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冬の狼  作者: CANDY
降臨の章
238/355

幕間 それを人は愛と言うが

[それを人は愛と言うが]



 この場所で迎える夜は、闇が深い。


 のばした指先も見えない濃さだ。


 そして昼はいつも灰色に曇っている。


 いつも硝子越しの光りをあてられているかのようだ。


 狂った世界。


 ここの本当の恐ろしさは、直接の暴力や死ではない。


 黄昏を見ると恐怖を覚え、朝焼けを感じると安堵を覚えるよう、人が変わる事だ。



 陽が落ち死者が目を覚ます。

 生きている者は身を潜め、炎を絶やさぬようにと気を配る。


 夜は安らかな眠りをもたらさず、どうやって生き延びようかと日没の最後の光りを目で追う。


 そして、かすかな朝焼けを見ても油断できず。

 日輪が顔を出さず、雨が降るようなら眠ってはならない。


 そんな日々に人は変わる。


 別に腐土の風が吹き抜けなくとも、狂う。


 最近は、死者とも言えぬ、奇妙な者も出るようになった。


 いよいよ地獄の扉が開くのだろうか?







 目覚めて、最初に見えた空に、そんな事を考える。

 動かずに、布団の中から窓の外を見る。

 茜の空は、雲が流れ、紫や赤や、少し目眩のするような色合いが過ぎていく。


(あぁ、今日も寝ちまったな)


 どうしても活動は夜になる。

 朝に眠り、気がつくと黄昏だ。


 美しい夕焼けが風流を誘う事は無い。

 ただただ、恐怖の夜の前奏というだけの事だ。

 何故か、天候が落ち着かない筈の腐土で、黄昏時だけは雨も止む。

 さぁ、これから騒々しくも恐ろしい夜が来るのだと知らせるように、一瞬の日没を人に見せる。


 沈黙の中、血の色に染まる空を見たまま思う。


 もしかしたら、これこそが自然の流れであるのかも知れないと。


 人こそが、この世の悪であり、害であり、駆除されるべき存在なのだと、何処かで確信している。


 もちろん正解ではない。


 この世界を維持するには不正解な考えである。

 正解と己の中の確信は別の物だ。



 人は滅ぶべきかも知れないが、この世に生きる動植物、水にしても腐って死滅するべきではない。

 ならば、人を程々に生かし、この世界の循環に沿わせなければならない。

 人という要因が無くなる事で生じる危険度は、これほどの人口になれば無視はできない。

 滅びるにしても緩やかな衰退が望ましい。


 その考えを追いながら、自然と笑いがこみ上げる。

 己の驕り。

 否応無く己の中にある物に笑いがこみ上げる。


 深刻に悩む柄ではない。


 オカワイソウナ、子供、ではないのだ。


 ごろりと腹這いになる。


 自分が好む者達が生き残ればいいと思う。


 例えば、長命種などこの世界にはいらないし、人族は滅んだ方がいい。


 特に、自分達の血筋は死滅すべきだ。



 野蛮で活気に満ちた世界になればいいと思う。

 化け物が闊歩しようとも、腐り落ちなければ、それなりの生存競争の末に、何かが生き残るのだから。



 だから、ジェレマイアには明確な展望がある。


 腐土は縮小すべきである。


 しかし


 腐土は縮小すべきであるが、それを消滅させる手段を探してはいない。


 対処できる力を探しているのだ。



 腐土をも自然の中の一部と考え、それに対する手段を探している。

 腐土の中でも生きていける手段を。



 腐土は、確実に領域として、この世界に定着しつつある。

 独自の環境と生物を産み出しているのだ。


 これまでは、空気も水も腐り落ち、土地も枯れ果てると見られていた。


 荒廃が進むと死者の活動が激しくなる。ところが更に時間が経過すると、逆に死者の活動が落ち着くようになる。


 死者の活動が規則的になり、その波が完成されると、今度は荒廃した土地に新たな生態系が見られるようになるのだ。


 それが証拠に、在来生物を死滅させるのではなく、飲み込み混在しつつあるのか、奇っ怪な動植物が確認された。


 在来生物の変異。


 それを自然の適応力と見るかは中々判断が難しい。


 だが、愚かな人間よりも先に、この世界は腐土を受け入れ始めている。死滅するのは、人が先だろう。



(風呂でも入るか)



 ごそごそと起き出すと、長い髪を肩に巻き付ける。

 己を呪う力でさえ、この腐土では途切れる。

 領域そのものが呪いであふれており、人の呪言など霞んでしまう。

 おかげで、こんな不健康な場所なのに、常より体の調子がよい。



 腐土の第一砦は、着々と堅固になっていく。

 緩衝地帯を二重にとって、更に外壁を幾層にも作り続けている。

 濾過と動力の施設も最新式の物を堅い岩盤の上に建造した。

 お陰で風呂は入り放題である。

 そして常駐する兵隊は南領の獣人兵だ。


 この世界で一番安定した精神構造と強靱な肉体を持つ彼らしか、ここの常駐兵力にはできない。


 それでもジェレマイアの姿を見ると、皆、安堵する。


 明確な理由はわからないが、死者は特に神殿の神官を忌避する。


 しかし、神官でも死者に食いつかれる事もある。

 何が理由で忌避されるかは、まだ、明確にはわからない。


 そこで神官と神殿兵もここには常駐させている。

 特に信仰心の厚い、そして何より精神的に安定している者を置いている。


「祭司長様、風呂ですかい?」


 見上げるような大男の獣人兵が、にこやかに声をかけてくる。

 どうやら、彼も風呂のようだ。

 手荷物には、専用の石鹸がある。

 一緒に生活するようになって、彼らが風呂好きである事を知った。


「おうよ、風呂にでも入らんと、気が滅入るわ」


「まったくで」


 等と言いつつ、脱衣所に向かうと、結構な数の男達がいた。

 夜勤交代の者で、ちょうど混みあっているようだ。


 それでも巨大な浴場は、ゆったりとしたものだ。

 ざばざまと雑に体を洗うと湯船に浸かる。

 皆、適温に体を沈めて、目を細めていた。

 そして、ジェレマイアもその一人になる。


 様々な種類の獣人が風呂にいる。

 お互い裸であるから、余計に種族の違いが目立つ。


「やっぱ入れ墨じゃぁないんだなぁ」


 人族の祭司長の言葉に、周りの男達が笑った。


「入れ墨もありますが、殆どは毛並みの模様です。素っ裸になると人族の方は驚かれますな」


 浴槽に沈む一人が答えた。

 その男は黄色がかった暗緑色の肌に、見事な縞模様がはしっている。

 実に勇猛果敢な入れ墨に見えるが、実際は毛並みの模様であるらしい。

 風呂を利用するようになって驚いた事のひとつである。

 毎度、思わず眺めいると、皆が笑って見せてくれる。


 そして今日は先祖返りの男が混じっていた。

 それも雪豹の如き外見である。

 失礼とは知りながらも、雪豹が湯船につかっているという光景に、思わず目をこする。


「いや、祭司長殿がそうして髪の毛を巻き付けて風呂に入ってるという方が、驚きですよ」


 のんびりとした言葉が、肉食獣の口元からもれる。

 声は、実にゆったりとした男のものである。


「こちらこそ、失礼した。先祖返りっていやあ、統括長って印象だったから」


 それに男達は頷いた。

 統括長といえば、巨大大熊。

 それも同じく巨大な得物を振り回す巨大なひぐまである。

 本人には言えない。

 羆とか熊とかは禁句である。

 実際、外見が熊そのものでも駄目らしい。


 実は、一人娘が小さい頃、熊を怖がったらしい。

 正確には、熊にそっくりの父親を。


 彼はあくまでも、先祖返りであり、熊でも羆でもない。

 そっくりでも。


 と、言う涙ぐましい父親の言い訳を酌み、統括長は熊ではない。

 毛皮のおっさんである。


 それに引き替え、風呂を堪能する雪豹は、巨漢でもなければ恐ろしげでもない。

 多分、女子供にもウケがいいだろう。


「まぁ、嫌われる事はありませんね」


 とは、本人の弁だが、まわりも羨ましそうに小突いているところを見ると、実際そうなのだろう。


「うらやましいねぇ」


 ジェレマイアの言葉を獣人達は冗談と受け取った。


 典型的な長命種の外見に美しい容姿の男、それに加えて神の寵愛を受ける神官だ。

 人に愛されるのが常ではないか。


 もちろん、ジェレマイアも彼らの思っている事は理解できる。

 勘違いをそのままに、彼は風呂から上がった。


 着替えると、自室に戻る。

 今夜は砦にいる日だ。

 何事か起きた場合には、外に向かうが、今日は起きて書類を片づけるだけでよい。

 砦の奥ならば、腐土の風も死者の言葉も届かない。



 届くのは、己自身の声だけだ。



 腐土でとるべき、人の行動を纏める。

 遅々として進まないが、当初よりは、腐土とは何であるかを解明しつつある。

 それを文章に纏めていると、夕食をどうするかと聞かれる。

 従卒は食事の手配と共に、ジェレマイアに手紙を渡した。


 銀の盆には、飲み物と一緒に円筒が置かれている。


 窓辺からの景色は、濃く深い闇が広がっていた。

 三つの円筒を見て、ジェレマイアはため息が出た。


 二つは神殿から、一つは公王からだ。


 どれを先に見るかで悩む。


 嫌な物から見るに限る。


 皮肉げに笑うと公王のシリンダー錠に指を置く。

 そして銀色の鍵を決められた数字で埋めていった。


 硝子の筒は開き、細かな字がびっしりと埋め尽くす紙を手に取る。


 明かりを引き寄せると、読み進めた。








 深夜、ジェレマイアは窓から闇を見つめていた。

 三通の手紙には、これまでの人生を振り返るだけの内容が書かれていた。



 己の中で、不確かな図面ができあがる。


 その図面を改めて考察すると、体が勝手に震えだした。

 怒り、憎しみ、そういった感情ではない。



 嫌悪と興奮だ。



 ジェレマイアの中で、これほど悍ましく感じた事は、なかった。

 己が呪われた人生を歩むなかでさえ、これほどの嫌悪は覚えなかった。


 窓の硝子に、己の顔が写る。


 手近にあった鋏を手に取ると、無造作に髪を切った。

 一度で切れずに、ざくざくと髪を切る。

 散切りになるまで髪を切る。


 血の気の失った顔が見返す。



 そして祈った。


 感謝を。


 己が苦悩、生きている今、すべてを改めて見直せる事。

 手を出せない過去ではなく、今、問題が目の前にある事。


 己を呪った者達に意趣返しをするのではない。


 誰かに、自分の正しさを見せつけるのでもない。


 この人生が自分の物である事。それを自分に、本当の意味で納得させる機会がある事。

 今、その機会が訪れた事を。



 そして机に戻り、手紙に再び目を落とす。

 断片から想像する最悪の事態。

 それに自分がどの位置にいるかを考える。


 行儀悪く、椅子に腰掛けたまま机に脚を乗せた。

 椅子を軋ませ、揺らす。


 徐々に動揺はおさまり、ジェレマイアは唇を尖らせて考え込む。


「解決方法はあるんだよなぁ」


 慈悲深い者ならば、己が犠牲になり、世の悪を滅ぼす。

 だが、彼は、そんな偽善に命を捧げるつもりはない。


 むしろ、人間なんざ勝手に滅べ。である。

 にもかかわらず、一番最初に浮かんだ解決方法は、まさにそれだ。

 己の命を餌にすれば、釣れる。


「まぁ、それは最終手段でいいか」


 成功するかは賭である。

 簡単であるが、失敗すれば一番最悪の結果になる。


 では、何をどうしたいかを考える。


 世の中を良くするとか、人を救うとか、大それた事を考える器ではない。


 すべての人に幸せを?


 神もそんな妄想を祈られても困るだろう。


 自分が救いたい者を救う。

 自分が守りたい者を守る。

 己が理想とする明日に、必要と思う者を残す。


 ただし、それらを救い守る過程で、手の届く者も一緒に生き残る。


 誰かを押し退け虐げず、無闇に見捨て殺しはしない。



 それにはどうしたらよいか?



 ジェレマイアは、足を下ろすと書棚に向かった。

 書物に挟んである古地図を取り出す。

 砦には、今までの考察を整理するために、長年集めてきた物を持ち込んでいた。

 その一つが、王都の古地図だ。


 王都ができあがった頃の地図と、公王が代替わりした時期に造られた地図、そして最新といっても十数年前の地図を広げる。

 王都の地図は、軍事機密でもある。

 故に出回る事は無く、手に入れるのは苦労した。

 地図と言っても、普通のものではない。

 詳細な、地下の水路迄もが書き込まれているのだ。


 何年も、これを広げては見続けてきた。


 偉大なエイジャ・バルディスの偉業を読み解こうとした。

 エイジャの偉業を解くには、焼き尽くされた呪術を学ばねばならない。

 神聖教徒にすれば、それは異教を調べる事だ。

 中々に困難であった。

 しかし、呪術とは言葉の文化である。

 神聖教徒も、その神の言葉を尊ぶものである。

 同じ大陸、種族から発生した宗教であるから、まったく共通点が無い、等という事はあり得ない。


 最初は、エイジャの守護を解明したいと始めた。

 だが、それは興味深いこの世界を読み解く事へと変わる。


 価値観が広がり、己の命も魂も自由であると気がつけた。


「必ず、仕掛けがあるはずなんだよなぁ。偏執狂で変態の考える事だ、絶対、同じ事をしやがる..はず。クソが死ねや、おっと今のは無しで」


 神に断りを入れて、ジェレマイアは地図をなぞる。


 エイジャの守護に関しては、大方の構造は理解できた。

 もちろん、理論的に理解できても、自分には力が無いので使えない。


 その力を思い出して、思わず頭を振る。


 極力考えないようしている。


 自分には、母親も姉もいない。


 ただし不要な血縁はいる。


 恥知らずの屑だ。


 自分の血縁は、屑と腐った奴らだけである。


 だから、他人だ。


 それでも..


 困った娘だ。

 地図から顔を上げると笑った。


 隠した筈が、何故か一番危ない場所にいる。



 彼女を生け贄にしてはならない。

 ランドールは、誓うが信用できない。

 結局、誰かを犠牲にして国を守ろうとする。

 人ではなく国をだ。


 同じく国を守ろうとするかに見える自分は違う。


 自分の為に動いている。


 身を犠牲にし、人を思い神に祈る。

 そのように見えるが、一番、利己的だ。


 無理をするのは性に合わない。


 と、その時、部屋を誰かが訪った。


 夜番の従卒である。

 祭司長の髪が散切りになっているのをチラリと見るが、表情には出さない。

 彼らにしてみれば、毛が少し無くなったからといっても、大した意味はない。


 これを神殿でやらかしていたら、大騒ぎであるが。


 招き入れると、新しい手紙が差し出される。


「おう、ありがとよ。今日は定期連絡船でも来たのかい?」


「はい、手紙や荷物は検査が終わった物からお渡しておりますので、順番が前後している場合があります。その点はご了承ください。」


「あいよ」


 今度のシリンダー錠は、軍部の物だ。

 受け取り従卒が退出すると、早速指を鍵にあてる。

 通常の鍵ではない。

 登録された血液で開錠する物だ。


「痛い」


 誰もいないので、ぶつぶつと独り言になる。

 錠前の針に指を指すと、勝手にシリンダーが形を組み替え開く。


 すると、ウルリヒ・カーンの独特の崩し書きが見えた。


 無骨な武人とは思えない、いつ見ても意外に感じる文字だ。

 さすが獣人大公家、モルデン大公の直流である。

 等と言うと、本人の不興を買うが。


 考えてみれば、血筋を大胆に解釈すると、自分達も兄弟だ。


 笑える。


 皆、兄弟。


 毛並みも美しい獣人と兄弟だと考えると愉快だ。

 兄弟にしては、自分は毛がたりないが。


 しかし、その笑いも手紙を読み進めるうちに、消える。


 手紙の途中で、自室の扉を開くと夜番の従卒に告げた。


「ちょっとばかり、出かける事になった。旅団長と神殿兵長を呼んでもらえるかい?」



 感謝の祈りは、早々と神に届いたようだ。

 軽くなった頭髪をさすると、ジェレマイアは再び笑った。

 悪戯を思いついた子供の表情だ。


「さて」


 どうやって、滅ぼしてやろうか?


 笑いながら、ここには居ない誰かに言う。




 例え人を救う行いでも、その原動力は愛ではない。

 そんな利己的な自分に呆れながら、彼は荷物をまとめはじめた。

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