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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
220/355

幕間 朝陽に歌う

[朝陽に歌う]


 昔話だ。


 四人の神に仕える男がいた。


 一人は大切な者の為に、神を捨て。

 一人は大切な者の為に、神になり。

 一人は大切な者の為に、人を捨て。

 一人は大切な者の為に...


 男は、討たれ悪として葬られた。

 悪であるとしてだ。


 しかし、水妖となった娘達は思う。

 人は愚かしく、皆、罪人であると。


 故に、再びの願いを聞き入れる時、秤を用いた。

 神の、秤だ。


 神、と呼ばれる男に与えられた秤は、人を裁く。

 そして、秤は双子の妖に与えられた。


 水妖は、人を喰らう。


 人を喰らうが、ただ、喰らう訳ではない。

 その身には、秤があるのだ。


 喰らう度に、囲いに力を注ぐ。


 注ぎながら、身に時の経過を刻む。

 人と同じく時を刻み、年を老い、やがて死ぬ。


 しかし、その行いが非道であればあるほど、水妖は力を増し、囲いに力を注がず、時の経過は刻まれない。

 幸いな事に、人の殆どは、程々に愚かしく、そして、程々に思慮分別をもっていた。


 しかし、やがて本懐である死を目前にして、秤は傾いた。


 四人の男が放棄した力。

 それを無闇に蒔く者に唆され、許しを目の前にして、非道の道へと進んでしまった。


 これまで刻み続けた行いを無にかえる。


 全て?


 水妖は花を咲かせた。

 囲いは壊れる。

 約束事も全てなくなる。


 秤は傾く。


 傾くはずだった。



 だが、彼女たちは知った。

 悪として、死んだ男の欠片と、人だった頃、希求した物。

 季節の移ろいの中で、真実望んだ事。

 多くの望みと、数え切れない愚かしい行い。


 青い光。


 風が吹き付け、吹き抜けるように、何かが目覚めた。


 水妖の双子は、理解した。



 裁定の時がきた!



 同じく終わるとしても、もう、それは生きる人が決める事だ。

 許す事許される事、それさえも、ここで終わる。


 水妖の双子は笑う。


 小賢しい呪いの鎖を引きちぎる。


 妖は智を取り戻した。


 幼稚な術を引きちぎる。

 水に沈み、そして無に。

 花になり地に根を張り、そして土に。

 例え、この世が腐土になろうとも、妖の身には関わりがない。


 人が目覚めたように、妖達も眠りから覚めた。

 楽しい、楽しい、齋を迎えたのだ。









 うっすらと東の空が明るさを取り戻す。


 果てない殺し合いは続いている。


 城の周りを埋め尽くす異形となりはてた者達は、命の炎に群がる。


 兵士達は、吠え、暴れ、牙を剥き、そして火を放つ。


 辺りは肉を焼く臭いと、異形のあげる喚き声にあふれていた。

 そして、焼き続けるも、それ以上の異形が集り、いつの間にか大気は淀み、地面を薄紫の靄が覆い始めていた。


 未だ、兵士は衰えを見せないが、淀み始めた大気は、あまり良い兆しではない。


 同じく城の中では、ズーラ達が淡々と異形を解体していた。

 不思議なことに、彼らには蟲は近寄らない。

 異形の死体からあふれた蟲は、恐れるようにその足元を避ける。


 ズーラ達は黙々と目の前の敵の首をねじ切り、臓腑を抉る。

 噛みついてくる者でさえ、易々と引き裂き骨を砕いた。


 その中心で公爵は虚ろに剣をふるう。


 激しい感情は既に無く、最早、どうやって死ぬかとばかり考えていた。

 それでも、このような下等な者どもに屠られるのは癪に障る。


 ご大層な言葉を並べた、あの珍妙な物は、言葉とは裏腹に異形の後ろで騒ぐばかりだ。

 どうせならば、あの化け物を殺してから死のうかとも思う。



 そうだ。

 あれを道連れにしよう。



 公爵は踏み出した。

 ズーラが道を造る。

 彼らは邪魔をしない。

 そのまま、喚く道化に近寄る。

 すると、それは怒鳴り散らしながら、結局、その本性に似つかわしく逃げる。


 追う、異形が阻み、ズーラが組み付く、追う。


 壁際まで追う内に、公爵の周りからはズーラはいなくなった。


 道化と異形と公爵。


 異形が公爵に食いつく。


 公爵は道化の腹を切り裂く。


 そして..







 それは死ななかった。

 切り裂かれた腹はそのままに、花が蔦をのばした。


 確かに傷を与えてはいた。


 呻き苦しみ、断末魔の声を上げている。


 だが、それは死ななかった。


 もう、一太刀。


 公爵が剣を振り上げる。


 だが、異形が彼に食らいつく。

 その喉笛に。

 届かない。



 衝撃が体をはしると、彼の意識は沈んだ。






 沈みながら、彼の脳裏には、懐かしい人影が見えた。


 一人は優しい微笑みを浮かべて、一人は、神妙な顔をしている。

 もっと一緒にいたかった。

 ずっと側に。


 姫は微笑み、騎士は左手をあげると、背を向けた。



(また、あいましょう。)



 そう言って。











 不意に風が吹き抜けた。

 それは歌声のように吹き抜けた。


 朝を迎えようとする東の地に、すすり泣くように風が吹く。


 それは硝子が割れるような、ひび割れ砕けるような音だった。


 それは微かに風の中に含まれていたが、徐々に音を大きくし、聖堂の鐘の様に鳴り響く。


 すると、醜い争いの場は時を止めた。


 彼らの頭上を風が吹き抜ける。

 恩寵はその囲いの内から歩みを変えた。

 約束事は終わり、普遍と思われた歩みが向きを変える。


 暁に向けて、その行列は向きを変える。


 振り向きもせず、たくさんの死者を引き連れて、眠る娘の馬は進んで行く。

 それは報いとして穏やかな再生へと向かう。

 眠る娘の姿を追って、たくさんの者が歩き出す。



 やがて暁に姿は消え、何事も無かったかのように、下界は動きを戻した。

 混沌とした争いと、腐りだした土地。

 炎があがる度に、忌まわしい何かがわき上がる。


 再び、風が吹いた。


 今度の風は濁り痛みを増すような、汚水の臭いがした。


「こよ!古の盟約により血をよこせ!こよ!こよ!」


 うめきと共に、怒鳴り声が聞こえた。

 それはやけにはっきりと、獣人兵士達に聞こえた。

 不愉快な、そして、奇妙にいらいらとさせる人の声だ。


「早く来るんだっ!そいつを始末しろ、早く殺せ!」


 城の正門から、異形が転がり落ちてくる。

 やがて、異形が吹き散らかされ、ズーラの一団が外へと出てくるのが見えた。

 吹き散るという言葉通り、変異体を中空にまき散らして無理矢理押し通っている。


 その中心には、公爵を担いだニルダヌスがいた。



 ニルダヌスは異形の群を見回すと、炎のあがる方向へとかけだした。


 その姿は、封じられた筈の獣の姿をしていた。

 それも殆ど先祖の姿に戻っている。


 ニルダヌスであると辛うじて分かるのは、その体毛の色具合だけだ。

 加工を受ける前でも、これほどの体の変化ができた事は無い。

 ズーラ達は、意識の無い公爵をニルダヌスに縛り付けた。そしてニルダヌスは完全な獣体となり四つになって走っている。

 一心に炎の場所、獣人兵士の下へと向かった。


「バンダビア・コルテスを殺せ!そいつを殺せぇ!何をしている、奴を殺すんだ!」


 喚き声の元を見れば、城から這いだす男がいた。


 一歩進むごとに、元の人の姿が崩れていく。


「そいつさえ死ねば、コルテスもシェルバンの宗主たる俺の物だ!」


 青い花が皮膚を突き破っては、咲いていく。

 切り裂かれた腹からも蔦が茂る。




 おぉ、神よ

 我らの神よ

 愚かな者共にお示しください

 その偉大なる力を

 恐怖と苦痛を

 神を崇めぬ無知蒙昧な輩に

 怒りの鉄槌を!




 ましらのように地を走り、男は両手を振り上げて叫んだ。

 すると、その姿は蠢く植物のようになり、花が咲いては枯れていく。

 男の手にある青銅の剣だけが、その奇妙な姿から突き出ていた。

 そして言葉が綴られると、男を中心にして地面に黒い油が広がる。

 黒い油はどんどん広がり、その表面からは次々と赤黒い茎が生え伸びた。


 目だ。


 茎の先には目があり、油の中から体を引き上げる。

 蛹のような体から奇妙な茎の足が生えている。

 それに変異体は群がると、食い破り血飛沫を辺りにまき散らした。


 喰らった変異体は更に体を大きく変えた。


 大気が濁る。


 腐土の様相が見え始めていた。


「こよ!こよ!こよ!さぁ、化け物よ、お前の不幸の源を食うのだ!さぁ、こっちに来い!」


 大量の変異体に囲まれて、さしものズーラも足を止めている。

 その中心では、ニルダヌスが怪異をかみ砕き、前足で敵を吹き飛ばしていた。

 足止めされている公爵の姿を認めると、男は喚いた。


「こよ!バンダビア・コルテスの止めをお前が指すのだ!」



 黒い水面に、ひっそりとそれは佇んでいる。



 頭巾を目深に引き下ろし、長い外套をまとった姿。

 それがぬらぬらと揺らめく黒い油に立っていた。


「お前が殺せ!これで全ては神の使いたる俺の物だ!さぁ、お前を殺した父親を、今度はお前が殺すのだ!」


 一言喋るごとに、男の体は肉を落とした。

 生え伸びた草花に、その肉は吸い上げられ、見る間に白い骨になっていく。

 しかし、男自身には、その変化も分からないようだった。

 いつの間にか骸骨に蔦が寄り集まって蠢いている。

 残った眼球や少なからず骨に絡まる肉が、滑稽であった。




 淀み濁り、城を怪異を靄が覆う。


 呼び出された者は、暁を見つめた。

 旅だった者は、守りである。

 それは同時に、この忌むべき愚か者でさえも守っていたのだ。


 それが失われたのだ。


 目深にかかった頭巾の下で、その者の唇は弧を描いた。


 その者の願いは一つ。


 シェルバンの血筋を絶やすこと。


 シェルバンを滅ぼすことである。


 故に、滅ぼす事は成った。

 民の古い血は、盟約により、汚れに捧げられた。

 盟約の血を呼んで化け物にしたのは、この為だ。

 呼ばれて応じるだけの血が残っているというのなら、すべて化け物に変えた。

 後は何をしようと自滅だ。


 本当は、この伯父である卑怯者も喰おうかと考えていた。


 だが..


 かつての善良な男は消えた。

 キリアンは片手を外套から差し出した。


 すると、喚いていた男の手から青銅の剣が抜け落ちて、彼の手の中に収まった。


「何をする!」


 慌てて取り戻そうとした男の体が止まる。

 足元を見ると、黒い油が両足を捕らえていた。


「放せ!お前は、あれを殺せばいいんだ!早くしろ」


 青銅の簡素な剣は、キリアンの手の中で形を変えた。

 禍々しい彫刻の施された短杖になる。

 そして、それを軽く振った。


 小さな鳥の頭を模した杖の先が、風を通して微かに鳴いた。


 すると、異形の動きが止まった。


「何をする!お前の魂も名も、俺が支配しているのだ。勝手な事をするんじゃない!」


 だが、その男の体は、徐々に黒い油に覆われ始めていた。

 蔦の絡んだ骸骨が、今度は黒い油にまみれる。

 その様を見て、キリアンは止めた。

 これを殺すのは駄目だ。

 殺すのではない。

 苦しめるのだ。


 今一度、キリアンは暁を見つめた。

 これが最後だ。

 後は、楽しき夜に生きる。

 異形の世界に向かうのだ。

 憎しみも絶望も、個人の感情は更に小さくなる。

 魔物となり、人の希求する全てから遠くなる。

 寝物語の魔物となり、人を喰らう妖となるのだ。



 彼は笑いながら、黒い油の中へと消えた。



「待て!何処に行く。お前の敵がまだ残っているのだぞ!お前は俺が助けたんだ。恩を徒で返すのか?貴様がそうしていられるのも、すべて俺のお陰だ、おい!待て、コルテスを殺すんだ!」


 笑いだけが、辺りに漂っているかのようだ。


 だが、そのキリアンの姿が消えると、変異体は突如として統制を失った。

 共食いをする者、勝手気ままに姿を消す者、目に付く全てに食いつくなど。


「キリアン!何処にいる。キリアン!」


 男は歯を鳴らし、今一度、呪詛を言葉にしようとした。

 しかし、男の口から漏れるのは、枯れた息だけだ。










 殺し殺され、異形は散り散りになった。

 大方は獣人とズーラの兵士に引き裂かれ燃やされた。


 残ったものは?




 朝陽がのぼり、シェルバンの城を照らした。

 城を囲んでいた筈の、嘗ての街並みの残骸と、異形の死骸、燃える炎。全てが白々と照らされた。


 残ったものは、半ば骨となった男だ。

 ズーラと獣人達に囲まれて、それは何かを喚いていた。

 公爵に腹を斬られても死なず、異形の花に吸い喰われても死なず。

 それは骨をさらし、崩れた肉を残し、体中から腐った臭いを発して花を咲かせていた。


 それは地面に足を縫いつけられているのか、草木と同じなのか動くことができないようだった。


 木を動かすように掘り返せばいいのか、それとも燃やせばいいのか。

 囲む彼らが困惑する中で、それは喚き続けた。






 アーシュラ、お前の不幸の元を殺したぞ


 業突く張りの親父も


 卑怯者の弟も


 お前を殺したコルテスも


 神が殺してくださった


 あぁ、寒い、さむいぞ


 皆、どこにいった?


 キリアン、キリアン、早く、戻ってこい


 あぁ痛い、なぜだ?


 それとも、まだ、たりないのか?


 あぁ、領内の女は、殺したから、後はもっとコルテスの女を浚うか


 神より頂いた物は全て蒔いたから


 殺して喰わせねば







 兵士達は沈黙し、呪詛の言葉を綴る奇妙な物を見続けた。

 動けない事、それ以上に何もできないことを見極めると、見張りを残してシェルバンの探索と、コルテス公の手当にかかった。


 コルテス公は、一度、息を止めていたが、ニルダヌスから下ろされ、手当を受けると息を吹き返した。


 そして、ニルダヌスは、公爵が息を吹き返すと人型に戻った。

 擬態が解ける事に関しての調べは後回しになった。

 何よりも、公爵の奴隷である。




 ズーラと異形と、そして得体の知れない奇妙な代物。

 生と死の理が、腐土以外でも崩れ始めた。

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