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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
210/355

ACT190 モルソバーンにて 其の十

 ACT190


 枯れた潅木と闇に白く見える木の幹。

 這いだした場所は、モルソバーンの外壁が見える林の中であった。


 穴は無造作に地面に開いている。

 もしかしたら、この穴からも見えない異形が出てきていたのかもしれない。


 穴が内側から弾けるように縁が盛り上がっている。

 墓は、モルソバーンの地所より大きいのだろうか?

 もう少し地下を調べるべきだろうか?

 構造物を調べ..。


 破壊しては鎮護の呪いもなくなるのでできない。

 後で入り口を閉じればいいのだ。

 それはアーベラインが目覚めれば、彼がやるだろう。


 星に照らされた森は静かで、風も止んでいる。

 対照的なのはモルソバーンの白い壁の上、空が明るい事だ。

 空が、というより、街が明るいのだろう。

 たぶん、変化が起きて街が目覚めたのだ。

 目覚めたというか、騒ぎになっているのだろう。


 アーベラインは目覚めただろうか?


「一旦、体を乾かすか?」


(公爵様と合流しましょう。時間も気になる)


「やはり、同じ夜ではないのか?」


「違うんですか?」


 私を抱え込み、外套の下に巻き込むとカーン達は走り出した。







 夜明けは遠く、案じたような時の逸脱はなかった。

 同日の晩であり、イグナシオが工房を燃やしてから然ほど時は過ぎてはいなかった。


 だが、街の中は一通りの騒ぎが過ぎ去った後のようだ。

 そこかしこに、山椒魚のような死骸が転がっている。

 興奮したモルソバーンの民が武器を持ち、街に篝火を置き、彷徨いている。

 民というと、兵士に比べれば脆弱な存在と思われるが、実際は違う。

 大きな都市部の貴族ではないのだ。

 家の中には武器があり、女子供でも振り回す。

 見えないモノなら恐怖だが、醜い姿でも見えるのなら、その頭を鉈で真っ二つにするぐらいはできる。

 野生の動物だとて外壁の外にはいるのだから。

 その外壁は開け放たれていた。

 戻ってきた私達が聞いたところによると、大物の化け物を外に追い出したのだそうだ。

 大物の、ひときわ大きな山椒魚が、叫び声を上げながら街に現れたようだ。

 それは人には目もくれず外に向かって走り出し、外壁に二度三度と体をぶつけた。そこで門を開放すると、一目散に奇声をあげて出て行ったそうだ。


 門、と言ったが、私達が入ったのはモルソバーンの北門。

 関からの街道へ続く南門ではない。

 コルテスの内地へ続く門だ。


 柱の子供の顔をした異形は、現実には内地へと走り去ったようだ。


 興奮する民の関心は、私達には無い。

 ひたすら、家々を開放しては化け物を探している。

 憎くて憎くて仕方がないのか、興奮した人々は獲物を探して騒いでいた。

 私達は、凶兆をもたらしたと思われるのではないかと案じていたが、その心配は無さそうだ。

 コルテス公のおかげで、化け物が正体を現したと考えているようだった。






 アーベラインは眠っている。

 普通の眠りだ。

 世話をする娘の姿を横目にみつつ、私達は公爵に例の頭を見せた。


 館でも一悶着あった。


 奇っ怪な赤い根のようなモノが館を覆っていたのだ。

 見えるようになってしまえば、このモルソバーンの街は、得体の知れないモノに襲われ変質しようとしていた事がはっきりわかった。

 建物は不気味な赤い根に覆われ、凶暴になった官吏達は半分人ではなくなっていた。

 官吏の体は半分以上、あの異界と同じく黒いモノが覆い、今となっては分離した残りは廃人になっていた。


 変異体ではない。


 エンリケが調べる迄もなく、それは無差別に感染するものでもない。


 あの山椒魚のような化け物以外にも、奇妙なモノを見たという話もあるが、今のところは捨て置いている。それよりも館を改めるほうが先だ。

 庭園には大きな焚き火が置かれている。

 異形も奇っ怪な根も、始末しここで焼いているのだ。

 怒りと恐怖と安堵、すべての感情に興奮した民は、アーベラインの焚き火に集まっている。


 その様は、まさしく齋であった。



 頭部を公爵に見せ、公爵とカーン達はそのままアーベラインの部屋にこもった。

 アーベラインが目覚めるかどうか、エンリケが診察をしている。

 そしてもはや、普通の眠りにあるアーベラインに私は必要がない。


 私は湯に入れられ、着替えて寝るように言われた。


 テトは置いて行かれた事に腹をたてているらしく、背中から登り上がると肩に爪を立ててくる。

 肩にしがみつかれると結構な重さだ。

 何とか引き剥がすと、抱える。

 髪の毛は濡れたままだ。

 どうしようかと猫を抱いていると、館の召使いが私を呼んだ。

 その老女は台所の火の前に私を手招くと、塗れた髪を布で乾かし始めた。

 ごく普通の人族の老女だ。

 長命でも短命でもない。

 亜人に近い寿命らしく、年相応に老いて見えた。

 彼女は適当に布で水気をとると、櫛と硝子の小瓶を持ち出してきた。

 黙ってテトと見ていると、銀の飾りの櫛の歯に、小瓶から液体を垂らしている。

 髪油のようだ。

 香りは何かの花だろうか?

 そういった贅沢に慣れていないので、何の香りかわからないが、安らぐような花の匂いがした。

 それで黙々と髪を櫛けずる。

 もしかしたら、この館でそうして女達の世話をしていたのかもしれない。

 その表情は何も表してはいないが、何処か、安堵しているように見えた。事の発端はわからないし、原因も不明だが、事を起こしていた害悪が見えたというだけでも、よかったようだ。


 もちろん、そう、私が思いたいだけなのかもしれないが。


 丁寧に髪が梳かれ香りと艶がでると、今度は質素な櫛が取り出された。その薄い櫛は髪をより分けて編み込むのにむいているようだ。

 細かく髪をより分けると、複雑に編んでいく。

 元々細く厚みのない髪なので、細かく編み込み頭に巻き付けていくと小さく纏まった。

 これならば雨避けの外套も面倒無く頭から被れる。

 などと考えていたら、老女は小さな小花の飾りを編み込みに沢山差し、それはそれは可愛らしい様に仕上げた。

 ..頭部だけが華やかになった。

 非常に残念な仕上がりである。

 感謝を身振りで伝えると、今度は私の手を引いて台所の卓へと連れて行く。

 黒いパンと野菜の煮込み、乾酪に干し肉が並べられた。

 夕食はすんでいるが、確かに空腹である。

 私はすすめられるままに手をつけた。

 堅いパンを煮込みの汁でふやかして食べる。

 噛むと独特の香ばしい風味がでて美味しい。

 部屋の暖かさと、食事の旨さ。

 不意に心が折れそうになる。




 宮の客人を見てから、私の中には諦観が生まれた。



 私の歩む道が、偶然でもあり必然でもある事。

 改めて、我が身が供物である事。

 そして沈黙を守る彼らが、私をずっと見ている事。

 宮の主も、我が身自身であるグリモアも。

 私は、



 狂気と欲に溺れ、理を犯した者を宮へと贈る餌なのだ。



 故に、その供物である事により、私は宮へと還るのだ。



 何を悩んだところで、あの日から私の人生は終わっていたのだ。


 冬のあの日に、終わっていた。


 そして幸いな事に、少しの猶予ができたのだ。

 例え餌だとしても、少しだけ、生きる事ができるのだ。

 人の側で、罪を犯しながら、人の側で、暖かみを分け与えられながら。


 幸いなのだ。

 そう理解しているのに、心が折れて泣きそうだった。







 食事が終わり、そのまま台所の隅で休む。

 火の側で毛布を被り、テトと丸くなる。

 煩わしいすべてを忘れて眠りたいと思うのに、目を閉じると浮かぶ。




 宮の地下で、異形となった女が歩く。

 蚯蚓のような下肢を引きずり、三面六手の体を蠢かす。

 それは新たに蟒のような姿に変わる。

 飢えて乾いた蟒だ。

 そこに新たな異形が加わる。

 やはり同じく三面六手であったが、それも新たに蜘蛛になる。

 人の顔をした蜘蛛になる。

 嫉妬し憎悪に飲まれた蜘蛛だ。


 何れも己に貪欲で、人を許すことを知らない。


 彼らを囲むのは、宮の怪人だ。


 彼らは人の罪深さを笑い、異形を追い立てる。


 あの死者の宮は、こうして住人を増やすのだ。


 主はゆらゆらと羽を動かし、見ている。


 相応しい者を探すのだ。


 これは何だ?


 宮とは何だ?


 私の声に、主は笑う。


 唇に人差し指をあてて、私をなだめると足下の水を指さした。

 私は水をのぞき込む。

 澄んだ水底には..








 翌日、アーベラインは目覚めた。

 彼は公爵を認めると泣いた。

 泣いて詫びた。

 何に対しての詫びだろうか。

 涙は、たぶん、失った家族や知人への涙だろう。

 詫びは、私にはわからない。

 公爵はアーベラインの肩を抱くと、言った。


「私こそ寝過ごした。さて、私の剣は無事かな?」


 窶れた男は、泣きながら頷いた。

 息を荒くしながら、アーベラインは言った。


「我が魂にかけて!宗主よ、どうかどうか、この地を荒らされた我が身を罰し、どうかどうか」


「元は私だ。お前は約束を守った。ならば、この地を今まで通り守るのだ。デフロットは」


 公爵はアーベラインの痩せた背中をさすりながら笑った。


「デフロットは死霊となりて、姫の元に留まった。お前も、化け物に捕らわれても沈黙を続けた。間抜けな我が身が惰眠を貪っている間、苦しみ悲しみ苛まれていたのだ。なら、宗主の私は何と答える?」


 アーベラインを再び寝かせると、彼は言った。


「裏切り者の血を絶やす。止める者も今ではいまい。我らの良心を排除したのは裏切り者自身だ」


 私は蚊帳の外だ。

 複雑な背景や事情は、私に向けては誰も語らない。

 只、朝の食事を終えると、こうしてアーベラインの部屋へと再び呼ばれた。


 公爵とアーベラインのやりとりを見ていると、最後に手招かれた。


「お前を迎えに行った方だよ。ラドヴェラムからオールドカレムの男を助けてくれた姫だ」


 涙で赤くなった目が私を認めると、見開かれた。


「これは、なんと」


 言葉に詰まる男に、公爵は言った。


「覚えているか?」


 それにアーベラインは泣いた。

 声を上げて泣き出し、私は困惑の中に取り残された。






 荷駄の荷車に腰掛けて、未だに続く焚き火を見ている。

 側には、たらふく肉を喰ったザムがいる。

 肉のおかげか、彼の首に傷は無い。

 肉はアーベラインの厨房から提供された。

 勢いづいた民が近隣の林の中まで見回りをしており、ついでに肉も調達しているのだ。

 公爵の連れであるなら獣人でもいいようだ。

 否、正確には、獣人のような余所者なら、化け物をけしかけた敵ではないからだ。

 モルソバーンの民は、我々が持ち帰った頭部が誰かを一目でわかったようだ。

 混乱の夜だというのに、我々が無造作に持ち帰った頭部を見て。という言い方も変だが、つまり、人を殺して持ち帰ったというのに、それを責める者は一人もいなかった。

 それよりも、我々が、誰の頭を持ち帰ったか理解すると、興奮の波が大きくなった。

 女や年寄りでさえ、罵り声と共に叫び始めた時は、身構えた。攻撃されるかと思ったが実際は違った。



 エッダの息子だ、エッダ・ベイラムの息子だ!



 と、言い興奮して奇声を発する。

 その時は唖然としたものだが、後になって知った。


 エッダ・ベイラムとは、このモルソバーンの地から、シェルバン公の妾の一人に収まった女の名だ。

 つまり、異形の蜘蛛と化していたのは、シェルバン公の次男。エッダ・ベイラムの息子であるマーセス・ベイラムだ。

 シェルバン姓は、シェルバン公の正嫡子以外は名乗れないのだ。

 アーベラインが守るこの土地に入れたのは、その血が微かにオールドカレムの男だったからだと思う。

 これで一つの証明は為された。

 コルテス公の物語ではないのだ。

 宮の主が求める娯楽は、美しい愛の物語ではない。

 姫の犠牲や忠義にあつい騎士や、麗しい公爵のお話ではないのだ。



 ラドヴェラムの残酷譚、という訳だ。



 座る荷台には、花が咲き一夜の内に枯れ果てた物が乗っている。

 残る死体も、花が咲いたら枯れて、人の拳ほどの種になるのだろう。

 残りは三つだ。


 臓腑の壷に、異形の頭、蔦に絡まれた体が三つ。


 荷駄には、悪夢のような代物が乗っている。


 エンリケは、種と壷の中身を見たがった。


 種は渡したが、壷の中身は止めた。



「ここへ兵士を送る砦に立ち寄るそうです」


 ザム以外は、モルソバーンの掃除をしている。

 カーンと公爵は、アーベラインの部屋にて色々と書類や手続き、復旧に向けての手筈を整えている。

 サックハイムは公的書類や伝令文の処理で半ベソをかいていた。

 イグナシオは民と一緒に怪しい物を焼いて回っている。

 サーレルとエンリケは、民の人別と健康調査に出ていた。

 穴の埋め戻しには、ミアと民の一部で外に出ている。

 私だけが蚊帳の外で暇だった。

 テトと荷台にいると、通りすがりに誰かが必ず食べ物を置いていく。

 この不気味な荷物のところに座っているのは自分だが、ここで食べ物を与えられるのは何故だろう。

 仕方がないので、生地の厚い肉詰めやら、芋の煮込みやら抱える。

 テトも先ほどから肉をくれる人がいるので、それにかじり付いている。

 ついでに護衛のザムも鳥の焼いた腿をくわえていた。


 何故か、モルソバーンの民がご飯をくれる。

 毒味と称して、最初にザムが口に入れる。その食料は街中で炊き出しをしているものだ。

 どうやら、腹をすかせた子供に見えるのかもしれない。


「その砦から先は、公爵殿がその場で行き先を指示するそうです。」


 私は帰って以来、無言を通している。

 声が伝わる事が嫌だった。

 無駄な事だが、皆の変化を受け入れるには、まだ抵抗があった。


 カーンも私の沈黙には何も言わない。

 ただ、何れカーンの兵隊達には知れるだろうが、今は嫌だった。

 ザムは鳥の骨を吐き出すと、私が食べあぐねている芋の煮込みを手に取った。


「いらないなら食べますよ。」


 身振りですすめると、ザムは木匙で食べ始めた。

 肉体の活性化を彼らが滅多にしない理由がよくわかる。

 燃費が悪いのだ。

 しかし、これほどの回復力なら、この燃費の悪さも仕方が無い。

 イグナシオも肉を食べているのだろうか?


「千切れ飛んだら生えませんよ。くっつく事はありますけど」


 私の視線に、何か感じたのかザムが言った。

 その間にも、通りすがりの住民女性が、大ぶりの小麦粉料理を置いていく。


「どうも、飲み物あります?」


 それに何故か通り過ぎようとしていた住民男性が酒瓶を一つ置いていった。

 私がザムを睨むと、彼は笑った。


「しばらく暖かい料理も酒も無さそうですからね。」


 そういって、焼き色のついた小麦粉料理を千切ると食べた。


「たぶん、後で教えてもらえると思いますけど、その先で公爵は挙兵の為の何かをすると思うんで、そこからは、団長の指示になるんで、別行動になるかもですね」


 小麦粉料理の毒味がすむ。切り分けると一切れ手渡された。


「うまいですよ、中身の野菜と乾酪が溶けてますね。うん、でまぁ、マレイラの内戦が本格化した場合、あくまでも中央軍は客って事なんで」


 私が話の内容に首を傾げているのがわかったようだ。


「不干渉って事です。表向き。ですんで、正式に公爵が挙兵した場合は、別行動しないとならなくなります。たぶん、補佐官がうまいこと屁理屈こね回すでしょうけど」


 暖かい料理を頬張ると、私は煙と炎をあげる庭園を眺めた。


「たぶん、最終的にはシェルバンに乗り込むんでしょうけど。知ってます?この随行の正式な名目」


 護衛任務だろうという私の視線に、ザムはもりもりと間食を続けながら言った。



「王国中央軍労働衛生基準による過重任務労働時間超過是正期間の為の随行」


 なんだそれは?


「簡単に言うと、お休みなんで、東マレイラの紛争地域に遊びに行こうかなって感じですかね」


 呆気にとられる私を後目に、ザムは付け加えた。


「旅行中に公爵とばったり出会ったんで、旅の道連れになりました?序でに護衛してるんです。と、言って関所を通るんです」


 そういえば、カーンは休暇中だと言っていた気がする。

 その屁理屈のまま、シェルバンまで行くのだろうか?




 焚き火は二日ほど続いた。

 モルソバーンにての騒動は、こうして何ともモヤリとしたまま終わった。

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