ACT191 願い事ひとつ
ACT191
空に青白い光りが走り雷が雨を呼んだ。
すると..
モルソバーンから北北西に一日と半、馬で進むとコルテス領軍の砦があった。
木々の間から岩肌に築かれた砦が見える。
すると、道のそこここに残骸が放置されていた。
残骸と一口に言ったが、それは馬車であったり何かの建物であったりと、どれも半ば焼け焦げて元の様子は判別できない。
戦の後というには死体もなく、激しい争いの痕跡も無い。ただただ荒れ果て何かがあり、人が逃げ去ったという感じだ。
それは砦に近づくほどあからさまになり、そして砦自体からも煙が幾筋か上がっていた。
死体が無いという事が幸いかどうか。
公爵と私達は無言で馬を進める。
私は荷駄で揺られながら、焼け焦げた物を見つける度にびくついていた。
だが、恐れたような何かはそこには無く、燃えた何か以外は残っていなかった。
残る。
つまり、人の恨み辛み苦しみの残滓だ。
ここで何かの争いがあったのなら、そういった物が残っているのではないか?と、不安になっていたのだ。
先行していたサーレルが戻ってくる。
どうやら、砦は機能しているようだ。
そのまま隊列は砦へ向かう道へと入る。
今日は朝から雨だ。
モルソバーンから二日目の朝だ。
百舌鳥の声が道の両側の林から聞こえる。
テトは荷車の荷物に寝そべり、百舌鳥の声がする度に耳を動かしている。
私は丁度良い具合の防水布に包まれた荷物に頭を乗せていた。
雨避け幌が荷車に付けられている。
私が乗るというので急遽アーベラインが街の者に言って荷駄に取り付けたのだ。
速度重視の軍の荷駄に幌とは。と、遠慮したのだが、目覚めたアーベラインは予想外に押しの強い男だった。
私が荷物に埋もれる様子を見ると、馬車を仕立てると言い出したり、豪華な敷物を荷車に敷き詰めると言い出したり。
遠慮したが最終的には幌を取り付ける事で落ち着いた。
アーベラインは、帰路にもう一度立ち寄るようにと念を押した。
私に話があるらしい。
だが、帰路といってもこれから先の旅程も何もかもがあやふやである。騒動の原因を見極めるというが、それで帰路がモルソバーンを通るかというと、わからない。
私はわからないので、答えなかった。
だが、アーベラインの眼差しは、気にかかるものだ。
できうるなら、立ち寄りたいと思う。
そのアーベラインの幌のおかげで、私は雨に濡れる事もなく、荷駄に揺られている。
カーン達に言わせると、襲撃されたら一番の目印だと笑って..まったく笑えない。
やがて隊列は砦の門へと向かう急勾配の道へと差し掛かった。
道の両側はむき出しの岩肌だ。
その岩肌には所々に穴が開いている。
そこから攻撃もできるのだろう。
縦長の巨大な門の前には、人影があった。
後列の私からはよく見えないが、砦の兵士のようだ。
数名の兵士が出迎えて、先頭の者と何か話している。
コルテスの兵士は、特徴的な兜をかぶっている。
鷲の顔の意匠。
鳥頭の甲冑という感じだ。
奇妙だが、人の顔が見えないので不気味であり威圧には向いている。
体の大きさから人族の兵隊と見て取れた。
暫くのやり取りの後、門が開く。
丁度、雨足が少し強くなった。
雨に煙る砦は、あちらこちらから煙が上がっていた。
複雑な天に向けて延びる構造の窓や通路から、灰色の煙が上がっている。
通路の側でも、未だに燃えている物が転がる。
燃えているのは、あの山椒魚擬きと人だ。
齋の洗礼は、ここも通過したのだ。
兵士達は種火を片手に抜き身の武器を手にしている。
やはり、私達を、否、公爵の姿を認めると、皆、拳を胸に置いて頭を垂れた。
そして叫ぶ。
彼の姿に救いを見たのか、その叫びは喜びの声だった。
砦の中央、広場のような場所で隊列は止まった。
建物は天に幾階層にも高く伸びており、見上げると暗い空が小さい。
公爵の到着に、奥から数人の集団が出てくるのが見えた。
案内の兵士達よりも豪華な甲冑で、兜は脱いでいる。
大柄な人族の男で、灰色の蓬髪と厳つい顔をしていた。
がなるような声で公爵と話している。おかげで会話が漏れ聞こえた。
砦もモルソバーンと同じく見えないモノに襲われ、身動きのとれない状態だったそうだ。
それでも派兵要請があれば兵を出したが、夜になると襲撃が繰り返される。
それが数日前より、襲撃してくるモノが見えるようになり反撃ができるようになった。
ただ、既に兵隊の多くが体を損ねて死んだ。
暴れ回っていた兵士の多くが、体の一部を変化させて死んだそうだ。
それを昨日から焼いている。
大凡、モルソバーンと同じ経過をたどっているようだ。
この調子だと、コルテス領は同じように異形の侵蝕を受けてると考えられる。
ただし、見えるように徐々に人の体が変われば、駆除、できる筈だ。
残念ながら、領域混濁に巻き込まれていたならば、助ける事はできないが。
公爵は建物の中には入らなかった。
この中央の広場に陣取ると、砦を取り仕切る兵士を呼びつけ指示を出し始めた。
砦の内部が複雑すぎて、中に害虫が潜んでいてもわからないからだ。
獣人兵士達は広場に広がると、いつでも退去できる体制を整え待機している。
威嚇と勘違いされないように、静かに片膝をついて休んでいる者もいる。
なにしろ獣人の中央軍兵士はいるだけで物々しく恐ろしげだからだ。
私のところにはミアが来ている。
ザムに代わり、私の護衛になったようだ。
そのザムは、化け物の進入経路をイグナシオやトリッシュと共に探している。
エンリケは砦の医務官と、公爵とカーンそしてサーレルが砦の指揮官となにやら話し込んでいる。
相変わらず暇で蚊帳の外は私だけである。
ちなみにユベルは後続のモルダレオ達への繋ぎに向かった。
アッシュガルトはどうなっただろうか?
ビミンやクリシィは元気だろうか?
そんな事を考えていると、ニルダヌスと目があった。
公爵の側に控えているが、私を見ると少し眉を下げた。
見た限り体を損ねた様子もない。
ふと、彼の姿をグリモアが見る。
彼の命の紋様は、奇妙な捻れを二つ含んでいた。
胸の所と腹の所だ。
循環する命の輪が、そこで奇妙な角度で捻れている。
捻れの部分には、小さな薄い桃色の輪があり、そこだけ逆の小さな動きをしていた。
もしかすると、それが加工をした傷跡なのかもしれない。
だが、元の流れは傷ついてはいない。
じっと見つめている内に、命の配列の内容が、勝手に私の脳裏に並んでいく。
暫く、その構成の式をじっくりと追っていると、心配そうな声が耳に届いた。
「大丈夫ですか?」
何が?
と、答えずに、私は視界を切り替えるとミアを見上げた。
「ぼんやりと何を見ているんです?」
雨の滴る外套の頭巾を押し上げると、彼女は私の顔をのぞき込んだ。
「疲れましたか?それとも寒い?」
首を振ると、彼女は少し安心したようだ。
「昼には出ますよ。そうしたら少し移動して野営です。食事もその時ですよ」
砦には留まらないようだ。
私の側に近寄ると、彼女は声を落とした。
「コルテスの中央都市へ向かう前に、公爵自身の兵力を回収したいようですが、この様子だと期待できそうもありません。まずは領土内の混乱収拾が先になるようです。」
シェルバンへの早急な派兵はしないのだろうか?
「中央都市へと向かう事にしたと言っていますが、何かを公爵は都市にて行うようです。」
正式な宣戦布告だろうか?
「ですので、このまま砦の兵力は今まで通り循環警備業務に当たらせて、公爵は我々が中央都市まで送るようです。ですので、早々に出立します。」
幌に音をたてて雨が降る。
「まぁ、この先、内戦にだけはならないとは思うんですがね」
最後に呟かれた言葉に、私はミアを見返した。
彼女は、少し顔をしかめると続けた。
「何だか二三日前から、妙なんですよ。妙にこう、わかるって言うか。まぁ気のせいだとは思うんですけどね」
予感?
「この砦と同じで、何処にいっても終わっていると思うんですよ。だから、精々気を付けるとしたら」
その先を言う前に、隊列に号令がかかった。
たいした時間も経たぬ内に、私達は砦を後にした。
東マレイラのコルテス領は比較的標高が高い。
北の私の村よりは低いが、それでも高地と言ってもいいだろう。
水源豊富で原生林が広がり、北部は鉱山がある。
自然豊かである。
公爵の先祖が、この土地を開拓し、鉱毒の汚染に対して大胆な方策をとったのも、この豊かさを滅する事だけはできないと考えたからだろう。
人の住める場所というのは、意外に少ないものだ。
特に、人族の体に適合する土地は少ない。
南部が獣人族の領地になっているのも、人族が手に入れたとしても暮らせないから無駄という事もある。
広大な南部も肥沃な土地もあるのだが、砂漠と密林で人族が健康を保つには労力が必要になる。
単純な体の加工ぐらいでは、無理という話だ。
雨の中を隊列は北北東に進む。
公爵は砦の兵士を一人も連れずに残した。
砦の兵士は公爵の身柄を自分達で守るつもりだった。だが、モルソバーン一帯の秩序回復に専念するように公爵は命じた。
黙々と進む中で、カーンの馬が下がってくる。
後方の荷駄まで下がり、私を掴みあげると自分の前に座らせた。
「話をする間だけだ」
テトが飛びかかろうとするのを制止すると、荷駄に併走するように馬を並足に変えた。
鞍を跨がずに横に座ったので不安定だ。
「公爵は娘に宗主の座を委譲する。その後、シェルバン公と直接交渉をするようだ」
答えない私を気にもせず、カーンは先を続けた。
「直接交渉と言っても、外交交渉では無い。どんな手段かは言わないが、シェルバン公を討ち取るつもりのようだ。外交も正式な宣戦布告も無しだそうだ。」
雨が音を遮断する。
私達だけになったような孤絶を促す雨音だ。
「考え無しの無謀さだが、どうも、何かあるようだ。シェルバン公が旨い具合に死んだ場合、お前の言う呪術の影響はどうなるんだ?」
シェルバン公が今回のすべての原因であるならば、終息か暴走のどちらかになるだろう。
だが、すべて一人の人間が為したとは思えない。
ある程度の人数が合意の上で悪事を働いたならば、シェルバン公の周りの者も始末せねば、術は終わらないだろう。
(モルソバーンの地下と同じだ。術の起点が壊れれば、拡大はしない。ただし、今、存在している物は残る。変異体は駆除しない限り広がるし、活動している異形も残る。術の残滓により、土地の変容は免れないだろう。ただし)
「ただし何だ?」
(元凶を全て絶てば、人の力で押さえることは可能だと思う。)
「全てか」
(個人が全ての罪を負うには、規模が大きい。一人の悪事として終わらせるには、複雑だ。そして術者と術を与えた者も別と考えられる。異形が悪なのではない。異形をこの世に呼び込む者が邪悪なのだ。だから、その原因たる全ての者どもを滅しなければ、このマレイラは腐るだろう。)
「難しいぞそれは、罪を問うとしても、どこまでが罪かという選別はどうするんだ?」
私はカーンの顔を見上げた。
おぞましい自分の行いを告げるには、少しの勇気がいった。
(選別はとうに為されている。罪人の証ははっきりとその者に咲いている。だから、選ぶ必要はない。)
「どういう事だ?」
(死んだ娘達の時も、モルソバーンの楔の時も、私は返した。)
「返す?」
(報いを受けよと、卑怯者を呪った。だから、既に罪人は選ばれている。未来永劫、魂を呪った。決して救われる事がないように、呪った。)
暫くカーンは考え込んでいた。
雨の霞む道に私は目をうつす。
自分が嫌だった。
「それは見えるのか?」
(罪人の花の事か?)
「そうだ」
(誰が見てもわかるはずだ。でも、見たことは無い。呪うのは初めてだから)
「そうか」
ずっと雨の中を、馬に乗って旅をしていたような錯覚を覚えた。
孤独な旅をしている。
そんな気持ちがわく。
「俺達は、変異体の元を探すのが第一だ。第二が国土の汚濁を阻止する事。その原因がシェルバンならば粛正する。既に汚染されているようなら浄化だ。公爵の闘争には関心がない。」
(人間同士の諍いが元だとしても、中央軍の関心は、行程と結果というわけですか?)
「結果、公爵を助ける事になるのだろうが」
(公爵様と行動するのですか?)
「一等見晴らしの良い場所ではある。だが、どうするかと迷っている」
(シェルバンに入れば、私達だけでは敵対行動しか相手はしませんよ)
「わかっている。だが、珍しくサーレルが止めた」
(どういう事です?)
「シェルバンの土地に入る事を止めた。公爵と一緒に向かう事はよくないとな。あれがはっきりと言いきる時は、何かある」
私は、グリモアとしての私は、一つの可能性と結果を予想している。
だとすれば、サーレルが止める理由も朧気ながら想像できた。
そして、狡い私は、公爵とカーンを天秤に乗せれば、言うまでもなくカーンの命を取るのだ。
(公爵を先行させるのです。そして、時を置いて私達は追えばいい。ゆっくりと、追うのです。)
「何か違いがあるのか?」
(聞いてみてください。後追いならばいいかと。)
「どういう理由かわかるのか?」
私は大きな嘘を隠す為に小さな嘘はつかないようにしている。
小さな嘘をついて隠せば、大きな嘘もバレるからだ。
だから、嘘ではない。
(公爵様は死ぬ気なのです。それも普通の死に様を選ぶ事はないでしょう。このマレイラにかかる術の糧になる為に死ぬ。大きな呪術を使われるでしょう。たぶん、宗主だけが行える儀式です。
中央軍は、コルテス公とシェルバン公の死に、たまたま行きあわせ、混乱の収拾に当たる事になるでしょう。ただし、その死の場所にいてはなりません。)
「術だと?」
(マレイラの三公領主が守る広大な呪陣を、不死の王が置いたとして、それが恒久的に正しく使われるとは限りません。
コルテス公は必ず供物となる生け贄の命を出さねばならない。
それは、必ず出さねばならない仕組みがあるからでしょう。
つまり、軌道を修正する仕組みが術には必ずある筈です。
シェルバン公にしても、マレイラに生きるにおいて必要な犠牲を払ってきた。ならば、その犠牲を払うことをやめた場合の罰が必ずあるはずなのです。)
「ボフダンにもあるのか?」
(当然、ボフダン公も某かの術を保つ犠牲を払っているでしょう。だから、彼らはコルテスとシェルバンの争いに困惑している。本来は、三つで一つの呪いを保ってきたからです。)
「三つで一つの呪いを保つ、では、シェルバンが滅びれば、その呪いも滅ぶのか?」
(本来ならば、鎮護の道行きは消えるでしょう。だから、今までは公爵もシェルバンへ攻撃を仕掛けていない。)
「だが、今回は殺す気だ」
(鎮護の道行きが、魔導の術に取って代わるようでは本末転倒だからです。ならば、土壌汚染を受け入れるという考え方もありでしょう。本来の鉱毒対策をすすめ、経済活動よりも環境の保全に尽力するのです。)
一つ気にかかるのは、ニルダヌスだ。
公爵は彼を道連れにするだろうか?
死ぬ気なら置いていってくれとは、恩知らずな言い様だ。
ただ、自滅する気なら、彼の所有権を誰かに移して欲しい。
と、冷酷な自分に嫌気がさす。
私の中での明確な線引きが、どのあたりなのかがわかると、自己嫌悪で顔がひきつりそうになった。
私は公爵を助けようとしていない。
理由は簡単だ。
彼を助けようとすれば、中央軍の兵士、カーンの手勢が戦わねばならなくなるからだ。
彼ら兵士にしてみれば、私の言い分は戯言だろう。
サーレルがカーンに対して、最後の部分は同行するなというのは、損耗に対しての危惧と、得体の知れない何かを公爵がすると踏んでいるからだ。
コルテス公は自信をもって、シェルバン公とその取り巻きを抹殺できると考えているのだ。
それが愚挙でないとするならば、絶対な自信を持つだけの手があるという事だ。
五年もの空白を持つ男が、一人で、命を刈り取る術を持っているというのは不穏だ。
だが、宗主を見た人々の反応からすると、コルテスの宗主は、某かの力を持つ絶対者なのだとわかる。
この人がいれば救われると確信できる何か。
それをシェルバン公も分かっているから迂遠な方法で殺害し、領土侵犯をしていたのだ。
願い事は一つ
皆が幸せでありますように
昔々、誰かが願った。
その願い事が、愚かな欲で呪いになった。
私達は野営を繰り返し、公爵の中央都市であるリスロンへと向かう。公爵の娘がいる白亜の都市だ。
カーンは公爵と共に行動するか、まだ、決めていない。
愚かな私は、夜になると、つい願う。
嵐よ、眠っているうちに過ぎ去ってくれと。
もちろん、そんな都合のいい願い事が叶うはずもなかった。




