は、卵ほどの大きさだ。
表面の古代文字は、災難を払い取り除く言葉が綴られている。
中心の炎は、命の言葉を模している。
人の名を司る言葉だ。
そこには、私の名前が揺れていた。
(奥方は、見えているのですね)
「いいえ、作る事ができるだけ。綺麗でしょ」
(腐った魂が、敵、なのですか?)
「彼らは、ここにいるのよ。
長い間、ここにいる。」
(それは誰なのです?)
「誰でもないわ。
だって、彼らは死んでいるんですもの。
それに姿も無い。
人の形にさえも戻れない。」
(子供を喰うのですか?)
「子供はこれからの命だから」
(これからの命?)
「彼らは、モーデンになりたいのよ」
(モーデン?)
「長命種の祖であるモーデンになりたい。
永遠に美しく、永遠に勇ましい、永遠の人」
(永遠の人?)
それはエイジャではないのか?
「モーデンは古の人から知恵を授かり、永遠を分け与えられた。
戦にて滅しなければ、古の人と同じく神になれたと言われているの。
そのモーデンを喰らえば、同じく神になれると思った。
それが澱む魂を持つ悪霊にとりつかれた人の事。」
(それは)
「夜の民を嫌うのは、その澱む魂にとりつかれた者と同じく、人を喰らうから。
でも、本当に罪深いのは夜の民ではない。
だって、獣は獣の本能で生きているだけ。
澱む魂は己の欲望の為に人に害を為す。
彼らはモーデンの血を吸えば永遠を得られると考えている。」
再び私から硝子玉を取り上げると、彼女は炎に翳した。
「だから、人形を作るのは人族の長命種、それも使徒の家系の風習なのよ。
本来なら、他種族には必要がない。
でも貴女は、違う」
何が違うかと問うことは無意味だった。
私は、そのモーデンに永遠を与えた男の娘だからだ。
使徒の娘よりも、永遠に近い。
そして、それを言うなら、リアンも使徒の娘である。
こうして、人形を作り続けるフェリンの理屈は、つまりは、永遠の血と愛故なのだ。
(彼らは何者なのですか?)
「誰でも無い人」
私は手を胸に当てると、目を閉じた。




