ACT196 果ての花園に咲く 其の四
ACT196
静かに扉は開く。
そこから何かが飛び込んでくる事はなかった。
テトの黄金色の背の毛が薄暗がりに毛羽たつ。
扉の先は闇。
闇が淀んでいた。
私を抱える侍女の体は熱を持たないが、それでも闇を見つめて力を溜めた。
何かがいる。
扉の敷居からこちらには、未だ進入はしていない。
だが、いる。
そう感じるのと、その敷居に滲むように広がる物があった。
じんわりと扉の向こうから、黒い液体が広がってくる。
テトの喉からうなり声があがる。
黒い液は広がり、生臭い風が室内に吹き込む。
奇妙な気配。
それは一つではなく。複数の気配。
複数の気配が一カ所に集まっている。
これに近い気配を知っている。
イエレミアスに宿った、死んだ体に宿った物。
子供でもわかる言葉で言えば、悪霊の気配だ。
だが、グリモアに宿る者どもは、ざわざわと騒がしく囃したてた。
その多くが、侮蔑の言葉で囃す。
緊張する室内とは逆に、グリモアは落胆と嫌悪、そして、怒りを感じている。
敷居にそれは足をかけ、扉の柱に手を置いた。
見る限り、人の形をしている。
置かれた手は、むくんだように青いが五指で、白い爪がある。
敷居を踏む足は、平凡な靴に包まれていた。
テトが唸る。
獣の唸りに、それは動きを止めた。
女達の顔つきが険しくなった。
獣の唸りに、それが怯えたからだ。
ならば、奇異な物、怪異な物であっても、暴力に怯える物に過ぎない。
彼女達の顔が、肉食獣のそれのように表情を変えた。
食らいつく前の顔だ。
(待って)
テトと侍女達を止めた。
嫌悪と侮蔑と怒り。
それら残滓を押しのけて、グリモアの冷静な部分が、言う。
(何用か?)
私の問いに、侍女達は首を傾げて扉の闇を見つめた。
テトは歯をむき出しにして威嚇を続けた。
それは戸口から動かなかった。
代わりに闇の中に、姿がうっすらと浮かび上がる。
枯れ葉色の長衣に頭部を覆う頭巾。
身の丈は人族成人の者ぐらいだろう。
そして怪異な容貌。
それは青白い肌をした細長い頭部をしていた。
顔とおぼしき場所には、ざっくりと割れた口がある。
赤い歯茎にとがった不揃いの歯が生えている。
それだけだ。
口だけ。
縦に長い頭部に口だけ。
子供の描いた怪物のようだ。
それは闇の中におり、その足下は黒い液が滴る。
長衣から落ちているのだ。
私達の落胆は、それがマレイラを混乱に落とした術者ではなかった事だ。
卑怯者はあくまでも隠れている。
そういうことだ。
(おおかた、術が返されて焦ったのだろう?)
私の言葉に、それは歯をむいた。
(呪われる身になって、やっと何に手を出そうとしたのか、わかったのだろう?)
それは歯をむきながらも、私を伺っていた。
(模倣する力はあるようだが、術を学び修めた者では無い。そうだろう?)
それは戸口から手を放した。
闇に浮かぶ青白い顔は、私に向けられ、口を閉じる。
グリモアは怒り、彼らを消し去れという。
宿る残滓である死霊術師も、その愚かな者に更なる罰をと叫ぶ。
(一つ、問おう。お前は未だ人か?)
私の問いに、それは絶叫した。
それはリスロンの街に響くほどの声だ。
侍女の爪は鎌のように伸びた。
なるほど、侍女達が武器を携帯していないのは、自身の爪が武器になるのだ。
しかし、怪異は叫ぶと己が頭をかきむしった。
おぉぉぅ、おぉおぉぅ、と声を出す。
身悶える怪異の後ろ。
闇の向こうにある、本来の通路から人の気配がした。
たぶん、ズーラの兵士だ。
姫の安全が確保されたのかもしれない。
しかし、色濃い闇に阻まれて近づけないようだ。
黒い泥濘から、青白い塊がわく。
ごぼごぼと、汚泥から漏れる瘴気のようだ。
しかしそれは割れる事無く蛆のような姿にかわった。
蛆は小さな醜い子供になり起きあがる。
鬼の子供のような何かに変わる。
それは醜悪な顔を歪ませると、部屋の中へと飛び込んできた。
一匹、二匹、三匹..
一匹目は中空でテトに喉元をかみ砕かれた。
二匹目は扉の側にいた侍女の左の爪で切り裂かれ。
三匹目はテトの前足で突き転がされる。
途切れることなく、どんどんと淀みから子鬼が這い出てくる。
テトと侍女により、子鬼の遺骸が部屋中に散らばった。
窓際の壁にいた侍女が外を見やる。
館の外は大丈夫なのか?
私を抱えた大柄な侍女は、徐々にその窓辺へと移ろうとしていた。
私は目の前の物を見ていた。
気になるのは、この怪異の足元だ。
そこが入り口になり、汚れた物がわいている。
ボルネフェルトの召喚陣と同じようだ。
代わりにこの長衣が楔になっている。贄の体を入り口にしている。
私は暫し考えた。
これは敵の差し出した物、つまりこの先に、いる。
確実に、災いの元がいる。
化け物ではない。
愚かしい人間がいるのだ。
(おろして)
私が願うと、侍女は頭を傾けた。
私の言葉が理解しかねる、と、いった具合だ。
(二度と挑まぬように脅すのです)
私の言葉に、侍女が唇を引き上げた。
満面の笑みに赤い瞳が縦に割れた。
彼女は私を床に下ろした。
私達、グリモアとその欠片は言う。
殺せ、と。
私達、を抱える私は言う。
生かせ、と。
テトが長衣の怪異に飛びかかる。
喉笛に食いつこうとするが避けられて、代わりに胴体を床へと引き倒した。
その衣ごと噛みつくと、怪異を部屋へと転がした。
その間にも次々と子鬼が溢れ出す。
しかし、窓辺に逃げ道を確保しようとしていた侍女が、子鬼を引き裂くのに加わった。
テトは胴に食いつきのし掛かると、はね退けようと怪異が暴れた。
私を抱えていた侍女は、ゆっくりと近寄るとその両手を掴み捻りあげる。
本当に、簡単な事のように近寄り、手を繋いだだけの動きだ。
だが、怪異の蠢く四肢は、テトと彼女により堅く押さえられた。
私は彼らの協力を無駄にしまいと、怪異に歩み寄る。
そして、そのぬめる表皮に手を伸ばした。
それを見た侍女達が、皆、嬉しそうに笑うのを感じた。
混沌とした命の言葉が見えた。
狭間の力を糧にした言葉も見える。
魔導師に似ているが粗雑、無知、醜悪な紋様。
しかし、だからこそ解す場所もわかる。
悪霊の核となる物は何か?
憎悪と思うのが普通だ。
怒りや憎悪、悲嘆、狂気。
しかし、術の糧になる物の多くが、実は、人の情なのだ。
冷酷非道の行いに利用された者が、同じく恐怖や無念に支配されるばかりではない。
実に偏狭な感情だとしても、情が愚かにはしらせる事もある。
そして、この怪異の核も、幾百の汚濁した言葉の中に、純銀のような冴えた輝きが一握りあった。
贄に選ばれた者は、ただ人であるが善良な輝きを宿している。
私はその輝きを目指して言葉を組み立てた。
(さても、卑しき者が紡いだ力ある言葉よ。
調和を受け入れ、配列をなせ。
世の理に従うのだ。
この世に歩を進めたが最後、既にその身は理の内。
その運命の糸車より逃げる事はかなわない。
故に全ては調和を示さねばならない。
示せぬのなら対価をば払わねばならない。)
私の問いかけに、怪異の姿は黒い紋様の欠片で埋め尽くされた。
砂山のように風に蠢き、形を変える。
私はその奇っ怪な砂山に手を差し込んだ。
(三度だ。
三度術者を呪う。
宮の主の所望の魂。
お前は宮の客だ。
存分に罪人として花を咲かせるがいい。
その罪は、己が招いた事。
お前が陥れ死んでいった者の魂の重さだけ苦しむのだ。)
私は怪異を通して、その卑怯者の顔を見ようとした。
肩ほども汚れた紋様につかりながら、怪異が繋ぐ卑怯者の顔を見ようした。
男だ。
赤茶けた金髪の男だ。
眼を見開き、私を見ている。
男の体中に蔦が絡んでいた。
蠢く蔦は、墓守りを呑んだ物と同じである。
男は半ば埋もれながらも、その手には呪具が握られていた。
何と何と
その男は、事もあろうにクラヴィス・オルウェンの父親の姿を模倣しているのだ。
クラヴィスの父親は、蛮族の神に仕えていた。
毛皮を纏い、片手にはいつも青銅の剣を模した呪具を抱えていた。
魔導師ではない。
現世の欲得にまみれた、蛮族の神官だ。
確かに、欲深き者ならば、模倣するだろう。
だが、史実として伝わるのは、犠牲となった息子。
悪意の元を真似るには、真実を知る何者かが介在していなければおかしい。
それとも、淘汰された種族の神を崇める集団でもあるのか?
どちらにしろ..
男の顔は拝めた。
これで呪いは勢いを得た。
誠、神ほど取り立ての厳しい者はいない。
男の体に蔦が巻き付く。
男は私を見て、指をさした。
「小賢しい呪い師め、忌々しい塵どもめ!
お前は大きな間違いを犯した!
崇高な神の使いを迫害した者に手を貸すなど許される事ではない!」
男の叫びが、私に教える。
私の中でマレイラの昔話が補足された。
つまりコルテスはズーラを保護したが、それと同じく他の二公の祖も某かの人々を抱えたのだ。
移住の理由。
シェルバンはクラヴィスの父親と同じ邪教の者とされた人々を保護した。たぶん、ボフダンも迫害された何者かを従えている。
そして、宗教統一だ。
中央王国が誕生した際から、距離を置く東マレイラ。
コルテスはズーラの民が、この世界で生きる道を探り、社会適応可能な段階まで管理する事に成功した。
そして、このマレイラから外へと彼らを出さない事。領地に彼らの国とも言える街を構築した事により、たぶん、公王の非公式の許可を得たのだ。
しかし、シェルバンの邪教徒はどうか?
「我らの邪魔をするな愚か者め!
後少し、後少しで、醜い豚どもを化け物にできるのだ!
邪魔をするな!」
考える必要もない。
(お前に覚悟はあるのか?)
グリモアの問いに男は返した。
「覚悟だと?何を言うか!非道な者どもを全て殺す事に何の躊躇いがいるのか!」
(違う、もしも、お前の不完全な呪いが成功したとして、お前は何も得られないが、それでもいいのか?)
重ねて問うと、男は笑った。
「不完全?得られない?馬鹿な、全てが終われば、お前達コルテスもシェルバンも終わる。残る者どもも我らの力にひれ伏すのだ!」
やはり、この男はわかっていないようだ。
(一つ、問おう。お前は人か?)
それに男は笑った。
その顔は、マーセス・ベイラムに似ていた。
つまりは、シェルバン公は邪教の徒と呼ばれる彼らと婚姻をし、その血を薄めようとしたが、失敗したのだろう。
否、薄める事に成功し、このような出来損ないができたのだ。
男は私を押し返そうと青銅の呪具を振り上げた。
男の不揃いの歯の間から、黒々とした汚れた言葉が漏れ出す。
すると、その身を覆う蔦が枯れ始めた。
どうやら、まだまだ、私の呪いは足りないようだ。
しかし、男は気がついていないが、既にその全てに印が現れている。
見える者には、その全身に細かな花が咲いているのが見て取れる。
側に寄れば花の腐臭が漂うだろう。
そして、花を咲かせた男自身には臭いがわからない。
それは魂にも咲き、腐臭をたえず振りまくのだ。
魂が汚れを残す限り、花は咲き続ける。
(もし、救われたいのなら、人を救うのだ)
私の言葉は見当違いであり、高慢であると男は受け取った。
男から憎しみと共に黒い力が流れ出し、私を押し返した。
私は押し返されながら、銀に輝く物を掴んだ。
力任せに引きちぎる。
すると、輝きは悲鳴を上げた。
それでも、汚れた文字がこそげ落ちた。
こそげ落ち、様々な物を無くしたが、それでも掴み出された輝きは残った。
目を見開くと、テトがいた。
テトはいつもの暢気な猫に戻っており、私を前足で踏んでいた。
そして、ズーラの侍女や兵士が私をのぞき込んでいた。
起きあがる。
皆、笑顔だ。
戦っていたのか、血にまみれた姿のズーラは凶悪その物だが、安心感は確かにあった。
そして、私の右手には銀の輝きが残っていた。
怪異の残骸が転がる。
その残骸は石榴のように弾け、黒い液体を部屋に飛び散らせていた。
そして、その残骸から、私は銀の輝きを掴みだしていた。
黒く汚れてはいたが、それは息をしており、確かに生きているようだった。
「宗主様の従姉妹どのです」
侍女が手近の布で顔を拭き上げると言った。
姫の従姉妹の末路が一つわかった。
それから館の中を改める事と娘を医者に見せるのとで朝まで騒ぎは続いた。




