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冬の狼  作者: CANDY
降臨の章
237/355

幕間 晩餐を前に

[晩餐を前に]


 皆で首を傾げる。


 皆、地下の水牢で困惑していた。

 嫌味混じりに降りてきたサーレルも、珍しく困惑している。


 見つかった捕虜に戸惑っている訳ではない。

 植物化した何かが喋り、人族が異形になって暴れているのだ。何が出てきても戸惑う事は無い。

 元々、繊細さとは無縁である。

 だが、そんな彼も首を傾げていた。


 捕虜の腹に刺さる刃物が抜けないのだ。


 正確には、抜けないのではない。

 刃物の柄が、つかめないのだ。


 見えているのに、手が空を切る。


「否、見えているだけでも、その方等は人ではない。本来、この地の人の子らに、この三叉の鉾が見えるなどあり得ぬのだ。」


「三叉の鉾ですか?」


 サーレルは虜囚に近寄ると、その手首を拘束する鉄の輪に手をかけた。


「自由にする気か?お主等に襲いかかるやも知れぬぞ?」


 それに彼はにっこりと微笑んだ。


「今、ここにいる馬鹿共は、頭を使うのは不器用ですが、誰が上かは理解しています。」


 意味が分からず自由になった手をおろし、異形の女は痛む肩を回しながら、相手を見返した。


「貴方を逃がしたら、彼らは私に仕置きを受けますし、私も仕置きを受けます。」


「バルドルバ卿とやらか?」


「そして、問答無用でこの城を私達共々、爆破するでしょう。そして、それでも取り逃がしたとわかったら、このシェルバンの土地ごと燃やし尽くします。

 そして、それでも逃れたとなれば、東マレイラの地上を焼き払い、地下に油を流し不毛の土地にしてしまうでしょう。」


 それに女はあきれたように頭を振った。


「それは困る。我が夫の守る土地だ。人間などいらぬが、自然も動物も死に絶えてはならぬ。」


「それ、ご自分なら抜けるのですか?」


「抜けるぐらいなら、無駄にお主等と話などせぬよ。」


 三叉の鉾は、女の腹を突き通り牢の壁にと突き刺さっている。

 そう、見えるのだが、手を出すと何も触れる事ができない。


「補佐官」


 ザムの呼びかけに、サーレルは異形の女から離れた。

 実際、女に逃げる隙は無い。

 鉄の拘束具が通用するのだ、普通に捕縛する事が可能だろう。

 殺すとなると、難しいかも知れないが。


「姫様と同行していた時に、あれと同じ様な事がありました。」


「姫って、なんでしょうねぇ。お前達は、妙にあの娘に懐いていますね。何かあの娘から特別な匂いでもでているんでしょうかね。困ったもの..」


 妙な圧迫感を感じて振り返ると、ミアが鬼の形相で睨んでいる。

 女性の怒りは、思わぬところで身の破滅に繋がる。

 心当たりは無いし、上官に対しての態度ではない。

 無いが実母からの経験則にのっとり、サーレルは愛想笑いを返した。

 何故か嫌そうな鼻息を返される。


(私が何かしたのでしょうか?)


「あ~補佐官」


 ザムの呼びかけにサーレルがミアから視線を戻す。その間に、空腹も相まって思考力が落ちている同僚を、数人で何とか背後に隠す。

 すると隠されたミアが、前に並んだモルドビアンの臑を蹴っていた。

 人が良いというのは貧乏くじも引きやすい。


「多分、姫様と同じような者なら触れるんじゃないでしょうか?」


 それにサーレルは眉を寄せた。

 妙な理屈をこね回す、頭の捻子が緩んだ集団は思い出すのも嫌だった。


「やっと追い出したんですよ。呼び戻すのは、私でもさすがに嫌です」


「じゃぁ、えぇっと、誰か神様とかに詳しい..あぁ駄目か」


 一瞬にして、皆、地下が炎に包まれて酸欠死か焼死する己が想像できた。

 運良く退避できたとしても、脆い地下構造を爆破したら城そのものが木っ端みじんだ。

 本人は大満足だとしても。


「イグナシオにこれを見せたら駄目です。オービスも外へ出てます。止める者がいません。」


「補佐官が」


「止める前に、いつも燃やしてしまうんですよ。これでも努力はしてるんですが、年長者か上長しか止められ..あぁ、上長でも駄目でしたね。隊長以外は」


「なら団長に」


「放火を止める為だけに、貴方はこの場の最上級指揮官を呼びつけるんですか?」


 考え込む獣人達に、異形の女が提案した。


「お主等の主でよかろう。力が見えるのだ、主ならば干渉も容易かろう?」


「よからぬ誘いにしか見えないですね。いっそのこと、壁の方を崩しますか」


「壁を壊すと一帯が壊れませんか?」


「少なくとも、鉾は体から抜けなくても身動きはとれるでしょう」


 それに女は言った。


「我が血は毒ぞ。今は水に流れておるが、地に触れれば土が腐る。」


「毒ですか、それは興味深い。それでは水は汚染されているのですね」


「飲んで無事とは言えまいが、水に混じれば死ぬような物にはならない。ただ、少しばかり不都合が生じるがな」


 少し考え込むと、サーレルは女のところに再び戻った。


「もし、これをどうにかできたら、貴方の血と肉を少し調べてもよろしいですかね」


「どうせ、その方等が我を捕らえるのであろう?」


「貴方の態度如何により、待遇は変わりますよ?」


「その方、我が血肉を欲するというのか?」


 女がニヤリと笑った。

 鉾に貫かれたままの姿で、女の口がつり上がり、黄色い眼球がぐるりと回った。



「待て、答えるでない」


 肯定する前に、スヴェンの声が遮った。


「狭いな、入れんぞ」


 瓦礫をたたき壊しながら、巨体が降りてくる。


「スヴェン、一応自重してください。そこの馬鹿共と同じで壊すばかりでは、後が困ります。」


「困るも何も、その女の口車に乗って、とり憑かれてもいいというのなら出張らんぞ」


 憑かれる等と奇妙な言い回しに、サーレルが眉を寄せた。


「さても、お初にお目にかかる。見たところ、お主は、我々が言うところの古の人々が使役した隷下に見えるが、如何か?」


 それに女はニヤニヤと笑った。


「隷下ですか?」


 サーレルの問いに、スヴェンは答えた。


「神聖教ではな、古の人々は隷下を作り使役していた。

 人には非ず、夜の民に似通っていたという。

 眼球は黄色く濁り、肌は土気色。

 舌は長く鋭く、槍のように使える。

 ズーラとの違いは、人は喰わぬところか。

 女子おなごの姿をしておるが、その身は頑丈岩の如く。

 その身を傷つける事はできない。

 と、言われておる。

 そして、その身を傷つける事ができる物は」


 皆の視線が、女の腹に向いた。


「錬金術で作り出された霊刀や神の武器だそうだ」


「神話でしょう?」


 サーレルの言葉に、スヴェンは肩を竦めた。


「隷下は口が達者だ。相手の言質をとると碌でもない事を言い出す。血肉が欲しい等と言えば、等価の対価を要求されるぞ」


「等価ですか?間抜けに捕らわれていた身を楽にしてやるのですよ。それにどうやら、捕らえておくだけなら簡単のようですし。」


「と、言っておるが?」


 女は、あぁ嫌だとサーレルからスヴェンに顔を向けた。


「お主等が、何者かにもよる。主らは、何処の者ぞ?」


「見てわからないんですか?あぁ私も貴方が何だかわかりません。お互い様ですね」


 それに女は、嫌そうに返した。


ぬしは、少し我の夫に似ておる。頭が回るのも、口が回るのも時と場合による。我が何を問うておるか、わかっている癖に、そうして嫌な口をきく。

 そのような浅い者と侮られるのも癪じゃ。

 主とは口をきかん。そこな男と喋るよって、暫く黙っておれ」


「似てるなんて冗談じゃありませんよ。貴方を妻にする方の正気を疑いますね」


「大きなお世話じゃ。我が夫はとうに亡くなっておるから、煩くないだけましじゃ」


「それはご愁傷様です。さぞや旦那様もお亡くなりになられて安堵している事でしょう。貴方が殺したんですか?」


「その方が良かったかもしれぬ。間抜けな死に様であった。」


 何とも言えぬ表情で女は続けた。


「夫の死因はの、食中毒じゃ。毒物の研究が趣味というのに、朽ち木のきのこを殊の外好んでおっての。我が止めるのをようきかんで、あたりおった。」


 スヴェンは無表情だ。

 だが、耳がどうしても動いていた。

 部下も無表情に徹していたが、耳の動きは止められなかった。


 毒と茸、実は両方とも男の好物だった。


 人外の女の言葉に戦慄する。

 もちろん、このような男がもう一人いたのかという驚きだ。


「作業後の食事は、私が監督しましょう」


 その不届きな考えが、こちらも伝わったのか男は笑顔だ。


「もちろん、茸入りです。先ほど城の廊下に紫色の茸が」


 スヴェンが大きく咳払いをした。


「何処の者と問われても、我らは見たとおりの者だ。お主が何者で、意図を明らかにせぬ限り、こちらも、何をもって答えとして良いかわからぬ。」


 それに女は暫し考え込んだ。


「では、お主等は、我が何者であるかわからぬと言うのか?」


「お主の外見が、我らの宗教的に解釈するならば、古の人の隷下に似ている。つまり、我々が知る種族ではないという判断しかできない。」


「主等は、この三叉の鉾が見えるというのにか?」


「それの何が不思議なのだ?」


「なんと!」


 それに女は、初めて驚愕の表情を浮かべた。

 驚き、そして改めて己が周りを見回す。


「気付かなんだ!なんと、既に一つの軛は切り落とされておったか」


「どういう事だ?」


「お主達は、端境期に居合わせておるのだ。幸いか不幸かは、別としてな。なるほど、これはこれは、楽しみであるのぅ。皆、喜んでおろう。」


「喜ぶ?」


「そうじゃのぅ、このような目出度いことに居合わせたのだ、我から名乗ろうかの。

 どうやら、お主らは違うようだからな。」


「違うとは、何だ」


 それには答えず、女は言った。


「我は、導く者の隷下だ」


「導く者とは何だ?」


「お主達人をこの世に導いた四人の者だ」


「それは何者だ?」


「お主等の言う古の人だよ、我の夫もその一人だ。この土地に導き土へと還った。

 我は、子等とこの土地を守ってきた。

 だが、エイジャを殺した奴が、ここにも来た。

 おかげで、この有様よ。

 奴は夫の眠らせておいた力を盗むと、我をここへと繋いだ。

 そうすれば、この土地が腐ると思ったのであろう」


「その者は」


「その者は、お主等が国の兵士というなら、よく知っておろうが?」


 女は忌々しそうに言った。


 スヴェンは眉を潜めた。

 話の行き先を信じる以前に、彼の中の宗教学と現実の歴史が軋み始めていた。


「馬鹿な男だ。エイジャを殺して力を奪い、預かっていたクラヴィスの力までも手に入れた。

 全て揃えば、神になれるとでも思ったのだろうか?」


 女は笑った。


「殺せばタダで力が手に入ると思うだけ愚かよ。


 だが、どうやらエイジャとヨルガンの力は手を離れているようだ。

 主らのあるじは、エイジャの力を手に入れているようだ。くれぐれも、あやつに奪われぬようにするのだ。


 奪われれば、お主等は負けよ。


 この世は腐り、お主等は端境期の中で滅び、四度目の齋の生け贄になるだろう。」


 腐るという言葉に、スヴェンは素早く考える。


「なぜ、そのような話を軽々しく我々に言うのだ?」


「言ったであろう、我はダグラスの妻だ。

 人間を生かし、全ての愚かしさを愛し、許した。

 夫は、お主等に期待をしていた。


 エイジャもだ。

 奴も、お前達こそがこの世を安定し支える者だと信じた。」


「エイジャとは、誰なんです?」


 サーレルの問いに、スヴェンは答えなかった。


「お主等は、何も知らぬのだな。まぁ、少なくとも、その男だけは知っているようだ。」


「スヴェン?」


「我が国の開祖であるモーデンの友だ。公王家をつくりあげた人物で故人だ。彼は古の人だったと言われている。」


「では、その妻が何者であったと伝え聞く?」


 スヴェンは答えない。

 ただ、表情は硬く、何事かを考えているようだった。


「スヴェン、この女を連れて行くにしても、腹に刺さった物をどうにかしなくてはならない。何か良い知恵はありますか?」


「お主の名は何という。私は、スヴェン・ロスハイムという」


 スヴェンの名乗りに、女は答えた。


「リラ」


「では、リラよ。今暫く水の中で耐えられるか?食物や必要な物を言ってくれ」


「我は、水の中の方が調子がよい。さても、お前達はどうする気だ?」


「この東を腐らされては困る。既に東南は腐り始めておる。つまり、お主と同じく我々も、土地が腐るのは困るのだ。故に、腹の傷をどうにかする」


 スヴェンの言葉に、リラは頷いた。


「正気ですか、スヴェン?」


 それにスヴェンは頷いた。


「サーレル、元老員には伝えても良いし、公王へも情報は流れても良いが、坊主共には伏せろ。これは勝ち札だ。カーンに聞いてからになるが、祭司長を呼ぶ。」


 それにサーレルは考え込むと、片手をあげた。

 潜んでいた者が数名姿を現す。


「坊主達は何をしています?」


「今の所、山狩りを続けております」


「では、この場所に近寄らないように、誘導をお願いします。シェルバンの鉱山は更に奥地ですから、ちょうどいいでしょう。あなた方は飲み水を用意して行きなさい。あぁ、彼らが何を飲食しようと注意は必要ありませんと、先導する者にも伝えなさい。

 特に、足腰の弱るような地場の石を見つけたら、そこで野営をさせるのもいいでしょう」


 相変わらずのえげつない指示が笑顔で下される。

 潜んでいた者の姿が消えると、その笑顔がスヴェンに戻された。


「勝ち札についてよく聞きたいですね」


「カーンの所に戻るぞ。この場は交代で見張れ。瓦礫が崩れないように作業は継続だ。

 我々以外の者が入り込まぬようにしろ」


「では、私の手の者にも見張らせましょう。食事と休憩は交代でお願いします。そうそう、紫色の茸ですが」


「入れるのか!」


 スヴェンの確認に、サーレルはにこやかに答えた。


「滋養強壮効果があるはずです」


 兵士達は、誰が先に休憩をとるかで揉め始めた。

 今では、食事が恐怖である。


「我はいらぬよ。誰か肉を喰わせてくれ。血がたりぬからな」


「遠慮は無用ですよ」


「お主の言う紫の茸とは、覚醒と興奮作用もあるはずじゃ。水牢でそのような物を食したくない」


 残念ですね、という補佐官の背中が穴の中に消える迄、部下達は見送った。


「お主等は、喰うのか?」


 異形が問い、皆、沈黙した。


 多分、女の言った効能を確かめる為に喰わされるだろう。


「なんか、俺も、リスロンに行きたくなった。」


 誰ともしれない呟きだけが地下に響いた。

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