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冬の狼  作者: CANDY
降臨の章
243/355

ACT212 焚書

 ACT212


 グリモアとは何か?


 魔導の書と呼ばれている。


 森の人の力を僅かばかりだが継承した者の考えは?



 グリモアとは、集積する物だ。



 では、森の人の力は何か?



 絵筆か鏡か。



 グリモアは、理を全て一つの方式に置き換え、管理する。

 故に、全ての事を収集し、情報を蓄え分解し置換する。

 理の流れ、この世界の中で生まれた物だ。


 それでは、絵筆たる森の人の力は何か?

 グリモアと同質の方式を有し、同じく干渉できる。

 書き込むことのできる道具。


 違いは何か?

 グリモアは絵図面と道具を一つにした物であり、集積した知識を行使できる。

 グリモア自体に指向性もある。

 喰らった者を写し取っているからだ。


 森の人の力は、絵図面を理解している者が使う道具であり、それには集積した知識ではなく、その時々に対する物によって形をかえる。

 立方体が子馬の形になるのも、鏡のように対応するからだ。

 それ自体は形を変えるが、力自体は変わらない。

 アンネリーゼの意識も最後の使用者だからこそ残っていた。


 そして一番重要な性質は、グリモアは使用者を或る程度選ぶが、喰らう者に素質が多少ともあれば、誰でもいいのだ。


 森の人の力は、同じ種の者にだけ触れる事ができる。






 青から桃色、そして薄い藤色に変わる空を見ている。

 空には白い月が浮いている。

 陽は沈み、それでも明るい。

 見下ろす街の灯りが暖かだ。

 耳に聞こえるのは風の音。

 鳥は塒に帰ったようで、外郭の高い壁が黒々と空を切り取っている。


「帰るという話ですが、良いのですか?」


 柳の館、外の景色が見える場所にいる。

 迎えに来たターク公は、相変わらず微笑んでいた。


(全て焼かれてしまったんですね)


「姫の要望に応えようと、ランドール殿も色々手を尽くすと誓っておりますよ。

 彼は約束事を守る人です。

 それに王府と軍部、元老院にある記録は多少なりとも残っている筈です。」



 過去を知り、対処法を考える。


 正面から取り組もうとした。

 だが、最初の一歩から躓いた。

 勇む一歩の後だけに、少し落ち込む。


 過去を知る、調べるというのは思うよりも難しい事のようだ。

 それも人の記憶に残る、近しく忌まわしい事ほど忘れたい。


 誰でもそうだ。


 三代目公王の名が記されている書類は、全て名前がつぶされている。

 行いを示す記録は、後に必要となる部分以外は処分改訂されているのだ。

 王城の書類、書籍等の全てに及ぶ。

 公式非公式関係なくだ。



 名前を取り上げるとは、こういう事なのだ。



 一般庶民の生活にあった筈の名前も、大がかりな訂正と処分が徹底的に行われたそうだ。

 記念に作られた建物や像でさえも、打ち壊してしまったようだ。



 焚書は全国土に及んだ。


 公王は、恐怖故だと言ったが、王国全土の貴族諸公の踏み絵だった可能性がある。

 だから、こぞって名の記された物は焼かれ破壊されたのだ。


 ならば、二人の私物はあるのか?

 エイジャと彼女の私物だ。


 悲しい事に、三代目は、彼ら夫婦の物を取り上げてしまっていた。

 捨ててしまったのか隠してしまったのか。


 森の人の力は、彼女が最後まで手にしていたから残っただけだ。






 結果が出るまで、柳の館で暮らして欲しい。


 公王の言葉に、私は頭を振った。


 城で暮らすなど恐れ多い。

 と、いう気持ちもある。


 でも、一番の理由は、見て暮らす勇気が無いからだ。

 水の棺と天の縫い目を見続けて、落ち着いていられそうもない。


 覚悟を決めたというのに、私は我が儘で意気地がない。



 色の変わる空を見上げてから、街の灯りに目をやる。



 つまり、私は今まで願っていたのだ。

 普通の、父と母がいる、普通の..。



 本当なら、あの人の側にいるべきなのかもしれない。

 消えてしまった人の抜け殻と思い出さえも微かな館の中で。


 でも


(ごめんなさい)


「あやまるのは私達、大人の方ですよ。姫は何も悪くない。悪いのは..」


 ターク公は私の耳元で囁いた。

 初めて聞いた名前は、波紋のように私の中に広がる。


「誰も名前を言わないでしょうし、記録も検閲によって削除されているでしょうからね。

 まぁ年寄りなら、皆、名前を知っていますから、私がもらしたところでどうという事もない。

 ただし、魔物に名前を与えると力を増してしまいますから内緒ですよ」


(魔物ですか)


「魔物ですよ。

 総じて、悪い物は醜いと思われますが、アレは美しい姿をしていた。

 知識も深く、言動も良い方向に向いている時は素晴らしい物だった。

 しかし、そこに人としての情や憐れみ、そう慈悲という心を持つことができなかった。


 慈悲心などという物を王に求める事は滅多に無い。

 だからといって不要な物では無い、むしろ必要なのですよ。


 慈悲の心をもった上での為政者としての非情ならば、時が過ぎれば納得もされましょう。


 だが、アレは違った。


 何を求めたかは、私のような凡夫には想像もできません。


 実際の悪行も、アレが生きている時は、目にした事も無い。

 ですがランドール殿も私の妻も、長らく苦しみのなかで生きて来たのは本当です。


 ニコル姫が私の手を取ってくださった理由は、アレの血を引く者を娶るだけの器量を示す者がいなかったからです。

 ニコル姫には気の毒な話でしたが、私には幸いでした。



 全てが終わった後。


 国は、改めてアレの行いを検証しました。

 手遅れですがね。

 どれほどの人がアレにかかわり、異常な末路を迎えているのかを調べました。


 行方の知れぬ者は、一つの戦で消費する兵士の数など軽く越えるほどでした。


 最後には、眠る方も戻らない。


 だというのに、心酔し信奉する者が多くいる。


 いくら道理を説いても、魔物が悪であるという事を信じない者もいるのですよ。


 だから、名前を消したのです。」



(今もですか)



「私が名前を知るように、未だにアレを望む者もいるでしょう。

 ランドール殿を軽んじ、侮る者にも含まれている。

 ですが、愚かな者は、ランドール殿の大好きな玩具ですからね。

 その点は、あまり心配はしていません。


 さて、おしゃべりはこのくらいにしましょうか。

 そろそろお暇しましょう。

 私も城での寝泊まりは嫌ですからね。

 特に、この柳の館はランドール殿の領域です。

 あちらこちらに色々あって気が休まりません。

 安全ではあるのですがねぇ。」


 色々あるのか。

 と、帰り道はその色々を発見しようと歩いた。

 しかし、仕掛けや潜む者は発見できず、見送る公王だけが目に残った。


「御母様も、私も、いつでも君を待っているよ。

 また、会いに来ておくれよ。

 そうだね、御母様と君によく似合う服を作るよ。御母様も..」


 相変わらず、人形と一緒の王は、ぽつんと寂しそうに見えた。

 もちろん、彼は一人ではない。

 たくさんの人に傅かれている。

 彼を必要とするたくさんの人がいるだろう。


 だが、目に残ったのは、寂しく手を振る姿だった。





 帰りの馬車が来る間、夜を迎えて灯りがともる庭園を眺める。


「私を介して過去の記録を渡す事になるでしょう。

 ただし、神殿関連を手に入れられるかは、今の所わかりません。

 ランドール殿の働きかけに快く対応してくれるのは、軍部ぐらいでしょうか。」


 そのような話をしていると、ニルダヌスが不意に動いた。

 彼の視線の先を見ると、私もターク公も目を丸くした。


 薄暗い庭園の中に、無数の猫の群がいるのだ。

 輝く瞳が、こちらを見ている。

 そして普通の猫にしては、どれも大きく猛々しい。


「あぁ、お馬鹿さんは、そうとう躾られたようですねぇ」


 一際大きな猫が私達の方へ歩いてくる。

 美しい筋肉の動きが見えるしなやかな歩みだ。


 テトが子供であるのがようやくわかった。大きさの対比が普通の猫ではわからないのだ。


 その普通の成猫の大きさのテトが運ばれている。

 子供の猫が運ばれるあのくわえ方だ。

 そして、雄より雌の方が大きいというのもわかった。

 彼女が群を率いているのだろう。


 私の目の前にテトはおろされた。

 テトは、そそくさと私にかじりあがってきた。

 何故かしがみついて震えている。


(こんばんは)


 私が挨拶をすると彼女は座ったままじっと睨んできた。

 黄金色の半月だ。

 毛並みは濃い茶色。

 ふさふさとした尾が美しい。

 尾が左右にふさりと動いた。

 尾に目を奪われていると、彼女は頭をぐりっと一回、私の足にこすりつける。

 犬よりも大きな猫のこすりつけに、私の方がよろけた。

 支えるニルダヌスに牙を見せると、彼女はゆっくりと戻っていった。


 ターク公は群が消えるまで、終始息を潜めていた。


「姫がいて良かった。男に飼われている等と思われたなら、群ごと襲いかかってきたかも知れません」


 振り返るとニルダヌスが疲れた顔をしていた。

 公王に引き続き、王城の不思議に遭遇。

 心の安まる暇もないのだろう。


「やれやれ、王国の頂点に立たれる方と面会するより、猫達に遭遇する方が寿命が縮まるとは。

 お前も、ここでは温和しくするんですね。」


 それにテトは答えずに、私の首の近くに収まったまま動かない。


 ニルダヌスが深いため息を吐いた。







 翌々日、私はリアンとシュナイ、そしてやっと元気を取り戻したテトと共に外出をする事となった。


 ターク公は、公王が働きかけて手に入れられる過去の記録を受け取るべく城へ。

 もちろん、記録が手に入ったという知らせはない。

 知らせはないが、公爵は登城する事にした。

 公王が記録を欲しがる理由をつくる為だ。


 禁忌の時代の記録を、公王が欲する不穏さは、私でもわかる。

 そこでターク公の現在の問題、爵位相続についての、王国の法律と実際の齟齬を埋め、妥協点を探す為云々..と、偽装する事にしたのだ。


 手間暇をかけさせる事を申し訳無く思う。

 思うが、私では真実に近い虚偽をつかまされてもわからない。

 ここはターク公を頼る事を選んだ。

 そして公自身は、ニルダヌスを連れて元気に活動している。

 どうやら、昔、王府で働いていた感覚が戻ってきたのか、生き生きとして見えた。

 少なくともそう見える事を免罪符に、私は彼に頼った。


 そして私はといえば、リアンと共にミシェルの見舞いに行く事になった。


 夜勤明けのシュナイが半眼のまま付き従う。

 先頭はリアンだ。

 神妙にしようとしているのだが、足がつい弾んでいる。

 テトも彼女と一緒に弾んだように歩いていた。

 一人と一匹は、どうやら性質が似ているようだ。


 シュナイは暫く家にいる。

 それが公王からの依頼なのか、単なる休暇なのかはわからない。


 ターク公は、わかる形で護衛を置く気はなかった。

 既に、公王から私達を監視する者がついているからだ。


 この都の中での安全は、既に約束されている。


 人間同士の諍いや暴力沙汰で傷つく可能性は無いのだ。

 そしてターク公が心配しているのは、私の力とそれに類する驚異だ。

 公王の客に対する安全ははかられているが、それは人智が及ぶ範囲の事だ。

 腐土で闊歩する異形のような存在には、今の人では難しい。


 そこでシュナイ、なのだろうか?


 あの記憶の中のゲオルグ・グリューフィウスを見てから思う。

 確かに似ている。

 その中身と身のこなし、似ている?


「まぁ眠いけど、何とかなりますよ。姫」


 私の視線に何を思ったか、そう答えた。

 記憶のグリューフィウスの印象が消える。

 確かに、あの記憶の男は頼りがいのある感じがした。

 目の前の、眠気に半眼となりながらもしっかりとした歩きを見せる息子もそうだ。

 ただ、少しだけ気も漫ろ、目の前にいるようでいないような、なんとも妙な感じがした。


 だから、少しだけこの男を見てしまった。


 おもしろい事に、大人にしては魂に色がついておらず、リアンによく似た色をしていた。

 輝きというよりも、白い霧のようである。


 リアンの跳ねる歩き方を追いながら、我知らず頷く。


 記憶のゲオルグという男は、私からすると妙に怖い感じがした。

 ドロリとした、怖い男。

 評判と利き及んだ範囲では、主に殉じたのだろう。

 それだけ、彼の中には強い感情と意志があったはずだ。


 その息子にしては、情念のような物が無い。

 無いが、無いからこそ、少し、歪で不安定だ。

 コンスタンツェが懸念する部分がこれだろうか。


 実に失礼なことをひとりで納得している内に、街並みは庶民の暮らす区域へと移っていた。




 建物の多くが煉瓦と漆喰でできていた。

 窓には厚い硝子がはめ込まれた物もあるが、多くは透かし模様の内戸と木製の鎧戸。

 硝子は日常庶民が利用する物が出回っているようだが、やはり、商売をする店でも家でも、比較的裕福な家のみが利用しているようだ。

 生活用水等の汚水も、上水とは分かれて排水溝が置かれている。

 馬車等の動物が通る道と人の歩く道も分けられ、徹底して街の中は綺麗だ。

 地方の、この国の果てから来た者には、その清潔な街というものを初めて見た。


 どのように暮らす者が衛生面に注意を払ったとしても、そもそもの道や家の造りが、このように手の込んだ物ではない。


 農家は土間であるし、家の中は煤にまみれている。

 窓には重い雨除けの鎧戸がついているだけ。なので、晴れた日以外は閉め切りだ。

 硝子は高価である。

 だから、薄暗さを我慢し部屋数を最小に押さえ、家畜と共に暮らす。

 それでも分厚い硝子の破片を集めては接着し窓に入れる。


 辺境と言わずとも、小都市では牛馬の糞は土の道に垂れ流される。

 道に流された物を村人が堆肥として集めたりもしたが、都には専用の掃除人と馬にも糞を集める袋がつけられている。尿に関しても石畳には汚水口があるので、上水に紛れ込むことも無い。


 領主の館を思い出しながら、街を流し見る。

 領主の館は、一階が穀物倉庫で二階部分から領主の家族が住む部分になる。

 その中でも、窓硝子は小さい。

 防衛面で小さいのもあるのだが、硝子が高価だからだ。


 しかし、庶民の暮らす住宅地区でさえ、その辺境伯の館で貴重と思われる硝子窓がちらほらと見える。


 北方辺境伯、考えてみれば、ターク公に匹敵する地位だ。

 なのに、あの様子は、荘園の主という所だ。


 北が凍り付いたから、兵隊はいらない?



 私は歩みを止めずにいたが、その内側でぶるりと震えた。



 違う。



 北方辺境伯としての武力と私財を失った。もしくは、取り上げられた。と、考えても良いのではないか?


 それが北の争いの前なのか後なのか、それともそもそも関わりがあるのか、無いのか。



(無いわけがあるか。)



 と、言葉が浮かぶ。


 北で争いがあった。

 蛮族と戦ったという過去。

 絶滅領域の出現。

 森の人。

 名無し。


 その北の地域に辺境伯として土地を与えられていたのだ。


 そして、あの穴を祀り、生け贄を捧げてきた。


 少なくとも領主は知っていた。


 本来なら、辺境伯は、北の守りとして私兵と共に、国軍の駐留を得ている筈だ。

 ところが、貧弱な私兵のみで、北には国の兵隊がいない。

 貧しい暮らし。

 その古くも地位のある爵位にそぐわない、質素な暮らし。

 それに異を唱える事無く、静かに、静かに、息を潜めて暮らす理由。


 絶滅領域があるから?


 領主は、あの穴を祀り、理を崩す人の争いを持ち込まぬようにとしていた。

 禁域として祀っていた。


 その不始末を自分の命で収束させようとする程の覚悟でだ。


 禁域と供物の定め。


 そして、森の人の暮らす場所の程近くに、あの場所があるのだ。

 これも無関係ではない。

 全て、これは理の流れの内。

 理の内だ。つまり..




 私を拾った鷹の爺と婆様は、私が何であるかを知っていたのだ。

 亜人の寿命だとて、名無しの王が北の地で悪行の末に、森の民を殺し、人の暮らしを雪と氷で閉ざしたのだ。


 だから、こそ。


 私は、ただの捨て子として拾ったのだ。


 領主も、蛮族と呼ばれた人々や、森の人と交流があったのだ。

 だが、名無しの王が死ぬまで、何も言えなかった。

 否、死んだ後もだ。


 彼らは見殺しにしたと。


 自分たちが生き残る為に、私の一族を見殺しにしたのだ。


 だから、



 最後に生き残った子供を、私を、捧げる事ができなかった。

 供物としても、国への生け贄にしてもだ。

 追っ手もかかっていた筈だ。



 だから彼らは、私を捨て子であるとして、育てた。

 亜人の子として、氏素性も定かではないと。


 だから、私は事情のわからない子供なのだ。


 狩人として育てたのも。

 一人でも暮らせるようにしたのも。

 領主の館で知識を学ばせたのも。


 もちろん、覚えている。

 彼らは、血も涙もない怪物ではない。

 ごく普通に、私と共に生きていこうとしたのだ。


 もしかしたら、他にも生き残りがいて、私と共に森の人の国を取り戻すかもしれない。と、夢見ていたのかも知れない。



 彼らは普通の人々であり、やはり優しいのだ。






 一際裕福な門構えの家にたどり着く。

 緑のあふれる庭に、美しい硝子窓。

 正面から見て左からくねるような傾斜のついた入り口。

 白い漆喰と暖かみのある煉瓦の建物に贅沢な布が下がる窓。

 分厚いくもり硝子ではない。

 薄く光りを通し窓は輝いていた。


「ミシェル~」


 見舞いに来た貴族令嬢という態度ではない。

 が、いつもの事らしく、リアンが玄関の呼び鈴と一緒に叫ぶと奥から返事があった。

 小さな子供の呼びかけだったら、微笑ましいがシュナイが止める間もない。

 否、半分寝ている兄は、リアンの行動の殆どを見逃している。

 まぁ猫連れの上に、使用人も連れず徒歩で訪れる貴族もいない。


 現れた使用人も、リアンに慣れているのか、シュナイに丁寧な礼を返すと招き入れた。

 テトと私は既にリアンに手を取られて中に引っ張り込まれている。

 礼儀作法を一応はわかっている筈なのだが、彼女はミシェルの部屋まで一直線だった。


 勿論、シュナイはミシェルの家人と挨拶を交わし、帰るまで別の部屋で待つそうだ。


 豪華な寝台におさまったミシェルが、横になったまま私に説明をする。

 彼女は未だに体力が戻っていない。

 私は彼女をゆっくりと眺める。


 命脈は規則正しく動いている。

 欠けたとおぼしき場所も、粗方切れ目無く力をやりとりできていた。


 何が欠けたかも私にはわからない。

 記憶か感情か、それとももっと彼女にとって大切なものか。

 考えるととても怖い。

 でも、命はつなげる事ができたようだ。


「公王陛下ってどんな方だったの?」


 リアンは初めからミシェルと一緒に話を聞くと決めていた。

 だから、城から帰った後、うずうずとしながらも私に質問をするのを控えていたのだ。

 どうやら、この私の話がお見舞いの品らしい。


 私はターク公からもらった帳面に、当たり障りのない話を書いた。


 公王は、見た感じは青年である事。

 深い藍色の髪に、緑の瞳、高貴な姿であった。

 他の些細な..部分は省略した。


(シュナイ殿には聞かないのですか?)


 代わりに質問をするとリアンは肩をすくめた。


「お兄ちゃんは、お城の話を家では絶対にしないから」


 なるほどと思う。

 それは賢明であるし、大方の城勤めの者は沈黙の素晴らしさを身にしみているだろう。


 城の中、といっても私が見た場所など一部分にすぎない。

 庭の美しさ、城から見える景色。

 遠く三重外郭の西、オーダロンの輝き。

 植物庭園。

 侍女の服装、饗された物。

 そして猫の半月の瞳。


 聞かれるままに書き連ねると、私の中の悲壮な部分が塗りつぶされわからなくなる。


 美しい景色、遠い世界。



 やがて話は、結局祭りの事に移った。


「家族は、踊って欲しくないっていうの。

 祭りは、都の娘が全部出る訳じゃないし、働いてる者だっているから。家でお祝いをして、綺麗な服を着て、それでいいじゃないかって。

 私が倒れたことが、怖かったって。

 お祝いする筈が、死ぬんじゃないかってね。

 お医者に診てもらっても、原因は分からないし。

 それでもだいぶ良くなったし、私は踊ってもいいかなって。」


 ミシェルの言葉に、リアンは少し考え込んだ。

 何を考えているのか、私にはわからない。

 悲しいことを考えていなければいい。

 そんな事を思いながら、私は寝台からテトをおろした。

 何故か、調子に乗ったテトがミシェルと一緒に寝ようとしている。

 ミシェルは喜んでいるが、初めて訪問した家の、それも見舞いの相手の布団に猫を持ち込んでは礼儀以前の問題である。


「足を拭けばいいよ」


 ミシェルが使用人を呼んで、テトの足を拭かせる。


(元の祭りは、人族の風習だったの?)


「都を守る外郭ができた時にお祝いが始まりらしいわ。

 お祝いをするついでに、何か踊りをしましょう。って事で成人のお祭りの踊りをしたの。


 秋の祭りには獣人の風習が取り入れられているし、この都ができあがる時々に、いろんなお祭りをまぜたって話」


 それでは、祭りは都ができた頃からおこなわれたのか。


「元々はこんな大がかりな行事じゃなかったの。それを都の一つの行事としたのは、神殿が春の祭りを執り行うようになってからね」


(神殿が?)


 それに、考え込んで疲れたのかテトと一緒に寝台に上がり込んだリアンが答えた。


「最初は、あんな複雑な踊りじゃなかったんだって。あんまり面倒なおどりだからって、誰かが愚痴ったらバフォ爺ちゃんが教えてくれたんだ」


「バフォさんは劇場の専属振り付け師をしているの。

  それで春の祭りの踊りの監督を、毎年してもらってるって話」


「がみがみ爺ちゃんって呼ばれてるけど、祭りと踊りの話は、いっぱい知ってるんだ。

 覚えの悪い私にもガミガミするけど、最後までつきあってくれるんだよ。私は結構好き」


「リアンはね、稀にみる逸材らしいわよ」


 言葉とは逆に悪い意味での才能らしい。

 音感がつかめないリアンの踊りは、困ったものだが味があるとの評価を頂いているようだ。

 その稀にみる不器用なリアンは、ミシェルに飛びかかると擽った。




 そのバフォ氏によれば、春の祭りの踊りは、元は素朴な人族の地方風習であった。

 それを首都の建造と共に、種族の融和もかねて祭りも様々な要素を取り入れて作り上げた。

 そして人族の風習である踊りも、最初の頃は、元の素朴な円を描いて踊る物から、派手なものへと変わっていった。


 特に三重外郭壁が完成し、都内部の都市機能が一通りできあがった年から変化した。


 神事として神殿が春の踊りを国に申請したのだ。


 そして祭りは親子や親しい人で行う女祭りから、大がかりな物になった。


 始祖モーデンの次代の頃だ。

 神聖教の隆盛の次期と重なる。


 そして踊りの音楽と鈴が用いられるようになったのも、この頃からだそうだ。


 振り付けは、神殿で奉納する舞いを担当する者が考えたそうだ。


「今年は中止になるのかしら」


「中止にならなかったら、ミシェルは踊る?」


 ミシェルは苦笑した。


「踊りたいなぁ、でも、家族の暗い顔も見たくないの」


 それにリアンは頷いた。

 テトとミシェルの布団に転がる姿は呑気だ。

 私の視線に一匹と一人は首をすくめた。


「降りるよ、姫、無表情が怖い」


(安全だとわかる迄は、踊らない方がいい。ミシェル以外の女の子も倒れた。元気の良い子達だ。

 家族で過ごして、鈴を送りあって、屋台や見せ物を見て回って、楽しく過ごせばいいんだ。

 それから、怒ってない)


「嘘だぁ、お祖母ちゃんが怒る時と一緒の目で見てるよ」


(もちろん、行儀が悪すぎるからあきれていたんだよ。お布団に外出着で転がるお見舞いは無いよね。)


 ついでにテトを呼ぶと耳が水平になった。


(あの彼女に言いつけるよ)


 どの猫かわかったらしく、テトは慌てて私にかじりあがった。

 ミシェルが枕に沈みながら笑った。

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