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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
219/355

幕間 棲み家となりし魂の虚

[棲み家となりし魂のうろ]



 己が何者であるか?



 今までの生の中で、誰の子であるかを名乗る度に、酷く憂鬱になった。


 それは父の事ではない。

 常に誰の腹から産まれたかを皆に思い出させる事が、最悪だった。


 皆は、その理由を、狂人の血をひく事に対する思いだと勘違いした事だろう。

 だが、事実は違う。


 例え、誰がなんと言おうとも、真実は違う。


 人は誰でも狂っている。

 狂うなど些細な事である。


 父が母を切り捨てたのは、狂ったからという理由ではない。

 本来は正妻が来ようとも、妾の数人を置くことは、普通の話だ。

 昔から、コルテスには、沢山の子供が必要だからだ。

 本来なら、自分もその末端に加えられ、忌まわしい生け贄の一人となっていた筈だ。

 だが、幸いにも、母親の所為で見向きもされなかった。


 狂人だからではない。


 母が、シェルバン公の娘だと、後からわかったからだ。


 コルテスを含めて、東には八の貴族がある。

 その中でも、コルテス、シェルバン、ボフダンの三公は、マレイラの支配者の中でも大きな位置を占めている。


 コルテスが鉱山とマレイラの中央に対する守り。

 ボフダンが五候と工業地帯の取りまとめ。

 そして、コルテスとボフダンの間に位置するシェルバンが、古いマレイラの血を守る盟主である。


 だが盟主としてのシェルバンは、既に無い。他の領地に比べて閉鎖的で偏狭であり、思想的に常に偏った民族主義を持っている貧しい地域だ。

 貧しいのは、これまでのマレイラ内での下層民への弾圧や他民族への不当な扱いなどで、流入する外貨が極端に減った事。

  それに労働力その物への差別、女性の王国法で保証された権利の剥奪、特権階級の腐敗。つまりは自分たちで自分の首を絞めた結果である。


 野蛮で偏狭、力で物事を解決する。

 民族主義の思想教育を民に施し、貴族の長命種と準人族でも人族血統のみを人とする。

 女性と子供は、男のように知性など持たないので、それを教育するのは男である。


 そんな思想を持つ者が、飢えればどうなるか?


 だから、コルテスもボフダンも、そんなシェルバンを飢えさせぬように、共同の港を作り最低限の収入を確保させたのだ。

 だが、シェルバンは、コルテスやボフダンが利益を巻き上げて、自分たちの取り分を騙し取っているという不満をもっていた。

 だから、何かにつけてコルテスに対して嫌がらせを繰り返し、様々な要求を突きつけ、ボフダンへは金の無心を、武力をちらつかせて要求をした。


 もちろん、コルテスの常時放出できる兵力が四万とすれば、ボフダンが一万二千、シェルバンが一万弱だ。


 現実にシェルバンが事を起こすには無理があり、嫌がらせが精々である。


 だが母の生まれを偽り、コルテスに嫁がせ、長子を産ませるという下策に、コルテス公は激怒した。


 シェルバンへの援助の一切を打ち切り、母とは縁を切った。


 殺さなかった。


 それは単に、このコルテスの地での約束事の所為だ。

 女と子に罪は無い。

 罪無き命を理由無く奪うことはしない。






 母が自殺したのは、コルテス公が、その存在を心と記憶から消したからだ。公は、愛や恋などと浮ついた感情に左右される人物ではない。


 だが、母は絶望した。

 産まれた時から、人として扱われてこなかった。

 だが、公は人として上等な女として、微笑みを言葉を与えた。

 その後で、失敗した身でシェルバンへ戻る事は、死ぬより辛い末路が待っている。


 母の最後が狂死となっているのは、皆の目の前で胸を十字に引き裂いて絶命したからだ。

 コルテス公の目の前で、胸を裂いて死んだのだ。

 自分には、偽りの心など無いと。


 自己満足の行為で証明できる物など無い。生まれを偽った時点で、信用などされない。


 教育を、表面的な教育だけ与えられた母には、政治的な事はわからなかったのだろう。

 単に、不興をかった。

 自分の親が気にくわないから、見捨てられたと思ったのだろう。


 公は亡骸を冷たい目で見ていた。

 その目を見ればわかる。

 公の中では、敵か味方か、だけなのだ。


 だが、この行為のお陰で、自分は領内に暮らす事ができた。

 母親の生まれではなく、狂人の子である故の廃嫡となった。



 全てを忘れて生きていこう。

 例え、他の誰が何を言おうとも、自分の人生を生きようと思った。


 普通の生活を手に入れて、庶民として人生を歩もうとしていた時、凶事が起きた。

 シェルバンの極端な思想を持つ輩が、療養中のニコル姫を襲ったのだ。


 侍女と水遊びをしていた姫を射殺したのだ。



 鳥と間違えたのだ。



 それが彼らの言い分であった。

 狩りで誤って姫を射殺した。

 誤射だと言い切り、公王の姫を殺したのだ。



 姫の最後を看取った公爵は、姫の兼ねてからの願い通りに、表向きは病にて亡くなったとし、神に彼女を捧げた。


 それからは、全てが駆け足で通り過ぎた。

 ターク・バンダビア・コルテス公爵の怒りは、深いものだった。次々と聞こえてくる話に、領民も他領の者も震え上がった。


 公は、自領内のシェルバン出身者を全て領外に追放した。

 シェルバン出身の鉱山で働く者もだ。

 そして、領兵を、自領出身者を撤収した。

 人の選別と領内の兵力を底上げが終わる。

 それから公王へ親書を出し、シェルバンの者を王国の重要な地位から遠ざけるように進言した。そしてシェルバン領の産出品等の輸出品の買い上げを止めるようにと願った。

 それまでの共同出資していた輸送貨物船の利用金額を、上限まで引き上げ、事実上利用できないようにもした。


 全力で、シェルバンという領土を枯渇させた。

 そして、一年と保たずに、シェルバンはボフダンに、コルテスへの橋渡しを頼んだ。


 この期間に、私は、シェルバンに行く事も、コルテスへ留まる事もできなかった。


 監視もついていた為に、王国の別都市へ向かうこともできなかった。


 医術を身につけていたので、アッシュガルトで患者を診ながら、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待ち続けた。



 だが、嵐は過ぎ去る事無く、私を捉えた。



 私は往診の最中に誘拐された。

 気がつくと、薄暗い穴の中だ。

 湿った岩肌の牢屋だ。

 朝も夜もない暗い牢屋の中に監禁された。

 足には枷が、食事は牢屋番らしい年老いた男の運ぶ粥。

 時間の感覚が失せ、衰弱しきった頃に男が現れた。

 現れて、私を鎖に繋ぐと、外に連れ出した。


 暗い夜。


 闇夜の中、黒い輪郭の峰を見上げて、ここがマレイラの北東に横たわる鉱山地帯とわかる。

 鎖を引き、私を付き転ばす男が、シェルバンの者であるとわかった。

 私に何をさせるのか、それとも殺すのか、どちらにしろ、コルテス公には価値のない身だ。

 殺されるのだろうと、飢えと寒さと、恐ろしさで震えた。


 やがて松明を掲げた集団が見えた。

 彼らは無言で、私を取り囲むと、山の奥深くへと歩き続けた。

 よろめく私を打とうと男が鞭を振り上げると、松明を持つ男から叱責が飛んだ。



 今は殺すな、生きたまま食わせるんだ。


 松明以外の灯りは無く、月も星も見えない。

 朦朧とする中、やがて暗い森の中に、奇妙な物見えた。

 枯れた黒い木が見える。

 その幹には、赤黒い口が開いていた。

 ぽっかりと開いたその穴は、まるで生き物の口にそっくりだった。


 男達は、私を、バンダビアの息子と言った。

 バンダビアの息子、己が父親を恨むが良いと。


 私は穴に突き落とされた。

 木の穴は、深く地下に続いており、転がり落ちながら、馬鹿な事を思った。


 バンダビアの息子だから死ぬのではない。

 シェルバンの孫だから死ぬのだ。

 息子として認めなくとも、人として生きる事は許されていた。

 それを奪ったのはシェルバンだ。

 業突く張りのシェルバンは、何を求めているのだろう。

 私なら、穏やかな日常で十分なのに。

 胸を裂くような愚かさや、抵抗できない女に矢を放つ、そんな考えの醜い事。

 恨むことも疲れように。

 落ちながら、私は、無駄に思った。


 私の何が悪いのか?

 彼らは何故、これほど愚かなのか?





 公の子として教育を受けた時、教えられたではないか。

 何故、シェルバンを滅ぼさないのか?

 何故、あの者どもを生かすのか?




 全ては、このマレイラの害悪を、この世にまき散らさない約束の為だ。



 神に願った繁栄を捨てればいいのに。

 結局は、欲深い皆の願いの為なのだ。

 シェルバンとボフダンとコルテスが、神に願った。

 だから、一つでも欠けてはいけない。

 だが、本当にそうなのか?

 そもそも、神に願う必要があったのか?

 誰かの犠牲で成り立つ繁栄。

 当たり前の事。

 だが、神に願う程の事があろうか?

 人が人であるのなら、人が努力しなければならない。







 木の穴の中、私は何かに埋もれていた。

 肉のような何か。

 羽虫のような物が視界を塞ぐ。

 動物の腸の中のようだ。

 私は食われたのだろうか?

 なま暖かく湿った物にくるまれて、私は息をつく。

 羽虫が口や鼻に入り込み、耳にはドロドロとした液体が流れ込む。


 死ぬのだ。


 苦しい死に方だ。


 私が何をしたというのだ?


 私は見たこともない、シェルバンの血族に殺されるのだ。


 私は悪くない。

 少なくとも、母も父も悪くない。

 父も悪くないと思えるようになった。

 姫を亡くして、衰弱した姿を見た。

 いつも通り、笑顔で街々を巡る姿は、痛ましく見えた。

 そう、あの父でさえ、全てを得る事はできない。

 そして、バンダビアだからこそ、失うのだ。



 母も私も失った。

 そして、迎え入れた姫もだ。




 衰弱して訳も分からず死んでいく。

 誰にも見つけられずに死んでいく。



 厭だ。

 せめて、シェルバンの者を全て道連れにしたい。

 どんな犠牲を払っても良い。


 そう、神への願いなど、消えればいいのだ。

 皆が痛みを分け合えばいいのだ。

 知らぬふりの者も、無知な者も。




「神よ」



 願いなど消えればいいといいながら、私は神の名を呼んだ。



「神よ、穢れた者共に鉄槌を」



 目に入り込む液体で、視界が赤い。



「神よ、欲深き者に、救い無き罰をお与えください」



 息を吸い込む度に、羽虫が喉奥に入り込む。

 苦しい、苦しいと、思いながらも、私は叫び続けた。



「私は、何度も許した。許し続けたこれが答えですか?」



 無抵抗だったのではない。

 私は、それでもより良い人として生きようとしたのだ。

 人を恨まず、状況を学び、明日へと希望を持とうとした。



「神よ、これが答えなら、私は貴方を許さない。私が最初に許さないのは、貴方だ」



 何かが私を飲み込んだ。

 息が詰まり、視界が消え、全身が痙攣する。


 死だ。


 恐怖よりも、怒りが私を満たしている。

 悔しさが最後まで意識を残した。



 死とともにある私を、見つめる物に気がついた。

 それは醜い枝で私を巻きとっている。

 汚らしい歯で噛みきるのだろうか?

 シェルバンの山には、こんな醜い化け物がいるのか。


 と、死ぬというのに暢気に構える。

 すると、化け物が喋った。



(汝、苦役をにないし者か?)



 苦役とは何だ?



 詰まっていた息が楽になる。

 私は投げやりに返した。



(この地の守護を担う者なり)



 この地とは?



(モーデンの民の住まう地なり)



 守るに値する者などいまいに。



(では、浄化なりや?)



 浄化とは何だ



(穢し者を土に戻す事なり)



(汝、苦役をにないし者か?)



 再度の問いかけに、私は静かに答えた。


 苦役を担えば、浄化されるのか?



 それに化け物は、汚らしい歯をむき出しにして笑った。



(汝、何を願う?)



 シェルバンの血族全てに、災いと罪に見合った罰を。



(よかろう、モーデンの愚かなる子よ。汝が望み通り、その身に流れる血に見合う罰を与えよう)



 枝のような、細い何かが体に巻き付く。

 それから急に寒くなった。

 寒いと思うと、私は消えた。


 キリアンという魂は小さくなった。

 かわりに、私の体には違う者が宿った。



(吾の浄化とは即ち腐土への道。違える事無く導こう。

 命の花は咲かず、絶えず苦痛が支配する。

 人には地獄の苦役であろう。

 愚かなる子よ。

 この地獄の道行きを最後まで見届けるのだ。

 さすれば、己が願いは成就するであろう)





 あぁ、皆、苦しめばいい。

 希望も潰えて、絶望すればいい。

 その欲深く醜い様をさらし、罰を受ければいいのだ。



 私は片隅で見続ける。

 醜い行いを、醜い魂を。

 己が醜さを。

 希望など無く、朝も夜も無く。


 ただただ、シェルバンの最後を望む。

 私も含めて、全て土に還るのが、この世の為だ。


 そして、この行いが続くのは、何も私や神の所為ではない。

 この地に暮らすモーデンの子等の、行いが呼んでいるのだ。











(汝が、願いに値する、子等の行いが続く限り)

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