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冬の狼  作者: CANDY
降臨の章
221/355

ACT197 春の兆し

 ACT197


 鳩の鳴き声は、心を緩める。


 のんびりと屋根にでもとまっているのだろう。

 その呟くような鳴き声に、目が覚める。


 寝過ごした。


 もぞもぞと寝台からおりると、相変わらずの無表情な侍女が手を貸してくれる。

 こうまで世話をやかれると、いろんな意味で駄目になりそうである。



 夜の襲撃から十日ほどが過ぎていた。



 私の怠惰な生活は極まり、リスロンの町遊びもさせてもらった。

 実に美しい街だった。

 少数の人族と亜人も暮らしており、ズーラのお陰で治安も良かった。

 時々、私はここで何をしているのか?という葛藤に襲われながらも、実に怠惰に過ごした。



 異形から引きずり出した少女は、順調に回復している。


 アルディラ姫と寝食を共にし、ズーラに守られて体を癒している。


 少女には、記憶がなかった。


 幼児の頃の記憶が微かに残っているだけで、その後の記憶、良くも悪くも抜け落ちているらしい。


 思い出さなくても良いのではないか?


 と、私は思っている。

 その失われた部分が後に悪影響をもたらすかもしれない。だが、忘れて良いことだから忘れたのだ。と、思う。

 引きずり出した私の感触からすれば、あれは忘れて良いのだ。



 身支度を整える。

 相変わらず着心地の良い素材の服は、白地に様々な透かし模様が編まれていた。

 靴でさえも可愛らしい装飾が施されており、何とも居心地が悪い。


 着心地は良いのだ。

 単に贅沢になど慣れぬ育ち故の居心地の悪さだ。


 テトと共に食事をとり、さても、今日はどうやって過ごそうかと途方に暮れる。


 書庫の書物を見るか、庭園で日がな一日テトと陽射しを浴びるか?


 敢えて、争いごとの行く末から目をそらしている。


 皆、無事か?

 シェルバンは?

 変異体は?


 リスロンの日常に意識を向けて、嫌な事から逃げている。

 そうしなければ、小心な私は待っていられなかった。

 カーンは、私を図太いと思っている。

 だが、小さな事をくよくよと考え、先行きを思い煩う自分は、小心者だ。

 無駄な緊張や憂鬱を抱えて、焦るばかりで。



 そして、その中心にある心情は、酷く幼稚だ。



 ひとりぼっちになりそうで、怖い。

 リスロンに、取り残されるのが、怖い。

 おいていかないで。



 馬鹿らしい事だ。


 結局、美しい庭に分け入ると、テトと一緒に座った。

 花園の中心にある丘は、リスロンの東門がよく見える。

 リスロンから、シェルバンへ続く道が遙かに見えるのだ。


 そうして、遠く緑と山並みに消える道を見つめて過ごす。


 心を落ち着かせるには、それしかなかった。



 冬の終わりに、庭園は色を変え始めていた。

 立ち枯れた色も徐々に色を戻している。


 庭園から見える景色は、冬の空であるにも関わらず、春の匂いがした。

 もう、春が来るのだ。

 人々の待ち望んだ暖かい春だ。


 北国育ちの私も春をことさら待ち望む。

 でも、不思議なことに、去ろうとする冬を惜しむ気持ちもあるのだ。

 私は、白く拒絶する雪や、青白い氷の世界も好きなのだ。


 それは私が孤独である事を半ば自ら選んでいても、人のそばに居たがるのと同じ気持ちだ。


 もうすぐ、春だ。


 胸が痛くなるような、美しいリスロンの白い街並み。

 その空は灰色であり、薄い陽射しに道は微かに霞んでいる。


 美しい。


 寂しいという気持ちと、美しいという感じる気持ち。

 今は私が私を支配している。


 彼らは眠り、この寂しさは、私の気持ち。


 私はじっと道を見つめ続けた。








 昼食をはさみ、午後も庭園に腰を据えた。

 何をするでもなく、道を見続ける。

 テトは飽きて、花園に住まう昆虫や小さな生き物を探して遊んでいる。

 自分でも呆れるが、ここから動くことができない。

 小さな子供のように。


 もちろん、泣きはしない。

 悲しいのではない。

 ただ、不安で寂しいのだ。




 もちろん、予感などない。

 今日戻るという確信もなかった。


 だが、その日の夕方に、道の遙か遠くに見えた小さな明かりを見るまで動けなかった。


 小さな明かりが、こちらに向かってくるのを認めると、私は庭から走り出た。


 足は十分治っていた。

 私はテトと一緒に彼らの到着を待った。

 誰も傷ついていないと良い。そう身勝手な事を考えていた。






 先ずはズーラの兵士の一部と公爵、そしてニルダヌスの姿があった。

 公爵は首から肩の部分を包帯で固めており、意識は失われていた。

 しかし、ズーラ達が言うには、死ぬことは無いようだ。

 私がニルダヌスを見ると、彼は頷いた。

 どうやら、私の施した呪は、加工という手段にも通用するようだ。


 そして続いて、サーレルの姿があった。

 サーレルと数名の兵士は、小休止の後、ミルドレッド城塞に走る。

 シェルバンの情勢やその対応をする兵士の要請などをする為だ。


 カーンの姿はなかった。


 サーレルは私の顔をのぞき込むと、何故か笑った。

 そして馬を休ませる間も惜しんで食料を手に去っていった。


 到着した彼らの話から、損耗はしたが、怪我以上の事はなかったらしい。


 死んだのも傷ついたのも、シェルバンの民と公爵だけ。


 シェルバンの民。


 その生き残りを探し、拡散した変異体を狩りださなければならない。


 そしてシェルバン公の氏族の行方。

 領地内の街の状況。

 そして、根本原因の探索とボフダンとコルテスに変異体の被害が及ばぬように、その領境をどうやって封鎖するか、等々。


 様々な事柄に対処しなければならない。


 しかし、コルテスの新宗主は、既に後々の事を考えて行動しているし、サックハイムは、やっと増援を伯父のボフダン公に要請できる。


 一気にリスロンの街と館の中は騒がしくなった。


 もちろん、私以外は。





 それからの毎日、私は丘に座るようになった。

 何も考えず、テトと一緒に座る。

 ちょうど枯れた潅木があって、それを椅子にしている。

 自分では、それほどおかしな事をしているつもりはなかった。


 ただ、道を眺めて時折行き過ぎる兵士の馬を見送る。

 昼食も庭園で食べた。

 段々と晴れ間が多くなったので、陽に焼けないようにと帽子を頭に乗せられる。


 私の感覚は、おかしくなっていた。


 ゆっくりとした時の流れと、奇妙な緊張感。

 悲しいような気持ちと焦燥。

 寂しいような、別れを惜しむような心の動き。


 深呼吸をして、それでも私は道の先を見ている。



 なぜ?



 直ぐ目の前にある緑の新芽に目を移し、答えをごまかした。


「どうしました?」


 顔を上げると、介添えをされた公爵がいた。


 目覚めた後、公爵は暫く誰とも口をきかなかった。

 虚脱し、不機嫌で、酷く頑な。


 いつもの笑顔は無くなり、癇性で頑固になった。


 もちろん、致し方ない事だ。


 介添えをするのは、ニルダヌスだ。

 公爵の命を救った罰として、彼の世話を全部任されている。

 もちろん、本当の罰ではない。


「心配しなくても、貴女の騎士は元気ですよ。人の倍は元気にしているでしょうね」


 心配とは違う。

 私は頭を振った。


「貴女は、ここから動きそうも無いですね。しかたがありませんね。では、アーベラインをリスロンに呼ぶことにしましょう。今なら街道の安全も以前より保たれていますしね」


 その名前に、私は身構えた。

 公爵は、唇を曲げた。

 嘘くさい微笑みの代わりに、本性である苛烈な部分を伺わせる暗い表情だった。


「人は失ってから気がつくものです。何が一番であるのか。姫にこんな悲しい顔をさせて。すこし、躾が必要ですねぇ」


 そんな事を言うと、今度は一転して微笑んだ。

 背筋の寒くなる微笑みだ。


「アーベラインをリスロンに呼び寄せたなら。その時、一つ提案があるのです。多分、姫の性分ですと断るお話ですが。ですが、アーベラインの話を良くきいて、判断してくださいね」


 言葉を切ると公爵は、私をじっと見つめた。


「生きるも死ぬも面倒になりました。」


 唐突な言葉に、私は何も返せない。


「でも、今朝になって急に思いました。」


 公爵は目を伏せた。


「私は既に、公的には死んだも同然です。生まれて初めての自由です。後は面倒な手続きを終えれば、楽隠居ですね。」


 それから目を再び、私に向ける。

 矢車草と同じ青い瞳が光っている。


「自由です。生まれた時から背負ってきた物がなくなりました。私には、罪だけが残った。姫」


 公爵は、じっと私をのぞき込んで言った。


「くだらないと切り捨てた選択肢の結末を知るには、どうしたらいいでしょうね?」


 束ねられた髪を払いのけると、公爵は庭園を見回した。


「全て間違いであったと認める事はできない。でも、私の選択はまずいものだった。だから本来は楽隠居どころか、マレイラの騒動の舵取りをしなければならない。」


 それから遠く、私の見ていた街道を見やると彼は続けた。


「ですが責任も義務も、今の私には興味が無い。私が知りたいのは」


 続く言葉はなかった。




 それから更に二日後、リスロンにアーベラインが来た。

 自力の歩行が中々難しいのか、手押し車に座席を設え、それに運ばれて彼は現れた。

 顔色は良く、肉も少し戻っている。


 やはり、私は庭園でぼんやりとしていた。

 立ち上がり迎えると、アーベラインは小さく微笑んでいた。


「もうすぐ春でございますね。」


 人払いをし、私と二人になるとアーベラインは口をひらいた。


「この東は春と夏に訪れていただければ、その素晴らしさを一番わかっていただけると思います。

 是非に、このコルテスの土地が、愚かで醜いばかりではないと、貴女様にも知っておいて欲しいものです。」


 私は答えず、庭園の風に揺れる木々に目をやった。

 もやりとした不安に、落ち着きを無くしていた。

 嫌な予感がする。

 聞きたくない。


「ニコル様も、殊に春と夏がお好きでした。初めてお連れしたのも、春の頃でした。

 ニコル様をターク様の妃として迎えるようにお勧めしたのは、この私なのです。

 私は長い間東の特使として、中央の公王府におりました。公王様のおられる王城に詰めていたのです。

 それは現公王様の前からになります。

 宗教統一の後の、一番中央が豊かで活気のある頃ですね。

 長い特使としての役目の間に、彼の王家の方々を見るに、特にニコル様の心根の優しさを知り、私は先代公爵様に頼みました。

 このコルテスに必要な方だと。

 この愚かしい争いばかりに目を向ける、東には無い慈悲の心をお持ちの方を迎えたいと。」


 アーベラインは言葉を切ると、息を整えた。

 私を見つめて、少しばかり力を抜くと先を続けた。


「元より、ニコル様はお体が少しご不自由でした。子を望むというよりも、ニコル様にはターク様の心をお救い願いたいと考えての、私の浅慮が元でした。

 ニコル様の最後、ターク様の今を見れば、私の浅慮が悔やまれてなりません。

 ですが、私の愚かしさを今更述べたところで、何のたしにもなりません。こうして生き残り、愚かな自分を責め続けて生きていくほかないでしょう。」


 言葉を返さない私に、アーベラインは、それでもゆっくりと喋り続けた。


「ニコル様には、嫁いで来られる折りに、一つだけ気がかりございました。

 公王府にいるあるお方の事です。

 その方も、やはり身が不自由なようで、日々の生活をほぼ眠りの中ですごしておられるのです。


 不幸な過去がございまして、そのような生活を送っておられる方なのですが、公王府、いいえ、公王様はその方が安らかに過ごされるようにと、元後宮の跡地に離宮を建てたそうです。


 ニコル様は、その方と唯一語らう事ができたそうで、自らが嫁いだ後の事を心配しておりました。」


 唯一?


 言葉に出さなかったが、私が何に反応したのかアーベラインには分かったようだ。


「その眠られているお方は、普通のお言葉を持たないそうで、夢の中にお渡りになるとか。特に、ニコル様の夢に現れては、語らい去って行かれたようで。中々に愉快なお方らしく、その話しをなさる姫様は大変生き生きとしておられた。

 以前は、数人の者の夢に渡られていたそうですが、ニコル様と語らう頃には、その他の者は皆亡くなっており、たいそう寂しい思いをしていたと。」



 私は思わず立ち上がっていた。

 遠く、道の先に目を凝らして、予感を打ち消したいと念じた。


 だが、念じれば念じる程、私は理解していく。



 言葉を失い。

 五感を失い。

 全てを失いつつある。

 つまり、それは



「その方は、先代公王が狩り集めた方のお一人で、深い森の奥より浚われて来たそうです。

 高貴なお生まれのようで、当時の神殿からの怒りと離反を招いたのも、彼の方の不遇が遠因とも。

 元より、その方は身がご不自由なので、逃げるも叶わず。大層な苦しみを背負われたようです。

 先代が亡くなり、後宮が潰され、知る者が殆ど処刑された後、やっと助け出されたそうです。」


 私は胸の前で手を組むと、シェルバンへの道を見続けた。

 押し殺しても、押し殺しても、嫌な気持ちが消えない。


「ターク様から聞きました。貴女様は、孤児であると。もちろん、勝手に貴女様の過去を作り上げる事はできません。ですが、同じ種の方がいるのならば、と今日は参ったのです。


 貴女様のお姿は、その眠られているお方に良く似ております。

 貴女様が大人になったなら、多分、そのお方と同じ様な容姿をもたれるかと思います。


 先代公王が狩り集め、真に欲したのは貴女様の種です。


 逃げ延びた同族のお子と考えるのが一番妥当と思うのです。

 もし、貴女様のお立場が、苦しく生きるにつらいというのなら、そのご縁をたどるのも一つの手だと思うのです。」



 私は手を握りしめた。


 違うのだ。


 同族という物を欲している訳でも、現状から逃れるすべを探している訳でもない。

 何故に身が不自由になったのか。

 病か事故か、それとも...。


「ターク様は、公爵位の世襲届けを公王府に提出する手続きをご自身でなさるつもりです。その時、公王様との顔繋ぎにご同行されてはいかがか?」


 何故?


 私の無言の問いに、アーベラインは声を潜めて続けた。


「貴女様の種は、獣人、人族、両大公家に偏っておかれてはならないのです。公王様の庇護の元にあるのならば、その身も安全でしょう。ですが、あの男の側にいるというのならば、危険を覚悟せねばなりません。」


 理解できない私に、アーベラインは説明した。


「貴女様の種は、どの種族と交わっても、その子供の内、女児だけは貴女様と同じ種になる。つまり、あの男の女児を産めば、獣人大公家は、貴女様の種を手に入れる事になる。そして貴女様の種の殆どが、女児を産み男児を産まない。」


(馬鹿馬鹿しい!)


「落ち着いてください。嫌な事をいっているのは理解しています。ですが、事実なのです。公王様が未だに、眠りに落ちた方を庇護しているのは、眠りに落ちた身が危険だからです。幸いにも、貴女様は子供。だから、目敏い者にも気付かれてはいない。しかし、御身の価値が知れ渡れば、居場所は何処にもなくなるのは当然。貴女様が子供の内に、とれる手段を全て講じるのです!」



 私は叫びだしたい気持ちを押さえ込む。


 どうせ、という叫びだ。


 どうせ、私には先が無い。


 今更、同族の背負う現状を知らされても、今更、同族がいるといわれても。


 私には、どうしようもない。


 どうせ..



「くだらない人の争いに、巻き込まれて欲しくないのです。ニコル様も結局は、その争いで亡くなられた。このオルタスにおいて、今一番安全と言えるのは公王様の庇護だけです。

 公王様に庇護されている内ならば、神殿も貴女様を奪えない。」


(神殿?異端審問官の事ですか)


「ジェレマイア殿下は、貴女様の種に対して深い思い入れがあるのです。会った事も無い、ご自身の母御と同じ種族というだけで、貴女様は大切にされるでしょう。」


 意外な名前に驚きが隠せない。


「眠るお方から生まれてすぐに引き離された殿下なら、無体な真似はなさらない。

 ですが、政治的な利用価値もそうですが、貴女様の種は神殿の過激な思想の者にも得難い。殿下の庇護も危ういのです。」


 祭司長は長命種だ。

 純然たる長命種であり..あの呪詛の帯は..。


「二つの大公家も神殿も、貴女様に安らぐ場所を与える事はないでしょう。どうか、考えてみてください。」








 アーベラインが去った後も、庭園で私は道の先を見続けた。

 飽きたテトが腹を見せて寝ている。

 曇り空から、所々青空が見え、森や山には霞がかかる。


 美しい世界の中で、私は静寂の中にいた。


 様々な思いが私の中で煮えたぎる。


 泣きたいような気持ちのまま、一日中、庭園に居座った。

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