表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
217/355

幕間 孤城落日

[孤城落日]


 獣人兵らの目に映る景色は、耕作地に適さない荒い自然だ。


 常緑樹の緑、土砂降りの雨、抜かるんだ道。

 コルテス公の後を追いながら進む。


 しかし、予想に反して争いの痕跡は無く、ただ荒涼とした景色が迎える。

 気温は下がり続け、吐く息は白い。

 大粒の雨は氷のようである。


 時々、荒れ果てた耕作地を有する寂れた村落に行き当たる。

 放棄されて直ぐのように人の気配が残っていた。

 小休止を挟みながら進む。

 遺棄された様子の村のとば口で隊列を止める。

 視界をふさぐ雨に、皆、無駄口一つたたかない。


 シェルバンの土地も人も、既に終わりの気配を滲ませている。

 戦を生業とする者には、良く目にする景色だ。


 その領地を判断するには、農耕、牧畜、漁業などを生業とする民の暮らしを見ればいい。

 自然を相手にする者の暮らしが、領地の健全さの指標だ。


 遺棄され雨に霞む村。

 無用な税の徴収で離散したか、無理な徴集で離散したか。


 それとも、皆、変異体になったのか。


 獣人兵士達は、無言で村を眺めた。





 奇妙な覚醒感が続いている。


 自分一人だけか?と、いぶかしみ、カーンはエンリケに相談した。

 リスロン滞在中に、物理的な仕込みが体に入ったかと疑ったのだ。

 エンリケは否定と、どこかでわかっていた答えを返した。


 獣人兵士のほぼ全員が、覚醒感と奇妙な変化を自覚している。

 簡易な診断だが、一応、薬物や外部からの影響は認められない。が、しかし..。


 戦争中に使用された薬物、基礎能力を上げる類の使用と同じく、肉体の状態が向上していた。

 そこで野営時に血液と尿を検査してみるも、異常は発見されなかった。

 だが、それで終わりにできる話ではない。

 好調だからという理由で見過ごすには、小さな変化ではなかった。


 ただし、カーンには心当たりがあった。

 正確には、カーンとモルソバーンの地下に潜ったイグナシオとロードザムには。

 敢えて沈黙は強いていない。

 強いれば余計に弱みになる。

 それに、どこかでわかっていた。

 変化を受け入れた者は沈黙するだろう。


 救いは、悪い兆しではない事だ。


 覚醒感としたが、眠れないわけではない。

 感覚が今までよりも鋭いのだ。

 薬物の場合は、感覚が本当に鋭くなるのはまれだ。

 自我の拡大や感情変化等、本来の感覚を鈍麻、または誤認させる物が殆どだ。

 薬による向上とは、生存するために残すべき部分を切り捨て、酷使できる状態にする事である。


 エンリケによると、肉体の反射の向上が、擬態を解いた場合に等しい事と感情面での鎮静化が伺えた。


 この状態が恒久的に継続するのか、一時的な異常なのか。


 雨に打たれながら、カーンは陰鬱な気分だった。


 考えるほどに、オリヴィアの先行きが思わしくない。


「どうしました?」


 轡を並べ聞いてくる男の顔を見返すと、カーンは表情を消した。

 長いつきあいだが、事、この事に関しては誰にも相談できそうになかった。


 軍部にせよ王家にせよ。


 国の根本にある宗教や価値への問題提起をすることになる。


 転換点とも言える。


 いつもなら、何も難しく考えはしない。


 大多数の安寧をとるのが普通だ。

 非情であろうと非道であろうと、最善である事に手を伸ばす。


 だが、小さな娘の姿をした揉め事は、思う以上に己の中をかき回す。


 何故か?


 答えは分かり切っている。

 迷いのない人間などいない。

 己の生き方を迷わない者などいない。

 そして、誰もが後悔をしたくないと考えている。


 後悔したくないのだ。


 だから、手を離し流れのままにしたくない。


 結局、自分が後悔したくないだけだ。


 理由に理屈はない。

 娘の謎と嘘に翻弄されようと、手を離せば後悔する。

 だから、考えてしまう。


 どこまでなら、自分は娘を見捨てずに、信条を曲げずにいられるだろうか?

 後悔したくないといいながら、結局、娘を死なせるのは自分の生業を考えれば、己なのではないだろうか?と。



「シェルバンの総人口はどのくらいだ?」


「兵力としては一万もいませんが、総人口となると小都市以下で五万前後でしょうか」


 サーレルの返答に、カーンは目を細めた。


 遺棄された村落を見れば、その兵力も万全とは言えない。

 本来なら、コルテスと協調して領内の安定を図るのが普通だ。

 飢えずに領地を保つのさえ、ままならないだろう。

 否、目に付いた耕作地を見れば、既に領民は飢餓状態かもしれない。


 まともな兵力など、シェルバンには元々無いのだ。


 男女比を考えて三分の一の成人年齢以上を変異体にしたとする。

 近年の純血統主義を名目とした処刑が、変異体にする名目だと考えて実数を予想すると二万人規模の変異体が存在するものと考えられた。


 更に汚染が進めば、総人口の過半数が死んでいる事になる。


 直截に言えば、変異体とは死体であるからだ。


 利点は、彼らには兵站が必要ないことだろうか?

 争いを決するのは、武力と兵站だ。

 死人の兵隊は、当然飲食も睡眠も必要ないだろう。

 新鮮な人肉があればいいのだ。

 皮肉な事に、人肉嗜食の業から解かれたズーラに対抗する手段が、ズーラから知性を無くした動く死体だ。


「シェルバン公爵は生きているだろうか?」


 その問いに、サーレルは肩をすくめた。


「生死は問題ではないでしょう。寧ろ死んでいれば楽です。コルテス公も手間が省けますし体裁もいい」


 心神喪失状態のシェルバン公をコルテスが後見し領地併合をする。


 それがコルテス公爵の考えだ。


 あくまでもシェルバン公が抵抗し、コルテス公爵が死亡した場合は、ボフダンと中央軍がシェルバン領土を封鎖包囲する事になる。

 どちらにしろ、シェルバンの変異体騒ぎの為に、領土封鎖は行われる。


 エンリケの見解では、腐土と違い、シェルバンの変異体は捕食対象が無くなると肉体を保てない。つまり、飢餓により自然に死滅する。

 ただし、環境に適応し、捕食対象が拡大する恐れがある。故に可能な限り変異体は処分し、領土内を隈無く探査すべきとしていた。


「飢餓の周期はどのくらいだ?」


「予想では、一体の変異体は休眠と活動を繰り返すそうです。休眠状態で外見上人型を保っている場合は、ほぼ、飲食を必要としません。唯一適度な水が必要ですが、それも十日間は与えずとも生存しています。活動期の極度な変異の場合は、死体一つで二週間前後は生きています。それが最低限ですので、喰わせればいくらでも食べるでしょうね。飢餓という言葉は適当ではないでしょう。」


 うんざりする内容である。

 イグナシオではないが、シェルバンの領地を灰にした方がいいような気分になる。

 だが、一方で腐土とは異なるとは言え、この状況を観察し調べる意義は十分にある。

 腐土が拡大しつつあるのだ。

 このマレイラの変異体を足がかりに、効率の良い解決方法を探るべきなのだ。


 特に、南領の浄化と東南の腐土、そして東マレイラの騒動と浅からぬ因縁が続いているように見えるのならばだ。


 こじつけ、勘違いならいいのだが。

 だがもし、己の知らぬ作為と悪意が未だにあるのなら、許される事ではない。


「シェルバン公の居城は、背後が岩屋で、居城を取り巻くように街が広がっています。我々は西側から森林を抜けて近寄る事になります。」


「関は?」


「二つです。もう少し進行速度を落とせば、露払いは終わっているでしょう」


「で、追跡者は」


「ズーラに気付かれて注意を受けました。どうせなら、同行しろと。シェルバンの斥候と間違えて痛めつけてしまうからと」


「だろうな。」






 関にも人の気配はなかった。

 門は開いたまま、全てが打ち捨てられている。

 コルテス公が通ったから、という訳でもなさそうだ。


 無人である。


 ただし、関も村と同じく、直前まで人が暮らしていたように見えた。

 生活の為の品々が残り、最前まで椅子に腰掛け、通路に人が立っていたように見えた。


 唯一、争いの跡があるのは、水場だけだ。


 獣人兵の視線は、破壊された井戸とガラクタが積みあがる水場だ。


 いよいよ、嫌な想像しかできない。


 もう、生きた真っ当な人間とは出会えない。

 そんな予感しかなかった。


 兵士達はそれぞれ、豪雨でも使える油薬を確認する。

 どれほど必要になるのか、わからない。


「ズーラの死に様はしってますか?」


 サーレルの問いかけに、皆、首を振った。


「ズーラは個体という感覚が薄いそうです。集合知性というのでしょうか。ですので、己の死に対しての関心が薄いそうです」


 何が言いたいのかという視線に、彼はにやにやと笑顔を返した。


「死んだ個体は彼らの一部ですので、新しく産まれるために食うそうです。次代の仲間の栄養になると言うわけですね」


 実に無駄が無いですね。

 等と楽しそうに話す男に、イグナシオが問う。


「では、未だ人肉を喰うのか?」


「弔いの儀式としてですね。それも仲間内の話です。」


 唸るイグナシオにサーレルは楽しそうに続けた。


「コルテス公は、己が死んだら彼らに食べてもらうつもりのようです。ですので、もし、彼の死体にズーラが群がっていたとしても、咎め立てしてはいけませんよ。」


「ここで言う話しか!」


 怒鳴ってから、スヴェンはサーレルを手招いた。

 問題が多すぎて、さすがのスヴェンも眉をひそめている。

 中央からの駐在が送られてくるようになったら、そのような儀式習慣は大問題である。

 もちろんズーラの内輪の儀式に、余所者が参加するとは思えないが。


「居城に兵力を集中したのだろうか?」


 モルダレオの呟きに、エンリケが鼻で笑った。


「お粗末過ぎて話しにならんよ、兄弟。それよりも、変異体の元を探さねばならん。誰か脳味噌が残っている奴が生き残っているといいのだが」






 シェルバン公の居城は荒々しい岩肌をそのままくり抜き作られていた。無骨でありながら、それでいて落ち着いた雰囲気の城である。

 森林を抜け、緩やかな斜面が続く丘の上で、獣人達は歩を止めた。


 城を中心に赤茶けた地面が広がる。


 街の姿など何処にも無かった。


 不思議と城の周辺一帯が広い範囲でむき出しの土となっていた。


 草木一本生えぬ地面には、居城までたどり着く間、身を隠す場所は無い。


 そして、風の音以外静かだ。


 雨も降り止み、空は暗い雲が流れている。

 胸苦しい色合いが東の空を微かに明るくしていた。


 視界いっぱいの荒れた地面と岩屋の城。

 明かりは見えない。

 廃墟ではないか?と、思わせる風景だ。



「公爵は既に城か?」


「たぶん、我々と同じく交戦無くたどり着いているようです。ですので、半日以上前には」


 サーレルの答えにカーンは頭を傾けた。


 双方に某かの動きが見えない。


 どうしてだ?


「ズーラは夜行性だ。深夜に入り込んだとすれば、それほど時間はたっていまい。」


 エンリケの言葉に、皆は城を改めて眺めた。


「行きますか?」


 カーンは頭を傾け、意味の分からない絵画を眺めるように城を見つめた。


 すると、娘の声が聞こえたような気がした。


 (気をつけて)


「夜明けまで待つ、急ぐことも無い」


 丘の上で彼らは休んだ。

 そうしながら、静まりかえった城を眺めた。


 城は暗い夜に浮かび上がっている。

 もっと激しい殺しあいが起きていると思っていたが、肩すかしとも思わない。

 コルテス公が自ら来るというのなら、奥深くに招いて殺すのが一番だ。

 ズーラとの消耗戦をするのは、誰が考えても無駄だ。


 当然、城の内側に入り込んだら総力で殺す。


 だとして、この静けさは何だ?


 カーンは丘の上で頭を傾ける。

 何故か、視線が歪んでしまうのだ。

 城を見ると、奇妙に景色が斜めにずれている。

 視界を後ろの森林に向けたが、ズレはない。

 自分の視力の良さはわかっている。

 闇の中こそよく見えた。


 もう一度城を、むき出しの地面を見つめた。


 むき出しの..


 土が歪む。


 歪みを目でなぞる。


 それはむき出しの土ではない。


 薄皮を剥ぐようにむき出しの地面は色を落とした。


「ナシオ!来い」


 カーンの声に、槍を手に駆けつける。


「草の無い場所を焼け、他は備え!」


「距離がある」


「かまわん、何でもいい。あの辺りの地面に火をつけろ」


 何も無い地面を指し示されて、イグナシオは機械弓を部下に運ばせる。

 鏃には着弾すると弾けて油薬が広がる物を取り付けた。


 狙いを定め、軽い射出音が三度響いた。


 一番矢は地面に突きたつと野火が広がるように横に炎が広がった。

 二番矢は中空で弾け、三番矢は見えない幕でもあるかのように大きく扇状に広がった。


 めらめらと炎が嘗めあげると、偽りが端から焼け落ちていく。


 丘の上に立つ彼らの前には、城まで埋め尽くす異形と変異体の群があふれていた。


 見える景色全てが黒々とした異形の波だ。

 蟻が獲物に集るように、隙間無く異形が蠢いている。


 カーンは命令を下した。


「戦闘用意!」


 視界一杯の変異体の群に、イグナシオが歓声を上げた。


 それに答えるように仲間が吠える。


「焼却油薬用意!」


 善意の徒としての殲滅行為は、大義名分としては十分である。

 このままシェルバン公をお助けするべく、攻めあがるのも善意である。例え、その過程で多少の破壊活動が行われたとしても。


 気がついた変異体の群が方向を変える。

 それを迎え撃ちながら、カーンは陰鬱な気持ちを忘れた。


「これより殲滅戦を遂行、陣形備え!」


 忘れるという事がすでに習い性になっていた。


「攻撃始め!」










 魂を、浸食されているという自覚は..なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ