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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
212/355

ACT192 我が剣

 ACT192


 美しい白い街並み、運河に囲まれたリスロン。


 荒れた道の先には、洗練された都市が忽然と姿を現す。

 それは茜の空も相まって、幻想的な眺めであった。

 高い城壁の代わりに、幾層もの運河の流れが街を取り巻いている。

 複雑な流れは、街を目の前にしながらも中々に近づく事を許さない。

 そして近づいてみると、その運河が近年建設されたものではなく、時代を経た古い物だとわかる。


 巨大で古い建造物。


 街は、この運河の場所に後から広がった。

 元々、このリスロンは湖沼からの流れが行き着く先の一つである。

 その為、地盤は緩く都市を築くには向いていなかった。

 しかし、この古い時代の運河建築を補修拡大することで、水の流れを管理する事ができるようになった。

 そして、その水の流れによる運河交通による物流も拡大し都市が広がる。


 故に、普通の道が少ない。


 水路が主な交通手段であるため、馬や人も船を利用する事になる。

 それでもあくまで地面を選ぶと、今の私達のように、街の円周を外側からグルグル回る事になる。


 橋もそんなに架かっていない。


 外壁と同じ役目と考えれば、水路に橋がいくつも架かっているのもおかしいのだが。

 そして外周を徐々に進めば、当然リスロンの警備兵にも目に付く訳で。

 物々しい獣人兵の騎馬が徐々に近づいてくるのだ。

 私がリスロンの衛兵なら、直ぐに本隊に連絡するだろう。

 そして当然の結果、リスロンにいるコルテス兵の一団がやってきた。


 リスロンには先触れは出していない。

 公爵がいなければ、リスロンの者は絶対に門を開かない。

 そうアーベラインが断言したからだ。


 だからだろうか、カーンとその仲間の位置どりは、カーンを中心にしていつでも攻撃と離脱が可能な場所に陣取っている。

 そして、それに続く兵隊達も、常に進むよりも撤退行動がとりやすい並びで馬を進めていた。

 荷駄に関して言えば、究極は捨てさるようで、その時は、私の護衛についている誰かが、私を掴んで逃げるつもりのようだ。


 公爵とリスロンの者が接触し、その対応を見るつもりなのだろう。


 あの鳥頭の甲冑の集団が近づく。

 彼らは隊列を止めると、誰何した。


 公爵が進み出る。


 暫く問答が続いた。








 陽が沈み、水の流れに風が吹く。


 私達はリスロンの街へと続く門の前で足止めされている。

 疑われたというよりも、公爵が言うには当然の手順らしい。

 リスロンの守りは、コルテスの中でも一番堅固、故に色々とあるようだ。

 だが、見た限りは戦の為の壁もない、風光明媚で洗練された街だ。

 堅固というからには、余程の武力が隠されているのかも知れない。


 私達は道の真ん中で立ち止まり、じっと相手の出方を待っている。


 旅人も商人も、誰も道を通らないので、待つ間、邪魔にならずにすんだ。変異体の騒ぎも一因だろうが、元々人は水路を利用するからだ。


 飽きたテトが荷駄から降りると、水路を跨ぐ道橋の欄干に登った。

 尾を揺らし風に吹かれて目を細めている。

 時々、小さく鳴いて何か喋っているようだが、意味は分からない。

 私も座り疲れて荷車から降りる。

 欄干から下を覗くと、澄んだ水の流れがあった。

 魚影や藻がゆらゆらと揺れている。


 夜が来てリスロンは白い影だ。


 すると、永遠に街へは入れないような気がした。


 獣人達は馬から下りてはいたが、気を緩めた様子はない。

 むしろ、時が過ぎる毎に緊張が高まっている。

 そして公爵は、いつもの調子だ。


 飽きたテトと私に気がつくと、隊列の先頭で手招いた。


 気がつかない振りをしていたが、最後にカーンが諦めて私を呼んだ。

 仕方が無いので、テトを抱えると前に進んだ。


「暇つぶしに、一つ、お話をしましょうか」


 公爵に言われて、私は周りを見回した。

 サックハイムは鞍の上で寝ている。

 その隣のイグナシオも、よく見ると寝ていた。

 エンリケは器用に馬の背で何かを書き付けている。

 緊張感漂う兵士達の先頭は、大分緩んでいる。

 サーレルは小型の双眼鏡でリスロンを見ていた。


「交代で休んでいる。気にするな」


 カーンはそういうと私をつまみ上げた。

 当然テトは怒りだし、鞍前に乗せられた私の腕の中で背後の男を威嚇している。


「俺の側が一番安全だ。少し黙れクソ猫」


 それに対する答えは前足爪付きの攻撃である。

 止める暇もない。

 素早い一撃はカーンの鼻先を掠めたが当たらなかった。


「お前、川に捨てるぞ」


「やっぱり、私の膝に座りましょう。姫」


 テトとカーンが揃って睨むと、公爵は肩を竦めた。


「じゃぁお話をしましょうか」


 川風に吹かれながら、公爵は話し始めた。


「コルテス宗主の生死が不明の間、家督を継ぐ者の身の安全を図らねばなりません。では、どうやって守るのか。

 私を守っていた者達は、死んでいます。

 その結果を考えれば、余程の者でなければ命は長らえない。

 アーベラインは、私の子を隠しました。

 もちろん、誰もがリスロンに居る事は知っています。しかし、リスロンの何処にいるのかはわからない。そして、リスロンを攻撃しても、見つける事ができなかった。」


「だから、アーベラインは捕らえられたのだな」


 カーンの言葉に、公爵は頷いた。


「他の意図もありましたがね。隠された場所と、そこへ至る鍵を知りたがったのでしょう。アーベラインはリスロンに隠し、我が剣に守らせました。」


「我が剣?」


「コルテス宗主だけに仕える兵士です。宗主が不在の間、我が剣に願うことのできる者は少数。アーベラインは、彼らに我が娘を守る事を誓わせてリスロンに隠した。」


「アーベライン以外は誰が命令できたんだ?」


「氏族の長達ですよ。殺してから気がついたんでしょう。コルテスの剣の存在は、宗主が不在でも動くと」


 その奇妙な言い回しに、私とカーンは顔を見合わせた。

 公爵は、そんな私達を見て笑った。


「しかし、我が剣にも一つだけ使い勝手の悪い制約があるのです」


「制約?」


 その時、遠くリスロンの門が音をたてて開いた。


「彼らは夜の民なので、昼間は地下に潜るのです。もちろん、陽射しで溶けたりはいたしませんが。どうしても、陽の光を嫌うのですよ」



 夜の民



 その一言で私達は、否、私は震え上がった。


 辺境の狩人としても、血生臭い死霊術師の残滓にしても、人の部分は、縮みあがった。

 夜の民とは、唾棄すべき物として、オルタスの人々には語られる存在である。


 イグナシオもサックハイムも目覚めると、公爵の次の言葉を待った。

 カーンだけが面白げに口を笑いに歪める。


「そうです。我がコルテスの剣は、夜の民ズーラの子らです」


 リスロンの門が開くと、白銀の甲冑を着込んだ姿が出てくるのが見えた。

 彼らは松明を掲げてはいたが、その面差しは青白く、生きた人には欠片も見えなかった。


「コルテス宗主は、彼ら夜の民と先祖代々契約をしてきました。私達だけは、彼らを迫害や差別から守ると。そして、彼らも誓いました。コルテス宗主が彼らの一族を庇護するならば」


 青白い皮膚に赤い眼球。

 砂色の髪に尖った歯。


「決して人の血を啜る事はしないと」


 夜の民とは、人肉嗜食の民であり、異端審問官の一番の敵である。


 イグナシオが喉奥で唸った。


「彼らはコルテスに住み着いて以来、人肉は食べていませんし、死肉もあさってはいません。謂わば改心したのです。我々の領地で調達できるラプンという豚肉で飢えを凌いでいます。」


「夜の民が現存するとは」


 エンリケが興味深そうに近づいてくる一団を見つめた。


「リスロンの過半数は彼ら夜の民が暮らしています。夜の間ならば、何が攻めてこようと無敵。飲食もラプン以外は必要ではない。怪我も夜の間ならば、直ぐに回復します。彼らは悪食以外に欲求という物がないのです。なので人の欲に惑わされる事もありません。」


「昼間はどうするんだ。夜が無敵でも昼には戦えないのでは」


 カーンが物珍しげに夜の民に目を向けている。

 それに公爵は、楽しそうに付け加えた。


「コルテスに住み着いて以来、ラプンを食し生活している彼らは、昼間の活動もできるようになりました。昼を嫌いますが、活動できないわけではありません。ただ、夜ならば無敵なのです。そして昼でも十分、戦えます。」


 白銀の甲冑に身を包んだ一団は、獣人兵士にも劣らぬ大きな体をしていた。

 彼らは公爵を認めると膝をついた。


 公爵は彼らに不在の詫びと、忠義を労う言葉をかける。

 夜の民の返礼は、公爵の身を守れなかった事、領内の不穏な動きに取り残されていた事の不徳を詫びる言葉だった。


 彼らのやり取りを聞きながら、朧気ながら公爵が拉致された状況が分かった。


 公爵は、姫の騎士とその一団に守られて本拠地にて執務を執り行っていた。

 だが、その中心たる騎士デフロットが毒に倒れる。

 その騒ぎの間に公爵は拉致されたようだ。

 デフロットに盛られた毒は、彼を苛み、墓守りとしての使命をやがて奪った。

 残酷な毒だったらしく、長く彼を苛み殺したようだ。

 公爵の身と、彼が守る墓が隣り合わせのように近かった事を考えると、彼らを殺そうとした者は、悪意の固まりに思えた。


 毒を盛った者、公爵を拉致した者。


 何れにしても、姿を現さずに事を為した。


 アーベラインはその時から、夜の民を動かし密かに嫡子を隠した。

 公爵の身を探すことよりも、デフロットに毒を盛った裏切り者を探すよりも先にだ。


 それが功を奏し、彼ら氏族の長が抹殺されるという事態にも、嫡子だけは守れた。


 夜の民には、見えたから。

 見えない物も、見えたからだ。


 彼らは、理の世界の中に生きる人としては、一番、今の私に近い。

 彼らは、人と魔の境界に生きている。

 夜の人、夜の民は、滅ぼされ消えてきたオルタスの民族の一つとしては、かなり古い。

 その人肉嗜食の性状がなければ、実に万能な存在でもある。


 だが、このオルタスの世界で、彼らを人とする思考の規範は無い。


 特に神聖教徒にとっての彼らは悪である。

 彼らの祖は、神であり人を捕食する者であり、上位の存在を名乗っていたからだ。

 イグナシオの葛藤も当たり前のことだ。

 だが彼は兵士であり、彼の憎む相手は理に逆らう者であり、改心したとする人肉を食べる民ではない。


 では、私はどうか?


 野生の肉食獣も恐ろしいが、飼い慣らされた肉食獣も怖い。と、いったところだ。

 正直、その赤い瞳は死霊術師と同じく、暖かみの欠片も見えず不気味である。彼らにしてみれば、人は牛や豚や鳥といった家畜に等しいのだ。恐れない方が不自然である。


 そして、バンダビア・コルテス公爵の自信は、この夜の民を掌握している事なのだ。

 彼らの赤い瞳は、宗主への絶対の信頼と服従に光り輝いている。


 夜の民は、私達に黙礼しリスロンへと促した。

 宗主の身を救い守った者として受け入れると。

 受け入れられた私達は、冷や汗をかきながらも彼らの招きに応じた。

 こうして私達はリスロンの門を潜った。



 リスロンは、美しい白の世界ではなく、夜の闇の街だった。

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