ACT193 果ての花園に咲く 其の一
ACT193
リスロンの美しい街並みを抜ける。
すると街の中央には、瀟洒な館があった。
屋敷を囲う低い鉄柵、冬でも美しい庭園。
嘘、のように穏やかな夜だ。
街は暖かな角灯が、そこここに吊されており、うっすらと明るい。
水の流れる音、街の住人の微かなざわめき。
ここにはアノ山椒魚擬きも異形の残滓もなかった。
私達を囲む夜の民には、元々、そのような害獣を街に入れる隙は無いのだ。
彼らは物音も息づかいも感じさせずに動く。
訓練された狩人でさえ比較にならない。
まさに野生の肉食獣だ。
変異体であろうと、異形であろうと、目にすれば食いちぎり引き裂く。だから、この街には彼らが許した者しか入れない。
野獣の檻にちょっかいを出せば、自分が餌になるのだ。
確かにその中心に大切な者を隠せば一番安全ではある。
だが、その隠された者は、どんな思いで生活していたのだろうか。
つらつらとそんな事を考えている内に、館の前に到着をした。
隊列は館前の開けた場所に落ち着く。
中には入らず、また、いつでも動けるようにしておくようだ。
夜の民は、公爵とカーンだけを館の中へと促した。
何も恐れる事は無い。等というお為ごかしを言うつもりはカーン達にも無い。
サーレルは即座に断りをいれ、まずは公爵の身内だけで存分に再会を喜びあえばいいと口を挟んだ。
それに公爵は同意すると、彼の奴隷であるニルダヌスを連れ、夜の民に伴われて館に入っていった。
カーンも、そしてサーレルを含む仲間達も、その後ろ姿を見送る。
これが罠である可能性は低い。
だが、これが獣の口内では無いとも言い切れない。
そして静かな緊張の時間が過ぎた。
館の扉が再び開くと、公爵とその傍らには一人の女性が伴われていた。
公爵の娘姫だ。
疑いようのない面差しの相似と雰囲気は、その女性が公爵の血縁であると証明していた。
だが一つだけ、違和感があった。
黄金の髪色は父である公爵よりも色濃く、その青い瞳は氷のように薄い色だ。
頬骨高く通った鼻筋に優美な口元、高い上背に気品のある物腰。
貴婦人、という言葉がぴったりだ。
ただし、彼女は公爵よりも年上に見えた。
この事から、彼女の母親が長命種ではない事が伺えた。
本来なら、妾妃ならばやはり同血族からの縁を頼るものだと思うのだが、どうやら、長命種以外の人族種の女性であるようだ。
次期、宗主として彼女が選ばれる理由は何だろう?
あまり趣味の良くない勘ぐりである。
だが、考えずには捨て置け無い事だ。
長命種以外の宗主を置く理由。
逆に言えば、長命種との縁を持ちたくない理由だ。
手を携えて歩み寄る二人を見て、私は美しい姿にため息をこぼした。
美しいと同時に、強い信念が彼らにはあるのだろうと。
公爵は、自分の代で、呪術の誓約を終わりにするつもりなのだ。
元々、鎮護の道行きを保つ長命種の宗主の犠牲を、自分の代で終わらせるつもりだったのだ。
彼が長生きだろうと途中で死のうと、自分の代で全てを終わらせる。
そして跡継ぎである姫、または、姫の子供の代には、この呪術を消滅させて引き継がせないと決めていたのだ。
そして、もう一つ。
コルテスの土地に、純人族主義者の血を拒否する為だ。
何がおきたとしても、コルテスの姫が短命で亜人よりの人族ならば、その子供は長命種にはならない。
長命種であり純血統主義の血は、拒否されるのだ。
そして対外的な印象の転換だ。
少なくとも夜の民を受け入れていたコルテスの領地では、対外的に主張するほど人族主義者などいないのだ。
人族主義者とは、中央からの干渉を和らげる口実なのだ。
しかし、コルテス公が娘の代に移った時、シェルバンとの関係が悪化した現在の状況が続くならば、中央を頼る事になるだろう。
その時、頑迷な長命種の貴族という印象ではなく、その後を次いだ融和を進める宗主という立ち位置は重要だ。
ニコル姫の後、本妻を置かない理由もその事にあるだろう。
美しい姿は脆くも見えるが、彼らは夜の民さえも従える強者だ。
完璧な淑女の礼をとられた我々は、兵士達は無骨な騎士の返礼を、私は膝を折って挨拶を返した。
こうして公爵の帰還は一応果たされたのだった。
テトだけは機嫌が良い。
公爵は宗主の権限を娘に委譲する儀式の準備で姿は見えない。
獣人兵達は、館の庭で野営の準備をしている。
リスロンの歓待を断っての事だ。
カーンとその仲間、そしてサックハイムだけは、その歓待に呼ばれる事に。流石に、全てを拒否する事は無理だった。
そして、当然のように私も招かれている。
機嫌が良いのはテトだけで、私は内心冷や汗をかいている。
館の住人は全て、夜の民なのだ。
そして私を取り囲んでいる女達も、全て赤い瞳をした夜の民である。
美醜からいえば、硬質な美貌の大柄な美女だ。
骨格も力強く、鋭角な顔つきは、肉食獣のそれである。
つまり、目つきが違った。
腰を抜かさずにすんでいるのは、偏に私も人外であるからだ。
そして節操の無いテトは彼女らの歓待に進んで身を任せている。
毛並みを整えられ、餌を与えられ、そして撫で回されている。
撫で回す顔つきが怖いのだが。
しかし、そんな私も彼女達に手入れをされていた。
どうやら、着飾って宴席に出ろという事らしい。
姫の宴席、つまり、儀式が終われば宗主となる姫の祝いの席に顔を出さねばならないようだ。
もちろん、カーンを通じて丁寧に断ったのだが、押しの強い公爵が許さなかった。
髪を梳かれ当初は着替えて終わりのつもりだったようだが、女達は私の匂いを嗅いで顔をしかめた。
臭いらしい。
これには私も動揺した。
どうやら、馬具と男達の武装と武器の油や、その手の匂いにまみれているらしい。
不潔という意味ではないが、相当に臭うようだ。
長く一緒に行動し野営に雑魚寝と、どうやら兵士並の匂いらしい。
夜の民に臭いと言われた。
その衝撃は、異種族に喰われるという心配を凌駕した。
まぁ、夜の民が殊更匂いに敏感であるのも確かだ。
丸洗いされている間中、いろいろ言い訳を考えた。
食材の臭みをとるのはあたりまえで..等と考えると嫌だが。
二度洗いされて簡素な服に着替えさせられると、髪の毛を手入れされる。
与えられた服は白地のツルリとした礼装用の婦人服だ。
よく私の大きさの物があったと驚く。
子供の服ではない。
胸元に華麗な刺繍があり、後は装飾のない儀式服のような作りだ。
髪もほどかれ、額に銀環を置かれる。
喋れない私に、女達も終始無言だ。
ただ、着付けを終えると頭を撫でられた。
恐ろしい女達の表情は無いが、無用に怯えた事が悔やまれた。
着替えを終えると女達に小さな応接室らしき所へ通された。
そこで茶を供されると、彼女達は退出した。
テトと二人だ。
二人という言い方に少し気が抜ける。
そのテトは窓辺に上りあがると外を見て尻尾を揺らしている。
私も窓辺に立った。
高価な窓硝子は薄く、夜に私を写していた。
紋様は相変わらず私の顔にはしり、喉元では首に巻き付く。
両手を前で掲げれば、手の甲にも刺繍のように広がっていた。
白い衣装が、殊更私を奇妙に見せた。
前の私なら喜んだろうか?
綺麗な服を着て、手にしたこともない銀環をいただき。
前の私なら?
そこまで考えて唇を歪めた。
前の自分も皮肉な性格だ。たぶん、どこかで覚めた事を考えただろう。
垂らされた髪を耳にかける。
耳の模様は特に奇妙で小さな花のように見えた。
私の花は供物の印。
罪人の花はどんな花だろうか?
着てきた物も片づけられ、私の手の中にはオービスの笛だけがある。
そう言えば、そろそろ後発の彼らも追い付く頃合いではないだろうか。
笛を首から下げるとテトを抱き上げた。
すると、扉を叩き訪う者がいた。
部屋に入ってきたのは、公爵であった。
「これはこれは、とてもお美しい。レウィシアの花のようです。」
適当な世辞に私は肩を竦めた。
公爵の方は、花と言うより豪華な宝石のようになっている。
儀式の礼装は白地に黄金の刺繍が施されており、並の美女では近寄ることさえ無理だろう。
そんな男のおべんちゃらは、酷くさむい。
私の無表情に、彼は苦笑いを浮かべると手をさしのべた。
「少し二人でお話をしましょう。何、ほんの少しですよ。さぁ座って」
得体の知れない美麗な微笑みを見返すと、私は公爵から遠い椅子に腰掛けた。
それに公爵は苦笑を深めた。
「帰路、アーベラインに会ってください。これは何があってもです。私が死んでも、このマレイラが終わってもです。」
唐突な言い様に、嫌な顔を公爵に返した。
「アーベラインは貴方を知っています。」
意味の通じない事に、私は首を傾げた。
「貴方の知らない、貴方を知っている。アーベラインがニコルを連れてきました。」
ニコル姫を持ち出されて、私は思わず言った。
(姫と何が?)
私の声に、公爵は笑った。
「あぁ、聞こえた。貴方の声ですね。」
公爵は落ちる髪を後ろに払うと、足を組んで深く椅子に腰掛けた。
「ニコルは、いつも話していました。王宮にいるお友達の事を。彼女のお友達はいつも眠っています。時々、目を覚ましては彼女と楽しい話をします。彼女は、ニコルの友達で、ニコルの」
そこで言葉を切った公爵は、目を閉じた。
「その友達は、ちょっと変わっています。美しい琥珀の髪をしており、いつも夢の中にいます。変わった耳をしていて、美しい声をしています。時々起きては、不思議なお話をする。そう、私は彼女に聞きました」
私は訳がわからず、公爵の顔を見ていた。
「姫、オリヴィア姫、貴方はまるでニコルの語る眠り姫のようです。是非にも、アーベラインに会ってください。ただし、あの男には内緒です」
(男?)
「バルドルバ卿は大公家の者ですからね。貴方の味方であると確信がもてなければ、決して貴方の事を教えてはいけない」
(私の事?私は辺境の孤児に過ぎぬのです)
「貴重な種の貴方が孤児?例え親兄弟が死んでいたとしても、貴方が孤児になることは、中央大陸の王国内ではあり得ないのですよ。故意に隠されない限り」
(それは私が孤児で、隠される理由は出自ではなく)
「出自の理由以外で隠されたのが偶然かもしれないですよ。貴方は貴方を知らない。アーベラインが色々と教えてくれるでしょう。是非に、貴方だけでアーベラインに会うのです」
私は公爵を見つめたまま、考えていた。
これ以上の柵はいらない。
もう、これ以上の何かは許容できない。
私が何者であったとして、私の供物としての運命は変わらないのだ。
だが、もしかして、その出自や私が何者であるかによって、この今の状況が運命が決まっていたのだとしたら?
私は知らずに死ねるだろうか?
沈思する私に、公爵は言った。
「貴方とニコルを会わせたかった。デフロットも」
とても面白そうに彼は言った。
「デフロットも驚いたでしょう。墓に貴方が現れて。死霊となった甲斐があるものです」
思わず顔を上げた私に、彼は笑顔だ。
「墓で会いました。私の前に怖い顔で。私は目覚めて、途方にくれ、そしてデフロットの死を知り、うらやましかった」
彼は笑顔で頬杖をついた。
その仕草は夢を見ているかのようだった。
「皆、私をおいて死にました。私のこれからは一人です。娘もいますし氏族もいます。贅沢な事もわかっていますが、私は、孤独に耐えられないとわかっています。私は、じきに狂うでしょう」
たじろぐ私に、公爵は目を向ける。
「だから、貴方は私を見ると怖がる。私が半ば狂っているのを知っているからです。」
確かにそうかもしれないと、私は何も言えなかった。
「ニコルが願うから、私は良き宗主として生きてきた。復讐を諦めていきてきました。ニコルを殺した者どもを見逃して、怒りを押し殺して」
(姫は)
「そうです。姫は、殺されたのですよ。水遊びで船に乗っている時に、矢をいかけられて」
驚く私に公爵は続けた。
「鳥と間違えたと相手は言いました。狩猟の途中で間違えて矢があたったと。その狩人はシェルバン人でした。シェルバン公は狩人を処刑しましたが」
シェルバン公が、命じたのだ。
ニコル姫を、殺せと命じた。
(何故です?)
「私が姫と婚姻する前、妾妃としてあげられた女がいました。ご存じでしょうか?彼女は、コルテスの氏族筋の娘という話でしたが、実際はシェルバン公の娘だったのです。彼女と私の間には、息子がいます。しかし、シェルバンの介入をコルテスに許す原因は排除せねばなりません。ですので、私は彼女と縁を切りました。」
不穏な言葉に、私が嫌な顔をすると、公爵は笑った。
「偽らず、シェルバンの娘として婚姻を結ぼうとすればよかったのですよ。嘘をついたのは相手です。ですが、これにより、ニコルの死をもたらしたとすれば、やはり私が原因なのでしょうね」
(ニコル姫様を殺して何とするのです、シェルバンの目的がわかりません)
「シェルバンは、コルテスが欲しいのです。自分達は同じ開拓の祖を持つのに損をしていると。シェルバン人の息子がコルテスの宗主になるという夢を見ているのです。ですが、残念ながら、その息子とされる子供には、私の血は混じっていない。」
公爵は実に愉快と思っているようで、そら恐ろしい笑顔を浮かべていた。
「私は嫌な人間ですから、正妃がくるまでは男子の嫡子を誕生させたくなかったのです。ですので、妾妃が男子を産んだ。否、身ごもるという話は冗談としか思えなかったのです」
目を丸くする私に、少し罰の悪そうな顔で彼は言った。
「姫に言うのも何ですが、私は間男に寝取られたというわけですね。ですが、男の見栄で一応、その点を明らかにすることはしなかった。これが、私の一番の失策でしょう。そうすれば、シェルバン公も下手な妄想を抱くこともなかった。」
打ち明け話に、私は暫し言葉が無かった。
「しかし、シェルバン公が暴走をするのならば、コルテスは彼らを阻止するしかありません。マレイラは、三つの主立った領主により平和を保ってきました。保つために、多少の齟齬は見過ごし見ない振りをしてきたのです。
ですがそれは間違いでした。
祖の人々が裏切り者を許した事が間違いだったのです。人の良き部分を見ようとした、生け贄になった最初の人々が優しすぎたのです」
公爵の言葉ももっともだと思うが、それと同時に、優しすぎた人々が、マレイラを守ってきたのも事実だ。
それに公爵が、シェルバン公と一緒に死のうと考えているのも、結局は優しいからだ。
ふと、その時、私の中で何かが動いた。
そよりと風が吹くように、動いた。
それは広がり、私の体の隅々まで広がる。
テトはそれを感じたのか、私を見上げると小さく鳴いた。
私を何かが動かした。
それが理の秤の傾きである事は理解していた。
そしてその秤の傾きを正す一滴の慈悲を私に指図した。
グリモアは邪悪である。
だが、それと同じく、正しき秤をもっている。
(公爵様)
私は彼に呼びかけると、ある事を願った。




