ACT199 黄昏の王都 其の一
ACT199
王都の正式名称はミ・リュウと言う。
その東のシダルダ門から私達は都に入った。
シダルダの人の往来用の門は、巨大な鋼鉄の固まりである。それは都にふさわしく非常に精緻な飾り模様が一面に施されていた。
田舎者らしく門を見上げて口を開けていると、警備を担当している兵士に笑われた。
猫と一緒に驚いている姿が面白かったようだ。
ターク公、便宜上、バンダビア・コルテスの名は姫に渡されるので、ターク・コルテス前公爵となるが、旅の間はタークと呼ばされている。
ターク公は、元々の貴族の手形と国璽捺印済みの召喚状を持参しており、通過に問題はなかった。同行の使用人の数を記すだけで、特段の手続きはいらないようだ。
もし都内で身元を問われた場合は、公爵の使用人であれば、王都滞在中の所属を示す署名入りの証を携帯していれば問題ないという。
都は三重の城壁、外郭によって守られている。
その外郭と外郭の間にも広大な空間がとられている。
通過する距離の長さから、外壁そのものが小都市と呼んでも良い大きさのようだ。
それが壁と壁の間の緩衝地であるとは、言われなければわからない。
住民は、中心の都市部に暮らしているが、公爵の説明によると、外郭である巨大な城壁の内部にも兵士や人が、外郭の間の土地の部分も国の施設が置かれており、単なる壁という訳ではないそうだ。
中央大陸の中心であるのだから、普通の地方都市や出身の辺境を基準に考えては理解できなくなる。
まぁ、私はテトと一緒に、口をあけて巨大な建物と人波に呆然とするだけである。
「さて、先ずは食事をすませてしまいましょう。」
そんな都会だというのに、東マレイラの高位貴族がいそいそと向かうのは、酒場とも飯屋ともつかない庶民の店である。
爵位譲渡といっても、本来、ターク公自身が死亡しない限り、爵位というものを公王が次代に授ける事は無い。
今回の騒動に限り特例として、ターク公は死亡と同じ扱いになる。爵位は公爵のままであるが、彼の娘が女公爵となる手続きと、ターク公自身の公的死亡を公王が認め記録する為の召喚だ。
その公的死亡も形式だけである。
領地運営に口を出す事は無いが、彼がニコル姫の夫である事は変わりなく、言い換えれば公王の親類のままだ。
公的発言が無いという建前ではあるが、彼の発言は十分に貴族間では通用する。つまり、隠居の身という言葉が一番適切に言い表している。
と、これが質素な旅の理由である。
それでも奴隷であり護衛のニルダヌスと、用をたさない私の二人を従えるだけというのはありえない。
加えて言うなら、小舟、貸し馬、辻馬車、徒歩、宿は庶民階級、なければ村落の軒下、野宿と、風流と言うよりも、一般庶民とほぼ変わらない旅であった。
その貴族としてはありえない隠居旅は、思うよりも楽しかった。
旅だった時の侘びしさは、自分で何もかもしなければならない旅の間に薄れた。
それは公爵にも、ニルダヌスにも言えた。
意外にも、野宿は私が一番慣れていた。
獣人兵士だったニルダヌスは、軍隊式の野宿には慣れていたが、少人数の煮炊きは、私が一番手際が良かった。
そして公爵は、予想道理役に立たず、まして傷も癒えていない。ただし、野外での活動は楽しいらしく不機嫌な様子も、無気力な様子もなかった。
長命種の肉体は非常に復活が早い。
旅を続ける内に力を取り戻すと、ニルダヌスと一緒に野生の動物を狩っては楽しそうに食事に加える。
そして、庶民の宿、辻馬車に乗り込んでは、異種族の平民に混じり楽しそうに談笑する。
夜に魘され疲れた朝を迎えても、それでも公爵は、少しづつではあるが生気を取り戻していった。
それはニルダヌスにも言えた。
奴隷の身であるが、獣人の社会から外れ、何よりも彼の重荷は全て吐き出された。苦悩はあれど、心は平らかなのだろう。
無口なままではあるが、表情は以前と違いしっかりとしていた。
時々は、笑うようにもなった。
繁盛している食事処は、酒場も兼ねている。
煤けた店内に、乱雑に置かれた椅子。
今は昼少し前で、程々に席は埋まっている。
女店員が奥から出てくると、無愛想に案内する。
中々に美人だが表情は硬く、字は読めるか?と聞いてきた。
品書きは大陸共通文字で書かれている。
読めない場合は、説明と値段を教えてくれるのだ。
私達は品書きを受け取ると、料理を注文した。
庶民の料理というものが珍しくて、この旅の間中ターク公は様々な物を口にしていた。
地方料理の下手物を全て網羅したいのかも知れない。
ニルダヌスは何も言わなかったが、本当に食べて大丈夫なのだろうかという動物や虫の料理を、毎回頼んでいる。
絶対に普通の料理は頼まない。と、公爵は決めているのかも知れない。
勿論、私は普通の煮込み料理を頼む。
そんな冒険は野宿以外で味わいたくない。
今回もターク公は、虫料理に挑戦するらしい。
時々食べられなくて、ニルダヌスが引き取るという場合もある。
今日は大丈夫だろうか..。
「オギロンの幼虫は滋養に優れた素材です。ターク様が完食された方が体には良いですよ。」
(食べられそうな代物なんですか?)
「虫料理なら、私は殆ど好き嫌いがないです。」
(つまり、不味いんですね。)
「見た目が、上流階級の人族の方には無理があるんですよ。」
私達がこそこそやりとりをしている間、公爵は意気揚々と注文を出している。
因みに、公爵の美貌は薄汚い頭巾と埃除けの襟巻き、そして胡散臭い色硝子の眼鏡で隠されている。
一見すると怪しい旅の商人と、その護衛と下働き一行に見えなくもない。
「交換できるように私の分は普通の料理にしましたし」
ニルダヌスは時々無理な注文をする公爵と、自分の料理を交換する。
公爵は、好き嫌いの激しい子供状態である。
勿論、公爵は強要したりしていない。
ただ、食事を無駄にする事はできないので、ニルダヌスが自分から申し出ている。
飲み物は、甘酸っぱい果汁を水で割った物を頼んだ。
遠慮して頼まないと、ターク公は勝手に高い物を注文してしまう。旅の間に遠慮が高くつくと学んだので、私は最後の菓子まで注文をした。
ニルダヌスも彼の食欲を十分満たす量を注文している。
費用は全て公爵持ちである。
庶民旅とはいえ、贅沢にはかわりがない。
先に来た飲み物を飲みながら、一息つく。
護衛のニルダヌスも一緒の食卓なのはいつもの事だ。
ニルダヌスに、奴隷としての弁えた態度を望んではいない。公爵は上辺の礼儀も尊敬も必要ではない。ただ、自然に接して欲しいという、逆に難しい事をニルダヌスに望んでいた。
そんなターク公の望みは、今までの暮らしを捨て去る事のようだった。
そしてニルダヌスは、その注文によく応えていた。人としての礼儀を保ちつつ、気負うことなく公爵の命令に従っている。
つまり、自然に接するという命令を実行している。
矛盾である。
奴隷という立場は事実である。
変えようのない事実を、感じさせずに立ち回るのは難しい。
けれどニルダヌス自身が、すでにこの世の何も興味が無い。残る人生は孫の生活が豊かで穏やかである事だけだ。
だから、公爵の望む事だけを満たし、世間様の動向は興味の欠片もない。失うばかりの人生だったニルダヌスだから、ターク公を蝕む虚しさを理解しているのかも知れない。
要は結構気があう二人という事だ。
都の食事は薄味だが、とても美味しいものだった。
肉体労働者向けや地方の料理は塩分が多い。
やはり都会になると、味自体も違うのだと感心しながら食べた。
考えてみるに、以前は神殿の賄いであった。
神殿の食事は、簡素で味がない。
薄味というか、旨味そのものが極端に少なかった。
それを基準としていたから、都の食事はあまり期待していなかった。
嬉しい誤算である。
そして、公爵の頼んだ虫料理は、幼虫の素揚げに煮込みという、非常に視覚に痛みを覚える品だった。
確かに昆虫は良質の栄養源であるが、オギロンの幼虫は見た目が醜悪である。蝶の幼虫を想像していたら、百足のような足に妙な触角と目がついた奇妙な物体が素揚げにされて出てきたという具合だ。
どちらかというと昆虫と言うより海の生物みたいである。
テトが俄然興味をもったようだ。猫の興味を惹く物は、大概視覚的に刺激が多い。
因みに猫ぐらいだったら店に入れても良いそうだ。
鼠を駆除する猫は、食べ物屋や商店には飼われており、テトも既にこの店の猫と挨拶を交わしていた。
テトも料理を凝視していたが、公爵も料理を凝視している。
テトは新たな珍味に興味を示していたが、公爵は驚いて食欲が失せているのが表情からわかった。
たぶん、新たな挑戦をしたいのだろうが、別にこんな事で人生が変わるわけでもない。
ニルダヌスが遠慮がちに、その虫が如何に体に良いかを説明している。
素揚げは殻を割って中身を啜るようだ。
幼虫の殻を割るというか、中身を啜る時点で、公爵の食事経験には無い行為である。
(殻を割ってもらってから、中身をかきだして味見をすればいいんじゃないですか。それか幸い煮込みは、原型もなさそうですし、汁だけいただくとか?)
好い歳の大人二人が下手物料理を前に困惑しているのを見かねて、何となく口を挟む。オギロンの煮込みは、所々に触角が見える程度だ。
菓子を運んできた女店員に、オギロンの料理は一般的なのかを、ニルダヌスを通して聞いた。表情はともかく、質問には丁寧に答えてくれた。
オギロンの幼虫を食べるのは、やはり病後とオギロンが採れる国から来た者だけだそうだ。
オギロンの採れる国、つまり、主に亜人と獣人の食事としては珍しくない。ただし、人族で食べる者はまれだとか。
結局、ニルダヌスが解体し、公爵は何とか食べきった。
何事も経験である。
体に良いというのが決め手で、その滋養に良い効能がなければ、たぶん食べる事はできなかったろう。
「あぁ、この歳でも学ぶことは多いですねぇ。」
食事をしただけで公爵は疲れた様子だ。
ニルダヌスは最後の肉料理を平らげている。
私も甘酸っぱい飲み物を飲みながら、テトを撫でていた。
そのテトはオギロンの殻を満足そうに咀嚼している。
どうやら、殻の部分に味がしみていて、とても美味しいようだ。
「さて、今日の予定を話しましょうか。」
店内は昼時を迎え、街の住人で混雑していた。
私達は壁際の奥に座っており、混雑のお陰で逆に会話の内容は周りには聞こえないようだ。
それでも声を落とすと、公爵は続けた。
「貴族街の我が館に向かうか、知り合いの所に厄介になるか迷っています。」
無言の私達に、公爵は考えるように続けた。
「都の家は、公王からの拝領屋敷なんですが、入るとなると人を多く動かすことになります。つまり、面倒なんです。今回は、自由に動きたいので、なるべくそうした大きな動きになる行動は慎みたい。
そこで知り合いの家に厄介になるのもいいかと思っています。
まぁ要するに、その者に迷惑をかけることになるのですが。果たして、滞在を許してくれるかどうかは、行ってみないことにはわかりませんしねぇ」
ニルダヌスと私は顔を見合わせた。
何となくだが、嫌な予感がする。
「ターク様、そのご厄介になる方とは、どのような身分の方なのでしょうか?」
「うーん、まぁ普通の家庭ですよ。」
笑顔が眩しい。
絶対に嘘だと流石に私達にもわかった。
私達の疑いの目に、公爵は笑顔をひきつらせると、しぶしぶ答えた。
「学友だった男の家です。確か貸部屋として自宅を開放しているはずです」
(ご学友ですか?)
公爵の笑顔を更に見つめると、少し目が動いた。
「はいはい、わかりましたよ姫。私の学友は元々王族に仕える者でしたが、前公王への反逆罪で処刑されています。家族の身分は、公王交代により復活しましたが、反逆者としての汚名は残ってしまった。事実無根の汚名ですが、貴族社会の醜聞は長引くものです。
ただし、身分復活とともに、その恩給は家族に渡るようになりました。
そこで拝領屋敷からも立ち退かずに済み、減った収入を補う為に、部屋を貸しているのですよ。
元の身分は子爵でしたか。軍人の家系で、長男は騎士爵の称号も受けているはずです。」
「ターク様、何故、その方の元へと身を寄せるのですか?」
私の代わりに、ニルダヌスが問うた。
宿屋でも何でも都にはそろっている。拝領屋敷を開ける手間でさえ、本当は大したことではない。
彼は斜陽と思しきマレイラの中で、唯一金主といえるコルテス公爵なのだ。過去の縁を頼り寄宿する必要は無い。
それとも、これが彼の別の選択肢という事だろうか?
「奥方の料理が旨いことが一つ、友の拝領屋敷は下町に近く雰囲気が好いことが一つ。そして..」
公爵は笑顔のまま、小さな声で言った。
「友は、公王一族の剣術指南であり、眠るお方の夢でご来訪を受けたそうですよ。もしかしたら、眠るお方の話を家族も知っているかも知れませんね。」
私は、その同族であり同じく何らかの選択をした人物に会う事を、定めと思う。
しかし、それは絶対会わねばならないと言う約束ではない。
自然な流れ、供物としての歩みの先にあるのであれば、会うだろうという事だ。
だから、公王の庇護も求めてはいないというのに、王の側に行く行為は違うと思う。
カーンの身を隠せと言うのが一番正しいと思っているからだ。
しかし、同族に会うには、公王を頼らざるおえないのも事実だ。
そうして考えがまとまらない以上、二の足を踏んでしまう。
「まぁ、登城期限に余裕もありますし、暫く体を休めてからという事になります。部屋が空いているといいんですがねぇ」
考えに沈む私とは別に、ニルダヌスが珍しく眉を寄せいていた。
それに気がついた公爵が、彼にどうしたのかと問うた。
「私の記憶違いでなければ、その処刑された剣術指南役の妻は、例の元公爵家の出身では?」
それに公爵は、指を顎に当てると微笑んだ。
胡散臭い微笑みを見て、ニルダヌスはため息をついた。
「わかりました」
何がわかったのだろう?
何もわかっていない私とテトに、ニルダヌスは言った。
「ターク様のご学友は、疑いがはれたとは言え、一度、反逆の罪を負わされ御家断絶という憂き目にあわれた。一家の主を失い、信用も誇りも地に落ちさぞや苦しい立場だったでしょう。
ご学友とされるお方は、高名な剣術家で私も名を存じ上げています。
それは良いのですが、その方の奥方は、今は名を語るだけで罪と言われる男の従姉妹にあたります。」
ニルダヌスは、ちらりとターク公を見た。
「失礼ながら申し上げますが。そのご家族は回復した名誉も、地位も全て水の泡という瀬戸際にあるのではないですか?
想像するまでもなく奥方とご家族は、今、大変苦しい立場におられるでしょう。そこに我々が顔を出すのは、良くも悪くも一悶着あるはずです。もちろん、東の筆頭貴族をお迎えできる名誉は、彼のご家族にはありがたい話ですが。」
持って回った言い方に、テトと二人で首を傾げる。
「多分、その館は、軍部、神殿、王家、その他の勢力が未だに監視を置いているでしょう。つまり我々がそこに行くだけで、公王様にも、公的機関の殆どにも、身バレするという事です。勿論、オリヴィア殿の身も、否応なく調べられる事でしょう。」
公爵は、肩をすくめた。
「私と共にあれば、早々に貴女は公王から直接招かれるでしょう。そして周知させれば、抜け駆けで姫が襲われる確率も減ります。都にいて秘密裏に事を運ぶ事は無理なんですからね。手間も省けますし」
最後の言葉に本音がある。
ニルダヌスはため息をつくと、私に言った。
「わかりましたか?」
わかりたくなくて、私は口を曲げた。
不機嫌な表情を見た公爵は、楽しそうに笑った。




