幕間 落葉帰根
[落葉帰根]
真に憎い者を前にして、自分は何を思うか?
何も浮かばない。何もだ。
たどり着いた場所に、憎む相手はいなかった。
ここでも私は取り残される。
笑う以外にない。
埋め尽くす異形の姿。
恐怖は無い。
私にも、我が剣にも。
枯れ果てた姿があった。
蔦が絡み枯れ果て、ささやかな花を咲かせている。
長命種の末路としては、花となっただけ世の為になったのだろうか?
一握りの塵に還るかわりに。
実に滑稽だ。
それはここまで運んできた墓守りと同じ姿だ。
枯れ果てた姿の、それが憎んでいた相手の最後である。
ぶつけるべき言葉は宙に浮き。
私の葛藤は立ち消えた。
蔦の前で立ち尽くし、私はうなだれるだけだ。
無意味だ。
何もかもが無意味だ。
それでも終わりにしなければならない。
招き入れられた場所は城の広間に見えた。
閉じられて、変異体と呼ばれる化け物が私達を囲んでいる。
先ずはできるだけ、道連れにしなくてはならない。
守護もこれで潰えた。
この全身を覆う倦怠感も、ひび割れた中身も、取り繕うのも終わる。
何れ、あの獣人達がたどり着く。
もう、これ以上何も我慢する必要はない。
このマレイラを縛り守る約束は、同じ故郷を持つ三つの氏族が揃わねば続かない。
シェルバンは滅んだ。
例え、この後誰が名を継ごうと、モーデンの王は答えない。
高潔な王の約束は、手を取り合う事を望んでの犠牲だ。
愚か者の望んだとおり、滅ぶ。
ただし、滅ぶのはシェルバンと私だけだ。
私は笑った。
「何がそんなにおかしい、気が狂ったか?」
怪物共の間から、奇妙な姿が見えた。
多分、人だと思う。
人の形をしている。
だが、全身に細かな青い花が咲いていた。
酷い臭いだ。
腐っている。
「漸く貴様を殺せる。これでコルテスも終わりだ。どうだ?命乞いでもして見せろ」
私とズーラ達は、首を傾げた。
滑稽だった。
この生き腐れた物は何を言っているのだろう?
終わるのは、目の前の珍妙な物とシェルバンだ。
鉱毒も今では手に負える程に弱まっている。
領地も中央と手を組めば持ち直すのは簡単だ。
ボフダンの先見達も、予言している。
秘密も無くなった。少なくとも、コルテスの秘密は終わった。
後は、手を取り合って生き抜くだけだ。
この汚らしい者共を殺し尽くして。
言葉が浮かばない。
小さな姫と同じく、言葉は唇から出ることはなかった。
勝手に笑いが漏れる。
こんな化け物を従えて、どうやって陽の元で生きていけると思うのだろう?
私の民は、陽の光を受け入れた。
手を取り合う事ができたのだ。
彼らができて、何故、元は人らしいこの物は、できないのだろう?
「お前が死ねば、お前の息子がコルテスの宗主だ。これでコルテスはシェルバンの物だ。何れ、ボフダンも従うだろう。」
それはあり得ない。
宗主は娘に引き継いだ。
中央軍のバルドルバ卿とボフダン公の甥が証人だ。
獣人大公家の末子と公爵の甥、その証人に異議を唱えられる者がいるとすれば、それこそ狂人だ。
それも息子とやらは、どうあがいても他人だ。
中央の神官を呼べば偽る事も無理だ。
日頃表情の無いズーラ達が、唇を引き上げた。
愚かすぎて、さすがに笑いが堪えられなかったようだ。
「聞いてもいいかね?」
妄想が過ぎる珍妙な物に、私はたずねた。
「シェルバン公のこの有様はどうしたのだ?」
「お前の息子がやったのさ。」
「どうやって?」
「お前の息子は巣に入れられた。自分の祖父である、そこに転がる豚にだ。本当なら死んでいたのにな。だが、俺が助けた。助けてやったんだよ。お陰で、俺は神の偉大な力を得たのだ!」
巣という言葉に、一つだけ思い当たる事があった。
もし、私の考えが当たっているのならば。
キリアンには、そう、あの者には酷い苦痛を強いた事になる。
私がもっと、しっかりと全てを見、考えていれば。
もちろん、後悔などしても、私の愚かさは変わらない。
「いつから、シェルバンは儀式を辞めたのだ?」
「辞めてなどいない。ただ、投げ入れる生け贄を変えただけだ。そう、お前の氏族を生きたまま喰わせた。おかげで、どんどんと増えたぞ!」
我々は、封じた物に糧を与えてきた。
自領に封じた物にだ。
コルテスにもそれはあり、祖が約束したとおり、我々は死した者をそれに与えた。
死した同族を与える。
塵になる前に、それに喰わせるのだ。
何れ許されるまで。
そしてこの地に再び凶事が起こった。
我々は願った。
二つ目の願いを叶える為に、自然に死んだ者をその時々に与えるのではなく、一定の周期で与え続ける事になった。
我々だけでは足りず、コルテス領で死者がでると、人族の同じ氏族ならばと与えた。
それでも足りない時は。
愚かだった。
モーデンの血を僅かでもひいていればと、儀式を執り行う。
大切な人の亡骸を失う。
そのすべてを失う。
思いでさえも、その最後に奪われてしまう。
考えてみれば、この者の行いと私の行いに差は無い。
私は手順を踏み、死者を作り出し喰わせた。
禁忌となる生き餌を与えなかっただけだ。
それも同族以外を捧げなかっただけだ。
「どうなるか、考えなかったのか?」
無駄な問いだとは分かっていた。
だが、聞かずにはいられなかった。
「水妖は神の僕と、なったのだ!これからは、俺の手足となるのだ!このマレイラは、いや、この大陸すべてに、我らの神の国をつくるのだ!」
祖に知恵を授けた方は言った。
呪われた地が許されるまで、人の犠牲を忘れる事無く。
手を取り合い、生きていけば、いつか許される時が来る。
愚かに争う前に、今一度、振り上げた拳の行き先を考えるのだ。
そう言うと、忠告をした。
おとなしやかな水の者も、人の汚れを受ければ変わる。
だから、捧げる物は命無く、土になるべき物のみを与えよ。
その身をもって妖も、土になるべく時を刻む。
「神の国とな、シェルバン公も賛同したのか?」
広間いっぱいの異形を指し示す。
私の問いに、答えは返らないと思った。
だが、それは答えた。
「簡単だ。あの豚は、死にたくない。誰よりも生き、死にたくない。だから死なぬ物を欲した。それをかなえてやっただけさ!」
その答えに、一番の嫌悪を示したのは、我がズーラ達だった。
なまじ人と同じ感性を有した彼らの先祖は、己を厭い苦しんだ。
彼らが自然死を得たのは、人を食す事を止め長き月日の後の事だ。
それ以前は地に還る事もかなわず、この世に生きる呪いを受けていた。
死なぬ事を望むのは、普通だ。
だが死なぬということは、この世界から孤立する事だ。
四季の移ろいからも、人の輪からも孤立する。
永遠とは呪いだ。
死を悲しみと苦痛であると捕らえたのだろうか?
皆が死なぬ、変わらぬのが幸福だと望む考えもわかる。
だが死を拒否した結果が、生を捨てる事なのだとしたら。
哀れだ。
「それでお前はどうコルテスを手に入れるつもりか?」
「偉大な神の使いの意に従うのは当たり前だ。お前の息子は、既に俺の力の下にいる。」
まこと哀れだ。
「マレイラを守りし慈悲を否定するのか。古の魔を蔓延らせるのが、正しい行いというのか?」
誇大妄想なのか、珍妙な物が花を揺らして大声で喚く。
「慈悲だと?この土地に縛り付けられ、無用の蔑みと貧しい暮らしを強いる事がか。俺と神が代わりにお前達に罰を与えるのだ。驕り高ぶった、権力を笠に着る豚め!真の崇めるべき神と正道を示し、マレイラを治めるのは俺だ!」
何処に、その治める土地に暮らす民がいるのだろうか?
正道と言うが、化け物だけしか見えない。
シェルバン公の民も、臣下も、兵士も、何処にもいない。
歴史ある居城には、枯れ果てた公と、化け物だけだ。
「他の者はどうした?お前一人なのか?」
私の問いがわからないようだった。
もしかしたら、この珍妙な者には、この化け物の群が人に見えるのかもしれない。
「お前は誰なんだ?」
「見てわからないのか?」
分かるわけがなかった。
小花を生やした奇妙な生き物。
生臭く腐った臭いを発する、人の形をした何か。
「俺こそが、神の力を受け継ぐシェルバンの宗主だ!宗主として、この土地に穿たれた囲いを外し、神の僕を広げたのだ。」
あぁなるほど、と納得する。
何者でもない。
それが、これの正体だ。
シェルバンが従えた名も無き民。
その血を受け入れた、シェルバン公の嫡子。
馬鹿な事だ。
シェルバン公は老い、その目的とする忌まわしい血を薄める事をせず、逆に取り込まれたのだ。
故郷を離れた理由を結局捨てられなかった。
苦心惨憺し、やっとたどり着いた安住の地にて、心安らかに生きることができなかったのだろう。
多くがシェルバンの民として、古い慣習と宗教を放棄した。
だが、この男のように、その血筋をより所として生きている者もいたのだろう。
「さぁ、もういいだろう。最後の餌だ。お前を喰わせたら、更にあれは大きくなり力を増すだろう。」
異形が私達を囲む。
「やっとだ、忌々しい公王の血族もこれで知るだろう。我が神の偉大な力を、さぁ、コルテスの宗主を餌にするのだ!」
無駄な会話に意識が濁る。
それでも私は剣を抜き、ズーラ達は構えた。
どのくらいもつだろうか?
足元でシェルバン公の蔦が蠢いていた。




