ACT210 王とは虜囚なり 其の二
ACT210
茶会の同席者は、公王お抱えの仕立屋達だった。
公爵は私の装いを土産と称して披露した。
そこからは、彼ら、三人の男性と一人の女性の騒ぎが暫く続いた。
縫製技術や生地、衣装の形と色などを触りひっぱりと議論しながら私を囲む。
狂気熱狂する彼らに、私は黙って立ち尽くす。
何故なら、ターク公とランドール王も、沈黙のまま私を見ているからだ。
王の奇矯な振る舞いよりも、静かに椅子に座して見つめられる方が、少々嫌な感じがした。
王の瞳は、鮮やかな深い緑である。
その瞳孔は丸く、黒々としている。
全体的に細身で荒事とは無縁に見えるのに、印象は酷く..。
ぼんやりとしているうちに、茶会の席からは、王とターク公、そして私以外の者の姿は無かった。
もちろん、潜む者や侍従は残っている。
「御母様、何だか見たことのある女の子だね。ターク、御母様はあの子とお話がしたいそうだよ」
私は公爵に手招かれると、彼の座る椅子の横に立った。
「御母様は隣に座ってほしいんだよ。顔をよく見たいんだ。」
私はアンネリーゼと呼ばれる人形の隣に座った。
贅をつくした人形は、銀髪もその陶器の肌も輝いている。
「御母様、この子は誰かにそっくりだね。どうしてだろうね」
私は、いよいよかと王の足下を見た。
「御母様は、顔を見たいんだよ。だから、こちらをご覧と言っている。君が彼にも似ているかどうか、確かめたいんだよ。」
私は顔を上げた。
彼、とは誰だ?
頬を覆う鱗を撫でながら、ランドール王は笑っていた。
「皆、死んでしまって寂しいね、御母様。
それでも、こうして戻ってきた。
御母様、それは良いことなのかな?それとも、悪いことなのかな?」
眼をあわせると、王は私の前髪に指を伸ばした。
人差し指で前髪をつつくと、彼は続けた。
「御母様、彼女は本物かな?
今まで、幾人も献上されてきたけど、皆、偽物だったよ。
馬鹿な事だね。
そうだね、御母様の言うとおり、好き好んでこんな場所に来るのは、馬鹿者ばかりだ。
でも、どうやら、この子は来たくなかったようだよ。
よかったね。殺さなくてすみそうだよ。
まぁ、義弟の紹介だからね。嘘だったら、ニコルが彼を許さないから大丈夫だよ御母様。」
ターク公は肩をすくめた。
「ここに来るまでに、何を聞いたか知りたいと御母様は言っているよ」
「それには、私が代わりに答えましょう。」
「御母様は、彼女から話を聞きたいんだよ」
「残念なことに、彼女は声を失っております」
それにランドールは、笑顔を消した。
無表情で公爵をみやる。
「偽りではございませんよ。同じなのです。」
公爵の言葉に、王の牙がのびた。
「筆談で」
ランドール王の形相が、怒りに暗くなる。
私は公爵の腕をつかんだ。
(ご無礼をお許しいただければ、話を)
ターク公は笑顔で頭を振った。
「大丈夫ですよ、怒っているのは別のことですからね。それにランドール殿は、人に触れられる事を嫌っておられますからね。それとも我慢できますか、彼女が貴方に触れる事を?」
気安く王が嫌がる事を告げる。
私はいいのだろうかと王を伺う。
ランドールは椅子に腰掛け直すと、頬杖をついた。
「相変わらずだと御母様は言っているよ。どういう事だね、義弟よ」
「簡単ですよ。手をとれば正直者には彼女の声は聞こえます。筆談よりも楽でしょうと」
「堂々とふざけた事をいうね御母様。ほら」
手袋をすると、王は手を差し出した。
「これなら大丈夫だよね御母様。髭面の大臣の挨拶は、こうしてやり過ごしているんだ。」
「可愛らしい娘と脂ぎった財務大臣を同じに扱わないでほしいですね」
「御母様、私は誰とは言っていないんだけど、どうして財務大臣ってわかるんだろうね」
「それこそ正直者ですから」
私は差し出された手を見て困惑した。
「大丈夫ですよ。さぁ手を」
公爵に促され、そっと手を添える。
ひんやりと冷たい。
「タークに何を言われてここに来たのか、御母様は知りたいそうだよ」
混乱を押さえると、私は王の瞳を見つめた。
ここまで来たのは、偶然ではないのだ。
(私と同じ種がいると伺いました。)
言葉は確かに伝わったはずだが、何故か王は無言だった。
私を見つめる眼にも動きは無い。
(私は親も兄弟もおりません。この世へ私を繋ぐ血の縁をしりません。そして眠りにある方が、その方が、私の先を行く方がいるのなら)
知りたいのだ。
と、私は続けた。
「何を知りたいんだい?御母様も、君の質問が知りたいそうだよ」
何を問うか?
様々な問いが私にはあった。
どうしてなのか?
なぜ、私なのか?
何が定めで因果なのか?
この身の役割、それとも役割など無いのか?
あふれるほどの質問と疑問があった。
けれど、夢を見て、この不条理な身の上を問う意味はなくなった。
理由はいらないのだ。
ただ..
(怖くなかったか、聞きたい)
「何が怖いんだい?御母様なら怖い原因を無くせるかもしれない」
私はやっと笑う事ができた。
(死んで忘れられてしまうのが怖い)
たったそれだけの事だ。
私の悩みは、たったこれだけの事。
「人は皆、死ぬものだよ。王であろうと、それは同じだと御母様は言っているよ」
(大切な人から、忘れられてしまうのが怖い)
「それなら、忘れない情の深い相手を大切にすればいい。そこにいる義弟などいい例だと御母様は言っているよ」
(私も忘れてしまうから、悲しい)
「死んだ後の事まで悩むなんて、子供のくせにしょうがないねぇ御母様。何だか、本当に彼の娘のような気がしてきたよ。
顔や姿は彼女と同じなのに、性格が彼にそっくりだとはね。
御母様、これは危険な事だよ」
「何が危険なのです?」
公爵の問いに、王は牙を剥いて笑った。
哄笑は息が切れるまで続いた。
そして、不意に真顔になると王は言った。
「さて、今日は気分が良い。と、御母様は散歩をしたいそうだ。」
侍従はアーベラインが利用していたような椅子を持ち出してきた。
車輪のついた椅子に、恭しく人形が乗せられる。
「御母様のお世話をするのは、今日はこの娘でいいだろう」
人形の椅子を押すようにと、王に言われる。
人形が落ちたら斬首だろうか?
そんな事を思いながら、温室を歩き出した王の後に続いた。
温室から外に出た所で、自由に歩き回っていたテトが走ってきた。
「見ない子だねと御母様は言っているよ。ロレアナには挨拶をしたのかい?」
テトの口には色鮮やかな鳥がくわえられている。
公王の鳥を食べていたようだ。
ぎょっとする私を余所に、テトは獲物を足下に置くと鳴いた。
「ロレアナに挨拶をしないで餌をとると、彼女に制裁を受けると御母様は言っているよ。」
公王は女官を呼ぶとテトを捕まえた。
どうやら、女性なら大丈夫だと公王は知っているようだ。
考えてみれば、テトの仲間はここが住処だ。
「ロレアナに、それをお土産にすると良いよ。と、御母様は言って
いるよ。少しかじられているけど、まぁ大丈夫かな?」
女官は動じる事無く、死骸とテトを抱えると去っていった。
私の方を振り返るが、どうやら、テトの基準では危険は無いようだ。素直に運ばれて行く。
もしかしたら、美人に釣られただけかもしれないが。
「ロレアナは、城の頂点にいるんだと御母様は言っている。多分、人間の王より自分は偉いと思っているね」
どうやら、ロレアナとはテトと同じ猫のようだ。
多分、群の統率者なのだろう。
温室から回廊に入る。
見えない気配がまわりを取り囲んでいるが、目に見える場所には誰もいない。
椅子の車輪がたてる音だけが廊下に響く。
回廊を曲がり温室が見えなくなる。すると片側は城の内壁を下に見下ろす開けた場所になった。
城下と外郭、太陽の位置から、公園の方から眺め見上げていた場所だとわかる。
風の音と開けた視界に目が回る。
オーダロンの水晶の門が遠く虹色に輝くのが見える。
さらに先を見れば霞、この都の広さに胸が詰まった。
小さな人々の暮らしが、この目に映るすべてにあるのだ。
絶景を見ながら更に進む。
通路は再び城の内側に折れ、半円を描く入り口を潜り中へと戻った。
人の気配は更に少なくなり、階層を上にのぼる。
照明は少なく、通路も次第に暗くなる。
通路を折れ進む内に、何故か既視感を感じた。
まさか、と、思いつつも、あの場所の建物を思い出す。
折れ曲がり進めば、最上階の部屋にたどり着く。
あの場所は行き止まりであり、奇妙な絵があった。
私は異形に追われながら、その部屋にたどり着いたのだ。
そして、この人の世でたどり着いた場所も、同じく小さな聖堂であった。
色硝子が光りを受け取り輝いている。
そして、その中央には大きな石棺が置かれていた。
美しい聖堂には似つかわしくない切り出されたままの石の棺。
それは近寄ると、黒々とした水が満たされている。
様々な花が浮かび、光りがその棺を照らしていた。
私が考えていた姿とはかけ離れていた。
それは水に沈んでいた。
琥珀の髪が水に広がっている。
白い肌には簡素な寝間着を纏っていた。
その人は水に沈みたゆたっている。
私は生きて眠りについているものだとばかり思っていた。
彼女は、一つの術となっている。
濃密な呪術の要石として命を投げ出していた。
ここにあるのは、その呪術を支える呪具としてだ。
彼女は眠っているのではない。
もう、いないのだ。
術を読む。
大胆な術式である。
次元の裂け目を強引に塞いでいる。
魔導の言う第四の領域を閉じたのだ。
余程危険で急な流入だったのだろう。
本来ならば、秩序を構築し理に沿わせて補強する。
それができずに、彼女自身が穴を塞いだ。
彼女の命すべてを使い、強引に術式で穴を縫ったのだ。
これをもう一度やり直すには、空間が再び裂けた時に、じっくりと時間をかけて構築しなければならない。
熱量を考えれば、相当数の命が必要だ。
そう。
これほどの破壊だ。
命が必要になる。
多分、都の殆どが死に絶えて消える。
代わりに、この裂け目は消えて落ち着くだろう。
だから、彼女は選んだ。
精霊種の寿命を考えれば、その間にこの裂け目を少ない代償で繕えるかもしれない。
だから、彼女は決めたのだ。
忘れられるのが怖い?
そんな悩みは消えたのだろう。
自分が大切にしている全てが消えるくらいなら、そんな恐怖は小さなものだ。
いつの間にか、まわりにはランドール以外は消えていた。
ランドールと人形と私だけだ。
警護の気配もここには無い。
私は、震えながら石棺に縋っていた。
ランドールは私に並ぶと、棺を見下ろした。
「初めまして、森の人。
私は罪深き者の息子であるランドール・カリーニャ・エル・オルタス。
皆を、人をお救いくだされた、尊き森の人にお目にかかる事ができ、喜びで言葉もありません。」
震える私に顔を向けると、彼は続けた。
「償う事は無理だと理解しております。
我らはあなた方を狩り殺した。
その上、繁栄の為に尊き命をこうして犠牲にしている。
見捨てられて当然の者にございます。
本来ならば、顔を見せる事さえ烏滸がましい。
命を差し出した所で、この汚らわしい血に価値など無いと理解しております。
ただ、伝えねばならない事があるのです。
もしも、再び、森の人が現れたなら」
ランドールは棺に背を向けると、奥の祭壇に向かった。
「これを渡さねばなりません。もし、本当に貴女が森の人ならば、何ら害はありません。それは貴女の物になる。」
祭壇に置かれたそれは、見たことがあった。
真偽の箱と呼ばれる小さな立方体だ。
だが、今まで見たものとは違い、それは表面にナリスと同じく、迷路のような模様が刻まれていた。
これが何であるか、理解していた。
呪具となり果てた、彼女の使っていた力だ。
「さぁ、手にとってごらんなさい」
それはグリモアとは似て否なる物。
ランドールの顔には、暗い笑みが浮かんでいた。
私は手を伸ばし、小さな箱を手にとる。
ひんやりと冷たい箱は、私の手の中で撓んだ。
溶け撓み、手の中で熱くなる。
幾通りもの形を変えて、きらきらと輝き。
私の手の中で消え、そして..
誰かが息を吐いた。
「本物か」
それは知識と記憶。
私は両手を捧げ持つようにしたまま、立ち尽くす。
洪水のように、押し寄せる記憶。
今となっては、私の一部となった力が、その奔流を押さえる。
私が引き継げる物では無い。
私は、もう、贄としての人生を歩んでいるからだ。
それでも彼女は、私に語る。
アンネリーゼ
と、いう女性の人生をだ。
彼女の記憶には、一人の男の姿がある。
琥珀の髪と瞳をした、少し疲れた様子の男だ。
穏やかな、どことなくのんびりとした雰囲気の男。
彼は彼女に、何かを話す。
その手には、小箱と書物があった。
彼女は小箱を手にとると、中空で組み替え、小さな硝子の子馬を作る。本来なら、簡単な事ではない。
もう、覚えたんだね。
彼はため息をつくと笑う。
光りに滲む笑顔だ。
クラヴィスからは譲り受けた。
ダグラスは、妻に渡したようだ。多分、墓に埋めたろう。
後はヨルガンを探さねばならない。
人の手に渡ってはならない代物だからね。
もし、私が死んだら、君が集めてほしい。
そして、できれば戻して欲しいんだ。
もう、この世界には、我々は必要ないからね。
そうしたら、少し、家族でゆっくりとしよう。
君と僕と子供と、一緒に。
もう、この世界の一部として土になるのも良いかもしれない。
彼女の中で一番残っていた声と言葉。
それを聞きながら、私は力に流される。
彼女は書物と小箱を手にうなだれる。
それを前に、跪く男がいた。
男は顔を上げる。
鳶色の髪と瞳の男は、笑った。
私めが、奴を殺しましょう。
国の祖である我が君の敵を。
バルディス様を殺した狂人を。
それに彼女は頭を振った。
既に、あの男は報いを受け取っているでしょう。
ならば後は、如何にして、救うか。
私に皆を、救う事ができるでしょうか?
貴方のいない世界を、救うだけの強さが残っているでしょうか?
暗闇の中で、白い物がいくつも横たわっている。
彼女は、力つきようとしながら、それらを助けようと手を伸ばした。
虚しく死に絶える姿。
助けられずに消えていく。
その度に、彼女の体は力を失い、息をする事もままならなくなる。
そして闇と思う世界が、自分が死にかけ見えなくなっているだけとわかった頃。
恐怖が過ぎれば、楽になった。
暗闇は静かで、穏やかだったから。
そして彼女は人々の夢を覗く。
人々の地に足のついた暮らし。
諍いもあろうし、辛い現実もある。
それでも、手をとりあい生きている。
貴方と私の子供の、明日。
失われた未来、二人の時間。
彼女は、後悔し悲しむ。
それでも選んだのは、自分の為だ。
(最初にエイジャを殺したのが間違いだった。
魔女を先に殺せばよかったのだ。
だが、今のお前は動けぬようだ。
邪魔なグリューフィウスも今朝処刑した。
もう、誰もお前を守る者などいない。
これで二つ揃った。
お前の力と残りを揃えれば、我はこの世で神になる。
偉大な力により理想の世界が作られるのだ。
そこに死も苦痛も、そして、終わりさえも無いのだ。
楽園をつくり、我が統治する。)
上擦る声の持ち主は、己が如何に偉大かを叫ぶ。
彼女は聞きながら、ほくそ笑む。
エイジャの呪いがかかった。
例え、自分が死のうとも、この男には明日は無い。
人の生きる素晴らしい明日に、この男はいない。
彼女は、そして夢を見る。
真っ白い雪、そして、小さな赤ん坊を抱いた忠実な友の姿を。
青緑の皮膚をした、醜い生き物が彼女を追う。
小さな赤ん坊は、彼女の大切な友人の娘だ。
このままでは、あの狂人の手先に喰殺されてしまう。
では、どうすれば良い?
簡単な事だ。
昔、友と一緒にした鬼ごっこと同じ。
彼女は雪の道でクルリと回る。
彼女が唯一できる呪いだ。
すると醜い生き物は、雪道に立ち尽くす彼女を追い越して走っていく。
彼女はにっこり笑う。
かくれんぼだ。
雪道に、沢山の円を描く。
それでも体力は落ちていく。
彼女は、あの場所まで行かねばならない。
裁定者のいる、あの場所に。
そして願うのだ。
古来より、人を試す者がいる場所だ。
そこで願うのだ。
あの狂人を、滅ぼしてくれと。
そして、どうか、赤子に明日を与えてくれと。
やがて昔語りのような村落が見えた。
のんびりとした豊かな村。
ここならば、良いだろう。
赤子の売り買いをするにしても、暖かくならねば商人も訪れまい。
それに、それまで世話をする者が子供に情をうつすだろう。
なにより、友の子供は可愛らしい。
彼女は人の気配を待って、術を解く。
そして赤子を焚き火の側に置くと、森へと向かった。
さぁ、神に会いに行こう。
そして願おう。
命を捧げて。
「生きているようだよ御母様。彼女は偽物じゃなかったようだね。
でも、それは本当に良いことなのかな?御母様」




