ACT201 黄昏の王都 其の三
ACT201
公王家直属の家臣でも末端になれば、使用人は一家族に一人か二人だ。貴族という身分でも贅沢とは無縁。使用人が雇えるだけの余裕など無い。よほど商家の方が裕福である。
そして末端貴族で不遇のグリューフィウス夫人宅には、年老いた料理人が一人と洗濯女として通う少女が一人いる。
料理人は関節炎を患い、夫人の元へ身を寄せているだけで、実は賃金で雇うのではなく、一緒に暮らして夫人が面倒を見ているのだ。
だから、通いの少女だけで夫人宅には使用人がいなかった。
グリューフィウス家は、長男のシュナイ、長女のリアン、夫人であるフェリンに夫の母親であるドゥルの四人家族。
公爵は眠りから覚めて以来、王都の情報も収集していた。そこに手抜かりは無い。相変わらず美しい顔の下には、非情な面を確かに残している。
突然の訪問に扉を開いたのは、夫人その人であった。
長命種特有の青白い肌に、濃い色の金髪。
瞳は霞がかかったような紫。
ふっくらとした優しげな女性である。
そこに彼の男の面差しは無い。
怪しげな風体のターク公に最初は目を見開いていたが、どうやら誰であるかすぐにわかったらしく、笑って彼女は出迎えた。
ニルダヌスにも、そして私にも挨拶をすると、長旅を労い訳も問わずに招き入れた。
「懐かしい、本当に、懐かしいですわ。何年ぶりでしょうねぇ。相変わらず女性におもてになるから、そんな妙な格好なんでしょう?主人が見たら、さぞやおかしがるでしょねぇ。」
「ゲオルグはおかしがるというより、馬鹿にするでしょうねぇ。くだらないとかなんとか言って。」
「まぁ言うでしょうけど、口で言うほどではありませんのよ。実はコルテス様の奇行を、主人は楽しみにしてますの。」
「おや、それはそれは、ここ最近のご無沙汰で、さぞや退屈させてしまったようですねぇ」
そこには気安さと、ターク公の身分を気にかけない今までのつき合いが伺えた。
お互いに当たり障りの無い近況を話し、公爵は王都に来た理由を説明した。
娘に無理矢理爵位を継がせて、隠居して遊び回る手続きをしにやってきた。自分の館に入れば、色々面倒なので、暫く夫人の所に厄介になりたい。
良く聞けば理屈の通らない話を、朗らかにしているのだが、夫人は頷きかえす。
ニルダヌスは護衛として公爵の後ろに立っているが、私は窓際の椅子をすすめられて腰掛けていた。
二人のやり取り、ターク公と夫人の会話は、何処か妙だった。
もちろん、お互いの近況が言葉にできない類のことであるから、事実をぼかしているのはわかる。
だが、それ以外で、何か彼らの会話はしっくりこなかった。
「お部屋は空いていますのよ。でも、コルテス様にお貸しするのは気が引けますわ。今まで貸していたのは、皆、学生の方ばかりですもの。自慢にもなりませんけど、利点は安さと気兼ねのなさだけですもの。洗濯と食事だけは提供できますけど、それもねぇ」
「それですよ。気兼ねのなさと食事。ゲオルグが自慢している奥方の料理を食べられるだけで十分です。たまには自由気ままに一人で過ごしたいのですよ。もちろん、護衛の彼と遠縁の娘を連れていますが。」
表情は変わらなかったが、夫人は少し考えているようだった。
「あの人が帰ってきたら、喜ぶかしら」
その呟きに、公爵は微笑みを浮かべた。
「何でいるんだと、怒られそうですねぇ。」
それに夫人は笑った。
こうして、滞在先は決まった。
雑談が続き、私は窓辺に置かれた蝋燭立てを眺めながら、ぼんやりと違和感の正体を考えていた。
何が不自然かと言えば、彼らの会話では、死んだはずの夫人の夫であるゲオルグ・グリューフィウスは健在のままであるからだ。
その理由は聞かない方がいいような気がした。
部屋への案内は長女であるリアンが先頭にたった。
公爵の外見、今は非常に胡散臭い外見を頭からつま先まで、まじまじと眺める。
それから獣人であるニルダヌスの、とがった耳を見て感心したように頷いた。
その姿は幼く、実に微笑ましかった。
二人の大人は、孫をみるように顔が笑みに崩れている。
そしてリアンは、私と猫を最後に視界におさめると、嬉しそうに笑顔になった。
テトも嬉しいようだ。
優しい雰囲気の夫人も気に入ったようであるし、リアンは活発そうな少女だ。
女性の比率があがり、テトの尾は忙しなく揺れている。
私はと言えば、最初の衝撃が薄れるにつけ、リアンがそれほど彼の男に似ていない事に安堵していた。
グリューフィウス家の館は、家族が暮らす母屋が東向きである。
東向きの玄関に、人形を制作する夫人の部屋があり、西に向かって居間やリアン達の暮らす場所、食堂などの生活部分がある。
そして寄宿の為の貸し棟は、その母屋の中間から、北の王城方向へと棟がありそれが途中から再び東に折れている。
そして母屋とその折れた東の間に小さな庭が。
私達が案内されたのは、一番東の突端の部屋で、陽当たりが良かった。
室内の家具は古びてはいたが埃一つ無い。
今現在誰かが使用しているといっても良いような具合だ。
大きくとられた窓辺には、やはり蝋燭立てと植物の鉢が置かれていた。
書棚の書物を見て、公爵が懐かしそうにしている。
見た限り生活するには十分な間取りと家具が揃っていた。
「他に入居者はいるのかな?」
公爵の問いに、リアンが答えた。
「今はいないよ。残ってた学生さんも、皆、いなくなったしね。」
貴族の子、というよりも、下町の子供の口調で彼女は答えた。
気兼ねないというより、公爵の胡散臭い外見から、身分を計りかねているのもある。
「どうしてだい?」
素知らぬふりで公爵が聞いた。
それにリアンが前髪を息で吹き上げると、少し不満そうに答えた。
「母さんの親戚に、悪い奴がいてね。そいつの所為で、家にも役人が来たんだ。何度も何度もいろんな奴が来て。評判が悪いからって、学都のほうからも生徒を引き上げるってなって。皆、気にしてないって言ってたんだけどね。
まぁ、そんな感じ。
学生さん以外だと、変な男とかじゃ兄さんがいない時が物騒だし。母さん、お年寄りだと家賃を受け取らないし。
ねぇ、おじさんは、変な格好だけど、父さんの知り合いなの?」
子供の物言いに公爵は笑顔だ。
多分、おじさん等と呼ばれたことも無いだろう。
それが嬉しいらしく、リアンに近寄ると眼鏡を下げて内緒話のように言った。
「幼年学校の同級生でしたよ。貴族院の高等部では、ゲオルグとは必ず組まされていました。私とゲオルグは普通に交友をもっていましたね。」
「ふつう?」
「普通の友達です。お互い一番かけ離れた境遇と性格でしたが、気が合いましたよ。」
おぉっという感じでリアンが口を丸くしている。
「おじさんは父さんの友達か。じゃぁ、特別待遇でもてなすよ。」
「できれば、タークおじさんで。そして、彼が護衛のニルダヌス。彼女が私の遠縁のオリヴィア姫だ。」
「姫?」
私の否定の視線もなんのその、公爵は笑顔で続けた。
「彼女は喋れないけど、仲良くしてもらえるかな?」
「その猫、抱っこしていい?」
どうやら仲良くしてくれるようだ。
テトの機嫌は更に良くなる。
リアンは、続きの個室に(ニルダヌスおじさん)を案内した。
ニルダヌスおじさんという呼び方に、呼ばれた本人は苦笑している。
耳は動くのか、毛並みはどうやって整えるのか、牙が長いね等々、獣人に興味があるらしく、手を触らせてもらったりしていた。
公爵よりも興味があるのか、部屋の使い方を説明すると、おじさんが暇な時にお話を聞いてもいいか?とたずねていた。
主人であるターク公がよければ、いつでもいいとニルダヌスも答えていた。
「姫は、私と一緒でいい?」
意味が分からず首を傾げる。
リアンは小さく唸ると言葉を探すように続けた。
「タークおじさんとニルダヌスおじさんは、姫のお父さんじゃないから、一緒の部屋じゃなくてもいいでしょ。女の子だから、母さんと私のお部屋の近くか、私と一緒なら、新しくいろいろ買わなくてすむし。うんと、買わないって言うのは、私の貸してあげるってこと。一緒に来て」
ニルダヌスを振り返ると、彼は頷いた。
自身の荷物を適当にしまうと、ニルダヌスは公爵の世話へと向かうようだ。
基本的に公爵は、生活能力が低い。
今頃、少ない荷物だというのにまき散らしているだろう。
私はリアンに連れられて、母屋へと返した。
高い位置で結われた金髪が揺れている。
身長は既に私より頭一つ高いが、ひょろりとした手足の長いリアンの印象は、幼い子供だ。
もちろん、私のように長い幼年期を持つ種族や、一部獣人のような加速度的な年齢経過をたどる種もいる。
だが、リアンは見た目どうりの幼い少女だろう。
そして彼女は私を同年齢の子供と認識したようだ。
母屋に入ると、リアンは向かって右、玄関とは逆の奥の通路に向かう。相変わらず水音が屋敷の中にまで聞こえた。
「一番西のお部屋がお祖母ちゃんの部屋。南からの陽射しが入って暖かいのね。そのお向かいの部屋が私とお母さんの部屋。」
食堂、台所と通路の左側を説明し、反対側の貯蔵室を過ぎたところで通路は十字になっていた。
北、向かって右に折れると、父親の部屋と布団や掛け物がしまわれている部屋に物置。
南、向かって左に折れると、祖母の部屋に母親とリアンの部屋がある。
そして西、まっすぐ進むと手洗いと水場がある。
洗濯場は北側の庭、ここからだと北の父親の部屋から見える場所にあるらしい。
内風呂は台所の火の気と一緒なので、リアンの部屋の裏側に位置している。
人に貸すだけあり、中々に広い。
因みに貸し出している棟には、独自の水場と共同の手洗いがある。
食事以外で母屋を利用する事は無いのだそうだ。
そして王都の民は、冬でも水で体を拭く。
内風呂を利用するのは家族だけで、大概は、外の風呂屋に行く。
私達も、内風呂を使いたい時は声を朝の内にかければ良いそうだ。
大変ありがたい。
「お兄ちゃんの部屋は、父さんの部屋なんだけど、今は下宿棟の一番母屋側で寝起きしてるの。お兄ちゃん、仕事が遅くなったりするから、寝る場所さえあればいいし、借りる人がいる時は、そのほうがいいって」
確かに、他人を住まわせるのだ、母屋の行き来に長兄がいるのといないのとでは安全面で大きく違う。
考えてみれば、グリューフィウス家は女所帯だ。
だが、この家の場所を考えると、防犯面で限りなく良い場所だ。
門番所からの一本道の最後、南と西側は用水に区画の鉄柵。
北側の住宅地は、建物が背を向けて壁のようになっている。
この家が道の最後であり、人の目もあるので余所者がくれば、先ほどの私達のように声をかけられる。
そして市民街にも商業地区にも近いのだ。
貴族街の防犯の恩恵を受けた、使い勝手の良い立地。下宿屋としては最適な場所だ。
だが、下宿屋を営むにしても、何を商いにするにしても、あの男の名が障る。
断片となり、グリモアとなり、同化した者は常に笑っている。
私を笑っているように感じる。
だが、実際は違う。
愚かな者を殺せと叫び、この世を壊せとはやし立てるが違う。
唆す声は、試しているにすぎない。
しかし、ここに来て、彼らは気配を消した。
黙り、見ている。
私を見ている。
そして失念していた疑問に気がつく。
そもそも何があったのだ?
という疑問だ。
グリモアに何故、捕らえられたのだ?
その答えは同化した今も知らない。
何故なら、私が知るのは喰われた側の事情だ。
私が知り得た断片は、死にかけた少年の記憶。
家族を殺した、あの淡々とした感情。
そこからわかる事。
グリモアを得た私がわかることは、喰われた者以外の存在だ。
二度、グリモアを動かしている。
死にかけた時と変節し腐土へと方向を変えた時。
誰が?
そして、ボルネフェルトは宮へと沈んだ。
多分、これだけは男自身の望みだ。
その望みも謎だ。
宮の主は選んではいない。
彼は仲間を連れて、すべてを捨て去りやってきた。
腐土を広げようとしていた男は、全てを捨てた。
すると、さらに疑問が浮かぶ。
何故、死者の宮へと来たのだ?
自分の信者を生け贄として、主に願う。
理から外れた魂が願う、異形の世界への道。
それはつまり?
「南側は露台になってるの。部屋から外に出られるんだ。でも、裏木戸は蔦が茂って閉じたままだから、外へ出るのには正面の玄関からじゃないと駄目なんだよ。」
陽射しに輝くリアンの髪を見つめながら、私の意識は暗く沈む。
悲しみと苦しみの末の悪行、陥れられた末の悪名だとしたら?
絶対的な悪として、その存在を嫌悪できないとしたら。
人の命を奪い悪行を為した者の悲しみを知ったら、私は耐えられるだろうか?
そこまで考えて、無意識に止めていた息を吐いた。
罪は罪だ。
そしてもしも、その罪を犯させた存在がいるとしたら、私は全力で戦わねばならない。
何故なら、今の私に至る原因でもあるからだ。
私の生い立ちや種族、それを差し引いて考えた場合の、最大の原因。
それはカーン達が私の村に来たからではない。
ボルネフェルトという犯罪者が原因である。
そして、その犯罪に至る原因があるのならば、それこそが、私が対峙しなければならない事なのだ。
対峙し、考え、そして選択する。
戦うと言っても、武器を持ち、その者に怒りの鉄槌を振り下ろすのではない。
禍根を残さず、消すのだ。
露台に続く硝子の扉には、美しい刺繍の布がかかっていた。
リアンの部屋は、母親の手作りの品であふれている。
目にする全てが、深い愛情に満ち、美しく見えた。
もしかしたら、ボルネフェルトは神に至りたかった訳では無いのかもしれない。
理から外れた魂が、完全な不死を得られないように、完全なる死をも得られなかった。
だから...
「この部屋の奥に、もう一つ寝室があるの。本当は私の寝台もそこのを使うはずなんだけど、こっちの来客用のが大きいから、ここで寝てるんだ。だから、奥の使ってないのを姫にどうかなって。もちろん、布団はきれいなのと新しいのをいれるし、お部屋も毎日掃除してるから綺麗だよ」
テトをおろし、私の手を引くと、リアンが奥の扉を開いた。
南向きに窓があり、室内は明るい。
リアンの使う部屋の奥に位置するが、細長く適度な空間の為に落ち着いた感じがした。
薄い緑と白の壁紙に、暖かみのある木目の寝台。
寝具は置かれていないが、飾り棚や家具も置かれ、ここもやはり埃一つ無く清潔だ。
窓を開けると、リアンの部屋と同じく南側の狭い庭と低い塀、そして市民街の町並みと緑が目に映る。
明るく気持ちの浮き立つ、活気のある景色だ。
「どうかな?」
テトは既に気に入ったのか、窓辺に上りあがると風に髭を揺らしている。
文句のつけようもない部屋である。
私は、ありがとうのつもりで頷き、繋いだ手を揺らした。
「よかった、じゃぁ。荷物を置いたら、お祖母ちゃんの所に行こう。そしたら、後は、おやつね。お祖母ちゃんのところには、アンテもいるの。アンテは前のお家からの使用人で、料理を作ってくれるの。調子がよければ、お菓子もね。それでね」
流れる軽やかな言葉に、私は自然と笑みが浮かんだ。
楽しげな声には、光が見える。
私の目には、彼女を取り巻く魂の光が見えた。
グリモアの数少ない恩恵だ。
彼女には、彼の男のような淀みが無い。
淀みの無い子供特有の、黄金色の光が魂からあふれている。
暗い海から眺める灯台の光。
行き暮れた夜に見上げる星の煌めき。
太陽のような輝きではないが、確かに人を勇気づける輝きだ。
なりたかった光りに満ちた姿。
グリモアに捕らわれた者が望む物。
似ているようで似ていない、だが..。
窓辺から見える、揺れる緑が目に焼き付いて離れなかった。




