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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
215/355

ACT195 果ての花園に咲く 其の三

 ACT195


 理性が働かないなど良くあることだ。


 物の道理を日頃から説く者に限って、間々ある。

 だから、日頃の態度から有事に冷静でいられるかというと..


 訳の分からない事を並べているが、要するに、私は夜の民の女達に囲まれている。そして、狼狽えていた。


 カーンが儀式の為に公爵達の元へと向かい、サーレル達は野営の天幕へと戻る。

 私の珍しい悲壮な顔を見て、オービスが頭を撫でたが、慰めには遠い。

 因みに、オービスだけはテトの怒りに触れなかった。

 そして、夜の民に撫でられた私と同じく、毛並みを梳かれて硬直をしていた。

 そして今、そんなやりとりの後、侍女達に囲まれている。


 今夜の就寝場所は、館の豪奢な寝室である。

 そして、その寝室には、夜の民の侍女が三人も控える。

 窓辺、入り口、寝台の傍。

 安全の為に、必ず女達が控えるそうだ。


 ならば、天幕に戻りたいのだが、好意である。


 断れない。


 一晩中赤い瞳が凝視している中で寝れるだろうか?


 カーンが離れていく時、笑っていた。


 笑い事ではない。


 ついうっかりかじられたらどうするんだ!


 ..そんな失礼な事を考えている自分が嫌なので、無表情を保ちつつ寝台にいる。

 着替えもした。

 今は、やはり可愛らしい寝間着に、髪もすべて手入れされている。

 居心地とは別に、実に歓待してもらっている。

 私なら台所の隅で寝てもいいのに。


 しかし、お茶も飲み、顔も洗い、寝る支度もすめば、もう、眼を閉じてしまうしかない。

 森の中で寝ると思えば、いいのだ。

 と、無理矢理眼を閉じる。


 女達は静かだ。


 私の呼吸だけがある。


 この調子では眠れまい。








 眠れない..はずだったが、食事と同じく柔らかい寝台の威力は素晴らしかった。

 そして朝まで眠り、不寝番をしてくれた侍女達を起き抜けに見た時、これ以上は、絶対に恐れたりするような失礼な真似はすまい。と、思った。






 公爵は、夜の民の騎馬を引き連れて、シェルバン公の元へと真っ直ぐ向かう。

 その間に出会うシェルバン兵士が敵対するようならば、すべて平らげていくつもりだ。

 完全武装の夜の民の戦力がいかほどかは想像もできない。

 だが、シェルバン公の居城まで真っ直ぐ攻めいる事ができるだけの武力はあるようだ。

 逆に言えば、シェルバン公さえ討ち取れれば戦にもならない。というお粗末な状況なのかも知れない。

 自分の領地の民を損ねているのだ。

 まともな兵隊や組織、政治の体制もないだろう。

 だが、シェルバン公が変異体をある程度管理しているようならば、コルテス公は苦戦するだろう。

 だが普通の戦争のように、徐々に自陣を広げ要所を攻め落とし、攻略していくような攻めではだめだ。

 何よりシェルバンの領土がこれ以上汚濁すると、中央政府が手を出してくる。


 そして夕刻。

 白銀の甲冑が夜に浮かぶ。

 公爵も、夜の民の兵士も、暗い世界に朧に浮かぶ。

 彼らは静かに夜に消えていった。


 私は簡単な別れの言葉しか伝えなかった。


 公爵の傍らには、ニルダヌスがいる。

 私はニルダヌスに眼を向けた。

 彼は私を見ると頷いた。



 次の日には、カーンは物見遊山と称して一団を出立させた。


 私は姫と共に、この夜の民の街で留守番だ。

 別れの挨拶はしない。

 高価な連絡用の水晶を持たされる。

 使い捨てで割ると同じ切り出しの水晶と共鳴するようになっている。

 緊急用だ。

 ただし、助けを呼ぶものではない。

 何か変化があったと知らせるだけだ。


 リスロンに私を残すのは、ある意味、正しい。

 シェルバンでは殺し合いだ。

 そして、この場所に連れを置くことで、コルテス公爵側である事を示している。

 人質にしては物足りないが、まぁ、そういう事だ。


 そして久方ぶりに、一人だ。

 もちろんテトはいる。

 夜の民の女性が大好きな猫が。

 特に私の世話をする侍女がお気に入りらしく、必ず喉を撫でてもらっている。


 必ず夜の民の女達が傍にいる。

 夜の民の中でも、特に筋骨逞しい侍女だ。

 本当は男ではないか?と疑いたくなるほど、その姿は縦横に厚みがあった。筋肉質で背が高い。獣人女性なら逞しいながらも女性らしいのだが、夜の民は彫像のようで見るからに堅そうだ。

 無表情の彫像というのだろうか?

 だが、二三日過ぎると、何となく雰囲気をつかむ事ができるようになった。

 彼らの喜怒哀楽と私の感情表現には大きな隔たりがある。

 しかし、それでも何となくだが、微笑んでいるとか、驚いているとかの機微が汲めるようになる。

 緊張する事もなくなった。

 カーンが言うところの、おおざっぱな性格が働いているようだ。


 リスロンでの一日は概ね食べて寝るだ。

 朝起きて、身支度をし、食事をする。

 午前のお茶を姫ととり、散歩をして、昼の食事。

 午後に昼寝をして起きたらお茶。

 夕刻に着替えて、晩餐をとり、湯浴みをして、就寝。


 運動不足のうえに食事が旨すぎる。


 という怠惰の見本のような生活である。

 ただし、嫌な咳も止まり、体の不調はなくなった。

 折れた骨の部分の痛みも和らいでいるので、歩くのに不自由を感じなくなった。

 薬は相変わらず虫下し共々飲んでいるが、体の不調が少なくなり実に爽快である。


 しかし、食べて寝るの暮らしも三日で飽きる。


 贅沢きわまりない話だ。


 そろそろ公爵もシェルバンの居城に近づいた頃だ。



(このようにのんびりしていていいのだろうか?)



「いいと思いますよ。少なくとも、私はこれ以上働いたら潰れます」


 サックハイムが書類の山に埋もれている。

 あまりの暇さに、館を探検している途中で発見した。

 意識を失っているのかと足を止めたのだ。


「最近のの子は辛抱がたりませんね。一日二日寝ないぐらいで弱音とは」


 机に額を置いているサックハイムに、その奥で書類を黙々と書きつづる新宗主が言った。


 姫も徹夜したんだろうか?


「私は、そんな手際の悪い仕事はいたしませんわ。さっさと伝令文を仕上げるのです。そんな事では今夜も眠れませんよ。」


 どうやら無意識の声が聞こえてしまったようだ。

 潰れているサックハイムの後頭部に、姫は冷ややかに告げる。

 彼女は仕事用の服を着て、髪を一つに纏めていると、父公爵にそっくりだった。


 しかし山となる伝令シリンダーや、書類の束は普通ではない。


「すべての承認待ちの書類を片づけていますのよ。私が領主となったと領地内全てに連絡したから、これから更に書類が来るでしょう。..五年分」


「..何で、私はここにいるんだろう」


 姫の五年分発言にサックハイムがぼやいた。


「今後、父がシェルバンを併合した後の事を考えれば、ボフダンの者としては、コルテス宗主の仕事を手伝うのは筋ではなくて?」


 テトと首を傾げて聞いていると、姫は唇を少し引き上げると、続けた。


「本来なら、ボフダンも今回の騒動の鎮圧に人手を出すべきなのです。ですが、ボフダンは防御に回ってもらい、もしもの時に備えてもらっているの。父が討たれ、私が死んだ場合、ボフダンだけでもまともに動ければ、中央との連携もとれるでしょう。」


 サックハイムは大きくため息をつくと、新たな書類に手を伸ばした。


「シェルバンの国境線沿いにある領地の状況を早くつかんで、立て直す必要がある。宗主でしか、大規模な兵力の移動ができないというのもあったから、今忙しい事の方が正常という事。だから、文句は言わずにさっさと働きなさい。」


「睡眠だけはとらせてください。字が滲んで歪みます」


「..仕方ないわね。その書類を書いたら、仮眠をとりなさい」


 これ以上は邪魔になりそうだ。

 私も仮眠をとるサックハイムと共に退出しようとした。


「一人で書類をいじるのは寂しいわ。嫌じゃなければ、話し相手になってちょうだい」


 当然のように言われたが、私は声が無い。

 もちろん、声は届くだろうが、なるべくそうした不自然な会話はしたくなかった。


 だが、姫に招かれては致し方ない。

 部屋の隅にある丸椅子に腰を置いた。


「この館には慣れたかしら?」


 私の頷きに彼女は唇を窄めた。

 少し、笑ったようだ。


「最初は怖くて泣きそうだったものね」


 否定はしない。


「従姉妹達もね、最初はそうだったの」


 姫は書類を仕上げながらも、少し微笑んだまま話し続けた。


「悲しいことが続いて、色んな人が亡くなってね。父も行方がわからなくなった時。

 ここに来て、私はやっと安心できた。

 彼らは人とは違って、食べる以外で殺生はしない。

 敵となったら、もちろん牙を向くでしょうけど。

 それ以外で人を虐めたりしないのよ。

 彼らは本当に穏やかなの。嘘みたいだけれど、本当に優しいのよ。


 だからもし、彼らが私を殺そうとする時が来たら、許すと思うのよ。

 私を食べて生き残るというのなら、許す。


 でも母を殺し、氏族を殺し、大切な人々を欲得で殺した者に殺されるのは嫌だわ。

 絶対に嫌だと思うの。

 従姉妹達も、毎年毎年、行方が知れなくなった。

 恐ろしいめにあっていないといいと思う。

 皆、無事ならいいけれど、もし殺されているなら、苦しまない最後ならいいと思っているのよ。


 貴方を見ていると思い出すのよ。彼女達も最初は泣きそうになりながら、遊びにきていた。それも何度か滞在するうちに慣れてね。それなりに仲良くできたのよ。

 侍女達も従姉妹を飾るのが好きで、髪の毛を結っては花やら飾りでいっぱいにして。服もね、その貴方が着ている服も、彼女達の手作りなのよ。糸を編んで透かし編みにする技術は、彼女達が得意なのよ。

 リスロンの名産にしようかと思っているの。綺麗だし、小物や婦人服に利用するとはえるでしょう?」


 シリンダーに書類を入れ、彼女はため息をついた。


「無事でも生きるのが苦しい状況だったら、どうしよう。父が帰ってきたら、別の悩みが増えたわ。父が死んだら一人で全部担えるのかしらってね」


 私は何も言えない。

 彼女は、父親が死にに行った事を承知している。だからこそ、寝る間も惜しんで領内の混乱を押さえ、防衛線の維持を図ろうとしているのだ。


(姫様)


「何?」


 私の声に、彼女は自然に答えた。

 公爵は果たして私が声を失っている事を伝えたのだろうか?


(領地の昔話を教えてほしいのです)


「昔話ってどれかしら?」


(水妖とフィードウィンの双子の話です。)


 彼女は新たな書類に目を通していたが、それを置くと少し考え込んだ。


「どの話がいいかしら。フィードウィンの昔話には、幾通りかあるのよ。」


(水妖の妻を迎えた男の話です。)


「あぁ、わかったわ。それじゃぁお茶にしましょう。私も少しつかれたわ」


 もしかしたらと思いたずねたが、やはり水妖の妻の話もあるようだ。

 姫は侍女に茶の支度を申しつけると、私を部屋の柔らかな長椅子へと促した。






 フィードウィンと言えば双子の童謡が有名である。

 あのアッシュガルトで怪人が歌っていたものだ。

 コルテス公も知っていた、東の三公貴族の昔話だ。


 東の三貴族。


 中央の草原地帯から、この豊かな自然の東に流れてきたのだ。

 氏族は、フィードウィン、オールドカレム、ラドヴェラムとそして、オールドカレムが従えるズーラだ。

 しかし、このマレイラには人は暮らしていなかったが、水妖という化け物がいた。

 水妖を退治し、この土地を手に入れる算段を彼らは考えた。

 人を喰う水妖を水の中から誘き出して、ズーラを従えるオールドカレムが殺す。

 単純な策だ。

 しかし、誘き出す役目を誰がやるかで揉めた。

 足の速いラドヴェラムに頼むが、彼らは水妖の祟りをおそれていた。

 フィードウィンは女子供が多く何とも心許ない。

 そこでフィードウィンを餌にはするが、水妖が現れたら彼らを連れてラドヴェラムが逃げるという事にした。


 しかし、ラドヴェラムは最後に裏切った。

 水から出てきた水妖が恐ろしくて、その獲物を横取りする事ができなかった。

 哀れフィードウィンは喰われた。

 だが、喰う間に、オールドカレムとズーラが水妖を殺した。


 そして、水妖は死に、マレイラは彼らの土地になった。


 だから..



 姫は茶を喫すると、ため息をついた。


「さて、水妖を殺した彼らは、マレイラを開拓し、順調に領地を作り上げていきました。」



 しかし、彼らが順調に領地を作り、先住の水妖を殺した事など忘れた頃に呪いが顕著になった。


 子供が産まれないのだ。


 フィードウィンにもオールドカレムにも、そしてラドヴェラムにも。


 人にも、そして家畜にもだ。


 恐ろしいことに気がついた彼らは、それが水妖の呪いであると気がつくまでに時がかかった。


 臨月の女から子供が生まれない事にあせったラドヴェラムの者が、ようやく呪い師を呼んでわかったのだ。



 水妖の囲いの子供は、すべて、水妖の物

 呪われた者の子は、すべて、水妖の物

 囲いを呪うは、水妖の番




 これに彼らは、呪い師にすがった。

 しかし、呪い師は、水妖の番が恐ろしくて逃げていった。

 そこでオールドカレムの男、氏族の長は水妖の番も退治しなければならないと考えた。


 長は、彼の双子の娘を番の元へと送った。

 美しい双子の娘を使い、番を籠絡させる。

 そして..


「歌われる昔話とは違うでしょう?フィードウィンの双子ではないの。オールドカレムの娘を送り出したの。娘を番の花嫁に出した。そして」


 水妖の番は、双子の娘に化かされて、哀れにも屍を晒す事になった。


「しかし、双子の娘は呪われて水妖となった。そこで父親は、犠牲になった二人が人を襲わないようにと封じ込めた。水源の奥深くに」


 すると、それまで生まれなかった子供が産まれ、マレイラの呪いは解かれた。

 という話だ。

 だが、それでは双子が哀れではないか?

 私の顔を見つめて、姫は微笑んだ。


「嫌な話よね。水妖を殺したのは人で、その番が怒るのも当たり前。ラドヴェラムが逃げ出すのも当たり前。一番恐ろしいのはオールドカレムの男という訳。」




 話を丸ごと現実に当てはめるのは危険である。

 しかし、姫の語る昔話では、その双子は水源に封じられたとある。

 そして、水妖の囲いは壊されなかった。

 オールドカレムとラドヴェラムは、おそらく、フィードウィンの犠牲の責任をとり、その双子を自分の領地に沈めた。つまり、囲いの中に入れた。

 逃げたという表現を改めれば、ラドヴェラムは慎重であり常識的だった。だから、彼らは水妖の呪いを折半したのだ。

 そして、このマレイラの呪陣をオールドカレムと共に守ってきた。


 しかし、年月が事を変質させた。

 オールドカレムはやがて豊かなコルテスとなり、ラドヴェラムは貧しいシェルバンという土地になった。

 そして、もうすぐ解かれる筈の呪いを前に、両者の争いが、呪いの勢いを蘇らせたのではないだろうか。

 番の遺骸は分けられてコルテスとシェルバンに埋められた。

 二者が和をもって共存できれば、容易い事。

 しかし、不和は広がり続けた。

 呪いを繋ぐには、オールドカレムの最初の長と同じく、自分の愛する家族を生け贄に出すしかない。

 シェルバンにも同じ事が言える。

 しかし、シェルバンは約束を違えた。


 しかし、だ。

 全て憶測である。

 元々マレイラにある呪に対しての反動だけで、変異体のような物が溢れかえる。と、言うのも極端である。

 水妖が元であるとしても、マレイラ全土を汚濁する事を、水妖が求めるのはおかしい。

 化け物だから、そこに理屈は無いのだ。と、考える事もできるが、事、呪術においては、その理屈が必要なのだ。

 理由のない恐怖。

 等と人は良く言うが、逆に理由が無い理屈というのもある。


 そこまで考えて、私は思わず笑った。


 グリモアになろうとも、私の本質はまったく意固地であり、理屈を欲しがる子供である。


 世は不条理に満ちているというのに、私は理由を欲しがるのだ。


「結局、昔話の通り、私達は約束を違えたというわけね」


 話の前後を聞き漏らしていた。

 約束?

 聞いていなかったとは言えず、私は次の言葉を待った。

 姫はお茶のおかわりを頼み、眉間を指で揉んだ。


「私達の祖先は、新しい土地に移る時、三つの氏族同士で殺し合うことをしないと誓ったの。三つの氏族の元は同じ氏族なの。つまり、本来は一つという事ね。移り住む時、元の土地の神に、そう誓った。ところが、今の今まで十五代目の私の時代も、こうして争っている。モーデンの王もさぞやお嘆きでしょう。」


 疲れた様子に、テトが鳴いた。

 放すと姫の元へと歩いていく。


「あらあら、随分と忠実な子ね。貴方ぐらい女性に忠実なら、さぞやモテる事でしょう。」


 ちゃっかりと姫の膝におさまる。

 テトの暢気な表情を見ているうちに、全てが単純な事に思えた。


 シェルバン公はコルテスが欲しい。

 コルテス公はシェルバン公が憎い。

 そこに、誰かが罠を仕掛けた。


 シェルバン公は戦力を欲しがった。

 ズーラの子に勝てる戦力、変異体だ。


 そしてコルテスを弱体化させる為に、それも戦で土地を荒らさないようにした上で手に入れる為に、異形を使った。


 介入した人物は何を考えている?


 それは今の状況だ。


 シェルバンは変異体を手に入れ異形を使役できるかのように見える。

 だが、確実にシェルバンは汚濁し死滅するだろう。


 コルテスは攻撃を受け、公爵は死のうとしている。

 シェルバンが腐土にならぬ限りは浄化される事は無い。

 だが、それも確かではない。

 シェルバンを滅ぼし、公爵を殺す。


 単純に考える。


 シェルバンを滅ぼすのも、公爵を殺すのも、憎悪だ。


 奇矯な事柄を排除すれば、人の生活の中でおきる諍いと同じだ。


 そこまでで考える事を止めた。

 姫と共にお茶を飲む。


 想像であり現実ではない。

 全て想像だ。

 真実を知りたければ、カーンについて行けば良かったのだ。




 話を聞いたその夜、ふと気がついた。

 ニルダヌスが言っていた、魔導師の種だ。


 ビミンの母親。

 彼女は体に異界の実が入った。

 死んだ人ではない。

 生きた女で、夫からうつったのだ。


 その状況は双子の娘が水妖になる経緯に似ていた。


 それに思い至ると、心細いような胸苦しい気持ちに襲われた。

 私は寝台から起きあがり、あたりを見回した。


「どうされました?」


 今では慣れた大柄な侍女がのぞき込んで来る。

 何かがおかしく感じた。

 挙動のおかしい私を見て、彼女は他の二人に目配せをした。

 彼女達はするりと壁に体を押しつけると、無言で陰の中に。

 私は起き、寝台から立ち上がった。

 油断無く伺うが、何の動きも物音も聞こえない。

 しかし、侍女はそのまま私に室内履きではなく普通の靴を用意した。

 起き出した私につられてテトがモゾモゾと隣で動く。


 そうして息を殺していると、何処かで何かが壊れる音がした。


(あぁ、愚かな)


 思わず言葉に出してしまう。

 それに侍女は私を抱えた。

 テトがむくりと起きあがると、じっと扉を伺う。


 壊れる音が徐々に広がる。


(姫様は?)


 それに私を抱える侍女は頷いた。


 大丈夫のようだ。


 元々、宗主を受け継いだと宣言すれば、何事かが起きると考えていたはずだ。

 私のところに侍女がいるように、彼女のところには、ズーラの兵士が居るはずだ。


 やがて壊れる音が止まる。


 静かだ。


 だが、奇妙な気配がある。


 何かとても不愉快な感覚だ。


 私を抱えた侍女は、陰となる寝台の柱の後ろへと下がった。


 すると、テトが寝具の上で体を震わせた。

 ぶるぶると震えるとその体は大きく膨れ上がる。

 毛並みは堅くなり、四肢は太く長く。

 尾は細く鞭のようになり、顔つきは、あの山猫へと変わった。


 そして、扉を見つめている。


 何かがいるのだ。


 テトはゆっくりと毛織物が敷かれた床に降りると、扉の前に向いた。

 扉の所にいる侍女が、そっと取っ手に手をかけた。




 あぁ嫌だ。

 そう思うと同時に、愚か者が見れるとグリモアが喜ぶのがわかった。

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