ACT194 果ての花園に咲く 其の二
ACT194
人は、欠片ほどの希望があれば生きていける。
希望、生きる先が、望む未来に通じているのならば、生きていける。
だから、生きていたくない。と、思う時。
疲れて、悲しくて、何も感じられない。と、思う時。
そこには、暗い明日ばかりが目に付く。
今の苦しさが、続く。
もう、喜びは人生に訪れない。
全てが憂鬱で面倒になる。
そんな気持ちの時は、多分、孤独なのだ。
家族がいても、友がいても、恋人が、誰かがいても、孤独なのだ。
孤独だと、考え方も偏る。
孤独で、貧しさや病、飢え、苦難が大きく重く感じる。
誰かが希望に満ちた明日を説いても、信じるのは難しい。
悲嘆と絶望は、生きるに値する何かがなければ押し返す事は難しい。
私は、生きる事が好きだ。
私は、もっと生きていたい。
私は、死にたくない。
私は、孤独が怖い。
私は..
でも、答えは変わらない。
私は、選んだ。
一片の喜びも無い世界に行く。
暖かい記憶も消える。
でも、私は選んだ。
なぜなら、それが私の望んだ事だからだ。
恐怖と苦痛の未来にも、希望はある。
私の希望は、私が生きる事ではない。
生きていたいけれど、私が助かる事ではない。
後悔はする。
でもやはり、供物になるだろう。
そしてあの時よりも、生きている時間が長くなればなるほど、私は進んで首を差し出すのだ。
私の希望。
誰かが明日も生きている。
誰かが明日の太陽を見上げる。
誰かが季節の訪れを風の中で感じ、そして生き続けるのならば。
この気持ちは、幸いにも姫の愛情とは違う。
姫の優しい愛では無い。
利己的で高慢、自尊心故に出た、結論だ。
だから、最後まで私は怯える。
結論はでているのに、怯える。
宮で選んだ選択と、この時の気持ちは同じようで違う。
降り積もる記憶が、私の結論を支持する。
そして、宮の主の罠がわかる。
私が死よりも何を恐れるかを知っているのだ。
だから、その罠に足を踏み入れないように、私は慎重に心を偽らねばならない。
宮の主は、あの地下の世界で罠をしかけた。
私の未熟な心を知って、考えたのだ。
だから、供物は外へと戻された。
私が長らえて、より、恐怖し苦しむ原因を大きくするために。
そして、その罠の意味が分かってしまった私は。
私の心は既に。
公爵は、私と同じ道を選んだように見えて、違う。
この人は、生きていたくないだけなのだ。
誰かを生かす為だと言いながら、本心は、死にたいだけだ。
疲れてしまっただけなのだ。
悲しみに、悔しさに、責任に、疲れたのだ。
私が願ったことにより、結末は変わる。
変わると言い切れる。
私はグリモアだから。
公爵はどう思うだろうか?
彼の望みを砕く私を。
私は公爵との会話の後、彼に伴われて姫の元へと向かった。
姫、アルディラ姫様は、私とテトを目にし、貴婦人らしく微笑まれた。が、気のせいだといいのだが、最初に目が少し見開かれたと思う。
テトの威嚇に驚いた訳ではない。と、しておく。
姫につきそう公爵は、どうやら、反対側に私をおいて手を引きたがっている。
しかし、それを許すテトではない。
私に床へ下ろせと要求すると、本格的に威嚇と攻撃姿勢になる。
否、それは駄目だ。
仕方がないので、私はテトを抱え直すと、公爵と姫の後へ離れた。
その間の姫の表情は、やはり完璧な微笑だったが、どこか呆れて笑っているようにも見えた。
館の侍従、会う者全て夜の民だった。
私を導く侍女も夜の民だ。
彼らは、人族や我々とは違うと改めて感じる。
彼らが静かなのは、見て取る限り、肺で呼吸をしていないのだ。
息づかいというものが、見えない。
そして耳。
耳と思しき穴はある。
肉食獣のような耳は無い。
獲物を捕らえやすいような造形に進化はしていない。
オルタスの人類を捕らえやすいように、人型に進化したのだろう。
昔話の問いかけを思い出す。
どうして、お口に牙があるの?
どうして、おててに長い爪が生えているの?
どうして、そんなに..
見つめる私に、侍女が唇をつり上げた。
弓なりになる赤い眼に、尖った牙が並ぶ口。
美女である故に、蝋のような肌に青白い血の流れが迫力を増す。
戦慄の微笑みである。
失礼とは分かっていても、私は足下から頭までぞわぞわと震えあがった。
すると、先を歩く誰かが、むせた。
吹き出しているのは、扇で口元を隠している姫のようだ。
どうやら、口を開けたまま震え上がっている姿が笑えたようだ。
確かに、だらりと垂れ下がる猫を抱えて、侍女の微笑みに口を開けて驚いている姿は妙である。
しかし姫よ。普通の民ならば、泣き出していると思う。
とは言わずに、口を閉じると侍女に意味のない頷きを返した。
豪奢な広間に宴席が設けられている。
室内の装飾は、柔らかな燭台の炎に照らされて、淡い光を放っている。調度の数々は、趣味の良い白と金で纏められ、素材のわりには目に優しい。
柔らかい色合いの家具も、豪華な食事も、そして主賓のコルテス領主とその姫も、全てが美しい。
主賓を上座に、主立った面々が席に着いている。
私はカーンの隣であり、何故か公爵の直ぐ傍の席である。
非常に居たたまれない。
一通りの礼儀作法は、領主館で教えられていたが、公爵殿の隣に座るような事は生まれて始めてである。
擦り切れて忘れ去られた礼儀作法を引っ張り出そうとするが、嫌な事に、高貴な生まれである死霊術師の記憶の方が、確かだった。
主賓の挨拶、姫のお言葉と恙なく体裁は繕われて進む。
晩餐の本来の礼儀ならば、両脇の者に交互に話しかけるとなる。だが、身分無き身の上であり、言葉が話せない。
だからおとなしく食事に集中する。
..のだが、公爵は運ばれてくる料理に対して、一つ一つ、私に説明し食べ方を教え、何処そこの味付けだと蘊蓄をまくし立てる。
姫の相手をして欲しいというのに、その姫は隣のサックハイムとの情報交換に没頭しており、小声で何事かを会話している。
その姫との会話に、いつの間にかサーレルまで加わり、微妙に胡散臭い雰囲気だ。
そしてカーンは、公爵の薦める秘蔵の酒を無言で飲んでいる。
酔わないのだろうか?と、ちらりと顔色を見るが、水を飲んでも、毒を飲んでも、その顔色は変わりそうにない。
おいしいとも不味いとも感じていないのか、飲んでは食事を無言で続ける。
ちょっとした苦行だ。
まぁ、晩餐の間の事だ。少しの辛抱である。
テトは別に設けられた小卓で食事をしている。
モルソバーンでの置いてきぼり以来、テトは寝る時も離れない。
そして連れ出したカーンは天敵という認識になっていた。
なので苦肉の策の小卓ご飯である。
そんな居心地の悪い食事は、内容が素晴らしすぎて、喉を通らない等というもったいない事はなかった。
特に新鮮な野菜の料理と果物を使った料理の数々は、気まずい雰囲気を忘れさせる美味しさだ。
最後の茶菓は、果物を糖液で煮込んだ物だったが、自然の風味を損なわず上品な甘さの物だ。
素晴らしい!と、その最後の菓子を賛美していると、又、姫が咽せた。どうやら、私は姫の何かを刺激するようだ。
彼女は、手持ちの美しい刺繍の布を口に当てている。
視線はあらぬ方に向いているが、やはり、私を直前まで見ていた様子で、サックハイムがちょっと驚いていた。
会話の途中で急に吹き出したようだ。
食卓の会話が途切れる。
決して私の所為ではない、と思う。
無言でカーンが、自分の菓子の皿と私の皿を交換した。
礼儀作法的には駄目だが、私はおとなしく匙を手に取る。
..素晴らしい味だった。
私は野営に混じり寝るつもりだった。
早く、この盛装を脱いで、いつもの小姓服に着替えたかった。
結局、私は田舎育ちである。
走って逃げられる服装が一番安心できた。
臭くても..。
等と、今日一番の衝撃を反芻していると、私はいつも通りカーンに抱えられていた。
抱えられ、話し合いの場に当然のように連れていかれる。
テトの歯ぎしりと威嚇音が後ろから聞こえた。
大人げない蹴りの仕草をするカーンに、私は目を閉じた。
見てないし私は寝たいのだ。下ろしてくれ。
と、主張する前に、その通された居間には、後発のオービス達がそろっているのを知った。
一応埃を落としたカーン達とは違い、彼らは旅装のまま、居間で茶を飲んでいる。
小山のような男二人と厳しい表情のモルダレオ。
エンリケ達は、合流できた事を喜んでいる。
確かに、スヴェンやオービス、そしてモルダレオが加わる安心感は大きい。
この夜の民の街で、安らげるのは、公爵の一族だけだろう。
イグナシオはスヴェンの傍に行くと、小声で何かやり取りを始めた。公爵は使用人に新たに飲み物を頼むと、それぞれに席を勧めた。
姫は退出しており、加わらないようだ。サックハイムも一緒だったので、ボフダンとの話し合いでもあるのだろう。
落ち着いた色調に立派な暖炉。
窓辺からは、夜の庭園が望めた。
スヴェンの持ち込んだ物は、小さな帳面である。
私には、それを見た記憶があった。
手渡されたカーンは、一通り帳面に眼を通すと公爵へと差し出した。
公爵は差し出された小さな帳面を見たまま、動かなかった。
見たく無いのだ。つまり、それの中身が何かを知っているのだろう。
中身とは、信者を語る裏切り者の名であり、知れば彼らを処分しなければならない。
公爵は息を吸い込むと受け取った。
しかし、開かずにその表面に指を置くに留めた。
「宗主継承の儀式はこの後、準備が整い次第、執り行います。立ち会いにはサックハイム殿とバルドルバ卿にお願いいたします。
そして明日、私共はシェルバンの首都に向けて出立します。
救いをもたらした貴方方をコルテスの全てをもって感謝をあらわしましょう。
コルテス領内、何れの地所にても宗主の名において歓待いたします。どうぞ、存分に御滞在ください」
了承の言葉をカーンは短く伝えた。
同行する。という言葉が無かった事に、私はため息をついた。
シェルバン公が変異体や異形の元であるならば、その領地に入れば殺し合いが待っている。
殺し合いとは殺生の罪だけではない。
恨み辛みを背負うという事だ。
もちろん、シェルバンへと向かう事に変わりは無いのだが、それでもコルテス公と同行すれば、更に殺し合いが激しくなる。
見殺しにする卑怯な考えだとしても、獣人兵が先陣を切るのは止めたかった。
マレイラの問題は、複雑な土台の上にある。
武力上位の獣人兵が介入するだけで、どんな憎悪を彼らは向けられるか分からない。
そう思うと、卑怯と思われようとも、公爵への手助けは最小限に留めるべきだ私は考える。
「姫も暫くは、この館で休まれるが良い。貴方に似合いの衣装がたくさんある。皆、アルディラ以外の女の子の客に喜んでいるんですよ。」
そんな卑怯な考えの罰があたったようだ。
無表情を保つのに、頬がこわばる。
思わず、抱える腕を掴んだ。
「今までは、氏族の娘達が遊びに来ていたのですが。それも途絶えたそうです」
「何故だ?」
カーンの問いに、公爵は笑った。
「多分、いただいたこの帳面が教えてくれるでしょう。さぁ、姫。お部屋に案内させますよ。バルドルバ卿はこれから儀式に立ち会っていただくことになります。姫は猫と一緒にお休みください」
私は観念して頷いた。
本能的恐怖は、理性で押さえるべきものだ。
夜の民の館といえども、彼らは公爵の民なのだ。
それに、もてなしを受けるのは礼儀である。
「まだ儀式の時間には間があるのだろう?」
カーンは椅子に深く腰掛けると、オービス達の方へ頭を動かした。
「此奴等の報告を聞きたい。コルテス公とサックハイムは儀式の準備に入ればいい。お呼びがかかるまで、ここで待とう。オリヴィアにも話がある。俺が儀式に呼ばれる時に、眠る部屋へと案内を寄越してくれ」
それが全て決まっている事柄のように、カーンは言った。
しばしの間があく。
公爵は了承すると部屋を出ていった。
それに夜の民も続く。
彼らの気配とも言えない微かな感触が離れていった。
「それで?」
カーンに促されて、スヴェンが懐から紙切れを取り出した。
帳面の切れ端だ。
受け取ったカーンは、眼を通すと傍らの私にも見せた。
死んだ神官の手帳の切れ端だ。
それをスヴェンが引き抜いた理由はわからない。
だが、それは確かに奇怪な出来事の全てを説くように思えた。
水妖を妻にした男。
彼は信仰を失いし者。
その者は、水妖をこの世につなぎ止めるため、土地に囲いを作った。
水妖の餌は人。
その子供は水に潜む。
嘗ての罪により、シェルバンに沈む。
信仰を失いし者は、マレイラに沈む。
この地を開いたマレイラの民は、クラヴィス・オルウェンに助力を求めたと思われる。この点を要検証。
と、記されていた。
クラヴィス・オルウェン?
どこかで引っかかりを覚える名だった。
「クラヴィスとは何者だ?」
それにスヴェンが答えた。
「異端審問官が最初に学ぶ邪教徒。黒のクラヴィスと呼ばれる神官の名前だ。
この名を記した物があるだけで、その持ち主は審問官に処刑される。公爵に渡す前に破りとったのは、後々、公爵に災いをもたらすと共に、無用な干渉をマレイラに持ち込むのは不味いとの判断を勝手にしたからだ。」
「かまわん。で、何故、この邪教徒の名があがるのだ?」
カーンはサーレルに紙片を渡した。
「クラヴィスの最後は謎とされている。王国以前の混乱期にあった国を幾つか滅ぼしている。だが、最後はしかとした記録がない。何処かで没したのか王国誕生前には、その姿を消している。」
スヴェンの説明に、紙片を暖炉の炎に投げ入れたサーレルが言った。
「問題は、死んだ神官は、どうやら審問官の使いであった可能性がある事。つまり、マレイラの騒動は既に彼らの関心を惹いていますね。今は変異体の騒ぎで、軍部主導となっていますが。何れ彼らはこのマレイラに来るでしょう。」
黙って聞き入るカーンに、サーレルは続けた。
「そして、この夜の民の街です。コルテスに夜の民が暮らしていると知ったならば、強硬派は焼きに来ますよ。そして、当然のように夜の民もコルテスも、そしてマレイラの民も反抗するでしょう。」
「それの何が問題なんだ?」
イグナシオの言葉に、サーレルは肩を竦めた。
「問題は無いですよ。ですが、貴方も理解している。夜の民を見つけたからといって、この街を焼き討ちしますか?貴方はしない。そして、そこのスヴェンでさえ、人を喰わない夜の民を、貴族の持ち物を焼こうとは考えない。全てを異端を免罪符にして行動するなど、知能が低いと証明しているようなものですからね。」
「宗教的問題は、持ち込むとしても祭司長の所。内乱状態や異端審問官が乱入する事態を中央は望んでいない。加えるなら、浄化もだ。東マレイラには問題など無い。そう言う事か?」
カーンの言葉に、サーレルは頷いた。
「変異体の献体を中央に搬送するのは危険として、調査団がアッシュガルトに来る事になった。街の地下には巣のような物が構築されているのも発見した。」
モルダレオは茶を飲むと続けた。
「第八は今回の騒動に対処する為、循環から外された。彼らは、マレイラに常駐だ」
エンリケが鼻で笑った。
「腐土で役に立たぬのだ。当然の処分だ。」
「第八に代わる組織を立ち上げるか、兵団で検討中だ。多分、名指しされるぞ」
モルダレオの指摘に、カーンは何も言わなかった。
暫く、それまでのそれぞれの行動が語られた。
城塞も変わりなく、一応の落ち着きを見せているようだ。
私は彼らの声を聞き流しながら、ずっと考えていた。
クラヴィス・オルウェン?
黒のクラヴィス?
もやもやと何かがひっかかる。
邪教の徒?
私は首を傾げた。
一人だけ、それと思しき人物が記憶にあった。
グリモアの記憶にそれはある。
邪教の徒とは彼の父親であり、彼自身は、非常に聡明で心正しい男であったと。
父親の姿、名は思い出せないが、非常に大柄な男でいつも野蛮な格好を好んでしていた。
クラヴィスは、父親の罪を購い、塩の柱となったと思う。
では、この記述にあるクラヴィスとは誰の事だ?
「何を考えている?」
私の沈黙に、カーンが問うた。
全ての事を話す必要は無いが、私自身は賢くない。
賢く思えるのはグリモアであり、それに吸収された知識だ。
だから、話してよいのかどうか、わからない。
ただ、問われれば、答えるのが私だ。
嘘を減らすと約束したから。
(クラヴィス・オルウェンは、罪を購い塩の柱となった。王国が始まる以前に没している。場所は、西の遺跡だ)
「嘘をつけば死ぬぞ」
スヴェンのあげた声に、私は彼を見つめた。
私の声は、既に彼にも届くようになったのだ。
(クラヴィスは、復讐者となった父の罪を妹の為に代わりに購った。故に妹は命長らえ、彼は父と共に塩の柱となった。その悪名は混同され、正しき道をとった彼こそが悪とされた。これが我がグリモアの知識だ。)
「西の遺跡とは、どの辺りの事だ?」
イグナシオの問いに、私は記憶を手繰った。
(都跡は街が築かれた。魔の爪を避ける道を曲げて走らせている街だ。その街の西に丘があり、その岩屋の一角に塩の柱の跡がある。それも昔故、残っているだろうかわからない。だから)
私は眼を細め、暖炉の炎を見た。
(クラヴィス・オルウェンの名は不可解である。何故、ここでその名が上がり、このマレイラの術に関わるか、わからない。)
「その塩の柱のあるという場所には案内できるか?」
スヴェンの問いに、私は頷いた。
街の姿、岩屋の形、見ればわかるだろう。
「スヴェン。お前の趣味は自重しろ」
カーンの言葉に、スヴェンはニヤリと笑った。
凶暴な顔が、何故か人の良さげな雰囲気に代わる。
「もし本当なら、アイツ等の揚げ足をとれて愉快じゃないか。自分から焼け死ぬ覚悟があるか試してやらねばならん。愉快、愉快」
「クラヴィス・オルウェンは邪教徒ではないのか」
イグナシオの呟きに私は答えた。
(邪教徒は彼の父親である。父親は娘、クラヴィスの妹を生け贄にし、復讐の為に一国を滅ぼそうと邪な呪いを行った。異父兄弟である妹を哀れに思ったクラヴィスは、代わりに呪いを止め、妹の生け贄としての運命を自分が代わった。後の災いを絶つ為に、父親諸共生きたまま塩の柱となった。だが、呪いはそれでも猛威をふるいその国は滅びた。それでも、生かされた娘が人を導き、全てが滅びる事はなかった。
これがグリモアの記憶するクラヴィス・オルウェンである。)
「証明する術はない」
私の首を握るとカーンは言い切った。
喋るなと表情が言っている。
「お前さん。此奴等の前で、あんまり、話すんじゃぁないよ。此奴等は馬鹿者だからね。お前さんに悪い事をするかもしれん。特に、そういう話は、カーンにだけするんだよ」
オービスが茶菓子をもそもそと食べながら、私に言った。
相変わらず穏やかな語り口で、私を諭した。
(悪いこと?)
「イグナシオは、お前さんを殺す事はないが、スヴェンはわからない。こいつは、お前さんを直接痛めつける事など絶対に無いが、事、そういう話になると見境が無い。異端審問官が嫌いなんだよ。だから、お前さんは、これの前では、あまり、話さん方がいい。だろ、スヴェン?」
私がスヴェンを見つめると、彼は笑って頭をかいた。
オービスは、指についた茶菓子をはらうと、相方を軽く叩いた。
「それから、まだ、言っていなかったが。今日は大変、可愛らしいぞ、その服装も良く似合っている。誰も褒めておらんようで、すまなんだな。」
「おう、そうだな。流石、洒落者の公爵の見立てだ。よう、似合っているぞ。我々が公爵を追う間、この街でゆっくりと体を休めるといい。」
スヴェンのとってつけたような世辞と、夜の民の街での滞在という話題が、私を脱力させる。
それに首から手をはなすとカーンはニヤリとした。それから曲がっていた私の銀冠を正すと話の続きに戻った。
ため息だけが胸からもれた。




