ACT214 襲撃
ACT214
以前、ターク公がカーンに説明していた前公王、名無しの話を思い出してみる。
名無しは、大公家との血を残す事ができなかった。
そこで後宮に、あらゆる種族の女性を召しかかえた。
そして、授かった子供は精霊種との娘。
ランドール王には、妹が三人。
名無しの娘、本来は姪御である姫が一人。
名無しとも異母妹になる姫が二人。
この二人の姫は、母親がそれぞれ違う人族大公家血筋になる。
二人の父親は名無しとランドール兄弟と同じ。
その娘二人の内一人はニコル姫だ。
精霊種との混血で、女が誕生した場合、精霊種にならない事はあるのだろうか?
公王の妹姫が精霊種?
私と同じ種族という話は今のところ聞いていない。
それとも名無しとの縁を切る為に、伏せられているのだろうか?
そして今、鬼籍に入っていないのは一人。ニコル姫の妹である異母妹である。
一人は亡くなっている?
ランドール王の言葉からすると、アンネリーゼから生まれたのは男児だった。
姫ではなく王子だ。
それとも、別にいるのだろうか?
そもそも王子は、何処にいるのか、否、神殿か?
ターク公は、知っているのか?
ランドール王は、ある程度教えているだろう。
それにコルテス前公爵は、名無しの時代に仕えていたのだ。
なによりニコル姫が嫁いだ先だ。
知らぬ訳がない。
姫は、夢で渡りがあったと言っていたのだから。
次に、名無しは精霊種の番を殺して、生き残りを集めた。
それに激怒した神殿が、ランドール王を擁立した。
カーンは、名無しが表向きは病死だと言っていた。
たぶん、これがカーンの世代、つまり今の世間一般の認識だ。
処刑でも変死でもない。
病没し、その名は不吉であるから避けるという感じか?
前王の名前を知らずとも、下々には関係がない。
しかし当時は、名無しは斬首になったというのが世間の認識だ。
そして、改訂され手元に届いた公文書も処刑である。
真実か否か、カーンが名無しの罪状をこう言っていた。
第一位の妃の殺害。
たぶん、アンネリーゼの殺害容疑。
重臣達の殺害。
後宮内の女性達や、王城で働く者や兵隊の殉死。
変死を斬首としたのも偽装である。
世間に病死であると流布させたのも偽装である。
死の真相を伏せる意味があったからだ。
処刑後、罪人として名を禁じた。
ただし、記録上、守護が失われ王城内で人が死んだ事実は無い。
死者の列挙部分は省略されている。
前王が名無しとなった罪状と思える記述、元老院の議事録にある罪状。これは省略よりも妙だ。
不敬罪?であろうか。
何れも、神殿の関係者が不快と感じる罪が並んでいる。
もっともっと己が賢ければ分かる筈なのに、何もかもが意味深であり、繋がりそうで繋がらない。
違う考え方をしないと、何か見落としてしまうだろう。
では、何に手をつければいいのか?
「名前をとりあげる決定が成された時、公王家と二つの大公家、そして元老院の上位貴族は、ある約束事を自らに課しました。
上位貴族、伯爵以上でモーデンと共に国を作った血筋の者です。
彼らは、私の父も含みますが、名を取り上げて呪いをかける事で結束したのです。沈黙をその掟として。」
夜、自室で一服していたターク公を訪ねた。
ニルダヌスも公爵の相手をしつつ話を聞いている。
「獣人領ではどのような感じでした?」
「記憶にはありません。南領は中央から遠いので、貴族階級以外の庶民には、公王代替わりよりも自領の支配者の動向の方が重要です。」
「まぁそうでしょうね。実は、騒がない事が忘却を早めると、当時の元老院は判断しました。
隠せる事は隠す。そして、不必要に情報を固めない。
数種の噂を流し、公式には書類にある通りの処刑で終わっています。
そして、約束とは、当時のランドール殿を擁立し、体制を掌握した者は沈黙するという事。
親兄弟であろうと、沈黙し、この汚点を伝えないという事です。
名を消し去り、存在した事実も消し去る。
今考えれば、実に卑怯です。
被害者の存在さえも消したのです。
そして、無い罪で後々苦しむ者を生んだ。
真実を葬り去る事で病巣が残ったのです。
私の父は、その全てを厭いました。
だからこそ、私はニコル姫を娶る事ができたのですが。」
(それは?)
「ランドール殿を含めて、権力を掌握した者達は、誇るほどの者ではありません。
愚かで救いようの無い者ばかりです。
アレの罪は、愚か者を救いました。」
(罪、守護を壊した事ですか?)
「いいえ、死んでしまった事ですよ。」
(守護を失わせた多くの人を死なせた事では?)
「お忘れですか?
姫のようなお力は特別なのですよ。
大きな災厄を呼び込み、この世界を傷つけた。
と、ランドール殿と神殿は考えています。
ですが、我々ただの人には、何も見えないしわからない。
では、人が死んだが、眠る御方が防ぎ、アレが生き残っていたならば、どうだったでしょうか?」
(でも)
「アレが死んだ。
だから、神殿の者の言葉が真実であると皆、信じたのです。
この都、人の世界を守っていた物が壊れたと。
眠る御方が守ってくれたが、それも万全ではないと。
死んだから信じた。
おかしいですよね。
でも、アレが生き残り、その罪を否定したならばどうでだったでしょうか?
死んでしまったからこそ、死んで逃げてしまったからこそ、その罪により私達は、歩みを変えたのです。
逆に考えれば、生きていたら歩みを変えずにいた。確実にね。」
私の表情に、公爵はため息をついた。
「後は、潰し合いです。
王が一人で何ができますか。
三代目が原因で凶事が起きた。
ですが一人で全てが賄える訳ではない。
醜い争いの後は保身です。
三代目の名を取り上げたのが恐怖ならば、その後に、己が罪を伝えないのは、保身なのです。
恐怖と保身、恥。
己の生き方を誇るほどの者では無い。考える事ができるなら、恥じるのが普通です。
正しいと、心の底から思えないのですから。
だから、己の恥や怒りをランドール殿や姫に向けたり。
心の奥底で同じ血を持つ彼らを忌避しているような、当時の風潮はひどいものでした。
そしてそんな風潮に、父は恥いりました。
何故なら自分が抱える秘密も、三代目との血に苦しめられる彼らと同じであるのだから。と、ランドール殿とニコル姫に伝えました。」
(夜の民ですね)
「我がコルテス家は、彼らを受け入れました。
彼らとの間に子供はできませんが、コルテスの氏族では、婚姻を結んだ者さえいます。
そして、飢饉のおりには、彼らの性状をも受け入れました。
生きる為にと人を殺して食した事だけはありませんが、死んだ者を口にした事はあるのです。
我がコルテスの強さは、少なくとも共に生きる彼らの強さを取り込んだことです。
父は、その事を伝えました。」
(神殿には漏れなかったのですか?)
「元々、神殿内は、三代目の時代が一番荒れていました。
その中で最高権力者の代替わりがあったのです。
ランドール殿が即位して数年の間、神殿は宗教改革という名の勢力争いが激化しました。
三代目と迎合を続けた当時の神殿長の派閥と、穏健派と改革を推進する層の二派に分かれていましたね。
現在は、その穏健派が神殿長を継いでいます。
過去の主勢力だった三代目派閥の長達は、まぁ、いろいろあって駆逐されたようですね。
勿論、破滅を呼ぶ行いをした三代目が既に死んでいたので、元々神殿長の派閥は劣勢。
実行部である審問官も多くが、内部でつぶし合い今現在は、全盛時の半分の数にもなりません。
そのような状態では、他の人間の弱みを探る事など後回しです。」
住民全員が知り合いであるような、村の暮らしとは違うのだ。
いろんな立場の人々が、たくさんいる。
争いながら、それでも生き抜こうとしている。
愚行の結末が分からないのは、妥協点を求めた末か。
おかげで近しい過去が見えないようになった。
今、生きる者にとって疚しい物事は、無かったことにされている。
「姫の考える通り、記録は改訂が入っているでしょう。
私の記憶にある限りでは、あの年の始め、祭りの準備をしていた者が不慮の事故で亡くなり、その後、様々な事が重なって、初めて春の祭りが取りやめになりました。
そうですね。
アレが頻繁に国賊として臣下などを処刑し始めた事と国璽紛失が、代替わりの祝祭を遅らせたのは、大分、後の事です。
少なくとも、国璽紛失は死んだ後。
ゲオルグが死んだのは、その少し前。
夏の終わりでしたからね。
春の祭り。
春の祭りは、事故だったと記憶しています。
自信はありません。
年明け早々から、私は殆ど行政事務を扱う府内で寝起きしていましたからね。
その頃、すでにランドール殿を正式に継承者として認めようと、元老院と神殿の穏健派が行動を開始していました。
父は、体調を崩し気味でしたので、その職務を肩代わりしていた私は、王府の仕事に忙殺、ちょうど私の娘にこき使われる誰かと似た状態でしたねぇ。
役目は人を動かす事でしたが、私自身は世間と切り離されていました。
連日の元老院から出される指示は、乱丁気味の現王を、後継者を明確にする事で押さえ込もうという物と、真逆の物の二通りが出されていました。
政治的混乱が最初にあったのですね。」
ターク公は飲み物に口を付けると、暫し考えるように口を閉じた。
私は林檎の風味のお茶を飲んでいる。
ニルダヌスは果実の混合酒だ。
薄い桃色の液体は、見た目と違って濃度が高い。
獣人の薬物耐性のおかげで、人族の酒類は子供の飲み物と同じらしい。
そしてターク公は蒸留酒をお湯で割った物だ。
三者とも違うのは、飲み物を作る小卓が部屋の隅にあるからだ。
元々、グリューフィウスの寄宿棟の中でも、この部屋は貴族の子弟向けである。従者の部屋が続きにあるのもその為だ。
「春の祭りについては、やはり神殿に問い合わせなければならないでしょう。
そして、この都の地図は、そうですね。本当に詳細な物になると、入手は不可能でしょう」
(何故です?これだけの発展した場所です。地図は作られているはずです。住民の台帳も、商売を行う場合も、取引で必要になるのは、地図です)
「もちろん、地図は必要です。建造物を建てるのにも地図は必要です。
区画ごと、その管轄ごとの地図はあるでしょう。
例えば、商業地区ならば、その商業地図内の表面積の所有者や価値をしるし、上下水の地図もあるでしょう。
商業区行政の王府の管理部門が、商業地区の中だけの、それも一部を把握している物ですが。
しかし、その商業地区でさえ、統合された地図はありません。
基本となる商業地区の区割り地図はあります。
それは基本的な面積しか表示の無い物です。
つまり、それぞれの必要な事を、その基本図に書き込み、塗りつぶすような物です。
そして、私が言ったのは、わかりやすく大きな区切りで説明しただけです。
実際は、商業地区を更に分けて、その担当が受け持つだけの部分の詳細地図はありますが、商業地区をまとめた詳細な地図はないのです。
そしてこれは、細分化するように、わざとなっているのです。
そして大きな地図、基礎地図には詳細な書き込みはありませんが、災害時や緊急時の道と避難場所、この都の中の地区配置だけは記されています。
この都の大きな配置は、例の守護の為に変化させません。
ですので、この基礎地図にも変化はない。
つまり、今、私が書きおこせる程度の地図しか、存在しないのです。」
「地図をつなぎ合わせて、王都全体地図にする事は禁止されています。観光での一時的な滞在者に渡される地図は、商業、歓楽、観光用の部分地図です。
それも簡易の物で東か西か、公園の番号等が目的地別にかかれているだけです。」
(買ったのですか?)
私の問いにニルダヌスは少し笑った。
「地図という物自体が珍しいのです。兵隊が見る軍事的な物は、必要だから与えられますが、普通の暮らしに地図はありません。
村や町から一生出ないで暮らす者も多い。
商人も高価な地図をもっていたとしても、それは交易路がどこに向かうかを記された簡易な物です。
逆に詳細な地図を携帯する者は、身分や目的を疑われます。
軍部や都の警備隊、王城の公王の兵士、神殿兵団。
何れの兵士の集団組織にも、それなりの地図があるでしょう。ですが、それを持ち出し公開することは、ありえません。
そして、それを欲しがる理由を邪推されかねない。
王陛下だとしても、その理由を問われるでしょう。
何故、今、都全体の詳細図がほしいのか?と。
地図とは国家機密であり、軍事上の最重要品目の一つなのです。
ですから、旅人が持つ簡易の地図にも、本来はその記載地の支配者の許可がいります。勿論、村人が書いた略図にいちいち取り締まりなどしませんが。」
ニルダヌスの説明を引き取るように、公爵が続けた。
「姫が欲しい地図とは、建国時の物。都の古地図、守護が置かれたとされる基礎構造図と考えてもよろしいか?」
(エイジャ・バルディスが考えた都の構造を把握したいのです。
そうして術を理解し、改善点を模索したい。
併せて過去の出来事を把握できれば、何が起こったか理解できるのではないでしょうか?)
「ランドール殿と相談します。基礎構造図は王府内でも部分部分毎に管轄が違っています。建設局と外郭を管理する軍、そして上水局、数え切れないほどに分かれているでしょうね。ですが、一番古いものならば、手に入らなくもない。確約はできませんが」
(一番古い物こそでしょうか。今の状態と見比べてもみたいですが、まずは、最初にどのような術が使われたか知りたいのです。それと..)
問うことを何処かで、躊躇う自分がいた。
(どうやって、呪ったのですか?
名を取り上げるという事は、呪わずともできましょう。
ですが宗教統一の後、そのような異端を実行できたとは思えません。表面上の行為と言う意味ですよね。)
ターク公は、私を見つめると、うっすらと笑った。
「邪教が国教となれば、それは邪教ではなくなるという事です。
生き残り勝負に勝ち、多数が信心すれば、それは正しい事になる。
勿論、邪教と呼ばれる物は、本当にあります。
この国の宗教は、まだ良い方でしょう。
禁呪とされる力も又、捨て去りましたから。
ですが、神聖教にも野蛮な部分はあったのです。
いくらでも、人は野蛮で冷酷になれる。
同じ知識でも、野蛮な者が手にすれば、下劣な行いになってしまう。
夜盗のふるう剣も、騎士のふるう剣も、同じなのです。」
(呪詛は神聖教でもできるという事ですか?)
「呪詛が何かとは、私には分からない。
ですが、神官の力とは、姫の力を薄めた、もしくは、干渉するほどの威力のない物だと考えています。
当時、三代目が滅び復活する事を阻止するという起請文が作られました。
率先したのは、やはり、神殿でした。
死して復活する。
その名を翳して、三代目と同じような者が育つ事を阻止する。
まず、現実に名前を消し、次に、神殿は、その遺体から名前を取り上げました。
実際には、贈り名を与えないという事です。
ここまでならば、不慮の事故や身よりの無い者ならば、よくある事です。
贈り名を与える間もなく亡くなり、山野に朽ちた場合ですね。
贈り名が無くとも、この世界では命は巡ると考えられています。
ですから、贈り名などというのは、人の習慣にすぎません。
しかし、ここからが、呪詛等とは関わりが無いはずの、神聖教の呪いです。
三代目は、名前の代わりに、違う物を与えました。
名前ではなく、生まれぬ物という性質です。まぁ名前とも考えられないわけではない。
ですが、生まれぬ存在に名前はありません。
それから、その遺体を焼却し灰にしました。
その時、起請文が作られ、沈黙を誓い憎しみを灰に込めました。
生まれぬという性質を帯びた灰を、赤子に与える。
産湯に混ぜて身にかけ、野に遺棄したのです。
赤子が野に置かれれば、一時も保たずに死ぬでしょう。
生まれたばかりの子供です。
呪詛が化け物を呼んで人を殺す等という事はありません。
人が人を殺す。
呪詛が見えない私には、その行いだけで十分恐ろしい。
想像してご覧なさい。
その様子を見たならば、きっと誰が悪で邪教の徒と考えたでしょうか?
私ならば、生まれたばかりの赤子を灰まみれにして、野ざらしにするなど、鬼畜生と思います。」
(でも、生き残った)
「そうです。貴女の弟は生きていますよ。」
私は、当然の事を見落としていた。
「どうしたのです?何を驚いているのですか」
私は、己の事ばかり考えていた。
何という、失態だ。
「一昼夜野ざらしにされた赤子は生き残りました。
神官が言うには、灰は変化し赤子を締め上げていた。
しかし、それを上回る力が加わり、常に呪いを押し返している。
神の加護が子に与えられた。だから、子供は生かし神殿が預かると。」
ターク公は、酷く不愉快だと言った。
「神の加護?
母親の加護、ただそれだけの話です。
正しいという場所にいすぎた者ほど愚かです。」
(彼は今?)
「無事に生きていらっしゃいますよ。
愚かですが、邪悪までには至らなかった。
今の神殿長は善良といっても良いでしょう。
ですが、いつまでも彼らが良い行いを続けられるかは、疑問ですが」
(彼は、自分の生い立ちを知っているのですか?)
「当時の神殿長は、今の穏やかな男とは全く違う性質でした。時代の所為もあるのでしょうが」
言い切るとターク公は、ニルダヌスに顔を向けた。
「音をたてて歩くのは、動物と一緒だと鞭でたたく。
扉を開けた時に音がしたと、再び罰。
食事で粗相をすれば、二度と暖かい食事を与えない。
まぁ理由など無くても鞭を振り上げる。
抑圧と体罰ばかり行うので、まったく知識教養や道徳の教えがうまくいかない。
だから余計に神の教えと称して、子供を叩く。
お前は悪人の子供である。
お前はお情けで生かしているのだと常に言い聞かせる。
だから、鞭をふるうのは邪悪な物を体から叩き出す為だと言う。
どう思う?
私はこれに似た行為を行う女や男を見ると、鞭を取り上げて、逆に叩きのめしたくなるのだが。」
それにニルダヌスは、黙ってつまみを食べていた手を止めた。
「己を正当化する事に執心する者に多いですね。
無能で口だけ、小物で俗悪、虎の威をかる狐。
金と権力がある場合は、我慢もしましょうが。
兵隊どうしなら、まぁ、南領の熱帯行軍の途中で行方不明になるでしょう」
「それは良いな。
と、言う事です。
彼は知っていますし、才能があった。
だから、姫と同じく見えるのです。
己が呪われている事も見えているでしょう。」
あまりの酷さに、私は何も言えない。
すると、公爵は、何故か謝罪をした。
「違いますよ。そんな酷い男が最初に引き取りましたが、育てたのは巫女達です。
そして、当時から美しい幼子は、それはそれはかわいがられました。
悪し様に罵られた事もあるでしょうし、日々、苦しい思いもしましたが、一人きりというわけでは無かった。
本人はどう考えているかは、わかりませんがね。
ただ、苦しいばかりの生活だった訳ではありませんよ。
何しろ、その最初の神殿長は、巫女頭が叩きのめしましたし。」
聞き間違いと思い、私は目を瞬いた。
「叩きのめしたんですよ。
当時の宰相のお気に入りだった巫女頭は、とても美しい人でしたが、気性も荒い方でした。
元より幼子を呪うという行為を行った神殿長に、激怒していたようです。
引き取った幼子が、言葉を発し、そして周りの状況を理解できるようになると、神殿長が直々に正しい教育を施そうとしました。
さっき言ったような正しい事ですね。
暫くは、何が行われているかわからなかったそうです。ですが、時々見かける姿に、健康が損なわれつつあるのを巫女頭が気がついた。
そして神殿長の正しい教育を知り、激怒し、暴れたそうです。
勿論、こんな話は世間には流れていませんが。
父もこの話が好きだったらしく、何度も聞かされました。
彼女は素手で叩きのめした後、子供を抱えて宰相の館へと転がり込んだそうです。
そのまま、巫女は引退されましたが、それ以来、外部から教育と監視が入るようになりました。」
激怒し暴れ、神殿長を叩きのめした?
クリシィを基準に考えてしまうと、ありえない。
若い人だったのか、神殿長が老人だったのか。
「神殿長は、年若い人族の男でした。そして、殴りつけて再起不能にまで自尊心を叩きのめした巫女頭の女性は、獣人の方です。
当時の宰相は、その方をお迎えになられたそうです。」
「..重量ですか?」
ニルダヌスの厭そうな問いかけに、公爵は頷いた。
「見かけはなよやかな女性だったそうですが、子供を殴る姿を見たようで、小山のようなお姿に。
子供をくわえると、神殿正面の扉を破壊して出てきたそうです。
父がちょうど病平癒の祈祷に来ていて現場に居合わせたそうで。とても勇ましいお姿だったと。それはもう、喜んで喜んで」
「それはまずい。よく殺さなかったと思いますよ」
「たぶん死んだとしても、当時の宰相は、そうとう彼女につぎ込んでいましたから、不問でしょう。」
「仮にも神殿長でしょう、神殿の方が黙っていないのでは?」
「多大な寄付で豪華な寄宿棟を建造した宰相の家格は公爵ですよ。まして西に分家した大公家、王家筋ですからね。」
「西ですか、どうりで獣人への忌避感が無いわけですな。むしろ重量の嫁は喜ばれたでしょう」
「そういうものですか?」
「西も環境が悪い。強い血筋が一番ですから。それに中々重量種は人族を選びません。」
「なるほどねぇ、当時、宰相殿は年輩の方でしたが、お子様には恵まれておりませんでした。いえ、いるにはいたんですが、あまり素行のよろしくないお子様方で。
先妻は離縁し、巫女頭殿は後妻ですね。なんです?」
「..私の想像ですと、嫁入り後は彼女の天下ですか」
「今現在は、そのお子様の一人が、宰相補佐をしておりますよ。嫁御の教育がよかったのか素行は矯正されたようです。」
「そりゃそうでしょ。最初に拳で順位を明確にした後、会話も拳ですからね。息子ばかりだったんでしょう?」
「えぇ、ご自身の御子も男子だったようで。噂では、宰相を排出していた家系だが、何れ軍属を出すだろうという話ですよ。」
「嫁の教育でしょうな」
酔いが回った二人の軽口に、私は何も言えずにいた。
私の家族。
その言葉に、上がり下がる気持ち。
「何れ、向こうから会いに来るでしょう。」
(私の事は?)
「さぁ、何れ知れるでしょう」
(恨んでおられるでしょうか?)
「何故です?親を知らずに育った貴女と、親によって苦しんだ息子。どちらも何らその身に罪はございませんよ。
それに狭量な男ではありません。
少なくとも、叔父である王に臆するような人間ではない。
それよりも、貴女はどう考えますか?
貴女こそ、恨みをもたれるか?」
(恨む?恨むほど、私は親を知りません。そして、今の境遇を嘆いてもいない。誰かの所為と考えるほど、私は過去を知らない。
私は、私の責任で動いている。ただ、その人が)
「貴女の弟ですよ」
(私とかかわる事で、不幸にならぬように願うだけです。私の存在は、良い方向に事を運ぶとは限らない。
ならば今、少しでも幸せであるなら、その幸せを逃さずにいて欲しい。
私は、何ももたらさない。
だから、せめて幸せであって欲しい。
そう、思うのです。)
普通ならば、その細いつながりを太くし、血縁として絆をもちたいと思う。思うが、それは私のわがままだ。
弟の存在はうれしい。
だが、相手も同じとは限らない。
そして、私に先は無い。
基礎構造図を頼むと私は自室へと戻った。
布団に入ってから、弟の名を問わなかった事に気がついた。
勇気がないのだ。
布団の中から、窓の外を見る。
いつもの水音がする。
どこかで夜会を開いているのか、微かな音楽が聞こえた。
どこか物悲しくも美しい調べと、秘密めいた水音。
窓の外の夜に、木々の緑が黒ずむ。
ふと、意識が眠りに沈む。
すると、眠る自分の姿が見えた。
私は、枕に背を置き窓の方を向いている。
瞼は落ちかけ、額の紋様が肌から浮いて見える。
私は眠る体をそのままに、窓から外へと抜け出た。
今夜は寒い。
そう思いながら、私は蔦の絡まる木戸を押し開く。
目の前には夜の道、街灯に照らされた石畳が黒々としていた。
水音。
私は、本来なら進めない場所に方向を定めた。
壁と人の家々を突き抜ける。
石を壁を木々を風となって吹き抜ける。
向きは北北東、下級貴族の居住区を一息に抜けた。
中央公園だ。
人影はない。
獅子の彫像を抜け、更に進む。
水辺を突き抜け、再び鉄の柵へとたどり着く。
初めての場所だ。
だが、とても大きな屋敷ばかり。
夜会の開かれている館には、多くの馬車がある。
それをも横切り、たくさんの人々の姿を目にしつつも、私は吹き抜けていく。
静かだ。
大きな建物。
先ほどまでの邸宅が並ぶ区画を更に抜けたようだ。
見たこともない複雑な建物が並んでいる。
兵士の姿も見えた。
建物は何層にも重なり、外郭に近づくほど高い。
人もたくさん動いている。
でも、ここではない。
迷路のような建物から、北に進路を変える。
すると、王府と城、そして外郭が近づいてくる。
そして、その手前に、黒々とした大きな高層の建物があった。
私はようやく歩みを止めた。
ゆっくりと、門をくぐる。
物々しい兵隊。
彼らは、今まで見た軍の兵隊とは違う制服だ。
夜なのに、建物には明かりが灯っている。
正面の扉をくぐると、広々とした部屋には、たくさんの椅子と机が見えた。
奥には木の長机が置かれており、仕切ごとに丸椅子がある。
役所?
右手には階上に上る階段。
簡易な折りたたみの仕切の向こう側には、やはり、ちらほらと人がいた。
皆、仕事をしている。
どこだ?
(こちらです)
答えに私は進んだ。
人の並ぶ長机を飛び越え、その奥の扉に入る。
奥は更に様々な人々が事務仕事のような事をしていた。
(こちらです、我が姫よ)
奥の半円を描く天井を眺めながら、通路を更に進む。
複雑な階段がそれぞれの部屋へと人を招いていた。
私はそれを突き抜けると、奥の部屋で、彼は仕事をしていた。
膨大な量の書物と書面を机に積んでいる。
それを指で探りながら、彼は読んでいた。
熱心に読みふけりながら、読み終わった物から二つの箱に投げ入れている。
そして、そのどちらにもならない物が、机の隅に置かれた。
黙々と作業をしていると、見慣れたもう一人が部屋へと戻ってきた。
彼は主の肩をたたくと、飲み物を差し出した。
文句を言いつつも、長時間の作業に疲弊をしているのは確かだ。
彼は、この書類や書物を手に入れる為に、寝る間を惜しんで行動していた。
いつもよりも更に強引に事を進めて手に入れた物は、僅かな手がかりだ。
早急にすべてに目を通し、重要と思える事柄を探し出したい。
早くしなければ。
そう彼が考えたのは、長年培われた感だ。
人の後ろ暗い部分は、とても匂うのだ。
腐敗した匂いが、誰かの弱みを教えている。
そして、そうした匂いは、消えるのも早い。
最初に動いたのは、護衛だ。
主に静かにするように言うと扉に近づく。
扉には耳を当てずに、そのまま向きを変えると、窓に近づいた。
その護衛の様子に、彼は机の隅に置いた物を懐にしまった。
護衛は、主を部屋の柱の近くにある書類棚へと無言で促す。
書類棚を音を立てずに横にどけると、柱には細長い隙間があった。
主がそこに身を潜めると、護衛は再び棚を戻した。
護衛は剣を抜き、片手に明かりをもった。
(姫、ご覧ください)
棚の隙間からは、部屋の様子がよく見えた。
護衛は、最初に現れた物に角灯を投げつけた。
油がまき散り、その服を濡らすと炎が広がる。
それを護衛の剣が横になぐと喉笛が裂けた。
赤い血が吹き上がり、炎は簡単に消えた。
肉が焦げる匂いはするが、他に火がうつる様子はない。
手首が柔らかく動き、護衛の剣が室内に入り込む賊を切り刻む。
素早い足捌きと両手の動きに、生き物のように剣が踊る。
それぞれに斬り跳ばされた物が部屋にまき散る。
手首、鼻、足、耳、と、人の何かが切り刻まれる。
それは鎌鼬のようであった。
中型の剣は、狭い室内を風車のように回る。
それは足捌きも同じく、めまぐるしい旋回を繰り返し、巻き込んだ敵が吹き散れる。
真っ赤な血と、どす黒い肉片が部屋中を濡らす。
護衛が動きを止める。
隠れていた主は息をついた。
部屋には彼と護衛以外、息をする者はいない。
しかし、護衛は構えを解かない。
それを見て、外に出ようとした彼は動きを止め、視ようとした。
(姫、ご覧ください)
扉が割れ、護衛の体が吹き飛んだ。
そして扉から現れたのは..
夜、鐘が鳴り続けた。
シュナイは、家に留まろうとした。
命令は公爵と私の保護であるからだ。
そこで公爵も私も、家から出ずにニルダヌスとともにいると約束した。
公爵も皆も、何が起きているかを知る方が安全であると判断したからだ。
シュナイは警備隊へと走った。
鐘は、王都中の物で、厳重警戒を意味している。
火事でも事故でもない。
戒厳令の前段階を意味している。
そして何が起きたか分かったのは、次の日の夕方。
シュナイが正式に公爵の護衛としての任務を与えられた後。
家に戻ってからだった。
審判施設が襲撃された。
複数の死者とけが人、そして施設が破壊された。
審判施設は、軍事施設の一つである。
警備は、軍の審判部として兵力が与えられている。
その兵士をもってしてもくい止められない攻撃とは?
そもそも、誰が都の中で、国の施設に攻撃をくわえるのか?
三重外郭の中で、武器を持ち、徒党を組んで暴力に訴える。
あり得ない事である。
では、そのあり得ない事が起きれば、誰が疑われるのか?
武装を許可されている貴族階級と、それに使われる下層の民だ。
だが、問題は、他にもある。
何を目的とした襲撃であるのか?だ。
そして、王都は王国中央組織軍事司令部幕僚部より、南領軍団統括長を上級集団指導者に戦時下と同じく据える。
つまり、南領軍を頂点とした王国軍を戦時下と同じ命令系統に戻した。
そして大将となった統括長は、都内を中央常駐の第一兵団により占領展開をする。他の東西南の兵力は通常展開を維持。
王府王城は近衛等はそのままに、第一師団をあてる。
第一兵団の一は、第八とは違った意味で最強を誇っているらしい。
人族混合で護衛に向いているとはニルダヌスの話だ。
そして、第一占領と同時に、難民選別の為に解放されていたオルパノ門が閉門。選別は外郭外にて執り行われ、三重外郭での作業は停止。事実上、難民選別はとりやめとなった。
又、オーダロンでの全ての入出も一時制限をかされる事になった。
夜間の外出は禁止。
夕刻よりの商業活動を全面禁止。
また、兵士の権限の拡大が許可される。
襲撃から一日もたたぬ内に、これらの処置がとられた。
それだけの危機なのだろう。
夢だと思いたい。
オロフを弾き飛ばしたアレは、誰が用いたのだ?
オロフとコンスタンツェは、無事だろうか?
ターク公に願い、外にでる事は可能だろうか?
私はアレが何であるかを考える。
アレは、なんだ?
わかっていても、考えてしまう。
直感ではない。
私はボルネフェルトだった欠片と、アンネリーゼの記憶の欠片を与えられた。
何を考えているのか、名無しが何を求めたのか、私は理解した。
間違いだといい。
そう思いながら、私は相談する大人達に近づいた。
ターク公に声をかけようとして、私は不覚にも涙がでそうになった。




